USA=領土拡張と人口吸収政策の限界1

米国に戻ります。
国際競争優位が米国団結・UNITEDのメリットであり、その果実を得る手段としてグローバリズム推進だったのが、対中競争で優位性を失っていくと留学生に始まり上位層の流入と底辺労働者双方の流入が縮小します。
トランプ氏の移民制限はランク分けして技能労働者優遇政策ですが、国力の将来性がなくなってからのランク分け流入期待は(移民の方も選ぶ権利があるので)現場労働力でさえ二流人材3流人材化していきます。
連合UNITEDの本質・利益がある限度で連合を組むものですから、言わば現金な関係です。
国の成り立ちは国家構成員同士の絆の成り立ちでもあります。
メリットで集まった人間関係は利に聡く脆弱です。
日本の縄文時代あるいは伝統的国家は、地元にない特殊品だけの例外的交易によって地域を運営してきた社会ですので、いわゆる鎖国制度はどうってことのない社会ですが、アメリカの場合建国当初から地元にないものの交易でなく、人の移動を含めたグローバル展開によって経済が回ってきた社会・・国内の需要以上のものを生産しないと回っていかない社会です。
アメリカンファーストというのは「外国から物品を買ってやらないぞ!という脅しにはなりますが、本当に鎖国競争になると米国の方が中国よりも国内基盤が脆弱です。
1929年大恐慌からの脱却は、TVAで知られるニューデイール政策によったかのようにアメリカは宣伝していて、高校時代の英語教科書英文でこれを賛美するような英文を授業で習った記憶でしたが、実は対日戦争開始成功による戦時経済化によってようやく経済下降を食い止め、日欧に対する戦後復興援助(輸出増)によってプラス成長になったものでした。
ナチスが軍需産業化によって経済成長下のと似ていませんか?
大恐慌に関するウイキペディアの記事からです。

1936-38年にはGDP比5.5%の財政赤字を解消した。しかしこの1937年の財政支出大幅削減予算により1938年は不況になり、実質GDPは11%下がり失業率は4%上昇し[35]、「ルーズベルト不況」と呼ばれることになる。
アメリカのGDPは1936年に恐慌前の水準に回復したものの37年不況により再び34年の水準まで逆戻りして、1941年まで恐慌前の水準に回復することができなかった[36]。ニューディール期間中財政支出赤字の対GNP比が10%を超えた年は2度である。アメリカ経済の本格的な回復はその後の第二次世界大戦参戦による莫大な軍需景気を待つこととなる。
太平洋戦争が起こり、連邦政府はようやく見境のない財政支出を開始し、また国民も戦費国債の購入で積極財政を強力に支援した。1943年には赤字が30%を超えたが失業率は41年の9.1%から44年には1.2%に下がった[37]。しかしダウ平均株価は1954年11月まで1929年の水準に戻らなかった。

