外出規制緩和10(韓国の実験と監視社会化3)

専制支配体制が長く続く社会の人民は、自主的価値判断で動くのはリスクが高いので、専制君主のご機嫌を損ねないことが優先順位となり最悪の場合処罰されるかどうかの外部基準に頼る社会になっています。
専制君主に直接接点のない末端人民に至るまで、人民は処罰さえ受けなければ(法網をくぐる技術重視)良いという正義とは何かを考える余地のない社会になり、正義とはなにか?自発的価値観を育む経験がないまま、千年単位過ごしてきたと専制支配社会の特質を書いてきました。
政治世界では世の中を良くするための知恵をしぼるよりも保身・権謀術数に勝ち抜く訓練が優先順位になります。
個々人は社会貢献よりも私腹をどうやって肥やすかの金儲けだけが基準となり、自粛と言われてもどの程度自粛すべきかを考える訓練機会が子供の頃からないので、自主判断能力が育たない社会になっています。
日本でも成績優秀者・・模範解答を勉強するのや忖度に特化したひとは政府の方で早く自粛基準を示してくれないと困るという大阪府知事のような変な要求が出てくる点では似ています。
自治を守れと声高に主張しながら具体論になると指導基準を示してほしいという人が少なくありません。
自主判断・自由行動禁止になっている社会と自主行動推奨社会でありながらどうして良いか分からない・・一定基準に達しない人のために、参考基準・・マニュアルが必要なのは似ていますが出発点の方向が違います。
人が自主的にどこまでやれるかを年齢順で見ると小中高校、大学〜社会人と順次レベルが上がっていくのが普通です。
同じ年齢でも能力差がありますので、マニュアルがあった方が低レベルの人も一定水準まで真似できます。
特措法では、政府が緊急事態を宣言すれば都道府県が地域の実情に合わせて対策を決める仕組みですが、大阪府の要求を見ると政府指示待ちの習慣が出てきたようです。
感染率の上昇や縮小といっても地域差が大きい上に、地域の産業構造も違うので緊急事態かどうかの判断権は中央政府にあるとしても個別施策は地域の実情に合わせてやって下さいというのが特措法の精神です。
韓国のコロナ関係統計を見ていると韓国のコロナ政策がうまくいっているようなのにメデイアによるこれといった紹介がないのを不思議に思っていましたが、韓国が外出規制解除に動いてから一気に韓国のコロナ政策内容が公開されるようになってきました。
韓国の政策特徴は、日本の微温的政策と違い監視社会化を大きく進めていたことが大きな違いのようです。
メデイアが韓国でこんなことしているから日本も学んだら!という報道をしないのは、何もかも中央政府が国民一人一人を監視し指示し、地方や国民が政府指示通りに動く社会を理想化する意見が日本人には少ないと判断したからでしょうか。
能力が低くて指示待ちになるのは個人の問題ですが、能力の有無に関わらず政府が前もって指示してくる仕組みになる・・能力ある人の日々の日常行動まで自主判断が許されない社会になると民主主義の本質が破壊されるように思われます。
専制支配に慣れた社会では、自由は重たすぎるので恐怖感利用による指示政治の方になじみが良いのでしょうか?
韓国の規制緩和の結果を見ると中国の真似をした監視網構築であるものの、中国ほど徹底できない・・半端さでウイルスの報復を受けたような印象です。
国際政治力学的に見れば、中国の台頭と歩調を合わせた慰安婦騒動以来の韓国民の行動を通じた心情をみると自由主義陣営に属しながらも本当は自由より専制支配されていた昔が恋しい意図がアリアリの印象でした。
表向き米国中心の自由主義陣営に属しているものの、内心では自由は辛い・・99%中国の属国に戻った気分になっているように見えていましたが、今回の韓国のコロナ対策の具体化が徐々に報道されるようになってみると、表面上自由主義社会の一員にかろうじて留まっているとは言え、社会の実情としてはいわゆる監視社会化を中国パターンにあと一歩まで近付いた極限社会になっていた印象です。
人権(個人情報保護)にうるさい西欧諸国でも対コロナ禍では緊急事態下で相応の厳しい規制をしていますが、1律の外出制限等にとどまっているののたいし、韓国の個人監視運用を見ると民主主義社会の一線を超えている印象です。
韓国民にとっては歴史始まって以来専制支配下にあってもともと専制支配体制に服する方が気持ち的にピッタリして落ち付きの良い民族性の上に、北朝鮮の専制支配に憧れる文政権成立でこれをチャンスに?急激に監視社会化が進んだということでしょう。
日本では安倍政権が休校自粛要請するだけで、教育の中立性侵害という批判論が朝日新聞で紹介される社会とは大違いです。
コロナ禍をダシにしてなし崩し的に何でも決まって行く・軍靴の音が聞こえてくる式の政権批判論がメデイアの基本姿勢ですが、一方で安倍政権は右往左往していて指導力がないという政権批判論を煽っていますが、「韓国がうまくいっているのに」という喉まで出かかっている単語を持ち出せないのは、休校要請や自粛要請批判と韓国の強制力の激しさと矛盾してしまうからでしょう。
そこでやむなくドイツがいかにうまくいっているかの宣伝が激しくしていたので、このシリーズで国際比較の一環としてドイツのデータも一緒に表を引用して紹介してきましたが、ずっと日本の10倍以上も死亡発生していますので、これまたなぜ「ドイツがこんなに成功している!」と安倍政策失敗の比較例になるのか不明になっています。
誰もが国際統計をネットで見る時代に、結果比較でおかしすぎるので恥ずかしくなったのか?最近ドイツを賞賛する根拠不明の記事が減りました。

外出規制緩和9(韓国の実験と監視社会化2)

コロナ禍による行動監視や歩行禁止は、個人の意向など無視できるほどの社会防衛の必要性があるのでしょうか?
昔の言い方で言えば、法定伝染病に罹患していれば公共の福祉・・社会防衛のために強制入院を命じられるのは元々の法原理ですが、感染している証拠がなくとも

a「感染させる恐れ」
b「感染する恐れ」

だけで道路を歩いたり人混みに行くのを禁止できるかの疑問です。
上記bの場合、本人がリスクを取ればいいだけで国家が直接強制する必要がないでしょう。
多量の飲酒や喫煙が健康に害があるとしても、政府がキャンペインや増税したり歩行中喫煙や公共空間での喫煙禁止などの間接的抑制を図るのは別として、飲酒や喫煙自体を直接処罰するのは行きすぎです。
上記aの場合、検査しても陽性でなく発症もしていないが、まだ「潜伏期間」かも知れないから危険だという思想でしょうが、いわゆる濃厚接触者・・感染者が多数出ている艦船の同乗者、あるいは、感染拡大中の地域から来た人や帰って来た人に対する相応の嫌疑をかけて潜伏期間とされる2週間ほどホテル等指定箇所で外部接触を絶っていただくのは一応の合理性があります。
前後の状況、挙動不審等の相応の嫌疑根拠があれば警察〜検察が一応の証拠で令状によって、合計約22日間逮捕〜勾留できるのと似たような機能です。
ホテル等と留置場とでは待遇がまるで違う点があって許容性が高まるでしょうが、現状は「陽性反応もないので自宅に帰る」と頑張られると強制できない運用です。
軽症または未発症の陽性反応者でさえ、隔離ために自治体がホテル等を大量に確保したのに、(入院の必要がないならば陽性反応者でさえ)ホテルへの移動に大多数が応じていない現状が国民意識を物語っています。
法で強制する方向の議論は起きていません。
陽性反応どころかなんら感染の疑いもない人をある地域に住んでいるといいうだけで政府が一定期間自宅やホテル等へ強制軟禁するのは憲法違反の人権侵害でないか?というのが現在日本人の大方の意識ではないでしょうか?
半径100〜200メートルまで自由なら良いと言えるでしょうか?
出歩かないように協力お願いが限界というのが国民意識ではないでしょうか?
お願い程度にすべきという意見は、根底に国民の大方が自主判断でやるだろうとの信頼があるからでしょう。
欧米では非常事態宣言が出て特定人目的でなく、その地域住民全員に対する客観指標による強制の場合、恣意的に行わないので公平だという考えでしょうが、よほどの必要性とのバランスでしょうが、日本ではそれも許容範囲外です。
まず自粛でやってみて、それでどうにもならなければ一段の強化を考えるという順序です。
欧米では一足飛びの刑事罰のある外出禁止ですが、人権人権という割に、国民に対する信頼感が低い証左です・というか、もともと国民の権力に対する信頼感がないから人権人権と騒ぐ必要がることも何回も書いてきました。
監視社会に戻します。
本人の意思に関わらず日常的に細大漏らさずデータが蓄積される社会になっていてコロナ禍等の特別なときだけ権力支配ができるとしても、サイバーテロのようにちょっとした能力さえあれば侵入して特定人物の行動を監視できる社会になるのはおぞましい限りです。
個人特定情報拡散防止規制があっても、国際スパイ網はこれへの侵入を試みるでしょうし、権力闘争者も与野党を問わず裏情報としてこれを利用する誘惑にかられるでしょう。
個人情報保護規則を如何に精密にしても「盾と矛」の矛盾関係で精密な防御技術を作る能力のある人はそれを破る能力もあるのが原則で、100点の技術者が一人で2番手が90点以下のように突出した能力がある場合破るのが難しいとしても100点代の技術者が1000〜1万人いる場合、全部を権力・体制内に囲い込めないのでそのうち数人でもアウトロー側に回れば、簡単に防御陣が破られる原理です。
剣の達人で言えば、ど素人が不意を襲っても達人に負けるとしても、甲乙付け難い能力者同士の戦いでは正面からの正式試合でさえも、当日の体調や事前練習の仕上がり次第で勝ったり負けたりの3勝2敗等で勝敗が決まっていくものです。
テロ・攻撃側は密かに相手の隙を狙う点で、剣の達人が寝ている隙を狙って、あるいは背後からいきなり切り掛かるようなものですから、100点対80点程度の実力差があっても勝てるような関係ですから攻撃可能な人材の裾野はものすごく広くなります。
だからこそ、情報収集自体を許さないという「のほほんとした」個人情報保護規制が発達してきたのですが、そういう「のほほんとした」時代が終わりつつあることが白日の下に晒されたということでしょう。
防犯カメラはそれ自体では事件が起きてから時間をかけて巻き戻して見るしかなかったので、(千葉県弁護士会館でも防犯カメラが設置されていて事務局の奥に映像が常時流れていますが、誰も映像を見ている暇がなく、日常的監視不能でそれほどの被害がなかったのです。
現在ではコンビニその他でのカード利用と結びつけてそこでの防犯カメラの膨大な映像によって、(Aに対する縦横斜めの立体映像が完成していて)スマホ等の位置情報と紐付けたうえで、AI駆使によって瞬時に・・ある事件現場のお店の防犯カメラに片足しか写っていない人物特定が可能になってもおかしくない現状です。
権力者やスパイ等が、Aの日々のリアルタイムの情報が欲しければ現在どこの高速道路上で、どこに向けて走っている・車中から誰に電話中か、メール中か、どの動画視聴中かも分かる・・3日〜1年前に遡ってBと会話していないか・・同席していないかも分かる時代が目前にきているかもしれません。
日本の場合、全て忖度、自粛・自主判断に委ねる社会であって、守らなくとも処罰される社会ではありません。
メデイアはしきりに忖度を批判しますが、周りの空気を読んでこのように動くべきと自主的判断で行動する社会・魚群のような無意識で一体行動のとれる社会と上からの指示命令に反しない限り何をしても良い・・自主的に気配・・価値観を察知する訓練のない社会とどちらが良いかです。
自粛・自主判断重視社会では処罰がない分、基準もファジーで済みますので厳格な監視社会に繋がりにくいでしょう。

外出規制緩和基準3(ウイルス死滅が分かるか?1)

治療薬開発成功するまではコロナ禍沈静に成功した経験を活かすしかないのですが、これまでの経験を活かすならば、ロックダウン解除〜経済娯楽活動再開するにしても、従来と違った就労・娯楽パターンへの切り替えに成功した企業に限定すべきように見えます。
従来型のままでの経済活動再開では、何故今後安全になったと言えるのかの理解困難です。
13日日経新聞朝刊36p「疫病の文明論7中国の歴史」を読むと中国は古来から広大な地域と人口を擁していたので、集団免疫戦略で疫病が広まるとなすがままにする?しかないので、その内収まるので生き残った人が人口爆発で盛り返せばいいというような暗黙の合意・思想があるような解説です。
中国は古代から広大で人口が多いということ自体同意できませんが・・。
古代には国境がなく地球が広いという程度ならどこに住む民族でも同じです。
ちなみに疫病の疫とは、兵役の役の右側・・たて鉾を持って病と闘う文字で防疫とは文字通り戦争だったようです。
今回の武漢封鎖ではなぜか武装兵士が繰り出して要所要所を固めたほか、医師団、看護団その他要員を軍事組織のように編成して全国から動員して野戦病院を建て、戦時体制で対応していたのはこの歴史によるようです。
戦争なので負けてられない・・民間では「駆邪逐疫」で大人数動員で爆竹を鳴らしドラを叩いて大騒ぎするようです。
この文章を読んで(上記の通り中国の歴史としては同意できないものの)思いついたのですが、米国各州でロックダウン解除に動き始めたのは、米国得意のスクラップアンドビルド・・現在版の「どこかの町がダメになれば放っておけばいい、元気な町が頑張れば良い」ということでしょうか?
人間で言えば、なんとなくコロナに感染している人の圧倒的多数は下層労働者(不法移民が多い?)であると分かってきました。
米国ではとてつもない格差社会が構築されていて、住む場所も何もかも違い・・製造工場や各種サービス現場を再開した結果現場労働者がバタバタ死ねば、いくらでも移民を入れて補充すれば良い、いくらでも米国に来たい人はいるという姿勢があるのでしょうか?
武漢全面封鎖には驚きましたが、昔流に言えば、武漢城を厳重包囲して、城外へ人一人も出させないで城外への感染を遮断する・・その間に、城内に侵入したウイルス掃討作戦をするという現在版でした。
城を乗っ取った犯人も人質も区別なく容赦なく大砲や機関銃をガンガン打ち込むのと違い、一応籠城中の市民には食料配給し、治療行為をしていた点は現代的で、中国も結構やると思いましたが・・。
以上は冗談として、増加こそ止まっているものの日々の感染者数が高原状態で高止まり状態のアメリカや西欧諸国がどういう合理的成算があって解除に踏み切ったかに戻ります。
韓国が5月始め頃から解除に踏み切っていますのでその結果から見ていきます。
5月9日には韓国で規制緩和した結果、感染者が出かけたナイトクラブで大規模感染が判明したとニュースが出ています。
韓国も感染者との隔離・距離政策で感染縮小に成功した過ぎない以上、隔離前と同じ業態→濃厚接触再開すればウイルス感染が再開するのは当然ではないでしょうか?
韓国では新規感染が止まっていたので、国内にウイルスは最早存在しないと思い込んでいたのでしょうか?
あるいは集団免疫が成立していると思ったのかもしれません。
韓国内ウイルス絶滅論の合理性は、ウイルス生息環境に対する考え方次第ですが、プラスチックスや金属製の手すりドアノブ等に付着したウイルスは72時間も生きていると言われますので、この思考方式からいえば、生物体内に入り込まない限り最長何時間という実験をして生存期間が分かっているのでしょうか?
いろんな物質に付着させたり、乾燥した空気内で何時間とか紫外線に何時間など多種多様な実験をすれば、生物外での寿命がどのくらいかの実験はある程度可能でしょうが・・。
生物・・当面人間限定と思われますが、人間体内に入り込んだ場合の発症までの時間簡単に実験できず、いろんな結果からの推論でしかない点が、難しいところです。
発症者の感染場所機会を推定して、その日から検査して要請になった日までの期間が2週間前後が多い、あるいは最長で二十日前後しかないという経験に頼るだけであって、論理的に1ヶ月生きられるはずがないという論理が全くありません。
2週間〜20日以上の潜伏期間経過しても新規感染者が出ないとしても「逆は必ずしも真ならず」の原理通りで、ウイルスと体内抗争していた結果これといった発熱もなく数ヶ月経過で漸く完全駆逐(気がつかないうちに治った)した人がいないとは限りません。
日頃誰でも頻繁に経験する「軽い風邪にかかったのかな?」という罹り方をして忘れてしまうことが多いですが、このような軽い付き合いで終わる人が意外に多いのではないでしょうか?
こういう人はインフルエンザ等のウイルスを駆逐したのかゆるい症状で共存しているのか外形からは不明です。
この程度の人は検査を受けるチャンスが稀です
結果からの推論の場合、未発症のまま治ってしまった人は最後まで検査に来ないので、どの程度の期間、未発症・・体内でウイルスが潜伏していられるかの統計がありません。
まだどこでいつ感染したか不明の人が発症した場合には、感染したのが1ヶ月前か2ヶ月前かもわかっていません。
ほとんどの病気に急性〇〇炎と慢性〇〇炎や〇〇症の二種類がありますが、慢性の場合、我慢できない酷い症状がある人ばかりでなく時々調子悪いことがある程度の軽い人が一杯います。
このように病気と適当に付き合うのが上手な人がいっぱいいますし、大腸内で共存している大腸菌みたいにコロナウイルスをうまく飼い慣らしている人がいてもおかしくありません。
大腸菌の場合腸内にいる限り人に悪さしないのですが、糞便になって体外に出るとこれにそのまま接触するとお腹を壊します。

教育の中立と休校協力2(米山意見3)

日弁連・単位会も外部からみると自治にこだわる特殊集団の位置付けになっているのでしょうか?
若手弁護士の実力低下論は本当かどうか不明ですが、鋭い論理で丁々発止と戦う能力にかけては老人の方が弱くなっていますが、若手には利害調整型事件を経験するチャンスが減ってきているのかもしれません。
今回のコロナ禍で裁判所機能が停滞したことによって、裁判所関連の公的職務激減による影響が若手に大きく出てきたのを見ると、中堅若手の多くが後見人や国選あるいは管財事件、相続財産管理隣島裁判所発の発注?に頼っている経済傾向が窺えます。
激しく争っているように見える刑事弁護であれ、後見保佐その他特別代理人あるいは各種管財業務であれ、共通項的特徴は裁判所ができない管理・調査能力補完職務であり、下級官吏職務の外注化適応のように見えます。
行政庁で言えば、部課長の補佐として実務を担う主任や課長補佐級の実務官僚の仕事を外注化したように見えます。
若手中堅弁護士業務の大部分が官僚的業務の外注になれば、求められる能力が職務精通能力化してきます。
古くから裁判所の外局的職務として存在する制度で言えば、執行官や公証人職務と似ています。
誤りなく法の執行をする職務ですが、執行官のように判決に書いてる通り形式判断で現場で働く形式職務でなく、後見や管財人等は執行法に限定されない・・分野を問わない幅広い法的知識を駆使して判断する必要がある程度の違いで、法解釈の範囲内に限定される点で執行官と性質が似ています。
しかもある程度の幅にある行為は裁判所の許可がいる点で事実上担当書記官にお伺いをたてる必要がある点など、(相手が先生と形式上立ててくれますが・・)実態は下請けに似ています。
質問の仕方が要点を得ていると書記官に評判が良く、あまりズレた質問をしてくる弁護士は馬鹿にされる・何も聞かないでどんどんやると「勝手にやるからこういう問題が起きるんだ」となるなど・・覚えが悪いと次から管財や後見の打診が来なくなるのかな?
収入の大部分が裁判所の評価・評判に頼っていく傾向になると、事実上従属関係化するイメージです。
以上は外野から見る危機感ですが・・。
こんな感想を書くと、弁護士会の多数を占める中堅以下の若手の総スカんを食うかもしれませんが・・。
有能な弁護士の基準が有能能吏化してくると学業優秀系秀才の独壇場になるように思われます。
米山氏の経歴を見ると医学経験利用の医療訴訟を書いていますが、11年に弁護士登録で12年には立候補しているので、政治運動をしながらどの程度の弁護実務をやる時間があったのか不明ですが、(もしかしたら名前を連ねただけ?)治療担当医師のミスをあげつらう専門家ということでしょうか?
社会変化に応じた各分野のパラダイム変更をさせないで時代遅れにするためにGHQが残していった反日装置をガンコに守り日本社会を時代適合させるための改革を全て妨害をしたい勢力の解釈によっても今回の教育の中立性を守ることと、新型コロナの感染拡大から守るための休校要請に対する反対に使うようになるとあまりにも中立性の乱用例の一つと言うべきです。
こんな反対のために教育の中立論を使われると本家の日教組も困るのではないでしょうか。
信教の自由があるからと言う理由でバチカンやイスラム等・世界の宗教界が、コロナ禍による外出禁止令や自粛要請無視で旧来の宗教行事を強行しているでしょうか?
教育の中立論に戻りますと米山氏の意見は、日本社会を守るための新型コロナ防疫政策に協力することと教育政策の中立がどういう対立関係があるのか?理解困難です。
表題を見直してみますと「安倍首相の支離滅裂」というもので、もう一度読み返してみると教育の中立性があるので「要請するしかない」のが支離滅裂というかのようですが、私には能力不足で理解不能でどちらか支離滅裂かな?と思うのですが?

新型コロナウイルス対応の巧拙12(民族の知恵)

日韓の場合中国から観光客が大量に来ているし経済的にも密接な関係がある関係で早く大量感染が始まりましたが、早かった分試行錯誤的対応になったのは仕方ないところです。
後追いで日本の真似をしてさらに工夫できる他国(後進国の場合基礎的な医療資源の乏しさもあるでしょうが)・・サースやマースの洗礼を受けていない点では日本は欧米先進国同様の初体験でのコロナ禍遭遇状態でしたが、未経験者同士とすれば、欧米諸国に比べて破壊的拡大にならずに済んでいる点では、最優秀対応だったという評価になりそうです。
日本はまだ収束とは言えないまでも欧米諸国のような大規模膨張を抑えていますので医療対応能力内で推移している・・きわどいとは言え、徳俵で踏みとどまったいわば理想的な対応です。
日本が急激なウイルス拡散リスクの押さえ込みにある程度成功?しているのは、これはもともとの医療システム充実と国民の協力・・民度の高さが功を奏したものであるともいえるでしょう。
山尾氏の緊急事態宣言要件の国会事前承認要求は、この程度のことは緊急事態でなかった・日本の民度から見て事実上の協力要請で足りる、米国やフランスのような民度の低い国?(エリートはレベルが高いでしょうが・・国民の大多数は底辺層です)とは違うので、緊急事態宣言は不要という意見ならば、私から見ても正論(当否は別として一応の論点です)ですので、それを堂々と主張すべきでしょう。
ただその後の展開を見ると緊急事態宣言がないと自粛要請の自粛レベルが不明となり混乱するので緊急事態を求める声が強くなることがわかってきました。
私の関係するある委員会でも、(規模の小さな委員会ですので3月は予定通り開催しましたが)4月に緊急事態宣言が出た直後ほぼ異論なく予定していた期日を開かないで先送り決定しましたが、5月6日に緊急事態宣言が延長されれば5月の委員会も議論の幅がなく延期するか?・・緊急事態宣言が終了し「気を緩めることなく外出しないように協力ください」程度だと、再度開催延期か議論が分かれるイメージで進行に関する議論が4月末頃から意見集約が進みました。
混乱時には百家争鳴・・いろんな意見が出ますが、本当の具体的データを知って意見を言っているのか、どれが正しいかも不明では、国民はどの意見に従うのが良いかの基準不明で混乱します。
臨床現場にも近く、感染症対策の専門家の知見を総合した政府の緊急事態宣言には相応の重みがあります。
これといった強制力がなくとも、専門家の英知を結集した結論である以上、これを尊重する基準になりますので、緊急事態宣言があるかないかでは、各自治体や公的機関・これを尊重する民間や国民の行動基準が大きく変わります。
諸外国のように罰則付外出禁止令がついているかどうかではなく、日本では納得が重要です。
国民の信頼に比例して政府の基本方針決断には慎重さが求められる社会です。
中国は武漢や北京等の閉鎖に厳重装備の軍が要所要所に展開していましたし、アメリカでは洪水など大規模災害がある都度軍が出動して治安確保にあたるのが普通の社会です。
日本の場合大規模災害があって中央の指令が切断されるとミミズのように地元民が自発的に一致団結して共同活動が始まる社会ですから、中央から軍の出動必要がありません。
中央の集落統制は明治以来の百数十年余りでしかない・・歴史的に見てほんの一時的なもの・・縄文以来の何千年の自然集落の伝統が残っていて、いつでも必要に応じて縄文の昔からの自然集落運営の本能が復活する社会です。
政府が民族の危機に際して一致団結する必要を理解し国民にお願いさえすれば見事な対応能力を持っているのです。
休校措置の要請を発表した時の総理大臣の記者会見発言一部です。
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2020/0229kaiken.html

令和2年2月29日
安倍内閣総理大臣記者会見
・・・・
今回のウイルスについては、いまだ未知の部分がたくさんあります。よく見えない、よく分からない敵との闘いは容易なものではありません。率直に申し上げて、政府の力だけでこの闘いに勝利を収めることはできません。最終的な終息に向けては、医療機関、御家庭、企業、自治体を始め、一人一人の国民の皆さんの御理解と御協力が欠かせません。
皆さんの暮らしに直結する決断には、当然、様々な御意見、御批判が伴います。内閣総理大臣として、そうした声に真摯に耳を傾けるべきは当然です。しかし、それでもなお内閣総理大臣として国民の命と暮らしを守る。その大きな責任を果たすため、これからも先頭に立って、為すべきことは決断していく。その決意であります。
終息への道のりは予断を許しません。険しく厳しい闘いが続いていく。そのことも覚悟しなければなりません。本当に大変な御苦労を国民の皆様にはおかけしますが、改めてお一人お一人の御協力を、深く深くお願いする次第であります。しかし、私たちは必ず乗り越えることができる。そう確信しています。・・・・

昭和天皇の敗戦時の「忍び難きを忍び耐え難きをたえ・」の心打つ詔勅の再現です。
国民同胞の一致団結を求めた点が重要であったと考えています。
日本人にも、何でも反対の材料を探す人もいますが、国民多くが正面から素直に受け止めて国難対応する能力の高さ・・見えない敵ウイルスの侵攻を防ぎ克服に成功しつつあると言えるでしょう。
山尾氏の議論のパターンは従来の野党行動の延長のように見えます。
本来議論すべきことを議論しないで、揚げ足取り的議論で自己満足している・「どうだ頭いいでしょう」という誇示になりますが、こういう繰り返しを喝采しているようではその政党から民意がどんどん離れます。
野党には高学歴者が多い所以です。

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