モラール破壊6(拝金主義2)

オキュパイウオール運動・格差社会が問題になって来たのは、ルールさえ守っていればいくら稼いでも良いし、いくら貧しくても仕方がない・・ルールに従っている限り何をしても良いと言う価値の支配するアメリカ国内ですら、社会のあり方に対する異議申し立てが起きて来たことを意味しています。
民主主義国家の多数派形成は資金力の差によるとすれば、多数派=資金力のあるものの意見で造ったルールで勝ち組になったからと言って、弱者圧迫の根拠にするのは「強い者は自分に都合の良いルールを造り何をしても良い」というのと同義反復でしかありません。
アメリカが金科玉条とする市場ルールその他各種ルール=法の支配自体は、そのときどきの強者の意向が色濃く反映されて制定されるものですから、強者(金持ち)の造ったルールさえ守っていれば何をしても良い・・いくら儲けても言いし、貧乏人は自己責任という論理はそもそもおかしなものです。
強者に都合が良いように造ったルールで競争すれば、強者はいよいよ有利になるし、弱者は窮乏化する一方・・格差が拡大する一方になるのは当然の結末になります。
この不満を解消するためにアメリカでは「アメリカンドリーム」が如何にも自由な競争社会の結果が招来する夢のように賞讃され、支配階級の意向を代弁するマスコミで大宣伝されて来ました。
しかしながら、出て来る実例はプレスリーやプロスポーツのスター選手のような、あるいはアップルのジョブズ氏のような、超人的天賦の才能に恵まれた人・・こう言う人は自由主義社会でなくとも、昔からどこの国でも出自にかかわらず大スターになれました。
我が国でも江戸時代の団十郎や雷電為右衛門などいくらもいますし、今の時代でも大相撲の朝青龍なども、モンゴルでは大スターになっています。
(アメリカに限った話ではありません)
我が国で言えば宝くじに当たる確率よりも低い事例を如何にも誰でも達成出来る・・目の前にあるかのようなすり替えで夢のある国であると(強者の意を受けた)マスコミが宣伝しているに過ぎません。
実際にはそんなことは滅多にないので不満が嵩じて来たのが、オキュパイウオール運動です。
我が国でも宝くじの高額当選者の確率の方が高い・・何しろ毎年ですから・・億万長者になれる人は毎年出ています。
こちらの方が、特殊才能が要らない分公平です。
国内では強者有利のルールを打ち破って出て来られるのは上記のとおり超人的能力を持ったごく稀な例しかありませんが、これを国際社会に及ぼした場合、欧米有利に造ったルールに従って参入して来た国がドイツと日本でした。
先進列強に都合の良いルールでも日独に負け始めると、直ぐにルールを変えるのがアメリカを中心とする先進列強でした。
(日本が欧米の造った植民地支配の構図に従って勝ち進むとルールを変え、戦後も貿易競争やスポーツその他日本が勝ち進むと直ぐにその分野でルール変更される繰り返しでした・・将来的には知財分野で日本が勝つようになると多分ルールが変わるでしょう)
専制君主制の国では、正義に反するか否かなど何も考えずに弱いものイジメでも何でも強い者に従っていれば良いという社会になっているのとアメリカ型の民主主義の本質・・議会を通過さえすればこれに従うのが正義(従わないのが犯罪)だと言うのでは、手続きが違うだけで、価値盲目としての本質が同じではないでしょうか?
専制君主や独裁権力が造ったルールと民主的手続きで造ったルールとの違いは何でしょうか?
民主的手続きを経てもルールによって到達した結果が不当であれば、専制君主や独裁権力の制定する恣意的ルールによる場合と何ら変わるところがありません。
多数が賛成するならいつも正義と言えるほど世界や社会は単純ではありません。
まして大統領選挙も議会多数派形成は、資金力の差で決まるとすれば、なおさらです。

モラール破壊5(拝金主義1)