戦後世界の工場が壊滅したが、戦禍を免れた米国だけが工業製品や食料・資源供給国になって突出した国力を誇れたのです。
戦前の大恐慌対策は世界中がブロック経済化による国際貿易量の急激縮小でしたが、トランプ氏のアメリカンファースト政策は米国だけの孤立化政策です。
モンロー宣言の時代にはまだ米国の規模が小さく南北アメリカ内で交流すれば孤立しても成り立ったでしょうが、今は中南米も世界経済に参加していて、米国と一緒の経済圏に止まる保証はありません。
(中国ソ連が孤立しても70年間も頑張れたのは交易経済にそれほど頼っていなかったからですし、国土の狭い北朝鮮も同様で、領土の広さではありません。)
トランプ氏はアメリカンファーストと言ってモンロー主義の再来をイメージしているようですが、中南米は棍棒外交で米国に散々苦しめられてきたので米国と心中する気持ちはありません。
TPPの創立的メンバーがカナダ、メキシコを含め太平洋沿岸の中南米で、米国が脱退してもそのまま進める方向・ついに米国抜きで発効してしまいました。
米国が無茶すれば足元の南北大陸内でも孤立する方向が確定し、モンロー主義の再来どころではありません。
日本はTPPのほか日欧FTAや東アジア地域包括的経済連携RCEPなどをドシドシ進めて行く方向なので、戦前のような孤立化はしないと思われますが、自国の力に恃みすぎる米国の方が長期的に孤立化が進むように見えます。
一見米国べったりに見える安倍外交は、巧みに上記各経済協定を推し進めているほか、中国にも恩を着せているので、米中対決がどうなろうとも米国の顔を立てながら、米国の国際経済仲間入り・復帰の筋道を立ててやる重要な役割を担うことになりそうです。
安倍総理が習近平の国賓待遇招待に踏み切るかのような姿勢を示していたことに対して右翼の安倍離れを起こしていますが、日韓慰安婦合意が後で役に立ったように、同様に政治というものは後々の効果も考えて複々線の行動が必要です。
NITED・連合とは、主として利によって一時的に結びつく関係を言いますが、成長期待がなくなれば米国留学希望が減るように、北米大陸内の連合を維持するご利益がなくなれば、軍事連合など組む意味がない・United Statesである必要があるか?と思う米国民が増えるでしょう。
ここで米国が独立後破竹の勢いで拡張を続けられた要因を見ておきましょう。
独立時の東部13州が今の領域になるまでの目覚ましい領土拡張によって、豊かな資源を入手したもののこれら資源を利用しきれない少ない人口・・労働力不足に困る状態が続いていました。
国土急拡張に人口が追いつかなかったのです。
低廉な労働力導入政策・・移民受け入れ国として世界に門戸を開くイメージアップに成功し、一方で人口の急拡大で国力増大・白人の生活レベルが飛躍的に上がり続けた満足感を国民に提供することによって、国家運営がスムースに進んだからではないでしょうか。

