非政治組織(日弁連)と政治6

ただし、日本政府の対応は大人のやり方ですから、相手のやり過ぎに乗じて突っ込むようなことはしません。
弱みを見せたら、すかさず弱みにつけ込む諸外国とは違います。
慰安婦問題で日本が謝らない限り首脳会談しないと言うのなら、日本政府は「不当な要求さえ取り下げてくれたらまた付き合いますよ」それで結構と言うだけのスタンスです。
相手が遣り過ぎて困っていることに乗じて、日本は、「韓国がヒラ謝りしないと首脳会談をしない」とまでは言いません。
中国の南京虐殺主張や歴史認識の要求に対しても、同じで、中国の言うとおり認めないと首脳会談しないと言うなら、「結構です」と言うだけであって、相手がその条件さえ取り下げれば良い・・反日教育をやめないと付き合わないとまでは言いません。
ヤクザに散々嫌がらせされたりすごまれた場合、ヤクザが強迫行為等をやめるからこれから仲良くしましょうと言われても、「もう2度と付き合いたくない」と思うのが普通ですが、(隣近所の場合は上辺だけ「今後よろしくね」くらいは言うしかないとしても、内心では警戒したまま心を許しません)政府となれば、そうも行かないと言う大人の対応になるようです。
個人間であれば、日本には1億以上の人がいるのでイヤな人と付き合わなくとも(近所の場合朝晩の挨拶程度で)生きて行けますが、中韓が隣にあって挨拶程度では済まない現実があります。
この辺は感情とは違った判断があって良いでしょうから、日本人の多くが個人的に腹が立っていること・・例えば国民の9割が腹立っていることが分ったとしても、そのとおり政府がストレートに動くべきではなく、政府がどこまで大人の対応をするのが良いかは別問題です。
韓国も中国も日本の労働組合もいくら遣り過ぎてもその反動で「元も子もなくすようなこと・・仕返しを日本政府がする訳がない」と言う安心感が、無茶な主張や行動をやれるだけやって損はないと言う行動に走らせているのかも知れません。
ヤクザの行動原理と似ています。
上記のとおり日本政府はやり過ぎに乗じて必要以上に締め付けや仕返しまではしませんが、組合や中韓政府がやり過ぎる都度、着実に日本国民の信頼感を損なって来たことは確かです。
日弁連がやり過ぎても、政府は干渉出来ないし、会員が目的外行動だと裁判しても政府・裁判所は謙抑的判断しかしません。
直接的判断がないとしても、(ヤクザの嫌がらせが刑事事件にならないとしても嫌われてしまうように)いつの間にか、国民の信頼度が下がってしまうリスクを書いています。
外からの弾圧がない代わりに自己抑制が必要です。
私がいろんな意見を書くように、弁護士会はいろんな意見の集合体であって、特定思想で一致共鳴したことによって集まった結社ではありません。
テニスが好きで同好会に入ったらその会費の大部分を使って親睦と称して皆で映画やスキー旅行や登山に行くようになったり、自分の意見とは違う政治活動を始めた場合、テニス同好会の会費を払うのが、イヤになってやめる人が出るでしょう。
弁護士がある事務所に所属したら、その事務所の扱っている事件と自分がやりたい事件が違っていたり、事務所がある政党関連の政治活動を熱心にやっている場合、政治信条があわないときには、その事務所をやめて他所の思想信条のあう事務所へ転籍する選択肢があります。
ですから、個々の事務所が好きな政党を支持し、その運動をするのは勝手です。
日教組も労働組合も思想活動に明け暮れていると、内部で反対するだけではなく、若手は新規加入をしなくなったり加入していても活動方針に納得しない組合員は脱退する自由があります。
政治活動の活発な組合で組織率がドンドン低下して来たのは、加入脱退の自由があったからです。
加入脱退の自由があると政府が権力的に介入しなくとも、不健全な組合は自然に淘汰されて行きます。
以下は日教組組織率に関する本日現在のデータです。
以下に入って行くとグラフも付いていますので、グラフで見たい方はどうぞ。
データを読む
www.worldtimes.co.jp400×276画像で検索
文部科学省の調査によると、平成22年の日教組(日本教職員組合)の加入者数は27万4800人、加入率は26.6%。昭和33年の調査開始以降、過去最低となった。

 日弁連と政治5(弁護士自治破壊リスク2)

