西欧の長期的衰退5と中国接近7

企業・スポーツ団体・組織でも自分より優秀な人を排斥してレベルの低い人ばかり優遇していれば自分の地位が脅かされず安泰ですが、組織全体は劣化します。
競馬界ではイギリスが本来名門ですが、世界の名馬になったディープインパクトの西欧デビュー先から外されてフランス凱旋門賞へのデビューとなりました。
イギリスやアイルランド競馬界に修行に行った日本人が散々辛酸をなめさせられた逸話があった関係でイギリス行きの声が出なかった可能性があります。
イタリアへ料理修行に行くともの凄い嫌がらせが続くことが有名ですし、フランスもディープに対して相応のイヤガラセをしたようですがイギリスの嫌がらせよりマシだったと言う程度です。
競馬後進国日本の名馬が西欧を下に見て世界で活躍するなど許しがたい点では、第一次世界大戦後アジア人のくせに台頭した日本を許せなかった意識で日本潰しのために団結するようになったのと同じ・・職人等の庶民は国の政策本音をそのまま露骨に出すので分りよいだけです。
イギリスはこれを露骨に出し過ぎたので、以後世界の名馬デビュー先として凱旋門賞出馬の流れが出来てしまい賞金もアップするなどイギリス競馬界は傍流に追いやられてしまっています。
日本外しの先例・効果の1つです。
中国は昨年の経済変調以降日本企業再誘致に必死ですが、日本企業は反日デモの教訓を得たので慎重姿勢を崩しません。
態度の大きい国・・小心過ぎて謝る度量もない点は韓国同様で、更に強迫したら日本が謝って来たと言う形式をとりたいらしく、未だに天安門事件などないことを反日教育したり、領海侵犯を更に酷く繰り返している状態です。
こんな状態では・・ソモソモ日本人の中国に対する怒りが収まっていませんので企業もこっそり協力するしかない状態でしょう。
新興国側は旧宗主国への憧れ等ないまぜにした感情で、(応仁の乱や明治維新で落ちぶれた旧家の姫様を妻に迎え入れるような感覚です)憧れの企業を買収するのですから元々経済合理性がありません。
新興国・技術下位の企業なのに資本がある・・その多くが低賃金を武器にして発展した企業です。
こうした場合、買収側の経営人は低賃金活用による成功体験しかないので、資本家が口出しするとすれば(技術部門は学ぶ方ですから)人件費関係しかないのですが、先進国では賃下げが不能なので自国等人脈のある国の低賃金労働者の利用・・移民に頼る経営指導になり勝ちです。
上記が中韓など新興国資本中心で資本を入れて来た西欧が,数十年にわたって低賃金の東欧諸国EU加盟促進や移民受け入れ政策にシフトして来た遠因です。
アジア新興国資本と一緒にアラブ・アフリカの低賃金労働者(マスコミにはトルコ人労働者しか出ませんが、フランスに25年ほど前に行ったときに中国人タクシー運転手その他一杯いました)も引き入れたことになります。
日本を含めて先進国では外国人だからと賃金差別できませんので、外国人を入れることによる人口ボーナス期待は百年単位の長期的期待であって、20〜30年程度では、民族宥和の困難さなど負の影響が先に出てしまいます。
移民受入れ政策をマスコミは折に触れてそれとなく誘導しますが、中短期的な競争力復活に影響しません・・裏から言えば基礎能力の低い移民の失業率が高いので・・ちょっとでも景気減速すると先ず移民にしわ寄せが行く問題があります。
この辺は自国民でも弱者・老人や身障者等に同じ給与を払え,あるいは産休中の生活保障しろと企業に強制すると却って弱者の就職先が減るのと原理が同じです。
女性や老人でも役に立てば仕事がある・・要は彼らの働ける仕事を作ることが重要です。
腕力の必要だった土方やトラック運転仕事が機械化で女性でも操作できるようになる・・ちょっとした工事現場でも必ずトイレ設備を設置するようになったり長距離移動中でもコンビニにトイレがあるなどのインフラとの兼ね合いが重要であって、人権屋が平等待遇ばかり叫んでいても解決しません。
移民に対する能力相応の低賃金であれば、不景気耐性が強い→能力の割に賃金の高い白人下層労働者が不景気で先に削減されますので、白人の失業防止目的で「人権」と称して同一賃金を要求することによって、白人底辺層の意民受入れ反発を防止してるのかも知れません。
白人底辺層と移民とは相容れない関係ですから、白人底辺不満を宥和する=移民に困難を強いる関係→テロ予備軍に追いやるジレンマがあります。
能力に応じた賃金体系・・市場原理を取り入れない=労働能力の低い移民や2〜3世に対して地元フランス人などと同じ賃金だと彼らの賃金が割高になってしまって、結果的に余程景気がいいとき以外には就職困難にしてしまい、ちょっとでも不景気なると失職リスクが高まる・・テロ組織の勧誘を受け易くしています。
日本人でも身障者や移民等に市場原理に反した最低賃金支払を企業に強制せずに最低賃金以下の人には差額に応じた医療費割引き・運賃割引や生活保護・・産休基幹の生活保障も個々の企業負担でなく、失業保険の適用などの別の工夫が良いでしょう。
先進国の人件費が高いのは、相応の訓練(学歴や専門学校)を受けていて高い賃金に見合う生産性があるのですから、・・訓練を受けていない技術力の低い後進国からの移民に同じ給与を与えるべきとする人権?理念自体に無理があります。
移民2世は、両親の言葉や文化蓄積が違うので移民先の教育・職業訓練にうまく馴染めず、元々の居住者に比べて地元教育への適応困難になるのが原則で、2世の多くは移民先の学校での不良予備軍・元々のクラス最底辺層の更に下層に沈み,物心ついたときから学校や遊びの場で孤立していると屈折して育つので成人するとテロの温床に(2〜3世で一番リスクが多く)なります。
移民1世は元々違い・・苦労を知って来ているのでそれなりの覚悟があってそれほど不満がないことをこのコラムで書いたことがあります。
移民の場合、この外に教育(バイリンガル・治安コスト)や社会宥和を含めた能力アップ・・これには、何世代にもわたる時間と金がかかる・・コストから考えて「移民受入れ反対」と言うのが私の持論で、古くは01/04/02「外国人労働力の移入 1」以下その他で繰り返し書いてきました。