格差社会の構造(米中と日本社会の違い)1

エリートのピンポイント輸入に頼る米国と中国の違いは、異民族支配に柔軟対応するために自前の士大夫階層(一種の官僚機構構成層・中堅人材)がかなり大量存在する=層の厚さが違う感じです。
日本がGHQ支配に柔軟対応できたのと同じです。
日本が中国のように異民族支配を受けた経験がないのにをうまく受けれられたのは、京の朝廷・公卿集団が、次々と勃興して来る武家集団をうまく手なづけてきた長年の経験プラス徳川体制下における外様大名の多様な生き残り経験を活かしたものでしょう。
中央の宮廷官僚だけでなく各地方ごとに、その種人材が多様に存在してい社会であったことが重要です。
中国や朝鮮民族の場合、占領軍・専制支配体制下の生き残り策なので政治工作対象が一点に絞られる単線構造に対して、日本武士団の覇者・幕府は連合政府形態なので同輩が多い点が特徴です。
大和朝廷も諸豪族連立で成立している関係で古来から合議で決めて行くのが慣例でしたが、武家政権になると戦闘場面の延長で指揮官の号令一下のイメージですが、実態はそうでもありません。
戦闘現場での大きな戦略決定・軍議でさえも日々軍議を開いて翌朝(払暁)からの手順を決めて行く仕組みですし、まして内政になると鎌倉幕府は執権政治・・合議で決めて行くのが基本でした。
その合議は、(中流御家人以下の民意吸収能力のある)有力御家人の意向など忖度して決めていかないと政権が浮き上がるリスクがあり結果的に民意吸収能力が問われる仕組みでした。
徳川政権下でも有力諸侯の意見を無視できないというよりは、有力諸侯とは発言力のある諸侯という意味ですし、発言力があるという意味は、中小大名の意向を汲み取り代弁するのに長けた大名という意味であり、時流に関係なく正論であれば良い社会ではありません。
水戸家が尊皇攘夷論では先行していたのに、肝心の維新本番ではほとんど役割を果たせなかったのは、民心や時流の動きとか無関係な主張をしていた・現在の野党的批判論でしかなかったことによります。
水戸家から一橋慶喜を出していて水戸勤王党にとっては期待の星でしたが、彼は名門の一橋家を継いだことで政治力がなくとも知的能力が高かったかもしれませんが、地位による発言力があったという意味でしかなく、中小大名でありながら実力で発言力を持っていた大名に比べて政治力がイマイチだった印象です。
学問と違い政治の世界では、時期尚早の意見を否決されて、自分は1年前から主張していたと自慢しても意味がないのであって、必要時に主張する能力が政治には求められます。
真夏にセーターを着たいと言って馬鹿にされた人が冬になって自分が半年前に言ったことが正しかったというと笑われるのと同じです。
幕末に松平春嶽その他の小大名の活躍、あるいは山内容堂の大政奉還論は、こういう能力があったからです。
大大名は軽率に旗幟鮮明にできないので、こういう中小大名のアドバルーンを利用して形勢を読み時流に乗る体制で、これは鎌倉幕府崩壊時の足利尊氏の動きとも似ています。
明治憲法下の内閣制でも総理は首班と言われたように、同輩のトップでしかないのが特徴です。
占領軍支配に対するにしても、日本は複雑対応人材が多様に存在していたので難局をうまく切り抜けられたのです。
中国は1極支配の単純支配に対応する能力はありますが、国際社会は複雑です。
今回のコロナ禍でも、結果的に個人情報を徹底的監視体制を応用してうまく対応できたというのが自慢のようですが、それを自分で世界に自慢して触れ回ることではありません。
今朝(24日)の日経新聞朝刊6pのフィナンシャルタイムズ提携の署名入りオピニオン紙面には、「自滅した中国コロナ外交の大見出しで、米国ウイスコンシン州議会議長に対して中国政府から「中国の新型コロナ感染拡大に対する取り組みを賞賛する決議案を議会に提出してほしい」という趣旨の電子メールが届き、メールには決議文の案文が添付されていて、その内容は中国共産党がイカに素晴らしく対応したかといった論点や主張が列記されており決議にかけるには怪しすぎたので議長はイタズラだと思って、その議長は、外国政府が、州議会に直接法案の可決を求めるなど聞いたことがない」とこの記事の筆者に語ったということです。
ところがそのメールが中国総領事館からの公式電文だったと分かったという驚きの記事です。
こんな運動をして相手がどう思うか全く念頭にない・・・自分が中央政府にどれだけゴマスリできるかしか眼中にない社会です。
岡田英弘氏の論文を読んだころの印象しか記憶がないので誤解も混じっていますが、魏志倭人伝があてにならない理由として、中国のごますり競争が背後にあって、当時実力者司馬氏と曹操の子孫の政争中で、一方が西域諸国のとりまとめに成功した報告があったので、他方は対抗上東方海上の大国(邪馬台国のことです)が朝貢に来ることになったと誇大報告する必要があり、このためにあちらに千里さらに曲って何千里とものすごい誇張した路程が必要になったという解説です。
同氏は魏志倭人伝の説明通りに地図を書いていくと日本はフィリッピンあたりになるオーストラリア大陸くらいの巨大な遠方の国になってしまうようなイメージをうけて読んだ記憶です。
このように朝貢の歴史といっても権力競争している方が、大げさなお土産を持って来たと披瀝しなければならないので一種の出来レースだったようで、周辺国はちょっとした土産を持っていけばそれを招待した政争当事者が何倍にもして、皇帝の前にお披露目する仕組みだったようです。

USA=領土拡張6(第二次世界大戦まで)

地続きの領域拡張と内部に抱える先住民絶滅作戦が終わると域外への膨張政策が始まります。
ウイキペデイアの整理では帝国主義時代の項目になっていますが、この時に始まったのではなく独立の成り立ちにそのDNAが仕組まれていたという視点で私はこのシリーズを書いています。
ウイキペデイアによるアメリカ合衆国の歴史からの引用続きです。

