自民族言語表現・文化の重要性4(近現代用語を日本に頼る中韓1)

ソ連では政府自身が何千万と餓死させながら穀物輸出して共産主義政権が大成功していると虚偽発表していましたし、中国も戦後「大躍進」と称して、実際には数千万〜5000万人の餓死者を出していたことが今になると常識になっています。
個人でも共通ですが、不都合・遅れている状況を隠すときに政府による虚偽発表→鉄のカーテンが起きる現象です。
上の道義が低いと下々もこれに倣います。
日本は古代から外来技術が入ってくるとマルゴト導入ではなく日本の在来概念を組み合わせて、それに適した言語を創設してきました。
蒸気船〜蒸気機関車、自動車、自転車、飛行機や航空母艦などがその1例です。
機械類に限らず新しい考え方・思想的熟語・社会の仕組みに関する用語、法律用語も同じです。
清朝の方が日本より数十年早く西欧に接していたのに、西洋の文物技術(新概念)をまともな漢字熟語に翻訳できていなかった事実から見ると、中国では・・漢字発祥の民族とは言え、多分先進社会用語を自民族で翻訳用語を創作する能力が、日本より低かったのでしょう。
文化格差が有り過ぎる場合、自民族用語に翻訳したくとも自国に高度な対応語がないので無理があります。
この点、日本では江戸時代から堂島には米相場があったし、手形取引も発達していたなどのほか藩札があるので紙幣の流通→両替(大阪は銀で江戸は金兌換ですから必然的に為替取引が発展しますし、遠隔地決済のために為替手形もできていました)もあるなどいろんな社会組織や制度が発達していた・学問的にもエレキテルの研究や数学や蘭学を通じて医学も発達していたなど有利な点があったでしょう。
文化格差があると自国言語に対応言語がない翻訳しきれない結果英外来語をマルごと導入しかなくなる・・西洋諸国でラテン語が約千年間も公用語であり続けた原因がここに有ります。
日本が幕末から明治にかけて欧米の近代用語をすべて自国の漢字熟語に変換して置けたのは、変換能力が高かった他にほぼ同水準の概念が国内にあったことにもよります。
他民族言語を自民族語に変換した歴史経験がない中国や韓国は日本の変換しておいた漢字熟語をそのままの流用で間に合う・自分で努力・創作する必要がなかったので効率が良かったし、英語圏に入らなくともなんとか現在社会がなり立っている状態です。
ただし韓国に限っては戦後すぐに7月20日に紹介したように、日本語のヒラカナに相当するハングル一本化してしまって、漢字教育廃止しているので、漢字をそのまま使えない不都合があると言われています。
専門家だけ漢字を使えば良いというのでは、それ以外の民度はどうなる?という疑問です。
公教育をやめても自発的に学ぶ意欲のある社会であれば別ですが、そうでないとその後漢字文化はジリ貧になって行きます。
7月20日に紹介したように、教育をやめてから一定期間経過すると漢字需要がなくなった結果・・新聞等のメデイアも漢字表記をやめてしまったと言うのですから驚きです。
漢字を読めない層が増えて商売ならない時代がすぐにくるのですから、?せっかく日本が統治期間に民度引き上げのために学校制度を普及させて教育して来のですが、朝鮮人の多くには、荷が勝ち過ぎていたのでしょう。
もちろん前大統領の父親のパク大統領のように、日本の教育制度に乗っかって(日本の士官学校出で日本陸軍での将校でした)頭角を現した人も一定率いますので、何回も書いているようにこのコラムではいつも比率の大きさを書いている・例外がないという意見ではありません。
韓国では漢字を日本文化と誤解して?日本敗戦後の優先課題としてすぐに漢字の公教育を廃止したのですが、その結果、すぐに漢字を読む層が商売にならないほど?消えてしまい、漢字を利用した新聞が成り立たなくなってしまった・・多くの国民が漢字教育に関心を持たなかった事実が重要です。
李氏朝の国家樹立後明や清の冊封体制下にあったとはいえ、独立性が高まった結果すぐに先祖帰りして行った流れが起きていたことと、日本敗戦後日本と交流を断固拒否していた間に7月28〜29日に紹介したように産業部門がどんどん落ち込んで行ったことを合わせて見ると外界からの半強制的学問や技術導入の流れがなくなるとすぐに元々の「地・民度」に戻っていく様子がわかります。
