証拠法則と科学技術4

本人同意なしの防犯カメラや録音はプライバシー侵害の不利益があるとしても、大きな人権侵害・自白を求める追及の弊害・・長期拘束やえん罪のリスクに比べて、公道等でのカメラによるプライバシー侵害被害とのどちらを重んじるべきかの利益考量の問題です。
専門家は「新技術にはこう言う問題があります」と問題提起するのは有用ですが、その情報提供に基づいて利益衡量・・どちらを我慢すべきかは、専門家の役割ではなく、国民や政治分野で決めて行くべきこと・・政治問題ではないでしょうか?
私が知っている限りでも、ストーブ・冷蔵庫や炊飯器やテレビが出たときに、この種の反対論がいつもありました。
電子レンジやパソコン操作には電磁波だったかの影響があるので、妊婦にはどうだとか、労働環境としては一定時間で離れる必要があるなどいろいろ反対論が宣伝されていたことを記憶している人が多いでしょう。
エアコンは身体に悪いから出来るだけ・・と言う意見が普通だったことを記憶している人が多いと思います。
つい最近の議論では、電気自動車が発達するとエンジン音がしないので、車が近づくのが分り難いから危険だと言う反対意見もまことしやかに言われていました。
何でもケチを付ける気になればこう言うことも言えるのか!と感心させられましたが・・・。
専門家は何でも一応言っておく必要があると言うことでしょうか?
車は音がするものと言う習慣は、この4〜50年の経験で身に付いたに過ぎませんから、音がしないとなればまたこれに馴れればいいことですから、車に対するこの種の反対意見はあっという間に廃れたように思います。
科学捜査の未発達な時代で黙秘権のないときには、狡い人を免れさせないためにあの手この手の説得努力が嵩じて自白を慫慂するようになり、トキには悪用して徐々に脅迫や嫌がらせに留まらず拷問等に発展して行きました。
科学捜査の未発達は捜査機関の能力不足ではなく、社会全体の科学技術の発展に負うところが大きい・・12月2日に紹介したように20世紀末まで脳科学が発達せずあるいはDNA解明ができなかったのは、捜査機関の責任ではなく、政治制度は社会全体のインフラによることの一場面です。
自白重視が却って自白さえあれば良いと言う逆方向に発展し、本来の証拠収集技術の発展を阻害し制度を歪めてしまった面もあります。
この反省から近代刑法では自白だけでは、証拠不足とされるようになりました。
近代刑法・・この結果である現憲法も、昨日紹介したように拷問禁止するだけではなく、自白だけでは有罪にしないで、「補強」証拠を求めるようになっただけであって、現在も自白中心・主たる証拠扱いの精神は変わっていません。

刑事訴訟法

第三百二十条  第三百二十一条乃至第三百二十八条に規定する場合を除いては、公判期日における供述に代えて書面を証拠とし、又は公判期日外における他の者の供述を内容とする供述を証拠とすることはできない。
第三百二十二条  被告人が作成した供述書又は被告人の供述を録取した書面で被告人の署名若しくは押印のあるものは、その供述が被告人に不利益な事実の承認を内容とするものであるとき、又は特に信用すべき情況の下にされたものであるときに限り、これを証拠とすることができる。但し、被告人に不利益な事実の承認を内容とする書面は、その承認が自白でない場合においても、第三百十九条の規定に準じ、任意にされたものでない疑があると認めるときは、これを証拠とすることができない。
○2  被告人の公判準備又は公判期日における供述を録取した書面は、その供述が任意にされたものであると認めるときに限り、これを証拠とすることができる。

刑訴法320条は伝聞調書の原則禁止と言う原理で、被告人以外の人の供述書は(弁護人が同意しない限り)原則として証拠に出来ないのですが、322条で被告人の不利益承認供述=自白は任意性に疑いがない限り証拠に出来ると言う原則です。
人は、自ら不利益なことを言う筈がないから、自分で不利益なことを言う=自白するならば確かだろうと言う自白重視原理の表明です。

証拠法則と科学技術3(自白重視3)