帝国主義時代 (1890年〜1918年)[編集]
西部開拓時代の終結によって、アメリカ人は更なるフロンティアを海外へ求め、「外に目を向けなければならない」という意識が起こった。
1889年にパン・アメリカ会議が開催され、この力がアメリカのラテンアメリカ進出を促した。
とはいえ、モンロー主義に基づくアメリカ合衆国の伝統的な外交政策は引き続き重視されていたため、植民地獲得については消極的であり、もっぱら棍棒外交やドル外交に基づいた経済的進出を狙いとしていた。
1898年にハワイ王国をなし崩し的に併合、領土を太平洋上まで拡大した。さらに同年、スペイン領キューバの独立戦争に便乗し、軍船「メイン号」爆発事件を契機として、スペインとの間で米西戦争を起こした。この開戦には、当時普及していた新聞が大きな役割を果たした。
すなわち、米国民の反スペイン感情を煽動する報道を繰り返し行った。これは新聞によって煽動された大衆が戦争を要求した最初の例であり、米国政府はこの情報戦略を積極的に利用し、後の戦争のほとんどに活用された。
米西戦争とそれに続く米比戦争に勝利すると、中米の多くの国からスペイン勢力を駆逐して経済植民地(バナナ共和国)とし、プラット修正条項によってキューバを保護国に、プエルトリコやフィリピン、グアム島などを植民地化した。
さらに、西欧列強と日本によって中国分割が進もうとしているときに、1899年と1900年に清の門戸開放・機会平等・領土保全の三原則を提唱し、中国市場への進出を狙った。
カリブ海地域を勢力圏にするために、カリブ海政策を推し進め、これらの地域で反乱などが起こるたびに武力干渉した(棍棒外交)。また、国内東西物流の安定を目的としたシーレーンの確保を目的に、パナマ運河建設権を買収し、2万人以上の死者と長期間の工事を経て、果ては工兵まで投入して完成させた。さらにコロンビアから分離独立させたパナマから運河地帯の永久租借権を獲得した。
以下略

第二次世界大戦後は、日本の南太平洋にあった信託統治領を支配下に組み込み、現在に至っています。
戦後は世界の覇者として君臨するようになると露骨な領土拡張政策は限界を迎え、余剰人口吸収装置としてのアメリカの魅力が次第に薄れ始めました。
直接的領土拡張は第二次世界大戦まで続き、戦後は直接の領土拡張欲を捨てたように見えますが、戦後は植民支配時代時代の終焉を巧みに利用して西欧諸国の植民地支配の後釜に入り込み・・中東での石油利権をめぐり英仏を追い出して中東への事実上支配を強めるなど、中南米に対する棍棒外交の世界版として世界に張り巡らした軍事基地を背景にしたCIAによる政権転覆活動などによって世界を事実上支配してきたことは周知の通りです。
この力が弱まってくると最近では金融取引停止の脅迫で支配完徹手段としています。
以上見てきたように米国は独立戦争の当初から、実態は支配地拡張・21世紀に入ってからはグローバリズムに名を借りた世界支配に邁進してきた歴史でした。
中国の台頭によりグローバリズムによる覇者の地位が危うくなり始めると逆にグローバリズム反対・・アメリカンファーストと称し、内部分配がテーマになってきました。
内部分配はあちら立てればこちら立たずの矛盾が1体1の矛盾どころか、8対8程度の複雑なパズルを解く必要に迫られます。
この困難に逢着したのがシリアとIS関係・スンニ派とシーア派、トルコとクルド族、イスラエルとアラブ諸国等々利害錯綜で、単純思考の米国民度・政治経験レベルでは、解決不能の迷路に追い込まれてしまったのです。
これまでは反ソ連、反共産主義とか、悪の枢軸とか単純仕分けで攻撃していれば良かったのですが、ソ連崩壊後単純図式が当てはまらなくなり、中国の台頭で米国の将来性も?になってきました。
もともと拡張主義の旗印のもとに連合を組むメリットを享受してきたのですが、米国民が武力経済力等々の侵略の象徴である星条旗の旗印のもとに結集するメリットを感じなくなるとどうなるか?です。
米国は何かというと星条旗の元に団結を誇示するパターンが目立ち、これしか一体化の道具がないのは、以上見てきた通り、独立の始まりから支配地拡張戦争のために団結してきた歴史によります。
単純化すれば、量の勝負・・3〜40年前の日本では地方に行くと旅館ホテル等では量の勝負で食べきれない料理を出す・・と言われた時代でしたが、米国産業界は黒人奴隷に始まり低賃金労働者の大量仕入れ・移民導入で先進国との競争に参入したので叩き上げ熟練職人が育っていないので中下級品しか作れない弱点がありました。
この弱点克服のために、製造工程を分解して流れ作業化することにより熟練工不足のハンデイを克服に成功して世界の経済・軍事大国にのし上がったものです。
ベルトコンベヤー方式に馴染む・適応の進む産業分野から世界のシェアーを奪っていったのですが、原則として規格品製造になる結果、個性や品質で競う能力が低いままになります。
非熟練工でもそこそこのものを大量に安くに作れるようになる生産方式の発明により、米国が熟練工の多い欧州より多量に安く作れて有利になった点は、米国よりもさらなる後進国に対しても参入チャンスを与えたことになります。

