基本的人権と制約原理6(ヘイトスピーチ規制1)

いわゆる在日特権論に対して「行政は公平に運用している」「特権などない」というのは、理論的にはその通りでしょうが、在日批判者が言うのは「法的特権」ではなく「事実上の運用上の特別優遇」を言うのですから、噛み合っていません。
「在特会」が知られるようになったきっかけとなった京都の朝鮮人学校の公園占拠問題も、行政が特に許可したわけではないから、法的権利を付与したわけではない・特権付与ではないが、大目に見てきたという「事実上の優遇」が目に余っていた現実が白日の下に曝される効果がありました。
そのやり方が激しすぎたので「違法評価されて」巨額の損害賠償支払いを命じられましたが、国民的注目を浴びた結果、朝鮮人学校による公園の事実上独占使用状態が終わりました。
メデイアは暴言批判一色でしたが、在特会の主張自体広く国民支持を受けたように見えます。
政府批判であれば「日本シネ」のアッピールの場合、表現の品位について批判が一切なく、訴えようとしている保育所不足に焦点を当てて野党の得点にしているのに比べて、在日の日本社会に対する問題では、国民が不満に感じている問題を掘り下げ報道を一切しないのは不自然です。
在日が日本人同等に窓口で保護されていないならば、目に見えない差別解消に努力すべきですが、日本人でもしないような権利以上の行為・・共用物を事実上独占使用するなど目に余る行為を繰り返していることを指摘したならば、表現方法に対する批判に終始しないで、本来の国民不満を掘り下げるべきです。
「弱者に優しく」という基本精神が日本にはあるので、結果的に在日系が弱者として優遇される傾向が生じ、一方ではそれに遠慮しながら感謝するのではなく、既得権益のように日本人を排斥するかのように振舞っていることに対する不満ですから、形式論では解決しません。
公園不正使用にとどまらず、事実上の優遇しすぎがあちこちで目立っていないか?・・鬱積された不満が広がる導火線になったのが在特会の過激行動だったようです。
在日系犯罪の場合でいえば、目立たせないような配慮からか?在日とわからないようにするためにか、実名報道しない慣習になっているのも、結果的に「第4の権力」と称されるメデイア界が事実上優遇をしているように見えます。
弱者優遇精神・・隠蔽保護の結果、在日の犯罪率、生活保護受給率が高いかのようなデマ?が広がるのですが、日本もアメリカがやっているようにいろんな分野の統計でドイツ系フランス系、日系という出身国別の発表をした方が却って透明化し、根拠ない憶測・思い込み批判を防げると思います。
公表されていないと思い込んでいましたが、真偽不明ですが、特別入手情報?として以下の通り公開されています。
http://taiyou.bandoutadanobu.com/?eid=1235636

2017.01.10 Tuesday
外国人犯罪問題に積極的に取り組んでいる自民党衆議院議員の長尾敬先生のご協力で、今回総務省からは世帯数を、厚労省からは生活保護受給世帯数を、最新の平成27年7月段階の数値で国籍別に入手することができました。
この数値は未だメディアには出ていませんので初公開です(^o^)

                      

生活保護は個人個人ではなく各世帯ごとに受給していますので、国際結婚家庭の場合はその世帯主の国籍で分類されています。
何故かまったく非公開の「在日」外国人検挙情況の総検挙件数と総検挙人員数
(同じく平成27年データ、28年公表。ご協力は衆議院議員長尾敬先生)↓

                        

なぜ非公開なのか?については、みなさんから警察庁に直接聞いてみて下さい。
(警察庁意見箱 https://www.npa.go.jp/goiken/)
うち在日人口の7割を占める「特別永住者」は外国人の身分のまま代々世襲でその滞在を認められ、殺人を含めたいかなる犯罪によって検挙されても唯一退去強制処分がない特別なご身分。
強制送還がないので再犯者が濾過されないという在日特権の悪影響が、在日韓国朝鮮民族全体の不名誉につながっています。

基本的人権制約原理6(兵役納税の義務2〜ヘイト規制)