長いヤンパン支配下で、ヤンパンはエリート層として文字教育を受けていたでしょうが、それ以外の庶民が自発的に文字を習い考える気風が育たなかった土壌を見る思いです。
中国律令的価値観では、日本の武士ですら平安時代に描くところの裸足で歩き回る地下(じげ)人であって、このために江戸時代の朝鮮通信使は貴族層ではない武士を相手にするしかないと言って、(実態より形式重視)嫌がっていました。
以上は・・出典を記憶していませんが、小説か随筆か何かで読んだ記憶です。
日本の武士は鎌倉以来支配層として成長し、漢詩文の素養を積んでいましたし(太田道灌が恥ずかしく感じた故事)、江戸時代になると庶民まで子供を寺子屋に通わせたり芸事を習うなど自発的な文化吸収欲求の高い・・最下層で農作業現場系に関与する実務社会でも絶えざる自発的改良工夫の進む社会でした。
他方、朝鮮では、庶民には自発的な文字その他の文化を学びたい欲求が起きなかったのでしょうか?
庶民は文字による文化などを知りたいとは思わないし、社会生活上必要な工夫もしないで古代意識のまま生きて来たから民間から文化や技術が発達しなかったのでしょう。
日本統治になってからの朝鮮では、日本政府が庶民にまで学校に強制的に通わせたり、世界恐慌時に宇垣総督着任後には農村の窮乏を防ぐために学校にいけない子供には教育課程を緩くして学校に時間が空いて放課後に学校にくれば教える仕組みを作り出し農村教育では、「なせばなる」と言う徳目教育で農村で皆が集まって色んな農村の課題をみんなで考えさせたりした結果、とてもできそうもないように見えることでも、みんなで色々工夫して努力していると何とかなることが多い経験を積ませていた結果、徐々に自信を持ち成果を出すようになっていたと言われます。
せっかく身に付き始めた気風が簡単に先祖帰りてしまったのでしょうか?
大恐慌爺以降の記述は以下のとおりです。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/kankoku-hatten.html
「日本でも東北の農村では、農家のみならず、役場の職員、教員の給料が払えず、遅配、欠配が続いた。農家では自分の作った米を食べず、市場に出すため、ますます米の価格が低下し、売るものがなくなり、娘の身売りが続出した。この年9月に満州事変が勃発した。この原因の一つは、この農村の疲弊対策として、農民の移民先を求めたことである。
朝鮮の農民も自分で作った米は食べることができず、粟か稗しか食べられなかった。日本の農林省は「米の価格低下は、朝鮮米の無制限な移出が原因」と非難し、出荷の自粛を求めた。しかし他に有用な作物がない朝鮮では、農民の生活を維持するためには、高価な米を内地へ移出するしか方法がなかった。陸軍の応援で辛うじて米を自由に日本へ移出する事が認められたのである。
尚、この時期アメリカではフィリピンからの砂糖、椰子油の無制限な輸入に、アメリカ本土の砂糖や食料油の製造者が反発した。更にフィリピン労働者のアメリカ進出に危機感を抱く労働組合が同調し、フィリピンの十年後の独立が決定した。フィリピンの切り捨てである。日本とどちらが民衆の事を考えた施策だったであろうか。
「宇垣総督は着任後直ちに農村を視察し、農村振興運動をスタートさせた。日本における農村自立更正運動より僅かながら先行している。この運動で宇垣が最も主張したのは「心田開発」即ち心の持ち方であった。又宇垣に呼ばれ指導に当たった山崎延吉の指導理念は「奉公の精神、協同の精神、自助の精神」であった。セマウル運動との違いは奉公が勤勉に代わっただけである。」
「この文盲対策として1934年簡易学校の制度を発足させている。学校へ行けなかった青年に読み書き・算盤を教えるものである。生徒は農業の暇なときだけ来て、勉強するというやり方で、普通学校に併設し、普通学校の先生が兼務で教えたのである。」
以下明日に続きます。

沽券・メンツにこだわる文化5(韓国起源説)

韓国は通貨危機再来を恐れて、日本に必死になってスワップ協定を頼みながら、国内では「日本が困っているから助けてやった」と説明していたらしいですから、日本は朴政権による慰安婦攻撃以来、表面で日本攻撃しながら裏でこっそり頼んでくるずるいやりかたに応じない姿勢に変わりました。
麻生副総理・財務大臣は再三「韓国が協定して欲しいならば検討する」という態度を明らかにした結果、韓国政府が日本を助けるためにスワップ協定をしてやったと国民に威張っていた手前、今更公式に日本に「お願い」できずに困っている状態です。
世界最大純債権国日本が何の必要があって韓国に相保証を求める必要があるのか・・世界中の人が聞けば呆れるような論理で自己満足して来たのが韓国政府であり民族レベルです。
何かある都度北朝鮮や解放前の中国では、何でも日米が悪いという紋切り型の声明で米国や日本批判していて、「箸にも棒にもかからない」どうにもならない相手と思われてきましたが、慰安婦騒動以来の韓国の動きをみると韓国も同じであることがわかってきました。
韓国とは何回国家間で合意しても・・国民感情が・・という結果になる原因は、一つには本来の被害者無視・・慰安婦 や徴用工の問題も日韓条約で解決したのに、国民に説明・分配せずに日本から得た資金を政府の懐に入れてしまったことが基本的原因です。
韓国・朝鮮人は歴史が始まって以来、実際と天地逆転の政治行動をする・・明々白々なことでも嘘を言い張ってシラを切り通す・「恥を知らない」民族かな?と想う人が世界中で増えてきたようです。
この後で紹介するように「何でも韓国起源説」が世界に流布するようになって、世界中の人が日本の苦労を理解するようになっています。
反日無罪という中国熟語がありますが、反日目的で国民に荒唐無稽な嘘ばかり教えてきた結果、国民全般に「いくら嘘を言っても良い」という信念は植え付けられてしまったツケが漸く世界1周で?回ってきたのです。
今年5月頃に就任した文大統領は、日韓慰安婦合意を無効化するとは言えないまでも、「国民感情が・・」と「政府合意と国民は別」という二枚舌を使おうとしているのはその1変形です。
外来文化を受け入れて消化できるほどの独自文化がない民族では、外来文化そのものを丸ごと受け入れて自国文化のように思い込むしかない・・自国独自文化をモテない悲哀というべきでしょう。
日本では外来文化流入が細っても平安文化に始まって安土桃山〜江戸時代も独自文化の花を咲かせましたが、そもそも世界中と交際をやめてその間に独自文化や技術を発展させられるような民族がいくつあるでしょうか?
ほとんどの民族では交流による文化技術導入しかない筈ですが、要は1を聞いて10を理解する民族か、1から10まで手取り足取りして教えて貰わないと何もできない民族かの違いです。
ソ連や中国は鉄や竹のカーテンを引いている間に全く遅れてしまい自力発展性のない民族レベルを証明して世界に恥を搔きました
この間李氏朝鮮や今中国のように 内外に向かって栄光を主張していたので結果的に虚栄の社会でした。
その他の国ではどうでしょうか?
西欧では、イギリスは海賊で覇を唱えただけで文化らしい物がないとしても、産業革命を自力で起こした点で偉大です。
ドイツはイタリアに通っているうちにクラシック音楽を創始しましたし、化学や各種機械技術分野では先駆者的不動の地位があるように思われますが・・フランスは何か独自に起こした文化があるのでしょうか?
近代思想の創始者デカルト・パスカル・モンテスキューなどの思想家でしょうか?
もしかすると中世文化の基礎になる修道院文化の名残り・花が開いたのかも知れません。
人間個人で見てもいつも誰かと間断なく交流していないといられない人と10日でも20日でも黙って自宅に落ち着いていられる人と比べて「どちらが人物か?」という基準がありますが・・。
揺るがない自分を持っている人は、精神が安定しているように見えます。
韓国では孔子に始まって色々な中国や日本起源のものを何でも自国起源だと言い募る不思議さの基礎・・独自文化を持ったことがない哀れさが原因です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%B5%B7%E6%BA%90%E8%AA%AC
「韓国起源説とは、韓国の個人・団体などが、他国の文化などの起源・伝播を朝鮮半島に求める、根拠不十分で非合理な言説群の俗称。韓国起源論ともいう。学者や文化人が個人的に主張する説から、公的団体が正式に主張する説まで多岐にわたり、一時的にマスメディアで流布される場合から、継続的に国際的な広報活動が行われる場合まで様々である。特に、日本文化や中国文化が対象とされる場合が多い。」
「韓民族優越主義的な視点で主張される点では広く共通しており、特に日本文化に対する起源説の主張では、小中華思想と公教育に基づいた強い対日蔑視の視点で主張される事が多く、様々な日本文化が剽窃され韓国文化として外国に宣伝されている[1]。 他の国ではあまり見られないこの現象について、「韓国人の劣等感が原因」との韓国の大学教授の指摘もある[2]。また「韓国は古代より小さな属国だったため自信がない。そして歴史・資源・世界的な地位などあらゆるものが不足するなかで手段を選ぶことなく自分の物であることを主張するようになった」と分析した中国メディアもある」
「朝鮮日報・東亜日報・中央日報のような大手マスコミや、学者や有名作家が韓国起源説を堂々と主張・報道したり、韓国起源説に基づいて映画が作られたりする。世界に向けては、2002年アジア競技大会組織委員会や大韓剣道協会のような公式国際団体が韓国起源説を主張したり、Japan Expoや韓国政府が後援する Korean Connection のような国際的なイベントで、韓国起源説に基づいた対外文化広報が行われたり、移民した在外韓国人が現地で積極的に韓国起源説を広めたりする[7]。これらを鵜呑みにしたネット記事・投稿が氾濫し既成事実化が進み、ついには韓国の教科書に記載されるようになる。さらに、事実無根の起源説が別の起源説の根拠になるなど[8]、仮説や希望的観測に基づいた虚構が「歴史的事実」として流布されている[1]。」
「世界で有名になるとその文化に対する韓国起源説が主張され始める場合が多い。例えば韓国では侍や日本刀や桜は「野蛮な日帝の象徴」として長らく忌み嫌われていたが、侍や毎年春にタイダルベイスンで開かれる全米桜祭りのソメイヨシノがアメリカで人気を博していると認識すると、大規模に韓国起源説を主張し始めた」
慰安婦報道のように虚偽報道が繰り替えされると相互に引用されて行くので、あたかも事実のように成長して行く方法です。
嘘つきの総本山みたいな民族が、どうして出来上がったのでしょうか?
韓国北朝鮮の研究をすれば、どうすれば恥も外聞もなく嘘を白々しく言い通せるようにな人間が育って行くかの研究になるでしょうが、ヘイト助長とする言う理由でタブー視されている結果、多分公表されることはなさそうです。
李氏朝鮮・支配層が長い間、遅れた文化水準を隠蔽するために外面と内面を使い分ける政治・・まさに嘘そのものです・・をしてきた結果、民族全般で虚偽主張に慣れてしまったのではないでしょうか?

外からの民主化と自力発展能力3(民度)

7月22〜24日に書いてきたように他の進んだ文化が情報として入ってきても自力ではどうにもならない劣等感に苛まれている結果、韓国では上から下まで劣等感の塊になっているように見えます。
ストレスが溜まってどうすることも出来ない・・上から下までコトあるごとに真逆の嘘を気持ち良く、信じ込みたくなる社会です。
昨日出ていた原発事故に関するとんでもない・・荒唐無稽な情報が出てもこれが、淘汰されずに逆に信じ込んでしまう社会の病理原因です。
中国や旧ソ連などと違い自由陣営の韓国では多様な情報が自由に入っているので本当のことが簡単に知ることが可能ですが、嘘と分かっていても日本がダメだというデマがあるとこれに飛びつきたい心情が優先するのでしょう。
この後で紹介する八戸デマ報道に対する対処も同じです。
誰でも自分の気に入った情報と反対情報がある場合、反対情報を参考にしても自分の好きな情報の方に同調したくなる傾向があるのを否定出来ません。
要は心情優先がどの程度高いかの問題です。
こういう劣等感によるバイアス社会が一旦出来あがると本当のことを報告しにくい〜できない社会体制・・4〜5年前に日本統治時代の方が良かったといった老人が反日教育に染まっている若者に殴り殺された事件が報道されていました。
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/1bee94c855fd5e1ac42199a7668e1575
2013年9月15日 日曜日
◆95歳男「日本統治よかった」発言で殴り殺される 韓国ネットでは「死んで当然」「正義の審判だ」 9月13日 J-CASTニュース
韓国で、95歳の韓国人男性が日本統治時代を「肯定」する発言をしたところ、居合わせた男の怒りを買い、殴られて死亡するという事件が起こった。
 「愛国心ゆえ」の犯行だと男は供述、韓国ネットユーザーなどからも擁護の声が上がる。あまりにも惨い事件に、日本では驚きが広がっている。
■老人の杖を奪い、頭を何度も…
本当のことをいうと失脚・吊るし上げに遭うリスクが高いので気心の知れた仲間内でしか話せない窒息社会は・・李氏朝鮮第4代の世宗の次の時代あたりから出来上がっていたのでしょう。
韓国は日本の技術移転の結果表向き近代化が進んでいますが、借り物技術がないと何もできない劣等意識・・精神の合理化はそうは簡単に行きません。
経済戦争では北朝鮮より格段に進化しているのですが、韓国民に北朝鮮シンパが多くなっていると言われる基礎には、こういう精神の矛盾・葛藤があるように見えます。
この矛盾がついに政治の表面に出てきたのが、パク前大統領以来顕著になった反日行動=善とする政治行動でしょう。
昨日勝又氏のブログで紹介したように、ストレスによる鬱憤爆発寸前で合理的な政策決定が不可能になっているのがその現れです。
日韓併合後朝鮮半島の近代化のために日本は各地に学校を作った外に、重工業などの各種投資も本土以上に注ぎこんでいたので、敗戦時では朝鮮半島の方が廃墟と化した日本本土より何百倍?もの進んだ設備を保有していました。
このために工場設備全てを失った日本は今後朝鮮民族の支配下に入る民族くらいに思い込んで朝鮮民族が舞い上がっていたようですが、南北朝鮮共に日本人が引き揚げると残された工場をそのまま運用するのがやっとで保守すらできないために年数の経過で多くはそのまま鉄くずと化してしまったようです。
一方で日本は一旦廃墟化してもいつでも自分で作り直す能力を持っていた点が大違いでした。
「もう日本には将来がないと思っていた・願望」(この辺は2011年の原発事故でも同じ反応で、これが朝鮮民族の宿命的願望)のに戦後20年近く経つと日本は目覚ましく復興しているのに韓国の機械設備は陳腐化する一方で格段の差が開いてしまいました。
韓国は日韓国交回復(1965)の結果日本の技術援助で生き返りましたが、北朝鮮はそれがないので敗戦時に残っていた日本製機械設備を今だに何とか動かしている始末です。
李氏朝鮮が漢民族から独立するとその後現状維持すらもできずに古代社会に先祖帰りが始まったので、この打開のための朝鮮通信使でしたが情報収集だけではどうにもならなかったのと同様で、戦後も外部からの情報があっても絶えざる技術導入がないとどうにもならないことを繰り返してきたのが朝鮮民族です。
戦後も日本の著しい復興等の情報(朝鮮通信使の情報以上に)があったのですが、情報だけで自前で・・手取り足取り教えて貰わないとどうすることもできないのが、(北朝鮮も情報だけは入手しているでしょうが自前では何も作れない現状は周知の通りです・・)朝鮮民族の民度です。
日本は日韓条約以降は韓国への技術移転を惜しみなく行ってきましたが、慰安婦騒動に以来日本人の対韓感情がはっきりと変わりました。
パク大統領の「千年の・・」と言う公式発言によって、兄弟国としての底上げ協力どころか世界最大の敵対国だ分かったので今後は何とかして応援してやると言う意識がなくなったのです。
日本は明治維新当時それまで欧米以外では唯一正式国交を持っていた朝鮮に対して、王政復古がなると即時に公式連絡し、唯一の兄弟国として欧米列強に対しても協力関係を築こうと努力してきました。
戦後教育では日本の都合ばかり強調されている・・日本はロシアの 南下政策の防波堤にするために朝鮮半島確保が必須だったといわれますが、幕末から明治維新にかけてのころには当時日本にとってロシアの脅威は遠いものでした。
誰でも知っている通り、香港割譲以降の英仏等の西欧海軍力に対応することが焦眉の急でした・・明治維新後まずは正面の橋頭堡として沖縄の正式帰属を決めてその先の台湾帰属問題が明治初頭での外交主テーマでした。
ロシアの南下政策が気になるようになったのは、日清戦争後の3国干渉と朝鮮半島での主導権争いの相手に登場するようになってからのことです。
維新維新当初は友好善隣が第一であり、このために政権樹立後急いで(政権交代の事実報告と江戸時代末に途絶えた通信使再開))国書を発したのですが、朝鮮が国書表現にこだわって受け取らないでもめていてもその姿勢は変わらなかったのです。
いわゆる八戸事件の経緯を見ても、当時朝鮮が欧米に対する対応が下手で武力侵攻を受けそうになっていたので、日本は「仲介の労」を取ろうとさえしていた事実があります。
朝鮮の方が清朝の提起した(慎重による事実無根の讒言です)八戸報道によって、断ってきたので仲介しませんでしたが・・。
朝鮮政府も事実無根を知っていたのですが、これを承知で利用した形跡があります。
このようにもともち朝鮮は何かといいがかりをつけることが多すぎたので征韓論→江華島事件になったのですが・・それでも日本は朝鮮が欧米米植民地になってしまうのが忍びないので、これを極力防いでやる・・そのためには、朝鮮の近代化しかないという前提でした。
敗戦後はなんでも日本が悪い前提の解釈が横行していますが、客観的に見れば上記の通りです。
パク前大統領が、千年たっても簡単に民度が上がらない感情の民族と「自白した」とすれば、自民族を冷静に見ている・・正しい見通しかも知れません。
上記の通り朝鮮民族には歴史上自前での技術革新能力がなかったので、日本と手切れになって今後最先端技術の革新能力が出てくるかは不明です。

自民族言語表現の重要性4(ハングル2)

通信使の日本蔑視態度に戻ります。
通信使がはじまった元はと言えば倭寇取り締まり期待と進んだ日本文化・技術導入期待にあったことによります。
ひらがなという民族固有文字普及による文化底上げ・進歩を自国に取り入れる目的(この結果ハングル文字準備機運が盛り上がりました)で始まったものですし、江戸時代の再開は、日本の再攻撃が怖いので「よしみ」を通じておくとも日本再朝鮮攻撃準備を探る目的でした。
本音を知られたくない・・「ペコペコしにきた」と思われたくないから余計尊大にしているしかなかったのでしょうが、日本から見ると尊大なばかりでバカな連中だくらいで見世物的に思われてきたようです。
日本での絵画表現は異国からカッコウの見世物が来たという扱いです。
朝鮮聘礼使淀城着来図の一部『鶏を盗んで町人と喧嘩する朝鮮通信使』

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a8/Chosenjintsushinshi.png

 

 

この辺は今になると否定的研究をする人は少ないし、朝鮮に関しては本当のことが書けない・・(否定的意見を書くと反ヘイトスピーチ攻撃に引っかかる?自制)があって表面には出てきませんが、日本の実用的文物(水車等の動力利用や荷車その他)が日韓併合のころまで全く導入されていなかった結果から見て明らかでしょう。
韓国では独自の歴史教育がされていて反論が許されない状態で結果的に世界的に通用しない荒唐無稽な歴史教育が行われていると言われますが、そのやり方を日本国内教育に強制させようとする動きが急です。
上記図の解説も韓国寄り学者?によると肉食を知らない日本人が驚いたに過ぎない・・日本の方が遅れていたと言うすり替え解説になっていますが、絵の題名を見れば紛れもなく庭先に放し飼いしている鶏(犯罪の少ない日本社会の基礎レベル)を白昼公然と盗む公式使節のレベルの低さに驚く民衆の驚き・文化レベル差を表現したものというべきでしょう。
https://matome.naver.jp/odai/2136687169645192101による記事引用です。
学術論文ではなく、出典不明ですが一応の情報です。
「朝鮮半島の水車の歴史
1429 世宗11年12月3日 日本の水車が凄いと報告
1430 世宗12年9月27日 水車を造ろうとする
1431 世宗13年5月17日 「中国も日本も水車の利を得ているが我が朝鮮にはそれがない」
1431 世宗13年11月18日 日本と中国の水車の研究の記述が散見
1431 世宗13年12月25日 水車導入を試みる
1451 文宗元年11月18日 20年かけて水車の導入失敗
1488 成宗19年6月24日 水車導入の試み(成否不明)
1502 燕山君8年3月4日 水車導入の試み(成否不明)
1546 明宗元年2月1日 水車導入の試み。琉球(沖縄)と中国から福建式水車輸入
以後百年間水車の記述無し。
一方お隣り日本では、鉄砲伝来後3年目にはすでに量産体制。
1583 一方お隣り日本では、口径80㍉のファルコン砲を量産開始(大友宗麟)
1650 孝宗元年5月15日 水車導入の試み 30年記述無し。
一方お隣りの日本では、鉄砲量産10万丁
1679 肅宗5年3月3日 水車を造らせたと記述。そして70年記述無し
1740 英祖16年4月5日 水車など無くなりました『孝宗大王嘗頒遼瀋水車之制於外方, 今無見存者』
1740 英祖16年11月20日 水車を造らせたと記述(18世紀時点でわざわざ記録に残す程?)
1764 1763-64年の朝鮮通信使「日東壮遊歌」(淀城の水汲み水車の感想)
「その仕組みの巧妙さ見習って作りたいくらいだ」と記述
1781 一方お隣り日本では、水車があまりにも増えすぎて治水工事のジャマなので、水車税を導入(田沼意次)
1795 正祖19年2月18日 水車之制について盛んに出てくる。つまりまだ試作中
1811 純祖11年3月30日 ここの記述で水車なんか必要なのか?と書かれており全く普及していない」
ところで、朝鮮通信使は、室町時代足利義満の時から始まっていて、秀吉の頃にもきています。
この後で紹介するハングル整備に精出した李氏朝鮮第4代世宗は技術面でも上記のとおり関心が高かったようです。
ウイキペデイアでは通信使について以下の通り紹介されています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%9A%E4%BF%A1%E4%BD%BF
「朝鮮通信使のそもそもの趣旨は、室町幕府の将軍からの使者と国書に対する高麗王朝の返礼であった。1375年(永和元年)に足利義満によって派遣された日本国王使に対して信(よしみ)を通わす使者として派遣されたのが始まりである。」
室町時代の朝鮮通信使は、倭寇への禁圧対策を日本に要請することが当初の目的だった。
通信使の目的には日本の国情視察も含まれており、この時代のもっとも著名な記録は、1443年(正長元年・世宗25年)の使節で書状官をつとめた申叔舟が編纂した『海東諸国紀』である。この書は朝鮮の日本や琉球に対する外交の基礎情報となった
「文化面では、室町時代には平仮名、片仮名といった固有文字の存在に、江戸時代には京都、大坂、江戸といった都市の絢爛豪華さに驚いた。通信使の目的には日本の国情視察もあり、1428年(応永35年・世宗10年)の正使だった朴端生は、科学技術に関心の高かった世宗から日本の技術の調査を命じられていた。1471年(文明3年・成宗2年)に刊行された申叔舟の『海東諸国紀』によると、調査項目として倭寇の根拠地の特定、倭寇と守護大名、有力国人、土豪との関係、都市の状況、通貨政策など国力の観察、水車などの技術、仏典の扱いなど仏教の状況、交通事情をはじめ15項目があったという。『海東諸国紀』には日本の地図も収められており、江戸時代には日本でも同書の写本が流通した[38]。
以上のとおり通信使の記録による立派な本ができているのに、朝鮮社会でこれを活かせなかったのは何故でしょうか?

上記紹介したとおり、何百年も水車作りに挑戦しても実用品を作れない結果を見ると民度レベルが数千年遅れている可能性もあります。
本当のことを報告できない社会体制・・本当のことをいうと失脚のリスクが高いので気心の知れた仲間内でしか話せない窒息社会は・・英邁な君主・世宗の次の時代あたりから出来上がっていたのでしょう。
今の韓国政治家が表向き大言壮語しながら、裏で国内事情を説明して「何とかしてくれ」と頼む常套手段が昔から行われていたのです。
韓国は通貨危機再来を恐れて、日本に必死になってスワップ協定を頼みながら、国内では「日本が困っているから助けてやった」と説明していたらしいですから、日本は朴政権による慰安婦攻撃以来、表面で日本攻撃しながら裏でこっそり頼んでくるずるいやりかたに応じない姿勢に変わりました。
麻生副総理・財務大臣は再三「韓国が協定して欲しいならば検討する」という態度を明らかにした結果、韓国政府が日本を助けるためにスワップ協定をしてやったと国民に威張っていた手前、今更公式に日本に「お願い」できずに困っている状態です。
世界最大純債権国日本が何の必要があって韓国に相保証を求める必要があるのか・・世界中の人が聞けば呆れるような論理で自己満足して来たのが韓国政府であr民族レベルです。
慰安婦 や徴用工の問題も日韓条約で解決したのに、国民に説明・分配せずに日本から得た資金を政府の懐に入れてしまったことが基本的原因です。
このように韓国・朝鮮人は歴史が始まって以来、実際と天地逆転の政治行動をすることに日本人からすれば明々白々なことでも嘘を言い張ってシラを切り通す・「恥を知らない」民族です。
今年5月就任した文大統領は、日韓慰安婦合意を無効化するとは言えないまでも、「国民感情が・・」と「政府合意と国民は別」という二枚舌を使おうとしているのはその1変形です。
外来文化を受け入れて消化できるほどの独自文化がない民族では、外来文化そのものを丸ごと受け入れて自国文化のように思い込むしかない・・自国独自文化をモテない悲哀というべきでしょう。
韓国では孔子に始まって色々な中国や日本起源のものを何でも自国起源だと言い募る不思議さの基礎がここにあります。
日本が幕末から明治にかけて欧米の近代用語をすべて自国の漢字熟語に変換して置いたので、中国や韓国は(他民族言語を自民族語に変換した歴史経験がないので中韓民族には無理)そのまま利用出来たのでその流用で間に合う・自分で努力・創作する必要がなかったので英語圏に入らなくともなんとか現在社会がなり立っている状態です。
ただし韓国に限っては日本語のヒラカナに相当するハングルしかないので抽象的概念を利用した思考訓練には不向きといわれていますが、ハングルはひらがなのような完全な表音文字に過ぎないといえるか気になります。
韓国人の多くがひらがな思考で生きているって言われますが、ノー(脳)タリンは別として普通の知能の人がひらがなのようなもので表現した幼児が理解する程度の熟語レベルで物事を考える社会・・単純思考で現在の高度社会が成り立つのか?そんなことが可能かな?と言う疑問でしょう。
ハングルとはなにか?ですが、私は現在流通しているハングル自体を知りません。
李氏朝鮮第4代王の世宗の推進した「訓民正音」は(漢字の素養がないものに発音を教える記号)」「民を訓(おし)える正しい音」と言う意味らしいですから、これを元にして表音記号に過ぎないという説が普通に流布されているのかもしれません。
しかし、これは独自文字を持つことに反対する昨日紹介した諮問機関の反対を押し切るための政治的方便だったとも言えます。
そうとすれば、表面の公式意見としてはまさに発音記号でしかないのですが、他方で同音でいくつもの意味を持つので間違いやすいとも言われている実態とも合います。
上記政治的解決のための公式意見は政府を縛るかも知れませんが、言語は生きものですから、実態に合わせて解釈すべきで、額面通りに受けとると間違いのもとです。
漢字とひらかなの中間的なものであった上に、表音文字にしては、ハングルの文字数が多すぎるのはこのような背景がある結果でしょうか?
ちなみにパソコン用の文字数で言えば以下のようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB#.E3.83.8F.E3.83.B3.E3.82.B0.E3.83.AB.E3.81.AB.E9.96.A2.E3.81.99.E3.82.8B.E8.AA.A4.E8.A7.A3
「字母を組み合わせて作られる文字の理論上の組み合わせは11,172文字だが、実際に使用されるのはその半分以下である(1987年に韓国の国家標準となったコンピュータ用の文字セット(KS完成型、KS C 5601-1987)には日常の99%が表記できる範囲として2,350字しか含まれなかった)。」
上記を見るとひらがなの50音やアルファベットの数に比べ多すぎる・・そんなに多くの音の種類が世の中にあるのか不思議ですが、音をあらわすに過ぎないと言いながら実際にはある程度の意味も含んでいる(ひらがな文に漢字が少し入っているイメージ?)のではないでしょうか?
世宗の言った「訓民正音」論は反対派をおもんばかった政治的発言に過ぎないと見るべきでしょう。

消費者信用の拡大4(破産増加?)

ただし、経済成長すると収入が増える結果、(財政赤字解消には増税策と成長による収入を増やす方法があるのと同じです)過剰債務率が低下するので、安倍政権成立直後から4〜5年にわたる就労率上昇によって家計の可処分所得率アップが続いている結果、過剰債務率がかなり緩和されているはずです。
16年以来急減傾向にあった破産申立てが昨年初めて1、2%アップしたと言うのですが、1回キリの増加では、今後の増加傾向を示しているのか、ピークアウトなのか不明です。
個人破産や企業倒産は、その時の不景気にもある程度左右されますが、不景気が来ると相乗効果でとどめを刺されるだけのことであって、借金してすぐに破産や倒産しません。
倒産は事業のジリ貧傾向が数年以上続き債務残高が ジリジリと上がって行きメーンバンクが追い貸しに慎重になり、2番手の銀行から借り増し〜さらに3番手さらにノンバンクへと格を下げて行くのが普通です。
資金繰りに窮して銀行や親類縁者に追加融資を懇願しても誰も貸してくれなくなって最後に倒産するものであって、もしも泣きついて貸してくれればまた半年くらい延命します。
また貸す方も自分が貸しても1〜2ヶ月で夜逃げするような人に貸すと大損ですから、すぐに潰れるようなことは滅多にありません。
倒産や破産と本来の債務発生とはタイムラグがあるのが原則です。
東北大震災時に緊急巨額融資・・支払い期限の先送りなど大判振る舞いがありましたが、据え置き期間5年くらいありました・・この間返済が始まらないので破綻が送りされます。
家屋敷商売道具を流されてしまった人の中で再起しようとする人だけが借りたのでしょうが、普通の企業が事業拡大投資するのに比べてリスク率(いつ街が復興し避難した人が戻って来るか知れないなど)が高すぎますので、当然焦げ付き率が高まります。
だからこそビジネスに基づく融資がなり立たないので特別枠での低利融資制度が出来たのです。https://www.jfc.go.jp/n/finance/search/shinsaikashitsuke.html
東日本大震災復興特別貸付の概要(日本政策金融公庫)
融資限度額 各融資制度ごとの融資限度額に6,000万円を加えた額 別枠4,800万円
※生活衛生セーフティネット貸付は別枠5,700万円
ご返済期間 (注2) 設備資金:20年以内<うち据置期間5年以内>
運転資金:15年以内<うち据置期間5年以内>
利率(年)(注2)
被害証明書等の発行を受けられた方
【当初3年間】<3,000万円まで>基準利率-1.4%(注)
<3,000万円超>基準利率-0.5%【4年目以降】基準利率-0.5%
上記以外の方 基準利率
東日本大震災に対処するための特別の財政援助および助成に関する法律(平成23年5月2日法律第40号)第2条第3項に定める特定被災区域(岩手、宮城、福島の3県は全域。青森、茨城、栃木、埼玉、千葉、新潟、長野の7県は一部)をいいます。」
据え置き期間の5年を過ぎたころからこの支払いが出来ない焦げ付きが大量に発生するだけではなく、デフォルト回避のためにカードローン等の利用に走る人も増えます。
個人の場合二重ローン解消制度が有名ですが、これは新築資金を貸してくれるのではなく、残ローン解消のために債務整理の申立してもブラックリストに載せない特別扱いするとか手持ち保留金限度を引き上げる程度です。
一般的行動を見ると、住宅ローン等の支払いが2〜3ヶ月に1回苦しくなってきて、少しだけカードローンに手を出しても、次のボーナスで返せるなどの繰り替えして数年経過で次のボーナスでも返せなくなっていき徐々にカードローン残が膨らんでいくような流れが一般的です。
ノーローン・当初何週間〜1ヶ月無利息広告が成り立っているのは当初は期間中に返せる人が大方ですが、これを繰り返している内に無利息期間中に返せなくなる人が出てくるのを見越した商売が成功することを証明しています。
破産申立て件数の激減が約十数年間続いた傾向の中で1、2%アップの増加率が仮に数年続いたとしても単なる下げ止まり・・岩盤・・全体としての減少傾向に変わりがないかも、この4〜5年の景気動向を含めてもっと詳しいデータがないと分かりません。
例えば企業倒産件数で見ると以下のとおりです。
http://www.tsr-net.co.jp/news/status/monthly/201704.html
倒産件数が680件 4月としては27年ぶりの低水準
倒産件数は、前年同月比2.1%減(15件減)で2カ月ぶりに前年同月を下回った。前月3月が3カ月ぶりの増加に転じて推移が注目されたが、4月としては1990年(526件)以来27年ぶりの低水準になった。依然として企業倒産は抑制された状況が続いている。」
このように3月には増えていたのが4月には減っていますから、1回だけでは分かりません。
物事には岩盤があるのが普通ですから、10数年振りに破産申立てが年間1、2%増えるのが2〜3年続いてもその後また下がったりすれば、全体としては安定レベルと評価すべきでしょう。
http://jikohasan-pc.yw-information.com/toukei.htmlからのコピーです。
 年度別破産件数統計グラフ
上記によると、26年から28年の差は視覚的にはほとんどわかりませんので、岩盤に来ているのかも知れません。
月別破産件数統計 総数 月別破産件数統計 自然人

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