これまでフジテレビの視聴者離れを書いていますが、民放の場合には市場チェック・・独善で運営していると視聴者が離れて行く・・経営危機になるので、淘汰が期待出来ますが、NHKの場合、市場淘汰がないので一定の思想集団が牛耳ってしまうとどうになりません。
NGOも顧客満足度は必要がない・・広告収入に関係のない特定思想プロパガンダ期待のスポンサーさえ満足してくれればいいのと同様に、NHKの場合には市場淘汰がない分・・何らかの国の関与が必要です。
ソモソモ国営放送に中立性が必要か?と言う原点に立ち返った検討が必要です。
中立ではなくとも国営と思えば、みんなその気持ちで見ますので、はっきり日本政府の宣伝組織にした方がすっきりします。
放送法の中立性に関して10年ほど前に書いたことがありますが、厳密に言えば、世の中に真の中立などはあり得ないことです・・擬制でやっているから却って怪しいことが起きるのです。
野菜等の原産地表示同様に、言論世界もどこの資本でやっているか、どこの立場で主張しているかを明らかにした上で客が選べるようにする方が公平です。
NHKは外見上国営なのに実際には日本を貶める外国の意向にあわせた報道していても、中立性と称して放置するしかなく、国民の税金で運営するしかないのっておかしな結果になっています。
どうせ偏っているならば、中国の新華社のように政府方針を忠実報道している方が「名と体」が一致していて、読む方も中国政府の意向がこうなのだと言う意識で読むので、有用です。
もしも新華社が中国の人権侵害を実態以上に誇大報道した場合、反体制派の報道よりも、世界中が信用してしまうでしょう。
NHKの台湾族のドキュメンタリ−だったか・・「日本統治時代のよかった・・感謝の気持ちを述べている現地人の発言」に対して、「どんなに酷い目にあったか・・」と言う逆の傾向に仕立てた報道をしたときの裁判では、出演者の慰藉料請求でしかなかったので報道の真実性は裁判対象にはならず、被写体として録画に応じた人の意図と、違って利用したことを認めたと思いますが、それでも被写体は番組構成・・シナリオ作成に期待する権利はないと言う結果で終わっています。
NHKとしては、裁判でも「主張が認められた」と言う宣伝になっているのでしょうが実態は逆です。
裁判とはそう言うものですから、何かあるとすぐに裁判で決着付けようとする言動では国民が納得出来ません。
極端な比喩で言えば、数学の計算論争どちらが正しいかについて、決闘で勝負つけようと言うようなものです
NGOの話題に戻りますと、NHKとは違い税金を使っていないし、主義主張が偏っていようといまいと、実態をでっち上げる・・虚偽主張であろうとなかろうと自分らの勝手・・独立性・独善性?こそが重要なので、噓の報道でも結果が良いと思えば・・「正しいと思うことをやるだけ」と言うことも可能です。
国民の支持を前提としない独善組織は、連合赤軍や過激派組織など世の中にいくらもあるので仕方ないことですが・・。
彼らも元は国民支持を得たいと思っていたのでしょうが、あまり現実離れし過ぎているので、支持がなくなるに連れて、開き直って?国民の支持など問題にしなくなったので一貫していますが・・。
現在の暴力団も元はと言えば住民の支持・・任侠道・・幕府権力だけでは、取締に人手が足りない(直轄領で多く発達した)ことや、法規制がきめ細かくなかったこともあって、その隙間の穴埋め・・二足のわらじを履いていた時代には、地元の人格者・侠客による義理と人情による解決・・・・イギリスの衡平法裁判のような役割を果たしている面もあったように思えます。
だからこそ、形式的なお裁きとは違う・・法網をくぐる悪い奴は許さない・・任侠の道「極道」と言われたのでしょう。
この実力組織を維持するために、当時未発達であった徴税制度(商業や芸人に対する税制が未発達でした)の穴埋めとして、大道芸人に対する所場代やテラ銭・商人に対するミカジメ料→現在の事業所税の原始的形態・・等を収入源にしていたのであって、今のヤクザのように、麻薬等密売等の非合法収入を主体にしていたものではありません。
実力組織を抱えている関係で、末端では、ユスリ・タカリ等もあったでしょうが、これは飽くまで副作用・・病理現象であって独裁国家の役人が袖の下を要求するのと本質が同じです。