構造変化と格差9(能力不均等1)

近代工業は多くの労働力を必要としていて大量の雇用吸収力がありますし、その結果、先進国では多くの中産階層を生み出して政治的安定を実現出来たことを、2011-12-17「構造変化と格差2」のコラムで書きました。
新興国の追い上げに対応する先進国としては、新興国の何十倍もの人件費=何十倍もの豊かな生活水準を維持するには、時間コストが高くても収益の出る産業を育てる・・産業の高度化しか生き残る道はありません。
高度化社会への変質に成功した社会は、少数の高度技術者や高級ブランドによって成り立つ社会ですから、大量の労働力が不要・・それまで世界の工場として多くの労働者を雇用していた職場がなくなって行く社会です。
結果的に先進国の最大構成員であった中間・下層レベルの仕事が少なくなります。
日本が過去約20年間大量生産型産業の大幅縮小にも拘らず、国内総生産が漸増し続けていたことからみれば、金額からみれば大量生産から脱皮して技術の高度化に成功しつつあることを2011-12-16「 構造変化と格差拡大1」以下で連載しました。
上記によれば、我が国では大量生産型職種の縮小・・平均的仕事しか出来ない多くの人・国民の大多数が適応不全の結果、従来の能力に応じた職を失いつつあることになります。
仮にも国民全部が適応しないで(誰一人として高度化に成功しない場合)大量生産品が流入する一方に任せていると産業革命後イギリスの綿製品輸入で大打撃を受けて「死屍累々」の表現で知られるインドのようになります。
他に外貨を稼げるものがなければ、貿易赤字が累積して最後には実力相応に円相場が下がって行き、(仮に円相場が今の10〜20分の1に下がれば、賃金水準でも新興国と同等になって行きますので)新興国と大量生産品でも互角に勝負出来るようになるでしょう。
現実には、国民の能力には凹凸があるので、一部(日本の場合かなりの部門)で高度化に対応出来ていてその部門が海外輸出で儲けているので、今でも日本全体としては黒字基調となっている結果、却って円高が進んでしまっているのが実情です。
東北大震災+原発事故及びタイの洪水被害のトリプルパンチで黒字基調がちょっと怪しくなっていますが・・円相場に関しては貿易収支赤字は国際収支の一要因でしかなく、トータルでみれば所得収支(短期的には資本収支も関係しますが・・)を含めた経常収支で決まるものです。
貿易黒字だけではなく・・海外からの利息・利潤の送金を含めれば、まだまだ経常収支黒字が続くことは明らかでしょうから、今後少しくらい貿易赤字が続いても今以上に円高になることは間違いがありません。
平均的人材/すなわち人口の多くが失業の危機に曝されているのに、一方で一部の高度化対応企業や人材によって貿易黒字が増え、海外進出企業からの国内送金によって所得収支黒字が増える状態になっています。
この結果円相場が上がる一方ですから、比喩的に言えば4〜50点の人が職を失うだけではなく60点、65点の人も職を失うなど、高度化対応による貿易黒字の獲得と所得収支黒字がジリジリと円を切り上げ、ひいては国内で働ける水位を上げて行く関係になっています。

契約・派遣社員(手切れ8)

