共謀罪8と立法事実5

共謀をしているだけで法が予め決めた実行行為をしない限り、検挙すべきではないと言う意見は、「襲撃計画だけ決めたがいつ実行するかはまだ不明」と実行予定者から堂々と警察に予告されても、通報者が凶器等を準備していない限りその通報者の動静を見張っている程度で放置しているしかない・・放置すべきだと言う意見になるのでしょうか?
(未遂を罰する犯罪では、凶器を持っていなくとも実行に着手するとその段階で検挙出来ますが、例えば殺人行為に着手するまで放置するのでは目の前に警官がいない限り間に合いません。)
共謀罪新設反対論者はアメリカとは違い拳銃等所持自体が禁止されているので、これらを所持していればその段階で拳銃発砲前に検挙出来るのが根拠のようです。
しかし、仮にヒットマンを予め特定出来て警官が張り付いていても、ヒットマン数人が何も持たずに殺害目的人物にくっついて歩いていたばあい、その段階では何も持っていないので予め検挙出来ません。
誰かがその場にイキナリ拳銃やナイフあるいは爆発物やサリン等毒物を届けてその瞬間にバラまくようなやり方だと事件防止に間に合いません。
凶器がなくともイキナリ飛びかかって数人でしめ殺すことだって出来ます。
スーパー等への爆破予告や食品に毒を入れるなどの通報をすれば、脅迫罪や業務妨害罪になりますが、警察に対して店名を言わないで抽象的爆破計画通報だけでは社会不安が起きても脅迫罪や業務妨害にならないように思いますが、共謀罪反対運動をやっているプロではないのでよく分りません。
※ ただし、カナダ議会乱射事件のように一人計画の場合、事前把握しても共謀相手がいないのですから、共謀罪処罰法が出来ても処罰も検挙も出来ません・・今の時代一人で犯行計画している限り大勢の計画より害が少ないので、まだまだこの程度では我慢しなければならないと言う価値判断でしょう。
実行者が一人でも、大勢で練り上げた計画の方が被害が大きい場合が多いので、複数人で計画した場合との程度差をつけるのは意味があります。
既存法で見ても傷害行為等の実行前段階である凶器準備「集合」罪があるように、集合・・集団化すると、その結果発生する被害規模が大きいことを立法の理由にしています。
日本に共謀段階で処罰しなければならないような事態・必要性が起きていないと言う日弁連意見書は、日本社会を標的に破壊するようなテロの動きが現実化していないと言う狭い意味と思われます。
1〜2週間前に判明した元北大生の事件やサリン事件に参集した若者の特徴・・社会からの孤立・・個人的閉塞感が容易に・・短絡的に過激派の勧誘に応じてしまう土壌は、地下鉄サリン事件以降収束して行くどころか、拡大して行く一方だと思うのが普通ではないでしょうか?
北大生がテロ組織イスラム国兵士に応募していたとしても、それは日本社会を標的にしたものではないから、日本には共謀を罰しなければならないような危険な事態がまだ起きていないと言う主張になるのでしょうか?
仮に我が国は標的にされる心配がない・・我が国で、いくらテロ行為の謀議や訓練・準備されていても野放しにしておいて良い、被害を受けるのはアメリカやアフガンや中東諸国だからと言うような受け取り方をされてしまう論理が国際的に通用する議論でしょうか?
秘密保護法の場合も同じですが、日本だけ知る権利を守ると主張して秘密をダダ漏れにしていると、友好国が日本と特定秘密を共有したがらない弊害が指摘されています。
(発明発見競争の激しい現在、いろんな秘密をとり放題・・軽微な刑罰しかないのでは、経済的に重要な影響のある時代・問題です)
以上一般弁護士の目で見てきましたが、我が国でも共謀段階での取締の現実的必要性が高まっている・・いわゆる立法事実があると見るのが普通ではないでしょうか?
日弁連意見は、日本には共謀だけで処罰しなければらないような事態が起きていないと言うのですが、サリン事件はまさにそうした重大事態が現実に発生した事例だと思いますが、この辺は専門的に反対運動をしていない素人(一般弁護士)の意見です。

共謀罪と組織犯罪防止条約5(立法事実2)

私は大部隊出動ニュース(カナリアまで用意して行きました)を見て「なんだ前から分っていたのに泳がしていたのか?」と家族で話し合ったものですが、今になってみると当時サリン製造していることが分っただけでは、警察としては何か事件を起こしてくれないことにはどうにもならなかったからではないかと思われます。
アメリカの9・11事件では、ビル崩壊の状況がビル解体に使う爆破とそっくりであって、飛行機が上の方でぶつかって上から崩れたにしてはおかし過ぎることや、アメリカの政府高官が一人も犠牲にあっておらず、情報に疎い日本の銀行マンが大量に被害を受けるなどからブッシュのやらせ事件ではないかと言う意見が根強くあります。
「やらせ」かどうかは別としても、情報機関が大方の計画をつかんでいても、実際にどの飛行機を乗っ取るかまでは分っていなかったと言うこともあり得ます。
(テロリスト実行犯をあちこちの空港に待機させておいて、どの飛行機に乗り込むか3〜40分前に連絡しテロ道具支給する場合、実行直前の盗聴が出来ない限り事前摘発出来ません)
こういう大規模被害を未然に防ぐには、実行する前の計画が発覚した段階で規制や検挙出来る必要があります。
この教訓からでも、アメリカ政府が乗っ取り計画を把握した段階で検挙したいと主張しているとすれば(議論の詳細を知りませんが・・)合理的です。
我が国も、法が予め決めた決めた定型行為に着手する前の共謀段階で検挙したいと言う立場だったのではないでしょうか?
そうとすれば我が国でも既に共謀罪の制定の必要な社会状況・・法律家の言う立法事実が発生していたことになります。
ただし、以上は飽くまで共謀罪制定問題の委員でもない門外漢・素人である私の推測です。
私はこの議論の素人ですが、素人しての希望は、プロが反対論を展開する以上は、単に近代法の精神に反すると言うスローガンだけではなく、現在は近代から2世紀も経過していて社会も大幅に変わっているのですから、現在社会に生きている素人が・・現在社会ではどうなのかの疑問を抱くのが普通ですから、この疑問に答える説明が必要です。
20世紀以降は大衆社会とひとくくりに言われていますが、2世紀前には反乱等を企画出来るのは地域有力者なり、軍資金の出せる一定の勢力を保有している限定された勢力を監視していれば良かったのですが、数日前に起きたカナダ議会での乱射事件のように名もない個々人が一人で結構大きな事件を起こせますので、土豪・有力者など監視していれば良かった2世紀前までとは段違いです。
あるいは元北大生がテロ組織「イスラム国」に参加するために出国しようとしていたことが話題になっていますが、ホンのちょっとした閉塞感から孤独な若者がひょっと過激組織に共鳴してことを起こす危険が高まっているのが現在社会です。
19世紀までの刑事法制は「結果が出てから処罰するのが刑法の原則で、例外的に(殺人のような重大事件に限って)未遂を罰する」法体系でした。
刀や槍での殺傷中心時代ならば、武器の準備は目に付くし、結果が出てからでも(秋葉原事件のような大事件もありますがそれにして爆発物やサリン等ほどの大規模化リスクはありません)大したことがないので、この程度で処罰するのがえん罪や不法な逮捕を防ぐ・人権意識とバランスが取れていました。
これが反対論者が錦の御旗にしている近代刑法の精神です。
近代刑法が出来たのは絶対王政や独裁政がフランス革命等で倒れてからの新理念ですから、成立時の政治情勢・・革命前時代に対する反動と言う面を無視出来ません。
絶対王制かあるいは専制君主制・独裁制下での恣意的連行を防ぐ意味もありましたが、先進国(中国や韓国ではまだ人権侵害の危険性の方が高いでしょうが・・)では、司法機関の独立性が高く最早そうした恣意的逮捕・検挙は滅多に出来ないし、仮に恣意的逮捕しても訴訟手続が完備しているので、無罪になってしまい・・政権の打撃になるので滅多なことは出来ない時代です。
今では、・・そちらの危険よりは社会不安を煽るテロ被害・・社会防衛の方が心配な時代に入っています。
社会防衛思想はナチス刑法で強調されて発展した思想だったので危険思想化する傾向があり・・我々も刑法の勉強ではそのような本バカリ読んで育ったので無意識のうちにそう言う思想が身に付いています。

非武装平和論8と民族自決5

非武装論者=護憲論者が、後生大事にしている憲法は日本人の先祖がよく考えて作ったものでははなく、アメリカが占領政策の延長として強制したものです。
日本侵略希望を事実上表明しているのは、中韓両国ですが、非武装論は戦わずして(これが平和論の中核です)侵略して来る勢力・・中韓の支配に入った方が、民族が独立しているよりも国民は幸せと主張していることになるのでしょうか?
武装と同盟必要論は、異民族支配に入った場合の悲惨さを心配して民族の代表選手・・戦士が少し血を流してでも、背後の民族・家族の安全平和を守ろうとする考えです。
一定の防衛力を維持して戦うこの意気込みがあってこそ主権・民族自決を守ろうとしているのですが、これは国際的に普通に認められた心情です。
世界中で民族の独立など無駄なことだ・・戦うくらいならば異民族に支配された方が幸福と言う意見は聞いたことがありません。
そこそこの軍備を備えて、侵略を阻止する努力とこれをしない結果の違い・・どちらが本当に民族として幸せになれるかこそを、基礎から議論しておく必要があります。
どうやって平和を守るかの論争自体は空論であってあまり意味がありません。
戦わずして相手の支配下に入れば戦争を防げ・平和?を守れることは確かですが、戦ってでも民族独立を守り抜くのとどちらが日本民族にとって良いかの議論が先決的重要です。
平和を守るために中韓の主張する歴史観をそのまま受入れて、戦わずして中韓の支配下に入ったら戦争は起きないでしょうが、その結果どうなるでしょうか?
「お前らの先祖はこんな悪いことをした」と毎日でっち上げた事実?を強要されて認めさせられて、懺悔・謝罪するしかない生活が待っているのでしょうか?
仕方なしに認めるとそれを理由に更に酷い目に遭う・・地獄のような日々が待っている・・。
毎日責められて謝罪させられ続ける・・。
「お前らの先祖はこんな悪いことしたのだから、謝罪が足りない・・一日に何回か鞭で打たれても仕方が無い・・この程度のイジメや拷問を受けるのは当然」
だとする状態が、日常化することを想像するとぞっとしませんか?
普通、こう言う生活になること期待している人はいない筈ですから、こう言う結果を熱望している勢力とは、本当の日本人か?と誤解?したくなる人が増えるのが普通ではないでしょうか?
最近ヘイトスピーチ批判が起きていますが、根底に本当の日本人が日本の軍国主義化を心配しているのか、疑問に思う人が増えたからではないでしょうか?
マスコミや文化人は何かあると直ぐに「世界ではこうなっている・国連ではこうだ」と錦の御旗のように主張するのに、非武装が良いかどうか、特定秘密保護法や集団自衛権の議論になると「憲法に書いてある」「知る権利が侵される」」と言う一点張りで、特定秘密保護法は外国ではどうなっているのか、世界の中で軍備のない国があるのか、軍事同盟すれば軍国主義国家になると言う世界常識があるのかなどのテーマになると、外国でどうなっていると言う意見が全くなくなります。
「国民の理解を得られない」と勝手にマスコミが世論がこうだと決めてしまい、世論誘導をする傾向があります。
何が正しいか・何が日本民族にとって好ましいかの議論からそっくり逃げています。
政治運動である以上は憲法論ではなく、その意見を貫徹するとどの意見が日本民族・国家に好ましい結果をもたらすかの基準で議論すべきです。
以上書いて来たのは、私の個人意見・感想であって家の周りを泥棒が窺っていても、戸締まりしないで寝ていれば良いと言う人もいるかも知れません。
戸締まり不要論を実行してどうなることを期待しているのかを堂々
明白に主張して欲しいのです。
具体的結果になると、中韓との膨大複雑な貿易や政治文化的関係解決の思惑もあり、国際関係への波及効果等々があるので、どの程度まで対決すべきかについても複雑な利害考量の必要性があって、・・まさにその道の専門家である政治家の出番です。
国際関係は戸締まり論だけで決めて良い訳ではありませんから、警察関係やSECOM等の人だけが発言力がある訳でもありません。

戦争と平和2(非武装平和論5と民族自決2)