司法権の限界9(法と良心とは?1)

テロとは国家秩序を短時間でも矛盾混乱させるのが目的ですが、たった1つの裁判所でも勝てば今回の仮処分のように全国的影響がある・・大逆転のチャンスがあるので「司法闘争」が合法的テロを仕掛けるような役割を果たしています。
テロとは国家秩序を短時間でも矛盾混乱させるのが本質的目的ですが、たった1つの裁判所でも勝てば今回の仮処分のように全国的影響がある・・大逆転のチャンスがあるので「司法闘争」が合法的テロを仕掛けるような役割を果たしています。
政治で既に負けているので、裁判で負けて元々・・40回に1〜2回でも勝てば儲けモノ的訴訟が増えます。
ちなみに脱原発弁護団全国会議(全国脱原発訴訟一覧2016年3月15日現在)によれば、現在の原発訴訟の数は以下のとおりです。
表が大き過ぎてコピペしきれません(何日分のコラムになってしまいます)ので要約しますと、(青字のみ現在係争中とのことです)全体で41事件あって青字の部分は29件です。(数え間違いがあるかも知れませんが大方こんなものです)
都道府県の数からすれば、原発・関連施設のあるところ殆ど全てで裁判していることが分ります。
裁判官が自己の政治信条によって判断することが許されると地域ごとに変わった判決・・千葉と埼玉では同じ国政選挙が有効だったり無効だったりする矛盾した国家意思になってしまいます。
こうなると裁判官が個人的政治信条に従った裁判をして良いか・・政治に介入することが許されるかの議論の重要性が分るでしょう。
公務員の中立性の要請もその基礎は同じです。
ここで裁判官に求められている判断基準が何かが重要になってきます。
この後で書くつもりでしたがここでちょっと書いておきますと、裁判官は「法・憲法と良心のみに拘束される」のが近代法の原理ですが、主観的政治信条に(忠実に?)従った裁判をするのは「法と良心」に関するはき違えです。

