近代法理の変容4(クーリングオフ2)

日本でも社会の隅々(最後になる家庭や個人の意識)まで近代法の原理が浸透して来たのは最近・・数十年前ころからのことです。
大通りから道を整備して行っても、裏通りまで整備が行き届かせるのは大変なことですが、これが完成しているのです。
裏通りや個々人の内面まで法の支配(見ている人がいなくともルールを破らない)が行き届いてるのが、現在の我が国であり、日本は現在社会の世界最先端を走っていると言うべきでしょう。
裏道や小さ過ぎる分野、家庭などの特殊分野だけはなく大き過ぎる分野・・国家同士の関係も法が及ばない分野として、長年理解されていました。
武力次第で列強が好き勝手にやって来たのが近代国際関係でしたが、これも現在社会では国際法秩序に従うのが基本になってきました。
戦国時代が終わって秀吉の「天下仕置き」の時代(欧米による戦後秩序形成)が来ていると言えるでしょう。
日韓条約で「全ての解決」と決めていても、後出しで損害賠償を命じる韓国裁判所は、言わば近代法以前の社会を前提に「約束・・意思表示を守らねばならない」と言う近代法の原理を、国単位・・エリートの裁判官ですらまだ理解出来ていない状態を表しています。
韓国では、大統領まで恥を知らずに前近代的情念を公言する状態ですから、裏通りではなく表通りでもまだそこまで進んでいない情念社会にあること・・・近代法以前の社会意識がまだ主流なのでしょう。
中国の武力に基づく領土拡張行為もモノゴトは約束(意思表示)で決まって行く・・効果が生じると言う近代法の原理を無視したやり方・・秀吉の天下仕置きを理解しないで動いた伊達政宗のような行為である点では同じです。
中国社会では上は私腹を肥やすのに精出して、下はルール無視・・剽窃や海賊版が横行しているのは、民意レベルがまだその段階・近代の入口にあることの量的現れです。
民主的価値観共有の国と仲良くやると言う表現をマスコミや政治家は言いますが、そんな底の浅い価値観ではなく、(アラブの春でも書きましたが、「今度民主化する」と言えば直ぐに出来るものではなく)基礎になる社会状況・・社会全体意識の底上げがない社会と付き合い切れないと言うことです。
昔から「小人と◯◯は度し難し」と言いますが、小人と大人(おとな)の付き合いするのは無理があると言うことです。
・・専制君主制意識のママ上は法に基づかずに粛清その他やりたい放題やるし、下は、違法行為しまくり・・と言うルール以前の社会にあるか否かの違いです。
中韓両国政府の行動を見ると政府トップからしてまだ等価交換の意識が根付いていない社会意識を表しています。
左翼文化人の近代法の理念を説く考え方は、今の中韓両国民相手に説くならば実態にあっています。
撤回に戻しますと、一人前でない人や、あるいは気を許した関係で軽弾みなことが多い近代的関係のない場面・近代化の遅れている分野ではでは、法律効果を強制するの酷だから(君主の無答責は保守系との妥協?)とこれを反古にする分野が残されて来たのが撤回権です。
夫婦でも懐が別と言う夫婦が増えて来ているように、商品交換経済化が進むと近代法理の入らない特殊分野が縮小して行く過程でしたが、消費者分野では個々の意思能力の弱い人の保護よりは、社会的な状況による弱者保護の必要が出て来たのです。
その人個人の能力資質として弱いかの基準ではなく、強い人も消費者になると弱い立場になる・・トキと場合によって入れ替わる時代になりました。
今では、経営と労働者の対立よりは消費者か供給側かの力の差が問題になって来ています。
現在人は全て合理的取引している筈ですが、消費者タイ企業となると圧倒的に企業が情報その他で有利なためにこのような撤回権が創設されて来たのです。
理由もなく撤回出来ると言っても、近代以前の無法社会?情実社会に戻るのではなく、特殊分野(特定商取引)に限定して一定期間約束を守らなくても良いと言う意味です。
それにしてもいつでもどんな場合でも撤回出来るのでは契約が不安定ですから、贈与の場合でも書面の場合は駄目とか、やってしまったものを後から気に入らないからと取り上げることは許されない仕組み・・履行するまでしか撤回出来ない仕組みでした。

証拠収集反対論4(防犯カメラ3)

防犯カメラは、事件があっても捜査機関に開示するだけであって、一般公開が予定されていません。
公道の場合は捜査機関の設置ですから、一般公開されることは元々あり得ません。
こうして見ると肖像権やプライバシー権侵害の危険と言っても、捜査情報収集必要性との兼ね合い・・社会安全のために国民が自己情報をどこまで提供すべきかの問題に絞られて来ることが分ります。
言わば(一般の人が見るのは構わないとまでは言わないけれども・・)捜査機関が見るときだけ、肖像権が問題にしている実質をどのように評価するかではないでしょうか?
防犯カメラはベネッセ情報漏洩事件でも分るように、情報持ち出し防止のためのセキュリテイー対策上、あるいは食品衛生管理上多くの企業内で設置されている筈です。
毒物等混入事件が起きると、末端商品番号等から、特定工場での製造品・ある時間帯に絞られるとその流通過程に誰が関与したかを調べるために先ずは社内調査として防犯カメラ等や出入記録・ファイル等へのアクセス記録などのチェックが始まります。
このように現在社会では、商品や人の動きやパソコン等へのアクセス記録等が時々刻々に記録されていることが、犯罪等が起きたときにその後付け調査を(刑事のカン・・思い込みに頼るのではなく)客観化し、犯行時刻の特定やその時間帯に出入した人の特定などを容易にしています。
こうした記録化の一環として防犯カメラや電子記録があるのです。
元々防犯カメラは一般公開される性質のものではなく、店内や路上で殺人事件等があったときに犯行の状況や犯人割り出しのための社内調査や捜査機関に対してだけ再現協力するものです。
スーパー店内や公道歩行中の写真の場合、捜査に利用されることに対して犯人が文句言う権利があると主張する人はいないでしょうから、そのときに近くを歩いていた(事件無関係の)通行者が自分の写真を一緒に見られるのがイヤだ反対する人が実際に幾人いるかがポイントです。
何方かと言えば嫌と言う人でも、反対運動までしてイヤだと言う気持ちがあるかと言えば、更にその比率が減るでしょう。
仮に百人に一人いたとしても、その程度の反対がある程度で防犯カメラの写真を刑事事件の証拠にしてはいけない・・許されないとすべきかどうか、犯罪が起きたときの犯人特定のために利用することとその人のプライバシーや肖像権保護との比較考量・・政治で法基準を決める問題です。
写真ではなくとも、事件現場に居合わせた人を例にすると、捜査機関から質問されれば普通の市民であれば快く協力して自分の見たときの状況説明したり、そのとき偶然撮影した写真等の提供に応じるのではないでしょうか?
トイレや自宅内のくつろいだ場所などとは違い、公道を歩くときのプライバシー性はかなり低いと言うべきです。
公共の福祉のためにどこまでプライバシーを制限して行くかは、比較考量→まさに政治が考えて法制化して行くべき問題で法律家の分野ではありません。
法律家はプライバシーや肖像権問題もあるからその点を考慮して決めて下さいと意見を言う立場がありますが、その均衡点を決めるのは政治→法律です。
憲法で保障されている各種基本的人権も公共の福祉のためには制約を受けるのは憲法上の常識でそれに対する反対論を聞きません。
プライバシー権・肖像権などは言わば新参の基本的人権でその内容〜外延もはっきりしていない状態のために我々弁護士もプライバシーとか肖像権と言われるとよく分らないことから、つい尻込みしてしまいます。
尻込みしているのは、肖像権が他の基本的人権より強力だからではなく、むしろまだ弱い権利で境界がよく分っていないことが原因になっているに過ぎず、他の人権よりも強力と言う意味ではありません。
世間の人も新しい概念なので自分がむやみに反対すると「時代遅れ」と言われないかと言う程度であって、冷静に考えれば表現の自由・理由もなく逮捕拘留されない権利や拷問を受けないことなどの伝統的人権とは「格」・重みが本質的に違うことが分る筈です。
その上で公共の福祉との兼ね合いで、どこまで知らぬ間に写真をとられているのを我慢すべきかの政治判断・・それによる法制定判断です。
国民意識がどの辺にあるかが決め手ですが、捜査協力のためとは言え、身体拘束されることまではイヤだと言う人が多いでしょうが、数時間程度の事情聴取なら協力しても良いと言う人が多いのではないでしょうか?
スーパーやコンビニへ行ったときや道路を歩いているときの防犯カメラの写真を警察に見られる程度のことならば、自分に何の手間ひまもかからないので、反対したい人が100人中一人、2人程度か、あるいは半分以上の人がイヤだと思うかは政治家・・国会の判断です。
犯罪を犯した人が見られるのはイヤなのは誰でも分りますが、犯人の意向ではなく、一般の人がそんなに多く反対しているかどうかの問題です。

弁護士会の政治活動4

北朝鮮や中韓あるいは、共産党の主張はその立場の主張と国民が割り切って聞いているので、それはそれで良いのですが、朝日新聞の誤報または捏造記事問題で分るように、中立であるべき団体が偏っているのではないかと社会から思われてしまうとその組織の発言力にとって致命傷になります。
日弁連が偏っているのではないかと思われてしまうと人権擁護に直接関係のありそうな法案に関する絶対に必要な意見まで、世間が信用しなくなってしまうリスクがあります。
10月18日「政治運動と中立組織」で書いたように、教育者は教育論に関する周辺政治に関心を持ち運動するのは職分ですし、労働組合は労働条件とその周辺支持に関して同じです。
私がいろんな意見を書くように、弁護士会はいろんな意見の集合体であって、特定政治思想で一致共鳴したことによって集まった結社ではありません。
弁護士会は強制加入団体と言って、弁護士をやるからには道府県ごとに1つしかない(東京に限り3つの会がありますが・・)会に加入しないと弁護士の仕事を出来ないのですから、思想や心情・意見が違うからと言って、弁護士をやめない限り脱退の自由がありません。
この辺が脱退しても教員をやめる必要のない教職員組合や一般的な労組とは本質が違います。
強制加入団体でなければ偏った運動するのがイヤな人は脱退したり、新規加入が減って行きますので自然に自浄作用が働きます。
ところで、弁護士会の多数意見だからと言って、(実際アンケート調査すらしていないので本当に多数か少数かも分りません)少数意見まで同一意見のように一般的(人権擁護とかなり遠い)政治活動を強制的に代弁するのは筋違いな活動です。
ただし人権擁護そのものに関する分野では、その面で学説の違いのような意見相違程度は許されるでしょう。
強制加入団体なのに人権擁護とかなり遠い分野で一方的な政治信条の表明をされるのでは、公式意見と違う思想の会員にとっては、個人の思想信条の自由を侵害されているような不満が生じます。
「じゃあ、裁判すれば良いか」と言うと簡単ではありません。
以下は平成4年末に高裁判決が出たことについての日弁連の発表です。
この後で最高裁判決が出てこの高裁判決が支持されています。
要は当時の反対運動は日弁連として許された範囲の政治活動と言うことでしょう。

日弁連昭和62年総会決議無効確認訴訟判決言渡について

国家秘密法に反対する日弁連の昭和62年総会決議の無効確認と日弁連運動の差止等を求める一部会員からの提訴につき、本日、東京高等裁判所第5民事部(川上正俊裁判長)は、日弁連側全面勝訴の判決を言渡しました。

この判決は、本件日弁連決議と日弁連運動が構成員である会員個人の権利を侵害するものではないという理由で、原告である一部会員たちの請求を全部棄却した本年1月30日付の一審判決を基本的に維持しています。
今回の判決は、その上で、次の点を積極的に認定・判断しました。

弁護士会の活動は、「目的を逸脱した行為に出ることはできないものであり、公法人であることをも考えると、特に特定の政治的な主義、主張や目的に出たり、中立性、公正を損なうような活動をすることは許されない」
しかし、「弁護士に課せられた」弁護士法1条の「使命が重大で、弁護士個人の活動のみによって実現するには自ずから限界があり、特に法律制度の改善のごときは個々の弁護士の力に期待することは困難である…ことを考え合わせると、被控訴人が、弁護士の右使命を達成するために、基本的人権の擁護、社会正義の実現の見地から、法律制度の改善(創設、改廃等)について、会としての意見を明らかにし、それに沿った活動をすることも」、目的の「範囲内のものと解するのが相当である。」
本件総会決議は、「本件法律案が構成要件の明確性を欠き、国民の言論、表現の自由を侵害し、知る権利をはじめとする国民の基本的人権を侵害するものであるなど、専ら法理論上の見地から理由を明示して、法案を国会に提出することに反対する旨の意見を表明したものであることは決議の内容に照し明らかであり、これが特定の政治上の主義、主張や目的のためになされたとか、それが団体としての中立性などを損なうものであると認めるに足りる証拠は見当たらない。」

上記高裁判例は、昭和62年当時秘密保護法に反対運動していたのは「目的を逸脱していない」と認定したものです。
しかしながら注意すべきは、「目的逸脱とは認められない」と言うだけであって「逸脱して」はいけないことが大前提の法理論として定立されたことを重視すべきでしょう。
どんな政治運動もフリーであるとお墨付きを与えたものではありません。

共謀罪8と立法事実5

共謀をしているだけで法が予め決めた実行行為をしない限り、検挙すべきではないと言う意見は、「襲撃計画だけ決めたがいつ実行するかはまだ不明」と実行予定者から堂々と警察に予告されても、通報者が凶器等を準備していない限りその通報者の動静を見張っている程度で放置しているしかない・・放置すべきだと言う意見になるのでしょうか?
(未遂を罰する犯罪では、凶器を持っていなくとも実行に着手するとその段階で検挙出来ますが、例えば殺人行為に着手するまで放置するのでは目の前に警官がいない限り間に合いません。)
共謀罪新設反対論者はアメリカとは違い拳銃等所持自体が禁止されているので、これらを所持していればその段階で拳銃発砲前に検挙出来るのが根拠のようです。
しかし、仮にヒットマンを予め特定出来て警官が張り付いていても、ヒットマン数人が何も持たずに殺害目的人物にくっついて歩いていたばあい、その段階では何も持っていないので予め検挙出来ません。
誰かがその場にイキナリ拳銃やナイフあるいは爆発物やサリン等毒物を届けてその瞬間にバラまくようなやり方だと事件防止に間に合いません。
凶器がなくともイキナリ飛びかかって数人でしめ殺すことだって出来ます。
スーパー等への爆破予告や食品に毒を入れるなどの通報をすれば、脅迫罪や業務妨害罪になりますが、警察に対して店名を言わないで抽象的爆破計画通報だけでは社会不安が起きても脅迫罪や業務妨害にならないように思いますが、共謀罪反対運動をやっているプロではないのでよく分りません。
※ ただし、カナダ議会乱射事件のように一人計画の場合、事前把握しても共謀相手がいないのですから、共謀罪処罰法が出来ても処罰も検挙も出来ません・・今の時代一人で犯行計画している限り大勢の計画より害が少ないので、まだまだこの程度では我慢しなければならないと言う価値判断でしょう。
実行者が一人でも、大勢で練り上げた計画の方が被害が大きい場合が多いので、複数人で計画した場合との程度差をつけるのは意味があります。
既存法で見ても傷害行為等の実行前段階である凶器準備「集合」罪があるように、集合・・集団化すると、その結果発生する被害規模が大きいことを立法の理由にしています。
日本に共謀段階で処罰しなければならないような事態・必要性が起きていないと言う日弁連意見書は、日本社会を標的に破壊するようなテロの動きが現実化していないと言う狭い意味と思われます。
1〜2週間前に判明した元北大生の事件やサリン事件に参集した若者の特徴・・社会からの孤立・・個人的閉塞感が容易に・・短絡的に過激派の勧誘に応じてしまう土壌は、地下鉄サリン事件以降収束して行くどころか、拡大して行く一方だと思うのが普通ではないでしょうか?
北大生がテロ組織イスラム国兵士に応募していたとしても、それは日本社会を標的にしたものではないから、日本には共謀を罰しなければならないような危険な事態がまだ起きていないと言う主張になるのでしょうか?
仮に我が国は標的にされる心配がない・・我が国で、いくらテロ行為の謀議や訓練・準備されていても野放しにしておいて良い、被害を受けるのはアメリカやアフガンや中東諸国だからと言うような受け取り方をされてしまう論理が国際的に通用する議論でしょうか?
秘密保護法の場合も同じですが、日本だけ知る権利を守ると主張して秘密をダダ漏れにしていると、友好国が日本と特定秘密を共有したがらない弊害が指摘されています。
(発明発見競争の激しい現在、いろんな秘密をとり放題・・軽微な刑罰しかないのでは、経済的に重要な影響のある時代・問題です)
以上一般弁護士の目で見てきましたが、我が国でも共謀段階での取締の現実的必要性が高まっている・・いわゆる立法事実があると見るのが普通ではないでしょうか?
日弁連意見は、日本には共謀だけで処罰しなければらないような事態が起きていないと言うのですが、サリン事件はまさにそうした重大事態が現実に発生した事例だと思いますが、この辺は専門的に反対運動をしていない素人(一般弁護士)の意見です。

共謀罪7と立法事実4

犯罪の前倒し化は、交通事故や工場災害・ストーカーその他個別パターンごとの事前行為の類型を定めて、事前行為段階の規制を類型的に強めている・・この規制違反を犯罪とする方向で社会の安全を図って来たのが現在社会です。
政治家で言えば賄賂になる前の段階・・政治資金規正法での帳簿整備義務・・虚偽記載や形式的不記載程度でさえも大事件になっていることは周知のとおりです。
このように実際の賄賂収受や公害発生・交通事故発生を待たずに、その前段階の規制とその違反による摘発の前倒しを進めて来たのが現在社会です。
産業構造・社会様式変化等に即した類型化・・大量発生が予測される分野では事前規制方式で何とかなりますが、テロに関しては、次々と最新テロ方法が生まれて来るし、事前類型化し難いのが普通です。
犯罪者はその都度(法網をくぐり抜けるために)個別の新たな工夫をして来るのが普通です。
予め国会や省庁が規則等で指定する方法以外の犯行を工夫する・・次も同じサリンでやろうとする集団は滅多にいない筈です。
その意味ではサリンなんとか法は、後追いで慌てて作ったものの、同じ方法で実行する団体は多分でないでしょうから、法があること自体に意味がある程度しか機能していません。
犯罪集団の工夫の方が先行する傾向があるので、新たに工夫された犯罪準備行為を見つけてもこれを規制する法律がない場合、検挙出来ない現行法体系では、治安機関は反抗グループが現実に犯罪を実行するのを待っているしかないことになります。
仮に法で事前指定した方法でテロ組織が準備したとしても、最近のテロに関しては、サリン事件や9・11のように瞬時に大規模被害が起きる可能性が高まっているので、実行を待っているしかないのでは社会の安全感を阻害します。
反抗グループが準備する薬品や凶器が法で指定されたものではなくとも、殺人やテロの計画自体が発覚した以上は、どんな薬品を作っているか(不明としても)に関わらず手入れ出来る法律=共謀罪が必要という意見は合理性があるように思います。
これは私がこのコラムを書いていて思いついた程度の事例ですが、国際条約の議論では、私の知らない極秘の情報・・情報機関が世界中で起きたいろんなテロ計画を把握しながら阻止出来なった事例・・計画段階で阻止出来れば、かなり有効と言う事例が大量に(秘密)報告されて議論の対象にされて来たと思われます。
法律家の言う立法事実が現に起きているか否かの具体的議論が、共謀法反対論の議論からすっぽり抜けたまま、立法事実もないと断定的に主張されています。
このように具体的な議論を抜きにしたままの共謀罪反対論者の意見によると、日本には、共謀段階で処罰しなければならないような立法事実がないのに、外国の都合に強制されているかのような主張になります。
しかし日本のサリン事件発生こそ、上記のように犯罪実行前でもこの計画が分れば、共謀罪処罰規定がないとどうにもならない重要な事例の1つとして世界中を震撼させた・・世界に先駆けた立法事実だったのではないでしょうか?
アメリカの9・11事件以降過激テロ組織「イスラム国」等の台頭で、武器の準備をしなくてもゲリラ要員募集をしていて、これに応募していた北大生が出国寸前であったことが最近分ったばかりです。
殺人行為をやってくれる人の募集や、犯罪行為の仲間募集をネットでやっていて、これに応じて殺人実行した事例も出ています。
これらを野放し・・ネット公開しているのを警察が把握していても「犯行計画を練り上げるのは許されたことだから自由にやっていなさい」と凶器等を準備していない限り殺人行為実行まで放置しておいて良い訳がありません。
ただし、私は一般の弁護士でしかなく、その道のプロではありませんのでプロから見れば、それはそれで別に検挙する法律手続があるから共謀罪が不要と言うのかもしれません。
このコラムで繰り返し書いてきましたが、私は弁護士と言うだけでそれぞれの専門家から見れば素人ですから、素人的疑問を書いているものに過ぎず、学術論文ではありませんのでそのつもりでお読み下さい。
世の中は素人の方が多いのですから、共謀罪法案に反対している委員会・・プロ集団・・日弁連が世論に訴えようとしている以上は素人弁護士にも分るように主張して欲しいものです。
近代刑法の精神のどこが危険に瀕するのか、人権擁護のために対応努力すれば足るのか対応不能かなど具体的に書いて欲しいものです。

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