ここから、2015/02/21「日弁連と政治4(弁護士自治破壊リスク1)」の続きになります。
個人の業務としては、世界の進運に連動して切磋琢磨している場合、一方で特定グループあるいは会の名で仮に過激な政治活動をしていても、個々の弁護士業務自体の信用とは関連しません。
日本医師会が政治力を発揮していたときには、医師会が信用を失って「医は仁術から算術へ」と言われても、個々の医師の技術力を疑うようにはなっていません。
弁護士会が組織としてどんな政治運動をしていても、関係ない弁護士は自分の法的テクニック・人格を磨いていれば・・個々の弁護士の信用に関係がないから、放っておけば良いのでしょうか?
弁護士全般のイメージダウン・・弁護士に対する尊敬の気持ち(仮にあるとすればの話です・・)が、バカの集まりか?と言われるようになる程度・・社会的地位の低下と言う程度の抽象的なことで収まるだけかも知れません。
弁護士会が間違ったメッセージを国内で拡散しても、農協組織と違って実務を規定する能力・権限がないので、間違っていればこれを信用する人が少なくなるだけで、何の害もないようです。
医療と違い弁護士業務は、ある意味全人格的能力の信頼で成り立っているので基礎的な地盤沈下が進みかねませんが・・その辺はすぐには見え難いところです。
日教組の問題点は何も分らない子供が、マトモニ洗脳されてしまう点・・事実上の強制力を持っている点です。
これまで、弁護士会は中立的と信用している人が多かったから、会の声明等に政治的影響力がありましたが、偏った意見を繰り返しているうちに日弁連が偏っていると言うイメージが定着して行けば、短期間で影響力がなくなって行きますから、社会に害を及ぼすこともありません。
この辺は朝日新聞批判にも当てはまりますので、右翼が「朝日をぶっつぶせ」と息巻く必要がないのと同じです。
本当にいい加減な新聞であれば、読者が見放すし、信用しないので心配がいりません。
社会党が2大政党当時には、党首発言が大きな影響があって注目されましたが、今では現実離れしている?社民党党首の声明や動静は大した関心を引きません。
鳩山元総理のように奇抜な?国益に反する疑いのあるような行動をしなければニュースにならないでしょう。
弁護士会の発言力低下事そのものの心配ではなく、信用喪失の流れを契機にして、会内対立が激化して、自治権喪失または弱体化して行かないかの心配をしています。
しかし、これは私が弁護士だから心配しているに過ぎない・・個人的関心の問題であって、誰も関心を持たなくなった弁護士会がどんな声明を出しても、何をしていても、自治権を失なっても日本社会のために何の関係もないとすれば、このコラムで書く必要がないのかも知れません。
元々特定党派に偏った政治意見を言うために弁護士会が自治権が認められているのではありません。
元はと言えば、一般刑事事件で権力による犯罪でっち上げ・・韓国で進行中の産經新聞支局長名誉毀損事件のような事件があった場合、権力の意向に反して正義に基づく果敢な戦い・弁護が出来るように自治権が必要とされて来たのです。
人権を守るための周辺行為・・おまけの政治活動も一定程度必要ですが、やり過ぎによって、肝腎の刑事事件弁護のために必須とされて来た自治権本体を失うようになれば、やはり国民の損失でしょう。
教職員組合が教育の仕方を1から10まで政府に縛られるのでは創意工夫が生まれずに子供の成育にマイナスですから、過剰な政治介入を拒否するの必要がありますが、だからと言って政治的になり過ぎて具体的教育論から離れて国旗掲揚反対等にエスカレートして行くと、その反動で本来必要な教育の自由が抑制されてしまわないかの問題があるのと同じです。
労働運動も同じで、やり過ぎは結局自分たちの正当な権利まで失うリスクがあります。
tだし日本では、政府も賢明ですから相手が遣り過ぎたことに乗じて、政府も規制を遣り過ぎない・・自己抑制的なので、助かっています。
今回の竹島・慰安婦騒動もやり過ぎてしまったので、日本人が目覚めてしまったことが韓国の誤算でした。
相手が遣り過ぎて困っていることに乗じて、日本は、「韓国がヒラ謝りしないと首脳会談をしない」とまでは言いません・・これが大人の対応と言うことでしょう。
韓国も中国も日本の左翼もいくら遣り過ぎてもその反動で「元も子もなくすようなことを日本政府がする訳がない」と言う安心感が、無茶をやれるだけやって損はないと言う行動に走らせているのかも知れません。

農協法6(共産圏の集団指導体制3)