憲法
第七十六条  すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
○2  特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
○3  すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

個人の主観的信条を裁判官の「良心」とは言いません・主観的意見とはちがっていても確定判例や通説に従うのが「法や良心」に従うことです。
ただしこのままでは判例変更出来ませんから、従来の判例通説が間違っている・・社会実態の変化にあっていないので改正すべきだとの確信があれば、堂々と新判例を出して上級審の判定を待ち、最高裁の場合判例評論等の批判に委ねるべきです。
例えば特定宗教に凝っていても共産主義を信奉していても裁判官になるのは自由ですが、その教義や主義に従って憲法を無視してたとえばイスラム法に従った判決や決定・・喩えば、不貞行為の主張に対してイスラム法を引いて「男は何人妻を持っても良い」と言う判決をすることは許されません。
自分の意見は司法界の通説判例(あるいは、司法界で通用している経験則)に反していて上級審ではすぐに否定されると分っていながら敢えて主観的意見による判決や決定を出すのは(裁判官が知っている法解釈に反した行為ですから)「裁判官の良心や法に従った」判断ではありません。
本来の訴訟による判決の場合不服のある場合には、すぐに控訴出来てその場合1審判決の執行力もありませんが、仮処分の場合異議申し立てしか出来ず直ぐに控訴出来ない仕組みですから、この仕組みを悪用すれば、申立人の意見が政治意見に共鳴する裁判官にあたって主張が偶然通るとしてもそれは異端説・・一般的解釈に反していることを見越しての訴訟提起です。
上級審では直ぐにも覆ることを知っていながら申し立てする場合、申立人は、本来本案訴訟でやるべき事件をすぐに上級審に移行出来ないように敢えて仮処分制度を悪用?することも可能です。

司法権の限界7(政治と場外乱闘1)

