中国の国際ルール破り5(人としての価値観未発達4)

中国人の場合華僑としての歴史が長い分だけ、韓国人よりは利口に(地元に溶け込む努力姿勢)立ち回っている印象ですが、それでも世界各地で中華街を展開する(・・結局は出身地文化そのままで他国でも生活する意思表示です)などの欠点が目立ちます。
改革開放後の国策(国力をバックに)に付いて出て行った場合、韓国同様に自国基準そのままの横柄な振る舞いが目立ち、アフリカその他で嫌われ始めています。
中国、韓国のような特異な(マイナス)価値観で世界経済・社会に参入するようになると民族的評価が重要になります。
その辺から、ヘイトスピーチとは何か?の関心でテーマがズレましたが、中韓両国が国内基準を世界各地に持ち込む・・騙しあい、足の引っ張り合い・虚偽データ作成、盗み放題をして行くと世界はどうなるかの関心に戻ります。
2015-6-16「中国の国際ルール破り4(人としての価値観未発達3)」の続きです。
足の引っ張り合いで訓練を積み、サイバー攻撃等々で国内訓練を積んだ中国政府・人民が特定の国相手にテロ式にパニックを起こさせるやり方が蔓延すると、された国では(悪いことには)慣れていないので、大混乱になります。
これの象徴的現実化が進んでいるのが、中国が政府一丸となってやっている(勿論政府は否定していますが・・一般には、中国政府が秘密にやっていると推測されています)サイバー攻撃で相手国のネットシステムを機能しなくする攻撃です。
折しも・・6月初めころ判明した年金記録侵入事件はまさにその到来が近いことを予測させます。
年金記録攻撃は中国発とされている・・侵入に使われた言語は日本人が騙され易いように流暢な日本語が書かれていたようですが、実行以前にやり取りされた言語記録では中国語のやり取り中心と判明しているようですから、中国系の犯行と推定されています。
サイバー攻撃は現在社会で必須のコンピューターシステムを破壊するのが目的ですから、言わば戦争前の予行演習と位置づけられるべきでしょう。
本当の戦争時にこれを実行されると、軍の機能もその他経済機能・水やガス・電力・通信・交通システムも一瞬にしてストップさせる威力があります。
戦時のサイバー攻撃に限らずいろんな分野で中国政府や民間人が一丸となって?これまで人類が築いて来た世界の信頼システムを日常的に破壊するようになると世界はどうなるかが心配です。
杞憂と言う言葉がありますが、杞憂で終わることを期待したいものです。
中国では、知財剽窃に始まり、紙幣偽造も日常的ですし、・・・人類が長年の努力で培って来た基本ルールを守る「人道的にやって良いこと悪いことの区別のある基本的価値観を、根底から覆す」動きを中国人が世界中で普通に行ない始めています。
(出血輸出による世界経済秩序破壊問題からこのシリーズが始まっています・・)
中国では古代から政治闘争での勝者が敗者を「なますのように切り刻んで」それを子供などに無理に食べさせるようなことが普通に行なわれていました。
法輪功事件で著名なように、弾圧を受けた人は拷問されているだけではなく、臓器摘出が強制されてヤミ市場にこれが出回っていると言われています。
法輪功関係者のビラによれば、突然連れ去られて行方不明になっている仲間が巨大でしかも、実際に公的に臓器移植された数値と公式提供者の数値が大幅に合っていない・・中国でヤミの臓器売買が盛んになっている供給源にされていると言う主張です。
要するに中国では、金儲けに繋がれば何をしても良いと言うのが民間人の基本姿勢ですし、古代から人として「忍びざるの心」の育たない社会です。
先進国から抗生物質や臓器移植技術が入れば、政府に反抗する集団を根拠なく拉致しては臓器を取り出してヤミで高額売買して関係者の私腹に入る・・恐ろしい社会が始まっています。
中国人民こそ人間としてのモラルをきっちり勉強しないと行けない・・最後進民族です。
この反省がないまま開き直って、欧米秩序に対する新たな価値観の主張とはおこがましいも良いところです。
AIIBも欧米既存秩序への挑戦とマスコミが囃すのですが、単に中国がルールなくデタラメに(コネ次第で)運用したいと言うだけで、何が新たな価値観創造なのかまるで見えてきません。
毒食品製造・各種偽造行為などの日常行為が欧米秩序に対する反抗であって、素晴らしいと賞讃する人がいるから何をやっても「造反有理」と良い気になっているのでしょうか?