何でもユダヤの陰謀とかコミンテルンの陰謀などに結びつける議論があります。
農協法を見ると一見民主的組織にしているものの、基本は中央による指導体制の貫徹・締め付けにあることが分ります。
中国やソ連の制度は一見民主的ですが、(今の学説がどうなっているか知りませんが、私の司法試験受験科目当時の政治学では、独裁も民主主義の一形態と習いました)実質は中央による「指導体制の確立」になるように仕組まれていたことが重要です。
ソ連や今の中国(全人代等)北朝鮮では、いつも100%の圧倒的多数による信任・決議・・満場一致が常だと言われています。
(ただし今年の全人代は予算案に対して13%もの批判票があったと伝えられています)
下部組織が上部組織を選ぶと言っても、実際には中央に指導されるだけで異を唱えると指導に反した廉で下部組織で出世出来ない(どころか反党行動として粛清される)仕組みですから、いつも拍手するだけの会議になります。
ソ連・中国の法制度を直接知りませんが、農協法による中央の下部組織への「指導」権が法的に強制されているところに、共産圏の独裁体制の法的仕組みをかいま見ることが出来ます。
戦中戦後にかけてアメリカの大統領以下中枢政治家が、コミンテルンの影響下にあったと言う論説が最近頻りに紹介されています。
その反動で赤狩り・マッカーシー旋風(・・我が国ではレッドパージ)が起きたと言う時代の流れらしいです。
我が国で親中韓であった民主党政権の反動で、嫌韓嫌中勢力が台頭したのと似ています。
コミンテルン影響の真偽は私には分りませんが、農協法を見ると(コミンテルン思想下にあった)アメリカの指導で、ソ連の組織・制度を持ち込んだ印象を受ける1事例と言えそうです。
農地法では農業委員会が最終権限を持ち、その他教育委員会など最終権限を委員会に委ねる委員会方式がその頃創設されています。
委員会方式はある程度中立性保障等の意味がありますが、行政目的実現よりは、第三者的に判断する場合に用いられる準司法的制度ですから、これが行政組織に持ち込まれると(評論家的意見で実際の政治が出来ません)主体的な行政目的実現機能を果たせず、現状維持的にならざるをを得ません。
朝日新聞の第三者委員会「見解」を紹介しましたが、「委員会」制度の本質は一般的に過去の事実検証とこれに対する見解を表明することが主たる目的です。
共産圏の1党独裁体制の法的仕組み(ロシア語や中国語が読めないので実際は良く知りません)が、農協法や農地法の農業委員会あるいは教育委員会制度からある程度窺い知れます。
漢方医が脈だけで病名を推測しているよりも、もっと遠い想像かも知れませんが・・。
フランス革命等西欧の市民革命では、農地解放が行なわれていませんが、ロシアではロマノフ王朝時代末期から、革命前後を通じて農奴解放が大きなテーマでした。
ロシア革命後すぐに「労農評議会」が出来ているように、コミンテルン本部のあるロシアの経験では農民の処遇が最重要課題でした。
米軍占領後直ぐに農地解放から占領政治が始まったことと、農地解放後の農政がイキナリ協同組合方式で、農政の基本は政治から独立した農業委員会方式を採用し、しかも中央の指導体制が強固に規定されたのも自由主義に価値に置く米国的価値観による政治としては異例のことです。
アメリカ流の農業近代化・合理化であれば、規模拡大と自由競争が基本的な考え方になるべきで、細分化や中央の指導強制はアメリカの基本姿勢と合致していませんが、農民解放と集団農場化・組合方式による中央からの指導と言う図式徹底は何故かロシア革命の図式に符節します。
(私はソ連や中国の条文を知らないし、アクセスする方法も知りませんし、農協法とソ連制度との関連に関する学問的文献を読んでいないので漏れ伝わる集団農場や国有農場形態のうろ覚えを前提にしていますので、私の飛躍した?想像としてお読み下さい)
自民党は保守党とは言いながら、実は自由な活動を党の方針とする漸進主義政党であって革新と言われる社会党その他は実は超保守政党であることを大分前から・・例えば・最近では「証拠法則と科学技術2(自白重視2)」December 6, 2014などで書いてきました。
自民党の本質は自助努力して国際競争をする気のある業界や企業を応援したいし、旧社会党その他革新系?野党・文化人?は新しい技術利用に先ずは反対してみたい・・いろんな分野の変化を嫌い、防犯カメラが発達すると肖像権を守れとかプライバシー侵害と主張し、「◯◯を守れ」「改悪反対」と言うのが基本的姿勢です。
3月13日まで紹介したように、上からの指令で動く農協組織は、自由な発想を求め絶えざる変化を求める自由主義政党とは、本来は水と油の関係です。