USA=領土拡張5(ジェノサイド1)

敗戦を機に主張を変えた人を節操がないと批判する人が多いですが、これが民族を守るための言外の国策だったのですから、民族存続のために恥を捨てた人物(韓信の股くぐりを「誇りがない」と馬鹿にするか褒めるかの違いです)はむしろ国士です。
メデイアと教育界支配に精出していた米国の意向を受けて本気でそのように誤解し?日本民族を悪し様にいう文化人やメデイア界がほとんどでしたが、国民の多くは黙って「意を体して」時節到来を待ってきた状態です。
平成の初めころ、ある委員会の視察旅行の旅先での懇親会で、当時70歳前後のいかにも保守系代表のような委員から、当時若かった私を相手に「今の若い者は・・・・式の意見を述べ始めたことがあります。
弁護士=左翼系と見ての話だったのでしょうが、私の方は持論に従って「アメリカはスポーツであれ何であれ自分に都合が悪くなるとルールを変えるズルイ国であることは常識であり、そんなこと文句言っても始まらないからみんな我慢しているだけです。
物事には時節というものがあるから時節到来を待つしかないから待っているだけで、若者も皆知っていますよ!」と応じるとひどく驚いた顔をして「若い人がよく理解しているなら安心だ!」と大喜びされたことがあります。
昭和40年代末〜50年代ころにかけて右翼政治家が大東亜戦争は聖戦だったとか、朝鮮支配は朝鮮に多くのメリットを与えたなどの主張があると、直ちに(占領当時GHQのメデイア支配の本拠だったか?)朝日新聞を中心に批判が起こりこれに触発されて韓国や中国が批判するパターンが続くようになりました。
これは日本の米国服従が本心かどうかのリトマス試験紙のような役割を果たしていたことから、政府は公式には発言大臣を更迭するしかないのに気をよくした中韓政府の便乗攻撃でした。
この延長が2010年代に入ってからの慰安婦攻撃であり、南京大虐殺キャンペインでしたが、流石に時節は変わっていたので安倍政権は正面から敢然と否定して戦う姿勢を見せたのに対し、中韓は安倍氏を米国向けに歴史修正主義者というレッテル貼り攻勢をかけました。
しかし米国は中国による挑戦を受けるようになっていたこの時点では、日本の忠誠心を試すどころか自国の後詰を頼みたい関係になっていたので中韓の日本攻勢を後押しできる国際情勢ではなくなっていたので、中韓は情勢を読み誤ったことになります。
戦後政治では、敗戦受け入れと同時に一糸乱れず国を挙げて米国を素晴らしい国だと持ち上げた上で図に乗って暴れる朝鮮人の取り締まりを求めたので米軍もこれに応じるしかなくなった・日本民族が根絶やしにされるのを防いだことになります。
引用文では簡略ですが、最後に引用するように「交渉相手になるべき主権国家消滅滅宣言」の一言にその最後(集団としての存続がなくなるまでやり尽くされた)結果が象徴されています。

