昨日紹介した通り日本国憲法は超特急審議で制定された憲法ですが、それだけに一般の法とは違って、修飾語がやたらに多いものになっています。
日本国憲法
昭和21年11月3日公布
昭和22年5月3日施行
前文
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
第11条
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
〔個人の尊重と公共の福祉〕
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
人権は天賦不可譲のものである・・憲法以前のものであるかのような言い方が一般的ですが、そんなことは憲法に書いていません。
11条には、「・・この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」というものであり憲法によって「与えられた」ものです。
そもそも憲法によって保証されてこそ意味があるのであって、日本憲法の及ばない場所ではこの意味を持ちません。
よその国に行って(たとえば中国などで)表現の自由その他すべての基本的人権が日本憲法で保証されていると言っても通じないことは誰にでもわかる論理です。
前文には、「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」と書いていますが、この憲法に反する憲法を排除するとはどういう意味でしょうか?
未来永劫、これに反する憲法禁止→改正してはならないという意味でしょうか?
しかし、上記の通り憲法改正手続きが定められているのです。
およそありとらゆる決まりごとは時代の変化によって変わって行くものですが、改正手続き条項がないと硬直化してしまい革命的動乱を待たないと変えられないないのでは困るので、柔軟対応できるように改正規定を設けておく方が柔軟対応できて合理的というだけのことです。
直近の例では、皇室典範の改正論議がありました。
明治維新〜日本国憲法制定当時は、日本の歴史上・院政の弊害に鑑み、生前退位を認めない・・薨去直前の短期間の疾病中には臨時的な摂政制度で間に合う前提で天皇制度ができていました。
多くの人の寿命が90代に伸びてくると、重病にかかっていない・健康?であるが、高齢のために多様な公務に耐えられないような中間的状態が長期間予想される時代がくることは想定外であったからですが、もしも明治の初めまたは日本国憲法制定時に今後永久的に生前退位を認めないという禁止規定になっていたらどうなっていたかです。
このようにその時代に最善と思っていたことでも、想定外の事態で基本方針を変えなければならないことが起きてくるものです。
自分の制定した法の中にこれが最善であり今後「法(原則)の改正を許さない」と書き込むこと自体、「神を恐れぬ」傲慢な考え方であり、古来からの柔軟性を尊ぶ日本民族の発想と大いに違っています。
GHQは自己の支配(再軍備禁止)を永続化するために特別決議の他に国民投票という二重の縛りをかけました。
そもそも、よって立つ日本国憲法制定自体に国民投票を経ていないし、しかもわずかな期間の形式審議で制定しているのに、その改正の場合だけ3分の2の特別決議でしかも国民投票が必要というのも法理論上均衡を失しています。
ところで明治憲法にも3分の2条項がありますが、これは、憲法改正の発議権が国民代表の議会になく「勅命による発議」を前提にしていて、国民代表の議会と政府が対立関係にあることを前提にした制度で、発議権が国民代表になく君主・政府にある側面で根本から違っています。
大日本帝国憲法 明治二十二年二月十一日
第73条
将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ
2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス
憲法は政府・君主に対する縛り・国民による監視抑制のためにあるという近代思想・まさに近代立憲思想の産物で明治憲法ができていて、「せっかく革命的騒動を経て君主に約束させた憲法をあんちょこに変えられては困る」という西欧の革命政権的立場を色濃く反映しています。
これが「勅命」で発議しても国会の3分の2以上の特別多数の同意がいる仕組み(単純多数だと切り崩されやすいので)の基礎思想です。
ところが日本の場合、実は国民の命を張った抵抗で明治維新がなったものでもなければ、憲法が生まれたものでもありません。
明治憲法の性質は欽定憲法と称される所以です。
国民の要求に応じたというよりは、明治になって次々といろんな分野の法制度を作っていくようになると、その交通整理・・法と法の優劣関係を定める上位規範・基本法が必要になるのは当然のことであって、これに加えて国際交渉上「この程度の約束をして置かないと仕方がないだろう」という対外妥協の必要性(刑罰等の法令・権利義務の整備がないと、悲願の治外法権の撤廃が見込めません→不平等条約改正など)があって生まれたものです。
中国がWTO加盟にあたって国内経済制度上の改正約束を対外的にしたのと同じ流れでしょう。