金儲けのためには、手段を選ばない・・プラスチックで米を作ったり、下水から食品を作るなど何の罪悪感もありません。
中国贔屓の文化人によれば、発想力の奇抜さこそが発明精神・・創造力の発露だと賞讃するのでしょうか?
普通の人が思いつかない発想は重要ですが、それよりは「やって良いこと悪いこと」の基礎精神の欠如・・マイナス価値観に基づく発想こそを問題視すべきではないでしょうか?

集団責任4(アメリカによるテロ指定1)

サイバーテロを宣戦布告と見なしたからと言って、アメリカは中国をイラクのように爆撃する勇気がないし、経済制裁する経済的条件が熟していないこと知っているから中国が強気に出ているのではないでしょうか?
中国は相手が反撃出来ないと見ると、どんな不正なことでもやってのける傾向・習性が見えます。
アメリカは対中国では取引相手国が多く規模も大きいためにイランのような金融制裁が出来ないまでも、宣戦布告行為とまで言明している以上は、相応の仕返しに向けて水面下の動きだけではなく正面から動き始めています。
7月2日日経新聞夕刊3pによれば、アメリカ国防省の軍事戦略目標の発表には、北朝鮮・イラン・ロシアに続いて中国を名指しで「アメリカの安全保障を脅かす国家」として明記し、「日本などと共同で対処して行く」決して後に引かないと言う決意表明したと報道されています。
金融制裁その他の不利益を強制することによって不利益を受ける国民が政権に対して、軍事力を背景に対外的理不尽・強硬なことをしないように民主的圧力がかかる・・この種の期待すること自体悪いことではありません。
ただしこれは民族的自尊心を傷つけるようなやり方の場合逆効果です。
また、国民が一定の力を持っている場合に有効であって、相手が、非民主国家の場合(政権は民族問題に転嫁するでしょうから)、この種の圧力は全く効き目がないことも北朝鮮やイランの例で証明されています。
ロシアも多分その例に入るでしょう。
先進国では、ちょっとしたインフラ網の損壊でも大騒ぎですが、後進国では元々交易率が低く輸出入が急減しても金融取引が不便になってもさしたる影響がないことが強みです。
電車が止まったり銀行が休んでも、生活に及ぼす影響度が農家と都会人では、大きな違いがあること考えれば分りよいでしょう。
この辺でも、ロシアに対する金融制裁は実は一般国民に大した影響を与えません。
ロシアの主要輸出品は資源系ですので、資源=政府関係者しか損しない・・一般国民は直接利益を得ていないので気にならないでしょう。
貿易黒字・政府収入が減って、回り回って税収が減りますが、財政赤字でも凌いで行けば(日本の財政赤字の例を見ても分るように5年や10年どうってことはありません)なんとかなるので、国民には当面直接関係ない話です。
貧富化格差の大きい国での庶民は、元々最低生活しているのでそんなに影響がない・・富裕層の方が影響を大きく受けます。
金融制裁は庶民よりは国外出入りの大きい政権支持層に大きな影響があるので、(中国でも裸官と言われるように政府高官の方が海外に巨額資金を持っています)ロシアに対する全面制裁ではなく、プーチン氏の周辺人物を名指しして欧米が金融制裁を実施しているのはその意味では、的を射ているとも言えます。
しかし、彼らの海外逃避資金は、(中国の裸官と同様に政府高官の国外巨額資金は元々イザというときの亡命資金であって、生活資金ではないし)解決する・ほとぼりが冷めるまで5年や10年海外旅行しなければ良いだけですから、その間預金を下ろせないくらい生活に何の影響もありません。
アメリカは取引禁止=凍結するだけであって、没収することは出来ないので、その内円満解決すれば、また使えます。
まして、今はプーチンの側近層として信頼されている人物中心の制裁ですから、(信頼されているからこそ欧米が狙い撃ちしているのですから)失脚しない限り海外逃避資金の具体的必要性がないので、今のところ忠誠を尽くすしかないので、政権には何の痛痒も感じないでしょう。