外国国旗損壊罪も外国の気を悪くしないように刑事罰の対象になっていると言う解説を信用するとしても、国民の人権侵害がないのに集団利益を守るための刑罰が許される一例になります。
基本的人権は「人類普遍の原理」と宣言する以上は、世界中に通用する原理でなければならないはずですが、兵役拒否罪は人権と人権の衝突場面でないのに刑罰に処して人を拘束し苦役を強制するのですから、個人人権より優越する法原理を持つ国が多いことを示しています。
憲法学者こぞって?集団自衛権反対にこだわる背景は、戦後の天賦不可譲の基本的人権論の基礎が崩壊する点にあるのかもしれません。
韓国で今年の6月28日に良心的拒否を処罰するのは、憲法違反と言う最高裁判決が出たようです。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/07/post-1052

2018年7月3日(火)15時30分
エホバの証人」投獄は違憲と韓国憲法裁判所 良心的兵役拒否は基本的人権の一つ
Jehova’s Witnesses in South Korea Are Imprisoned
韓国の憲法裁判所は6月28日、良心的兵役拒否者を処罰することを定めた兵役法の条項を「違憲」とする判断を下した。
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2013/07/15/0200000000AJP20130715001100882.HTML
2018年 07月 09日(月)
「良心的兵役拒否」による収監の92%が韓国人
2013/07/15 11:29 KST
【ソウル聯合ニュース】全世界で宗教的信念を理由に軍入隊を拒み投獄された人のうち、9割以上が韓国人であることが分かった。
国連人権理事会(UNHRC)が先月3日に発刊した報告書によると、世界各国で宗教・信念などを理由に軍入隊を拒む「良心的兵役拒否者」として刑務所に収監されている人は723人に上った。
国籍別では、韓国が全体の92・5%に当たる669人で大部分を占めた。
次いでアルメニア人が31人、アフリカ・エリトリア人が15人、トルクメニスタン人が8人と続いた。
また報告書は、徴兵制と代替服務制を併用し2011年に徴兵を暫定的に中断したドイツでは、過去50年間に代替服務を通じ271万8360人の若者が約3万7000カ所の社会福祉施設や慈善団体で働き有益な活動をしてきたことを自国の人権委員会が評価したと強調した。
さらに、各国は代替服務機関を軍服務期間の1.5倍を超えないように定めたり、同じくするなど差別を撤廃する動きを見せており、ウクライナとグルジアでは代替服務者にも市民として同等の権利を保障していると紹介した。
上記の通り、徴兵拒否処罰禁止はエホバの証人という宗教信条との相克として諸外国では無罪になっているようです。

日本のようにそのような宗教のない国ではどうなるのでしょうか?
また、無罪運動はセットで服務制度を求めていることから分かるように、前提として国民には国防に参加する義務があることを前提にしています。
人権の衝突もなく、道徳にも反しないのに、なぜ犯罪者扱いされるのか?ということが私の疑問であり「特定宗教信者であれば【良心的拒否者】として例外的に許される」と言う信仰の自由次元の問題ではないはずです。
人権が天賦不可譲・・・憲法以前の普遍的権利だと言うように義務にも組織の一員である限り国防に参加するのも納税義務同様に「天賦不可譲」の義務と言うのでしょうか?
こうなってくると「天賦不可譲(国家社会成立前からある人類普遍の原理)の人権論」は世界で日本だけの特異な学説かもしれません。
昨日紹介した甲斐素直氏の説明で補完説として説明される「パターナリズム」(後見保護的機能?)でもカバーしきれません。
納税義務や国防の義務〜内乱罪や 兵役拒否罪やスパイ罪などは、人権の衝突や道徳律だけでは説明できません。
人権制約原理として、「組織維持に協力する義務」を認めるしかないのではないでしょうか?
ところで人格的利益説〜道徳論によれば、誹謗中傷は不道徳ですから人権の枠外となりますので、許されないとなっていますが、一方で名誉毀損ではなぜか、民事刑事ともに集団に対する誹謗は対象にならないと(我が国独自の学説のようですが、詳細不明です)学説上決まっています。
名誉毀損に関するウイキペデイアの記事からです。

対象の特定可能性
名誉毀損が成立するには特定人に対してなされたものであることを要し、「東京人」や「関西人」のように単に漠然と集団を対象としても名誉毀損は成立しない[32]。これは刑事名誉毀損の場合と同じである。
本人に直接言及しない場合だが名誉毀損が成立する場合がある[33]。

