ポツダム宣言に書いてある軍国主義破壊論・・破壊するまで占領を続けられるとするインチキ性に戻します。
アメリカの金科玉条とする「思想信条の自由」と軍国主義思想の改造が完成するまで占領する宣言の整合性の疑問です。
「軍国主義破壊するまで占領する」と言う限定では、軍国主義の定義をはっきりさせないと無制限占領・・どのような悪逆非道なことも出来ることになります。
アメリカはそんな非民主国家ではない・酷いことをしないから信用しろという宣言です。
そこでこれまで紹介しているインデアンに対する仕打ちや、当時アメリカ国内で黒人の人権が認められていなかった実情、アメリカが事実上支配していた中南米諸国の悲惨な状態・昨日紹介したルーズベルトの邪悪な個人思想が重要になります。
日本では国旗を掲げたり国歌を斉唱するだけで軍国主義者と言われかねない雰囲気・・この残滓が未だに強いのが日教組であり韓国による旭日旗を戦犯旗とする執拗な反日活動に占領下における強力、行き過ぎた思想統制が行われていた痕跡を見ることができます。
ちなみに諸外国の国家はフランス国家を代表として、血塗られた歴史を賛美するものが多いですが、君が代は静かで雅びで戦争賛美の歌ではありません。・・何故これが軍国主義の歌になるのか、こじつけにしても無茶過ぎます。
民族が当然持っているべき・・・持っていること自体禁止出来ない筈の愛国心・・要は郷土や同胞を愛する気持ちすら、うっかり表明すると軍国主義者のレッテル貼りされかねない状態が続いているために、未だに保身のために「いわゆる偏狭なナショナリズムは別として・・・」などの言い訳から発言を始めなければならないほど表現が窮屈になっています。
日本人にだけ愛国心を否定するのは無理があるので「偏狭な愛国心だけが許されない」と言う運用が定着していることが分かります。
そもそも何が偏狭なのか不明のままですから、・・今流行のヘイトスピーチ禁止論も同じ系譜で・・結局のところうっかり郷土愛すら口に出せない社会にして来たのです。
民族精神を少しでも出すとパッシングを受け「失言」として大臣罷免運動がマスコミで盛り上がる大変な時代が戦後70年も続いていました。
民族の尊厳・アイデンティティを主張すれば直ちに軍国主義の指標にされて来た占領政治の恐ろしさ・・実態が分かります。
軍国主義破壊の名の下に行き過ぎがなかったかの検証としては、少なくとも極東軍事裁判設置自体の合法性・・事後法が許されるか?審理判決がレイシストによる恣意性によって運営されてなかったか?の検証が必須です。
アメリカは検証されるのがよほど嫌らしく、少しでも極東軍事裁判に関する問題提起しようとすると歴史修正主義者のレッテル貼りをして政治生命の抹殺を図る運動が猛烈に行なわれて来ました。
靖国参拝問題を過大に騒ぐ勢力はソモソモ極東軍事裁判について冷静な議論を拒否するどころか、そのずっと前段階の死者に対する追悼や参拝すら許さない勢いですから、軍事裁判によほど後ろ暗いことを知っている勢力が背後で煽っているように見えます。
ドイツではユダヤに対するホロコーストがなかったという主張するだけで刑事処罰を受ける法制度になっていると言われています。
よほどアメリカ・・ひいてはユダヤ勢力にとって戦後秩序に関する正義の基準による検証に自信がないものと推測されます。
およそ公正な議論をする自信のない勢力がまともな議論をさせない・・言論封殺のために軍国主義者、歴史修正主義者、非国民などレッテル貼りに熱心になるように見えます。
ポツダム宣言については何回か紹介していますが、今回は占領権限についてのみ紹介しておきます。
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html
千九百四十五年七月二十六日
米、英、支三国宣言
(千九百四十五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ)
五、吾等ノ条件ハ左ノ如シ
吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルヘシ右ニ代ル条件存在セス吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ス
六、吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス
七、右ノ如キ新秩序カ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力カ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ルマテハ聯合国ノ指定スヘキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スルタメ占領セラルヘシ
軍国主義?思想破壊のために必要と言えば、無制約な思想弾圧・・専制政治が可能になります。
実際に今でも集団自衛権議論で反対論者は「軍国主義復活反対」「軍靴の音が聞こえて来る」とあちこちで宣伝しています。
軍国主義思想かどうかを誰が判定するのか?占領軍が判定するのであれば、占領軍が居座ろうと思えば半永久的支配が可能であり、占領に刃向かえば全て軍国主義者としてしまうことが可能です。
強姦米兵に抗議すると「お前は軍国主義者だな!」として処刑出来る仕組みがポツダム宣言です。
こう言う無茶な講和条件の強制は強盗が「銃を突きつけてお金を要求したら相手が自分で差し出したから貰った」と言うのと同じで、既存の国際法に反して無効と言うべきです。
集団自衛権の安保法案関連ではアメリカがその成立を求めているねじれ現象の結果、「軍靴の音が聞こえて来る」と言うアッピールをしても安倍政権が軍国主義政権とはなりませんが、仮に占領下でアメリカの承認なしに誰かが「主権国が軍備を持てないのはおかしい」と正論を吐いて再軍備提案すれば、ただちに「軍国主義者」として公職追放でしょう。
こう言う厳しい雰囲気の下で憲法案が示され憲法9条が成立している場合これを事実上強制された条文であると見るべきです。
昨年の安保法案関連では、アメリカがその成立を求めているねじれ現象の結果、「軍靴の音が聞こえて来る」とアッピールをしても安倍政権が軍国主義政権とはなりませんが、仮に占領下でアメリカの承認なしに誰かが「主権国が軍備を持てないのはおかしい」と正論を吐いて再軍備提案すれば、ただちに「軍国主義者」として公職追放だったでしょう。
現憲法は、こう言う雰囲気の下で占領軍から憲法案が示されたのですが、「日本は戦争に負けても主権国家である以上、何故軍備を持てないんだ」「侵略されても何故交戦権がないんだ」と言うマトモな議論が出来る雰囲気でなかったことが分ります。
竹島占領や李承晩ライン設定による多数漁民・漁船の拿捕事件や、北朝鮮の拉致事件にも奪回のための実力行使が一切出来ていません。
「交戦権を認めずにやられっぱなしで我慢しろ」と言うことが実際に強制されて来たのですが、国際法の原理である主権尊重とどのように整合するのでしょうか?
押し入った強盗やテロ組織が「武器を持つな棄てろ」と言うのは当たり前のことですが、テロ組織が選挙中に決めたルールは「法」ではあり得ません。