学問にはいろんな賛否の意見があるのが普通ですが、大規模地震や津波発生時期・規模に関しては科学者のうちで誰独り「俺は知っている」と言える学者がいないほど「誰も分らない」点に関しては自明の状態です。
上記のとおり誰も分らないことが明らかな状態でありながら、しかし、何かの基準を決めるしかない・・「分らないから何もしない」か「現状で出来るだけの備えをして前に進むか」は政治(国民意思)が決めることです。
科学界の英知を集めて一応の基準で前に進むと政治が決めた以上は、ある産業を進めるのに反対する人は、政治の世界で議論を尽くして議論の説得力によって多くの支持者を集める努力をすべきです。
安全保障政策で言えば、中国と組むかアメリカと組むのが良いかも科学的に決められないので、高度な政治判断で決めること・・選挙を経た政治の専権行為です。
これが砂川事件大法廷判決の意味するところです。
民主国家においては言論の自由・・自由で公平な選挙制度があるのですから、自由な政治の世界での論争に負けた以上は、次の選挙で勝つまでは潔くこれに従うのが民主主義のルールです。
(多数決に決まっているから議論がいらないのではなく、議論を尽くしておくと議論経過次第で少数意見の方が説得力があると次の選挙への効果があります・・逆に合理的意見を相手が少数だからと無視して裁決に走ると信用を失うので、安易な強行採決が出来ませんので、討論さえきちんとやれば、多数党の横暴を防げます。
日本の場合ひっきりなしに各種選挙がありますので、多数党が一度勝てば4年間安心と安閑としていられない仕組みです。
※アメリカや韓国の場合大統領が任期制であるだけでなく議会も日本のように解散がありません・・4年間そのままです
日々有権者の視線に曝される日本では合理的討論の影響力が大きいのですが、反対討論をきちんとしないで審議拒否や揚げ足取りばかりしていて強行採決に至った場合に「多数の横暴」と宣伝しても空虚な主張になります。
多数党が横暴かどうかは選挙民が議論の経過を見て判断することであって、少数党がマトモな審議をしないで揚げ足取りに終始しているような場合に「横暴と」言えば横暴になるものではありません。
政治の世界のルールに従った勝負で負けた場合でも国会の場できちんと議論することによって巻き返すチャンスがあるのですから、これをしないで、「国民の理解を得られていない」(国民に野党の意見が合理的だと言う宣伝をするのは野党の責務です・・これをしないで審議拒否ばかりでは理解を得られないの当たり前です・・)などと言う訳の分らない宣伝をして場外乱闘・正当な政治手続外の勝負(・・別のルール)に持ち込むのは民主主義社会のルール違反です。
テロや反政府運動が許容される場合があるのは,その社会では民主的運営がされていない・・本来の多数派が多数になれない・選挙制度の不正や賄賂や強迫など・・不正があって民意が素直に反映されない仕組みが、合法的に是正されないときに政治弱者による抗議としての意味があります。
ちなみに選挙区人口比を基準にして、人口比に大幅に反していることを理由に憲法違反と言う意見が普通ですが、人口比だけを単純比例した意見は、一見合理的なようで誰も反対していませんが、地域代表の要素を無視している点で如何にも皮相な印象です。
特定地域からの代表者を決める基準は得票数(独り1票)で決めるべきは論を俟ちませんが、ある地域と別の地域の代表者数を人口比で決めるべきかは本質のちがう問題です。
人権派やマスコミが、憲法論で負けそうになると次には「世界標準がどうの・・」 と国連の意見などを持ち出すのが大好きですが、人口比そのもので地域代表を選んでいる国がどこにあるかと言うデータに関しては一切報道していませんが、世界中で人口比で代表を選出している国がいくつあるでしょうか?
彼らの言い分によれば世界の決めごとも、すべからく人口の多い中国やインドの言い分どおりにしなければならなくなります・将来的にはそう言う目的で布石を打っているのかな?
最高裁の判断は2倍が許容範囲と言うのですが、中国は日本の2倍どころの人口比ではありません・・この種の理屈が行き着く先は、日本と中国の論争はいつも中国が正しいことになるのでしょうか?