プーチンと仲違いして国外逃亡する人だけが必要になる資金ですから、そんな資金を凍結してもプーチンには関係がないことです。
ロシア等に対する金融制裁は国民一般には、短期的直接的影響をあまり与えないことが確かですが、経済取引が発達している国の国民にとっては、短期間で大きな影響を与えます。
刑事制裁あるいは国際間ですぐに武力行使出来ない場合、婉曲的間接的影響力行使・直接行為者の周辺を含めた不利益効果は必要な実力行為と言うべきです。
企業間や個人消費者も行政取締まで求めないまでも、個人的にその製品を敬遠するなどの行動で影響を与えるしかないことはいくらでもあります。
近代法の原理・・証拠のある犯人だけ検挙すべきだ・・関係ない者をまとめて不利益扱いするのは良くない・・「江戸の敵を長崎で・・」となるのを非難だけしていれば良いと言う訳には行きません。
「日本人はいい人だが◯◯政権が悪い」と使い分ける常套文句は無理が出て来ているでしょう。

法網をくぐる4(技術革新と規制の遅れ1)

医薬品など何万回も治験を繰り返した結果の流通でも、なお大きな副作用が起きますし、新製品も実際に稼働してみなければ、分らないことが多いのが普通・・完全無欠のシステムなどはあり得ません・・。
実働中に不具合が出れば直して行くのが普通です・・法制度も施行後4〜5年経過で見直し規定をおいているのが普通で、完全無欠な制度設計サーバー等設置者が予め机上の実験でどんなに工夫してもどこかに穴があります。
LED信号機に変えてみると雪が溶けなくなって、信号の色が見えなくなったと言う報道がありました。
サイバーテロは、不具合を見つけて修正提案するのではなく攻撃する方に回ることが特徴です。
サイバーテロや租税回避・・法網をくぐる目的で研究する人は、企業で言えば不具合があると、社内で改善提案する前に対外発表して会社の信用を落とすのを狙っている社員のような存在です。
企業側や税務当局は、サイバー攻撃・租税回避を受けて防御方法を後追い的に改善する繰り返しですから、攻撃側のサイバーテロや法網をくぐる方が、原理的に先行する・有利な戦いになっています。
しかもサイバーテロの有利性は、やって見て失敗すれば、その方法での攻撃を断念し、また新たな方法を何回でも実験出来ることです。
ある家の塀を乗り越えたりカギを壊そうとして失敗した場合、通行人に見とがめられたりして・・その段階で住居侵入の既遂で足がつく心配が多いのですが、サイバーテロの場合、いろいろ試みている段階では何の犯罪にもなり難い点が大違いです。
「変な知らないメールには気を付けましょう」と言う呼びかけが知られていますが、被害者予備軍の人や企業は、それをクリックしないで済ます程度であって、自宅の塀を乗り越えている人を見つけた場合のように、警察を呼んだりしません。
従来型犯罪でも、目標を決めるために道路をうろつくだけでは検挙出来ませんが・・それでも事前情報として後に犯行があった場合の手がかりにはなります。
さらに塀を乗り越えたりカギを壊そうとしているところを発見すれば検挙出来るのですが、サイバー攻撃の場合、近くをうろつくとか、塀を乗り越えるような外形的段階がはっきりしないので、侵入成功しない限り発覚し難いので成功するまで何回でもちがった方法で試みられます。
攻撃の前段階での規制・取締強化策こそが、犯罪実行を未然阻止出来る有効な方法ですが、サイバーテロの場合、合法行為と違法行為の外形的区別が難しいので、これに対応する方法がまだ見つかっていません。
犯行に着手したかどうかの基準として、私の場合、刑法では「定型説」で勉強しましたが、サイバーテロではいわゆる定型が見いだし難い・・・・何が定型かは、判例の事例集積を待つのが普通ですが、技術が日進月歩なのでしょっ中新たな犯罪定型を決めて行く必要があって、後追いが目がマグるしくて間に合いません。
ソモソモ定型説は、同様の犯行パターンが繰り返される前提・住居侵入等や空き巣、スリ、置き引き、車上荒らし等の命名自体が、大量に同様パターンが繰り返し発生することを前提にしていますが、サイバーテロの場合、1回の犯罪で被害甚大ですので、1回の被害で大方防衛体制が整うので、(次のは違った侵入手口を工夫してきます・・同じ犯行パターンが何百回も繰り返されることは考えられません。
コンピューターの発達前には、100万人に数十人程度の不心得者(こそ泥)がいても大したことがありませんでしたし、繰り返し(振り込め詐欺など顕著です)同種犯行が起きる前提で警察も対処してきました。
ベネッセ情報被害で言えば、一人のハッカー(と言えないほどの単純犯罪ですが・・)が小遣い稼ぎ目的にデータを盗み出しても大被害を引き起こせる時代です。
この程度の犯罪は(直前行為である入退室管理や、収益に着目したデータ買い取り業者の厳罰化など)従来型対応である程度対応可能ですが、収益目的ではない国家組織によるデータ改ざんによる撹乱目的などの場合、犯行後の行動からの締め付け・・買い取り業者処罰が奏功しませんし、データ侵入直前行為の定型化を計るのは・・技術が日進月歩ですから非常に困難です。
どんなに規制を精密化してもその先、先を行く犯罪集団には叶いませんので、結局は国民の道義意識の向上を図る必要があります。
買い取り業者処罰強化したり国民道義意識が向上しても、外国政府系が国家機密入手目的で行なっているハッカーにはいまのところ、効果がない状態です。
2015/06/16「中国の国際ルール破り4(人としての価値観未発達3)」まで、中国のマイナス道義心が国際関係撹乱要因になっていることを書いている途中で話題がそれていますが、その内このテーマに戻ります。
今では、法に触れなければ良いという意識が蔓延して来て、法網をくぐるのに成功した税理士や弁護士が腕が良いと賞讃される傾向が広がっているのは、おかしなものです。
・・「法網をくぐる」のに成功した法律家が「対国税訴訟連勝」などとマスコミで英雄扱いされている社会になりつつあるのはおかしいと思いませんか?
しかし本来の価値観の流れで言えば、逆に法を駆使すれば何をしても良いと言う無価値的行動が批判されるべき時代が始まろうとしています。
7月4日まで紹介した租税回避に対する国際的潮流やテロ指定団体の金融取引その他からの閉め出し運動がその始まりと見るべきです。

ヘイトスピーチ論7と言論の自由4

マスコミ・文化人?法律家集団が「在特会の主張」に何の認否・反論をしないままで、アイマイな「ヘイトスピーチ論」で在日に対する批判言論を押さえつけようと躍起のように見えます。
大阪市の橋下市長が在特会のヘイトスピーチ批判をして、(公開討論で正々堂々とやろうと言ったかどうか知りませんが、)市長の討論要求に在特会会長が受けて立ったので、在特会会長と橋下大阪市長との直接討論が、ネット上で公開されていました。
市長は、自分からヘイトスピーチ討論を掲げておきながら討論開始するとそのテーマに入ろうとせずに、「政治論を言いたければ政治家になれ、」と(政治家以外は政治意見を言えないかのような変な論理)繰り返し言い張っていて、相手に反論させないでその内に、一方的に席を立ってしまいマトモな討論になりませんでした。
「何が許されて何が許されない」かと言う具体的議論を聞きたかったのに、これを見ていると市長には、「ヘイトスピーチやめろ!」程度の抽象論しかなかったのかな?と内容のなさ(空疎)に驚きました。
当然周辺ブレーンが周到な準備研究して望んだでしょうが、研究すればするほど具体的定義に踏み込めないことが分り、冒頭から、無茶苦茶討論で討論会を台無しにしてしまう戦術をとるしかなくなったのではないかと推定されます。
今回の大阪都構想の住民投票騒ぎも同様ですが、キャッチフレーズ・ムード先行で具体論の詰め・・都になると今の大阪市の住民にとってどう言う変化があるかの具体論が詰められていない印象が投票期間中に指摘されていた結果、負けてしまいました。
中韓に不都合なことは「臭いものに蓋式で)マスコミ・文化人が必死に守っているこの姿こそが、戦後70年も続いて来た(マスコミに守られた)「在日特権」と言われている批判の基礎に通底する現象でしょう。
ヘイトスピーチなどと脅かして?頭から言論を押さえつけるよりは、親韓派には左翼文化人が多数そろっているのですから、発言力もあるし発言能力もある筈ですから、堂々と在特会の主張している「特権などない・・あるのはこう言う合理的な権利だけです」と反論をしたら良いでしょう。
反日民族教育をするのは思想の自由で勝手かも知れませんが、学校補助金等税金を使っている(補助金を貰っていなくとも固定資産税等の減免を受けていれば立派な補助金ですが、実態がどうかまでは知りませんが、そのチェックをしたり)在日集団が反日教育をするのは許すべきかどうかの演説するのは、マスコミが後生大事にしている筈の言論の自由ではないかと言うことです。
税金を使っている場合、(補助金がない・各種減免措置を受けていないならばないと主張すれば良いことですし・・)税の使い道として議論するのが何故ヘイトスピーチになるか不明です。
いわゆるヘイトスピーチは(定義次第ですが・・)少数弱者に対して故なく(18日以来書いて来たとおり、何も悪いことをしていない人の方が実際に多いのですから、同じ民族と言うだけで)反感を煽り、弱いもの苛めをするならば、許されないことは多くの人が認めるでしょう。
しかし日頃からある少数民族が民族集団行動として政治活動し、その成果でその民族全体が特権を享受している場合、これに不満を持つ人がその特別利益を得ている集団全員に対して批判活動するようになるのは避けられません。
「農民に対する補助金政治をやめろ」と政治運動するのは少数弱者(業界従事者数としては少数派ですが・・)に対するヘイトスピーチではありません。
日本の農民相手なら批判が許されるが、朝鮮人相手になると直ちにヘイトスピーチになるかのように(マスコミや文化人は定義を明らかにしません)イメージ宣伝するのはおかしな論理です。
弁護士会が特定政治活動に熱心になっていると、熱心でない弁護士も同じ考えを持っているのかと多くの人は誤解?認識するのが普通であって間違いとは言えません。
国際交流を活発にして個人的に「良く知っていれば・・」と言っても、直接の人間関係を持てるのは限界があります。
大手デパートの信用力やブランド名、あるいはどこの企業人かによってその人をある程度信用したり、採用にあたっても学歴や成績等を重視しているのは、外形基準で大方の評価をして行く必要があるからです。
「学歴偏重がおかしい」とか、「身なりで判断するな」などと言う意見が尤もらしく幅を利かしますが、一見で見分ける目のある特別な人にのみ通用する意見であって、平均人は上客かどうかを身なりや仕草で判断するしかありません。
試験だけで人物かどうか分る訳ではない・・後から頭角を表す人もいることはいますが、普通の中堅サラリーマンが採用担当者になって何千人の応募者を見分けるには、試験によるしか差別基準がありません。
概括的評価が必要な分野は(商品・サービス画一化が広がり)時代の進展とともに広がる一方です。

ヘイトスピーチ論4と言論の自由2

ところでヘイトスピーチ違反で刑事処罰をするとなると、何がヘイトスピーチで許されないのかの定義と言論の自由との関係が起きてきます。
ナチス犯罪否定論とは違い定義付けが難しいので、言論の自由との関係はどうなのか?定義は?と言う議論が出て来ると、急速に禁止法制定運動がしぼんでしまいました。
今はムード批判・・人格攻撃に徹していますが、言論・人権擁護を商売にしているマスコミや人権派弁護士の運動としては、ちょっとお粗末すぎないかと言う印象を受けた人が多いでしょう。
彼らの人権派と言う立場が、普段から(共産圏や中韓の人権侵害には全く触れない・・と言うか代弁者的)二重基準で活動しいるからこうなっていると(勿論マスコミには出ませんが)批判されるようになっています。
何年か前のコラムでネットの発達が先進国により大きな影響がある筈(中国の独裁体制崩壊に繋がると言う「知識人』の趨勢的意見に対する反論として)と書いてきましたが、これがまさに日本で威力を発揮し始めて米軍支配の後を引き継いだ韓国によるマスコミ支配による世論形成力が崩れ始めたのがここ4〜5年の動きです。
マスコミ支配だけでは韓国批判を抑え切れなくなった結果、「ヘイトスピーチ批判論」が「ドイツを見習え」と言う主張と同時的に韓国主張(この辺は慰安婦報道での大フィーバーと同じで、日本マスコミは「韓国報道の紹介・・」紹介と言う形で大キャンペインを張るのが普通です)今回も韓国主張の紹介形式で実際には日本マスコミ・文化人主導で展開されて来ました。
慰安婦宣伝戦に負けそうになると、韓国や日本のマスコミ中心に、「ドイツを見習え・」と言う主張が出て来たのですが、ドイツは日本と違って、周辺国へ賠償をしていないことが分ってきました。
この辺も全く日本で報道されていなかった・プロ研究者は知っていたでしょうが、一般的情報ではなかったのですが、タマタマ・・・・今回ギリシャ危機で「ドイツがあまり強硬なことを言うなら賠償を求めたい」と言う意見がギリシャ国内で一部出て来たことから、日本国民に広く知られるようになってしまいました。
そうすると何をドイツに見習うのかとなりますが、刑事処罰法制定の有無くらいが核心的な違いになりますから、その実現を目標に運動していたことになります。
国民が知らされていないだけで、運動家は当然ドイツは何をしていて何をしていないを知った上で「ドイツを見習え」と運動している筈ですから・・。
「ドイツを見習え」と言う主張と、ヘイトスピーチ禁止論=刑事処罰法制定論が同時的にマスコミや人権派?弁護士中心にわき起こって来たのは偶然ではなかったことになります。
しかし、ここでまで書いているように(私なりにこう言う場合は許されないだろうと憶測で例示して書いてきました)ヘイトスピーチの定義がはっきりしない上に、ドイツの場合、元々ナチス蛮行に対する刑事処罰はある程度処罰要件が明確ですが、韓国や中国のように終戦時何もなかった(南京虐殺も認定されていません)ことをしかも戦後処理の決着を付ける日韓条約や日中条約解決後に持ち出すのですから、後から次々と出して来ることに対する反論禁止になると処罰の線引きが出来なくなります。
極論すれば、「中韓の主張に反する主張したら全て処罰する」と言う変な法律しか出来ないでしょう。
これでは専制支配下の人民同様=日本を中韓の奴隷状態におく法律を自分で作るべきだと言うに等しくなります。
敗戦後持ち出した問題に対する批判・反論を処罰出来ないとすれば、当面問題の慰安婦や南京虐殺等に反論させない目的・・中韓両国からすれば、何のためにヘイトピーチ禁止法を作らせる運動を背後で応援しているかとなりますので、急速にこの運動が下火になりました。
ヘイトスピーチ禁止法制定要求は定義がはっきりしない批判(上記のとおり何でも中韓の言うとおりしないと刑務所行くのか?これでも主権国家?の批判)や、言論自由の絡みで難しくなった結果、最近ではこれを言わなくなったものの、その代わりに「ドイツは日本と違って誠意を持って謝っている」とか、「過去を反省しないと将来がないとブラント氏が言った」などの変な主張に変わってきました。
誠意ある陳謝などと言い出したら何百回謝ってもキリがありません・・この繰り返しに日本人が「いい加減しろ」と怒り出した原点に戻って来て、韓国やその意を受けた日本マスコミの主張は支離滅裂状態になってきました。
そこでマスコミは、ムード的ヘイトスピーチ批判に徹して、在日批判論はマスコミで一切報道しないで国民や外国に発信しない無視政策と、在日批判に共感すること自体人格的に問題があるかのような印象づけ報道に徹しています。
しかし、マスコミ報道は、双方の意見を公平に報じてこそ存在意義があるのですから、一方の意見しか報道しない・・しかもこれに対する反対意見をそのまま紹介しないで、「人格的に問題がある」かのようなムード報道しかしないのでは、マスコミの信用を自ら損なう・・自滅行為のように思いますが・・・。

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