中朝・修正装置なしの体制4(国外脱出の自由)

中朝での専制体制が続くようになると、困りきった国民が逃げ出せるかのテーマで6月15日以来書き始めていましたので、香港騒動はその関連意見になります。
南シナ海での埋め立てに対する国際司法裁判所の判断が出ても「紙切れに過ぎない」と公式発言するなど国際信義・正義など無視すれば良い・・行動基準は裸の武力のみという中国・朝鮮の歴史論理が国外に半分開かれた香港でも通用するかの実験です。
列強による侵略を受けていた自分が弱かった時点では養晦韜光戦術で「武力・権力さえあれば何をしても良い」という基本原理・中華の栄華の本質を隠していましたが、自分が世界最強国に近づいた時点で、我慢しきれずについに本性を表し始めたということではないでしょうか?
上記論理・武力・権力さえあればどんな残虐なこと、近隣国侵略をしても良い論理に従えば、他国との約束も守る必要はない・香港返還時の約束・・一国二制度を骨抜きにし、中共政府による香港支配強化をするのは中国の勝手になります。
ただし返還時の約束を破られても英国は報復能力がありませんが、交通機関の発達した現在中国の論理を貫徹・成功すれば、香港脱出する香港住民(資本流出)が増えたでしょうし、自由貿易都市としての香港の信用ががた落ちになっていたでしょう。
中国や香港住民のためには、香港行政府と中共政府が恥をかかずに条例制定強行成功した場合と、国際世論に負けて棚上げ・撤回した場合、どちらが国民・住民にとってよかったかの教訓です。
漢承秦制の原則とは、自由な言論による社会の発展など眼中になく政権さえ維持できればいいという権力維持の思想であって、国家人民の将来には関係がないという思想でしょう。
国家運営に反対する人・・うるさい人物は、自費で国外脱出してくれた方が国外追放したり国内監禁する手間が省けるので都合が良いという選択(開き直り)になりがちです。
去る者は追わずと言えば、懐の広い政治とも言えますが、長年月に亘って世界中に膨大な数の華僑が散らばっている事実を見れば、如何に苛酷な政治がまかり通っていたかが明らかです。
今になれば豊かな順に海外旅行し留学しますが、政府の補助金よる計画的移民政策の場合は別として、まともに働いていてもそれほど蓄えのできない時代に庶民が命がけで見知らぬ異郷に流れていくのは、よほどの政治圧迫や困窮があった場合に限られます。
中国歴代王朝の崩壊は、農民が食えなくなって家を後にして流民化・どうせ明日には一家飢え死にしかないという最後の最後に命もいらないという段階で起きたものですが、広大な砂漠や険阻な山を越えあるいは、ボートピープルになる国外逃亡の多くは、途中で命を落とすリスクが高かった・それほど切羽詰まっていた点は同じです。
北朝鮮脱出者かどうかか不明ですが、時折新潟〜佐渡近辺にボロ漁船に多くの死者の乗った船が漂着するのは今でも命がけでも逃げた方が良いということでしょう。
北朝鮮を除けば、現在では庶民でも気楽に海外旅行できる時代ですから、歴代中国王朝崩壊時ほど一家あげて流亡の民になる・・命がけになるほど困窮しなくとも、ちょっとした不満程度でも小金さえあれば国外移住が簡単です。
このように見ていくと旧ソ連や北朝鮮のように出国の自由のない国って、国民の為の政治ではなく、権力者の為の政治をしている・・自国民に対してひどい政治をしている自覚があることになるのかな?
商人や商品の信用は国家が決めるのではなく市場が決める時代ですが、国家の良し悪しも労働流動性と居住移転の自由の保障があれば、個々人が自己判断で決められるようになります。
現在すでにハイレベル職種では各国人材の取り合いですから、高級人材が国や企業を選べる時代です。
世界企業も早くから活動しやすい国や地域を選ぶようになっています。
イギリスのダイソンだったかがシンガポールに本社を移すとだいぶ前のニュースに出ていましたが、本社を移すのはまだ少ないものの企業の工場や店舗・研究所等は早くから本国だけでなく適地に移転したり立地しています。
最下層労働の場合、自国で最下層で働くよりよそ者になって不便でも、先進国へ行けば10〜数倍以上の給与になるので先進国の3K職場に向けて出稼ぎ移民が増えます。
これが外国人労働者増加の社会問題の根源です。
西欧にアフリカや中東から移民が押し寄せてこの数年大問題になっていますが、先進国ではいわゆる3K職場では求職者が減る一方で求人難に困り、外国人労働者を引き入れてその穴埋めに使ってきました。
西欧では必要な量だけ入ってくるなら(非正規雇用なの不景気が来れば簡単に解雇でできるし)都合の良い仕組みでしたが、必要以上入ってくるどころか押し寄せてくると「過ぎたるは及ばざるが如し」で「招かれざる客」に変化しました。
西欧とアフリカ諸国とは貧富の格差が激しいので、極端な話、元々裸足で歩き回っていて粗末な草葺の家に住んでいた人を想像するのは時代遅れかも知れませんが、先進国の待遇の良い?収容所に長期間留め置かれてもその程度の劣悪環境をものともしない貧困者の群れが大量に押し掛けるようになるとお手上げです。
(例えば私の知っている品川の入管収容施設は入管法違反事件で検挙された人たちの審査期間中の収容施設で難民の臨時収容施設とは違いますが、冷暖房完備の近代ビルですし、臨時でも先進国作る以上は保険衛生基準も一定以上でしょうし、ブリキ屋根の掘っ立て小屋・汲み取り便所にはならないでしょう)
日本では同胞意識が強いので3k職場の合理化・女性でも働きやすい環境整備や機械化に励み、できるだけ外国人労働者利用を避けてきましたが、西欧では安上がりという経済合理性だけで安易大量に引き入れた咎めが出てきました。
ちなみにドイツの外国人(2、3世を含めた)人口比は以下の通り約23%です