慰安婦騒動や南京虐殺などの主張が事実無根?とした場合でも、日本民族や国に対する名誉毀損にならないという論理がどういう根拠か「常識でしょう」という決めつけで決まっています。
だからやりたい放題言いたい放題(南京虐殺の被害数字がいくらでも膨らんでいくなど)になり、これを事実上支持するかのようなイメージ報道が広がるような印象です。
「じゃ倍返し」だと嫌韓運動が始まるといきなり「ヘイトスピーチを許さない」となるので不思議(ご都合的な印象)に思う人が多いでしょう。
少数者に対する攻撃だから、「反論できないから」可哀想でないか?というようですが、米国では日本人は少数者ですし韓国でも同じです。
韓国や米国で慰安婦像を設置して日本人に対して嫌がらせするのは、表現の自由で問題がないというのですが・・・。
ヘイトを理由に表現を制約する原理(があるとすれば)は新たに生じてきた難しい問題です。
ヘイト禁止の要件は国によって違うとしても、ヘイトというのは他民族に対する憎悪表現が基本ですから、韓国人の慰安婦問題提起は対日憎悪感情でやっているのではないが日本人は「兼韓」というように「憎悪感情でやるから違法なんだ」となるのでしょうか?
それならば日本でも、「憎悪感情をむき出しに」しないで韓国人の悪行を暴くだけならば(それが事実にあっていなくとも?)有る事無い事でっち上げて批判していても、表現の自由で構わないのでしょうか?
靖国神社に対するデモでは、天皇陛下の顔写真を引きのばしたプラカードに竹槍みたいなもの?を突き刺してデモしている様子が出ていましたが、(ちらっと見た記憶ですから正確ではありません・・総理大臣の顔もあったようですが)これが表現の自由で許されて日本人が韓国大統領の顔写真に竹槍を突き刺してデモするのはヘイトになるのか?の疑問です。
多数派/強者は自制すべきと言うことでしょうが、少数派・弱者だからとエスカレート始めると・・消費者は情報弱者→クレーマーのモンスター化同様で、いわゆる弱者ビジネスが許されるか?の疑問が起きてきます。

