マイナス利回り5

増産目的の工場新設ではなく既存工場の歩留まりを数%〜10%良くするための更新改良投資が普通の時代を想定した場合、競合他社も負けずに改良投資するのでこれによる目減りがあって10%アップ計画で改良しても出来上がってみると10%の利益増にはなりません。
商店街やデパートの新装開店も(自分がやれば相手も改装しますので)同じです。
改良投資による利益はうまく行っても結果的に数%あるかないかですから、この資金によって生み出された利益を投資主体の企業と金融資本が分配するには1%前後の金利を付けるのがやっとの状態になっているのが現状です。
(アップルの新機軸であるスマートフォンが席巻して、旧型携帯の改良投資をしていた企業が裏目になったように、投資しても数%の利益もでないことがあります)
うまく行っても数%のリターンしかないとすれば、それ以上の金利を払うのでは投資するメリットがありませんから、日銀の金利政策によって金利が決まるのではなく成長レベル・市場原理で決まって行きます。
公共工事で言えば、山並みを迂回していた凸凹道をトンネルを掘って貫通舗装道路にするなどの新設の場合、投資効率はすごく高くなります。
その後出来上がった道路を走り易くするために舗装を上質にしたり、街灯、信号機を多く設置しガードレーを多くしても、ゼロから道路を造ったときの投資効率に比べて生産性が殆ど上がらなくなっていることが明らかです。
この辺の意見は公共工事の投資乗数が減っているから意味がないという意見に対してAugust 21, 2012「投資効率1(量から質へ)」以下で書いたことがあります。
駅前や住宅街の舗装を高級化したり、駅内通路の安っぽいアスファルトから高級な石張りに変えても電車(輸送)の生産性が変わらないのは当然です。
工場も汚い古家から綺麗な立派な工場にすれば、工員さんが働き易くなって生産性が少しは上がるかも知れませんが、(そう宣伝するマスコミが多いですが・真実は)手作りしかなかった前近代社会のところに先端機械導入によって、機械化したときほどの急激な生産性上昇率は望むべくもありません。
生活の質を上げる投資中心の時代になれば、投資によって生産性が上がるメリットは殆ど考えられません。
バブル崩壊後我が国は国民生活を上質化する投資を続けて来たので、生産性上昇率が低かったのは当然のことでがっかりすることはありません。
しかも我が国は、それでも国際収支黒字を続けて来たのですから(赤字で上質化するのは問題ですが)上記コラムで書いたとおり、収入が一定水準に達した後は飽くなき金儲けよりは生活の質アップを図った選択は正しかったと考えています。
ここで、イキナリ年金の利回り約束に戻りますが・・、積み立てた資金を原則として国内運用する限り年金の利回りは国内金利動向に左右されるのは当然です。
投資用金利でさえ、9月8日に紹介したように社債発行金利が0.2%を切っていますし、かなりの部分を占める消費信用と合計すれば、利回りどころか管理経費の方が多い・・マイナス運用に陥ってしまうのは仕方ないところではないでしょうか?
今朝の日経朝刊経済教室「曲がり角の企業年金上)では、2段落目に2000年から3年連続マイナス収益になった(何故直近の平均を書かないのか疑問ですが・)と書いていますが、私の言う通り今やマイナス運用になるのが普通です。
相手が政府だから使い込みを前提とするのは論外としても、その監視費用(管理コスト)もかかるので運用次第とは言え、最低でも「元金(あなたの積み立て総額)の何割までは戻るよ」(運が良ければ元金以上に運用出来るかもしれないが、50年先のことは誰も分らない)という程度のコンセプトで良いのではないでしょうか?