終身雇用中心の労働市場から、パート、契約社員や期間工、派遣労働など多様な労働形態の発達についても、借地人や借家人から出て行ってくれない限り期限不確定・・半永久的に更新して行く借地権だけの時代から、確定期限の定期借地権等の創設・併設と同じ流れの線上にあると見ることが可能です。
終身雇用一本ですと、ミスマッチが生じた場合、労働者の方ではやめたくとも適切な転職先がないので我慢するしかないし(うつ病などが増えます)、経営側も辞めてもらうわけにはいかないので草むしりさせたり窓際族に追いやるなど労使双方共に不毛です。
別の分野であれば有能な人材を有効利用出来ないで腐らせておくことになります。
契約社員や派遣の場合、不透明な手切れ金・解決金・・あるいは裁判不要なのが、(裁判の場合解決時期が明確でない)など企業にとって煩わしくないメリットになるでしょう。
労働者にとっても雇用の流動化が進めば必然的に受け皿も多様に出来て来るので、ある仕事についても適性がないと分れば契約期間が終われば別の職種につくチャンスが多くなります。
(平行してチラチラ書いていますが、離婚の自由度・破綻主義の進展問題も同じでしょう)
契約社員や派遣制度は、労働者全員をこれにしろと言うのではなく、従来からの終身雇用制度を残したまま、短期でもいいから半端な契約時間で働きたい人のニーズにも応えるために受け皿としてのコースも別途用意したのですから、従来型の借地借家に定期性の借地借家契約を併設したのと同じ発想です。
ただし、これが建前どおり選択肢が増えただけというためには、地主や経営者だけが自由に選べるだけではなく、借地人や労働者にも選択の自由が現実に存在する必要があります。
これがないのでは、事実上労働者や借地人が不利になっただけになります。
どちら側からでも自由に選べる社会状況であって初めて、選択肢が広がっただけと言えます。
借地契約に関しては、元々借地人に有利すぎることから、(高度成長の結果大都市とその周辺では土地需要がうなぎ上りになった)昭和40年代後半頃から新規借地供給は皆無と言えるほど減少していましたから、新法制定以降定期借地契約ばかり増えたとしても、旧来型借地契約がこれによって減ったことにはなりません。
(地主は貸すのではなく売るか売らないかの二者択一だけで、元々新規契約・新規供給ががほぼなくなっていたのですから・・・)
しかし労働契約・市場に関しては、終身雇用は企業にとって不利だからと言って企業側が新規終身雇用を100%近くやめていた訳ではないので、(そんなことは出来ません)非正規雇用制度が出来てそこへ流れた分だけ終身雇用者数が減った・・企業側にとって選択肢が増えただけとも言えます。
労働者にも半端な時間だけ働きたい人がいることは確かでしょうし、多様な労働市場が出来れば、労働側にも選択肢が広がったことによるメリットがあります。
たとえば、子供が大きくなったので今度からフルタイムで働きたい希望に変わったときにも、一定の比率で正規社員への転進が保障・・中途採用の受け皿が整備されていないと、一旦非正規を選ぶと正規=終身雇用に戻れない・・非正規雇用者ばかり増えてしまいます。
もしも簡単にどちらへでも転進が出来るならば、メニューが豊富になっただけと言えますが、正規社員から非正規への一方通行が中心で、逆方向の転進が少ないとなれば建前通りではないことになります。

原発のコスト9(東電の賠償能力)

8月18日に紹介した原発賠償法を見ると法律上は立派な無限責任(加害者は被害弁償すべき)ですが、支払能力がなければ絵に描いた餅となります。
第7条では、1事業所当たり1200億円以内ですから・・1200億円以上にしていないので実際にどれだけ供託していたのかすら実態は不明ですが、一旦ことが起きれば兆単位の賠償金・・国民損失が出るのが明らかなのに、その事故賠償に必要な額の賠償用基金の積み立てあるいは保険利用をして来なかったらしいのです。
(財務諸表をみていませんが、株式相場大暴落からの推定です)
安全の根拠もないのに無責任に「絶対安全です」と言って停電や配管の破損に何の準備もして来なかったのと同じで、全額(無限)賠償しますという法律だけ造って、賠償引当金の積み立てを会計上強制していなかったのですから無責任そのものです。
ここで強制しなかったとは供託金の額が少なすぎたのみではなく、会計基準として充分な賠償引当金を計上していなくても適正意見を付して来た監査法人の責任も意味して書いています。
賠償能力不足の点は大震災の直後から大問題になっていて、事故直後から経済の世界では、東電には賠償金支払能力がないことを前提に株は大暴落になっていましたから、早く決着付けないと社債市場が大変なことになる・・東電の資金繰りが直ぐにも行き詰まるということで(世間では原発の事故報道に一喜一憂しているときでしたが・・)経済界では緊急事態になっていました。
損害全部を無限に賠償するには東電は倒産するしかないことを前提に、東電の賠償責任をその一部に限定をするしかないだろう・・つぶしてしまう訳には行かないし・・というのが原発事故直後の議論でした。
東電が倒産すると(日頃から感じの悪い社員が多かったし、こんな無責任な会社は早く解体して欲しいと思う人が多いでしょうが・・・)関東圏一帯の電気が停まったままになってしまうだけでは済みません。
事故直後には、国民は現場の注水努力に一喜一憂していましたが、実はこれを続けるための経済的手当が裏方で緊急要請されていたのです。
急がないと東電の発行済社債の書き換えが進まない・・まさに直ぐにも、資金枯渇・倒産の危機に直面していたからです。
株がいくら下がっても株主には損をさせれば済みますが、社債の場合、支払能力がない恐れがあれば誰も次の社債を買いませんから、既発債のデフォルト・・すなわち倒産に発展します。
倒産して給与も払えないとなれば、現場作業員も集まりません・・次の仕事があると思うからこそ、下請けも命がけで頑張れるし、危険な作業にも高額な手当を弾むことによって全国から命知らずの労務者を次々と入れ替え立ち代わり多く集められたことも事実です。
事故と同時にもう倒産だろうということでみんな現場から逃げてしまった場合を想定すると、冷却機能が壊れたままの高熱状態で放置すれば、次々と臨界状態になって・・原爆以上の大爆発が連続花火のように始まるような感じでしょうか・・。
August 10, 2011「原発のコスト2(輸出リスク)」で紹介したように広島原爆ウランは僅か1kgしか使っていないのに対して、福島原発には年間160トンもの天文学的な量のウランが使われているというのですから、次々と核分裂が起きた場合の結果は推して知るべきです。
(福島原発内の燃料プール全体で320トンも溜まっている・・これも冷却しないと同じようになります)
それこそ地球と言うか、日本列島の破滅です。
国民全部がドイツ、フランスの大使館のように大阪まで逃げなければならないことになります。
当時の対日本部長の明かすところによれば、アメリカ政府内では東京圏にいるアメリカ人9万人の全員退避命令を出すかの瀬戸際まで行ったらしいです。
対日関係者による「ここで命令を出したら日米同盟が深刻な危機となる」という必死の抵抗で命令発動をギリギリで食い止めたらしいのですが、水素爆発が起きた頃から、アメリカや西洋諸国では上記のような連続臨界・爆発を想定していたようです。
これを徳俵のところで踏みこたえたのは、我が国の底力・技術力の厚みとも言うべきで、これが海外からの賞賛の対象になっている・・・あるいは将来の信用・財産になって行くでしょう。