選挙区区割りや代表者数は、選挙区の出来た歴史経緯や実情等を綜合して決めて行くべきことで、人口を機械的に割り振ってどんな歴史経緯や実情があろうとも2倍が限度と言う裁判所の形式的決め方は、(民族感情等を?踏まえた)高度な政治折衝で決めて行くべきことに裁判所が介入している越権の疑いがあります。
日本には地域別民族感情などないと言う意見が多いと思いますが、「民族」と言う言葉の意味は別として、会津の人は未だに長州に対する怨恨を抱いていると言われますし吉良の人は吉良上野介のファンだと言われます。
関東の人は逆賊であった平将門を英雄視しています。
東北の人にとっては藤原氏3代の栄華は地元の誇りでしょうし、戦国末期の伊達政宗も郷土の誇りですし甲州の人は武田信玄、越後の人は上杉、信州の人は真田幸村などなどい言い出したら切りがありません。
個人名を挙げなくとも、関西人と東北人、近畿、北陸や四国九州、山陰山陽では意識・文化・気質に大きな違いがあることを否定する人はいないでしょう。
選出代議士数の基準としては人口はかなり大きな要素であるとしても、地域性を無視し切れない点でこの塩梅は実は非常に難しい・・領土問題同様にナーバスな問題ですから、政治で決めて行くべきことにして憲法では決められずに先送りしたのです。
人口比で決めるのが正しいと簡単に言えるならば、憲法に簡単にその原則を書けた筈です。
「人口比2倍を超えるのは違憲」と言うすっきりした意見の先に、もしも人口の少ないある地域の代表がゼロになっても良いのかと言う議論が先にあるべきでしょう。
ゼロに出来ないと言う暗黙の意識・・人口数だけで決められないと言う国民意識を前提に、人口増加地域の定員を増やして来たのがこれまでの経過でした。
地域代表をゼロに出来ないが大きな地域性はある、日常行動範囲が広がり「細かな地域代表はいらない」道州制論に近い?政治合意が出来るならば、先に現行都道府県制度から変えて行く国民議論をしていくの政治の常道であって、裁判所がどうしろと言うのは越権です。
現在の合区論だとある県の定数をゼロに出来ないので、県をまたがった代表選出する仕組みにならざるを得ないのですが、議論の順序が逆・・地域の一体化が先行して対外共同行動が増えた結果、県などの合併があるのではなく、民意によらない裁判所が違憲と言って、強制しているからこうなるのです。
ちなみに私自身は何回も書いているように(千葉のようによそ者中心の土地に住んでいる関係からか?・このように地域性が大きな影響を持ちます。)細かな地域性を重視し過ぎるのはどうか?と言う意見ですが、「裁判所が議論を強制するのは逆でしょう」と書いているだけです
現憲法制定時にも、地域形成の歴史・実情を無視出来ないので、慎重に地域の実情に合わせて地域ごとの話し合いを経て決めるようにと言うことで、憲法では基準を決めずに選挙法に委ねたと見るべきです。
選挙法が学問上「実質的意味の憲法」と言われている基礎です。
日弁連の事例で言うと、会長選挙制度は総投票数の過半数をとっても単位会の3分の2以上で多数を取れないと、再投票する仕組みです。
現に宇都宮健児氏を選んだときに再投票再選挙になったことがあり、同じことを2回も3回繰り返すのでは終わりがないとから改正しようと言う動きになり、
改正案が1昨年から昨年にかけて検討されましたが、理事会にかける前に単位会の反対でつぶれました。
衆議院選挙無効訴訟に熱心な日弁連自体が、自分のことになると人口比で決めるのに大反対で議論にさえなっていない状態です。
アメリカの例で言えば、各州の選出議員数を人口比で簡単に増減出来るかと言うことですし、イギリスで言えば、ウエールズ・スコットランドその他地域別選出数を人口増減に比例して増減出来ているとは、想像すら出来ません。
多分アメリカやイギリスの裁判所が人口比で「上院や貴族院議員の数の増減を論じること自体が憲法違反になる」意識が自明なのでそう言う裁判すら存在しないと思われます。
私見によれば人口比を基礎にする選挙無効訴訟・・違憲状態判決こそは、民意無視を絵に描いたような机上の空論だと思いますが・・。