我が国では強者のアメリカによる不当な圧迫を70年以上(宣戦布告せざるを得ないように巧妙に仕向けらた圧迫から計算すれば90年くらいになるでしょう)に渡って受けているにもかかわらず、国民の道義心は微動だにしません。
我が国では縄文以来のなが〜い長い歴史を知っているので「不正・不当なものは、いつか神に罰せられる」と信じているから仕返しなどしなくとも良いし、自分もそのような悪どいことをしなければ損だという発想にならないからです。
一所懸命の熟語があるように、我が国では一カ所に半永久的に住み続ける思想ですので、郷土を愛し、ひいては公徳心も強くなる・・不正なことをして短期間で逃げることを予定していない・・いつかはバレルからアコギなことは出来ないと言う思想の民族です。
縄文の昔から定着性の高い民族であることが、子孫に先祖の恥を残さない・モラールの高い民族を形成して来たことを、2012/12/09「信義を守る世界7(名誉の重要性1)」前後のコラムで書いたことがあります。
テロなどで仕返しをしないだけではなく、回りがいくら悪かろうと自分はその仲間にならないという信念で大方の人は(物事には例外がありますが、犯罪率の低さ町の綺麗さが証明しています)生きて来たのですが、漸くこの我慢の結果が報われるような時代が巡ってき始めた印象です。
しかし悪人で鳴らして来た人はそれだけのことがある、米英の歴史を見ればその狡猾さは半端ではありませんから、彼らも旧悪が暴かれそうになるのに対して必死ですから、うっかりすると返り討ちに合って、また百年単位で隷従を余儀なくされるのかも知れません。
リスクが大きいので、米英批判の動きはここは慎重にする必要があるでしょう。
ところで道義の衰退した民族の特徴は、守銭奴的傾向・・何事も金次第と言う点で共通していると言えるでしょうか?
中国では金儲けにさえなれば、アカチャンの飲むミルクに毒になることが分っていてもその材料を混ぜるほどの道義なき社会犯罪多発社会になってしまっているのは、強者の論理をそのまま適用して来た論理帰結・・理の当然です。
(「バカ」の語源について、06/23/03「裁判所は独立しているか?3(馬と鹿の区別)」のコラムで詳しく書きましたが、秦の始皇帝死後権勢を振るった宦官の趙高が、権勢を示して皇帝に恥をかかせるために子どもじみたことをした故事が有名です。
趙高が皇帝が群臣居並ぶ前で「馬でございます」と鹿を献上したので、「バカな・・鹿であろうが」と皇帝が居並ぶ群臣に問いかけると、殆どの高官が「そのとおりです」(趙高が間違っています)と答えられなかった・・皇帝に合わせて本当の意見を述べたものは処罰されてしまった(敵をあぶり出した)という故事によると言い伝えられています。
紀元前数百年前から権力者の意向に反して真実を言えば,文字どおりにクビが飛ぶような社会が続いて来ました。
中国では紀元前から何千年も専制君主制で来ましたし、共産党政権になっても言論の自由のない独裁政治のママですから、思想表現の自由のない社会=自分の利益になれば嘘で塗り固めた主張をする・生き方が生活の知恵になる点では同じママです。
専制君主制の続いた国では、正義の基準は日本人が考えるような「正しいか否か」ではなく権力者・強いものの意向に合うかどうかしかない状態で来ました。
2000年以上にわたって、正義感がなくなっているので、権力者の意向に関係ないときには、(金さえあれば権力に取り入ることも可能ですから)「金儲けになるかどうか」が重要な基準になっている点は、アメリカ同様です。
アメリカでは金儲けをするには市場経済という名分のルールがあるものの、結果的に資金を持っているものが勝者の社会・資本主義社会である点は、中国現在社会と全く同じです。
むしろ中国と違ってルールによってお金持ちになるのが正当化されている分、市場経済の勝ち組になって何が悪い?と言う態度で、金儲けをするのに遠慮がなく、その結果成功すれば桁外れの豪奢な生活をするにも何の悪びれるところもありません。
(中国のように賄賂で私腹を肥やしたのではなく)「自由競争の結果だから・・」というお墨付きを得ているからです。
国際政治で言えば極東軍事裁判以降の政治・・でっち上げでも何でも公正な?多数決の手続きや裁判手続きあるいは国際会議・条約締結手続きを踏んでいるから、これが正しい・・今更文句言う方が不公正だと決め付けているのと同じです。