ウイキペデイアによるアメリカ合衆国の歴史
西部開拓時代 (1865年〜1890年)
リンカーン大統領は南北戦争中から、東西交通の機関となる大陸横断鉄道の建設を進めた。
鉄道建設は苦難の連続であった。西側からは新参の中国人移民が駆りだされ、シエラネバダ山脈で低賃金の労働をしたが、爆薬としてニトログリセリンを、安全性を軽視したまま使用させたことにより、多数の死者を出した。
鉄道建設の邪魔になり、西部のインディアンの生活の糧でもあるバッファローの政策としての絶滅作戦をとる。
組織的なバッファロー虐殺によって、平原のバッファローはただ殺され、19世紀初頭に4000万頭を数えたバッファローは1890年ころには1000頭を切ってしまった。
平原のインディアンたちは生活の柱を奪われ、保留地で飢えることとなった
急速に生活圏を奪われたインディアンは、1860年代から1870年代にかけて、各部族による一斉蜂起を行った。
これがインディアン戦争であり、米軍との間で20年以上の争いとなった。結局、蜂起は次々に鎮圧されてゆき、ナバホ族のように領土を一時完全に没収されるか(ロング・ウォーク)、保留地へ幽閉された。指導者は戦いで死ぬか毒殺されるかして部族のコミュニティも壊滅させられ、人口も減少していった。さらにドーズ法はインディアンの社会を根本から破壊し、彼らの土地のほとんどを白人農業者のものとした。
1871年、合衆国政府は「合衆国はもうインディアン部族を独立国家とはみなさない。したがって今後はもう主権条約は結ばない」と宣言した。この時点で、全米のインディアン部族の領土(保留地)は総計51万km2に過ぎず、合衆国政府は1778年から1868年の100年足らずの間に、インディアンから1億1000万エーカー(44万5200km2)の土地を没収し、768万km2の国土を手に入れていた。西部の最大反抗勢力のスー族も、シッティング・ブルやクレイジー・ホースが殺され、南西部でアパッチ族のジェロニモが投降し、「ウーンデッド・ニーの虐殺」を機に、「開拓に邪魔なインディアンの掃討作戦は終了した」として、合衆国は1890年に「フロンティアの消滅」を宣言した。インディアンはさらなる同化の意図をもって、「インディアン寄宿学校」へと子供たちが強制入学させられることとなった。

文字通り民族浄化作戦の実施でした。
この結果母親から切り離されて白人家庭に乳幼児期から引き取られ育てられたインデイアンの子供世代は、民族のアイデンテイテイ〜を完全に奪われ廃人化していくおそるべき民族浄化政策で、このような人の道を踏み外したことしている国が世界に向かって道義を説く資格があるのでしょうか?
対日焦土作戦や原爆投下の残虐さもこの文脈で見るべきでしょう。

USA=領土拡張の歴史4(先住民ジェノサイド1)

わたしの個人的歴史観の裏付けのために以下、独立戦争の契機について以下の記事を紹介します。
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/3474/

米国歴史の概要
カナダとオハイオバレーを機構としてまとめあげるには、フランス人とインディアンの住民を疎外しないような政策が必要だった。この点で、英国政府と植民地の利害は根本的に対立した。
人口が急増し、定住するための新たな土地を必要としていた植民地側は、西のミシシッピ川まで境界線を拡大する権利を主張した。
一方、インディアンとの一連の戦争を恐れた英国政府は、もっと漸進的に土地を開拓するべきだと考えた。また、入植者の移動を制限することは、新しい植民地が形成される前に、既存の植民地に対する英国王の支配を確保する1つの手段でもあった。1763年の「国王布告」により、アレゲーニー山脈からフロリダ、ミシシッピ川、ケベックの間にまたがる西部のすべての領土が、アメリカ先住民のために確保された。これによって英国政府は、13の植民地による西部領土の所有請求を無効とし、西方への拡張を阻止しようとしたのである。この措置が、効果的に執行されることは一度もなかったが、入植者にとっては、西部の土地を占有し定住する基本的権利を無視した、高圧的な対応にほかならなかった。

独立戦争の本音自体が植民地拡大要求に始まるものであった性質上、米国は独立以来連合政府の生い立ちの通り絶え間ない戦争・戦後は情報操作・武力介入等による間接支配拡張の連続でした。
アメリカ合衆国領土の変遷に関するウイキペデイアです。

1783年のパリ条約で独立を達成した後のアメリカ合衆国は西方に拡張し、その境界を7度広げたが、イギリスとスペインの植民地との間にそれぞれ1回の大きな国境調整があり、また数度の小さな論争があった。
最初の13州が50州にまで成長し、その大半は準州として始まって州に昇格した。この成長の一般的なやり方は、領土の拡大、新規獲得領地から準州の成立、これら準州の境界修正、そして最後の州昇格という過程を通った。ネバダ州とミズーリ州の2州は州になってから大きくなり、ジョージア州、マサチューセッツ州、ノースカロライナ州、テキサス州およびバージニア州の5州は新しい州を創設するために小さくなった。