ドイツで増大する移民と経済への影響

2017年11月28日
住友商事グローバルリサーチ 経済部伊佐 紫
ドイツは欧州一の移民大国
ドイツの人口は長らく死亡数が出生数を上回る自然減にあるが、移民の流入に伴う社会増が自然減を上回り人口減少を食い止めている(図表1)。ドイツ連邦統計局の人口統計(2016)によると、現在、ドイツに居住する外国人は約896万人で全人口8,243万人の約11%を占め、ドイツの外国人比率は他の欧州主要国と比較して最も高い。英仏では旧植民地から多くの移民が流入しているのに対し、ドイツでは高度経済成長期の労働力として1950年代からトルコ、イタリア、ポルトガルなどから流入した。当時これらの人々は一時的な滞在を前提としていたが、その後ドイツに家族を呼び寄せ定住し、ドイツで生まれ育った2世、3世が増え続けた。現在、こうした移民の背景を持つドイツ人を合わせると全人口の約23%に達している(図表2)。
ドイツの生産年齢人口の約3割は移民
移民の年齢別人口統計(2016)をみると、15歳以上65歳未満の生産年齢人口の割合は移民全体の約65%を占める(図表4)。また、ドイツ人全体の平均年齢は46.2歳であるのに対し、移民の平均年齢は35.4歳と若い世代が多い。さらに、ドイツ全体の生産年齢人口に占める移民の割合は約24%に上る(図表5)。

移民の年収別人口統計(2016)では、ドイツにおける平均年収は月額2,620ユーロ(工業・サービス・建設部門の賃金/2014, Eurostat)であるのに対し、移民の年収は月額500ユーロ以下、同500~900ユーロ、同900~1300ユーロの範囲に多く、ドイツにおける平均年収よりも低くなっている(図表7)。

チュチェ・主体思想2と個人崇拝1

私は個人崇拝の好きな人たちは、芸能人などスターに熱を上げるファンと同じタイプか?と昨日最後に書いているときには思ったのですが、身近で知っている人たちの顔ぶれを思い浮かべるとそういうこと・・ミーハー的芸能人追っかけ系とは縁の薄そうな顔ぶればかりです。
そこで個人崇拝に関するウイキペデイアの解説に頼ります。

個人崇拝(こじんすうはい、英: Cult of personality)とは、個人を崇拝の対象に据える政治的行為、またはその様式である。ソビエト連邦指導者ニキータ・フルシチョフが1956年に「個人崇拝とその諸結果について」(ロシア語: О культе личности и его последствиях)と題された秘密演説で前指導者ヨシフ・スターリンの政治体制をこう定義したことで広く知られるようになった[1]。
一般的に革命を経験した体制下で起こりやすく、とりわけ共産主義が権力を握った国々で顕著に見られる[2]。共産主義の創始者であるカール・マルクスは生前に自身への「個人崇拝」を戒めており、政治的な意味合いで初めてこの言葉を使用した[3]。ソ連外の共産主義国・共産主義政党には特にコミンテルンを通じて拡散され、中国の毛沢東、フランス共産党のトレーズ、北朝鮮の金日成(北朝鮮の個人崇拝)などが代表的事例とされる[4]。第三世界におけるカリスマ的指導者や民族主義運動指導者たちへの英雄崇拝、ファシズム運動における指導者原理にも指導者崇拝の様式が見られる[2]。
上記ウイキペデイアの解説に行き当たって、芸能系スターに自己同一化するパターンとは何処か違う原因がようやく理解できました。

個人崇拝はスターリンの始めた支配道具であり、左翼系にこの種運動に熱を上げる人が多いことからもウイキペデイアの説明から納得できます。
スターリンに対する忠誠心を証明するためにこれに熱を上げていたところ、本家本元の個人崇拝が否定されたので、その穴埋めに北朝鮮の主体思想と言う名の将軍様崇拝運動が興り中国では毛沢東個人崇拝が起きた流れのようです。
毛沢東の個人衰廃運動が、大躍進政策失敗により本家の中国で色あせた反動で、紅衛兵運動〜文化大革命という時代錯誤運動が起きたのですが、大革命と名称だけ進歩を目指すかのように名乗りながらも、内容実質が古色蒼然たる超反動運動だったことが証明されました。
北の主体思想によって北朝鮮社会が、世界より進歩したでしょうか?
進歩という(左翼系をメデイアでは進歩派学者とか進歩的文化人と美称しますので)概念自体意味不明ですが、国民の生活が豊かになったかの基準で見れば、北朝鮮は世界の生活水準向上から取り残されて来たとは厳然たる事実ではないでしょうか?
この豊な時代に北朝鮮では餓死寸前の人々が何十マン人もいる現実を直視する必要があるでしょう。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019051300949&g=int

韓国大統領、緊急人道支援を支持=北朝鮮の食料難
2019年05月13日20時54分

個人崇拝に戻ります。
日本でも家康が死後に「神君」と言われる絶対的崇拝対象になりましたし、熊本に行けば、清正公神社があるし、東京にも乃木神社や東郷神社などいろんな人が神になって祀られていますが、(評価は死後に定まるというルールがありますので)全て死後のことですし日本では八百万の神の一人に過ぎず絶対的権威を持つものではありません。
地方旅行すると地元の発展に尽くした人の顕彰碑があり、展示施設があるので、こういうのを見学出来るのが楽しみですが、戦後は神社から顕彰碑に変わった程度の印象です。
日本では偉かった人も死亡してから評価が定まり尊崇の対象になるだけであって、権力者自身が権力を振るうために神様扱いを要求した人はないでしょう。
ところが左翼運動家になると生身の人間への忠誠心競争のために?崇拝が重要なようです。
個人崇拝・忠誠心の証のために毛沢東語録研修会や勉強会やチュチェ思想勉強会(何を勉強するのかな?・語録の端々を暗唱したり感激したりする発表会?)などの参加率が試されるのでしょうか?
死亡後に祀るのは、自己と権力との近さによって直接利益を求めるのでなく対価を求めない純粋な尊敬のイメージですが、現在権勢を振るう人物をこれ見よがしに崇めるのって、日本人の多くは(民族の振る舞いといっても大方をいうもので例外がいます)恥ずかしく感じるでしょう。
お墓まいりや病気お見舞いが重視されるのは、生きているときには頻繁に出入りし飲食を共にしていたのに病気してこの先がないとなれば疎遠になる人や死亡後は知らん顔をするのが嫌われるのは「利害で結びついていただけ」という露骨な態度に不快感を持つ人が多いからです。
この頃お墓不要論が出てきたのは、得るところがあるから交友していたのであって利を得られなくなれば、交友がなくなるのは当たり前!という功利主義が蔓延するようになった結果でしょうか?
死亡後のお墓まいりも真意を探れば「私は義理をきちんと果たす人物です」と周囲に宣伝する長期的効果を狙っている点では同じでしょうが、そうはいっても何事も婉曲的表現が尊ばれる社会です。
あまりにも直接的な表現・ゲンキンな接し方は今でも嫌われます。
崇拝される方も現役の時に部下から銅像など立てる話が来たらキマリが悪く辞退したいのが日本人多くの感覚でしょう。
ルーマニアのチャウセシスク大統領だったか?失脚と同時に銅像が引き倒される映像が出ていましたが、現世権力の力でおべっかを強制していただけ・民の自発的尊崇心ではないのでは浅ましすぎませんか?
現世権力が亡くなった死後の顕彰こそが本物です。
チャウセシスク大統領に関する本日現在のウイキペデイアの記事です。