袴田再審高裁決定6と報道

1年足らず前のことですが・・・町内会で野良猫繁殖防止のために有志グループが捕獲して避妊手術をする運動に自治会から避妊手術費の一部助成するかどうかが議論になった時に、「そもそも動物だからと言って避妊強制が許されない」という(人道的?)意見が出たことがあります。
その後避妊手術済みの猫(何匹もいます)に対しては、有志グループが責任を持って近所の公園で餌をやり、糞の始末もすることになっているので、猫らも可愛がられているのが分かったのか、(もともと4〜5匹が自由に出入りして気ままに昼寝していましたが・・以前に増して)気楽そうに我が家の庭に出入りしています。
晩秋、落ち葉の季節に私が掃き集めている落ち葉がある程度集まると(朝日が当たって暖かいらしく)落ち葉の上にお座りしてチリトリでゴミ袋に取るまで私の掃除を見ていることが増えました。
平成の初めから、ゴールデンレトリバーを飼っていましたが、そのころ、庭で芝生の草むしりをしていると、傍にいる犬が芝生以外の草を選んでくわえて一緒になって引き抜く真似ごとをしていたのを微笑ましく見ていたものです。
野良猫でも毎日庭に出入りし、私の庭仕事を見ていると「近所付き合いみたいなもの?)何か役に立たないと行けないかな?と思うようになるようです。
主義主張に戻りますと、特定立場の主張をしたいならば「社会の公器?」としての役割を降りて、特定思想集団としての意見発表するのは自由です。
古くから無政府主義者がいますし、(・・政府がなくてどうやって秩序を維持するのか不明・・刑事罰などを当然否定するのかな?・・・その代わり自分の生命・権利は自分で守れ→強い者勝ちを理想とするのかな)アメリカでもモルモン教徒やベジタリアン、中絶反対、ドイツの緑の党など極端な主張をする集団がいろいろありますが、それぞれ自己の主張が正しいと思うならば堂々と自己の主張立場を明らかにして論争すべきです。
朝日新聞は、今になると表向きの立場とは違って実質的な自己主張・.依って立つ立場がはっきりして来たように見えますが、(主張がはっきりしてくるとこれに対するコア支持者しか購読しなくなるのでしょう)それでも表向きは、中立であるかのように装ってごまかそうとするので「ズルイ」と批判されるようになったと思われます。
「証拠の有る無しに関わらず刑事処罰を全てなくすべき」という社是ならば、そう主張すればいいことですが、袴田再審開始取り消しの高裁決定に対しては、高裁裁判の途中経過の具体的論評を省略して如何にも「結果が不当である」かのようなイメージ表現で裁判制度の信用を貶そうとしているのはずるいやり方です。
すなわち郷原氏の6月20日引用の朝日新聞の意見は
「この決定に至るまでの経緯は、一般の市民感覚からすると理解しがたいことばかりだ。」
と意味不明の「市民感覚」を持ちだして批判しています。
訴訟経過を批判したいならば「市民感覚」という意味不明の決め付け」ではなく、具体的事実経過を示して「ここが納得できない」と具体的批判根拠を指摘すべきでしょう。
朝日新聞は「自分はエリートだ・・庶民相手に訴訟経過の不当性など説明しても庶民にわかる筈がない・.結論だけ示せばよい・・革新系政党のスローガン政治「ダメなものはダメ!」とか「少なくとも県外へ!」などと同じ発想ですが、朝日も同じエリート思想によっているのかもしれません。
あるいはまともな論評能力がないので、このような根拠のない主張に逃げているのでしょうか?
高裁決定書を理解できないならば、決定要旨そのまま報道すればいいのですが、肝心の決定要旨をそのまま引用をしない・・詳しくは有料記事で・.というスタイルで、無料記事は「市民感覚」よる批判ばかりです。