世界中どこの民族でも、折角蓄えた富みを狙って近隣部族が侵略して来るときに、戦う能力があるのに戦うよりは平和がスキだから、異民族支配下に入りたいと自ら武装解除してしまった民族は歴史上皆無と言って良いでしょう。
(意見にはいろいろありますが、この点に関して反対論が皆無と思います)
戦力差・圧倒的に火力差が大きいにも関わらず、植民地独立戦争があちこちで起こり、(現在でもウイグル族やチベット族あるいは、ロシア周辺諸民族の抵抗運動・中東でのアラブ諸民族の抵抗など)それぞれ勇敢に戦って来たのは皆、民族自立を求めるためには平和を犠牲にすることも厭わない精神・・屈辱の平和よりも守るべき価値があるからでです。
ベトナム戦争その他の歴史を見ても分るように、戦争の惨禍を経ても、民族自尊を勝ち取る方が価値があると言うことではないでしょうか?
世界中で異民族支配に抵抗して多くの人が命がけで主権回復のために戦っているのに対して、非武装平和論は折角古代から連綿と続いて来た独立国家・日本民族を、敢えて戦わずして無抵抗のママ中韓の隷属下に置こうとしているとすれば、世界中どこにも存在しない不思議な意見です。
インデイアンや日本のように果敢に戦った上で、彼我の戦力差が大き過ぎて已むなく降伏することがありますが、今の中韓と日本ではむしろ日米同盟によってこちらの方が強いくらいですから(だから引き離すために反米基地闘争をしているのでしょうが・・)、何故自ら武装解除(非武装プラス日米同盟破棄)したいのか理解不能です。
今の非武装・無条件平和論では、周辺国である中韓が反日教育徹底の結果、両国内で日本に対する報復感情が渦巻いて(その結果日本侵略を公言して)いる状態で、日本だけ非武装・非同盟を選択すれば、相手に日本侵略の誘惑を引き起こす危険があります。
この環境で非武装・非同盟を実現すれば、「無抵抗・異民族隷属化を選べ」と言う結果を期待しているように見えますが、私のうがち過ぎでしょうか?
この世の中に自ら進んで他民族支配下に入りたい民族があれば、古代から戦争は起こっていませんし、平和の有り難さも問題になりません。
平和はむやみに侵略されない程度の武力を持って一定の緊張関係によってこそ、民族の尊厳を維持出来て戦争回避出来る状態にある・・これを「平和」と言うのが過去から現在に至る国際常識・教訓です。
平和は、背後に戦争を厭わない覚悟があってこそ維持出来るものです。
相手がどんな無理難題を言って来ても、民族の尊厳を踏みにじられても、ただ迎合するだけの状態を平和とはいいいません。
近所付き合いや友人・男女関係・交渉関係でも同じで、一定の緊張関係が基礎にあってこそ円満に長続きします。
相手がいくら図々しくてもニコニコして受入れるばかりでは、相手が厚かましくなるばかりで却ってうまく行きません。
まして、中韓では長期にわたる反日教育によって、日本への報復感情が凄まじくなっていることは明らかですから、どんな無理難題でも受入れる姿勢で、中韓の支配下に入ったら大変な目に遭うことは目に見えています。
非武装論者と人脈的に共通している左翼文化人は、中韓の無茶な主張に少しでも反論すると「日本はアジアの孤児になる」とか、西洋ではどうだと言う議論がスキですが、主権維持のため戦う必要がないと・・主権国家に国土防衛軍不要と言う意見は国際的にどこの国で採用しているかを明らかにしたことがありません。
非武装でしかもどこからも応援を求めるべきではないと言う集団自衛権否定論を実行すれば、侵略したい国のやりたい放題ですから、結果的に民族の独立・・主権は維持出来ません。
独立国が自国防衛する権利がない・・防衛しない方が良いと言う意見は世界中どこにもありません。
・・日本の非武装論者だけの独自意見です。
非武装でもその代わりどこかに守ってもらうならばまだいいですが、・・どこの国とも相互防衛条約・集団自衛権協定)を結ぶことにも反対する非武装論者は、どうやって国・民族を守るかの視点がありません。
(自衛しなくとも110番すればすぐに警官が駆けつけるシステムがあってこそ、近代国家では武器を携帯せず家におかなくていいのです・・犯罪の少ない環境・・危険な国家が近くにないことが前提です)

アメリカの対日政策6

アメリかの対日政策の変遷に話題を戻します。
世界一強になったつもりのアメリカが増長した結果自ら招いたとも言えますが、最近ではあちらでもこちらでも戦火が拡大して、モグラ叩きのようになって収拾がつかなくなって来ました。
9月25日に書いたように、あちこちの政権反対派を育成して来たのが、鬼子になって育って来たのですから、言わば自業自得とも言えます。
昔は武器も限られていたし、ゲリラ戦術があまり発達していなかったので、傀儡政権を少し脅かす程度の程々に力を持っていて、傀儡政権が困れば近代兵器を投入して蹴散らしてやる・・こうして恩を着せておくのが、宗主国にとって便利な存在でした。
日本で言えば汚職等のリークで政権批判を起こさせては、適当なところで沈静化させて恩を売るし、対外的には、今後はアジアの時代だとなれば、今のうちだと中国をけしかけて、日中韓の対立を煽り、日本やフィリッピンなどにアメリカに頼るしかないと思わせるなどをして操縦に成功してきました。
このやり方は一定の組織集団間の争いのばあい、双方共にその組織・利権を根底から失いたくないことから、適当なマッチポンプ方式がずっと成功して来たのですが、ベトコン以来、失うべきもの・拠点を持たないゲリラ戦術に対しては適当な落としどころがなくなったことと、圧倒的な近代兵器投入で圧倒的に鎮圧する方法が利かなくなったので無理になってきました。
アメリカによる今回の「イスラム国」空爆は拠点を叩くには効果がありますが、拠点の分散が特徴であるゲリラ勢力にとっては、それほどの痛手がありません。
空爆の成果として発表されているのは、安物をいくつか壊した程度であって使用した戦闘機一機あたり百億円単位のコスト(撃墜されたわけではありませんが・・)と比べ物になりません。
現在の世界情勢は、中国の歴代王朝末期にあちこちで暴動が頻発して、収拾がつかなくなって来た状態と結果は似ています。
特に今回の「イスラム国」と言うスンニ派テロ集団の台頭になって来ると、敵味方が入り交じっていて、スンニ派を叩けばアメリカの敵視しているシリア政府が助かると言う状態で、アメリカがどちらの味方をして良いか「解」さえ見つからない程の混沌ぶりです。
本来植民地政支配の分捕り合戦の都合と、支配地内で部族・宗派に分かれて対立抗争を繰り返せば、植民地支配に好都合と言う思惑で、西欧列強が民族宗派の生活区域を意図的に無視して線引きした国境線に無理があります。
「イスラム国」はこの植民地時代の秩序そのものを壊そうとしていて、(日本で言えば戦後秩序の見直しにアメリカが必死になるのと同じです)従来のゲリラとは違うことから、欧米諸国は同ゲリラは如何に残虐かなど宣伝して、その鎮圧に必死になっているのでしょう。
これをどうするかは、現地人の主体的行動に任せておいて数十年〜百年単位の抗争が必要ならば、やるだけやって落ち着くのを待っているのが基本でしょう。
ただし、当然その責任は西欧元列強・・旧植民地支配国にありますが、武力介入で解決しようとするのは筋違いの責任の取り方ではないでしょうか?
欧米・・部外者にとってはこの「解」さえない・・到達点が決まらないのに、オバマは急いで空爆等を開始する決断をしてしまいました。
オバマ大統領は「やるべきときにやる決断が出来ない」と批判されたために、慌てて「やるべきではない決断をした」ことになります。
これが一般的理解ですが、もしかしたら、欧米の介入によって勝敗がつかない泥沼化を期待して、欧米の引いた線引き=秩序の修正を遅らせる・・ひいてはアラブ現地人による自律的解決を遅らせる深謀遠慮かも知れません。
アメリカのよろめき・・オバマの頼りなさを見て、すかさず中国(尖閣諸島や南沙諸島)やロシア(クリミヤ占領・ウクライナ)がアメリカに対して鼎の軽重を問う動きに出て来ました。
オバマ大統領は就任早々にノーベル平和賞を受賞しましたが、結果を見れば分るように平和論さえ唱えれば平和を維持出来るものではなく、逆説的ですが武力の裏付けがあってこそ平和維持出来ることがわかります。

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