そんなことなら積み立てる意味がないと考える人が増えるかも知れませんが、そういう人は自分ならもっと有利な運用が出来るという誤った前提意識があるからです。

年金赤字5(赤字の基礎2)

9月4日の続きです。
次にマスコミが主張している少子長寿化による年金赤字問題を見て行きます。
第2 ① 次世代人口減少(加入者減)
これをマスコミが強力に主張しているので国民もそうかなと誤解している方が多いところです。
しかし、これは第1の②で書いた業界団体や企業での年金が加入者減で火の車になっていることと根源は同じです。
公的年金だけではなく、肝腎の年金支払時期が来たときにそれを支えるべき加入者減によってどこの業界・企業も困りきっています。
企業年金の苦境はそれぞれの業界規模の縮小によるもので、少子化によるものではないのが明らかでこれに原因を求めて騒いでいる企業・あるいは業界団体はありません。
厚生年金も同じ原因(少子化によるのではなく企業従業員数減や給与減によるものであるのに、公的年金だけが少子化が原因と騒いでいるのはおかしくないですか?
我々弁護士業界は、タマタマ経済実勢に反した増員政策の御陰で、会員数が激増中ですから、年金財政に関しては全く問題が生じていません。
各種年金制度が、保険契約者数・業界年金の会員数が現状維持で払う仕組み・・各自の掛け金に応じて支払う仕組みではなく、支払時期が始まるころには契約会員数が数倍以上になっているので、増えた会員の納付金で何とかなるという設計であるとすれば、まさに自転車操業的設計であったことになります。
自転車操業的設計が多かったことが、現在各企業年金が火の車になってしまったそもそもの原因ではないでしょうか。
公的年金に関しては、世代間扶養制度などともっともらしい説明が多いのですが、本来永続制のあり得ない企業の場合、(仮に企業が数千年続くとしても従業員は世襲制ではないのですから)他人間で世代間扶養の理念など成立し得ません。
とすれば各人が積み立てた限度での年金支給しかあり得ないのですから、後輩社員の増減に関係がない筈なのに企業年金が現実に加入者減で困っているのは、自転車操業的設計をしていた事によるとしか考えられません。
加入者増に頼っていると数倍以上になった会加入者・契約者数が数十年後に保険や年金受給者になれば(際限なく構成員数が数倍になって行くことはあり得ないので)破綻してしまうのは初めっから分ってることです。
構成員・納付者数の増加を前提にした制度設計は(どんな優良企業でも永久に会員数や従業員数が増加し続けることはあり得ないので)早晩破綻するのは理の当然です。
日弁連の年金システムも、もしも現有会員数のままで支払出来る設計でないとした場合、弁護士数の増加がその内頭打ちになる以上は、今の若手弁護士が受給する頃には大赤字になってしまいますので無責任設計となります。
いわゆる「ねずみ講が危険である」と言われるのと同じ論理です。
(土建関連業界が会員数の減少で困っていますが、構造不況業種に限らず優良業界でも一定の成功を収めるとその先は海外展開しか拡大の余地がなくなるので、国内従業員減少はあらゆる企業に生じます)
企業規模あるいは業界規模が際限なく拡大することで漸く何とかなる制度設計であったとすれば、数倍になった会員が受給者になるときには破綻するのは予め分っていることですから、将来に責任を持たない無責任体質こそ糾弾すべきです。
日弁連の年金の場合、納付金は会員の加入した口数によるので、納付金自体は収入の増減に直接連動しませんが、収入が減って来ると加入口数も減って来る可能性があるので長期的には厚生年金と同様の問題が生じます。
公的年金も同様で、健全な制度設計としては、将来の加入者増加やインフレを期待する(踏み倒し戦略同様の)その場しのぎの考えをやめて、受給予定者の納付した資金の積み立てプラス運用益だけで年金支給が出来る制度設計であるべきです。

マインドコントロール5(国債の増減と景気調節1)

現在のマスコミは、内需拡大用にもっと政府支出が必要か否かの議論の前に、「財政健全性に反する」という方向に持ち込んで議論を封殺しているのが現状です。
国家の健全性としては国際収支の壁だけを注意すれば良いことを繰り返し書いて来ましたが、その壁の範囲内(黒字)であるならば、財政赤字の程度を議論する余地がなく、内需拡大が必要ならば、(必要があるかどうかを正面から議論した結果、必要となれば)国債または増税によるかに関係なく増収分をドンドン使えば良いと言うのが・・私の意見です。
増税か国債によるかの選択基準は、国際収支黒字の範囲内であれば、財政状態には関係がなく内需を減少させるべきか否か・・即ち景気過熱状態か需要不足状態かの違いによるだけです。
ただし私の意見が絶対に正しいというのではなく、ここではいろんな意見を自由に戦わせるべきであって、独りよがり(合理性のない原則を前提に)マスコミを利用したマインドコントロールの結果、議論すら出来ないような風潮にするのが良くないことを書いているだけです。
増税=景気悪化論が普通ですが、この論は国家の資金源は国債は駄目で税で徴収するならば良い・・国債を減らすべきと言うマスコミが決めた変な議論を前提にしていることに原因があります。
増税すれば不景気が来るのは過去の事例が証明しているという議論が多いのですが、増税するには歳出削減努力を先にすべきだと言う、増税と歳出削減と国債償還=赤字削減論とセットにしているからに過ぎません。
政府支出資金必要を理由に増税したならばそのまま100%使えば民間から吸い上げた資金が100%支出されるので増税しないよりも国内消費が増えるので、景気悪化どころか刺激になることが論理帰結です。
年収一定額で年間増税額が20万円あってもその家計では20万円そっくり消費が減ることはあり得ません。
(生活費ギリギリの人でも教育費や家賃その他減らせないものが一杯あります・・この分は貯蓄の取り崩しや借入(親等の援助)なりますし、多くの人は収入の100%を使い切らないでいくらか余剰を貯蓄していますので、貯蓄分を減らすことでかなりの部分を対応してホンの僅かしか消費を減らしません。
他方で政府支出の必要性があって増税し、100%政府支出すれば、増税額は100%国内消費に回ります。
(それで上記のとおり一定割合の消費が減ります・・この辺のことは8月5日に書きました)
これに対して国債は元々消費に回らなかった余剰資金を吸い上げるだけですから、100%消費が増える仕組みですし、自発的供出によるので民主的で国債の方が内需拡大目的の場合、合理的であると書いてきました。
過去の増税が必ず景気悪化の原因になって来たのは、政府支出資金が足りていて支出資金確保のためには増税を必要としていないのに、財政赤字解消のために増税して来たから景気が悪化したに過ぎません。
(資金需要もないのに赤字削減のためという変な財政健全性の原則論による場合・しかも必ず出て来る批判論・・「その前にやるべきことがあるだろう」式の緊縮財政を求めて・・今回で言えば「国会議員を減らせ、公務員採用を減らせ」(実際減らす必要があるかどうは別の議論で私はそれ自体反対しているのではなく、増税論に絡めるのが不合理だという批判です)事業仕分け論などもその一種ですが、この種の議論が正しいとすれば政府支出を減らすために増税していることになります。
この後で書くように増税は景気過熱を冷やす目的であれば、国内支出を強制的に減らすので合理的です。
そう言う結果を知って増税するならいいですが、こうした結果を無視してあるいは知らずに増税するから景気悪化になってしまったのです。
完全に政府資金が足りているのではなく、半分、3分の1、5分の1だけでも国債償還に回して残りを今年度政府が使いたいと言う場合でも、国債償還に回した分だけ国内支出が減退する点は同じです。
国債償還した場合殆どが再預金等に回してしまい消費が増えないのに反して、他方で徴税された方はその何割かが消費減になることが確かなのでその分だけでも内需減になることは間違いがありません。
この結果過去の増税では必ず不景気になったのです。

健全財政論11(貨幣価値の維持5)

マスコミを中心とするデフレ脱却論、インフレ期待論の合唱に応えて日銀による超低金利・「量的緩和」が長年実施されていますが、いくらゼロ金利にしても量的緩和をしても需要がないと金融仲介機能が働かず乗数効果がないのでどうにもならないのが現状です。