慰安婦問題も同様で、「強制か否かに関わらず売春制度自体が許せない」「あるいは世界の売春婦はよいが、日本の売春婦だけ批判したいのだ」というならば、そういう政治立場を明らかにした上で主張すれば良いことです。
軍の連行があった→性奴隷かのように(フィクションに過ぎない吉田調書が出ると報道機関として必須の事実裏付を取らずにあたかも事実かのように大規模報道していたのは、中立の報道機関の行為とは思えません。
「朝日ともあろう会社がまさか裏を取らずに大規模報道しないだろう」という信用が慰安婦騒動の「ことの始まり」でした。
静岡地裁の袴田再審開始決定に関しては、朝日新聞の慰安婦報道同様に科学者に対する信用を利用してずさんな?実験論拠?を提出して異様な鑑定意見を出したところ、地裁では大学教授の肩書きを信用して?実験経過を厳重チェックせず・・・・地裁段階で検察による緻密な反論がなかったのか?あったのにこれを軽視した結果か不明ですが、(全記録を見れば明らかでしょうが、私は記録を見ていないので不明です)その鑑定を採用してしまった所に端を発している点では似た展開です。
メデイアに限らず先人の信用を悪用(まさか「実験していないのにした」という「虚偽報告をしないだろう」という信用)した研究成果を装った科学分野の発表の罪深さ・各種分野で先人の築いた信用利用による検査偽装.会計偽装等が横行しているのが最近の風潮です。
いろんな分野で商品品質の逐一検査するのでは、社会が回っていきませんので一定資格者による自主検査を信用して公的検査省略が普通です。
この信用を悪用する事例・・今朝の日経朝刊13p他にも新事例・・日立化成検査不正や三菱モルガンの国債相場操縦などが出ています・各種分野で目立つようになってきました。
この機会にメデイアに限らず、科学者の世界でも先人の築いた信用利用に・教授等の名の知られた人が発表する以上相応の実験を本当にしたものと信じる習慣を利用して「根拠を欠いた発表」が横行している現実について、紹介しておきたいと思います。
この点は三越の長年の信用を悪用した三越(板倉社長)事件や、だいぶ前の姉歯事件の建築設計の偽装事件、近年では横浜のマンションの傾き事件、免震ゴムの品質偽装事件、神戸製鋼や富士重工などの工業製品の検査偽装などと根っこは多分同じでしょう。
会計分野ではエンロン事件以降、直近では東芝問題等々会計処理の問題性は周知の通りですが、一応監査法人等が存在します。
我々弁護士会でも懲戒システムが完備しています。
弁護士の信用を利用した方が裁判所も仕事がスムースなので、破産再生等では弁護士申し立て事件では、調査簡略化してしていますが、弁護士がその信用を悪用して不正をすると弁護士全体の信用に関係する・・システム運営上大変なことになり、相応の懲戒を受けます。
公共放送で公正性を担保するために放送倫理委員会があるようですが、新聞にはそういう仕組みがないどころか「表現の自由」は、「人権の中の人権」という宗教論のような主張が憲法学界で根強いことから、報道に対するあらゆる批判がタブー視されてきました。
その是正は「言論の自由市場」によるというのですが、テレビ、ラジオ、出版界は大手寡占市場ですから、(自費出版ができる以外は)実は本当の「自由市場」がなかったのにごまかしていたのです。
メデイア界全体で同じような不正虚偽報道または虚偽報道まがいの紛らわしい報道をしても同業者が等しくやっている限り、競争原理が働きません。
平成に入ってから、ネットによる情報発信が可能になったので、情報発信独占にあぐらを掻いていた大手メデイアの情報支配・独占が崩れてきました。
今回高裁で否定された鑑定意見の問題点・高裁の指摘がある程度事実とすれば、大学教授が権威に胡座をかいて不正な研究発表をしていても、大学の教授会やその教授の属している専門学会の自浄作用に委ねて置いて良いかの疑問が出てきました。

メデイアと学者の煽り6(5・15〜2・26事件へ)

騒ぎが大きくなると民意に関係なく総辞職する方式は戦後も続いてきましたが、戦後は内閣総辞職しても野党が選挙で勝たない限り、政権が野党に変わらない点が戦前との大違いですが、社会党以来の野党が未だにこれをやっているのが不思議です。
政策論争をしないで揚げ足取りをすればするほど支持率が下がる・・今回の「森かけ騒動」でも今後どこまで真相に迫るか・・そもそも役人亜y政治家が総理やその妻の意向を忖度して最良の範囲内で動くことがどういう政治責任あるのか?という基本的意味についての意見が伝わってきません。
例えば総理や社長がきたら法(社内ルール)で接待方法を書いていなくとも法令違反しない限度で最大の待遇を敬意を持って接遇するのが普通ですし、社長や上司がこのプロジェクトを推進したい、あるいは否定的意向があると思えば、(顔色を読んで?)部下がその方向で調査するのが普通です。
調査等の担当者が不正を働いたかどうかが次の問題であって、その場合でも総理が自ら発言したのではなく周りが勝手に総理案件(私の事務所の客でも勝手に私の好物だと思ったと言って手土産を持って来るひともいます)と誤解している場合もあり、総理の知らないところで忖度して行われていることに総理の責任があるかはまた別の問題です。
今回総理案件と周辺が気を利かしてメモしていたとしても、社長が工場視察に来た時に受け付けの人が気を利かして、すぐに最上級の応接室にとおして最良のお茶を出しても汚職でもなんでないのと同様に、総理案件と思ったとしても審議会等の手続きを経て決まって行った過程でどこに法令違反があるかの事実が重要です。
このような手続きのどこに違法があったのか?違法がなくとも「総理の希望がこの辺にありそうだ」と周辺の引き継ぎ的メモがあったこと自体が総理の責任というのか論点がはっきりしないイメージです。
「忖度=違法行為があったはず」というだけではあまりにも論理に飛躍がありすぎます。
昨年の総選挙前から内閣支持率が下がったと報道されましたが、せっかく攻撃している方の野党の支持率は一向に上がりませんでした。
昨年の選挙結果を見れば、メデイア界の期待を民意のように誤報道・煽り報道していたことになります。
55年体制後の社会党は、揚げ足取りで政策停滞を求めれば求めるほど政党としての信用を落として長期低落傾向になりました。
自民党内閣が何回も総辞職しているのに最大野党の社会党支持率が下がる一方だった事実=国民が総辞職の原因について与野党政権交代すべき争点でなかったと考えていなかったことがわかります。
戦後高度成長期には「昔陸軍、今総評」という標語が普及していましたが、メデイア界は戦前は軍部意向・・虎の威を借る代弁者であり、戦後は占領軍の意向に従い、講和条約後は左翼文化人や総評・中国・ソ連方向ヘ、ソ連崩壊後は中韓支持へと「回れ左」して来たのがメデイア界です。
日米開戦の時も日米軍事力格差を知っている軍部は簡単に応じませんでしたが、政治の力に押し切られて「1年程度なら持ちこたえて見せましょう」と応じたエピソードが知られています。
ちなみに軍部と言っても国際情勢に目配りし総合判断の利く人材もいますが、血気にはやり総体的視野のない人材が軍部内で力を持つようになっていたことが軍部独走の原因です。
極論を外部から応援して煽ったのがメデイア界です・天皇機関説事件もメデイアさえ外野で煽らなければ政府は一人くらいの跳ね上がり過激派議員質問など相手にしないで終わった事件でした。
満州事変(1931年〜)支那事変(1937年・昭和12年の盧溝橋事件に始まる)で政府の不拡大方針無視で現地関東軍が戦線をどんどん拡大して行った原因は、日露戦争以降、国際情勢無視で勇ましいことを言う運動を「民意」と称して煽っては慎重派政治家を次々と失脚させることが連続して行った結果、軍部による政府方針無視の風潮を生み出して行ったからです。
メデイアが総合判断の出来ない過激派(一定レンジ内の能力では秀才?)を長年かけて世論を煽って持ち上げてきた結果、若手過激(総合判断の利かない秀才?)派が増長した結果が出たのが、5・15事件(昭和七年・1932年・海軍軍縮交渉不満を理由とする若槻内閣総退陣→次期犬養総理の襲撃)や2・26(昭和十一年・1936年・大恐慌背景の君側の奸を撃つ?)事件でした。
いずれも一知半解の未熟な青年将校の行動でしたが、物事の根本を理解できない・知的階層としては外れ者の意見による運動であった点では、日露講和条約反対(7博士意見書)の動きと根は同じです。
すなわち、第一次世界大戦後戦場となった欧州では、平和を求める動き→軍縮交渉が世界の流れとなっていたばかりか、無駄な軍事費を削り民生費に投入することは外見上一等国であっても内実が弱い日本としては、最も必要としていたことであり、軍職交渉自体は日本にとって有利なことでした。
日露戦争以降日本は戦争には勝ったものの経済的に疲弊に苦しむようにになっていたことを紹介してきました。
(レーガン大統領によって軍拡競争を仕掛けられてソ連が崩壊したように、総力を挙げての軍拡競争には日本は米国についていけません)
2・26事件でいえば、三陸大地震と世界大恐慌による経済失速が背景でしたが、当時世界大恐慌にもっともうまく適応していた高橋是清蔵相殺害などを見れば、これも複雑化した金融理論その他経済原理無理解のまま「君側の奸」を排除すれば解決するという古色蒼然たる概念に酔いしれた単細胞将校が自己の能力限界を弁えない過激行動を起こしたに過ぎないことが分かります。
日露講和条約をまとめた小村寿太郎や彼を推挽した伊東博文は帰国時に迎えに行って自分が暴徒に襲われる覚悟であったとどこかで書かれていますが、当時の国民はそこまで実行するほどバカでなかったことがわかります。
ウイキペデイア・ポーツマス条約に出ている全権大使小村寿太郎決定時の記述です。

結局、日向国飫肥藩(宮崎県)の下級藩士出身で、第1次桂内閣(1901年-1906年)の外務大臣として日英同盟の締結に功のあった小村壽太郎が全権代表に選ばれた。
小村は、身長150センチメートルに満たぬ小男で、当時50歳になる直前であった[10]。伊藤博文もまた交渉の容易でないことをよく知っており、小村に対しては「君の帰朝の時には、他人はどうあろうとも、吾輩だけは必ず出迎えにゆく」と語り、励ましている[11]
小村寿太郎に関するウイキペデイアの記事からです。
帰国時には怒り狂う右翼団体からさまざまな罵声を浴びせられ、泣き崩れた小村を両脇から伊藤博文と山縣有朋が抱えて首相官邸へ連れて行ったという。
また、日比谷焼討事件や小村邸への投石など暴徒化した国民の影響で、妻のマチは精神的に追い詰められ、小村は家族と別居することを余儀なくされた。

今の中国やロシアで政府が国際合意をしたことに対する反対運動が起きて、それが暴徒化して政府要人を襲撃するようなことが考えられるでしょうか?
日露講和条約時の政府は戒厳令を布き処罰すべきはするなど毅然とした対応したのですが、この後は毅然とした態度を取れずに騒動が起きるとその都度内閣総辞職の慣例になっていきます。
これではメデイアや半可通の学者がやりたい放題になるのは当然でした。
それがメデイアの煽り・・極端な(軍部若手)主張を正当化する煽りによって彼らが日増しに増長して行ったことが、その後の満州事変〜支那事変など政府の不拡大方針無視の現地判断による戦線拡大をしていった遠因でした。

メデイアと学者の煽り6(国際孤立の始まり1)

昨日引用したウイキペデイアによれば日本は

「金が欲しくて戦争した訳ではない」との政府意向と共に賠償金を放棄して講和を結んだことは、日本以外の各国には好意的に迎えられ、「平和を愛するがゆえに成された英断」と喝采を送った外国メディアも少なくなかった。

と、日本政府が格好良く矛を収めたのは、非常に有能というか見事な交渉でしたが、国内の講和反対騒動は高度な駆け引き・・国際常識を知らない田舎者が大騒ぎしていたようなものです。
この大騒ぎを見れば、政府がせっかく紳士風に収めてもエセ学者が国内を煽ったことによって国際社会に馬脚を表していたようなものです。

「上記のような暴動・講和反対運動が日本国内で起こったことは、日本政府が持っていた戦争意図への不信感を植えつける結果になってしまった。」

とウイキペデイアにある通り、せっかくの外交交渉の成果をメデイアの煽りが裏で台無しにしていたのです。
日露戦争は基本的に明治維新以降欧米の植民地にならないように抵抗力をつける富国強兵政策の総決算的戦争・・防衛のための戦争であった本質からして、(軍の近代化による防衛力増強・・応援してくれる諸国を増やす努力を含めてギリギリ間に合って)負けないで済んだだけでよかった戦争です。
賠償金を取れない戦争はコストがかかった分だけ勝った方も負けた方もその後の経済が疲弊します。
個人でもそうですが、揉め事を起こして得はありません。
賠償金をたんまり取るべきという強盗的交渉は酷くないか?という国際世論に当時変わりつつあったのですが、エセ学者やメデイアはこの流れについていけない・・今の革新系という超保守政治運動家同様だったことがわかります。
第一次世界対戦でドイツに課した賠償金が重すぎたことが知られていますが、実は日露戦争前の1900年の義和団事件(7博士意見書に書いている日本の呼称は北清事変)の時に決めた巨額賠償金が酷過ぎるという批判を受けるようになって、日本を含めて連合国がそれぞれ)その後中国へ実質返還する動きになっていたのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%92%8C%E5%9B%A3%E3%81%AE%E4%B9%B1#%E5%8C%97%E4%BA%AC%E8%AD%B0%E5%AE%9A%E6%9B%B8

義和団事件
賠償金の返却
あまりにも過酷な賠償金請求に対し、やがて国際的な批判と反省が起こり、賠償金を受け取った各国は様々な形で中国に還元することとなった。たとえばアメリカは、賠償金によって北京に清華大学(1911年~)を創設した。この大学は北京大学と並んで中国を代表する名門大学として成長し、現在でも理系分野ではトップと言われている。
日本も1922年に賠償金の一部を中国に対する東方文化事業に使用することを決定し、中国側に通告した。日本の外務省には、対支文化事業部が新設され、日中共同による「東方文化事業総委員会」が発足した[12]。また、東亜同文会・同仁会・日華学会・在華居留民団など日本国内で日中関係進展にかかわる団体への補助を行ったり、中国人留日学生への援助を行った。

(押し込み強盗ではないのであたり前のことですが)第一次世界大戦では、戦勝国が賠償金を取れなくなったので、敗戦国のみならず戦勝国も双方疲弊し、世界の主導権が欧州から米国に移ってしまったと見るのが歴史上の定説でしょう。
対外的あるいは学校教育的には日露戦争戦勝のプラス面ばかり・・日本が自信をもってしまったのがその後の方向性を誤った原因のように習いますが、(実力以上の自信を持って舞上がっていたのはエセ学者とメデイアのみであって、)政府・識者としては開戦前から借款に走り回っていたことから分かるように、仮に勝ったとしてもその後の負債返済に象徴されるように戦争で失ったものの復旧など大変な国難が待ち受けていることを承知していたことは、開戦には容易に踏み切らなかったことや講和条約対応を見ても容易に推定可能です。
1日も早い講和を望み、講和成立後は戦後復旧費用・内政的に大変な状態・・これをどう乗り切るかの瀬戸際に追い込まれていたことは政府は誰よりもよく知っていたでしょう。
一等国になって実力が上がったのではなく、逆に中堅兵士が多く戦死し前線指揮官の補給が続かなくなっていたことが紹介されていることからも分かるように、戦争後は戦前よりも総合国力が落ちているのですから、本来ならば、体力回復が第一で対外活動を縮小しなければならない状態でした。
ところが軽薄学者やメデイアの方は、世界の一等国になったのだからもっと世界進出し国威発揚すべきと煽りを続けたのでそのギャップに苦しむことになります。
大災害で熟練調理師や熟練工その他の人的被害その他を受けた商店や工場は、まずは復旧に専念すべきであって、店舗拡張や海外工場新設計画があってもそれを一時中止・先送りするか他社との合弁に切り替えて資金や人的負担を分散軽減するのが普通です。
新規投資には膨大なエネルギーが必要ですから、戦争で人材を含めて体力を使い切った直後に満州に日本単独で鉄道敷設等の投資・エルギーをつぎ込むのは無理があったのですから、ここは一歩下がってアメリカの望んでいる満州の共同事業化を日本の方から提案すべきだったのです。
ところが、首の皮一枚でようやく講和を勝ち取ったにも関わらず、エセ学者やメデイアが「国民の貴重な血を流して勝ち取ったものを寸土も譲るな!」という偏狭な主張を繰り返して政府の政策選択の幅をなくしていき、常識的対応をしていた桂内閣を辞職に追い詰めていった流れが日本を破滅の淵に追い込んでいったのです。
日本戦後でいえば、日米同盟とソ連圏との同盟とどちらの選択が正しかったかは、歴史が証明しているところですが、日安保を進めた岸総理が条約成立後退陣を余儀なくされ、安保反対闘争で活躍した人たちがメデイア界で英雄扱いされる変風潮が今も続いています。
歴史を見てわかることは、日本のメデイアやこれに迎合する学者はいつも極論を主張して日本の国益に反する方向へ世論を引っ張る傾向があるように見えます。
日米戦の終戦後復興でみると(戦後国内復興に専念していたにもかかわらず)10数年かかってようやく岩戸景気に始まる成長が始まった例を見ても分かるように、これを敗戦というか終戦というかにかかわらず、もともとそれだけの痛手を受けていた事実はかわらないということです。
原爆投下や焼夷弾攻撃の結果、国内焼け野が原であっても日米講和条約で仮に対等終戦・・日米現占領地現状維持の停戦だった場合を想定すれば・中国現地に大量の兵員など釘付けのままであれば)日本国内復興がもっと遅れたどころか、もっと大変なことになっていたことがわかります。
例えば、戦中戦後の食糧難は、台湾島からの輸送船が撃沈されてことが原因のように言われますが、もともと日本は食料を自給していた上に満蒙開拓団や朝鮮半島等への移住や何百万に上る兵員の外地展開で国内需要は減っていたはずでした。
食料不足は農家の青壮年働き手を根こそぎ徴兵したために起きたことです。
工員不足を補うための女子生徒動員・韓国慰安婦騒動で有名な女子挺身隊などが多く報道されているので有名ですが、工場は10〜20日操業が止まっても目に見えて生産力が落ちますが、農地の草むしりや害虫の駆除・里山の管理など目配りはその程度の手抜きでは目に見える変化がありませんので学徒動員の対象になりません。
即時効のない農業ではつい後回しになりますが、いわゆる10年戦争をやっていると周辺山間地の手入れが後回しになり農地が痩せてきて大変なことになってきた、働き手の大部分が徴兵されてしまった事による生産減少が大きな原因でした。
現状停戦でなく全面撤兵になったことより、大量の労働力が戦地から引き上げてきたので、国内復旧が急速に進んだ面を否定できません。

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