原発被害想定基準8(人災と事故被害3)

今になると民主党政権が世界の科学基準を無視して、何のために(立ち退き強制する範囲を広げ過ぎる)無茶に厳しい基準を決めたのか謎です。
この非常識に厳しい基準設定によって多くの原発被害者?が生じていることが明らかです。
仮に政府の決めた許容放射能許容基準が子供の場合には合理的であるとした場合でも、1ミリシーベルト基準超でどの程度の身体被害を想定したかの検証も必要です。
例えば1ミリシーベルト越えで20年後に足の先がかゆくなる程度か、虫歯になり易いのか、内蔵がどうなるのか、生命の危険があるかなどによって避難程度が変わってきます。
足がかゆくなったり虫歯になり易い程度ならば、自宅を棄てて遠くへ避難したい人はいないでしょう。
数十年後にもしかして命に別状があるとしても、60〜70歳を越えた人にとってはどうせその頃には何らかの病気で死ぬので、その間住み慣れた自宅で好きな仕事していた方が良いと言う人の方が多いでしょう。
「1ミリの場合と2ミリシーベルトの被曝の場合の違い、「2ミリシーベルト超では何年後にこの程度の病気や障害になります」「1ミリシーベルト超では何年後にこの程度の症状」とその違いを開示すれば、「じゃあ1ミリシーベルトの地域まで逃げるか」と人それぞれに避難すべき距離の判断も出来ます。
これまで書いて来たように(私の理解によれば)元々放射能被害があるかどうかすら分っていないのに被害を過大に強調するために過大な規制をしたから、5年経過後の今でも合理的基準がどうであるか発表出来ないないままになっていると想定されます。
まして放射能被曝蓄積・・数十年後の放射能蓄積は中高年齢者には、関係がない・・ある程度生活にマイナスがあるにしても避難するマイナスの方が大き過ぎなかったかの検証が必須です。
昨日書いたように、(原爆そのものの直截被害は明らかですが・・)広島,長崎のデータを見る限り、その後の放射能被曝の実害が未だにはっきりしていません。
福島の場合、現地に残して来た牛は現地の草を食べて水をのみ・・マスコミ宣伝どおりとすれば、内部被曝も激しい筈ですが、今になって生き証人?として検査しても内部被曝がどうやら解消している・・蓄積する一方ではないらしいことが分ってきました。
https://motion-gallery.net/projects/hibaku-ushi
2015年9月現在、旧警戒区域の中には700頭あまりの被ばく牛が生きています。伝染する口蹄疫とは違い、近寄っても何の影響もありません。現在は国 は、殺処分に応じない農家に対し、圏外には持ち出さない、出荷させない、繁殖はさせないという条件で生かすことをやっと容認しました。研究者の手によっ て、被ばくした牛であっても3か月間から半年間、きれいな水と汚染されていない餌を食べ続けることで、体内の放射性物質(セシウム)は95%以上排出さ れ、その肉は国の安全基準である100ベクレル/kgを大きく下回ることがデータとして検証されました。・・」

この点はマスコミにとっては面白くない事実なので、無視のようです。
100歩譲って、かりに放射能汚染の実害があるとした場合を考えてみましょう。
たとえば、80歳の人が、このまま放置するともしかすると20年後には半身不随になるかもしれないと医学的に分って場合でも・・今手術すると死亡確率が6〜7割と言う場合に、今から命がけの手術する人がいるでしょうか?
まして放射能被曝の実害がまるで分っていないのに7〜8〜90台の高齢者や重病人等いつ死ぬか不明の病人まで、強制避難させたのは「暴挙」としか良いようのない失政です。
茨城と福島県境界付近居住の私の学生時代の趣味のクラブの後輩からの通信によると、透析をしていたらしいですが、こう言う患者にとって透析すべき病院が避難してしまうなど、避難生活によるマイナスの方が大きい印象です。
民主党政権が事前予測するには時間がなかったとかいろんな事情があるしょうが、5年経過した今では客観的調査が可能ですから、本当は避難の必要がなかった人が何人でその内何人が避難したために死亡したのかなどデータ化・・検証作業するべきです。
「被害想定は過大であればあるほど良い」と言う(規制される方の権利を無視する)偏った人権派の主張が、今回被害想定を過大にすると規制による被害を受ける立場が一般国民に広がったことによって冷静に見る必要が意識されるようになった筈です。
原発被害を強調したい現地住民が、その結果自分自身が規制を受ける方に回る皮肉・・に目覚めたでしょう。
自分さえ良ければ良いと言う戦後はびこった「自己中心の」矛盾が明らかになったのが原発被害想定です。

原発被害基準7(人災と事故被害2)

事故後5年も経過しているので、この辺でムード報道ばかりではなく、人災と事故被害との区別・・検証が必要です。
交通事故によって担ぎ込まれた被害者が1週間程度の怪我だったのに、被害者の大事故被害にしてくれと言う要望に応じて、医師が本来の事故と関係のない箇所の手術をした結果死亡した場合、これが判明すれば加害者が死亡の責任を負いません・・同様に人災分は原発事故とは関係がありません。
例えば数k~5km範囲の避難ならばその外側に商店や医療機関などが残れるので、避難解除後もスムースに生活出来ますが、民主党政権の決めた立ち入り禁止区域が広大過ぎたので、地元物流・医療系統・生活インフラ全てが壊滅してしまったので、避難解除されてもインフラがなくなってしまい戻るに戻れない状態が起きています。
しかも許容シーベルト基準が高過ぎるために避難解除がそれに比例して遅くなってしまい、(例えば年間1ミリシーベルトを2ミリシーベルトに基準を緩めていれば避難区域が何分の一に減り、2倍の早さで復帰可能地域が出る関係)取り返しのつかない地域疲弊進行があったのではないかと思われます。
そうなるとシーベルト基準が合理的だったのかも議論する必要があるでしょう。

以下はhttp://www.nikkei.com/article/DGXZZO50651160W3A110C1000000からの引用です。
forbes
(2013年1月11日 Forbes.com)
原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)が提出した。低線量の被曝の影響は非常に不確かなものであるため、UNSCEARとしては「低線量の被曝と大人数を掛け合わせて、自然放射線量と同等以下のレベルで漸増的な被曝によって健康被害を受ける人数を推定することは勧めない」と述べている。
 この手法はチェルノブイリ以来広く行われてきたことであり、福島では今も採用されている。
■福島事故で「健康への影響無し」
 報告書により、世界はようやく正気に戻り、人体に害を与えないことに無駄な時間を費やすのをやめ、実際に悪影響を及ぼす問題、そして本当に注意を必要とする人々に目を向けるようになるかもしれない。例えば津波によって引き起こされたインフラや経済への打撃、あるいは福島周辺の真のホットスポットの除染。さらには、人体に影響を与えない程度の放射線量しか浴びていないのに、被曝の恐怖に怯えて暮らし、まさにそうした不安に心身をさいなまれている何万人という日本人をケアするといったことだ。また、日本政府においては真剣に原発再稼働の準備を始めたり、国際原子力機関(IAEA)や米国政府からの改善案に耳を傾けることだ。
この報告書によって、低線量の被曝が個人と大規模な集団の健康に及ぼす影響について言えること、言えないことがはっきりするだろう。
 自然放射線量が2.5ミリSv(250 ミリrem)から3.5ミリSv(350 ミリrem)に上昇しても、発がん率は上昇せず、認識できるような公衆衛生上の影響は何も起きない。同じように、自然放射線量が2.5ミリSv(250 ミリrem)から1ミリSv( 100 ミリrem)に低下しても発がん率は低下せず、公衆衛生上の問題に一切影響を与えない。
 重要なのは、通常の議論は短期間(一度)に強烈な放射線に被曝することを想定しており、同じ量を1年といった長い期間をかけて被曝した場合、影響はさらに小さくなることだ。つまり毎月0.1Sv(10 rem)を被曝すれば影響はあるかもしれないが、年間で同じ0.1Svを受けた場合は、慢性にせよ、急性にせよ認識できるような影響は一切ない。
 さらにUNSCEARは、一昨年の福島の原発事故による識別可能な人体への影響はなかったとしている。「影響無し」としているのだ。」

上記意見は今この意見を書くために、どこかに国際基準を紹介していないかと思って検索して初めて見たものですが、私が事故直後のMarch 28, 2011「放射能の危険性2(管理区域)」でレントゲン技師が一度に被曝する基準を1年間に均した基準にするのがおかしいと書いた素人意見と同じことが早くから「原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)で、言われていたことが分ります。
あまり馬鹿げた基準造りなのでその妥当性について世界の科学者のまじめな議論の対象にさえなれないレベルですが、日本ではあまりにも荒唐無稽な基準が幅を利かしているので、念のために国際機関で意見を発表したのではないでしょうか?
マスコミ界が恐怖を煽ってでっち上げた安全基準が間違っていると言う意見が出ているのに、これをマスコミが全く紹介していない・・黙殺しているどころか科学基準ではないと発言した環境大臣の吊るし上げに熱を上げているのが不思議・・報道の中立性に反していないでしょうか?

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