国家的事業と自治体の拒否権3(外国人参政権1)

与那国島の例を見ると、レーダー基地1つ作るのにも地元住民同意が要るのに驚く人がいるでしょう・・私は少なくとも驚きました。
October 11, 2016「米軍の立証責任(不逞鮮人がいたのか?)2」前後で占領軍による検閲を通じたマスコミ・教育界の支配の浸透について書き始めてその後マスコミや教育界の左翼文化人の成長を書いているところで、話題が横に逸れていますが、その到達点の1つと言うか外国人の住民投票を主張する勢力が増えて来たことが分ります。
中央政府が何を決めてもそれを国内のどこかで実施するためには、(1昨日の新潟県知事選挙の結果原発再稼働について、原発再稼働について知事同意を得るのが困難になったと言う報道です)地元自治体の同意が必要になって来たことと、これと平行して自治体参政権や自治体職員への外国人に対する門戸解放運動の進展は、占領軍の残したことではなく米軍の意向に率先反応・迎合して、大義無視→ドンドン個人主義思想・地域エゴ拡張に精出す人を増やして来た成果の到達点と言えるでしょう。
国防問題を決めるのに、地域にいくらお金が落ちるかが争点になっているというのですから嘆かわしい低レベル化が進んでいます。
共同体意識に基づいて国防問題を議論すべきとすれば、共同体構成員でない外国人がこの議決に何故参加すべきなのかよく分かりません。
外国人にも自治体選挙権を与えるべきと言うのが、共産党や公明党や民主党の主張だったと思いますが・・。
10月15日現在のhttps://ja.wikipedia.org/wikiからの引用です。
外国人参政権
民主党・公明党・日本共産党など各党は、上記「傍論」を根拠の1つとして、外国人地方参政権付与法案を提出している。ただし、その対象者は、「傍論」が想定していた範囲(特別永住者のみ)を拡大し、一般永住者にまで参政権を付与することを想定している。民主党賛成派議連の2008年提言では、一般永住者にまで参政権付与対象を拡大する理由として「(両者)いずれも、我が国において地域社会の一員として、日本人と同様に生活を営んでおり、その点において本質的な差異はない」と住民権(市民権)を模範にした」
上記の民主党などの主張に呼応する自治体があって、自治体によっては外国人にいろんな関与権を認めるようになっていますが、昨日紹介したとおり与那国島では正に自衛隊基地設置の可否を決める国家的重要テーマの決定まで定住外国人の投票権を認めていることが分ります。
日常生活に密着した決定・どこに信号機をつけるかゴミステーションがどこに必要かなどの日常テーマでは外国人も日本人にも差をつける必要はないと言う主張には合理性があります。
ところが国防や列島全体の産業構造配置・・国レベルで決めるべき重要問題の実施段階で地元自治体が最終決定権..事実上の拒否権を持っている我が国では、こう言う権限のない諸外国の例を持って来て外国人でも居住している以上参政権を認めるべきと言う論理、説明は実態の虚偽説明、無理があります。
本当の日常的決定・例えば自治会役員やPTA役員のなり手がなくて困っている現状からみても、外国人参政権付与運動の本音は日常的決定参加にない・・国策その他重要事項決定への住民参加に関心があっての事と推測されます。
外国人参政権付与を主張しているグループや政党の実際の運動を見ても、国政レベルでは少数の支持しか得られない野党の主張を実現するために・・例えば自衛隊違憲論や成田空港反対論→現地反対運動の激化・・国政レベルでは全く支持されていない少数意見を自治体レベルの運動として実現しようとしているかのように見えます。
成田空港開設を例にすると空港設置段階で現地に入り込んで一坪地主と言う濫用的権利者を創設して反対運動を展開していましたが、こう言うことが許されると国政で決めるべき航空政策を地域限定の敗者復活戦が出来ることになります。
既存空港で見れば、各地で騒音被害による飛行差し止め訴訟が行なわれているのも、国政レベルで決めた(日本の発展のために空港が必要と言う政策決定・・空港など不要・・国際社会の航空機時代到来に遅れてしまえば良い?と言う意見が国政決定の場で負けた)ことを司法の場に移し替えて敗者復活戦をしている構図です。
こう言う争いばかりして国の政策実現妨害が続いたことによって、成田空港の拡張一つとってもものすごい時間がかかる結果、日本が国際ハブ空港競争に遅れをとった原因であり、もしかして彼らが日本戦後復興や発展妨害意図で運動しているとすれば、その成果が出ていることになります。
いわゆるネト右翼によれば「反日野党」と言う定義ですが、私にはそれが正しいかどうか真偽不明ですが、外国人の参政権が認められる地域がドンドン広がる・・参政権の認められる外国人の範囲も徐々に広がり、決定参加事項が広がって行くと中韓から意図的送り込みが行われるようになるリスクが高まります。
意図的に送り込まれている外国人の場合、日本発展のために決めるあらゆる政府施策に反対=野党支持層に回る読みがあるから外国人の参政権実現に熱心になっていると言う見方もま成り立ちます。
国家プロジェクトに対して住民参加権を与える議決があちこちの自治体で増えて行く・・結果的に国政の少数者が国政で認められない意見に基づいて現場施行段階で国政実行を阻止出来る仕組み構築を長期間掛けて構築して来たことになります。
国政段階では1票の格差違憲論を展開して、国政決定の権威失墜を狙いながら、足下では・・過疎地・・絶対的少数派が国政実施を阻止する権利を着々と植え付けてきたのが戦後政治です。
1票の格差があって、全国の得票率の少ない方が政権を取る逆転現象があれば・・その疑いがあるならば事前に問題視すべき違憲状態ですが、4〜5百人もいる代議士の内、2〜3の選挙区の人口が比較的少ないだけでは、(その選挙区人口が増えればその選挙区の当落が逆転する保障もないし、仮に数名入れ替わるとしても・・あるいはその選挙区代表が一人減っても)与野党の代議士数が僅差でない限りトータル政権正統性に何の関連性もありませんから、ソモソモ違憲状態を言う判決自体が野党系の主張に偏り過ぎているし、マスコミも大騒ぎし過ぎています。
この後で選挙前に住民移動する戦略が普通に行なわれていることを書いて行きますが、これを実行しているのが野党中心であるコトと、全国的選挙結果にそれほど影響がないためにマスコミは全くこの弊害を報じていません。
1票の格差問題は、結果に大きな影響がない・・もしかしたら結果に全く影響しないのに何故これだけをマスコミが選挙の都度毎回大げさに騒いでいるのか?
他方で国政段階で決めたことを実行段階で小さな自治体が覆せる・・あるいは成田の一坪地主運動のように何十年も遅滞させられる国家の基本に関する不都合を何故報道しないのかの疑問です。
1票の格差論の大宣伝は、国政選挙は正統性がないが、(外国人参政家付与を主張しながら)自治体選挙の方には正統性があるかのようなイメージ操作が疑われます。

不逞鮮人がいたのか?3

GHQは強力な検閲により、記録さえ残さなければ良いと考えたでしょうが、我が国は記録魔の社会のように思われていますが、実は古くから「稗田の阿礼」の故事に知られるように文書がなければ口誦・伝承して行く社会ですから実際にあった歴史を消せません。
村々のお祭りその他文書化し難いいろんな行事がずっと伝承継承されて来たのは、口誦で伝承して行く特質があるからです。
今朝の日経新聞最終面に尾張漫才の伝承に努力している人の記事が出ています。
記録魔というよりは政治・経済事件に限らず災害その他発生した事実を子々孫々の教訓に残して置きたいという民族精神の強い国です。
アメリカや中韓では、歴史は権力者が作るもの・・噓でも権力が一定期間強制すればそれが歴史になると思い込んでいるから、戦争に至る米国に都合の悪い書籍類(名目は反民主主義思想根絶と言うのでしょうが・・)を一斉に廃棄処分を命じたいわゆる現代の「焚書坑儒」を恥ずかしいと言う意識もなく堂々と実施したことが知られています。
歴史は権力の都合で書くものではなく事実を基本として理解するものと考えている日本人としては、米中韓が勝手に作り上げた歴史教育を前提にして韓国が「歴史を重視せよ」と言い張っているのを聞くと「冗談言うなよ!」と滑稽に感じるのはこの違いがあるからです。
わが国では大戦乱があっても古文書等を避難させて後世に残す努力をするのでいろんな古文書美術品等が残っているのに対して、中国では王朝崩壊の都度前時代全面否定が原則であるために前王朝の文物がほとんど廃棄されて残っていない原因です。
日本マスコミ・文化人の主張はいつも日本政府の戦略性が弱いと言う批判・・中国の政治は戦略に裏付けられていて素晴らしいと賞讃して来た原因は、日本のマスコミ文化人がアメリカや中国流の目先主張・・見え透いた戦略が正しいと思い込んでいるからです。
長いスパーンで考えるわが国では目先の見え透いた「戦略的主張」など恥ずかしくて出来ません・・実際見え透いたことをすれば数十年後には取り返しのつかない損害として戻って来ます。
中韓や米国の考えでは、権力者が捏造すればそれが正しい歴史だと言う思想の延長でアメリカの大スキな「歴史修正主義者」と言うレッテル張りが生まれて来ます。
「歴史は史実ではなく権力者が都合よく作る宣伝である」前提であれば、これが史実と違っていないか?と疑問を呈すること自体が、権力に刃向かうものとして許されないとコトですから、歴史修正主義者のレッテル貼り=反権力者のレッテル貼り・・言論弾圧の役割を果たすようになっています。
言わば権力のよって立つ正統性批判を許さない仕組みです。
表現の自由を標榜しながら裏では自国に不利な言論を検閲し、・・日本独立後検閲が出来なくなってもアメリカのでっち上げた歴史批判を試みると歴史修正主義者として・・タブー視して批判表現自体を許さない仕組み・・西欧ではナチス再評価する意見自体が刑事罰の対象になっていると言われています・・これが欧米の言う自由な言論の正体です。
「平和憲法を守れ」「軍国主義復活・・戦争法案反対」「近代法の精神に反する」などのレッテル張りで全て議論や思考停止させる運動が大好きなグループは、アメリカ支配にどっぷり使っているコトを示しています。
事実を重視する伝統的価値観が乏しく・強い立場になれば、あるいは強いものに迎合して事実を曲げることに違和感の少ない人や、共同体利益・大義よりも個人・小義優先傾向の強かった人が、戦後アメリカによる個人の我欲・小義主張の奨励に水を得た魚のようにいわゆる文化人として幅を利かして来たように見えます。
利己主義で廻りの迷惑を考えない人・・アウトローにとって安定した社会・時期には活躍の場があまりなかったのですが、このような0、0何%に属する人が、大災害時に元気になって略奪に走るのに似ています。
声を上げられなかった大義重視型・伝統的価値観が戦後70年も経て復活し、その反撃が始まると自己中心型、小義重視型文化人?が表舞台から漸く淘汰され始めたように見えます。
不逞鮮人がいたのかどうかに戻りますと、占領軍による厳しい検閲の結果「不逞鮮人」の違法行為記録を残せませんでしたので、本当にあったのかなかったのかも記録上は藪の中ですが、その代わり日本では言い伝えが強力な発信源として伝承されて行きます。
以下伝承によりますが、占領直後は、朝鮮人から、警察官が袋だたきに遭う事件が頻発していたと言われますが、大量発生するには朝鮮人優遇の思惑が伝わったことの外に警察力を無力化して朝鮮人の跳梁跋扈を意図的あるいは結果的に煽った?ことが影響したように見えます。
検閲は、禁止だけではなく一定方向への誘導作用があることを昨日書きましたが、検挙禁止・警察力弱体化は暴発の誘導効果があります。
市町村単位の警察にすると・・隣の町に警察署があって一応の連携協力があるとしても法的関係がないままです。
こんな小さな単位で予算化して警察を組織していると、ムラや町に一人の巡査がいれば良い方・・強盗強姦をする朝鮮人を検挙すると徒党を組んで押し掛けては巡査を袋だたきにする事例が頻発・・誘発するようになります。
警察力が弱くともニッポン民族は滅多に犯罪を犯しませんが、大災害発生時にアメリカなどで略奪が起きるのと同じ原理が共同体意識の弱いグル−プに働きます。
これを可能にしたのは、占領軍による暗黙の後押しと警察組織破壊によって暴れ放題出来るようにした制度的保障・・後押しによる面が大きいでしょう。
警察から拳銃等を取り上げて武器の所持を禁じたことも含めて占領軍は占領政策円滑化の目的で?警察組織的弱体化を計ったのです。
10月10日に紹介したように首相官邸でさえ、占領軍の応援がないとデモ隊から守れないほどの警察力の弱体化が図られていました。
個別違法行為についてはネット上で元山口組長の自伝か回想録か?で彼の武勇伝として?朝鮮人の無法行為の数々が語られていますが真偽が分りません。
描写が生々し過ぎるので引用を控えますが、今のように日韓関係が険悪化していない時期・・(日韓条約・1965年直後の頃で日本から巨額援助金が支払われ、円満な時期でした)の文書ですし、田岡氏自身戦後の混乱が収まった後には在日を積極的に配下に組み入れ・融和に転じていたことが知られている・・その結果今は幹部の殆どが在日になっていますから,この自伝を書いた頃はむしろ組員の多くを占めるようになっていた在日に対する気配りもあったでしょうから、逆に抑制的に書いたと見るのが妥当です。
まだ戦後の記憶が生々しいときのもの・・現実に被害を受けた同時代人が多く生きているときですから、最低この程度は書かないと収まらなかった可能性があります。
田岡一雄に関するウイキペデイアによります。
「戦後の混乱で警察力が弱体化し治安の悪い神戸の町と闇市を三国人から守るために自警団を組み頭角を現し、登の死後長らく空位であった三代目組長へ推す声が高まった[注釈 3]。
1946年(昭和21年)10月、組の長老たちの推薦により、山口組三代目組長を襲名した。
自伝(昭和49年発行の初版)によると、神戸水上署の一日署長をした経験を持つ[注釈
自伝を発行した昭和49年と言えば、戦後まだ24年しか経過していない・・敗戦直後青壮年期(2〜30歳代)の人が殆ど健在の時代ですから、同時代人が一杯いるときに全くなかった事件をでっち上げて書いたとは思えません。

小義強調3・・悪しき個人主義1  

南シナ海問題に戻ります。
ソマリア沖海賊対策では、世界有力国の利害が一致していたので何とかなりましたが、南シナ海の場合、中国自身が秩序破壊の元凶ですから、関係諸国が一致して妨害排除行為することを想定出来ません。
国際司法裁判所判決が出ていても国際会議で非難決議さえ出せない状態ですから、国際機関決定できる訳がないでしょう。
まして、フィリピンベトナム等周辺コクには相応の餌を撒いたり脅したりして日本だけ標的の通行妨害をした場合、周辺国が連合艦隊を編制して中国軍を追い払ってくれるとは思えません。
言わばいじめっ子が怖くて廻りが傍観している・・中国がこれを利用して日本イジメ行為を実行しようとしていることは明白です。
ニッポン(は強い?)を直截攻められないから、ニッポンから遠く離れた公海での航行妨害をして周辺国に応援させないようにする程度ですが・・。
アメリカはせいぜい「航行の自由を守れ」「仲良くして下さいよ!・「暴力は行けません」と言うリップサービス・・犬の遠吠えしかやる気がないコトを今から(予算を含めた)態度で表明しています。
中国は当然アメリカの船は自由に航行して下さいとなるでしょう(・・言わなくともアメリカの船を拿捕・撃沈する勇気はない)から、結果的にアメリカの船だけは航行自由となれば、日本はアメリカ籍の船に輸送を頼むしかなくなる関係です。
昨年までのいわゆる安保法案に関する議論では、こうした新事態に備えた議論がなかったように思えます。
ソモソモ自国・・自宅に押し入る強盗からの「自衛」だけを関心にして戸締まり・自衛戦力・SECOMなどの契約や防犯カメラ(集団自衛権)さえ不要論が幅を利かしているニッポンの議論は、世界でも特異な思想状況にあると言うべきです。
http://todo-ran.com/t/kiji/18471
「各都道府県選挙管理委員会の発表から、2014年12月に行われた第47回衆議院選挙比例代表の民主党得票率ランキング。
民主党の得票数は977万5991票で、有効投票数5333万4447票に占める得票率は18.33%。」
上記のとおり実際の選挙結果では民主党→民進党の支持率20%あるかないですが・・マスコミ報道になると「圧倒的市民の声を無視した横暴を許さない」など「文化人」の応援一色です。
マスコミを見ていると、憲法学者も作家その他文人の殆どが反安保法の意見で一致しているイメージですが、この洪水的思想教育に共鳴する不心得者?が20%前後しかいない・如何にニッポン民族の共同体意識が根強いかが分ろうと言うものです。
元々社会には言って率のはみ出し者がいるのですが、そう言う傾向の人が「お前のやっていることは素晴らしい・・意識が高い!」と大義名分を得てクレーマーやモンスターに育っているように見えます。
私の家も製品不都合があるとメーカーに連絡しますが、データが少しでも多く集まれば改良チャンスが増えるだろうと期待するからであって、苦情?を言うつもりは全くありません。
戦後70年間も洪水的反共同体思想を宣伝しているのに共鳴しているのに約20%どまりですから、如何にマスコミや文化人が国民意識とズレているかが選挙結果で明らかです。
ただしズレが大きいほど彼らのエリート意識がくすぐられてやる気が出るのかも知れません。
非武装平和論者と支持母体を同じくする団体は何かと新しい分野・・社会の変更発展に人権等を理由に世界基準を持ち出して批判を展開するのですが、重要問題になると全く世界標準を無視しています。
この辺は秘密保護法・・スパイ防止法反対論でも防犯カメラ(肖像権)でも人権侵害されると宣伝するのですが、スパイ防止法のある国は人権侵害国家なのか?集団安保・・相互防衛条約のある国は皆軍国主義国家なのかと言う疑問には全く答えません。
先進国で相互防衛条約を締結していない国がどこにあるかも答えません。
公海の安全航行権の保障に戻りますと・・最寄り駅から自宅に至る公道・・公の空間で何があっても「知らん顔をしている」といつの間にか誰かが?解決してくれる・・「自己中心主義だけで世の中の秩序が保たれるのか?」と言う基本に立ち返った議論が必要です。
ここ数日書いている大義を重視する精神の欠如・・・・小義強調・共同体維持の価値観否定運動がいつから蔓延して来たのか、マスコミや文化人・学者の多くが何故これに共鳴しているかの疑問です。
自宅などの個人範囲を超えた全体・公けの秩序を誰が守るのか?軍が出動した場合に兵士の生命の危険を心配して反対するなど・・世界でも稀なニッポンの民族・共同体意識(国民意識に牢固として根付いていますが・・)を破壊する思想宣伝がいつから始まったのでしょうか?
ニッポン民族は元々自己利益よりも共同体利益を最重視する社会であるからこそ、今でも道路・公共空間は掃除が行き届き、電車の時間が正確で環境保護に敏感ですし犯罪も少ないのです。
個人利益ばかりを主張し全体がどうなっても良いような主張が素晴らしいと応援するマスコミ宣伝と実際社会のあり方や選挙結果とは大きくズレています。
我が国では、古来から蒙古襲来時の地元武士団の奮戦や前回戦争でも、特攻隊員の意識や1分1秒でも長く米軍を足止めして祖国への侵攻を遅らせるために硫黄島や沖縄で死闘を繰り広げたコトから分るように、「公」共同体・一族のために命を棄てることを惜しまない民族性です。
戦前にこう言う宣伝するマスコミや学者が全くなかったことは公知の事実ですから、共同体破壊運動への転換の始まりは米軍占領政治が起点であることは争いのない事実と思われます。
ニッポン民族の強固な共同体意識・・負けが決まっていても最後まで死守するニッポン兵に手を焼いた米軍の経験からして、米国の占領政策の第一に強固な共同体意識の解体があったのが必然です。
米国はニッポン民族自体を他の被植民地以下の境遇にしてしまう目的で始めた戦争でしたから、占領後これに抵抗されないようにする第一目標が「公」共同体意識の破壊にあった・・占領後最初の仕事が神道敵視政策であったことその他やって来たことに共通項があります。
共同体を命がけで守る意識を解体し自己中心主義社会になって行けば、自然に治安が乱れます・・これが狙いであったでしょう。
占領軍が治安悪化を望むのは異例ですが、占領政策の手足として在日を利用しようとしたことに原因があったと思われます。
欧米植民地支配の常套手段ですが、英仏等の支配者が恨まれないように過酷な現地人搾取や弾圧などの汚れ仕事(中間管理職?)を他所から連れて来た異民族にやらせていました。
アフリカではインド人を使い東南アジアではインド人と華僑を使ったので現在でも支配階層に華僑・イン僑が浸透しています。
中国人がアジア諸民族の代表として正義を主張し欧米と戦ったことがない・逆に欧米の手先になり易いのは、専制支配下の生き方しか知らないので正義の基準よりは強い者の手先になる競争精神が染み付いている外にこうした長年の経験・実績によっています。

大アジア主義から三民主義→排日(光復)思想6)

以下は孫文が神戸で行なって大人気を博した大アジア主義の演説の要約ですが、これが排日運動に中心に変わって行った結果・・内政を怠っていた国民党が共産党に食い荒らされてしまった経過を見て行きます。
「孫文の講演の内容を次のように伝えています。孫文は、ヨーロッパの侵略によって衰退を続けたアジアが、日本による不平等条約の撤廃をきっかけに復興へと向かったこと、アジアの諸民族は日露戦争の日本の勝利によって勇気づけられ、独立運動を起こしたことを指摘します。その上で欧米の文化を物質的且つ武力的とし、東洋の文化を精神的道徳的であるとの対比を行い、東洋民族が一致団結して欧米と対抗することを呼びかけたと書かれています。」
マサに幕末から欧米的道義に対する日本の基本思想そのものを孫文が表向き?主張していたコトが分ります。
中国の現場から離れた日本での蹶起集会では高尚な議論が受けるでしょうが、清朝が現実に倒れてしまい、現実政治・・国内での支持者獲得競争が現実に始まると、大きな標語だけでは支持されません・要は実利・・支持者向けスローガンが必要です。
日本でも外交は票になり難いと言われる所以です。
上記孫文の演説によれば、アジア人の自立思想で革命?清朝打倒運動が始まった筈なのにいつの間にかアジア人同士争わせる欧米の術中にはまり、欧米の手先となって日本排撃が優先課題になってしまい、日中対立が基礎的目標になって行った原因を考えておきましょう。
孫文は世界国家論では国内の支持勢力を増やせないので、その後人民向けに三民主義・官吏の清廉性・農地分配・主権重視を発表して支持獲得競争に乗り出しましたが、国内勢力争いを繰り返しているうちにこれがいつの間にか後継者蒋介石によって反日闘争中心にすり替わって排日にのめり込んで行きます。
これまで書いて来たように蒋介石が北伐成功で支配地を獲得してみるとどうやって農地を地主から取り上げて分配するの?実現性がなかった・・実行出来なかったから,外に目を向けて一致団結を強調するしかなかったからでしょう。
元々蒋介石あるいは孫文らを支えて来た各地軍閥は各地の有産階層を支持基盤にしていますから、地主から農地を取り上げるのは無理があったのです。
ソ連でも農地の取り上げには農民の抵抗がありましたが、元々大領主・大貴族の元で農奴として働いていた人が多いのに比べて中国の場合細分化された地主層相手ですからこれを取り上げるのは簡単には行きません。
そこで地域大国のメンツを潰されたことに対する心情・・「日本のハナをアカしたい」と言う心情に訴えるのは、国内で反対勢力がいない・・利害対立する各派の支持を得るのに好都合で支持者獲得に大きな効果が期待出来たし、頭角を顕して来た日本叩き気分・・排日機運が充満している欧米(ドイツも日独同盟までは蒋介石に軍事援助していました)の絶大な応援が期待出来たからでしょう。
以上は一面的見方で書けば・・と言うだけで、日本が対支21か条要求など・・過剰要求?して行ったことも関係しますので日本を頼っていた蒋介石など親日派もドンドン反日に傾いて行った・・・(逆の立場から言えば、対支21か条要求も人によっては解釈の違いがあるでしょう)何事も一面だけでは判断出来ませんが、ある一面の見方を紹介しているだけです。
内政より外敵ばかり目標にしていた・・そうすれば米国から援助が来るし・・と言うことで国内の利害調整能力を磨く努力を怠っていたのですが、外敵日本がアメリカに敗戦してしまうと国民の目を向ける相手が国内の共産党しかなくなりました。
この最終戦・優勝決定戦で、蔣介石軍は対日戦の正面の戦いにうつつを抜かしていた国民党は、同党を日本の正面に据えて消耗させる戦術をとり、地道に国民の支持を増やしていた共産党に完敗してしまいました。
https://ja.wikipedia.org/wiki毛沢東によれば以下のとおりです。
「1937年7月7日に始まった日中戦争では抗日戦線を展開、国民党軍とともに、アメリカやソビエト連邦などの連合国から得た軍事援助を元に日本軍と対峙する。しかし、日中戦争において日本軍と交戦したのは主に国民党軍であった。共産党側は、朱徳率いる八路軍が日本軍へのゲリラ戦を行う以外は日本軍と国民党軍の交戦を傍観し、戦力を温存して、共産党支配地域の拡大に傾注したのである。この時期、毛沢東は「力の70%は勢力拡大、20%は妥協、10%は日本と戦うこと」という指令を発している[14]。なお毛がまとめた『持久戦論』では日本軍の戦略を「包囲は多いが殲滅が少ない」と批判している。毛沢東は延安で、日本軍が南京を陥落させたニュースを聞いて大喜びし、祝杯をあげ大酒を飲んだ。
毛沢東は裏で日本軍と手を結び、蒋介石と日本を戦わせて漁夫の利を得ていた。延安で八路軍が栽培していたアヘンの販売で日本軍と結託していた。また積極的に占領区内の日本軍と商売を行い、晋西北の各県は日本製品であふれていた。中共指導者と日本派遣軍最高司令部の間で長期間連携を保っていた。毛沢東の代理人は、南京の岡村寧次大将総本部隷属の人物であった[15]。」
英雄視されていたチャーチルも戦争が終われば用済みとなって、次の選挙で負けましたた。
パク大統領も対日悪宣伝外交に専念していたので、日韓合意の後でイザ内政に戻ると惨憺たる有様です。
共産党政権が農地分配を実行・・強制出来たのは、競争相手がいなくなった・・独占勢力になったので政敵の動向を気にする必要がなくなったので、強引なことが出来た・スターリンが国営農場化反対農民をドンドンシベリアに送ったように、中国共産党の強権・・地主や自作農が土地を取り上げられても抵抗出来なかったからです。
中共政権も権謀術数で国民党の支配を切り崩して来ただけで,戦後直ぐの片山内閣や日本の民主党同様に政権を取ると具体的内政能力がないので大変です。
三民主義の思想継承で、分配実行までは強権支配の良い面・・実行力を示せたのですが、分配が終わってみると、(有産階層を追放すると実務能力がさらになくなります)生産性低下のマイナス効果に脅かされて行きます。
どうして良いか分らないので、スターリンの場合粛清に続く粛清で政敵を倒して来たことが有名ですが、毛沢東の人生を見るとほぼスターリンの踏襲で頭角を現し、最後まで粛清(文化大革命も大掛かりなだけでその一種です)によって地位を維持して来たといえるでしょう。
中ソ対決はフルシチョフが粛清に継ぐ粛清をして来たスターリン批判をしたことを、修正主義と毛沢東が批判して、中ソ対立が始まったものです。
政敵を黙らせる道具として修正主義批判・レッテル貼りが便利なツールとなり、以後共産主義独裁国家に於いては粛清の道具・・民主国家に於いては左翼系が支配するマスコミ界・・言論空間で盛んに歴史修正主義者と言うレッテル張りが行なわれるようになりました。
蒋介石同様にアメリカの後ろ盾があってのことですが、これさえ言えば政敵や意見の違う言論人をマスコミ等言論空間から全面的シャットアウト出来る便利なツールになります。
毛沢東のフルシチョフ批判は、ちょうど明治日本が開国したのを朝鮮が批判してバカにしていた(これに対して征韓論が起きました)のに似ています。
鄧小平の改革開放を北朝鮮が「裏切り者」と批判するような超反動的レッテル貼りになります。

目的と手段の違い3

中華思想と民生重視の関係に戻りますと、栄華復興のために産業の活発化・民生重視が必要であり、対立する軍閥と差を付けるために、(民の支持を引きつける手段として・・)三民主義を掲げるのと、民の幸福を目ざして政府を樹立する場合の民生重視とでは、意味・位置づけが大違いです。
政権獲得手段に位置づけて民生重視する場合と最終目的に位置づけるのでは出て来る表面の現象は一見同じでも大きな違いになります。
政敵を葬る手段として汚職撲滅を主張して政敵ばかりびしびし取り締まるのと、本当に汚職のない清廉な政治を目指すのとでは、実際の効果が大違いであると言えば良いでしょうか?
公害垂れ流しで空が見えないほどになっている中国にも、先進国基準に準ずる環境規制があり、その他先進的法制度(労働法規や衛生基準)がありますが、これは先進国に「バカにされない」ためと内国企業に下駄を履かせる「外資嫌がらせ目的」ですから意味が違います。
内国企業はいくらでも袖の下でお目こぼしがある・・外資あるいは政敵系に対しては少しでも違反(環境規制に限らず保険衛生基準や労働基準も皆同じ)がないかしょっ中目を光らせるので、外資には先進国並みの厳しい規制が適用されるので、(他方就労する中国人のモラル・法令遵守意識が低い・・マクドナルド工場の非衛生な実態がテレビ放映されて大打撃を受けました)内国企業に比べてものすごいハンデイがあります。
内国企業でも保護してくれていた政治家が主流から外れた途端に、これまでお目こぼしされていた各種違反がイキナリ摘発される運命ですから、法治主義ではなく、人治主義の国と言われている所以です。
環境規制や汚職が行けないと言う法制度は全て手段であり目的ではありません。
この手段と目的の取り違え社会は実は、先秦諸子百家・韓非子の法家の思想から始まっています。
法家の思想は「正義」の主張ではなく、専制権力を効率的に行使する・・ロボットのように内容の是非に拘らず決められた職分を機械的に守らせる思想だったからです。
取り締まり目的ですから権力に取り入った方にはお咎めなしの原則です。
専制支配のためには法が細ければ細いほど権力者に都合が良いので煩さ・細かくなる一方でした。
秦朝を倒した漢の劉邦が真っ先に「法三章」(大枠)のみと宣言したのは、如何に人民が煩さな法に困っていたかを表しています。
2003/05/10「中国の法形式主義1(法家の思想)」で、この辺の違い・・今の法治主義との違いを紹介しました。
日本では「法」と言えばトキの権力者も侵すべからざる超然たる正義ですが、中国では権力者の都合で法を決めてしかもその運用も権力者の意向次第という理解で約2000年間もやって来たのです。
同じ「法」という漢字でも日本と中国では意味がちがっていたのです。
日本では古来からこの違いを前提としてトキの権力者の都合で変わる形式的ルールについては、「律令」として法の漢字をあてていません。
専制支配を確立した始皇帝がこれは便利だと採用し、約2000年間以上も続いて来たのが中国地域の支配体制です。
こう言う社会では社会実態を無視した・・・いくらでも厳しい法律の制定が可能です・・「上に政策あれば下に対策あり」と言われる社会ですから、国民の方は権力に近ければ法令など全く無視して事業運営が出来るし、政敵だけ取り締まられる関係ですから気にしません。
ソモソモ政府自身が、法を守っていません・・名の知れた政府高官でさえ、いつの間にか行方不明になって、半年ほどしてイキナリ党紀違反があったので党規律委員会が取り調べていると言う報道がでて裁判が始まる仕組みです。
法に従った手続はそれから始まる・結果が決まってからのセレモニーになっています。
習近平政権までは内部抗争があっても常務委員などトップクラスには直接手を出さない不文律があって精々影響力が弱まる程度の政争にとどまっていました。
露骨な政敵潰しがなかった・・・一応権力者は共産党と言う1枚岩の強力な独裁政権だったので、共産党にさえにらまれなければ、どうにもなる・・子供を共産党に入党し内部で人脈を作れば良い簡単な関係でした・・民主国家のように野党与党が簡単に入れ替わることがないので安心だったのでです。
専制君主制度下で優秀な人材が官僚に組み込まれて行く関係の現在版です。
専制体制・・すり寄る相手が単純でリスクが少なかったことも汚職文化が根付いた原因であったかも知れません。
こうして内部エリートとして育って来たのがいわゆるダンパ・・専制君主時代の官僚であり、太子党(共産党創設時に功績のあった人の子孫)とは専制君主時代の名門貴族(王朝創設時に功績のあった人)の子孫となります。
中国王朝は毎回、科挙選抜の官僚層と名門貴族の抗争が政治の主たるテーマでしたが、・・例えば唐時代の有名な詩文家韓愈が左遷されるときの漢詩を紹介したことがあります・・今までこれが繰り返されて来ました。
腐敗、汚職に戻りますと、2000年間あまり・権力にすり寄ることが最重要価値観・・汚職と言う意識さえなく、みんなが袖の下を前提に生活している社会で、頼りにしていた人が失脚すると一族の範囲どころか「罪九族に及ぶ」(何故九族に及ぶかと言うと一族の族滅→姻戚関係に及ぼす→そのまた姻族となるので結果的に九族の範囲までで打ち止めとなって行くようです)、と言われる社会でしたので、当然その庇護下にあった周辺に不利益が及びます。
こうして大幹部の失脚があるとその周辺もイキナリ汚職で検挙され各種嫌がらせを受けてしまうことも2000年間あまり続いてきました。
こう言う社会は汚職やルール違反が行けないかどうか・・人として何をして良いか悪いかよりは、非主流に転落することがマズイことだと言う最大の行動基準・・価値観が基本になります。
日本から、公害除去装置付きで売ると中国企業から、生産効率が下がる(コストが高くつく)から取り外して欲しいと言われるのが普通と言われています。
環境を守るのが主目的ではなく、先進国並みに規制があると言う外形・・国威にこだわっている手段に過ぎないからです。
清朝崩壊後無数と言えるほど各地軍閥が入り乱れていた新興勢力の中で、孫文とその後継者蒋介石による三民主義の大宣伝・・農地再分配部分の強調は、政権支持者獲得手段として、国府軍が支配を広げるときには農民兵の志願者が増えるなど大いに役立ちました。
ところが、北伐に成功し実際に支配地経営が始まってみるとどうにもならなかった・日本の民主党が政権獲得手段として実行出来ない政策を主張していただけで実際にやる気もなかったことから、政権を握ってみるとマトモな政治が出来ず信用を失ってしまったのと同じです。
賄賂社会に戻りますと、中華民国政府の綱領・・三民主義は立派な理想を書いていたので、当初庶民を引きつけ国民党軍への農民志願者が集まったのですが、国府軍・・蒋介石政権が(支持を取り付ける手段だけではなく本気で民生重視を考えていたかも知れませんが)共産軍より早く政権を取った関係で、具体的実行段階になると社会末端まで不正社会でなりたっているので、腐敗の泥沼に飲みこまれてしまった印象です。
共産党軍は遅れて支配を伸ばした関係で、日本敗戦時にはまだボロが出ないで有利だったことになります。

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