1980年代末、一般市民がろくに商品が無い商店の前に長い行列を作っている中、チャウシェスクが商品でいっぱいの店に入り、大量の食べ物を抱えて芸術祭を訪問する対照的な姿が国営テレビで度々放映された。
食糧配給のための軍の派遣部隊は、チャウシェスクが訪問する店へ先回りし品物を補充して「チャウシェスク政権によって達成された高い生活水準」を演出し、またある時には、チャウシェスクが訪問する農場に国中から手配した栄養十分の畜牛を放ったりもした。
1989年当時、ルーマニア国内のテレビでは「記録的豊作である」と宣伝されたが、当時の平均的なルーマニア国民が経験した窮乏との落差・矛盾はどうやっても説明がつくものではなかった。
1985年、ソ連でミハイル・ゴルバチョフが推進するペレストロイカの影響で東欧でも自由化・民主化の機運が高まると、なおも個人独裁に固執するチャウシェスクは国際社会で一層孤立することになった。東西両陣営から欧州統合の障害とみなされ、第二次大戦後初となるGCBの剥奪にまで至っている
革命と最期

    略

なんとなく今の北朝鮮社会を彷彿させる情景で、周辺におべっかの得意なものを集める危険性です。
国民利益無視で一刻でも長く政権を維持したい・・私益を守るための政権と達観すれば、意味がありますが・・。

チュチェ(主体思想)とは?1

英国からの香港返還時における外国籍取得熱のフィーバーが知られていますが、ここ数日香港では中国本土から要求に応じる「犯罪人の引き渡し条例」制定を巡って大騒ぎです。
本土への非合法拉致に対する国際社会の非難に対して「民主化手続き・・合法化さえすれば何をしても良い」という開き直りの常套手段・・合法化する試みでしょうか?
知財を盗めば犯罪だが、知財提供を法で強制すれば犯罪ではないと言う開き直りに先進国が一致して対中国戦線を構築し始めた意味が分かってないのでしょう。
https://www.sankei.com/world/news/190610/wor1906100014-n1.html

香港デモ「100万人」 容疑者引き渡し条例案へ反発拡大
2019.6.10 22:00
北京=西見由章】香港政府は10日未明、中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案に反対するデモ隊の一部を強制的に排除した。9日のデモには主催者発表で103万人(警察発表は24万人)が参加し、1997年の中国への返還以降で最大規模のデモとなった。香港では高度な自治を認める「一国二制度」の形骸化につながるとして幅広い社会層に反発が広がっており、条例改正を進めたい中国の習近平指導部も難しい対応を迫られそうだ。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56700
ついに天安門事件の縮小版・・武力行使が始まったようです。
香港の危機、警察が武力でデモ隊強制排除に
中国が踏みつぶす司法の独立、香港はどれだけ深刻な状況なのか
2019.6.13(木)福島 香織