 中国は単純作業・模倣社会から抜け出せるか?6(歴史に学ぶ4)

中韓両国は日本とマトモな交際したいならば、内政上の失策で自分が困れば、日本を攻撃して何かをせしめようとする山賊のような・・ヤクザのような従来の行動形態をやめて、援助を受けたいならば謙虚な姿勢に改めることが先決です。
千年単位で真摯に努力することをしないで、人の物(知財)を盗んで我が物にすれば良いと安易な考え・・努力や向上心で負ければ相手を誹謗中傷・・これをやめて欲しければ協力しろと言う・心がけが悪くなる方にばかりに意を注いできたからこうなってしまったのです。
中韓両政府ともに正直に日本にはまだ遠く及ばないことを正面から認めた上で、近隣にありながら、何故こんなに大きく道徳心の違いが生じたかを謙虚に学ぶ必要があるでしょう。
違いが本当に心から分ったら兄貴分には兄貴分としての礼儀で接する・・恩を受けたらそのまま国民に知らせて国民教育の手本にする・・日本の成功の秘訣を謙虚に学ぼうとする国内教育の再編成・方向転換が必要です。
この反省をしないで国民には嘘を教えていると、国民が先進国文化を学ぶ必要性を認識出来ず、模倣や盗めば良いという意識のママではいつまで経っても本当の成長が出来ません。
・・日本にとっては取るに足りない競争相手のママで楽ですが・・・その分しょっ中ヤクザの脅しのようなこ言いがかりや脅しをされるのは不愉快きわまりないことです。
中韓両国政府に始まって両国民の末まで「嘘でも何でも言い通せば良い」「不正でも何でも強い者の言うとおりすれば良い」(これが賄賂政治にも繋がります)という千年単位の行動ルールが、民族のマトモな発展性を狂わせたのでしょう。
この辺の道理が分らないままですと、何をしても曲がったひねくれた方向へ行くしかありません。
道義心のない国や国民をいくら手助けしても、発展すればしたでその力を悪い方に働かせて将来悪事を働くばかりで世の中のためにはなりません。
中韓両国で道義心を再編成しない限り、日本は中韓両国の発展の手助けするのを差し控えるのが国益・世界中の人類のために資するように思えます。
ただし、企業としては今儲ければ良い・・元々商売は、数年単位で潮目が変わって行くものだと言う諦観があるでしょう。
リスクを取りながら(3年先〜5年先に皆殺しになるようなリスクが仮にあってもその前に稼いでしまえば良いというのも1つの意見です)果敢に挑戦して行くのが企業家ですので、中韓両国への投資をどの程度・どの時期までするかの判断は、企業家のリスク管理に任せておけばいいことで、政治家や右翼がどうこう言う分野ではありません。
企業家はいつ潮目が代わっても損がないように・・最後には損しても良いという覚悟で厳密なリスク管理しながら自己責任で進出投資して行けば良いことです。
ただ、危険は危険としてありのまま情報提供することが必要で、マスコミが誤った情報で(中国政府発表のみを鵜呑みにして)必要以上に中国や韓国への投資意欲を誘導しないようにすればいいのです。
中国政府は本心では外資流入の停滞あるいは減少が怖い・・まだ自立軌道に乗っていないからこそ、虚偽統計の発表にこだわっている・・企業で言えば粉飾決算を続けているしし、中国びいきの大手マスコミは輝かしい中国の未来を賞賛してやまないし、やめられないのではないでしょうか?
もしも中国には将来的に自前技術を育てる能力がない、・いつまでたっても新技術導入・・ローエンド製品製造工程参加の繰り返ししかないとすれば、ベトナム等の挑戦によって職場が減少して行き個人所得は現状維持さえ困難で低迷したままになります。
将来の発展・所得水準の向上が期待出来ないとなれば、消費市場としての投資魅力も薄れて行きます。
生産基地としての魅力が薄れて生産系投資が減って行くと、その代わりということで最近では消費市場への投資を奨励するようになって、これに呼応した多くの消費系企業の投資が続いています。
いつまでもローエンド製品しか作れないとすれば、所得増加の見通しがない・・頭打ちになると、消費市場への投資も一定程度行き渡れば、その内頭打ちになって減速して行きます。
外資の流入で贅沢出来ている中国経済は(消費も減速して)海外からの投資資金を流用出来ていた分余計消費出来ていたメッキがはがれ、失速してしまう危険があります。
食うや食わずだった中国人が解放後最低単純労働参加によって所得が10倍になったとした場合、その所得向上に応じた消費が遅れて発達するので当面に限れば遅れていた消費増加めがけてスーパー・コンビ二・おむつ等その他消費系企業が投資して行くのは合理的です。

ポンド防衛の歴史17(ポンドの威信6)

ちなみに、平成25年4月17日午後8時5分現在のドル・ポンド相場を三井住友銀行の表で見ると1ポンド売りが147、32円、買いが152,32円となっています。
ドルの売りは97、35円買いが98、35円です。
当時1ドル360円を基準にすると円がドルに対して約3、7倍に上がっていてポンドに対しては約6、7倍余りの上昇・ポンドの約6、7分の1への下落です。
これを個人の年収に置き換えると分りよいですが、イギリス人が1945~65年代には年間1000万円の収入だったのが現在では149万円に下がっている・・日本人の年収が149万円から1000万円に上がったという関係です。
イギリスに旅行すると、何となく元気がない・・イギリス市街がどこも貧しい・沈滞した感じがするのは仕方のないところでしょう。
円安は貿易条件が良くなるという意味は人件費が安く出来るから競争力がつくという意味しかないことを繰り返し書いてきましたが、ポンドの下落を見ればイギリス人の稼ぎがこんなに下がっていることを如実に表現しています。
円安もほどほどにしないと、企業だけ儲かって国民が苦しむことになります。
平成23年12月1日に紹介した「基軸通貨ポンドの衰退過程の実証的研究」は、戦後10〜20年にわたって世界経済を揺るがして来たポンド危機の根源を、為替規制によるスターリング地域の結成と衰退を実証的に研究している分りよい優れた論文です。
(素人の私から見ても、良く分り、子供の頃に抱いていた疑問を解いてくれるという意味ですが・・)
イギリスは裁定相場から完全な変動相場制に移行しているのでポンド防衛から自由にはなりましたが、今でも英連邦諸国との紐帯をどうするかに悩み、共通通貨ユーロには参加していませんし、ことあるごとに主権維持に敏感です。
EUの理念は、主権を徐々に制限して行きながら、将来的には経済一体化を目指すものですから、イギリスがこれに参加しながら主権制限反対に頑強にこだわるのは論理的に無理があります。
貨幣の共通化=グループ構成員間の平均化ですから、グループ内強者は実力以上に為替相場が低く抑えられるメリットを受けますが、平均以下の弱者は実力以上の高い為替相場に苦しめられます。
スターリング地域解体の結果から分ることは、各加盟国に発展不均等がある以上は貨幣の共通化あるいは通貨交換比率共通化は無理があることが分ります。
我が国の地方交付税制度や補助金制度を何回か紹介していますが、それでも弱い地域はドンドン弱くなるのを緩和するくらいが関の山であることは、大都市人口集中・過疎化が進行する一方の各地辺境地域を見れば分ります。
ポンド防衛のシリーズをここでひとまず終わりますが、ギリシャ危機の解決策に関してのイギリスの対応は、戦後ずっと続いて来たヨーロッパの一員に戻るかどうかの重いツケをまだ解決出来ないイギリスの苦しい立場を明らかにしました。
我が国も島国のために中国や朝鮮等の大陸諸国とは基本的に国民性が違うので、将来アジアもユーロのように一体化しないとやって行けない時期が来るとその違いに悩まされるようになると思われます。
このとき・・まだまだ何十年〜100年単位も先のことでしょうが、考えておくべきことでしょう。
ただし、中韓の一体化は歴史経緯もあって目の前に迫っていると思います。
中韓一体化は、元々の支配服従関係(宗主国と服属国)に戻るだけだという視点でまだ冷静に対応して行けるでしょうが、もっとその先の時代・・アジア一体化が進むしかないときに、海の民対大陸と言うアジア島嶼国連合で対応して行けるのかどうかが心配です。
(FTA・TPPその他が発達して来て国境の壁が低くなって、ユーロのような政治的一体化が不要になるのを期待したいものです。)

TPP16とアメリカ支配8(参加国と本社機能争奪3)

ちなみにTPP交渉参加国名等は、3月25日現在のウイキペデイアによると以下のとおりです。 

「環太平洋戦略的経済連携協定(かんたいへいようせんりゃくてきけいざいれんけいきょうてい、英語: Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement または単に Trans-Pacific Partnership, TPP,環太平洋経済協定、環太平洋連携協定、環太平洋経済連携協定、環太平洋パートナーシップ協定[1])は、環太平洋地域の国々による経済の自由化を目的とした多角的な経済連携協定 (EPA) である[2]。
2005年6月3日にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4か国間で調印し、2006年5月28日に発効した。2011年現在、アメリカ、オーストラリア、マレーシア、ベトナム、ペルーが加盟交渉国として、原加盟国との拡大交渉会合に加わっている。
2012年11月12日の会合からカナダとメキシコが正式な加盟交渉国に加わった。」

となっています。
幼稚園児の集まりに、イキナリ大男のアメリカが参加してどっかり座り込んでいるような進展です。
これではみんなアメリカの鼻息を窺うしかなくなるのは当然です。
しかし、アメリカは図体が大きいからと言って、中国のようにイキナリ威張る必要がありません。
3月18日に書いたように、参加国の企業にドシドシ頑張ってアメリカに進出してもらっても構わないのです。
アメリカ政府にとっては本社機能や生産機能が事実上アメリカに移ってくれば、どの企業が勝とうと国内企業同士の競争の結果と殆ど変わりがありませんし、雇用も変わりません。
トヨタがアメリカ国内で売れる分を現地生産し、事実上本社機能をアメリカに移してくれば(将来法的本社も移るでしょうし)アメリカ人の本社部門雇用も増える(ソニーの社長がアメリカ人になっていました)し、アメリカ政府にとっては企業の発祥地がどこかなど詮索する必要がありません。
当面フォードなど在来企業が反発するでしょうが、アメリカ政府にとってはアメリカ国内でどこの出身企業が売上を伸ばそうと同じことで、むしろ、より強い企業が生産やサービスを伸ばす方が国益に合致します。
日本の例で言えば、統一国家になった以上は、青森や沖縄発の企業でも大阪、九州発の企業でも、より良い商品・サービス提供して全国ブランドになるのを拒む理由がないのと同じです。
国家間の障壁を低くして行く世界の潮流・各種ルールの世界共通化については、ハーグ条約や金融規制・会計基準の統一化等の例で書いたように、TPPに参加しなくとも拒み切れない大潮流のように思います。
(この点についても論者によっては、そもそもいろんな分野で世界共通化自体必要がないという人もいますので、これを前提にすれば一概に言えませんが・・。)
TPP参加の経済的側面については、個別品目別に論じるデータもないし私の能力に余りますが、(交渉次第の面もあって分り難い)個別品目/産業がTPP参加後もアメリカに対して勝ち残れるかどうかの議論よりも、結果として重要なのは、地域・都市間競争・・本社機能や生産拠点の争奪競争に勝ち残れるか否かにあるように考えられます。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC