非政治組織と政治4

特定利益目的活動の場合、その補助金をもらえない、あるいは規制緩和で優遇されない競合職種の反発があって、自然にある程度抑制されます。
日弁連あるいは新聞報道は、ズバリ特定業種の利益を目的にしない・・抽象化されていることが多いから、その主張に反発する勢力が発生し難い・・ひいては主張に抑制が働かない傾向があります。
現在のマスコミ会で言えば、ズバリ分るような反日報道が出来なくなったことから、格差社会反対とか生活保護需給基準を引き揚げよ!水際作戦批判と言うような主張が中心になっています。
生活保護費引き上げや水際作戦批判運動は、目先どこかの業界が損をする訳でもないし、自分が損する訳でもないので、署名を求められると反対することはないかと普通は署名に応じmすし、可哀相と言う情に訴える運動は同情を得やすいでしょう。
しかし、生活保護基準の決め方は絶対的基準がある筈がない・・単に可哀相だと言う基準ではなく、日本全体の生活水準を基準にして、どの程度の応援が妥当かと言う冷静な基準で判断すべきことであって、情緒に訴えて増額ばかりして行くのは間違いです。
一度保護所帯に転落すると労働意欲がなくなってしまう傾向が指摘されています。
格差社会になっていると言う強調意見を前提にすると、億万長者・千万円前後の高収入者を含めた平均生活費を基準にして、生活費を決めるのはおかしな基準・矛盾主張になりますが、こう言う時には、高収入者を含めた平均生活費を持ち出すのは論理が一貫しません。
その結果、まじめに働いている働き盛りの人の最低賃金よりも生活保護費の方が高くなっていると言う逆転現象が大分前から起きています。
これでは生活保護から脱却するために、新たに働き始める気持ちになり難い・・働くと損するような気持ちになり易いでしょう。
これを逆さに主張して「最低賃金が低過ぎるから引き上げろ」と言うようですが、こう言う論理では際限のない主張になって行く・・論理が倒錯していると言うべきでしょう。
最低生活費の基準は億万長者を含めた平均基準ではなく、庶民・最下位層の生活費水準の何割程度にすべきかを基準にすべきです。
「働いたら損だ」と言う人を増やすような政策主張は、働かない人を増やそうとする試みですから、長期的には日本の基礎体力や道徳心を蝕んで行きます。
何のためのこんな倒錯した主張を熱心にしているのか意味不明ですが、こうしたことを繰り返して行くと、反日宣伝集団ではないか?と言う主張にも一理ありそうな印象を受けてしまいます。
同業種または隣接業種への補助金支給や資格アップ報道ならば(例えば司法書士が、法律業務に進出許可するとなればすぐに弁護士会が反発します・・)すぐに被害を受ける業界が反応するので間違った報道は是正され易いのですが、生活保護という弱者救済論や・・海外の報道の仕方が偏っていても誰が得して誰が損することになるのかすぐには分りません。
すぐに反発する業界・対立関係者がないことに乗じて、マスコミ界はいろんな情報を長年親中韓・反日報道に加工して来たと言われていますが、被害を受けるのが国民一般と言う漠然としたものであったこと、目の前でストレートに得する(その逆に損する)業界がなかったことから、国民が気が付くのが遅くなってしまったことになります。
このために数十年以上にわたって、朝日新聞その他マスコミ界が中韓の利益にあうように中韓に都合の悪いことは一切報じないで持ち上げ報道ばかり、日本が将来困るようになることは針小棒大に報じる傾向が続いていました。
国民が被害に気付くのが遅れる分、被害が深く大きくなるので、国民が漸く気が付いたときには、その怒りをその分大きく受けます。
独裁政権が何かやると直ぐには反発を受けない代わりに、不満がダムのように溜まってから決壊・倒壊すると、民衆の怒りが取り返しのつかないほど溜まってしまっていることになります。
やはりちびちびと批判を受け安い仕組みにしておいて誤りを徐々に修正して行く方が傷が浅い・・これが民主主義の良さではないでしょうか?
日弁連や日教組・マスメデイアその他民意を直接反映する仕組みのない組織は、行き過ぎないように余程自戒し、心しておくべきことです。

農協法6(共産圏の集団指導体制3)

何でもユダヤの陰謀とかコミンテルンの陰謀などに結びつける議論があります。
農協法を見ると一見民主的組織にしているものの、基本は中央による指導体制の貫徹・締め付けにあることが分ります。
中国やソ連の制度は一見民主的ですが、(今の学説がどうなっているか知りませんが、私の司法試験受験科目当時の政治学では、独裁も民主主義の一形態と習いました)実質は中央による「指導体制の確立」になるように仕組まれていたことが重要です。
ソ連や今の中国(全人代等)北朝鮮では、いつも100%の圧倒的多数による信任・決議・・満場一致が常だと言われています。
(ただし今年の全人代は予算案に対して13%もの批判票があったと伝えられています)
下部組織が上部組織を選ぶと言っても、実際には中央に指導されるだけで異を唱えると指導に反した廉で下部組織で出世出来ない(どころか反党行動として粛清される)仕組みですから、いつも拍手するだけの会議になります。
ソ連・中国の法制度を直接知りませんが、農協法による中央の下部組織への「指導」権が法的に強制されているところに、共産圏の独裁体制の法的仕組みをかいま見ることが出来ます。
戦中戦後にかけてアメリカの大統領以下中枢政治家が、コミンテルンの影響下にあったと言う論説が最近頻りに紹介されています。
その反動で赤狩り・マッカーシー旋風(・・我が国ではレッドパージ)が起きたと言う時代の流れらしいです。
我が国で親中韓であった民主党政権の反動で、嫌韓嫌中勢力が台頭したのと似ています。
コミンテルン影響の真偽は私には分りませんが、農協法を見ると(コミンテルン思想下にあった)アメリカの指導で、ソ連の組織・制度を持ち込んだ印象を受ける1事例と言えそうです。
農地法では農業委員会が最終権限を持ち、その他教育委員会など最終権限を委員会に委ねる委員会方式がその頃創設されています。
委員会方式はある程度中立性保障等の意味がありますが、行政目的実現よりは、第三者的に判断する場合に用いられる準司法的制度ですから、これが行政組織に持ち込まれると(評論家的意見で実際の政治が出来ません)主体的な行政目的実現機能を果たせず、現状維持的にならざるをを得ません。
朝日新聞の第三者委員会「見解」を紹介しましたが、「委員会」制度の本質は一般的に過去の事実検証とこれに対する見解を表明することが主たる目的です。
共産圏の1党独裁体制の法的仕組み(ロシア語や中国語が読めないので実際は良く知りません)が、農協法や農地法の農業委員会あるいは教育委員会制度からある程度窺い知れます。
漢方医が脈だけで病名を推測しているよりも、もっと遠い想像かも知れませんが・・。
フランス革命等西欧の市民革命では、農地解放が行なわれていませんが、ロシアではロマノフ王朝時代末期から、革命前後を通じて農奴解放が大きなテーマでした。
ロシア革命後すぐに「労農評議会」が出来ているように、コミンテルン本部のあるロシアの経験では農民の処遇が最重要課題でした。
米軍占領後直ぐに農地解放から占領政治が始まったことと、農地解放後の農政がイキナリ協同組合方式で、農政の基本は政治から独立した農業委員会方式を採用し、しかも中央の指導体制が強固に規定されたのも自由主義に価値に置く米国的価値観による政治としては異例のことです。
アメリカ流の農業近代化・合理化であれば、規模拡大と自由競争が基本的な考え方になるべきで、細分化や中央の指導強制はアメリカの基本姿勢と合致していませんが、農民解放と集団農場化・組合方式による中央からの指導と言う図式徹底は何故かロシア革命の図式に符節します。
(私はソ連や中国の条文を知らないし、アクセスする方法も知りませんし、農協法とソ連制度との関連に関する学問的文献を読んでいないので漏れ伝わる集団農場や国有農場形態のうろ覚えを前提にしていますので、私の飛躍した?想像としてお読み下さい)
自民党は保守党とは言いながら、実は自由な活動を党の方針とする漸進主義政党であって革新と言われる社会党その他は実は超保守政党であることを大分前から・・例えば・最近では「証拠法則と科学技術2(自白重視2)」December 6, 2014などで書いてきました。
自民党の本質は自助努力して国際競争をする気のある業界や企業を応援したいし、旧社会党その他革新系?野党・文化人?は新しい技術利用に先ずは反対してみたい・・いろんな分野の変化を嫌い、防犯カメラが発達すると肖像権を守れとかプライバシー侵害と主張し、「◯◯を守れ」「改悪反対」と言うのが基本的姿勢です。
3月13日まで紹介したように、上からの指令で動く農協組織は、自由な発想を求め絶えざる変化を求める自由主義政党とは、本来は水と油の関係です。

農協法5(共産圏の集団指導体制1)

話を私の疎開時代の農村社会に戻します。
・・と言うより空襲を受け、丸焼けになってからの東京脱出ですから、正式には疎開ではありません・・母は焼け出されて来たと言っていました。
私が米軍空襲の被害を受けて中学卒業まで田舎に暮らしていたトキの経験では、田舎では村役場と農協事務所・小中学校は隣接していましたし、直ぐ近くには農協の醤油製造工場(大豆の焦げる良い匂いがしていたのを記憶しています)もありました。
子供心には農協と役場の区別も分らない(・・村の中枢と言う印象?)ような印象で暮らしていました。
意外にこの子供心の印象が、実態にあっていたのかも知れません。
ソ連や中国の集団農場が病院から学校まで全て包摂していたと言われる状態を彷彿させる・・農業関係者・農協の重鎮中心に回ってる社会構造でした。
一般の業界団体では加入業者の自主性が基本で、同業者間で共通課題が生じているときに業界一丸で勉強会を開いたりして対処しましょうと言う方向ですが、農協法では上(中央)からの指導と助け合い(共済事業)が中心コンセプトの印象で、業界団体とは本質が異なっています。
単位組合の上に君臨するのが中央会と言う別組織でこれが指導から監督までみんなやる仕組みになっています。
今朝の日経新聞朝刊第一面に、タマタマ農協の営農指導員不足を大きく書いています。
日経では、指導不足こそが農業が発展しないどころかお荷物になっている原因と言わんばかりです。
私の意見は自己啓発努力しないで、中央に頼り切るシステム・精神こそが、自発性を育てない結果長期低落傾向になったと言う意見ですから日経とは視点が違います。
マスコミ系は人権や民主主義を声高に言う割に、何かあると中央の監督責任ばかり追及する傾向があること・・結果的に、中央の権限強化を促進する傾向があるとこのコラムで繰り返し批判してきました。
指導力強化ばかり・・末端は指導を待っていればいいと言う状態では、その分野は却って駄目になると言うのが私の持論です。
指導は効果が出易いですし失敗もありませんが、どこかで成功した事例を別の地域に持って行って真似させるだけでは(効率はいいでしょうが)発展性がありません。
地方自治体も同様で、どこかの先進自治体の成功例があると見学者が引きも来らずと言うありさまで、結果的に日本中同じような地方起こし企画ばかりになっています。
こんな指導員ばかり育てても仕方がないでしょう。
他所で成功していると言う早耳情報に頼っていたことが、自分で考えない農業にしてしまい、ひいては農家が構成主体になっている地方自治体(地方役人の実家が農家と言うのが圧倒的です)も同様に中央の指導や先進事例の収集に精出す結果になってしまったのだと思います。
折角地方立地・誘致した工場が景気動向その他の事情で出て行くと、・・何故その後単なる元の荒廃地に戻ってしまうのか、地元に産業の芽が残らないのか疑問に思っていましたが、70年(数世代)にわたって後進国並みに指導を受けるだけで自主性放棄して来た結果、地元農民出身の従業員が意欲や能力のない国民性になってしまったことによるのではないでしょうか?
中国、韓国、台湾でもタイでも、日本企業が進出して数十年もすると現地人経営の工場やサービス業(日本並みのスーパー)等が生まれて来て、日本企業が現地企業に負けて追い出されて行くのが普通です。
日本の地方は、折角先端企業を誘致してもこれに触発されて自前の新規創業が出来ないのでは、結果から見ると中国や韓国、台湾、タイ等以下の国民レベルになっていることになります。
地方発の新規産業がなかなか生まれなくなって久しいのは、基礎になる人材が中央からの指導待ち人材になってしまったことによると思われます。
地方の基幹産業である農業が衰退したから地方の元気がなくなったように一見見えますが、自発性のない人材が同じ(地方公務員その他公共事業経営者も実家が農業と言う人が圧倒的)ですから、自発性・発展性がなくなっている結果と見る方が正しいでしょう。
以前優秀な人材が出るとその都度中央に吸い上げられてしまうから、この繰り返しで地方の人材は痩せてしまう・・と言う意見を10/02/03(2003年です)「地方自治と人材3(憲法38)」その他で書いたことがあります。
それにしても同じ親から生まれた兄妹の中で地元に残った長男の家系(に限らず、残るような人は元々進取の気性に乏しい傾向もあるでしょうが)だけが自発性が格段に乏しくなるのは、制度的仕掛けの影響がかなりあったのではないかと言うのが今回の意見です。

原理主義と利害調整5(未成熟社会2)

現政権打倒を叫ぶ原理主義勢力は、現政権に反対している点で一見民主主義勢力のように見えますが、目的とするところは逆です。
軍事政権が欧米価値観と妥協して少しずつ戒律を緩めて自由化していることを批判しているのですから、彼らが政権を取れば、正面から原理だけ・・即ち一党・1神教独裁(イスラム諸宗派内でも、より純粋?硬直的教義実行を主張しているのですから、一応西欧的信仰の自由などを認める妥協的軍事政権や王制よりも、もっと偏狭な政権となります。
「文句を一切言わせない・原理の修正を一切しない結果→強権政治を!」と言うのが、原理主義運動の本質でしょう。
イランのパーレビ国王の専制体制を転覆したのはアメリカのカーター大統領の人権外交の成果?でしたが、実際に政権を取った原理主義者は、政教一致の原理主義で厳格な戒律が復活して(女性は外に出られない・スカーフの着用強制など)却って国民は不自由になってしまいました。
原理主義のママでは現実政治を(紅衛兵運動みたいな吊るし上げ・・恐怖政治は長続きしません)長期的にやって行けないので、その後徐々に穏健派が勢力を増やしていますが、もとの王制で得ていた程度の自由を復活するには数十年〜50年単位の時間軸で、かかるかな?と言う程度です。
それでも欧米の強制・押しつけられた結果より、自分たちの実力で選んだ政体の方が幸せと言う価値観で国民の不満を慰めているのでしょう。
民族は、自分たちの能力に応じた政治しか出来ないと言うところに落ち着くしかないようです。
イラクのフセイン大統領の圧政から解放した筈のイラクでは、収拾がつかなくなっているし、アフガンでも同様です。
数年前のチュニュジア、リビアに続くエジプトの政変では、民主化?された結果、信教の自由をある程度守っていた政権の重しが取れたことから、キリスト教徒に対する差別や迫害が始まっていたようです。
4〜5日前に起きたリビアでの、テロリスト「イスラム国分派?」によるエジプト人のキリスト教徒大量処刑事件は、エジプト騒乱・・民主化デモ以来の迫害から逃れるためにキリスト教徒が隣国リビヤへ出稼ぎに出ていたことが、事件発生の背景のようです。
事件は単なる政治闘争である「イスラム国」の過激事件と言うよりは、元々宗教原理主義=異教徒に容赦ない本質があぶり出されたことになります。
世俗政権であるエジプト軍事政権は、欧米の支持が欲しい以上はこれに報復攻撃するしかないのですぐに空爆で報復したのはこのような背景があるようです。
関係のない日本人人質処刑などで「イスラム国」が敵をドンドン増やして行くのは、一見愚策のように見えますが、元々彼らは多数の支持を得ること・・正義を目的としてはいません。
テロリストはテロで騒ぎを起こすのが目的・・一種の愉快犯であって、恒久的政権・・国民支持が必要な領域確保まで望んでいないのですが、たまたまイラクの元フセイン政権の残党(元軍人)がこの主力となっていることからか、「イスラム国」として一定の支配地域を確保したことで事態対応がややこしくなっているだけです。
テロリストの本音から言えば、支配地確保・・自分でいろんな意見を吸収しながら政治することに関心がなく、テロリストはテロすることが自己目的です。
テロリストがての結果一定の地域を支配してしまうと、その地域でテロする訳に行きません・・精々イキオイに乗って残虐性政治しかないのですが、それでは続かないし支配下の弱い人間をいたぶるだけでは面白くないでしょう・・。
昔から山賊は気まぐれに出没している程度だからやって行けるのであって、その集落や地域支配者になってしまうと必要な政治能力がありません。
彼らの本質は支配地を持たずに、第三者の支配地で騒ぎが大きくすればなるほど・・権威に挑戦することが楽しいのであって、対キリスト教の宗教戦争に広げて行けば、当面アラブ全域で自分たちの影響力・騒ぎを広げて行けると読んでいるからでしょう。
この辺・・テロ組織イスラム国主力の元フセイン軍残党の方は領域支配に関心がありますから、騒ぎを世界に広げて行くと折角の支配地域維持確保が出来なくなるので、拡大策への不満が生じて来て・・意見が割れて行くと思われます。

近代法理の変容13・破綻4(日本固有の法理5)

原因究明・再発防止のためにどうするかのために調査は必要ですが、責任追及目的で行うのとは、方向性が違っていて建設的ではありません。
責任追及されるための調査では自発的反省意見が出難いのすが、そうでなければ「あのときこうしておけば良かったかなあ」と言う自発的反省が一杯出てきます。
日本人が韓国に植民地支配がどうのと言われると多くの日本人としては、西洋の植民地支配のような過酷なことをしないで本土並み以上にいろんなことして来たつもりでも、「援助される方は辛いこともあったかもな?」と反省していたのですが、反省すれば、それを良いことに突っ込んで来る・・際限なく次々と非難され続けられると、「いい加減にしてくれ」と言いたくなる人が増えてきました。
対中関係も同様で大戦中迷惑をかけたことは事実ですから、それなり反省していましたが、ここまで来ると限界線突破・・こう言う人達には、誠実に対応するだけ損となってきました。
中韓共に、日本的な信頼社会とは違う・・どこまで行っても「建設的な関係を築くのは無理な相手だ」と言う意見を持つ人が日本人に増えて来たようです。
日本の相互信頼社会・・絶えざる進展の歴史は、日本的な古来からの生き方の建設的な成果を物語っています。
日本の社会発展の歴史をみると、ある人が大儲けしようとして技術革新が起きた例は滅多になく、何らかの大きな苦しみや悲劇があった場合、この克服のために薬品や工作物の工夫をして少しでも多くの人にこの恩恵が広く行き渡り、助かるように頑張るのが普通です。
成果が出ると無償でこの普及に努力する・・元々諸外国の発明発見者と心がけが違うので、儲けを独り占めするような人は皆無に近いのです。
最新知見で言えば「TRON」の開発者が無償で世界公開しているのはその一例ですし、最新医療技術開発者も世界中を飛び回って新技術の無償伝播に熱心です。
日本以外の国では何かの製品開発等に成功するとブランド化して実際の価値の何十倍もの高値を吹っかけるのが普通ですが、日本人は成功すると日本中への普及に努力し、最近では後進国に無償どころか私財の持ち出しで出掛けて行って、その土地の人が安く利用出来るように身を粉にしてして努力するのが今でも普通に行なわれています。
この基礎的な行動意識の違い・・災害をみんなの不幸として捉えて悲しみ(誰か一人に責任を押し付けたり儲けを独り占めにしない社会)も共有する絆・重視社会で縄文の昔からやってきたのが、社会のの絶えざる発展と安定の基礎です。
西洋法理の意思責任主義に戻りますと、事件を起こしたのが、意思能力のない狂人・精神障害者だからと言って放置する意思主義の法理では社会の維持が出来ません。
西洋近代の意思責任・個人責任主義による矛盾解決のために、仕方なしに漸く心神喪失者等医療観察法と言うものが制定されたことになります。
この法律によって、重大事件を引き起こしても、心神喪失等によって不起訴や無罪になった場合、刑事事件としての釈放と同時に一定の手続を経て強制的に医療施設で医療を与えることが出来るようになりました。
個人責任主義では実際に解決出来ない・・古来からの親兄妹の慣習法的責任感でこれまで何とかなっていたのですが、表向き個人責任主義と言いながら実際には親や親族に任せていた矛盾が出て来た・・社会実態があります。
親族の助け合いに頼っていた介護の社会化・母一人の育児の社会化と同じ問題です。
私の担当した精神障害者事件経験の多くの場合、親が高齢化して来て精神病の息子等を制禦し切れなくなって来た・精神病院への通院をいやがるなどで放置状態になって多くの事件が起きて来ている例が多いのです。
高齢化社会の弊害かと言うとそうではありません。
いつかは親が高齢化して障碍者の面倒(病院へ無理に連れて行くなどの事実上の強制力を含めた)を見切れなくなる時点が、従来の50台から80台に先送りされて来た違いがあっても、いつかは面倒見切れなくなる点は今も昔も同じですが、核家族化進行が大まかな社会連帯を崩して来たことによります。
社会連帯で個人責任を誤摩化して来た矛盾が出て来たのです。
法律家が近代法をなまじ学んでいることを振りかざし、意思責任がない以上は放置しろと言うものですから、(今まで親兄妹がその矛盾を補充して来たのですが・・)却って社会の必要性に対応出来ない事態が起きていたのです。
学者や秀才とは、過去の事例蓄積を学ぶのに秀でた人のことですから、(学者=学ぶ人)自分が学んだ2世紀も前には先進的であり、妥当したルールにこだわって、目の前の時代の流れを見ない傾向があって、時代遅れになる傾向があります。
10/15/03「教育改革18・・・・・多様な人材を育てる教育システム1」06/27/03「学者と実務家 6(教育改革の方向)」等々で、秀才が時代変革に対応する能力がないのに偉そうに意見を言うので、国を滅ぼしてしまうと言う意見を何回も書いてきました。

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