マスコミの情報操作4

非正規雇用増と同時に平均賃金低下・または増加率が低いことを主張・紹介すれば、景気が良くなれば平均賃金が下がるのだなとすぐに気が付きます。
そこで別々の(数週間)離れた記事にするところが、一定方向へ誘導しようとしているマスコミの智恵・ミソです。
統計による客観報道であるかのような?マスコミの見出し記事は、格差拡大を宣伝したいことが先にあって、好景気の負の側面を無理に別々に切り離して書いているので数字の魔術師みたいです。
データを部分的に引用して事実報道らしく見せかけながらも、全体データと結論が結びつかない論理ですから、録音テープの切り貼りしたものを裁判の証拠に出しているような状態で、実質的には朝日新聞のねつ造傾向(これは巷間の噂・印象であって事実かどうかは分りません)に限りなく近い報道の仕方がマスコミ界全般で普通に行なわれている印象です。
朝日新聞による原発吉田所長の調書報道が問題になったのも(調書が公開されないことを前提に)調書の中から自社主張に都合の良いところだけ抜き取って「編集」プラス「脚色(1時避難を国内向けに撤退とし海外向けには逃亡と表現)」報道した事件でした。
朝日の「編集」態度が突出し過ぎて攻撃対象になっているだけ・・慰安婦報道について朝日新聞は8月初旬の謝罪記事では「他社もやっていた」と抗弁していたのは、その点ではあたっているでしょう。
自社の誘導したい方向への編集が過ぎると、ノンフィクションみたいになって最早報道とは言えなくなって行きます。
この後で円安と国内生産回帰の関係も書いて行きますが、円安によって輸出が増えるには、半年以上かかりますが、仮に少し輸出が増えても、どの程度円安が続くか見極めない内はすぐに国内投資せずに、様子見をしながら少しずつ国内既存設備で間に合う程度の増産を始めるのが普通で、(求人で言えば、当初は既存人員の残業増で対処するのと同じです)これ自体不思議でも何でもありません。
輸出用に国内新規工場立ち上げまでには、実態を見極め・計画を練り上げる時間等を考えると数年以上遅れるのが普通でしょう。
モノゴトには時間差があるので、今はまだ臨時増産=臨時職員増での対応段階ですから、円安になって一年以上経っても国内新規投資が増えていない・・何の効果もないどころか格差拡大しているかのような批判論は論理的ではありません。
だからこそ、明白な主張をしないで、負のイメージ浸透に努力しているのでしょうが・・・。
臨時雇用・・非正規雇用が増えていること自体が、景気拡大が論証されていると言うべきですが、これを逆にイメージするように誘導報道しているように見えます。
正規社員を日常的に常時採用している企業は滅多にないので、景気が良くなっても長期的持続性を勘案して来年の年一回の採用枠を広げるのがやっとで、正規雇用が急激に増えることは、元々あり得ませんから、雇用面では非正規から先に増えるのは当然であって、今から、非正規雇用拡大批判するのは時期尚早です。
(正規職員・新卒採用が増えるとその企業の平均賃金が逆に下がります)
企業が増産投資に踏み切れない限り臨時雇用増で対処するしかないので、経営者を安心させて増産投資まで踏み切れる程の長期間円安を続けられるかどうかが重要であって、今から円安効果がないと批判するのは間違っています。
裏から見れば、アベノミクスと言っても円安次第です。
円安で困っているのは中韓両国でしょうが・・・日本には今のところ近い将来に向けて大きな恩恵ですが、これを何故非難したくなるのか理解不能です。
正論であるとの自信があるならば、姑息なマイナスイメージバラマキではなく正々堂々と論じるべきです。
円安を続けるには貿易赤字の定着が必要ですから、原発停止による原燃料大量輸入による赤字がこの下支えになっていることになります。
「原発事故と円安(天佑)2」Published February 26, 2013前後で原発停止は赤字拡大による円安を導くので、日本経済に対するプラス効果があると言うコラムを連載したことがあります。
資源輸入で赤字になってその分だけ多く工業製品輸出出来る方が国民にとってあり難いことも書きました。
逆に資源輸出で通貨高になっていると国内産業が育たない・・国民は遊んで暮らせる=遊んでいるしかなくなって(「鉱物資源で生活する社会3(ナウル共和国)」November 9, 2011で例を例を挙げて書いたこともあります。)悲惨な状態になります。
長期的には収支均衡するしかないとすれば、内需以上に物を作って輸出継続出来るようにするには、資源輸入で穴埋めするしかありません。
円安に対しても輸入物価上昇→庶民は困っている・値上げ出来ないのに仕入れ価格だけ上がって困る業者などを繰り返しマスコミは紹介していますが、輸入物価が上がるからこそ、国内生産に切り替えようとする動きが始まるのであって当たり前の順序です。
国内生産に切り換えて輸入削減に動くのには、輸入物価が上がる競争条件変化が先行する時間差がありますし、すぐに国内商品値上げに動けないので、自国通貨安は初期には輸入関係者には、マイナス効果の方が大きいのは覚悟の上ではないでしょうか?
どんな商売でも軌道に乗る前には初期投資支出の方が多く、苦しいのと同様です。

総選挙と戦後政策の総決算4

秋風どころか木枯らしが身に凍みる寒さ・・中韓の脅威(中国は武力でじかに脅してくるし、韓国は世界に向けて日本批判・・情報と武力の双方向での攻撃)を実感している国民としては非武装平和論・薄着のままが良いと言われても納得の行かない人が多かったでしょう。
夏が過ぎて秋冬が来れば、洋服を入れ替えるのが当然のように、時代が変われば生き方を改めるのを憚る必要がありません。
誰が悪いか悪かったかではなく・・戦争に負けた以上は敗戦直後アメリカの言うとおりに従うしかなかった・・何を言われてもされても「御無理御尤も」の時代があったことを批判しても始まりません。
今や時代が変わった・・夏服では無理になったから、敗戦当時の行動様式は押し入れに片付けておくべきと言うことですから、節操を守るか否かの問題ではありません。
季節・・時代が変わったのに、なお夏服が良いと誤摩化し強弁し続けて寒いのに薄着をさせられていると風邪をひく被害が出ますので罪なことです。
中韓の激しい攻勢で国防・自衛の(宣伝戦を含めて)必要があるか否かが争点になっている最中に選挙になった以上は、(これに頰っ被りして「争点がない」とするのがマスコミの宣伝です)普段からの非武装平和・抽象論を具体的現実に当てはめて、非武装論によればどう対応すべきであったかの具体的な適用を正面から戦わせるべきが、民主主義国家のあり方です。
戦後パラダイムの揺らぎの始まりと言えば、非武装平和論者は今になって「憲法9条をノーベル平和賞候補に!」と言う運動を始めました。
憲法9条は日本の再軍備を禁止して日本の再起を阻止し、永久的に隷属化させるアメリカの目的で創設したものです。
自分の軍隊を持ってはいけないと規定され・条件付けられている独立民族が、世界のどこにあるでしょうか?
この条件をのまないと独立を認めないと言うのでは「永久的にアメリカに従属すべし」と言われているのと同じであって、言わば独立とは名ばかりとなります。
仮に民族自立を否定するために自衛力を持てないようにされた民族の憲法がノーベル平和賞になるならば、中国軍に支配されて自分の軍を持てないために過酷な弾圧をされている・・中国軍によるチベット民族抑圧行為・ウイグル族抑圧行為もノーベル平和賞となります。
中国政府は大喜びで、このノーベル賞受賞運動を応援しているのでしょうか。
その内集団自衛権禁止を決めていた閣議決定も(イグ?)ノーベル賞候補にしようとなるのでしょうか?
アメリカ占領軍に強制されていたものを後生大事にしていた挙げ句に・・非武装論の分が悪くなって来ると、もっと大きな権威を借りて来るためにノーベル賞候補に担ぎ上げようとなったように見えます。
「近代刑法の法理違反」と言うブランド強調同様に、文化人が舶来思想を有り難がって宣伝する延長・・焼き直しではないでしょうか?
そんな誤摩化しをしているよりも、自説が正しいと思うならば、国民に分るように日本語で非武装論ならばどのようなメリットがあるのかについて具体的に説明すべきではないでしょうか?
非武装論者の基本的立場は、安倍政権の施策・・秘密保護法や集団自衛権解釈変更が「国民の理解を得られていない」と言うものでしたが、折角民意を問うべき総選挙で何故争点にして訴えなかったのか不思議です。
自民党内でも、増税を求める勢力が多かったのですが、解散が決まるとイキナリそれまでの増税要求を引っ込めたまま何の釈明もせずに知らんぷりで(マスコミ同様に争点がないかのように振る舞って)選挙をしていました。
身を捨てても国家百年大計のために増税べきだと言うならば、選挙でそのとおり訴えれば「国士」です。
ところが選挙になると黙ってしまうのでは、選挙がないことを前提に安全地帯で言いたいことを言って来ただけ・・悪く言えば政権転覆策動をして来ただけじゃないの?となります。
増税論は長期的効能には諸論がある(私は以前から次世代に債務を残して言いのかと言う主張には反対しています)としても、当面の経済現象で見ればマイナス効果があること明らか・・経済失速するのが明白ですから、結果的・外形的に安倍政権潰しを前提としていたことになります。
選挙さえなければ現政権がつぶれても、自民党内で政権たらい回しすれば良いから増税論者は自分の代議士の地位に関係がないと言う政界の動きだったように見えます。
ところが、安倍氏によって解散が断行されて選挙になると増税論者は自己保身に戻り、増税断行論を引っ込めてしまいました。
・・日頃の自己主張の信を問うのが選挙であり民主主義の根本ですから、非武装論者が小笠原諸島海域での略奪漁業問題に対する意見を言うべきだったのと同様に、増税推進論者は増税すれば日本経済にどう言う好影響を与えるかについて、具体的に主張すべきでした。
選挙になるとイキナリ増税主張を引っ込める(国民は馬鹿だから騙せば良いと言う)政治家は信用出来ないので、与野党を問わずにその内淘汰されて行くべきでしょう。
今回の「争点なき選挙」のマスコミ大宣伝は、反安倍政権で共通する与野党勢力の争点隠しの期待を背景にしていたことになります。

国際運動の功罪4

日弁連の各種人権活動・・世界への訴え・・例えば、朝鮮人学校に対する在特会の行動ビデオは日本からヘイトスピーチをなくしたいと言う善意から出たものでしょうが、もしも日本にとって、マイナス点・恥ずかしいことだと真に思っているならば、先ず国内でなくすために努力すれば良いことです。
これと言った努力をしているとは思えませんが、何故急いで国際機関のお墨付きを得ようとするのでしょうか?
本当に恥だと思うならば、外部に恥ずかしいことは漏れないように努力するのが普通の心理であり行動です。
家庭内の恥ずかしいことは、声を大にして家庭内で子供を叱っても良いですが、「こんなに自分の息子が酷いことをしている」と外で言いふらす親がいるでしょうか?
1昨日から書いていますが、自説の補強戦術として高名な学者に意見を求めたり、国際機関高官の意見として引用したり、国際機関でこう言う批判があると引用するのは、1つの戦術として理解出来ます。
数十年前には、近隣とのもめ事相談に来る人が自分の意見の正しさを証明するためにか、「みんなが言っている」と言う(非合理系?)人が結構いましたが最近そう言う言い方をする人はいなくなりました。
誰が言っているかではなく、自分のしていることが正しいならば、そのとおり事実を言えば良いことですから、そんな説明に時間をとられるよりは具体的な事実の説明を求めたものでした。
ヘイトスピーチ問題もそれが正しいならば堂々と国内で議論展開するべきですが、内容の議論に入らずに裁判所で巨額賠償を命じられたとか外部意見に頼る傾向があります。
自説補強のために、著名学者や国際機関に関心を持って貰わなければならないことから、出掛けて行って(自分は正しいが)一生懸命日本民族全体(自分の意見が国内で通用していないことを前提にした議論?)が如何に間違っているかの宣伝に努めることになるのでしょう。
自説補強のために外部権威を利用したい心理は理解出来ますが、その限度を超えて、味方を増やすために近所中に悪い噂をまき散らすような行動になってくると、上記のとおりどちらかと言えば姑息な手段と言うか、日本社会の正義感では下等人間のすることと評価されているのではないでしょうか?
海外で既に存在する意見を引用するだけではなく、自説補強のために積極的に悪口を言って歩く・理解を求めるようになると、争っている隣人が如何に悪いか酷い人であるかの告げ口をしている人と同列の問題が生じます。
韓国の朴大統領がツゲ口外交と揶揄されている所以です。
悪評まき散らし宣伝が自己保身のためとは言え、(個人被害ならば、名誉毀損行為になりますが被害者が民族全般だとそう言う罪がないだけです)日本民族をどれだけ貶めることになるか(副作用)の配慮が足りないように思えます。
明治維新のときに、徳川家は保身のためにフランス軍を引き込みませんでした。
古代からこれが日本人の自慢出来る特質と思ってきましたが・・・。
(朝日新聞は自社のどのような意見補強のために利用したのか不明ですが・・)慰安婦報道(真偽は別として)に30年以上も精出していたのはこうした宣伝の一環として、世界に広げてしまった出来事ですから、朝日新聞に限定した問題ではなく、日本言論界の氷山の一角と言うべき現象です。
アメリカのような言論の自由な国でも、黒人問題や格差問題を自分から国連人権委員会に訴えて国連決議を求める動きをしたり、世界中に宣伝して歩くジャーナリストや弁護士グループがいるとは思えません。
日本にわざわざ来て、アメリカ政府批判の講演したり宣伝するのを聞いたことがありません。
国連は世界中の権謀術数の渦巻く場所ですから、北朝鮮やロシアが、アメリカの人権問題を皮肉ることはあっても、アメリカの自国民グループが国連で自国批判をするために大挙押し掛けたと言う話は聞いたことがありません。
中国やロシア、北朝鮮が国際機関で自国が人権上最悪の国だと国際社会で自分から主張することがあるでしょうか?
日本の言論機関はアメリカ占領時代に、自国の不利なことを通報することを教え込まれているので、その遺伝子が働いているのでしょうか。
長い目で見れば自国の不利なことを否定しないどころか積極的に発掘して世界に広げるのに精出していて、他所の悪口は一切言わないので、日本・日本人は公平な国と言う評価が高まっていることは確かですが・・。
日本人個々人で見ても、自己評価を控えめに言うのが普通・基本ルールですから、マスコミや日弁連だけが変わっている訳ではないとも言えます。
マスコミや日弁連行動が問題になり始めているのは、謙譲の美徳を越えてあまりにも欠点?を強調し過ぎていることによって、世界の誤解を生むマイナス点を生み出すところまで突っ走って来たのではないかの(・・そこまで何でやるの?と言う)疑念です。
個々人が「イヤア・・自分もこう言う欠点がありますし・・もっと頑張ります」と言うときには、これを理由に自分を批判のウズに巻き込んで欲しいと言う気持ちで言っている訳ではありません。
日本のマスコミや日弁連が自国を良くするようにとの思いで活動しているにしても、やり過ぎる弊害に目配りする必要があるのではないでしょうか?
自分の子供を良くしたいと思って?外で内の子供には困ったものだと(言いふらす親がいるか疑問ですが・・)言いふらしても、言い過ぎた結果、子供が町の除け者になることまで望んでいないのが普通です。

社会変化反対運動と功罪4

いろいろな反対運動・・高速道路敷設や空港建設反対運動、電子レンジやパソコンは危険だと言う主張が社会の発展に何程か寄与した事があるでしょうか。
現在で言えば、マイナンバー法反対や防犯カメラやDNAやGPSなどの利用反対が、日本で何を新たに生み出すための運動でしょうか?
このごろは何か反対するには、何でも?プライバシー侵害の主張が多くなりました。
本来反対運動は国民に身近な危険を訴える方が効果が高い筈ですが、プライバシー侵害リスクと言えばかなりの新政策に反対出来て便利ですが、それだけに被害イメージが抽象的過ぎて分り難い・・危機感がピンと来ない人の方が多いのではないでしょうか?
ベネッセ情報漏洩その他時々大型漏洩事故が起きるとマスコミでは大騒ぎですが、具体的プライバシー被害事件が起きたとは聞いたことがありません。
ベネッセ情報漏洩事件みたいなことが起きたらどうするのだ?と言う質問を良く受けますが、困るのはベネッセなど情報を盗まれた業者の方であって、漏洩された個人・顧客が困ったと言う話は聞きません。
顧客名簿が流れたとかテストの成績情報を失ったとかしょっ中報道されて関係者が陳謝していますが、それで実際に困った生徒などの具体的事例を聞きません。
困っているのはマスコミに陳謝させられている人たちでしかないような印象です。
子供を持つ母親は心配しているのに「お前は知らないからバカだ」と言われればそれまでですが、何となく、マスコミが大騒ぎ・・煽り過ぎているのではないでしょうか?
国民のプライバシー意識を育成する教育精神でやっているのかも知れませんし、マイナンバー法反対の布石として長年かけて国民意識を高めて来たたのかも知れまません。
マイナンバー法反対も不思議儀な議論で、善良な国民が何故政府に自己の口座番号が統一的に把握されるのがいけないのか不思議です。
これに先立つグリーンカード論議の頃には、脱税者や違法資金隠しの擁護のような議論が堂々とまかり通っていましたが、この10〜15年くらいでは、さすがに脱税者・違法資金隠匿保護を正面から擁護するような議論は影を潜めました。
10年くらいでは、「プライバシーが政府に把握されるのはどうの・・」と言う訳の分らない議論になっていましたが、これでは迫力がないとなったらしく、この数年では、「情報が漏れたらどうするのだ!と言う反対論が中心になっています。
しかし以前書きましたが、元々年金番号や保険番号などそれぞれ別々にあった番号を統一しようと言うだけですから、何がいけないのか不明です。
数十年かけての議論で、あちこちにに散在している預金や取引口座の名寄せをして、生活保護不正受給その他の不正を防ぐのが何故悪いのかの議論が全くありません。
この統一処理・・名寄せによってもっとも困るのは、巨額違法資金を動かしている違法集団(暴力団など)やいろんな通称名義で預金している在日系だと噂されています。
いろんな分野で反対する名目がなくなって来ると、プライバシー侵害を主張するような傾向にみえますが、思い過ごしでしょうか?
ビッグデータの活用は社会の発展に意味があることは確かですが、それもプライバシー侵害のリスクをどうするかの議論が始まっています。
戦後「昔陸軍今総評」と言うフレーズがはやりましたが、現在的に直すと「昔公害・今プライバシー・格差」と言うところでしょうか?
プライバシーと言うブランドっぽい聞き慣れない権利を宣伝されると、国民は何か有り難い権利のような気分になって、これが侵害されたら大変かもしれないと不安に思うような印象操作を狙っているのでしょうか。
きちんとしたブレーキがあってこそ、車もスピードアップ出来る側面があります。
プライバシー権の確立が大事なこととしても、それは、言わば社会発展のブレーキ役でしかなく発展的方向での貢献とは言えません。
ブレーキ役ならば車そのものの存在に反対するのは間違いですし、何回も書いているように法律専門家は、マイナンバー法や防犯カメラの運用を(暴走しないようにブレーキ役として)チェックしてより良くして行けば良いことです。
旧来の革新系政党や弁護士会の主張は、どう言う意図であったかは不明としても、客観的結果から見ると、全て新技術が生まれる都度、口実を見つけ出しては利用に制約・・ブレーキ役を果たして来たことになります。
この結果、唯一公害防止技術発展では貢献しましたが、その他分野では発展阻害団体としか見えない・・見るべき成果がなかったようにおもわれます。
早過ぎる発展・社会変化は、人心安定にマイナスであるから、発展阻止勢力の存在があってちょうど良かったと言う見方も出来ますが・・・。
再軍備反対論があったからこの程度の抑制された軍備になっていて、世界から信頼されていると言えますし、ものは考えようです。

証拠法則と科学技術4

本人同意なしの防犯カメラや録音はプライバシー侵害の不利益があるとしても、大きな人権侵害・自白を求める追及の弊害・・長期拘束やえん罪のリスクに比べて、公道等でのカメラによるプライバシー侵害被害とのどちらを重んじるべきかの利益考量の問題です。
専門家は「新技術にはこう言う問題があります」と問題提起するのは有用ですが、その情報提供に基づいて利益衡量・・どちらを我慢すべきかは、専門家の役割ではなく、国民や政治分野で決めて行くべきこと・・政治問題ではないでしょうか?
私が知っている限りでも、ストーブ・冷蔵庫や炊飯器やテレビが出たときに、この種の反対論がいつもありました。
電子レンジやパソコン操作には電磁波だったかの影響があるので、妊婦にはどうだとか、労働環境としては一定時間で離れる必要があるなどいろいろ反対論が宣伝されていたことを記憶している人が多いでしょう。
エアコンは身体に悪いから出来るだけ・・と言う意見が普通だったことを記憶している人が多いと思います。
つい最近の議論では、電気自動車が発達するとエンジン音がしないので、車が近づくのが分り難いから危険だと言う反対意見もまことしやかに言われていました。
何でもケチを付ける気になればこう言うことも言えるのか!と感心させられましたが・・・。
専門家は何でも一応言っておく必要があると言うことでしょうか?
車は音がするものと言う習慣は、この4〜50年の経験で身に付いたに過ぎませんから、音がしないとなればまたこれに馴れればいいことですから、車に対するこの種の反対意見はあっという間に廃れたように思います。
科学捜査の未発達な時代で黙秘権のないときには、狡い人を免れさせないためにあの手この手の説得努力が嵩じて自白を慫慂するようになり、トキには悪用して徐々に脅迫や嫌がらせに留まらず拷問等に発展して行きました。
科学捜査の未発達は捜査機関の能力不足ではなく、社会全体の科学技術の発展に負うところが大きい・・12月2日に紹介したように20世紀末まで脳科学が発達せずあるいはDNA解明ができなかったのは、捜査機関の責任ではなく、政治制度は社会全体のインフラによることの一場面です。
自白重視が却って自白さえあれば良いと言う逆方向に発展し、本来の証拠収集技術の発展を阻害し制度を歪めてしまった面もあります。
この反省から近代刑法では自白だけでは、証拠不足とされるようになりました。
近代刑法・・この結果である現憲法も、昨日紹介したように拷問禁止するだけではなく、自白だけでは有罪にしないで、「補強」証拠を求めるようになっただけであって、現在も自白中心・主たる証拠扱いの精神は変わっていません。

刑事訴訟法

第三百二十条  第三百二十一条乃至第三百二十八条に規定する場合を除いては、公判期日における供述に代えて書面を証拠とし、又は公判期日外における他の者の供述を内容とする供述を証拠とすることはできない。
第三百二十二条  被告人が作成した供述書又は被告人の供述を録取した書面で被告人の署名若しくは押印のあるものは、その供述が被告人に不利益な事実の承認を内容とするものであるとき、又は特に信用すべき情況の下にされたものであるときに限り、これを証拠とすることができる。但し、被告人に不利益な事実の承認を内容とする書面は、その承認が自白でない場合においても、第三百十九条の規定に準じ、任意にされたものでない疑があると認めるときは、これを証拠とすることができない。
○2  被告人の公判準備又は公判期日における供述を録取した書面は、その供述が任意にされたものであると認めるときに限り、これを証拠とすることができる。

刑訴法320条は伝聞調書の原則禁止と言う原理で、被告人以外の人の供述書は(弁護人が同意しない限り)原則として証拠に出来ないのですが、322条で被告人の不利益承認供述=自白は任意性に疑いがない限り証拠に出来ると言う原則です。
人は、自ら不利益なことを言う筈がないから、自分で不利益なことを言う=自白するならば確かだろうと言う自白重視原理の表明です。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC