ロシアの脅威6(シベリア連行の地獄)

ソ連による満州侵入・シベリア連行に関するウイキペディア等の解説です。
いきなりの侵入による混乱時にどれだけ殺され、どの程度連行されたのか、シベリアで何十万あるいは百万以上殺されたのかすら日本では未だに分かっていない・・満州で家族が襲われた時に抵抗して殺された人が何人いたのかすらわからない・・日本側の悲惨な実態がわかります。
中国残留孤児の多くは満州での孤児ですが、逃避行で親とはぐれたというニュースしか出ませんが、(大火災水害等の急激な惨事の場合、外出していたなどで親子連絡が取れなくなることありますが、戦争が終わってからの命がけの日本引き上げ時にkどもや乳児を手放して迷子にしてしまうなどは考えられない・・大量の乳幼児が親とはぐれることなどありえません)そんなのはあっても万に一つもあるかないかで、どちらかと言えばソ連の悪行を表面化したくないマスメデイアの勝手な造語の疑いがあります。
中国残留孤児問題はソ連軍が両親を殺したり拉致していったあとで残された乳幼児を現地中国人が面倒を見たのが99%だっと思われます。
本格的に戦った日米・日中戦争の戦死者よりも、不可侵条約を締結していて戦う相手として想定していなかったソ連軍に殺されたり家財を強奪されたり強姦等の被害を受けた方が多いとは言えないまでも、アメリカに降伏した状態に乗じて戦国時代の野盗のように敗者・民族に襲いかかってきた状態です。
ソ連の恐るべき点は、軍人だけでなく一般人まで略奪強姦殺人連行等の対象になった点です。
シベリア収容所の状況は悲惨過酷さを極めたことがいろんな書物に出ていますが、9月16日(昨日の)日経新聞・毎週土曜日連載の「かたわらにいた人」の中に、収容所の過酷な状態を自分を動物のように「「生きる」という1点に純粋化するしか生き残れなかった精神状況がそれとなく紹介されています。
このような残虐非道なことがなぜ臆面もなく行い得たかの背景から見て行きましょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%8A%91%E7%95%99#.E7.8A.A0.E7.89.B2.E8.80.85.E6.95.B0
背景
ソビエト連邦では1920年後半頃から政治犯などの囚人に過酷な強制労働が課せられたが、これは労働力不足を補う側面もあった[3]。スターリン体制下の1930年代以降は強制収容所(ラーゲリ)の数が爆発的に増加し、強制労働の対象となる囚人も増加した。初期の労働環境は非常に劣悪であり、白海・バルト海運河建設などに動員された白海・バルト海強制労働収容所では1932年から1941年にかけての10年間で3万人近い死亡者を出し、死亡率が最も高い1934年には囚人の10.56%が死亡した[4]。
スターリンの捕虜観をあらわすエピソードとして、ポツダム会談でウィンストン・チャーチルが炭鉱労働者不足を嘆いた際に「ドイツの捕虜を使えばいい。わが国ではそうしている」と答え、4万人のドイツ人捕虜を本国に移送することをすすめた[5][6]。ヤルタ会談ではかつてドイツが賠償支払いのための外貨を市場で調達したため、世界的な貿易不均衡を生み出した問題(トランスファー問題)を回避するため、賠償は外貨や正貨支払いではなく、役務や現物による支払いで行われることが合意された[7]。この役務賠償の考え方は、捕虜の強制労働を正当化する理由ともなった。ソ連は1929年のジュネーヴ条約に加わっていなかったため、1931年以降独自規定として戦時捕虜の人道的な扱いを定めていたが、実際にはほとんど守られなかった。ポーランド侵攻以降獲得した各国人捕虜は389万9397人におよび、1949年1月1日の段階で56万9115人が死亡し、54万2576人が未帰還のまま抑留されている[8]。これらの捕虜の多くは内務人民委員部等の各省庁に貸し出され、その監督下で使役された。特にドイツ人の死亡率は高く、スターリングラード攻防戦での捕虜6万人のうち、帰還できたのはわずか5千人であった[9]。
抑留の決定
スターリンは8月16日には日本人を捕虜として用いないという命令を内務人民委員ラヴレンチー・ベリヤに下していたが、8月23日にはこれを翻し、「国家防衛委員会決定 No.9898」に基づき、日本軍捕虜50万人のソ連内の捕虜収容所へ移送し、強制労働を行わせる命令を下した[12]。8月16日にスターリンは、ヤルタ協定で約束されていた千島列島・南樺太の占領のみならず、日本敗戦直後に米大統領ハリー・S・トルーマンに連絡し、北海道の分割占領(留萌町(当時)から釧路市を結ぶ線の北東側と両市町を占領)を申し入れた。理由は、「日本によるシベリア出兵によってソ連は占領されたため、ソ連も日本の領土を占領しなければ、国民の怒りが収まらない」というものであった。しかし、トルーマンはこれを一蹴した返書を8月18日に送った。
占領地域の日本軍はソ連軍によって8月下旬までに武装解除された。この際多数の死傷者が出たという。また、このとき、日本人捕虜は内地への帰還を望んだが、ソ連軍は復員を認めず、すでに離隊していた男性も強引に連行した。