婚姻率の低下(家庭の消滅)9

ライオンは子供を育てている間セックスしませんので、(子を産むための行為とすれば当たり前ですが・・・)後から群れに入った雄の場合既存の子供ライオンをかみ殺すことが最初の仕事らしいです。
自分の子供が噛み殺されて悲しくないのか腹が立たないのか知りませんが、子供がかみ殺されて初めて雌にとっては子供が必要になるのでその雄ライオンと交尾するらしいのです。
こうして見るとオスの入れ替わり戦は、メスにとっては自分達の子供の命を守れるほど今までのオスが強いかどうかを見ているのであって、守れないなら自分の子供を外敵から守れるもっと強いオスをガードマンに採用する就職試験のようなものかもしれません。
04/09/10「再婚4と子供の運命3(ライオンの場合2)」前後のコラムでメスが、自分たちの子をかみ殺してしまう外敵である挑戦者に対して、何故みんなで立ち向かわないのか不思議だと書きましたが、もっと強い用心棒かどうかを見定めている・採用試験だとすれば合点が行きます。
それにしても今までのガードマンであったオスが負けると自分の子供が殺されるのですから、自分の子供を守るためにより強いガードマンを求めての交代戦をしているとは言えません。
育ち上がった子供・・オスはムレからでてしまっているし、育ち上がって残っている娘の方は新たなガードマンと交尾出来るようになるので、出遅れた小さな子供だけがかみ殺される関係です。
04/09/10「再婚4と子供の運命3(ライオンの場合2)」前後のコラムで書いたように、いつまでも年老いたオスがムレにいると成長した次世代のメスが交尾出来ない問題があって、支障があるので新陳代謝のための若いオスとの世代交代戦と位置づけるのが正確でしょうか。
人間の雄も元は女性集団の居候から始まったものでしょうが、いつまでもライオンのように養ってもらっているのではなく、逆に名目上の支配者・農業収入の名宛人になって行きましたから、名目上メスや子供を養う関係・主宰者になってしまったのですから家のいろんな仕事をするのは当然の義務であってサービスではありません。
しかし、本来ウロウロしたい本能を押さえて毎日家に帰って来てあるいはその周辺にいて家の管理をすること自体が(本能から言えば)大きなサービスです。
今度の「日曜日は家庭サービスで終わった」という表現が昭和50年代ころに多かったのですが・・女性にはこの表現は不評で直ぐに消えてしまったようですが・・言い得て妙ではありませんか?
映画「寅さん」のように出来れば放浪したいのがオスの本性ですが(・・その郷愁があってこそ、この映画シリーズが長く続いたのでしょう。)、毎日家に帰るように習性化し、休みの日も家事育児に精を出すようにした・・オスを飼い馴らしたのは、女性による濃厚なサービスが成功したことによるものでしょう。
今でも男ヤモメにはウジが湧くとか、奥さんが先になくなると男は直ぐに死ぬとか如何に女性サービスが必須であるかの教訓がたくさん流布しています。
文化が高度化して来ると(文化の担い手は女性が中心ですから・・)単に家に帰って来て餌を運ぶだけの夫に対する対価としては、サービスとのバランスが崩れて来た・・サービス超過になって来たので、女性の不満・熟年離婚に結びつくようになります。
子育て期間の長期化に合わせて女性が進化して濃厚サービスに徹していたのですから、子育て中はまだ均衡していた・・我慢出来るとしても、子育てが終わった後も同じサービスを求める・あるいはサービスをしている期間が長すぎる=長寿時代になると不均衡になり、不満がたまってきます。
オスの方からすれば、結婚前は母親から大事にされているので、(息子は夫が妻に対するほど気を使わないでも何でも母がやってくれます)結婚してからの方が却って母親よりもサービスが低下しているような感じを受けるのが普通です。
男性にとっては結婚したからと言って、・・(地方から出て来た一人住まいを除けば・・)それほどサービスを受けた感覚がないのですが、子育て中だから仕方ないとしてある程度不満を持ちながらだったことになります。
しかも現役中は夜遅く帰ってマトモなサービスを受けていないけれども子供が小さいし手が回らないのだろうとがまんしていて、子供が育ったし漸く定年になったのでこれから目一杯サービスを受けようと期待しているのですから、まるでアンバランスな関係です。
女性の恒常的な不満が基礎にあって、(特に共働きでは)単に餌を運ぶだけでは不均衡になって家事や子育て協力を求められるようになったのでしょう。
(夫の収入は定年後年金だけになると約半分になりますから貢献度が半分に下がります)

戸籍制度9(変遷)

徳川政権の宗教管理・人民把握政策として檀家寺制度が始まったことを、05/12/10「公家諸法度と紫衣事件」以降のコラムで紹介しましたが、この機会に、江戸時代に始まったお寺の役割であった宗門人別帳登録管理から政府の直接の仕事に切り変えた最初の戸籍である壬申戸籍(明治4年大政官布告第170号)以降の制度変遷を大まかに辿っておきましょう。
国家的規模で出来た最初の壬申戸籍は、手がかりとしては、一家の跡取りのいるところ・・現住所を本籍地として始めるしかなかったので結果的に現住所登録と身分登録の渾然としたものから始まりました。
(・・・今では本籍地をどこにしても良い制度ですから、本籍を見てもどこの出身か分りませんが、明治の初めに造った戸籍の本籍地を見ればその人がどこの出身でその村に行けば親族が一杯いる・・氏素性が直ぐに分ることが想定される仕組みでした・・・。)
次の明治19年内務省令による戸籍では、除籍制度が設けられています。
弟の妻子・その子が結婚するとその妻子までと際限なく登録者を増やして行くと戸籍簿が膨大になり過ぎますから、(家の制度思想などの無理な要求がない限り・・当時まだそうした思想要求がなかったのです)自然に任せると都会等他所で定着した人は分籍して新本籍を作って行く人が増えるのが普通です。
また元々家の制度を前提に先祖まで書く必要性を考えて作った制度はなく、当面そこに住んでいる人を基準に登録し、一緒に住んでいなくともまだ所帯を構えていない半端状態の息子や娘を一緒に書くようにしたに過ぎないのですから、本来これらの人が都会等に定着したならば、そこでまた戸籍を作るのが基本思想だった筈です。
その結果分籍したりしていなくなった人を除く必要が出来て来たからでしょう。
このときも本籍と住所は未分化でしたが、住所地の表示が従来の屋敷地番から、地番に変わったそうです。
(09/16/09「地租改正条例1(明治6年)」前後のコラムで不動産登記制度の進展・・結局は土地に地番を順に付して行くシステム整備について紹介しましたが、地番の登記制度が進んで来た結果です。
(そのシリーズで紹介しましたが、それまでは何々の庄・・あるいは何々郷の宮の前何反何畝歩と言う表記でしかなく、土地の特定表記方法は番号がなく・・番号順ではありませんでした)
ちなみに上記シリーズで紹介したように、明治19年には我が国最初の法律である登記法が成立しています。
今でも戸籍内の人が全員死亡や新戸籍編成等によって除籍(いなくなる)になると、最後に除籍簿・・除籍謄本に移りますが、明治19年に出来た除籍簿はその前身です。
明治31年には明治民法成立に伴う大改正で、これまで書いているように民法で定めた家の制度を貫徹するための戸籍法(令や布告ではなく法律制度)になり、従来の戸口調査目的から家の制度貫徹目的に変わり、身分簿と戸籍簿の2種類が設けられました。
この身分簿を見たことがないのではっきりしたことを書けませんが、現在の身分帳(前科や破産歴など有無の証明に使う身分証明書・・これは今でも必要に応じて発行してくれます・・・の元になる帳簿)のことではなく、系図に類する関係を証明するものだったかも知れません。
この時点で本籍は現住所とはまるで関係のない制度になりました・・・・今では住民登録と連動した戸籍付票制度がありますが、これは多分戦後寄留法が廃止された時に作られたものではないでしょうか?
更にFebruary 23, 2011「戸籍と住所の分離3」に紹介したように、大正3年(1914)に大正4年式戸籍法と寄留法が出来て、戸籍と身分登録が一本化されて、これが戦後改正(22年法で施行は23年からです)まで約30年間続いた制度でした。
上記のように寄留法で個人が居住地別に個別管理出来るようになった以上は、中間組織である家の制度・戸籍制度は不要になった筈ですが、これをやめられなかったのは、家の制度を思想的に強調し過ぎたからではないでしょうか?

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