テロリスト1と原理主義6

どこの国・社会にも、少数ではあるものの社会に対する不満の結果、一定数の過激思想の持ち主がいます。
社会に不満な人は一定数いるもので、その比率を下げることは可能でも、皆無にすることは困難ですが、昔は少数者や精神障害者が暴発してもすぐに取り押さえられて大した結果になりませんでした。
※最底辺の人だけが鬱屈しているのではなく、東大受験に落ちた人・・東大や一流企業に行ってもそこで落ちこぼれた人など各階層ごとに鬱屈した人は一定数います・・これがオーム真理教事件グループ内に一定のエリートがいた原因です。
要は個々人の精神の持ちようの問題が基本ですから、政治がうまく行っていれば鬱屈した人が減るものではありません。
アラブ諸国で過激思想の持ち主が仮に数%しかいなくとも、これが武装して過激行動に出ると厄介です。
先進国でアラブ原理主義に共鳴する人がかりに0、00何%しかいなくても、この僅かな人がイキナリ銃乱射事件や爆破を起こすと大変なことになります。
テロの脅威が高まったのは、始皇帝を狙った刺客列伝に出て来るような刀槍の時代に比べて、極端な少人数(100万対一人の戦いでも死を覚悟しての不意打ちの場合)でも火力が大きくなっていて大変な威力を発揮出来るようになったことに原因があります。
物理的威力・結果としては昔と大して変わらなくとも、平和社会になった反動で、1〜2人の殺傷でも、安心社会に対しては大きな衝撃を与えられるようになっています。
日本は平和な社会に慣れ切っているので、比例してテロに対する抵抗力が精神的に弱くなっています。
イスラム国のテロ組織に殺された日本人は2人しかいませんでしたし、しかも遠くの危険地域へ自分でへでかけて行った人でしたが、日本社会に与えた衝撃が甚大だったのです。
しょっ中あちこちの殺人事件や交通事故が報道されるので、「最近は物騒な世の中で困りましたね」と言う人がいますが、刑事事件統計では凶悪犯や交通事故死はもの凄く減っていることを大分前に統計表をコピーして紹介したことがあります。
昔は問題にならなかった北海道や九州のちょっとした事件や交通事故まで、東京で繰り返し報道するから、しょっ中事件があるような印象を受けるだけです。
「物騒になった」とか、「うっかり子供を遊ばせられなくなった」と言う人は、客観的事実を言っているのではなく、最近の「安全安心社会」を前提にちょっとした危害にも敏感になり耐力がなくなっているから、不安感を強調していることになります。
人間は暖かくなれば、たまにちょっと寒いと厳冬期より暖かくっても寒いと感じますし、その置かれた環境を基準に生きているものです。
しょっ中目の前で人殺しや強盗に遭っている社会では、ちょっとやそっとの犯罪に遭遇した程度で驚きません。
報道写真家の行動を見ていつも疑問に思うのですが、アフリカで裸足で歩いている子供は生まれつきそうした環境で育っているので、こちらの基準で可哀相と言って報道したり、クツや衣類を持って行って配る必要があるでしょうか?
現地の産業興隆の底上げに協力するならば意味がありますが・・衣類や食糧を配ることほど意味のないことはありません。
暑い国の人は可哀相だ、寒い国の人は可哀相だと言うのと本質は同じで、それぞれその環境が慣れていていいから極寒・炎熱の地で生きているのです。
紛争地域の子供は貧しいだけのアフリカの子供よりも悲惨なようですが、彼らも長年続く紛争やテロの現場を見聞きする環境で育っているのであって、日本の環境と比較して可哀相だと言って写真を撮りまくっているのって、上から目線っぽい感じがしますが、そう思うのは私だけでしょうか?
命をかけてテロの現場に入り組んで報道する人がいないと彼らの悲惨な現状が世界に伝わらない・・立派な行動をしていると賛美する印象のマスコミ報道が一般的です。
昨日書いたようにテロリストは一種の愉快犯ですから、世界に大々的発信してもらう方がやりがいがあるので、耳目を引くやり方をとっています。
彼らは政治支配する目的がない・多数の支持を必要としていないのですから、あっと驚くような残酷さなど大げさにアッピールすることが楽しみであり、目的でしょう。
こう言う手合いは、実は彼らの要望に応じて大々的な報道しないで放っておけば(政府・国際機関としては情報収集するのは必要ですが・・)自然消滅してしまうしかない運動体です。