日本人捕虜は、まず満州の産業施設の工作機械を撤去しソ連に搬出するための労働に使役され、のちにソ連領内に移送された。9月5日の山田ら関東軍首脳を手始めに、日本軍将兵、在満州民間人・満蒙開拓移民団の男性が続々とハバロフスクに集められた。彼らは日本に帰れることを期待していたが、ソ連は捕虜を1000名程度の作業大隊に編成した後、貨車に詰め込んだ。行き先は告げられなかったが、日没の方向から西へ向かっていることが貨車の中からでも分かり絶望したことが伝えられる。また、この時抑留された捕虜の証言によると、ソ連兵はダモイ(帰れるぞ)と叫び捕虜を貨車に乗せたという。抑留された捕虜の総数は、作業大隊が570あったため、当初は総数57万5千名が連行されたと考えられたが、65万人というのが定説である。
一説には70万人近くが移送されたと言われ、最高数としては200万人以上との説がある[17]。モスクワのロシア国立軍事公文書館には約76万人分に相当する量の資料が収蔵されている[18]。
シベリアの連行による犠牲者数
ソ連側(現ロシア政府)はこれまでに約4万1千人分の死者名簿を作成し、日本側に引き渡している[36]。アメリカの研究者ウイリアム・ニンモによれば、確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡者は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人が死亡したという[37]。
日本の厚生労働省は2017年現在でも、ロシア連邦などから提供された資料を基に、旧ソ連や満州で死亡して新たに判明した日本人の氏名などの名簿更新を続けている[38]。
まともに戦った挙句のドイツ人捕虜6万人の内生き残ったのはわずか5000人というのですから、日露戦争で負けた屈辱感のある日本人に対する残酷な仕打ち・・生存率も推して知るべきでしょう。
ドイツの場合正規軍捕虜だったので数字がはっきりしているのですが、日本の場合満州にいた開拓団その他企業社員含めての大混乱中の連行なので母数の数字自体が分かっていないのが難点・・それほどのひどい状態であったとも言えます。
ただ占守島守備隊の軍人は戦いに勝っていたのに本国からの停戦命令で降伏したに過ぎない状態で捕虜となったので(戦いで死んだのか捕虜になってから殺されたのか分からないような混乱がない)軍人数がきっちり分かっているはずです。
占守島の戦いを9月12日のコラムで紹介したとおり屈強の若者2万5000名が捕虜として引き渡され、シベリア収容所到着時には五千人しか生き残っていなかった例を類推すれば大方の比率がわかります。
貨車に載せれられて移動しただけで途中2万人も死ぬだろうか?
地獄のような暴行殺戮行為がしょっちゅう行われていたと見るべきでしょう。
まして満州から連行されたのは屈強な青年ばかりではありません。
15日に日書いた通り、ロシアの進出/膨張欲は領土プラス異民族支配欲が基本原理ですから、侵略に成功すれば日頃ひどい圧迫している人民にも新たな敗者に対する一時的支配者の地位・・「どのような過酷な支配もできる夢」を分け与えることで戦意向上の原動力にして来たのでしょう。
少数民族や移民排斥運動が激しいのは、どこの国でも最下層に多い・あるいは家庭内暴力に怯えている子がいじめっ子になり易いのはこの原理を物語っています。

フェイクニュース6(根拠なき世論断定)

数十年来の原発拡大政策について東北大震災後に始まった見直し→縮小廃止に関する世論動向変化について続けます。
ここから8月12日まで連載してきた「メデイア誘導・フェイクニュースの限界5(NHK報道から2)」の続きになります。
     http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44879
 再生可能エネルギー政策の抜本的見直しが始まる
2030年に向けて制度改正、事業者は生き残れるか
2015.10.05(月)「経済産業省で再生可能エネルギー政策の抜本的な見直しに関する議論が始まっている。固定価格買取制度が始まったのは2012年、この3年間で再生可能エネルギーを囲む環境は大きく変化しつつある。
 主な点を上げると、想定以上の太陽光発電の大量導入による消費者への価格転嫁、電力系統の逼迫、原発の再稼働、電力自由化の進展、長期エネルギー見通し(エネルギーミックス)の確定といったところであろう。・・以下詳細省略」
今は原発事故後6年も経過していて事故後のパニック的状況がかなり薄らいで落ち着いた状況ですから、この辺で原発稼動に関する冷静な国民意識を探る必要があります。
もしも現時点〜1〜2年前の世論調査をしないまま、5年前の活動家中心?の意見調査に基づいて「世論がこうだ」と大手新聞が断定しているとしたら乱暴でしょう。
メデイアのフェイク傾向?の続きを書いていきます。

蓮舫辞任の朝に朝日新聞が出したお詫びの記事


蓮舫辞任の朝に朝日新聞が出したお詫びの記事
「民進党の蓮舫代表が辞任した。昨年8月29日に「夕刊フジ」とネットメディア「アゴラ」で「蓮舫にまさかの二重国籍疑惑」という本格的な追及を始めてから、11か月でひとつの決着が付いた。
この問題の発端から、ほとんどのマスメディアは、ほとんどこの問題を報じなかった。それは現在でも続いており、テレビ番組でそれには言及しないようにいわれたり、原稿でもその部分をカットされたりすることは日常茶飯事だ。」
それどころか、蓮舫辞任の日の朝日新聞朝刊は、「訂正しておわびします」というコーナーで、二重国籍について、国籍法が努力規定であると間違えて記述した。正確には国籍法では国籍選択は国籍法14条で 選択義務があり、努力規定は選択した後の外国国籍の離脱についてが努力規定だけだった、とした。」