東部13州から現在のアメリカ50州の規模になるまでのインディアン全滅作戦過程は上記に詳しいので関心のある方はご自分で参照してください。
アメリカが現在の本土領域内で先住民(インデイアン)掃討作戦・・ほぼ先住民族絶滅作戦に成功すると今度は北米大陸外部への進出に目を向けるようになります。
先住民インデアンに対する壮絶な民族殲滅・ジェノサイドの歴史を見ると、ナチスのユダヤに対する迫害や現在中国のウイグル族に対する迫害など比較にならないほどの残酷さです。
自宅にある日本人著になる米国の先住民インデイアン対する酷い仕打ちを読むと、あまりにも酷い米国人の所業に慄然とするばかりでした。
インデアンの誇りを踏みにじる圧迫を繰り替えして誇り高きインデアンが已むにやまれず決起すると待ってましたとばかりに皆殺し戦を敢行し、最後に降伏すると武装解除をいいことにして降伏条件無視の卑劣な屈辱を強いることの繰り替えしにより最後は種族自体の存在を消滅させてしまう流れを見ると、r日本が決起せざるを得ないように仕向けられたハルノートを想起せざるを得ません。
日本も降伏に際しポツダム宣言を受諾したに過ぎないのに、ポツダム宣言の条件を占領後反故にされた歴史を以前紹介しましたが、アメリカは条約を結んで降伏させると武装解除後にこのように約束を破る国です。
このような米国のジェノサイドのひどい歴史を前提にするとき、敗戦の詔勅に「耐え難きを耐え忍び難きを忍び・・・最後に「爾(なんじ)臣民其レ克ク朕カ(が)意ヲ体(たい)セヨ」!と言う詔勅は、どんなにひどい約束違反・悔しいことがあってもじっと時を待て!何があっても跳ね上がりのテロ行為は一見勇敢に見えるものの、実は米国の狙う日本民族絶滅の言いがかりになる危機が待っていることを前提にしていたものでした。
敗戦の詔勅一部抜粋です。
・・敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ 頻(しきり)ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ(ぶ)所(ところ) 真(しん)ニ測ルヘカラサ(ざ)ルニ至ル 而(しかも)モ尚(なお)交戦ヲ継続セムカ 終(つい)ニ我カ(が)民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス(ず) 延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却(はきやく)スヘ(べ)シ 斯クノ如クムハ(ごとくんば)朕何ヲ似テカ億兆ノ赤子ヲ保(ほ)シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ
・・・惟(おも)フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固(もと)ヨリ尋常ニアラス 爾臣民ノ衷情(ちゆうじよう)モ朕善ク之ヲ知ル 然レト(ど)モ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所堪(た)ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ(び)難キヲ忍ヒ(び) 以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
・・・・ 若(も)シ夫(そ)レ情ノ激スル所濫(みだり)ニ事端(じたん)ヲ滋(しげ)クシ或ハ同胞排擠(はいせい)互ニ時局ヲ乱(みだ)リ 為ニ大道(だいどう)ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ(が)如キハ朕最モ之ヲ戒ム 宜(よろ)シク挙国一家子孫相伝へ 確(かた)ク神州ノ不滅ヲ信シ(じ) 任(にん)重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ 総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤(あつ)クシ志操ヲ鞏(かた)クシ 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運(しんうん)ニ後(おく)レサ(ざ)ラムコトヲ期スヘ(べ)シ 爾臣民其レ克ク朕カ(が)意ヲ体(たい)セヨ

日本首脳層は米国は占領後(武装解除させたことを良いことに)降伏条件を守らない国であることを知っていたので日本人の勇敢な精神の骨抜きにくると覚悟していたからこそ、その対処方法を予め国民に説諭出来た最後のタイミングでした。
鄧小平のように韜光養晦戦術などと指導者が明言するような底の浅い説諭の必要な民度ではありません。
その意とするところを日本国民は一人残らず言外に体得し、生産設備一式の国外搬出が始まっても「降伏条件違反だ」と一人もテロ活動するなど抵抗しないで耐え忍び、朝鮮人を使った挑発にも暴発せずに済ませました。
占領軍が上陸しても何の騒動もなくうけいれる(あれだけの激戦を戦ってきたのでマッカーサーは拍子抜けだった)一方で国体護持を叫ばずに、唯々諾々と米国の言うとおり米国賛美の教育にガラリと変えました。

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