反日不買運動の本質2

日韓貿易は日本の恒常的黒字ですが、内容は韓国経済に必須部材が中心で末端消費財で黒字を稼いでいるのではありません。
日本の高度部品の不買運動をして日本からの輸入を1減らせば、自国生産を数万倍減らすしかない現状です。
文政権は不買対象を周到に選んで食材なら関係ないと踏んだのでしょうが、日本食材輸入額を1減らせば末端料理店販売額を100〜1000減らすことになる点は同じでしょう。
日本料理店の売り上げ1日50〜100万円店舗コストと40〜90万円とした場合日本からの輸入食材のコスト比は1000分の1あるかないかでしょう。
日本国内和食店でも、フレンチやイタリア店でも一点豪華主義というか、これはイタリアから取り寄せた〇〇を使っていますとか説明してくれることがありますが、そんなのはホンの一品であって、多くは国内産〜地元産です。
まして普通の和食店では、日本風にしているだけでしょうから、その日の売り上げに100分の1も(全く使っていない店が大半でしょう)輸入食材を使っていないでしょう。
日本のフレンチ店でフランスからの輸入食材を使っている店がどれだけあるかと考えればわかることです。
ということは日本食店のボイコット運動は日本の損害1に対して韓国国内関連ビジネスが100〜1000倍打撃を受ける構図です。
営業できなくなった日本食関連業者はフレンチやイタリアンに転換すればいいということでしょうが、人間の技術は簡単に変えられないし、店舗仕様変化・仕入ルート開拓にも膨大なコスト・時間が必要で、大手チェーンでも大規模投資が必要でほとんど不可能ですし、個人営業の店舗では、対応不可能で倒産失業を増やす政策になります。
以上は直感的意見ですが、業績が発表される韓国LCCの例を後で紹介しますが、日本がダメラならば、東南アジア路線でと切り替えようとしても、日韓お短距離往復用の小型機中心のLCCの場合長距離向きでないので飛行機を全部買い換えないと商売にならない・当然大型機操縦経験あるパイロットもいない、大型機の格納倉庫もない、メンテのプロもいないとなるなど簡単ではないようです。
もちろんすぐによその国の飛行場に飛んでいけない・乗り入れには相応の期間がいるほか競争があります。
このように、日本ボイコット運動は自国内関連産業壊滅的被害を及ぼすリスクが高いのです。
日本食、日本と名が付くものすべてボイコットするのは、その効果が大きければ大きいほど国内打撃が大きくなるので経済報復目的というよりは、究極的には文化交流遮断実施したのと同じ効果が出てきます。
文化遮断政策は、先進国と後進国どちらに負の影響が大きいかの判断となります。
有名文化人やアスリートだけ呼べば良いとか、短期留学して学べば良いと言ってもそれは初期段階の理解に有効なだけで、地に着いた理解には大量の人的交流が必要ですし、レシピの勉強だけでなく、地元にも日本食飲食店が大量にあって経験した方が有利です。
客のレベルが料理や芸術を鍛え育てるものです。
音楽やサッカー等を見ればわかるように草の根の普及・日頃の親しみがあってこそ自国民の受容能力が高まり、自国民の芸術や消費財レベルを高めることができるのです。
韓国は2000年代に入る頃まで日本のテレビその他文化輸入を禁止してきたことが、国民レベルアップを妨げてきた・これが民度レベルの国際化を遅らせてしまい、経済自由化による拡大・生活水準アップに比例しないいびつな現象・マイナス面が表面化してきた面があるのを否定できません。
戦後共産圏諸国が鉄のカーテンで西側文化流入を阻止してきた・・その結果最たる結果が今の北朝鮮ですが、独自発展?というよりも李氏朝鮮時代の生活文化意識に逆行(人民を乞食のような生活に落とすのに成功しているのがその象徴でしょう)に成功しています。
韓国は経済システムだけ米国支配?下にあったので止む無く経済自由化していたものの文化意識は日本に押し付けられた西洋近代思想教育を拒絶し(日帝支配残滓清算とはそういうことです)日韓併合前の李氏朝鮮時代の文化に徐々に逆行して来たように見えます。
近代化推進の強制装置である米軍は、近代意識を払拭し古代意識社会化貫徹するために目の上のたんこぶなので、米軍撤退要求は必須の前提になるのでしょう。
この点で北朝鮮の主体思想にこだわる現在の文政権は共産主義の信奉者というより、懐古・・超復古主義の権化として理解可能です。
李氏朝鮮時代の社会意識に復古したいという点では、そこまで順調に復古してしまった北朝鮮の現在社会を理想としていると言うことでしょう。
日本の左翼・進歩的?文化人の内実は超保守主義であると、折に触れて書いてきましたが、韓国でもチュチェ思想にかぶれている人らを革新勢力というのは間違いで人権のある国民を牛馬並みの扱いで良い人民に戻して李氏朝鮮時代に戻したいだけのことです。
それをいち早く実現した北朝鮮が羨ましいのでしょう。
日本の韓国に対するホワイト国除外決定は、これ以上反日運動するなら「友好国関係から一歩引きますよ!という予告宣言でしたが、これに対して上記の通り経済効果としては自国の受ける損害の方が大きいのに韓国民自身が日本文化ボイコット運動を始めたのは、経済戦争をもともと目的にしていない・経済報復より日本文化全体の遮断宣言をしたと見るべきです。
韓国の反日活動をメデイアに限らず、ネット関連でも多くは不買運動として報道していますが、正しくはボイコット・文化遮断運動です。
「上等だこちらから縁を切る」という開き直り・日本文化遮断を正面から意思表示したことになります。
朝鮮族はなんでも開き直り文化だ・・私も含めて多くの日本人は韓国は開き直っていると誤解していますが、文大統領はチュチェ思想の信奉者であることから日本文化と一刻も早く縁を切り、古代的支配の李氏朝鮮時代の社会に戻したかったとすれば、政権獲得後切れ目なく日本の神経逆撫で行為をしてきたのは、日本文化遮断宣言のチャンスを狙ってきた工作だったのでまんまと日本が引っかかったと思ってほくそ笑んだのでしょう。

日本ケミカル業界の現状

昨日みた通り韓国では原油相場に左右されてケミカル業界全体が大幅減益のようですが、日本のケミカル業界はどうなっているか比較してみます。
http://blog.knak.jp/knak-mt/mt-search.cgi?search

化学メーカーの2019年3月期決算
knak (2019年5月28日 09:12) | コメント(0)
化学メーカーの3月期決算がほぼ出揃った。
各社の決算状況は http://www.knak.jp/kessan/
化学メーカーの2019年3月期決算

日本のケミカル業界では韓国ケミカル業界の大幅減益基調と違い、信越化学だけでなく前年比増の企業もありまだら模様です。
どう言う違いか信越化学の業態を調べてみました。
http://blog.knak.jp/2019/05/20193-1.html

信越化学を見てみるとリーマンショック後の減益を経て徐々に回復し最高益更新中のようです。
石化製品の単価下落に韓国勢は困っているようですが、製品構成を見ると日本は塩ビ等石化一辺倒をとっくに卒業していることがわかります。
以下の一般的評論が見つかりました。
https://gyokai-search.com/3-chem.htm

化学業界の現状と動向(2017-18年)
プラントの停止、汎用品分野からの撤退など動きが活発化
近年の化学業界は、低価格した汎用品分野からの撤退、プラントの停止など収益性の向上を図る取組みを積極的に行っています。

たまたま日本での借換債発行失敗に驚いて韓国のケミカル業界の業績と日本業界との比較を見た次第ですが、日本は石油原料の一次?加工に頼る汎用量産型→市況型産業から早期転進に成功しているようです。
市況型産業の典型は半導体生産業界ですが、日本企業は早期に市況変動の激しい半導体生産から徐々に手を引いて、明日紹介するように製造装置や部材供給側に転身してきました。
備品供給も市況の変動を受けますが、末端売り上げが半分になっても装置供給側の影響は数%下がる程度でしょう。
ファナックその他工場設備の製造装置業者も好不況の波の影響を受けますが、一旦設置すると10年以上使うものですから、数年ごとの市況変動の平均値になる理屈です。
その他部品系も末端消費財完成材の売れ行きに影響を受けますが、緩衝になる工程が多い分ショックは間接的ですので波動のショックは緩やかです。
成熟社会化した日本の産業はあらゆる分野でBtoB主力に切り替わりつつあります。
今回の韓国の反日不買運動についても末端消費財を売る業界・ビールなどの影響は大きいですが、フッ化水素など高度部品は日本からの禁輸にビクついてついている状況で不買運動どころではありません。
韓国の対日貿易赤字の大部分がこういう高度部品に占められているので、不買運動をしてもその効果が知れています。

IPO投資の逆回転4と世界経済3

以下、中韓の債務膨張→起債不調等を書いてい行きますが、これは世界の 起債市場変調の引き金になるか?という心配から書いて行くだけであって、IPO投資不調・逆回転の兆候が中国あるいは特定国の債務過剰に不調に原因があるというより構造的問題であるという基礎的意見です。
起債市場異変が起きるとすれば、・・日本の超金融緩和に世界中が便乗して米欧で超金融緩和に乗り出して、EUではすでにマイナス金利にまで踏み込んでしまったことにより金融機能が損なわれてきたことに対する危機感にあると思われます。
本来リスク資金は返済義務のない株式投資で賄うべきところ、超低金利かで借金でマカアヌ方が有利になってきたことによります。
株式は発行して仕舞えば終わりではなく、一定の配当を維持しないと株価下落し機関投資家の不満が高まります。
当然経営責任も問われる事態・・投資ファンドの発達でROE重視とか言って、配当重視(過剰?)がもたらした結果です。
ゼロ金利で借りられれば、極端な例で言えば、前年同率の利益率でも株式を半分に減らせば、配当率が倍になるので株価が二倍になる仕組み・・社債発行(借金)してその資金で自社株買した方が経営者にとって有利になる仕組みです。
業績1割不振でもゼロ金利の社債発行によって得た資金で自社株を1割買いあげれば、前期同様の配当が可能です。
利益が出ていないのに粉飾で高配当・・いわゆるタコ配当が昔流行りましたが、いまは死語でしょうか?
結果から見るとタコ配当に似ていますが、実際に出た利益を配当するので違法でもなんでもないですが、配当すべき相手を減らすことによって株主として残った人が、本来に利益率以上の高配当を得られる奇抜なアイデアです。
というわけで、企業が自社株買いすると報道すればその株を持ってれば配当が期待できるので業績発表が前年比減配当額が前年比1割減っても、自社株買が1割あれば株をそのま村にで持ってれば前年同額の配当を受けれるので株式相場が値上がりする理屈です。
前向き投資の資金需要の場合でも増資による資金手当てをすると、配当すべき株式が増えるのに対し、新規投資によるリターンはうまく行っても(生産工場用地取得し立ち上げ等の場合)数年間寄与しないので、配当率が下がります。
これに対し、M&Aが流行るのは、買収先企業の売り上げや販売益が、当期利益にそのまま反映されるからです。
そいsてM&A資金を社債等で賄えば利子支払いが増えますがこれがゼロ金利だとその負担がゼロで、配当相手は増えないメリットがあります。
このように企業は今や増資(新株発行)等で資金手当するよりも、社債発行で手当した方がメリットが大きいいので既発行株式も消却していく方が有利という状況です。
企業統治的に見ても株式保有者は経営に口出しできますが、社債保有者の場合経営権がありません。
それこそ、「釣った魚に餌をやる必要がない」という状況です。
機関投資家も買うまでは立場が強いですが、買って仕舞えばあとは嫌なら転売すれば?と言われるだけで満期がくるまで何の意見も言えないし聞かれません。
債権者は会社の外部者という立場で、制度上株主総会のような経営に物申す制度がありません・・解散等特別な場合債権者保護のための制度がありますが、あくまで「債権者保護」のための制度であって経営参画権ではありません。
借金には返済期限がありますが、実際にはほとんど大手企業ではロールオーバー・・借り換え債発行で回転していくのが普通ですので、その時に不信任・買い手がつかないと社債満期の償還資金手当に苦しむ・・一種の不信任を突きつけられるリスクがあるだけです。
お金に色がつかないので、業績さえ良ければ別の機関投資家が買うかもしれないので人的コネに頼る度合いが薄まります。
このあとで紹介しますが、韓国ケミカル大手のハンファが、日本でサムライ債の借換債発行に失敗しましたが、代わりに米国でドル建て起債すると言い訳していますが、それも無理なら韓国内での起債、それも間に合わない時にはつなぎ融資に頼る緊急融資でしょう。
このように社債購入母集団・今回の場合、日本人集団の信認を失うといきなりの衝撃がありますが、これは、文政権の度を過ぎた反日言動に対する日本人全体のブーイングが反映したものですが、こういうことは稀ですので、一般的には業績さえ普通なら、特定社債保有者意見など相手にする必要がありません。
サムライ債を買っている日本人の声を聞くシステムがないし、スポンサーを変えればいいシステムです。
一旦株主になるといくら口うるさく嫌な株主でも企業側で株主を変える権利がないのとは大違いです。
借金の場合金利負担がゼロとしてもいつか返済期限がきますが、これは借換債発行が際限なくできれば、株式と結果的に変わりません。
社債を買う人が少なければそのグループの意向を無視できませんが、今のように大量の個人が少額買う仕組みになれば、個々人なんの意見も言わないので企業にとっては元利償還さえできれば空気のような存在でしょう。
サムライ債の社債購入者個々人は、砂つぶのような存在ですし社債購入者名簿もなく一致団結行動チャンスもないのですが、今回は文政権があまりにも嫌韓感情を煽っているので、無意識の団結というか、借換債の募集に対して応募する人がいなかったのだと思います。
IPO投資不調が社債発行市場にもどいう影響を及ぼすかも重要な問題です。
超金融緩和が、ゼロ金利が配当圧力にさらされる経営者を社債に走らせ、企業統治に物言わない便利さ等々によって、世界中が過剰債務状態になっているように見えます。
過剰債務問題は中韓に極端に現れていますが、実は金融超緩和の申し子です。

発光ダイオード特許事件7(日本文化批判はどうなる?5)

今の価値観では分が悪いから政治運動して新たな規則ルールに変えてもらおうと言うならば政治の場で決めるべきであって、訴訟の場はは現行ルールで勝敗を決する場です。
政治で勝つには数百マンの支持でも少数政党にすぎませんが、裁判所を取り巻くにはわずか数百人も集まれば大勢力です。
訴訟を、応援団の多い方が勝つ仕組みにしてしまうのは危険です。
国会周辺への動員も同様で、わずか1〜2万人(1億人とすれば0、01〜0、02%の勢力)でも大報道して国会議決に影響を与えようとするかのような報道姿勢が見られます。
代議制民主主義は代議員の討議の結果、多数決で決める制度であって国会周辺に集まる支持者の数で決めるものではありません。
こういう組織動員勢力を過大評価するためにメデイアは、国民大多数の集団であるかのようなすり替え報道しています。
ルールがどうあるべきかの政治問題は政治の場面で民主的に決めることであり、司法は政治問題で決まったルールに原被告どちらが適合しているかを最終決定する機関であって裁判所に集まる支持者の数で決める手続きではありまん。
9月20日日経新聞朝刊では、原発事故に関する東電経営陣の無罪判決が出ていますが、天災等の発生確率に対する判断が結果的に違った場合、(いまにも大雨が降りそうな時に雨具の用意をしないような一見明白な場合に備えを怠ったのとは違い、東北大地震は文字通りの天災です)100年一回の災害でも備えをどの程度すべきかの政治責任や経営責任を問うのは別として、司法で刑事責任まで追求するセンスを疑うの私だけでしょうか?
9月9日午前5時頃に千葉市を襲った台風15号による房総半島ほぼ全域にわたる停電〜水道供給停止〜自家発電装置の燃料切れなどの連鎖による広範な災害をみてもわかりますが、台風情報は前から出ていたし、台風の規模等事前情報がありました。
そういう強力な台風があれば倒木あること等を前提に電車等は計画的に運休して備えていたということは、東電も倒木被害による電線切断や電柱の倒壊なども予想可能であったこととになります。
そうするとこの台風→停電によって人身被害を受けた人に対する犯罪者として「刑事訴追すべき」という世論になるのでしょうか?
15号台風は日本列島全体で見れば、(昨年関空を襲った台風21号より風速が遅い)東北大震災ほど想定外の想定外台風ではありません。
民事責任あるいは補償は別として、刑事責任まで追及すべきという意見は滅多にいないのではないでしょうか?
(この辺は私の根拠なき推測ですが、論理的に言えばもしも民事上の過失責任があるならば、刑事上の過失責任も問うべきという論法では、体育その他全て萎縮してしまうからです。)
崖っぷちの危険道路や丸木橋も必要性との兼ね合いで通行禁止しない・事故が起きたらその限度で対応というのが世の中のあり様ではないでしょうか?
9月20日の日経新聞43pを見ると決まり文句の「検察官役『判決国に忖度と批判』と大きく出ています。
「国に忖度」という批判論(内容を読む気がしませんが、多分中村教授同様の定型的非論理的主観意見でしょう)メデイア界にはこういう主観的意見を持っている人が多いのでこういう具体性のない感情論を報道したくて仕方ないのでしょうか?
反政府運動的訴訟で負ければ「不当判決」などの感情論的決めつけ論が横行していま
す。
合理的批判は社会発展に必要ですが、事実適示のないまま、司法が政府を「忖度」しているとか「腐っている」という感情論を煽るだけでは合理的な批判精神も育ちません。
「何が腐っている」のか忖度の根拠等の具体論がないままでは、国に忖度というのでは、個人訴訟で裁判に負けた方が「裁判官と相手が癒着している」とひがみっぽくいうの同じレベルではないでしょうか?
検察官役と書いているので弁護士・それも腕利きの弁護士でしょうが、プロ中のプロが具体的論証なしにこう言う主観論を堂々と発表するとは驚きです。
発光ダイオード事件では、「司法が腐っている」という発言は弁護士から出たものではありませんでしたが・・。
もしかして具体的論証できる資料があってその説明をしたが、メデイアは長々と引用できないので結論だけを記事にした場合もあります。
とはいえ、「忖度」などという曖昧概念を証拠でどうやって論証できたのか、理解不能です。
「凡庸な弁護士に分かるはずがない」秘術がある点が、「やりて弁護士」という評判をとっている源泉かもしれません。
こんなことを弁護士が大手新聞の前で言うのでは、司法制度の存在を前提とする弁護士自身が司法制度を否定しているようなものです。
現行司法制度を変更したり、否定したいならば、政治の世界(その前提として、司法界の実務家意見が重視されるのでその協議会等で発言すべきもの)で運動をすべきでしょう。
市民感覚が・・(上記同日の日経社説にもこの種の表現がされています)と言う感情論で訴訟をやって来たのでしょうか?
誰が市民感覚を代弁する権利があるのか?民主国家においては代議士の集合体・国会意思ではないでしょうか?
弁護士や報道機関が何の根拠で市民感覚を代表しているつもりになれるのか不思議です。
もしかして、こういう主観論に秀でた人をメデイアで持ち上げているのかな?
市民感覚と言う感情論で刑事罰が決まるのでは恐るべき社会になります。

発光ダイオード特許事件6(日本文化批判はどうなる?4)

彼は韓国のように開き直る気持ちはない・・ノーベル賞もらった子供や親族が地元にいて肩身が狭い?ので不思議な関係になったのかな?・・日亜化学との修復を望んだようですが、日本人は相手が感情論を言い立てでも激しい反論をしない分そうは簡単に行かないのが日本社会です。
最後まで努力して郷里や日本全体に受け入れて貰うか、そこまでやる必要はないとアメリカに帰って日本批判に精出すしか活路がないのではないでしょうか?
今のところ、山崎氏の結論を意訳すれば、「さあどうぞ!気に入らない日本にいつまでも関わっていないで米国で頑張って下さい」と内心思っている人が多いような気がします。
2〜3年ほど前に歴博の企画展で大久保利通関連の展示がありましたが、そこで感じた印象では、大久保一族は今でも地元鹿児島では肩身が?広くないようですが・・。
彼の一族は故郷を捨てるしかなかったのでしょう。
ノーベル賞受賞で郷土の偉人と尊崇されるべき彼が郷土(物心着いてから育った地域)に足も踏み入れられないかのような表現(徳島には日亜の人がいっぱいてどこを歩いてもいきあうからと修復を求めた動機を説明しているようですが・・)というのですから、6億円獲得のために場外批判したのが高くつきすぎたのではないでしょうか?
ただし、生まれ故郷・・小学2年まで過ごした愛媛県伊方町では、顕彰碑が立てられているようです。
その程度で我慢するか?ですが、彼にすれば物心ついてから育った地域や大学や企業でその時の仲間(日本人は誘われれば公然と拒否しませんが、彼と会うのにコソコソ会うのはみんな嫌でしょう)から認めて欲しいのではないでしょうか?
16日紹介した山崎氏の記載では
「和解成立の時に「中村氏自身が、判決後の記者会見で、「100パーセント負けですよ」「日本の裁判制度は腐っていますよ」と興奮気味に怒りをぶちまけている」と言うのですから本当に公言したならば異常です。
https://biz-journal.jp/2014/10/post_6311_3.htmlに、以下のとおり紹介されているので事実だったのでしょう。

中村氏は最高裁まで争い200億円を勝ち取るつもりでいたが、升永英俊弁護士の説得に従い矛を収めた。当時会見で中村氏は「日本の司法は腐っている」と感情を露わにし日本を離れ、米国の市民権を得た。

以下によれば、和解内容が公開されていてこの筆者(個人名が出てこないのでどういう人か不明)自身和解前から寄与度5%くらいでないか・結局は5〜7、5億円の範囲内で地裁判決の200億は幾ら何でも法外すぎるという批判を発表していたようです。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~yamayosi/public_html/memo107.htm

「この和解案をしぶしぶ呑まされた感じの中村氏は「たったの8億円」と失望を隠さなかったと報じられ、低俗的な週刊誌では「日本の司法は腐っている」と言いたい放題の感じです。」
と書いているので、山崎氏のいう司法批判をしているという紹介は大方合っているのでしょう。
(ただし、紹介情報源は同じの場合もあります・・慰安婦問題での朝日の大規模報道により日本中の大手マスコミや世界メデイアが報じる結果、あたかも公知の事実のようになった印象ですが、検証委員会結論では朝日新聞の引用数は少ないと否定的評価をしていることに国民の不満がありましたが、証拠にもとずく判断とすればそうなるしかないでしょうが、上記の意人らは引用元を書いていないからです)
続けて
「中村氏を持ち上げ日亜化学をヒールに仕立てたのは、中村本(これは巧妙な升永弁護士の戦略であるとの見方は外れていない)に洗脳されたマスコミの仕業で、彼らの大いなる反省が求められます。
同じく朝日新聞の1月23日の科学劇場記者席なるコラムで、東京本社科学医療部次長の高橋真理子氏が「青色発光ダオード訴訟 和解額は安すぎる !?との記事を書いているが、感情的な内容で科学記者が書いた内容とは思えず、中村本の呪縛から逃れた様子は見られません。」

とも書いています。
あちこち検索すると当時明発見〜量産成功に至る流れに詳しい?業界常識として1審判決は非常識すぎるというコンセンサスができていたような気配です。
無茶すぎる請求を前提にした陽動戦略に地裁がまんまと乗ってしまったということでしょうか?
地裁の論理が批判的に紹介されているのを見るとこの発明がなければ現時点での売り上げがなかった→だから寄与率5割という論法らしいですが(そんな単純論理ではないと思いますが骨格を言えばそうなるという解説でしょうか?)論理の粗雑に驚きます。
車の場合で言えば、ブレーキやハンドルを構成する特定部品一つでもなかったら走れないから、その部品価値は「車一台の9割の価値がある」というような論法です。
この論法によれば500万の車の各部品1個が450万円となり、全部足したら車一台10〜20億円になり、それから逆算すると部品価値は9億円になる→循環計算を繰り返せば、部品の総合計が上がる一方で車の値段が1兆円〜2兆円と際限なくあがるので結論が永久に出ません。
私は中村氏の弁護士を知りませんが、もしもこういう論法で訴訟提起した弁護士が敏腕・辣腕と賞賛されているとすれば、おかしくないですか?
弁護士の仕事は、正しい利益を相手が侵害しているときに訴訟を通じてどちらの主張が正しいかを裁判所に判定してもらう代理職です。
10の権利を百と主張し実現することではありません。
現行ルールをどちらが守っているかの冷静な判断のために政治から切り離した司法権の必要性を世界中が認めているのですから、訴訟手続に政治圧力をかけるための大衆動員はメデイア動員→政治力圧力の必要がないばかりかそういう行為は憲法の精神を踏みにじる違法行為です。
裁判所前に支持者多数動員したり訴訟内容をメデイアで大規模報道するような法律家がいますが、司法手続きを政治の場に変えようとしている人たちのようです。
彼らの多くが「司法権の独立を守れ」と言う人たちでもあるのですが、何からの独立か?とすれば、政治権力からの独立しかないのですから、自己矛盾行動しているように見えます。

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