「そもそも、二重国籍はそれを認めている米国ですら、好ましいものでないとしている。
まして、世界中で、①その国の法律で許されない国籍のあり方だとか、②国籍についての経緯を公開しないとか、③うそをつく−−のどれかでもしたら政治家をやめるのが常識だ。それがすぐに実現しなかったのは、必要なしという国際感覚ゼロの自称リベラル知識人やマスコミの擁護があったからだと思う。
彼らは、二重国籍を糾弾することが人権侵害などといったが、インドネシアでもオーストラリアでも二重国籍の大臣や議員が辞任に追い込まれているのをどう説明するのか。」
以上のネット意見によると、朝日新聞始めメデイアは二重国籍解消は努力義務だから法令違反していないと(擁護)報道し、この基礎報道を前提にこれを問題にするのは、ヘイトスピーチの一種だという論調を左翼系文化人やメデイアは繰り広げてきました。
朝日新聞はこの論調の基礎になっていた重要な法令解釈を(故意に?枉げて)報道してきた部分だけ訂正するという記事です。
なぜ故意にマゲていた疑いがあるかというと、「努力義務かどうか」はちょっと文献に当たったり専門家に聞けば数分〜10分で分かる簡単なことを人材の揃った大手メデイアがあえて?サボっていたのは不自然すぎるからです。
専門家に聞かなくとも法務省のホームページをちょっと見ても「必要があります」と義務性を書いています。
http://www.moj.go.jp/MINJI/minji06.html
「日本の国籍と外国の国籍を有する人(重国籍者)は,一定の期限までにいずれかの国籍を選択する必要があります(国籍法第14条第1項)。」
国籍法を見ても14条は義務であり、努力義務の場合16条のようにはっきりと書き分けています。
国籍法
第十四条  外国の国籍を有する日本国民は、外国及び日本の国籍を有することとなつた時が二十歳に達する以前であるときは二十二歳に達するまでに、その時が二十歳に達した後であるときはその時から二年以内に、いずれかの国籍を選択しなければならない。
2  日本の国籍の選択は、外国の国籍を離脱することによるほかは、戸籍法 の定めるところにより、日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言(以下「選択の宣言」という。)をすることによつてする。
第十五条  法務大臣は、外国の国籍を有する日本国民で前条第一項に定める期限内に日本の国籍の選択をしないものに対して、書面により、国籍の選択をすべきことを催告することができる。
2  前項に規定する催告は、これを受けるべき者の所在を知ることができないときその他書面によつてすることができないやむを得ない事情があるときは、催告すべき事項を官報に掲載してすることができる。この場合における催告は、官報に掲載された日の翌日に到達したものとみなす。
3  前二項の規定による催告を受けた者は、催告を受けた日から一月以内に日本の国籍の選択をしなければ、その期間が経過した時に日本の国籍を失う。ただし、その者が天災その他その責めに帰することができない事由によつてその期間内に日本の国籍の選択をすることができない場合において、その選択をすることができるに至つた時から二週間以内にこれをしたときは、この限りでない。
第十六条  選択の宣言をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない。」

上記条文を見れば14条と16文言形式の違いから見て14条の義務性が明らかであるほか、これに反した時には日本国籍喪失の手続き→相応の法効果が用意されています。
努力義務ならば不利益な法効果があり得ないことになります。
条文に書いている義務の中に「努力義務か法律上の義務か」の区別があること自体を知っている素人は滅多にいませんので、(このコラム読者でもそんな区別で条文を見ていた人は滅多にいないでしょう)朝日新聞が「努力義務に過ぎない」と報道した時点で、相応の法律知識のある人のアドバイスがあったことは想像に難くありません。
蓮舫氏の二重国籍問題を蓮舫氏有利に展開する意図・・ちょっと調べたら分かることをあえて調べないで、努力義務に過ぎないのになぜ非難するのか?→ヘイトスピーチの一種に誘導することによって政治問題の決着が着いてから、あとで「間違ってました」で済ませば良いとした魂胆が疑われます。
慰安婦騒動も虚偽事実が世界に流布してしまってから、「事実の裏取り調査が不十分でした」で終りでした。
二重国籍の人が総理や国会議員になるのが適切かどうかの肝心の政治上の論点についても、人権問題にすり替えて偏った報道をしていた点についての謝罪・反省がありません。
リベラル派やマスメデイアは何か自己主張を有利にするために(中韓の色付けによる)国連報告などを援用してきましたが、都合の悪いことになると国際基準を一切明らかにしないことを秘密保護法案や共謀罪法案の頃に書いて置きました。
諸外国で許されていない二重国籍を野党党首が長年放置しているのは、努力義務違反か法令違反かの法解釈の問題でなく、国家主権・・ひいては国民の政治意見で決めるべき問題なのにこれをあえて(誤った)法的問題に矮小化努力してきたのです。
仮に努力義務かどうかが重要であるとしても、ちょっと調べればスグ判明するのにあえてこれをしないで「努力義務」→なんの違法性もない?→国籍を騒ぐのは人権問題だとすり替えて報道していた挙句、蓮舫氏が辞任表明したと同時にもはや彼女を擁護する必要がなくなった途端に訂正記事を出すなんて時期的にも政治的・偏向が過ぎる印象を受けます。
