放射能汚染に限らず、砂糖でも塩でも水でも一日どの程度の摂取なら(例えば一日当たりコップ一杯の水の量は)何ら問題がないと権威者が言ったとしても、1日に一杯以上の水を飲むと危険と言ったことにはなりません。
放射能の規制基準も短時間被曝は一定量を越えた被曝で危険なことが明らかとしても(これが放射線取扱者などの管理区域設定の基準です)長期間になるとまだ科学的には不明のままです。
この点に関する武田教授の意見には賛成出来ない(同氏の多くの意見には私は賛同していますが・・)ことを March 28, 2011「放射能の危険性2(管理区域)」前後のコラムで書きました。
放射線に関しては、訳が分らないと言うだけでは不安なので、さしあたり「これだけ少なければ問題がないに決まっている」と言ういい加減な基準で決めたものが一人歩きしているのが現状です。
これを少しでも越えると危険であるかのごとき印象になってしまい、今や世界中が非合理なヒステリー状況になっています。
コップ一杯の水の例・・「この程度なら議論にもならないほど安全でしょう」ということがいつの間にか危険基準に化けてしまっているように、我が国では元々の基準が違うのにこれをごっちゃにした論調が多すぎます。
究極的には個人金融資産が岩盤・担保と言えることと、当面の資金繰りとは違います。
国債需給に関しては、個人よりも国内各機関・企業の保有する流動性資金が需給の大きな部分を担っています。
企業の現預金は前年比4、6%増の205兆円となっています。
企業は、現預金からだけ国債を買うのではなく、長期投資としての国債保有もあり得るので、その動向・可能性も国債需給のメルクマールとすべきです。
通常の取引主体としては企業や金融機関自体が資金の重要な出し手ですから、国債金利上昇圧力(札割れリスク)に関してマスコミが個人金融資産にこだわるのは合理的ではありません。
国債保有者はこうした外国人株主のいる金融機関や企業の比率が大きいので、必ずしも個人金融資産の範囲内に安定購入者が限定されている訳ではありません。
外国人株主や社債購入者の意見がある程度反映されるでしょうが、トヨタ等の意思決定には、やはり民族企業としての意思が濃厚に出るので、(経済合理性を越えた国内生産維持に対するこだわりを見ても分るように・・)個人金融資産だけが購入能力の限界ではなく民族企業や金融機関の総合購入力も緩衝勢力として存在することになります。
数字的に比喩すれば、3割の外国人株主がいる企業体では多数派を形成する日本人株主が、その3割の資本を自由に運用出来る資産に加えられることになります。