客観証拠が充実して来れば、事件当時の半年〜1年以上前のおぼろげな記憶による当事者の思いつき的供述の真偽究明よりは、(記憶違いではないかなどと前後供述の矛盾追及などよりも)提出されたビデオやパソコンの記録やデータの読み取り方その他のデータ相互の矛盾追及などの信用性を争うのが、弁護士の中心的仕事になってきます。
大阪地検の証拠改ざん事件は、このチェック過程で生じたものです。
いろんな民事事件で現場写真や録音テープ・メール等が証拠提出されることがありますが、写真やテープは証拠にならないと言って争うのではなく、「この写真が現場写真としてはこの家が写っていないはおかしい」「この表情・動作からこのように読み取るべきだ」など、内容で争うべきことです。
たまに法律相談で「メールや録音などは証拠にならないですよね!」と(ネットに書いてあったと言って自分の意見が正しいと言う前提で強制的に?)同意を求めて来る人がいますが、「一般論ではなく前後の事情その他具体的内容による」と答えています。
ただし、刑事事件では証明力以前に証拠能力と言う関門がありますので、刑事件の相談ならば一応検討する意味がありますが、一般的にこう言う相談は浮気のやり取りがメールに残っていて、これが配偶者に抑えられた場合、証拠にされるかの相談が圧倒的です・・民事では証拠能力と言う関門がありません。
防犯カメラの設置に反対する動き・・論文を11月8日に紹介したことがありますが、この運動主体が「自白に頼るな」と主張するグループである弁護士会と重なるのが不思議です。
プライバシー保護を理由にいろんな客観証拠のデータ化に反対・または反対論を学ぶための集会をしている・・「証拠収集反対論2(防犯カメラ1)」 November 8, 2014で紹介した論文は、「■九州弁護士会連合会主催「監視カメラとプライバシー」シンポジウム 2004年10月http://www.meinohamalaw.com/activity01/5.htmから見た論文を読んだ印象を書いたものですので、関心のある方は上記にアクセスして原典に当たって下さい。
・・その大会で防犯カメラ設置反対決議したものではないとしても、こう言う講演依頼をして集会を開催していること自体が主催者の意図・体質を表しています。
このような研修集会をするならば、防犯カメラの有用性を主張する学者ああるいは捜査関係者にも講演してもらい、双方の意見を戦わせて会員が公平に判断出来るような集会にすべきです。
一方の立場に有利な講演をしてそれに基づいて防犯カメラが社会に害があることばかり強調する集会運営して行くのでは、防犯カメラと言う客観証拠の発達を阻止したい・・反対するためにあら探しの研修集会をしているように国民が思う・・誤解?するのではないでしょうか?
憲法9条を考える会と言うような趣旨の集会案内を良く見かけますが、双方または複数の意見を聞いてみるのではなく、一方的な意見ばかり聞かされるのが普通です。
弁護士団体が偏った意見の集団ではなく、法制度をよりよくして行くためにいろんな研修をして行くのは良いことだと思っていますが、反対意見の講演ばかりしていて「何でも反対集団」と言う評価が定着していた元社会党のようになってしまうと、マイナス・・本当に良い意見も通り難くなる心配をしています。
11月30日日経新聞朝刊17Pには、脳指紋の研究が進んでいて「未来の科学捜査」と言う見出しで、将来は、無意識でも脳に痕跡が残る・・過去に脳が見たり経験した事柄が科学的に判別出来るようになりそうだと言うサイエンス記事が大きく出ています。
これらも、将来現実化して来ると技術の不確実性・・信頼性が100%でないことを理由に(「専門家による)採用反対論が大きな声になるように思えます。
スピード違反自動検出機器(オービス)も、たまには間違いがありますが、それでもその誤差を自覚して運用すれば良いのであって、その有用性は明らかで、今は定着しています。
技術には当然欠陥や誤作動があり得るので裁判では、万分の1の欠陥でも当該事件になかったか厳密に検証して行くべきですが、それとは別に各種機器や科学検査の否定運動・・防犯カメラのように設置自体反対になって来ると、刑事弁護の立場からの主張としては意味不明です。
ただし、公益と人権(プライバシー)侵害の兼ね合いと言う批判は勿論ありますが、新技術が出ると先ずは反対する材料がないかと言う視点が先にあるような印象を受ける人が多いのではないかが心配です。

近代法理の変容5(クーリングオフ3)

近代法意識に馴染み難い分野あるいは先端の特定商取引分野でも、無期限に撤回出来ると相手の立場が安定しないので、一定の行為をするまでとか、マンション売買等のローン条項のように一定期間内ローン不調での白紙解約などの特約が一般的です。
一般契約では特約が必要ですが、クーリングオフ制度は、特約がなくしかも履行が終わっていても何らの理由もなく撤回出来る仕組みです。
(既に消費していても消費分について代金請求すら出来ないうえに、引き取り料も業者負担ですから、文字どおりなかったことにする制度です)
以下参考までに条文を紹介しますが、たった1条だけの引用でも今の法律は文言が多過ぎて大変です。
面倒な人は読み飛ばして下さい。
いろんな場合を全部説明していると条文と同じことになりますので省略しますが、骨格で言えば、特定商取引に関しては、8日間に限りクーリングオフ出来るという条文です。

特定商取引に関する法律
(昭和五十一年六月四日法律第五十七号)

(訪問販売における契約の申込みの撤回等)
第九条  販売業者若しくは役務提供事業者が営業所等以外の場所において商品若しくは指定権利若しくは役務につき売買契約若しくは役務提供契約の申込みを受けた場合若しくは販売業者若しくは役務提供事業者が営業所等において特定顧客から商品若しくは指定権利若しくは役務につき売買契約若しくは役務提供契約の申込みを受けた場合におけるその申込みをした者又は販売業者若しくは役務提供事業者が営業所等以外の場所において商品若しくは指定権利若しくは役務につき売買契約若しくは役務提供契約を締結した場合(営業所等において申込みを受け、営業所等以外の場所において売買契約又は役務提供契約を締結した場合を除く。)若しくは販売業者若しくは役務提供事業者が営業所等において特定顧客と商品若しくは指定権利若しくは役務につき売買契約若しくは役務提供契約を締結した場合におけるその購入者若しくは役務の提供を受ける者(以下この条から第九条の三までにおいて「申込者等」という。)は、書面によりその売買契約若しくは役務提供契約の申込みの撤回又はその売買契約若しくは役務提供契約の解除(以下この条において「申込みの撤回等」という。)を行うことができる。ただし、申込者等が第五条の書面を受領した日(その日前に第四条の書面を受領した場合にあつては、その書面を受領した日)から起算して八日を経過した場合(申込者等が、販売業者若しくは役務提供事業者が第六条第一項の規定に違反して申込みの撤回等に関する事項につき不実のことを告げる行為をしたことにより当該告げられた内容が事実であるとの誤認をし、又は販売業者若しくは役務提供事業者が同条第三項の規定に違反して威迫したことにより困惑し、これらによつて当該期間を経過するまでに申込みの撤回等を行わなかつた場合には、当該申込者等が、当該販売業者又は当該役務提供事業者が主務省令で定めるところにより当該売買契約又は当該役務提供契約の申込みの撤回等を行うことができる旨を記載して交付した書面を受領した日から起算して八日を経過した場合)においては、この限りでない。
2  申込みの撤回等は、当該申込みの撤回等に係る書面を発した時に、その効力を生ずる。
3  申込みの撤回等があつた場合においては、販売業者又は役務提供事業者は、その申込みの撤回等に伴う損害賠償又は違約金の支払を請求することができない。
4  申込みの撤回等があつた場合において、その売買契約に係る商品の引渡し又は権利の移転が既にされているときは、その引取り又は返還に要する費用は、販売業者の負担とする。
5  販売業者又は役務提供事業者は、商品若しくは指定権利の売買契約又は役務提供契約につき申込みの撤回等があつた場合には、既に当該売買契約に基づき引き渡された商品が使用され若しくは当該権利の行使により施設が利用され若しくは役務が提供され又は当該役務提供契約に基づき役務が提供されたときにおいても、申込者等に対し、当該商品の使用により得られた利益若しくは当該権利の行使により得られた利益に相当する金銭又は当該役務提供契約に係る役務の対価その他の金銭の支払を請求することができない。
6  役務提供事業者は、役務提供契約につき申込みの撤回等があつた場合において、当該役務提供契約に関連して金銭を受領しているときは、申込者等に対し、速やかに、これを返還しなければならない。
7  役務提供契約又は指定権利の売買契約の申込者等は、その役務提供契約又は売買契約につき申込みの撤回等を行つた場合において、当該役務提供契約又は当該指定権利に係る役務の提供に伴い申込者等の土地又は建物その他の工作物の現状が変更されたときは、当該役務提供事業者又は当該指定権利の販売業者に対し、その原状回復に必要な措置を無償で講ずることを請求することができる。
8  前各項の規定に反する特約で申込者等に不利なものは、無効とする。

近代法理の変容1

日弁連や専門家の共謀罪反対論は、国際条約の決め方・議論経過にどう言う問題があったかすら明らかにしないで、(私の理解不足もあるでしょうが・・)理由もなく(近代刑法に反すると言っていますが、これまで書いているように合理的な理由になっていません)実行阻止の主張をしているだけのように見えます。
近代刑法の理念と言っても、国民の利益のために理念が決まって来たのですから中2階の概念を振り回すよりは、共謀罪新設が国民にどう言う利害があるのかを具体的に分析解説して行く方が合理的です。
近代刑法の理念と言う中2階の概念を振り回しているだけでは、素人は何も分らなくて良いから「・・専門家の言うことを信用して!」と言うスタンスに帰するようです。
高度な医療でさえ、インフォームドコンセントが重要と言われているように、今では、「あなたは無知蒙昧だから分らなくていいのだよ・・・・」と言われて、専門家の言うとおりで満足している国民は少ないのではないでしょうか?
医療の場合、いろいろ説明されてから、「よく分らないのでお任せしますのでよろしくお願いします」と言うのが普通ですが、だから何の説明もいらない・・無駄と言う解釈は社会的に容認されていません。
「近代刑法の精神違反」と言う抽象論だけでは今や何も解決出来ない時代・・具体的な効果分析が重要なことを、10月20〜21日ころから書いてきました。
それだけではなく、近代法の理念・・抽象論自体も20世紀に入ってから大幅に変容されて来ています。
たとえば、近代精神は自由な意思活動とそのもたらした結果に責任を負う・・法律効果が生じる意思責任主義が基本です。
近代法理の権化であるナポレオン法典の系譜を引く我が国の民法では、意思表示を法律行為と言い、意思表示に法律効果が生じる原理を採用しています。

民法

(任意規定と異なる意思表示)
第九十一条  法律行為の当事者が法令中の公の秩序に関しない規定と異なる意思を表示したときは、その意思に従う。

上記のように意思責任主義を原則にして、意思表示すれば法律効果がそのまま生じる仕組みです。
難しい言葉を日常用語・・卑近な例で言えば、1個100円で売っているパンを見て、「このパンを下さい」と意思表示すれば100円でそのパンを買う意思表示したことになり、そのとおりの法律効果が生じる・・パンを受け取れる代わりに100円支払う法律義務が生じると言う意味です。
充分な意思能力のない未成年者や被後見人等が自由に意思表示すると貴重な財産を安売りしてしまうかもしれないので、資産保全のために、一律に法律行為無能力者として法定代理人が代わって意思表示する制度設計になっています。
未成年者・子供が家屋敷を売る契約をしても法定代理人がこれを取り消せることになっています。
 民法
 第二節 行為能力

(成年)
第四条  年齢二十歳をもって、成年とする。
(未成年者の法律行為)
第五条  未成年者が法律行為をするには、その法定代理人の同意を得なければならない。ただし、単に権利を得、又は義務を免れる法律行為については、この限りでない。
2  前項の規定に反する法律行為は、取り消すことができる。
3  第一項の規定にかかわらず、法定代理人が目的を定めて処分を許した財産は、その目的の範囲内において、未成年者が自由に処分することができる。目的を定めないで処分を許した財産を処分するときも、同様とする。

日弁連と政治3

話がそれましたが、今や形式的には選挙で選ばれたことになっている学生自治の危機を叫ぶ人もいないし、誰も相手にしない時代が来ていることを日弁連も他山の石とすべきです。
弁護士会活動が特殊活動家の牛耳る学生運動同様に「独りよがり声明の濫発・行動」と社会で受け取られてしまう時代になってしまわないかの心配で書いています。
今のところ、私のような意見を書いても会内で孤立する心配もない・・自由な言論が保障されている点でまだまだ大丈夫と言えそうですが、その程度で良いのでしょうか?
学生自治会で言えば、大学内で友人との間で自由に政治意見を交換出来るとしても、中核派や革マル派の支配する自治会の役員会や集会に出て行って、反対意見を言うと袋だたきに遭うので事実上何も言えない場合、自治会内民主主義が貫徹していることにはなりません。
私の所属する選管委員会等あまり政治に関係しない委員会では、過去の議論を参考にしながらもその都度、そのときの委員間の意見交換で決まって行きます。
ところが、憲法改正反対・死刑反対や秘密保護法対策や共謀罪法案対策などの長期的事案・・どちらかと言えば政治的テーマを扱う委員会では、(いつからか知りませんが・・)ずっと前に反対方針が決まっていて、その方向性を前提にして、国会情勢などが報告されていつビラ配りするか、集会を開くか、デモ行進するかなどの議論が中心になっています。
これでは、変わった意見や疑問を持っている会員が新たにその委員会に加入しても既定の運動に参加するしかない仕組みですから、反対意見を言う気にもなりませんし、参加する意欲が薄れてしまいます。
在特会や共産党のような組織の場合、既定方針に賛同した人の集まりだからそれで良いのでしょうが、政治意見で集まっていない弁護士会が同じような運用では、後から入った人は思想信条に反した行動に応援させられたり費用負担させられていることになります。
中核派の牛耳る学生自治会に一般学生が首を突っ込んでも仕方がないのと同じで、弁護士会では既定方針の意見に合う人ばかりが参入して行く傾向にならざるを得ません。
比喩的に言えばオタク化の進行で委員会内ではみんな同じ意見の集まりですから、世間常識とずれてしまう傾向が起きてきます。
千葉県弁護士会ではある委員会提案を執行部が採用しないことについて「何のための委員会だ!」と執行部のあり方に対する批判メールが提案者から出されています。
弁護士業務は正義の体現者と言う社会信用・ムードの上に成り立っていますので、社会が信用しなくなれば大変なことです。
弁護士大増員に伴う質低下に対する危機感を募らせて会内研修を充実させていることや、個別の弁護士業務に関して社会信用を失うような行為については、厳しく懲戒対象にしているのはこのためです。
会自体の政治活動については、懲戒対象になる余地が殆どありません・・自浄作用が働き難いので、その分自戒・抑制する必要があります。
政治活動には歯止めがないことに気を許して(特定立場の代弁?との社会意識が定着して)社会信用を失うと、法手続等整備に反映するべき在野専門家としての正当な意見まで色眼鏡で見られるようになって、議論から除外されるようになると国民にとって不幸です。
ことし初夏ころに事務所に来た高齢者が居あわせた修習生に対して、「あんたも左かい?」とイキナリ聞いたので修習生が面食らっていました。
私はその客に「何でそんなこと聞くんだよ〜」といって笑い話になりましたが、世間では弁護士と言えば、(彼は私も当然左系と思っていたのでしょう)左系と思っている人が多いようだとその後修習生に説明しました。
そう言えば、私の借りている事務所ビルは偶然自民党政治家の保有するビルですが、おりに触れてその政治家が、こちら(私を左系と思っているかのように何かと)革新系思想に迎合するかのように、話題を持って来る傾向があったことと符合することに気がつきました。
外部からみれば・・何十年も前から、既に弁護士会は特定思想集団のイメージを持たれていたのかも知れません。

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