なぜ蓮舫氏辞任表明まで訂正しなかったのか?朝日新聞が「どの時点で努力義務ではないと知ったか」内部調査報告すべき重大な問題です。

自民族言語表現・文化の重要性4(近現代用語を日本に頼る中韓1)

ソ連では政府自身が何千万と餓死させながら穀物輸出して共産主義政権が大成功していると虚偽発表していましたし、中国も戦後「大躍進」と称して、実際には数千万〜5000万人の餓死者を出していたことが今になると常識になっています。
個人でも共通ですが、不都合・遅れている状況を隠すときに政府による虚偽発表→鉄のカーテンが起きる現象です。
上の道義が低いと下々もこれに倣います。
日本は古代から外来技術が入ってくるとマルゴト導入ではなく日本の在来概念を組み合わせて、それに適した言語を創設してきました。
蒸気船〜蒸気機関車、自動車、自転車、飛行機や航空母艦などがその1例です。
機械類に限らず新しい考え方・思想的熟語・社会の仕組みに関する用語、法律用語も同じです。
清朝の方が日本より数十年早く西欧に接していたのに、西洋の文物技術(新概念)をまともな漢字熟語に翻訳できていなかった事実から見ると、中国では・・漢字発祥の民族とは言え、多分先進社会用語を自民族で翻訳用語を創作する能力が、日本より低かったのでしょう。
文化格差が有り過ぎる場合、自民族用語に翻訳したくとも自国に高度な対応語がないので無理があります。
この点、日本では江戸時代から堂島には米相場があったし、手形取引も発達していたなどのほか藩札があるので紙幣の流通→両替(大阪は銀で江戸は金兌換ですから必然的に為替取引が発展しますし、遠隔地決済のために為替手形もできていました)もあるなどいろんな社会組織や制度が発達していた・学問的にもエレキテルの研究や数学や蘭学を通じて医学も発達していたなど有利な点があったでしょう。
文化格差があると自国言語に対応言語がない翻訳しきれない結果英外来語をマルごと導入しかなくなる・・西洋諸国でラテン語が約千年間も公用語であり続けた原因がここに有ります。
日本が幕末から明治にかけて欧米の近代用語をすべて自国の漢字熟語に変換して置けたのは、変換能力が高かった他にほぼ同水準の概念が国内にあったことにもよります。
他民族言語を自民族語に変換した歴史経験がない中国や韓国は日本の変換しておいた漢字熟語をそのままの流用で間に合う・自分で努力・創作する必要がなかったので効率が良かったし、英語圏に入らなくともなんとか現在社会がなり立っている状態です。
ただし韓国に限っては戦後すぐに7月20日に紹介したように、日本語のヒラカナに相当するハングル一本化してしまって、漢字教育廃止しているので、漢字をそのまま使えない不都合があると言われています。
専門家だけ漢字を使えば良いというのでは、それ以外の民度はどうなる?という疑問です。
公教育をやめても自発的に学ぶ意欲のある社会であれば別ですが、そうでないとその後漢字文化はジリ貧になって行きます。
7月20日に紹介したように、教育をやめてから一定期間経過すると漢字需要がなくなった結果・・新聞等のメデイアも漢字表記をやめてしまったと言うのですから驚きです。
漢字を読めない層が増えて商売ならない時代がすぐにくるのですから、?せっかく日本が統治期間に民度引き上げのために学校制度を普及させて教育して来のですが、朝鮮人の多くには、荷が勝ち過ぎていたのでしょう。
もちろん前大統領の父親のパク大統領のように、日本の教育制度に乗っかって(日本の士官学校出で日本陸軍での将校でした)頭角を現した人も一定率いますので、何回も書いているようにこのコラムではいつも比率の大きさを書いている・例外がないという意見ではありません。
韓国では漢字を日本文化と誤解して?日本敗戦後の優先課題としてすぐに漢字の公教育を廃止したのですが、その結果、すぐに漢字を読む層が商売にならないほど?消えてしまい、漢字を利用した新聞が成り立たなくなってしまった・・多くの国民が漢字教育に関心を持たなかった事実が重要です。
李氏朝の国家樹立後明や清の冊封体制下にあったとはいえ、独立性が高まった結果すぐに先祖帰りして行った流れが起きていたことと、日本敗戦後日本と交流を断固拒否していた間に7月28〜29日に紹介したように産業部門がどんどん落ち込んで行ったことを合わせて見ると外界からの半強制的学問や技術導入の流れがなくなるとすぐに元々の「地・民度」に戻っていく様子がわかります。
長いヤンパン支配下で、ヤンパンはエリート層として文字教育を受けていたでしょうが、それ以外の庶民が自発的に文字を習い考える気風が育たなかった土壌を見る思いです。
中国律令的価値観では、日本の武士ですら平安時代に描くところの裸足で歩き回る地下(じげ)人であって、このために江戸時代の朝鮮通信使は貴族層ではない武士を相手にするしかないと言って、(実態より形式重視)嫌がっていました。
以上は・・出典を記憶していませんが、小説か随筆か何かで読んだ記憶です。
日本の武士は鎌倉以来支配層として成長し、漢詩文の素養を積んでいましたし(太田道灌が恥ずかしく感じた故事)、江戸時代になると庶民まで子供を寺子屋に通わせたり芸事を習うなど自発的な文化吸収欲求の高い・・最下層で農作業現場系に関与する実務社会でも絶えざる自発的改良工夫の進む社会でした。
他方、朝鮮では、庶民には自発的な文字その他の文化を学びたい欲求が起きなかったのでしょうか?
庶民は文字による文化などを知りたいとは思わないし、社会生活上必要な工夫もしないで古代意識のまま生きて来たから民間から文化や技術が発達しなかったのでしょう。
日本統治になってからの朝鮮では、日本政府が庶民にまで学校に強制的に通わせたり、世界恐慌時に宇垣総督着任後には農村の窮乏を防ぐために学校にいけない子供には教育課程を緩くして学校に時間が空いて放課後に学校にくれば教える仕組みを作り出し農村教育では、「なせばなる」と言う徳目教育で農村で皆が集まって色んな農村の課題をみんなで考えさせたりした結果、とてもできそうもないように見えることでも、みんなで色々工夫して努力していると何とかなることが多い経験を積ませていた結果、徐々に自信を持ち成果を出すようになっていたと言われます。
せっかく身に付き始めた気風が簡単に先祖帰りてしまったのでしょうか?
大恐慌爺以降の記述は以下のとおりです。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/kankoku-hatten.html
「日本でも東北の農村では、農家のみならず、役場の職員、教員の給料が払えず、遅配、欠配が続いた。農家では自分の作った米を食べず、市場に出すため、ますます米の価格が低下し、売るものがなくなり、娘の身売りが続出した。この年9月に満州事変が勃発した。この原因の一つは、この農村の疲弊対策として、農民の移民先を求めたことである。
朝鮮の農民も自分で作った米は食べることができず、粟か稗しか食べられなかった。日本の農林省は「米の価格低下は、朝鮮米の無制限な移出が原因」と非難し、出荷の自粛を求めた。しかし他に有用な作物がない朝鮮では、農民の生活を維持するためには、高価な米を内地へ移出するしか方法がなかった。陸軍の応援で辛うじて米を自由に日本へ移出する事が認められたのである。
尚、この時期アメリカではフィリピンからの砂糖、椰子油の無制限な輸入に、アメリカ本土の砂糖や食料油の製造者が反発した。更にフィリピン労働者のアメリカ進出に危機感を抱く労働組合が同調し、フィリピンの十年後の独立が決定した。フィリピンの切り捨てである。日本とどちらが民衆の事を考えた施策だったであろうか。
「宇垣総督は着任後直ちに農村を視察し、農村振興運動をスタートさせた。日本における農村自立更正運動より僅かながら先行している。この運動で宇垣が最も主張したのは「心田開発」即ち心の持ち方であった。又宇垣に呼ばれ指導に当たった山崎延吉の指導理念は「奉公の精神、協同の精神、自助の精神」であった。セマウル運動との違いは奉公が勤勉に代わっただけである。」
「この文盲対策として1934年簡易学校の制度を発足させている。学校へ行けなかった青年に読み書き・算盤を教えるものである。生徒は農業の暇なときだけ来て、勉強するというやり方で、普通学校に併設し、普通学校の先生が兼務で教えたのである。」
以下明日に続きます。

消費者信用の拡大策7と破産新受件数推移

日本で個人破産が今後社会問題になるほど増えるかどうかは今後の様子次第としても、いずれにせよリーマンショック以降の経済では消費の動向が重要化していることから債務データ全体だけでは分からない、その一部である個人負債比率の指標性が高まっているように見えます。
従来経済対策としての金融緩和が、企業投資資金を潤沢にして投資活発化を狙ったものでしたが、平成に入った頃から消費の下支えや拡大効果を期待するようになっています。
この結果、金融緩和→消費信用拡大の流れが出来ているので、消費信用拡大自体を政府の失策であるかのように批判材料にしたり、消費信用利用者を白眼視するよりはそのコントロールが重要になってきました。
この失敗がサブプライムローンに端を発したリーマンショックだったというべきであり、消費信用拡大が一過性の「悪いもの」と見るのは間違いです。
お金持ちからゼロ金利で消費信用にお金を回すのは、いわば一種の所得再分配機能を果たしている面もあります。
総融資額の1割が仮にデフォルとするとすれば、全体として資産家層の回収が減る・その分の所得再配分が行われたのと同じです。
高齢者から孫や子供に贈与を進めて消費を促す贈与税軽減政策に比べれば、本当に困っている弱者の消費を助けたのですから公平性が優っています。
車が危険だからと禁止するのではなく、車の安全技術向上を図り、安全運転のためのルール整備や講習をして行くのが必要なのと同様で、消費金融も減りさえすればいいのではなく、如何にして飼い慣らして行くかこそが重要です。
日弁連や単位会が消費者教育の必要性を前提に、だいぶ前から中高校生を相手に出前講座を実施しているのは合理的な方向性です。
日本を先頭に先進諸国が超弩級(異次元)の金融緩和・消費拡大策をして来た結果、世界中で庶民の消費信用が膨れ上がって来た・・中韓等の将来性も企業債務だけ見ていると間違う時代が来たと見るべきでしょう。
金融緩和の効能から見ると企業は合理的ですから、いくら金利が下がってもあるいはマイナス金利でも販売増の見込みがなければ増産投資しません。
日本の車製造で言えば、トヨタやホンダが投資資金が不足している訳ではありません・・プラザ合意以降国内生産をこれ以上増やして輸出を増やしていけなくなった国際情勢があります。
国内需要で見れば車に限らず冷暖房機やブルドーザー・建機であれ、いろんな分野で増産投資は限界です。
「100万円借りて95万返せばいい」なら借りた方が一見得するみたいですが、借りた資金で出店したり新工場建設して商品の販売増が見込めないと借金元金の半分も返せないことがありますから、景気動向の見通しが悪いとマイナス金利で 貸すと言われても尻込みしてしまいます。
補助金行政はマイナス金利の行政版で、比喩的に言えば、初期投資資金の半分を補助してくれれば初期投資資金100%借りる場合に比べて借入金が半分で済む・・5割のマイナス金利だったことになります。
補助金行政が盛んだったのは、初期投資負担さえ何とかとなれば採算ラインが見込める成長経済時に「呼び水」として有効だったのですが、初期投資だけではなく稼働後のランニングコスト自体の赤字・恒常的赤字が見込まれる時にはこの手法では企業が手を挙げません。
福祉施設で補助金誘導が有効なのは、初期資金の多くが補助金でまかなわれれば、その後のランニング・運営は設備不足がまだまだ続くので心配がないからです。
このような流れの変化の結果・旧利権官庁が旧建設省や経産省から厚労省に広がったことになります。
経産省は国内補助金のさじ加減による産業育成よりは、日本企業の海外展開後援の方が重要になり、TPP交渉を見てもわかるように事実上海外経済交渉の本家になりつつあります。
農水省も長期間保有してきた補助金のバラマキ権限行使よりは、いかに日本の農業を守りそのためには逆に輸出していくかの、国際交渉の役割が増大しています。
何事も専守防衛・守るばかりでは現状維持すらできません。
政府はこれ以上の輸出増を見込めない以上は、国内消費拡大・内需拡大による産業活性化が必要になったので、補助金行政の市民版である商品券配布や1億創世資金として地方ばらまきをしました。
商品券の場合本来消費予定品を買うのに商品券を先に使ってその分紙幣を温存・貯蓄する人が多く全体消費が増えず不発に終わりました。
消費拡大にはまだまだ消費意欲はあるが、お金がなくて消費出来ない層に訴求するしかない→借金額を増やす方法→金利1割低下=債務額1割増まで消費しても支払額が同じですから金利低下による消費拡大を誘導するようになります。
政治が債務膨張を誘導して来たのですから、その目論見通りに庶民債務が増えたのは(政策が正しいかどうかは別として)政策の失敗ではありません。
この点消費者は企業家と違い単純で「一見お得」(その先のランニングコスト・・長期的にみて借金をふやして家計が成り立つかまで考えないで飛びつく傾向があります。
消費奨励と民度次第で詐欺的お得商法にひっかかる比率が違ってきます。
この視点で見ると、日本は世界の先頭を走る超金融緩和国ですが、7月10日に書いたとおり貸金業規制の変遷・経験を経ていることもあって?個人負債は中韓やアメリカの車ローンや学生ローンのように膨れがっていないイメージですが、私が知らないだけかも?と思って「破産増加」のキーワードで検索してみました。
検索してみると、NHKの「クローズアップ現在」に以下のようにセンセーショナルなフレーズで取り上げられていることが分かりました。
www.nhk.or.jp/gendai/articles/395
2017年4月12日(水)若者もシニアも破産急増!?銀行カードローン
  ゲスト 宇都宮健児(弁護士)
  ゲスト 飯田泰之(明治大学准教授)
  武田真一・田中泉 (キャスター)
・・・・国の規制改革推進委員として、銀行の実態にも詳しい飯田さん。
この問題の背景、どう見ている?