マスコミの情報操作6と「知る権利」の矛盾1

マスコミの使命を考えて見ると「いろんな統計速報があったなどの事実さえ知らせてくれれば、意見まで言ってもらう必要がない・・国民がデータを基に自分で考えますので・・」と言う人が普通ではないでしょうか?
マスメデイアとしても、統計そのものを全部書き切れないのも分りますから、こういう統計が出ましたと言うアナウンスを中心にして「こう言う統計が公表されているので自分で見てください」と言う紹介記事程度でいいでしょう。
私のような高齢者(ネット弱者)だけかも知れませんが、仕事の合間に・・自宅に帰ってちょっとニュースを見る程度の時間しかない人にとっては、厚労省その他機関の正面から入って行って特定の統計までたどり着くのは何回もクリックが必要で面倒ですから、ついおっくうになります。
自分の関係している弁護士会や日弁連等の委員会の特定メーリングリストから入るのなら別ですが、一般人として忙しい合間に日弁連ホームページ正面から何かにたどり着くのは至難と言うか面倒です。
こちらも忙しいし、マスコミは「こう言う統計が発表されたよ」と言う程度のアナウンスで良いので、その代わり全体.詳細情報を見たい人が簡単に見られるようなサービス・・簡単にクリック出来るように出典を併記してくれれば便利です。
標準家庭などと言う訳の分らないデータ紹介よりは、データ自体を自分の家族構成にあわせてスキなように組み替え出来るようにすべき..情報サ-ビス業になって行くべきです。
政府情報あるいは国際情報に接することが限定されていた特権的地位の時代には、情報を入手したこと自体に価値があったので、新聞等が「社会の木鐸」など言う表現も妥当したでしょうが、そう言う時代はとっくに終わっていることを自覚すべきです。
(何かある都度留学経験者がテレビに出て、「海外では・・」と留学経験をひけらかしていた文化人も基礎データを開示しないで自分だけが知っていると言う根拠ない意見を開陳をしていたのも同じで、みんなが海外に出る時代になるとこれらの意見は欧米社会の一部の現象であって社会全体像とは違っていたこと・・言わば虚偽紹介であったことが分ってきました)
朝日新聞は飽くまで情報アクセスに関する特権的地位を維持したいために、非公開ルールを犯して折角入手した原発吉田調書を公開しないで秘匿したまま「自社だけが知っている」と言う立場で調書自体の公開をせずに自社の誘導したい方向へ要約して新聞記事にしたのが、原発吉田調書事件です。
もしも虚偽性さえ問題にならなければ、従来型「報道機関による取捨選択権がある」と言う謝った姿勢・・特権的地位維持の問題・・どこのマスコミもして来たことに過ぎなかったのですが、第三者がアクセス出来ないことを奇貨として内容と大幅に違うねじ曲げて報道してしまったことで、社会問題になったものです。
朝日新聞の「報道と人権委員会」見解では、非公開だった吉田調書を公開に導いた功績を高く評価していますが、これを読んで違和感を持ったのは私だけでしょうか?

「福島原発事故・吉田調書」報道に関する見解
2014年11月12日 朝日新聞社報道と人権委員会 委員 長谷部恭男 委員 宮川 光治 委員 今井 義典
2 見解の要旨 (1)政府が福島第一原子力発電所の所長であった吉田昌郎(まさお)氏(2 013年死去)の調書をはじめ772人の聴取結果書を一切公開しないという 状況の中で、吉田調書を入手し、その内容を記事とし、政府に公開を迫るとい う報道は高く評価できるものであった。」

朝日新聞はそもそも「国民のためになる」と言う大義の元でルール違反してまで調書を取得したものであるにも拘らず、これを自社だけが持っていて産経も取得したと言われても公開しないで秘匿したまま自社見解が正しいと言う主張を維持していたので、(不正報道している朝日を追いつめるために)政府に公開決定をされてしまい・・遂に発表予定当日か直前になって急いで謝罪発表したものです。
政府に発表させた功績があるかのように見解で言われても、朝日は発表されると困る立場でしたから、「実態のすり替え見解じゃない?」と思う人が多くないでしょうか?

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