高飛車に出た中韓の誤算5(ドイツからの技術移転?)

元々同一民族間でさえ階層を固定したい欧米人が、異民族・異教徒で蔑視しているアジア現地に技術移転する気持ちなど元々あり得ない発想でした。
・・私欲を離れて現地人のために骨を折ろうとする日本人のような普遍的思想(世界中で希有でしょうが・・)の持ち主ではありません。
基本的姿勢が違うのですから、日本の代わりにドイツに頼っても、最低限技術移転・大した成果は得られないでしょう。
まして環境や省エネ技術では、ドイツは日本に遠く及びません。
目先利益中心・・ゲンキンを絵に描いたような民族である中国では、これまで環境破壊し放題で、放置して来たツケが回って来て、生存の危機が目前に迫っている・・最早一刻も放置出来ない危機段階です。
この緊急事態下でドイツから、日本に代わってどう言う技術を移転してもらえるとマスコミが主張しているのでしょうか?
日本が簡単に屈服して来ないので、投資を呼び込むことも出来ないで、中国政府は困りきっているものの、政権基盤が弱くて妥協出来ないために、裏で泣きついているのが中国政府の本音とみるべきでしょう。
韓国政府も同様です。
韓国の方は、中国のような将来性と言う懐の大きさがない分、このまま長引くと大変で・・北朝鮮のように世界から忘れられて行くでしょうから、内心必死です。
朴大統領は政治家らしくなく、ストレートに表現してしまっているので、簡単に軌道修正が出来ません。
韓国が軌道修正しないで「百年でも千年でもそのままでいてくれ!」と期待している国民が大多数でしょう。
なまじ大統領が代わって、上っ面だけぺこぺこして来られる方が始末に困ります。
支配地の政策に戻りますと、日本が朝鮮半島や台湾あるいは東南アジア諸国で庶民まで平等教育した遺産が残って、困ってしまったのが欧米旧植民地支配国と韓国の旧ヤンパン階級(支配層)でした。
韓国旧支配層や東南アジア旧植民地支配国では、特権的地位を奪われた点での共通の恨みがあるので、これを利用して韓国は執拗に日本攻撃をしていると思われます。
欧米は遠くの植民地のことだったので、時間経過で恨みが薄れつつあるようですが、(と言うより今さら植民地支配復活を主張することが出来ないだけかも知れません・・それでも昨年だったか?日本訪問したオランダ女王が日本軍に植民地インドネシアから追い出された恨みは忘れないと言う意味の挨拶をしたと報道されています)韓国旧支配層はそこに住んでるので、「世が世なれば・・」と言う恨み骨髄のママなのでしょう。
独立・大韓民国成立後直ぐに漢字教育を廃止したのは、この巻き戻し・・庶民に対する愚昧政策復活を狙ったものと言えるかも知れません。
戸籍謄本を見ても地名と氏名程度しか漢字を書いてません。(戸籍制度を廃止したことを以前紹介しましたがその前の経験です)
漢字を教育しないだけではなく、いろんな文書がハングル中心になっていて、日常的に漢字に接しない状態ですから自然に身に付くチャンスもありませんから大変です。
今では殆どの国民は、漢字を読めない・・日本で言えば「ひらがな」しか知らない民度ですから、大韓民国成立前の文献をマトモニ読めない・・無茶苦茶な創作歴史認識を信じている状態・・教育レベルです。
表意文字だけで思考を深めるのは困難ですから、歴史文書に限らず抽象的思考の深化には困難さがつきまとうことが明らかです。
そのように理解すれば、日本支配でひどい目にあったと言う韓国(旧支配層)の主張は噓__でっち上げではなく本当のことであって・・逆恨みではありません。
不思議なのは、日本統治下で平等教育を受けていろんな分野の平等化進行で恩恵を受けた庶民までが、支配層やマスコミの煽動に乗って本気?で日本憎しになっているレベルの低さです。
台湾では、日本統治時代を批判しようとする蒋介石・国府軍の政策に台湾人が反発して沙汰ヤミになったことを以前書いたことがあります。
蒋介石の場合、中共群と言う正面の敵を抱えていた上によそ者・・占領軍でしかない弱みがあるのとの違いでしょうか?
西洋も日本によって植民地・人種的優位性を失った恨みは共通ですから、韓国は、世界中が今でも日本の敵だと信じているのです。
しかし、今や世界は欧米だけではありません。
日本の進出によって植民地支配から解放されて喜んでいる東南アジア諸国も世界の一員です。
中韓両国は結果的に植民地支配を懐かしむ欧米価値観をバックにして日本批判しているのですから、元被植民地諸国のアジアで孤立しているのは、中韓両国となっているのが現実です。
話が飛びますが、戦後レジーム・・戦勝国史観と一般に言いますが、要は植民地を象徴とする特権的地位を失った諸国が、報復感情で充満したレジームと言うことではないでしょうか?
韓国や中国が自国等に対する帝国主義的旧支配階層・・実は中国を事実上の植民地化して駐屯していた諸外国軍を追い出したのは日本軍でした・・この結果、日本がいなくなって完全独立出来た点は、東南アジア諸国と同じです。
中韓では、高圧的な支配に対して、台湾のように反抗出来ない程、専制政治に対して弱過ぎるのが哀れです。
戦後中国支配下に入った内モンゴルでは日本支配時代を良く思う人民が多かったので、日本によって文字教育を受けた人民がほぼ皆殺しにされたと亡命者が証言しています(この方法をポルポト政権が見習ったと思われます)し、旧満州でうっかり日本時代を賛美しょうものなら大変な目にあうので・女真族は差別や迫害を受けるので漢人に同化しているフリをしてみんな沈黙していると言われます。
数年前に韓国の高齢者が若者に「戦前の日本統治は良かった」と言って、殴り殺された事件がありましたが、根が同じです。
チベットやウイグル族が迫害に抵抗している状態が報道されていて大変な印象を受けますが、彼らはまだ抵抗出来るだけマシな民族かも知れません。
追記
1月23日MSNをみると以下のネット情報が出ています。
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/【【河村直哉の国論】南京「30万人」固執する中国は「モンゴル人30万人」を虐殺した 文化大革命…今なおチベットなどジェノサイド

【河村直哉の国論】南京「30万人」固執する中国は「モンゴル人30万人」を虐殺した 肛門に焼いた鉄、獣姦…文化大革命、なおチベットでジェノサイド:
南モンゴル出身で、自らを「亡国の知識人」とみなしている静岡大学教授の楊海英氏。「狂暴国家 中国の正体」(扶桑社)や「モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料」(風響社、写真)などを出版している© 産経新聞 提供 南モンゴル出身で、自らを「亡国の知識人」とみなしている静岡大学教授の楊海英氏。「狂暴国家 中国の正体」(扶桑社)や「モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料」(風響社、写真)などを出版して・・

植村記者問題5(記事掲載前後の状況)

弁護団が12月に国家賠償訴訟提起したキジも植村記者が書いていますから、8月報道は強制連行を前提にした記事であることが明らかです。
訴状をみていませんが、任意売春婦であれば(誰かに騙されたならば騙した人を訴えるのがスジです)国家賠償など請求出来る筈がないのですから・・。
政府は、政府関与を否定し続ける中で宮沢訪韓に向けて朝日による執拗な報道構攻勢が以下のように続いていました。
この一連の報道攻勢に屈した宮沢総理が訪韓中何回も謝罪を言い続けなければならなかった経緯が「見解」で認定されています。
この大きな流れのなかで決定的役割を果たしたのが、植村記者の慰安婦出現報道記事のようです。
委員会見解に認定されている19991年8月に始まる植村記事前後における強制連行関連に関する朝日新聞記事・主張?状況を見ておきましょう。

(1)1990年の報道状況等
ア 吉田証言に関する記事
1990年6月19日、朝刊(大阪本社版)社会面(26面)に「名簿を私は焼 いた」、「知事の命令で証拠隠滅」、「元動員部長証言」との見出しのもとに、吉田氏 の顔写真が付された記事が掲載された。
同記事は、吉田氏について「戦前、山口県労務報国会下関支部動員部長として、『徴 用』名目で多数の朝鮮人を強制連行した」と紹介し、吉田氏が朝鮮人の徴用に関す る書類を焼却したことを報道するものであり、その前提としての強制連行について は、「地元警察署員らが集落を包囲した後、吉田さんらが家の中や畑で作業中の朝鮮 人男性を強引に引きずり出し、次々に護送車に乗せた。抵抗すれば木刀で殴り倒し た」、「『同じやり方で多くの朝鮮人女性を従軍慰安婦として連れ去ったこともあります』」と記載する。
同記事は、書類焼却の点など他の取り消された記事にない部分があり、吉田氏の 発言をカギ括弧で引用していること等から、吉田氏を直接取材して作成したものと 認められるが、執筆者は不明であり、取材の詳細も判明しない。
イ 吉田証言に関する記事以外の状況 韓国では、1990年1月に、尹氏による慰安婦に関する「挺身隊取材記」がハンギョレ新聞に4回にわたり掲載された。
2)1991年の報道状況等
ア 吉田証言に関する記事
a 1991年5月22日付記事 1991年5月22日、朝刊(5面)に「木剣ふるい無理やり動員」、「加害者側の証言記録必要と執筆」などの見出しのもとに、吉田氏の顔写真の付された記事が掲載された。
記事前段省略「・・・・朝鮮に おける行動の詳細が記載されている。例えば、「私たち実行者が十人か十五人、山 口県から朝鮮半島に出張し、その道(どう)の警察部を中心にして総督府の警察 官五十人か百人を動員します。(略)殴る蹴(け)るの暴力によってトラックに詰 め込み、村中がパニックとなっている中を、一つの村から三人、五人あるいは十 人と連行していきます。(略)十万とも二十万ともいわれる従軍慰安婦は、敗戦後、 解放されてから郷里に一人もお帰りになってないのです」とする。
b 1991年10月10日付記事
1991年10月10日、朝刊(5面)に前記「女たちの太平洋戦争」の一つ として「従軍慰安婦 加害者側から再び証言」、「乳飲み子から母引き裂いた『実 際、既婚者が多かった』」、「日本は今こそ謝罪を」の見出しのもとに、「『私はもう 年。遺言のつもりで記録しておいてほしい』と語る吉田清治さん=東京都内で」 との説明のある吉田氏の写真が付された記事が掲載された。
筆者は、記事中に3時間余り吉田氏を取材したとの記載があるが上記aの記事 の取材と同様にあまり記憶がない、記事左下の関連記事も自分が書いたとは思う と言う」

今回のテーマとは少しずれますが、1月9日に書いたように上記認定は委員会の故意的突っ込み不足顕著な印象です。
取材した場合、記事にしても基礎になるメモや録音を廃棄するのではなく、取材メモや録音・写真等を記録として残す筈ですから、その記録を何故見ないか、もし残っていないとしたら、何故なくなったかの検証こそが委員会に期待されているのではないでしょうか?

(3)1992年の報道状況等
ア 吉田証言に関する記事
a 1992年5月24日付記事及び同年8月13日付記事
1992年5月24日、朝刊第2社会面(30面)に「慰安婦問題 今こそ自 ら謝りたい」、「連行の証言者、7月訪韓」の見出しのもとに、吉田氏の顔写真が 付された記事が掲載された。
同記事は、「『私が慰安婦たちを朝鮮半島から強制連行した』と証言している千 葉県在住の吉田清治さん(七八)が七月、韓国に『謝罪の旅』に出る。」

以下省略
上記は朝日が取り消した記事の記載だけですが、その外に「窓」と言う欄で吉田氏証言を前提にした記事が・・「論説委員会室から」と言う名称で1992年1月23日と3月3日夕刊に掲載されていることが、資料として公開されている新聞コピーで明らかになっています。

第三者委員会の役割5(植村記者問題1)

推測にわたる委員会見解までは不要としても、検証努力をどこまでしたか、記録消失・担当者全員行方不明?などによって、どこで分らなくなっているか程度までを調査してこそ、検証したと言えるのではないでしょうか?
この点で第三者委員会見解は、報道と人権委員会よりもメリハリ不足・・会社に不利なことは出来るだけ掘り下げて聞かないようにしている印象を受けてしまいます。
法人の問題検証である筈なのに、第三者委員会では個人である植村記者個人問題(現在は退職しているので、正確には元記者ですが見解同様に以下植村記者と書いて行きます)を何故詳細に取り上げたのか不思議ですが、同記者に対する個人攻撃を押さえ込みたい朝日新聞社の意向を受けて独立のテーマにしたとすれば、(ネットで氾濫しているように)予め結論が見えていたとも言えます。
検証となれば、憶測にわたる批判部分は憶測である以上根拠がないと言う結論になるのが当然ですから、やるまえから結果が分かっていたことになります。
この見解が年末に出ると待ってましたとばかりに植村記者は名誉毀損の訴えを提起したと1月9日に外国人特派員協会で記者会見を開いているのをYouTubeで視聴しました。
聞いていると彼は「私は愛国者です」と言うのですが、何故外国人特派員協会で(国外向けに)真っ先に記者会見を開くのか意味不明です。
原発吉田調書事件では国内向けとは違い、外国向けに「逃亡、公然と命令に反抗した」と言う意味のメッセージしていたことを数日前に紹介しましたが、朝日とその出身者は日本国民相手よりは、外国人向け発表を重視し、(国民の理解を求めるよりは)・・外国からの支持を期待している傾向があることが分ります。
弁護士の戦い方にもよりますが、労使問題等で私に相談に来た場合、うまく切り抜けるか戦うかどちらを選ぶかの基本方針を依頼者と決めるのが普通です。
労使紛争の場合戦ってその会社に居辛くなっても別の会社に行けば済みますが、国民全般相手の場合別の国に行くのは容易ではありません。
発光ダイオードの中村氏の場合、結局米国に移住してしまいましたが・・。
その順序を践んで相談していた場合、国民との和解を求めるならば、憶測にわたる部分は非合理な憶測中心ですから、証拠がないと開き直っているのではなく、丁寧に説明し理解を求める地道な努力をする道を選ぶことになりますが、努力をどのようにしていたかが見えません。
国民にもいろいろあるのですから、批判しているのが非合理な少数者だと言う自信があれば、国民の理解を求める・・国内メデイア向け記者会見をすべきだと思うのですが、何故外国メデイア向け記者会見から始めたのか不思議です。
国内支持者少数と言う前提で、多数国民と対決するつもりだと言う批判が起きるでしょう。
年末から書いているように、司法機関は第三者委員会(は、こうするべきと言う提言も職務範囲ですが)とは違い、法的・争点と意味のあるテーマしか扱いません。
明日書きますが、慰安婦による国家賠償請求訴訟では、条約で解決済みの場合、そこで門前払いですから、本当の慰安婦かどうかの認定をしません。
京都の朝鮮人学校に対する在特会事件でも、マスコミはヘイトスピーチ判決と評価した印象報道ですが、実際にはヘイトスピーチを裁いたのではなく業務妨害の損害を認めただけの事件であると言われています。
(判決文を見ていないで巷間の噂によります)
植村記者関係の新聞記事はコピーが資料として出ていないので、私は第三者委員会見解に書いてある事実しか知らないので何とも言えませんが、植村記者側弁護団は司法に持ち込めば憶測にわたる部分は認定されることはないので、充分勝ち目があると践んだのでしょう。
(昨日書いたように朝日の記事による国際影響の有無も拾い出せる証拠・・引用件数だけからみれば「見解」のような結果になるのは、やる前から結果が見えています)
しかし、国民(個人攻撃している人とその応援団)の怒りの核心は明日以降書いて行くとおり、全体の文脈で日韓を感情的対立のルツボに追い込んでしまった社会・政治責任をどうしてくれるのかと言う感情論ですから、(法的責任を求めていません)テーマ・論点の違う司法の場に持ち込んで「勝った勝った」と宣伝されると朝日新聞同様の「論点すり替えの繰り返し」だと言う批判・・不満を却って強くするリスクがあります。
在特会問題も朝鮮学校は裁判で勝ったでしょうが、裁かれたのは手段の違法性であって、朝鮮人学校の公園使用行為そのものが正当だと認定されたものではありません。
記者会見では「(勤務先への嫌がらせがあって勤務先に迷惑がかかるならば)何故朝日をやめるのか」と言う趣旨の質問があったことに対して、同記者は、直接応えずにはぐらかすような回答をしていたように見えました。
今の勤務先に「やめさせろ」の抗議がある状態が人権問題になっている状態ですが、会社の方針どおりの仕事をした結果(不正取材報道でないならば)、個人攻撃を受けている最中に朝日が解雇するのは無理があるし、朝日にいれば会社が防波堤になる筈で、抗議電話があるからやめてくれとは言えないでしょう・・それなのに彼が何故自発的にやめて他所の会社に新規就職して就職先に迷惑をかけるのか不思議ですから、外国人記者の質問は的を射ています。
このやり取りをみると、(敢えて植村記者問題を別項目にして、会社が調査を委員会に求めていたことから見て)植村記者が会社をやめたことにする(合意の)メリットが会社と記者双方にあったように推測されます。
年末の22日に委員会見解発表して、年明け早々に訴状提出と言うのでは、(弁護士の立場で言えば年末〜正月開けに相談に来て9日までに大弁護団結成して訴状提出までは行きませんから・・)事前にある程度準備しておいて「見解」が出たらこれを踏まえて若干の手直しをして完成させると言う事前準備していた・批判する立場でみれば第三者委員会の検証テーマに決めたときから、見え見えの出来レースと見る人が多いでしょう。
植村記者問題は言わば感情論ですから、そこをどうやって沈静化させるかの工夫が必要で、裁判で勝ってもどうなるものでもないように思われます。

マスコミの情報操作5

輸入が徐々に減って国内雇用が増える恩恵(菱木雇用が増え失業率低下)が始まっており、これが自国通貨安の狙いですから、日本のために良いことがあると(中韓は損する関係?)いつも都合の悪いところばかりマスコミがとりだして 強調するのはおかしな姿勢です。
ただし、どんな政策でも恩恵を受けない少数者が必ず発生するものですから、その方への目配り・指摘することも必要です。
消費税に対して生活必需品を除く・・車が出来れば事故が起きますので、安全対策や事故被害者救済政策の必要など、負の側面解消の指摘までは合理的ですが、さらに車や工業生産拡大そのものに反対するのは論理飛躍です。
同じく円安の負の側面も指摘する必要は分りますが、トータルとしての経済政策の是非・・円安批判・・マイナスイメージ刷り込みまでをメデイアの役割として必要か、妥当かとは別問題です。
(後記のとおり、論理的意見の開陳は許されるがイメージ宣伝する不当性をここでは書いています)
円安の恩恵にこぼれる階層があるとしても、(車に乗らないで被害に遭うだけの人、道路を造れば立ち退く人もいるし、自宅改築すれば、その間生活が不便(時間軸の誤差)でしょう)恩恵の及ばないひとが皆無・万人に好都合な政治はあり得ません。
恩恵の及ばない人や被害を最小限にとどめながら最大多数の幸福を狙うのが政治ですから、個別の弱者救済論に留まらず、政策批判する場合には、受益者数と、恩恵の及ばないグループとの公平な比較・・相対的優劣を論じるべきでしょう。
公平な意見を述べた上で恩恵の及ばない少数者に光を当てるのも必要ですが、論理を書かないでムード的にマイナスばかり強調する・・イメージ刷り込みを続けるのでは、政策全般に対する批判・・政策が悪いかのようなミスリード記事になります。
(論理建てしない・イメージ報道を繰り返すのは、反論を許さないやり方・広告宣伝のたぐいであって、そもそも言論と言えるか疑問があります。)
マスコミは高齢者就労率増加や女性新規就労記事もぽつぽつと書いているから偏向していない・・違法ではないと言う価値観を持っているようです。
12月30日に名誉毀損記事の裁判例で紹介したように、大見出しでは「格差拡大」や恩恵を受けていない人の特集記事が氾濫している一方で、あちこちの別の見出し記事の中に「モノゴトは順を追って進む」意味の記事を目立たないように書いているので結果として偏っていないことになるのでしょうか。
マスコミは、「違法で」なければ良いのではなく、自社の期待する政治立場へ(論理を明らかにしないムードの刷り込みで)情報操作してよいとは思われません。
マスコミは中立である可シと言うコンセンサスがあるすれば、見出しも公平に作るべきでしょう。
円安関連報道を見ると景気拡大の恩恵を受けている人の方が少ない・少数派を多数派であるかのようなイメージ造りに励んでいる印象です。
真逆の報道をそのまま信じている頭でっかちの政党が、これが多数だと誤解して?公約に掲げて頑張るからわずかしか当選出来なくなったように見えます。
韓国政府が自分の意のままに報道してくれる朝日の慰安婦報道を利用して暴走してしまい、今や困っているのと同じです。
左翼系も中韓政府も日本マスコミ支配しているつもりで、(真逆の報道を長年続けて来た張本人が、この効果を過信し、自分タチの作ってきた虚偽記事が日本世論実態であると過信して)失敗している構図です。
比喩的に言えば、裸の王様がこれを賞讃する国民全部に(本心と誤解して)これを着せてやろうとして、寒さに震える国民に抵抗されたような状態です。
以下、事実報道よりもマスコミ各社の政治方針・色づけが先行している事例として、昨年発覚した朝日新聞の連続誤報・虚報事件を参考事例にして行きます。
朝日新聞による原発吉田所長の調書の曲解記事報道は、職員が命令に反して逃走・職場放棄したとは読めない資料なのに、これをそのように発表してしまったと言われています。
余程偏った読み方をしても客観状況とあわせてそのように読めない資料だったらしいですから、(事前手配したバスに乗って整然と移動して、次の指示で整然と戻っている・・指示系統が乱れていないこと)朝日新聞では事実報道よりも先に「こう言う報道したい」と言う結論(偏った立場?第三者委員個人意見によれば「角度」)が先にあったことが原因と見るの普通でしょう。
朝日新聞の悪質性批判の中心は、吉田調書が非公開と決まっていたこと・・誰もねつ造虚偽報道の批判が出来ないことを良いことにして、逆の意味にすり替えて公表したのではないかと言う疑問です。 
そうとすれば確信的虚偽報道行為です。
こうした国民世論沸騰によって謝罪に追い込まれ、第三者委員会の出番となったのです。

12月14日総選挙と民意1

12月13日以来「社会変化反対運動と功罪1」のテーマで、日本の変化に何でも反対して来た結果の功罪を書いているついでに、その国外編として12月17日以来国際的日本批判活動をする理由などについて書いてきました。
国内的には、成田空港や高速道路・・新技術が出るたびに全て反対しっぱなしで(公害問題では成果が出ましたがその他分野では・・)その結果についての総括・反省がないまま頰っ被りしているのでは、無責任極まりないことになります。
無責任主張ばかりで、結果について何ら反省しないかことが主な原因で旧社会党がほぼ消滅状態になってしまったとおもわれます。
慰安婦問題についても、社民党党首の福島氏が主導して来たことが知られていますが、これだけの大事件を引き起こした主導者でありながら、何らかの訂正その他の発表をしたとも(私が知らないだけかも知れませんが・・)聞いていません。
今回の総選挙で言えば、消費税増税の必要性をマスコミ各社やマスコミに登場する経済学者の多くがこぞって主張していましたが、その結果、折角立ち直りかけていた日本経済は、この夏以降腰折れ状態になってきました。
それでもなおマスコミ界とその意を受けた財界人や学者が夏に雨が多かったからだとか言ってはこぞって連続増税の実行を主張していた状態でしたが、安倍政権が解散を決めると雪崩を打って政界は増税延期賛成に一致してしまいました。
この結果を見れば、増税は日本のためにならないと言うことが、国民大多数の意見であることを政界もマスコミもみんな知っていたことになります。
増税実行要求を繰り返していたマスコミとマスコミ系経済学者は、解散が決まると手のひらを返すように増税延期に賛成しているのですが、これに対しても何らの弁明・釈明ありません。
だんまりで頰っ被りしていれば、その内国民は忘れるだろうと言う読みでしょうが、旧社会党が頰っ被りの繰り返しで責任をきちんと取らなかったからジリ貧になっていったことを忘れているのでしょう。
組織も個人も失敗した場合に責任を取ることによって軌道修正出来ますが、独裁制・・批判を許さない無責任体制の場合、軌道修正のチャンスを失うことが組織にとって長期的には致命的欠陥になります。
「失敗は成功のもと」と言いますが、失敗しても誤摩化して反省しなければ意味がないのと同様・・反省することが次から失敗しない教訓になります。
マスコミ系学者・政治家こぞって増税実行を要求していたのに、選挙になると黙ってしまい、「争点のない選挙だ」とマスコミが一斉に大報道を始めました。
これは、増税の可否が争点になると自分たちの間違った主張(国民を誤導しようとしていた悪事?)が白日の下に曝されることが分っていたからではないでしょうか?
マスコミその他の御用学者は、国民は無知蒙昧だから、国民の判断は間違っているから、選挙では黙っていてその後に増税するやり方が正しい・・国民を騙すべきだとでも言うのでしょうか?
民主党政権時代には、増税しないと明言・公約して選挙していたのに、野田政権は公約に反して増税決定してしまいました。
国民の意見など聞いていると増税など出来る訳がない・・「国民は馬鹿だから無視すべきだ」と言う非民主的基礎意識の強い政党が「民主」党と名乗っているのでは、ギャグを地で行った政党です。
国民はバカだから騙して良いと言うのでは、選挙制度=民主主義否定論と同じです。
選挙こそ民意反映の最強手段ですから、このときこそ、増税が必要ならば大きな声で主張すべきです。
特定秘密保護法が国民の理解を得られていないと言う批判が(内容に関する批判よりもこの主張が大きいように見えます)、反対論やマスコミに強かったし、今も続いています。
集団自衛権に関する解釈変更も、国民意思を問わないで内閣が勝手に変更して良いのかと言う批判がマスコミや人権運動家で普通に行われています。
反対運動はいつも市民活動家とか市民集会の名称ですが、(自分が市民の代表であるかのような僭称が普通ですし、「国民意思に反している」と言うときに誰が国民意思を判定しているのか不明で疑問したが・・)本当に国民の意思に反して政府が強行したと言うならば、今年夏に解釈変更したばかりですから、直後に解散・選挙になった以上はこのチャンスを活かして、国民意思無視に対する非を鳴らして民意を問えば良いことですし、また自ら争点化して訴えるべきだったでしょう。

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