米中紛争は単なる貿易赤字問題ではなく、西側諸国と価値観の争いになってきたこの時にあえて天安門事件再来のような世界中の耳目を集める紛争を起こし、人権侵害強化のための法制度強制制定に動く国際政治感覚のお粗末さに驚くばかりです。
中国大陸ではその地域で覇権を確立すれば、対等者間の合意で決めていく歴史経験がない・・国際政治をしたことがない弱さがあるとも言いますが・・。
米国、大手メデイアの誤ったシグナル・・・・トランプ氏は国民支持を受けていないという報道を信じ込んで強気政治に邁進しているピエロみたいになっているのでしょうか?
中韓は自国有利なプロパガンダのために日米メデイア浸透作戦を成功させたとした場合、自国指導層に都合のよい報道しかみなくなった・・日米の本当の世論が分からなくなっているのではないでしょうか。
韓国における従北派の浸透が事実とした場合の影響に戻ります。
文政権下では、本当に北朝鮮支配が良いと信じている人以外の一般人が、日々従北派を気にしながら生活しなくてはならない状態になりつつあるのでしょうか?
今後韓国内が北朝鮮みたいになっていく・いつ自分が牢獄に放りこまれ思想改造収容所にはいるか分からない不安に怯えているのでしょうか?
まともな人から順に半島から逃げ出せば、残るのは偏狭なチュチェ思想に凝り固まった人か、やばいと思っても逃げられない老人や弱い人だけの国になっていきます。
チュチェ(主体思想)思想に関するウイキペデイアの記事です。

知られている北朝鮮での「主体(チュチェ)」への最初の言及は、1955年12月28日の金日成による演説『思想的研究における教条主義および形式主義の除去と「主体(チュチェ)」の構築」』である。金日成はこの演説で、党の宣伝担当者はソビエト連邦から思想や慣習を輸入するのではなく、朝鮮自身の「ウリ(我々)シク(式)」の方法によって朝鮮革命を前進させるべきであると論じた。これは、スターリン批判が国内に波及することを恐れた金日成が防波堤を作ったものであるとの見方もある
・・・
主体思想の確立期
主体思想自身は1956年から表面化した中ソ対立による政治的緊張下で、全体的で思想的なドクトリンとして段階的に形成されていった。すなわち北朝鮮国内における親ソ派(ソ連派)・親中派(延安派)の粛清(8月宗派事件)とソ連、中国の影響の排除を通じ、金日成はマルクス・レーニン主義の独自解釈を進めることとなった。特に、フルシチョフ政権下のソ連共産党第20回大会で「西側諸国との平和共存路線」が打ち出されると、朝鮮半島の解放(すなわち南朝鮮からのアメリカ帝国主義の排除)を国是とする北朝鮮と、ソ連との対立は深まってゆく(これに対し、ソ連の平和共存路線を「修正主義」として批判した中国は、北朝鮮と接近することになった)
主体思想の変容期
1982年の金正日の『チュチェ思想について』によると、国家政策における主体思想の適用の概要は以下である[18]。
人民は、思想や政治的には独立し、経済的には自己供給し、国防では自己依存していなければならない。
政策は大衆の意思と願望を反映し、革命と建設の中で彼らを完全に雇用しなければならない。
革命と建設の手法は、国家の状況に適応されなければならない。
革命と建設の最重要作業は、人民を思想的に共産主義者に形成し、彼らを建設作業に動員する事である。
「主体」の視点では、革命的な党と指導者への絶対的な忠誠心を要求した。北朝鮮では、それらは朝鮮労働党と、最高指揮官たる金日成であった。スターリンが押し進めた個人崇拝を北朝鮮の実情に合わせて進化させたもので、「領袖は党、党は国家」というスローガンとともに朝鮮社会への浸透を推し進めた。そして金日成の死後、金正日指導の下では先軍思想が主体思想と同列に推されたことにより、事実上「領袖は軍、軍は党、党は国家」という軍国主義的な要素を含んだものへと変質する。

チュチェ(日本語では主体思想)?思想の始まりは、自分の国は中国やソ連とは違う「主体的に生きている」から、ソ連や中国が対米追随外交になっても「北朝鮮には関係ない」という時流無視の唯我独尊を決め込んでいるだけのことで、どこが違うのか内容不明・・思想と言えるのかすら不明です。
これが次第に金一族世襲による専断政治の正当化主張?になっていったようです。
一時毛沢東語録が流行ったように日本左翼は、権力者の語録をバイブルのように崇め、個人崇拝を正当化する傾向があります。
超能力者・スター渇望・・個人崇拝がなぜ興るのでしょうか?

韓国はどこへ行く?4(親中・北政策の蹉跌3

以下は19年2月の記事ですが、日韓軍事情報協定に至る経過が詳しく出ていますので長くなりますが引用します。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190204-00010001-socra-int

韓国で日韓軍事情報保護協定の破棄求める声
2/4(月) 13:02配信
韓国国防部も「検討」と表明、5月が期限
韓国軍艦による「レーダー照射」問題や海自哨戒機の「低空威嚇飛行」問題などで日韓間の対立が軍事面までエスカレートしている中、韓国政界では日本との日韓軍事情報保護協定(GSOMIA)の破棄を求める声が高まっている。険悪化の一途の日韓関係のさらなる「対立の種」になりそうだ。
日韓GSOMIAとは、北朝鮮の核・ミサイルの脅威に対応するため、日韓間の2級以下の軍事秘密を米国に関係なく共有することを骨子とするもので、両国の同盟国である米国の要請で2011年から日韓政府間の交渉が始まった。翌年の2012年6月、韓国の李明博(イ・ミョンバク)政権と日本の野田佳彦政権は東京で協定式を行うことで合意したが、協定式を1時間残して韓国側が国内世論を理由に「無期限延期」を一方的に通告してドタキャンした経緯がある。
李明博政権の後を継いだ朴槿恵(パク・グネ)政権は、政権初期から慰安婦問題で日本と対立し、中国との蜜月を演出し、GSOMIA交渉再開は一切進展が見られなかった。しかし、2016年1月、北朝鮮が4度目の核実験を強行したことで朝鮮半島の緊張が高まると、米国のオバマ政権は、4月に開かれた日米韓首脳会談で日米韓同盟の重要性を強調し、日韓の首脳にGSOMIAの年内締結を要請した。
国内世論を理由に交渉再開をためらっていた朴槿恵政権は、同年9月に北朝鮮が5回目の核実験が敢行したことで、GSOMIA交渉再開にやっと乗り出した。11月23日にソウルで韓国の韓民求(ハン・ミング)国防長官と日本の長峰康久駐韓日本大使が協定に署名し、GSOMIAが正式に発効した。
当時のGSOMIA締結は中国と北朝鮮のみならず、韓国内でも「共に民主党」を中心にした野党と市民団体の激しい反発を招いた。彼らの主な主張は「韓半島(朝鮮半島)の有事の際、日本の自衛隊が侵攻できる根拠を作ることになる」ということだった。
「朴大統領は大統領ではなく日本のスパイだ」(李在明(イ・ジェミョン)、現京畿道知事)
「日本から得られる情報はなく、もっぱら韓国の情報を日本に捧げる協定だ」(禹相虎(ウ・サンホ)、共に民主党3選議員)
「過去に対する日本の謝罪が前提されない韓日軍事情報協定は国民の情緒にそぐわない」(金富謙(キム・ブギョム)、現行政安全部長官) など、野党の有力政治家たちの強い非難が飛び出し、国会では国防部長官の解任案や弾劾が建議された。

冊封体制下で宗主国宮廷での待遇・・席次がどうであったかが重要な成果であった歴史によるのか、内政がうまく行かない点を糊塗するためにか?不明ですが、民主化以降の韓国歴代大統領は対外ポジションがどうであったかを誇る傾向があります。
現文政権も外交では成功しているという国内評価だったようです。
朴政権も内政では国民不満が蓄積する一方の反動として、外交のカクカクたる成果を誇った(15年9月)中国陣営入り(序列1位か2位の栄誉)が直後に行われた北朝鮮による核実験等の威嚇抑制に何の効果もないことがわかり信用失墜しました。
反日運動では国民を煽るだけ煽理、西欧諸国歴訪しては告げ口外交の成果を誇っていたのに、同年12月には、米国の仲介を受け入れ事実上の全面敗北に等しい日韓合意をせざるを得なくなり、国民の失望を招きました。
これら不満が内向していたところへ、翌年に入ると北朝鮮による核兵器実験や長距離砲発射の連続で(中国は何もしてくれないので)追い詰められた政府は、米国の要求を受け入れて左派の反対を退けてサード配備決定(7月)をしました。
慰安婦騒動で反日運動することと親中方向政策は、左右両派一致の政策でしたが、15年の日韓合意以降左右の亀裂が始まり、サード配備で決定的反政府運動になっていきました。
(もともと中国は自国産業のレベルアップによって韓国企業が邪魔になってきたのが基本で、サード配備を口実にしているだけと思いますが)これに対する中国の報復による被害を受ける産業界の悲鳴によりもともと西側より支持母体である産業界も積極的政権支持が弱まってしまい積極的支持母体が消滅?しました。
この状況下で特定人物との密接関係が暴露されて10月のろうそく集会に発展したものです。
米国陣営に戻ったことに対する左翼親中親北系の反政府運動の激化→特定人への便宜供与に対する怒りのろうそく集会→日韓情報協定の協定に対する左翼の不満激化→これら全て政権不満に凝集していき弾劾に至ったと見ています。
ろうそく集会の過激化→弾劾に至る流れを本日現在のウイキペデイアで見ると以下の通りです。

弾劾・罷免
「崔順実ゲート事件」も参照
2016年10月末に発覚した友人崔順実の国政介入問題、いわゆる「崔順実ゲート事件」により、支持率が急落。11月初頭には5%までに下落し、伝統的な左派地盤である全羅南道では0%になった[135]。朴槿恵はこの問題に対して数度の国民向け談話を発表し、2回目の談話にて「夜も眠れず、こんなことをするために大統領に就任したのかと思うほど、辛い思いばかりしている」と悔恨の念を示した[136]。そして11月29日には3回目となる談話で大統領任期の短縮を含む自らの進退をすべて国会に委ねる意向を表明した[137]。

この表明に追い込まれたことで朴政権の命運が尽きました。
今後アメリカ一辺倒ではなく、中国へも目配りしようとして軸足を少しずらす程度であれば熟した政治家の動き・・相手の出方によっては途中方針変更も容易ですが、いきなり身も心も投げ出すような急激な擦り寄り方は、あまりも危険・政治家としては幼稚すぎでした。
私が高度な政治行動できるというのではなく、一国のトップ政治家の行動としてはお粗末過ぎなかったか?というだけのことです。
国際的政治行動としては幼稚すぎるように見えるので、女性特有の感情過多の表れか?背後の国民レベルが低いからか?という失礼な印象を持つ人が多かったと思いますが、中国接近は以下書くように左右勢力一致政策だったので慎重さを欠いた急激なのめり込みになったのでしょうか。
何事でも、全員一致というのは異論がない分、慎重さを欠いて間違いを起こしやすいものです。

サムスン頼りで良いか?4

ここで、日本半導体産業が急速に凋落し韓国サムスンが半導体で躍進できた端緒?を少し紹介しておきます。
サムスン電子の大躍進は、それまで世界支配しかけていた日本の半導体生産を米欧バックにした半導体生産の韓国移転強制?による漁夫の利によるものという意見が多く見られます。
https://www.sankei.com/economy/news/130817/ecn1308170010-n1.html

2013.8.17 09:21
日の丸半導体(2)日米協定 圧力が生んだ“管理貿易”
昭和60年代に世界のトップに立った日の丸半導体。DRAMを中心に世界シェアの5割超を握り、日本の半導体産業は絶頂期を迎える。だが、国の根幹を担う半導体産業の凋落(ちょうらく)を、米国は黙ってみていたわけではなかった。米政府は政治の力で圧力をかける手段に出た。
・・・米政府は日本市場の「構造的な閉鎖性」を糾弾。そのうえで301条を盾に、日本側の輸出自主規制と日本市場での外国製半導体受け入れを迫ったのだ。
繊維や鉄鋼、テレビなど、それまでの日米貿易摩擦では、日本が輸出で手心を加えるか、米国からの輸入に配慮するという歴史が繰り返されてきた。だが、今回の半導体交渉で日本政府は、これまでの通商交渉とは米国のいらだちは次元が違うと感じていた。
・・・軍需にも利用される半導体は経済だけではなく、国の安全保障上の問題となる基幹産業として米国が重要視しており、単なる工業製品ではなかったからだった。
軍需にも利用される半導体は経済だけではなく、国の安全保障上の問題となる基幹産業として米国が重要視しており、単なる工業製品ではなかったからだった。
協定締結後も、米国側の圧力は執拗(しつよう)だった。数値目標を「政府による約束」と解釈した米政府は62年には協定不履行を日本側に突きつけ、パソコンやテレビなどに100%の関税を課す対日制裁措置を発動する。
日本側は抵抗しつつも要求をのむしかなく、平成3年に改定された協定では外国製半導体について「日本市場のシェアを20%以上」とすることが明文化された。結果的に日米半導体協定という“不平等条約”は10年間続くことになる。

今の対中非難・・25%関税でも世界は大騒ぎですが、対日要求では応じなければ100%関税という無茶な要求・・日米開戦を事実上強制したハルノートの突きつけや終戦時のポツダム宣言を無条件で飲むかどうかの要求とほぼ同じ強引さです。
もっと遡れば、相手に対する強制力のない時点では、気に入らなければ、全面引きもり宣言をしたモンロー主義にも行き着く幼稚な姿勢です。
強引な交渉態度はアメリカの幼稚さによるものでしょうが、幼稚で無邪気なアメリカが力を持つようになると無邪気では済まされません。
世界が振り回されるようになった1929年頃からの大恐慌の対処の未熟さでしょう。
アメリカの対応が際立って悪かったので、今回同様に高関税連発に対して欧州も負けずに報復高関税をかけるエスカレートの繰り返しになったので、結果的にいわゆるブロック経済が生まれました。
世界中がブロック化すると囲い込む植民地を持たない新興の日独伊が不利な立場になったので独伊の場合には既存植民地の壁をこじ開ける→植民地の奪い合いに発展しました。
日本は欧州報復関税をかけることもなく、英米仏の植民地を奪おうとしたのではなく、どこの植民地になっていなかった・・手付かずに残されていた中国での日本の優先権を求めた・いわゆる対支21ヶ条の要求をしたのが始まりで、その後満州国建国へとなったのですが、元はと言えばアメリカの高関税政策によって始まった市場囲い込み競争が原因でした。
独伊のように米国市場を奪いに行ったわけではなかったのですが、米国も中国市場に野心を持っていたのに日本に先を越されたのが許せなかったので、「門戸開放・機会均等」を旗印にして猛烈に日本を敵視するようになっていきました。
自分たちは高関税で障壁を設けながら、日本には機会均等要求とは一方的主張です。
結果的に世界大戦に世界が引きずり込まれるようになったものです。
大恐慌勃発当時最も対処が良くて景気回復に成功していた日本が、最大の敵とされて最大の被害を受けた結果でした。
ここでは日米開戦原因論は主テーマでないのでこの辺で終わりにします。
こうしたDNAを受けているトランプ氏が、高関税の脅しでNAFTAや米韓FTAの一方的破棄の脅しで国際合意の事実上破棄を前提にした再交渉要求を求めたり、イラン核合意の一方的破棄など全て繋がっているものです。
アメリカはもまともな交渉能力がない・からか?モンロー宣言やまとまりかけたTPP一方的離脱か、過去の約束が不利となると強引すぎる要求でイエスかノーかを求めて「強迫」するしかない常習性が見られます。
日米半導体交渉では、結果的に数値目標と価格固定を決められたのですが、これではその後の技術革新による値下げ(半導体価格は一定頻度で4分の1の比率で値下がりするサイクルが知られています)が禁止→競合生産国より日本製だけ高くするしかないー日本からの輸出不能になり、韓国等第三国での生産しかなくなったという記憶(うろ覚えですので誤りがあるかもしれません)です。
この受け皿になって漁夫の利を得たのが韓国であり代表的企業がサムスンであり、車で言えば現代自動車・・日本の三菱自動車がエンジン等基幹部品を供給し技術支援して始まったものです。
ただし、サムスン電子飛躍に関する以下(明日)紹介する研究論文によれば、(上記のように政治の追い風があったとしても)キャッチアップ後のサムスン独自努力による研究開発の成果によるらしいです。
以下の論文によると従来は装置産業の提案力によっていたが、デバイス部門=加工組み立て部門・サムスン側の研究開発に基づく装置産業に対する協力要請に逆転・文字通理、下請け企業としてサムスンの研究成果に合わせた装置製造を要求されてこれに応じる関係になっているようです。
サムスンは下請けに価格競争させるために日欧企業に並行的に注文を出しているともかいています。
今でもサムスンは半導体製造装置を日本から買っているから(組み立てているだけだから)対韓輸出停止すれば良いという意見をたまに見かけますが、これらは表面を見ているだけ・・間違いのようです。

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