April 28, 2012「税金と国債の違い1)で書きましたが、リーマンショックまでは国際経済界では貨幣が発行されれば銀行の信用創造機能によって1万円札が何回も回転することによって約50倍に広がって利用されていました。
ところがずっと前から我が国に限っては、銀行の金融仲介・信用創造機能が落ちて来て発行した紙幣の大部分が(比喩的表現ですが・・)翌日には国債購入資金(創造機能ゼロ)になるようでは、信用創造機能が1〜2倍にしかなっていません。
仮に紙幣量を2倍に量的緩和をしても、50分の1に収縮したマネタリーベースが50分の1補充されるだけですから経済インパクトとしては殆ど意味がありません。
紙幣を2倍にすれば物価が2倍になるという旧来の理論が仮に今でも正しいとしても50倍利用されていたところから30倍〜20倍に収縮(収縮率は比喩的に書いているだけでデータに基づくものではありません)した状況で、元になる紙幣発行量(原料)を2倍にする=50分の1の原料だけ供給してもどうなる筈もありません。
(まして先進国・飽食の国民は紙幣供給が2倍になっても牛乳やアイスクリーム消費をこれ以上増やさない・1昨年地デジ移行で一度買ってしまったテレビをもう一度買わないばかりか、不足があればいくらで増産出来る消費材・大量生産社会になっていること、更には輸入品が穴埋めするので閉鎖社会の理論は妥当しなくなっていることを12日に書きました)
量的緩和・紙幣増発をすればそれに比例して貨幣価値が下がる・同率で物価が上がるという経済学者の理論通りになるならば、国債保有者あるいは今後の購入者にとっては死活問題ですから、インフレ目的で低金利・量的緩和を始めると報道しただけで将来の保有国債値下がりを見越しての売りが殺到し、新たな買いが成り立たなくなってしまいます。
インフレが進行する前からインフレになる見通しだけで予め新規国債引き受けがガタベリ・金利急上昇することになるでしょうが、量的緩和を始めてから何年もたつのに実際には国債は値下がりするどころか欧州危機後値上がりして(金利低下が更に進んで)います。
政府の思惑だけで経済実態に反してインフレを実現する能力が政府・日銀に仮にあるとしても、インフレ目標政策・・インフレを実現して国債価値を仮に1割減〜半額に評価減する施策を実施しながら、「これから大幅に国債相場を下げるけれど、手持ち国債を売らないで保有したままにしてくれ、今の高値でもっと買ってくれ」という都合の良い政策は実際には実行出来ません。
もしもそんなアナウンスで実施したらインフレの効果が出る前に、国債が大暴落になるでしょう。
実務の世界では銀行の信用創造機能喪失によって、紙幣の信用収縮中に原料の紙幣を仮に2〜3倍刷っても従来の50倍から20〜30倍(縮小率がはっきりしませんので比喩的表現です)に収縮している現状では物価上昇効果がまるでないことを国民全部が先刻承知ですから、日銀による量的緩和・国債引き受けを誰も恐れず国債や公社債売却に殺到しないのです。
量的緩和や超低金利政策が何の効果も出(政府には経済実態に反した政策をする能力が)ない・・無駄・効果のないことをやっているのをみんなが知ってるので、市場の反撃を受けずに政府が助かっているパラドックスです。
(中央銀行の役割は終わったと書いてきましたが、量的緩和や金利政策は日銀政策委員やエコノミストのお遊びの域を出ませんので、経済実務界では誰も相手にしていない証拠です)
今回の増税論の論拠に1000兆円もの国債があると、もし将来金利上昇になったら大変なことになるという意見がマスコミを支配していますが、国際収支黒字を維持出来ている限り黒字=資金余剰状態・・すなわち借りたい人が少なくて貸したい人が多いのですから、金利が自然(政府が上げたくとも上げられないことを昨日書きました)に上がることはあり得ません。
要は日本経済が破綻して大変なことになるか否かは、国際収支黒字を維持できるかどうかにかかっているのであって国債残高の量には関係のない話をあえてごっちゃにして国民に不安感を抱かせているのです。
心配すべきは国債発行残高の問題ではなく、繰り返しますが国際収支の結果次第です。
マスコミを覆うインフレ期待論・あるいは円安期待の結果が我が国でもしも実現するときを想定してみると、国際収支赤字(長期赤字継続で黒字の蓄積を食いつぶしたとき)が長期間連続したときしかないでしょう。
(高度成長期も物価上昇が続きましたが、このときはまだ我が国は十分豊かになっていなくてあれも欲しいこれも欲しい時代で飽食に至っていなかったからです)
長期国際収支赤字連続が実現したときには、とどまるところのない円安が始まり輸入物価の持続的上昇→インフレが来るし、国際収支赤字=資金不足状態ですから日銀が金利引き締めをしなくとも資金需要が超過しているので自然に金利が上がって、国債価格も暴落するし、日本経済にとって大変な事態になります。
国民はギリシャのように消費抑制で対応するしかない・・耐乏・緊縮生活が到来します。
財界人やエコノミストが頻りに訴えるデフレ脱却、インフレ目標・期待論は、何を期待していることになるのか、結果的に日本亡国・衰退を期待しているとしか考えられない、無責任・無茶苦茶な意見であることをFebruary 21, 2012為替相場と物価変動2(金融政策の限界1)前後で紹介しました。
繰り返しますが、デフレが続く=持続的円高によって持続的に輸入品価格が下がっていることですが、これは国力充実・国力伸張継続中の証で目出たいこと限りないことです。
失われた10年とか20年とか事実無根のデマをマスコミが流していますが、その国の通貨の評価こそが国力に対する諸外国の評価の動かぬ証拠であって、それ以上のことはありません。
国の評価が上がればその国の通貨が持続的に上がるのであって、そんな目出たいことをマスコミが何故目の敵にしているのか理解不能です。
昨年の大震災を契機に貿易黒字が縮小して逆に赤字になるなどで、日本経済に黄信号がともると、円高傾向が緩みひいては円安に振れ始めてその分いくらか物価が(電力料金を筆頭に)上がり始めます。
デフレ−ターが下がったとマスコミが喜ぶ記事が出るのですが、大局的に見ればニッポンの体力が下がるのを喜んでいるかのような変な構図です。
国債の国際化や株式の国際化(外国人に株を保有して貰って日本に何のメリットがあるのか・・例えばトヨタの株の9割を外国人が保有して日本のためになるの?)など、いろんな報道を見ても日本にとってマイナスになるようなことばかり推奨するマスコミは、もしかして外国人が牛耳っているのじゃないかと心配したくなります。

健全財政論5(貨幣価値の維持3)

国際経済化が進んだ明治以降でみれば、貨幣価値の維持は自国の紙幣が海外との貿易に使えるための保障が必要ですので、これを担保する制度が金兌換制度でした。
世界経済は金1オンスに対して1円と定めていて、ドルも1オンス1ドルであれば等価ですし、2円で1オンスであれば1ドル=2円となりますから交換率は簡単です。
金の裏付けの範囲しか紙幣発行出来ないことで結果的に国内通貨でも無制限発行に対する歯止めの役割を果たしていました。
各大名家で発行していた藩札は、徳川家の発行する貨幣との両替を前提にしていましたから、明治以降の国際的金兌換紙幣制度の国内版みたいなものだったことになります。(・・領内で紙幣のように流通していたかどうかによりますが、流通の程度によっては今の地方債に似ていたかも知れませんが、ここでは深入りしません・・藩札についてはMarch 25, 2012税の歴史6(商業税3)のコラムで少し書きました。)
ところが第一次世界大戦後の昭和大恐慌の進展で、金兌換制度維持が困難になって来た結果、世界各国で次々と金兌換制の廃止・停止が続きます。
要するに緊縮一本槍・・国内生産力内での均衡経済・・貨幣発行抑制政策ばかりでは、スパイラル状に経済悪化が進行するときにはどうにもならないことが実態経済で証明されます。
逆から言えば貨幣発行増はインフレ・物価上昇になるばかりでなく、経済活性化効果もあることが実践的に分って来つつあったと言えるでしょう。
何事も両刃の剣・表裏の効果があると言われますが、貨幣発行が始まってから明治時代までは、実物経済よりも貨幣発行量が多すぎると物価が上昇・・国民生活破壊の害・マイナスばかりが気になる歴史でしたが、経済を活性化するカンフル剤の役割もあることが分って来ます。
ただ、薬も使い方を誤れば毒になるたとえのとおり、その処方は難しく、ずさんな使い方をするとギリシャ危機のようになります。
ここで貨幣量と物価の関係をみておきますと、産業革命効果が浸透するまでの約1世紀間は第一次産品中心経済で、生産量に限界があったので、生産力に関係なく紙幣を増刷すると物価が上がる関係でした。
こう言う時代に何のために政府が増刷したがるかと言えば、政府が収入以上にお金を使いたいというモラルハザードがその動機でした。
だからこそ経済官僚が、命を賭けてでも紙幣増刷・悪改鋳に反対する歴史になっていたし、悪性インフレに対抗して大塩平八郎が兵を挙げるほどになっていたのです。
他方で産業革命効果が浸透して来ると、景気波動による余剰生産力が不景気の原因になって来ると、紙幣増刷は政府がもっとお金を使いたいという邪悪な動機(これがなくなった訳ではないですが・・)ばかりではなく、国内需要喚起によって、過剰生産力の受け皿になる・・景気下支えまたは景気刺激策になることが分って来ます。
昔は、国民は常に飢えていたので、お金さえ2倍あれば喜んで牛乳など週1回飲むのを2回にし、卵も週1回を2回食べるなど消費が収入に比例して伸びましたが、他方で消費品の中心は大根や人参・卵など1次産品中心の社会でしたから、これらは2倍売れるからと言ってイキナリ生産を2倍に出来ないので、紙幣量=消費量増加に比例して物価が上がりました。
この場合生産増に比例しない貨幣大量発行は弊害だけが大きくなりますが、産業革命浸透以降の不景気は過剰生産力によるものですから、生産力超過状態・不景気下で消費が伸びれば在庫調整になるし、足りなければいくらでも増産出来ますから、インフレになる弊害がなく・・程度を超えれば金利高め誘導でブレーキをかけられます・・経済活性化効果が期待されます。
しかも消費が伸びること=民生がその分豊かになるメリットもあります。
このように貨幣調節は貨幣価値維持目的であったそれまでの発行増抑制一点張りの片面的政策要請(単純なもの)から、発行増による積極的効果・・両面の効果を期待出来る複雑な関係になったので、中央銀行の役割が強化された・・黄金時代が到来したと言えます。
その代わり実物経済・生産力と貨幣の量のバランスが均衡しているかどうかだけ注意していて、均衡を破れば、君主の命令でも断固反対する硬骨漢であれば良かった時代からみれば、前向き判断も必要になって難しくなりました。
消費が増えれば民生が豊かになることは確かだとしても、際限なく紙幣発行を増やして行くと対外的に赤字累積になり最後はギリシャのような危機になり兼ねません。
国内生産力と均衡しない紙幣発行増は不足分の輸入増大に結びつくので、国内生産力以上に内需拡大しても輸入が増えるばかりで国内景気はそれ以上に上向かないので、景気対策としての意味がなくなります。
また国内生産力範囲内でも原材料の多くを海外からの輸入に頼っている場合、国内消費を推進すると原材料等の輸入増になって対外的赤字が膨らんでしまいます。
(最近の例で言えば火力発電所増設によって、発電能力に余力があってもドンドン電気を使うと貿易赤字になる場合を考えれば分りよいでしょう)
国債発行の限度額の問題として書いているように、結局は国際収支均衡の範囲(単年度収支だけではなく累積の視点の重要です)を超えて消費を煽ってはいけないということに帰します。
国際収支均衡の範囲を一家の家計で言えば、一家構成員総収入範囲内(過去の蓄積があれば1年〜短期間限りの赤字は許されます)の生活を守るのが健全なのと同じです。
このように大恐慌以降の貨幣政策は発行量抑制さえしていれば良い単線思考ではなく、複雑な国際競争力(我が国だけ金利を上げると国内企業は競争上不利になります)その他経済構造を理解して積極的に操作する必要のある時代に突入して来ました。
こうなると裁判官のような役割ではなく、行政官の役割になりますので政府から独立した中央銀行の存在意義が問われるようになります。
(存在意義を問うているのは当面私だけですが・・・最近ではJuly 18, 2012「国債相場2(金利決定)」その他でぱらぱら書いています)

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