飯田さん:もともとの数字を確認すると、10年前に比べまして、消費者金融会社の貸付が10兆円減少して、そして銀行系のカードローンが2兆円増加したということですので、この消費者向けの無担保での貸出、マーケット自体はかなり小さくなっているんです。」
上記表題では「いかにも大変な事態になっている」かのようなイメージですが、内容は大分違っています。
内容にきっちり別の意見を書いていれば、「デマ報道でない」というメデイアの狡い報道の仕方がここにも見受けられます。
大方の人は忙しいので、週刊誌等の表紙など見て終わり・・最後まできっちり読む人は滅多にいない結果、・・私も内容まで読む暇がないので、破産が急増してるらしいという方向で描こうとしていたのですが、ちょっと時間が出来たので念のため内容に入って見たところ内容はこんな程度した。
実際政治では、大見出しの印象操作効果は抜群です。
そこで、その他メデイア報道がどうなっているかを見ると、東京新聞や朝日新聞がすぐ出てきますが、その他メデイアでは取り上げていないのか出てきません。
ただし、東京新聞も朝日も「破産急増」ではなく単に「破産増」だけの題名ですからNHK報道の意図性?角度付けが突出している印象です。
何のために根拠もないのに「急増」と報道しているのか不明です・・・。
NHKや朝日新聞は明るい話題は気に入らない傾向が見えます。

消費者信用の拡大6(金利の重要性)

ローン金利を「変動金利ではなく固定金利にしていれば大丈夫」という意見もあるでしょうが、個々人ではそうでしょうが、仮に100%のローンが固定金利で銀行だけが逆ざやで損をするようなうまい話が実際に成り立つでしょうか。
3〜4日あるいは逆ざやになるのが融資量の1%くらいならば銀行もヤリクリできますが、融資量の100%が逆ざやになれば金利収入がなくなるのですからたちまち倒産です。
固定金利客が2〜3割しかないなくても(この場合7〜8割の債務者の人が変動金利約定→相場通り金利が上がることになります)逆ざやで1年も2年も続く見込みでは2〜3割もの逆ざやを抱えていると業績不振で大変なことになりますし、他方で債務者の7〜8割の人にとって金利急上昇し、その何割かの債務者が払えなくなると不良債権が増えてこの面でも大変です。
もちろん住宅ローンの7〜8割が変動金利契約の場合、金利上昇すると余裕で払っていた人もギリギリになり(一般消費縮小で不景気になります)ギリギリで払っていた人などが払えない事態が起きたら大社会問題になります。
政府がローン債権を金融機関から全額買い上げて、ローン債務者に全額免除してやれば全てなかったことになります。
その資金は国際金利相場無視でゼロ金利国債を発行し日銀に引き受けさせてそれに当てれば財源は無制限に出来ます。
ただし財源を金融機関救済や特定債務者のために使うのか・・不公平だと大騒ぎになるでしょう。
文句を言う人の債務も救済してやれば文句が出ないので、結果的に国民全部が無借金・無債務になるまで全部救済したらどうなるでしょうか?
中小企業の賃金支払い債務も病院へ医寮費・病院従業員や業者への支払いも全部政府が代わって払ってやる・・スーパーでの買い物代金もスーパーの仕入れ代金も・・従業員の給料も何もかも全部払ってくれれば公平ですが・・公平というか(悪)平等になるとどうなるかです。
もしも何もかもみんな政府が肩代わりしてくれるようになると・・モノやサービスの代金が何のためにあるのか?紙幣って何のためにあるのか訳がわからなくなります。
自分の義務・・電車賃もコーヒー代も全てネット決済については政府が肩代わりしてくれるようになると、何のために頑張るのか?「価値とは何か?」と言う根源に打ち当たります。
「こんなバカなことが起きたら・・」という想像自体、私のようなバカな人間しか思いつかないでしょうが・・。
全て政府が払ってくれる社会・債務帳消しが増えるとモラルハザードになると言われますが、国民全員の債務をすベて政府が肩がわりする理想的な?社会が実現すると努力の元になる貨幣価値取得動機がなくなってしまうことは明らかでしょう。
現実にこれの小規模実験しているのが生活保護受給者です。
一応最低生活なので肩身が狭くここからの脱出願望があるだけまだマシですが、それでも何をするにも無償なので乱診乱療等のモラルハザードが起きる他に生活保護脱出意欲を失ってしまうなどモラルハザードが心配になっています。
生活保護受給権は法で認められた権利である・・したがって何の遠慮もいらないので堂々と権利主張すべきという主張が多いですが、法で認められている以上は「権利」に違いないでしょうが、自分が働いた対価を得る権利と違い、社会保障政策として受給権が認められたに過ぎない権利は、本来の意味から見れば亜流の権利です。
権利行使とは言っても亜流の権利であることを自覚してある程度の遠慮があってこそ、脱出努力も生まれるのではないでしょうか?
全国民の受給権としてすべての国民が全ての債務から免除されるようになる・・国民全部に行き渡ると肩身が狭い心配もなくなり、全員が働く意欲を喪失しかねない・・国内総生産がどうなるかの問題です。
文字通り お金に換えられないものだけ(実際どう言う言うものが残るのか?)が「価値のある」社会になっていくのでしょう。
食料品に限らずすべての分野で国に肩がわり支払いしてもらうシステムになると、古来からの交換経済システム自体が消滅しますし、(ひいては供給システムで働く・・自己の労働や努力の対価は意味がなくなるので、みんながまともに努力し働かなくなってしまうと、社会がどうなるかに直面します。
ほとんど全部の国民が働かなくなる→生産低下→供給システム崩壊→国際収支が大赤字になって輸入ができなくなる→生活水準大幅低下が待っているでしょう。
住宅ローンやクレジット残高拡大は個人の問題ですが、これを国家規模にしたのが日銀の国債大量購入・市場性のある債権等の大規模購入問題です。
国債大量購入の場合、発光体はいくらでも買ってくれるので支払いの心配がない上に、保有国債の金利が市場で上がりそうになれば(債権相場下落)日銀自身が金利を決める権利があるので「上げなきゃいいんだ・大丈夫」と思っているでしょうが、エコノミスト・国民はそれを際限なくできるのかを心配しています。
世界中の国債金利が上がり始めても最後の最後まで日銀がゼロ金利維持のために日本国債を買い支え続けるのが可能か?でしょう・・海外保有者から売り浴びせを受ければ日銀はいくらでも円を刷れるので発行済国債全部を買い占めることも可能です。
日銀が市場から国債を買うと同額分の紙幣が市場に出回りますが、例えば100億円で国債を売った企業は現金百億を持っている訳に行かないのですぐに何かに投資するか当面の置き場所として換金性の高い預金・証券その他何かに換金するので他の債権等の相場が上がります。
日銀が直接証券市場で買い支えて相場に介入しなくとも間接効果があります。
マンションやビルを買う資金に使うにしても、金融機関経由で代金で支払った紙幣が日銀に還流して行くので、言われるほど紙幣が市場に溢れることはありません。
国民の債務肩代わり同様に日銀券を大量発行して証券市場で新株発行を直接引き受けたり既存株式を買い占めたらどうなるでしょうか?
株式相場が成り立たなくなるというか、高値安定して民間企業の実力を反映しなくなります。
悪平等が個人おモラルハザードを起こすように企業価値の採点表・温度計である株式市場や債権市場評価が機能しなくなります。
個々人の債務を政府が全て払うようになると個々人が何に価値目標を置いていいのかわからなくなり生きる目標をなくすように、企業人も市場評価がなくなると、指標をなくして困るでしょう。
※追記7月16日日経新聞5pには、この点の主張のはしりが出てきましたので追加記載しておきます。
日銀買い支えの結果国債相場が動かず、権利変動がないと銀行間の短期先物取引もなくなりディーラー失業の危機を書いています。
平和なときにも軍の訓練がいるように、イザとなったときに相場を読む取引のプロ・・戦士がいなくなるリスクを書いています
政府が国債発行によって全て肩代わり支払いしていくと将来的には上記の通り社会が停滞縮小していくしかないでしょうが、そんなことが出来るのは、国際収支黒字の範囲が限界でしょう。
日本だけがゼロ金利でなり立つのかは日本の長期的な国際収支次第(・・金あまりか不足国かの基準)であることを何回も書いて来ました。
この限界が来たときに長年指標無関係で生きて来た日本人が普通の経済活動に移行出来るかの疑問です。
資源・リン鉱石に頼っていたナウール共和国が、これがなくなってどうにもならない状態に陥った例を何回か紹介してきました。
日本で個人破産が今後社会問題になるほど増えるかどうかは今後の様子次第としても、いずれにせよリーマンショック以降の経済では消費の動向が重要化していることから債務データ全体だけでは分からない、その一部である個人負債比率の指標性が高まっているように見えます。
従来経済対策としての金融緩和が、企業投資資金を潤沢にして投資活発化を狙ったものでしたが、平成に入った頃から消費の下支えや拡大効果を期待するようになっています。
この結果、金融緩和→消費信用拡大の流れが出来ているので、消費信用拡大自体を政府の失策であるかのように批判材料にしたり、消費信用利用者を白眼視するよりはそのコントロールが重要になってきました。
この失敗がサブプライムローンに端を発したリーマンショックだったというべきであり、消費信用拡大が一過性の「悪いもの」と見るのは間違いです。
お金持ちからゼロ金利で消費信用にお金を回すのは、いわば一種の所得再分配機能を果たしている面もあります。
総融資額の1割が仮にデフォルとするとすれば、全体として資産家層の回収が減る・その分の所得再配分が行われたのと同じです。
高齢者から孫や子供に贈与を進めて消費を促す贈与税軽減政策に比べれば、本当に困っている弱者の消費を助けたのですから公平性が優っています。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC