民族益とは?3

メデイアや学者は時流に合わせて平和愛好家のようなスタンスを宣伝しますが、我が国過去の例によれば報道機関が被害感情を煽る結果、弱腰批判を受ける政府や軍部が戦争への道を突き進むしかないように引き摺られていったことを以前から書いてきました。
日露戦争当時「もっとやれ!満州まで侵攻しろ」という帝大教授やメデイアの無責任運動とこれに煽られた民衆が日比谷焼き討ち事件などを起こしましたが、当時の政府は強かったので、これを相手にせずに講和交渉を押し進められたのですが、昭和に入ると政府や軍部の力が弱まり、メデイアの煽る方向に動くしかなくなっていった経緯を日露講和会議の顛末や天皇機関説事件等のシリーズで紹介しました。
※  日露戦争以降の政治とメデイア2April 9, 2018
※  学問の自由安売り2→天皇機関説事件へApr 11, 2018 12:00 am
外国メデイアの実態を知りませんが、日本メデイアは明治以来外国情勢の皮相な受け売りが多い結果、(日露戦争時のメデイア対応のお粗末さを上記で紹介しましたが・・)彼我の戦力、国際情勢の動き、国情に合わせてじっくり考えて行動する実業界や政府要人の深い読みに比べて4〜5段以上劣る主張が中心でした。
過去のメデイア・メデイアに利用される文化人の主張・・・これに煽られて思慮の浅い若者のデモ等の活動が、日本社会を前向きに変える起爆剤になった事例が一回でもあったでしょうか?
千葉市美術館で数年前に全共闘時代の回顧展?(名称を忘れました)があり、全共闘時代とほぼ並行する当時の前衛芸術家の卵?・・街角で白衣をきて何か消毒でもしているかのようなフリをして歩行者を驚かせる企画や1万円札の巨大版を持ち歩く・・芸術家の卵?が苦闘していたのはよくわかりますが、卵は卵に過ぎずまだ何らの実績ない状態です。
あたかも社会の将来を照らしているかのような主張はおこがましい限りの印象を受けました。
60年安保騒動であれ、全共闘であれ浅間山荘事件であれ、時代に取り残されつつあった敗者の暴発・高校の授業についていけない不良が暴走族になり、デモ隊になった程度のイメージではないでしょうか。
ソ連の抑圧に苦しみソ連のくびきからの解放を求めるプラハのは春やポーランドの連帯運動、天安門事件の学生や今回の香港のようにデモが人の尊厳を守るための運動の場合、・香港デモがどういう結果になろうとも歴史に残る偉業の一つとなるでしょう。
日本の場合日露講和に反対する日比谷焼き討ち事件に始まり、美濃部達吉批判運動や60年安保騒動などをのちに振り返れば、(明治初年の不平士族の欄に始まり)時代錯誤の運動が中心です。
60年安保を見れば米ソ2大陣営のどちらにつくべきかの政治選択問題について、政治のイロハもわからない高校生や大学生が(大人・自分の親世代を牽引するべきなんらの見識もないのに)メデイアを利用した一方の政治勢力に扇動されて中ソ陣営の方が良いという政治運動に引き込まれたものでしかなかったことが明白でした。
ソ連支配下に組み込まれた東欧諸国や北朝鮮の悲惨な実態〜ポルポト政権のおぞましい殺戮、ソ連崩壊後明らかになった内実によれば、どちらの選択が正しかったかは争いの余地のない歴史事実です。
昭和40年代の全共闘運動に至っては、大卒一般化→大衆化によって将来の展望を失った底辺?大学中心に発生した暴発であり、不良の暴走族化対策対象同様の反面教師的役割でしかなかった?(平成のオーム真理教事件の教訓程度)・今後の前向きの展望を主張する運動どころではありませんでした。
芸術家ブル昭和40年代前半芸術家の卵たちの運動は、この全共闘時代の産物ですが、不良少年が落書きして歩いていたのが大人になった程度のイメージ?に過ぎなかったと見るのが実態に合っているでしょう。
大型の万札の模造品を持ち歩くなど・ただ奇抜なだけ・子供の遊びを大人になってもやっているに過ぎないにもかかわらず、メデイアは大大的に取り上げていたようですが、こんなの芸術というのかな?と思われる内容でした。
こんな低レベルな?(個人感想ですし自分がもっと内容の高いものを創作できるという意味ではありません)内容で、時代になんらか前向きの影響を与えたのか?と考えてみると・・一時的に世間の話題になっただけのように見えます。
ノスタルジアで訪れる中年世代が多く見られましたが、このころ夢破れた連中でしょうか?「夢破れた世代」といえば反日系の運動であればなんでも参加したがる中高年が多いと言われますが、こういう運動経験のある連中でしょうか?
奇抜アイデアに頼った時代が続くわけもなく万博を契機に一斉に姿を消した流れはまさに泡が泡と消えた結果に見えます。
高度成長期が終わりを告げ、安定成長への軌道修正の不安が就職機にある学生を大騒ぎさせたが、就職できるようになって沈静したと見ることが可能です。
要するに将来展望があって展望のない社会を指導するのではなく、自分の展望がないのを不安に思って騒いでいただけのことです。
学生と言っても世の中のことを何もまだわからない年代ですから、青二才が社会の指導をするためのデモなどをするなどは、おこがましいにも程があるということでした。
報道機関が物事をよくわからないのに、一方的的立場で扇情的に煽る傾向に戻ります。
近年では慰安婦報道の経緯を見ても、朝日を初め報道界は、客観事実分析をおろそかにして韓国のありえない主張を増幅しました。
韓国では当初半信半疑・韓国人自身が一番よく知っているのでそんなバカなことはないと相手にしていなかったようですが、日本でフィーバーが起きたので韓国でも報道するしかなくなり、韓国政府も主張せざるを得なくなった経緯があります。
靖国参拝問題も(南京大虐殺もそうだったかな?)日本メデイアが執拗に問題しているのに中国が無視できなくなり控えめに報道するようになり、一旦火がつくと政府はこれを問題視せざるを得なくなって現在に至っているようです。
このようにメデイアの動きが日韓関係や対中関係悪化増幅させるばかりで、現在後戻りできないほどの日韓関係悪化を演出してきた罪が大きいものがあります。
中国は反日感情を煽るメデイアの誘惑に簡単に便乗せずに慎重でしたので、いつでも修復可能領域にあるのと大違いです。
中韓との関係悪化を結果的に誘導してきたメデイア・文化人?が、過去の煽り行為の責任を取らず、この段階になって「隣国と仲良くした方が良い」という意見をそれとなく述べ、報道をしても国民の多くは「今更何を言ってるの!という受け止め方が多いでしょう。
隣国関係は引っ越す訳に行かないので、波風立てないほうがいいのは確かですが、相手国が一定限度を超えて図々しくなると少し不便・損しても付き合わない方がいいとなります。
そこまで関係悪化させてしまったのは誰だ!
という不満です。

発光ダイオード特許事件5(日本文化批判はどうなる?3)

中村教授に批判攻撃された日亜化学と日本文化の修復可能性に戻します。
個人的事件でも同じですが、訴訟外で相手方の悪口雑言を口外した人とは、訴訟で形式上和解しても
「二度と付き合いたくない」
というのが普通の人の行動でしょう。
4〜5年前あるいは昨年扱った労働事件も、企業側はあいつは元々グータラで・・と言いたがるのですが、弁護士としては事情聴取で得た元従業員の良い点を最大限を活かした言い方で「期待していたのに残念なことになった・・」という態度で相手に接するし、相手弁護士も「本人は会社には感謝しているが残業手当不足分だけいただけたらいいのです」・というスタンスでお互い冷静にデータチェックを進め円満和解に至る例が多いのです。
お互い当事者の不満タラタラの主張を吐き出さないのが礼儀ですし、悪口を言いたいだけ言って恨みを残しても意味のないことです。
中村教授は感情に走って(弁護士のアドバイスを振り切って?あるいは知恵をつけといて弁護士は無関係を装っているのか不明ですが)独自記者会見を開いたのでしょうか?
ところで
「ノーベル賞学者が、日本企業と研究する機会が失われてしまったのも事実だ。」
と何か日本社会が失ったものがが大きいような記事の書き方です。
彼を支持して来たメデイアの発想でノーベル賞受賞でリベンジした・・この勢いで修復を申し出ればうまくいくのではないかと言う、あくまでパワーゲーム的思考だったのでしょうか?
3名ものノーベル賞同時受賞で沸く日本に帰れば、「屈辱的和解」を飲まざる得ず米国での研究生活に没頭すると言って日本から去らざるを得なかった彼にとっては、凱旋将軍のような気分になったでしょう。
修復を求めるとは言いながら同時に研究のエネルギーは(自分を正当に評価しないことに対する)「怒り」(日亜化学と日本社会?)だと明言している点を日亜化学が重視したような解説もありました。
日本では評価されず屈辱的結果になったが、ノーベル賞受賞出来たではないかというリベンジ論で帰ってきたことになります。
しかしこの論理には飛躍があります。
同時受賞の他の2人も同じダイオードの受賞者であり赤崎氏だったかはむしろ草分け的存在ですが、彼ら二人が高額報酬を得て中村氏だけが程評価されなかったというなら日本社会は偏っていることになるのでしょうが、彼ら2人は大学に残って組織内の名誉で満足して生きているのです。
ノーベル賞を受賞したと言っても200億円もくれるわけではなく名誉が主たるご褒美である日本の対応と変わりません。
勝者の気分で日本に帰ってみると、早速中村氏は米国人であって日本人ではないというネット批判の洗礼を受けました。
誰とでも仲良くできれば仲良くしたいのは人情ですが、一定限度を超えた人とは金輪際付き合いたくない」というのも一つの見識です。
隣国とは仲良い方がいいのですが、際限ない悪態には堪忍しきれない・・対韓関係では我慢の限界・「もう近所付き合いしたくない」というのが今の国民大方の意見でしょう。
企業側・日本全体にとっては、ノーベル賞受賞者は世界にゴマンといますので誰と付き合うかを選べますので、「こういう人柄の人と共同作業するのは金輪際はごめんだ」と事実上宣言されたということでしょうか。
日亜化学との真の和解ない限り日本社会が受け入れない・他企業も近づけないということでしょうか?
大々的メデイア露出を繰り返した結果、日亜化学・ひいては日本社会を足蹴にして出て行ったイメージ?(当時の論争・どういうやりとりがあったか報道の一部しか知らないので正確には不明ですが・・)が日本社会で定着しているようです。
中村氏が、日本など相手にできないと国を飛びだし米国籍をとってしまった反日?イメージ定着してしまったものを今更払拭するのは大変でしょう。
屈辱的和解を受け入れた時に「日本司法は腐っている」(・・日本など相手にしない・・)「研究に没頭する」と見栄を切った彼がノーベル掌受賞を機に、日亜化学との修復を何故望み、門前払いされて何故「落胆」するのでしょうか?
日本という信仰集団からの離脱効果・・今になって心に沁みているということでしょうか?
この辺は日本教ともいうべき宗教心みたいなものですから、外国人には理解し難いことでしょう。
外国人でも優秀ならば日本企業は付き合うのですが・・彼に限って付き合えないというのは、日本教・集団倫理を積極的に裏切った男としてのわだかまり・・軋轢があるのでしょう。
彼が日本国籍を喪失している場合、日本国籍を再取得したいといっても、「日亜化学との関係修復していただけませんか?」と暗黙のニュアンスが伝わっているのかもしれません。
外国人の国籍取得は一定の要件をクリアーした時に大臣が許可できるだけであって法律要件クリアー=許可ではありません。
許可は政治裁量によるので、政治的な反対が多いと簡単ではありません。
韓国は感情9割みたいなところがあって、「言い過ぎる不利」に気がつかないようで、・今の韓国に対する日本人多くの感情は、ついにもう付き合いきれない・ダメだという段階になってしまったのと似ています。
韓国国民は日本の怒りの深さに焦っているようですが、(日米から離反して、北朝鮮と中国につく戦略の文政権にとってはその方が好都合でしょうが・・)詫びを入れるどころか開きなおって日本非難を拡大する一方ですので、いよいよ相手にされなくなるでしょう。
中村教授は元日本人として「さあどうする?」というところです。

発光ダイオード特許事件3(日本文化批判はどうなる?)

発光ダイオード訴訟で訴えた方は、自分一人の功績だと思い込んだわけではなく貢献度を高く見たのでしょうが、価値観的に見れば、将来名誉(現役集団参加者の水平分配だけでなく将来利益を温存し子孫段階での新たな挑戦資金にする)より現世利益という欧米型選択をしたのかもしれません。
結果的に山崎氏のいう集団成果がもっと大きいのでないかの指摘に合理性があって、1審判決から見れば雀の涙ほどの和解金で和解するしかなくなったように見えます。
発光ダイオード事件は集団と個との分配争いが争点だったように見えます。
山崎氏意見を再掲します
「中村氏が批判し罵倒してやまない日本の集団主義的研究生活よりも、アメリカの大学の個人主義的研究生活の方が、より豊かな研究成果をもたらすだろうとは、私は思わないからだ。
「集団主義」的、「協調主義」的な日本的システムの強さと豊かさに、中村修二氏が気付くのはそう遠い日ではあるまい。」
哲学者山崎氏とすれば文化の激突に関心があるのでしょうが、米国でも研究は一人で孤独に行うものではなく、巨大な研究組織・・チームで行なっている点は同じです。
問題は、組織内貢献度の測定方法でしょう
現代の研究開発は学者が書斎で考え抜いて鉛筆一本でできるものではなく、一定のコンセプトが決まってもそれの実験装置など巨大なコストがかかるので、米欧でも研究所と製造企業一体化した巨大組織が必須です。
研究と言えば大学が独占しているものではなく、製薬事業などでは研究開発費の負担に耐えかねて世界企業同士の合併が盛んです。
この点は16日紹介した実務家らしいhttps://system.jpaa.or.jp/patents_files_old/200408/jpaapatent200408_041-049.pdfの意見が妥当でしょう。
この4〜5年世界の大手自動車企業の合従連衡が進んでいるのも同じ原因です。
山崎氏の言う日本の強み?「集団主義」的、「協調主義」的な日本的システムの強さと豊かさ」といっても今や世界的に集団での研究開発が一般的です。
集団利用メリットとそのマイナス面を勘案するのがこれからの道でしょうから、集団であれば良いものでもありません。
日本の方が師弟関係に縛られて、縦系列に縛られた枠内研究・師の思想方向内の研究が多いのが現状です。
私の関係する法律学者もその傾向が顕著です・著名学者に関するウイキペデイア記事も「誰某に師事した」という紹介が多くを占めています・その人の基本的主張がそれでわかるからそういう紹介が主流になっているのでしょう。
医学界の白い巨塔だけではなく、ピラミッド型師弟関係に縛られている点はいろんな学界で似たり寄ったりでしょう。
昨日の日経新聞記載の履歴書には、経営学・文系でも恩師の系列を離れた共同研究の重要さを書いています。
世界中が集団・組織的成果を競うようになった現在、日本の方が集団行動の歴史経験が深いと言える程度の違い・系列集団知を超える発想を縛る傾向のマイナスの方が大きいか?・・でしょうか。
日本の過去の偉人・・日蓮等の出現は、叡山の集団知の束縛から飛び出す必要のある時に飛び出す人が多く出ていたことを現しています。
殻から飛び出すだけの、馬力や能力がないから、飛び出せない人が多いのも現実です。どちらの社会の方がいいか悪いかの単純区分け問題でないように見えますが・・。
起業しにくいから新規事業が出にくいとも言われますし、あんちょこに資金が集まるようになるとあんちょこ起業=あんちょこ倒産の多い社会になり、社会の安定を損なうでしょう。
アメリカの方が就職先を飛び出し起業するのにそれほどのエネルギーがいらない社会ということでしょうか?
集団知の必要な点はどこの社会でも同じですが、その拘束力の緩さをどうするかが時代に応じた知恵の出しどころでしょう。
山崎氏の意見は、素人の私がいうのはおこがましいですが、ちょっと言い過ぎの印象を受けます。
山崎氏の言う文化論の続きですが、もう一つの視点である日本文化訣別・企業文化批判?の後遺症がどうなるかです。
中村氏も言いすぎたように見えます。
この辺の中村氏による関係修復の動きが以下の通り出ています。
中村氏はノーベル賞受賞資金約半分を徳島大学に寄付するなど、ノーベル賞受賞による日本人全体の祝賀ムードをチャンスとして、日亜化学との復縁を目指したようです。
賞金一部を徳島学に寄付したという報道でした。
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG06H5B_W5A200C1CR8000

中村教授が徳島大に寄付 ノーベル賞の賞金の一部
2015/2/6付

https://www.sankei.com/west/news/141126/wst1411260003-n2.html
2014.11.28 11:00

虫が良すぎる?ノーベル賞・中村氏の“復縁”申し出、“大人の対応”で拒絶した日亜化学…わだかまり示す証拠を発見
過去は忘れましょう-。ノーベル物理学賞に決まった米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授が、発明の対価をめぐり法廷闘争を繰り広げた元勤務先の日亜化学工業(徳島県)に関係修復を呼びかける一幕があった。両者の関係は歴史的な雪解けを迎えると思われたが、日亜化学側は中村氏との面談を“大人の対応”で拒否。和解から10年近く経てなお残る天才研究者と企業のしこりが浮き彫りになった。
・・・・日亜化学が発表した公式コメントは冷ややかだった。「貴重な時間を弊社へのあいさつなどに費やすことなく研究に打ち込み、物理学に大きく貢献する成果を生みだされるようにお祈りする」。
一見、やんわりと断っているように見えるが、日亜化学関係者は「社長を含め会社として中村氏と面会するつもりはない」と決意は固そうだ。
・・・今回の復縁が実現しなかったことで、ノーベル賞学者が、日本企業と研究する機会が失われてしまったのも事実だ。中村氏は11月5日、記者団の取材に対し、日亜化学が面会を拒んだことについて「非常に残念。これ以上の進展はない」と落胆した様子で語った。
関係改善への道は、これで完全に断たれた。

異民族直接支配3(ロシア革命とユダヤ人1)

戦後圧倒的地位に躍り出た米国は、競争力抜群を背景に自由貿易推進政治に邁進します。
ソ連崩壊により、自由主義経済の勝利を確実にした段階で、WTO体制が構築されました。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/wto/gaiyo.htmlによれば以下の通りです。

WTO(世界貿易機関:World Trade Organization)は,ウルグアイ・ラウンド交渉の結果1994年に設立が合意され,1995年1月1日に設立された国際機関です。
WTO協定(WTO設立協定及びその附属協定) は,貿易に関連する様々な国際ルールを定めています。WTOはこうした協定の実施・運用を行うと同時に新たな貿易課題への取り組みを行い,多角的貿易体制の中核を担っています。
1 ガットからWTOへ
1930年代の不況後,世界経済のブロック化が進み各国が保護主義的貿易政策を設けたことが,第二次世界大戦の一因となったという反省から,1947年にガット(関税及び貿易に関する一般協定)が作成され,ガット体制が1948年に発足しました(日本は1955年に加入)。貿易における無差別原則(最恵国待遇,内国民待遇)等の基本的ルールを規定したガットは,多角的貿易体制の基礎を築き,貿易の自由化の促進を通じて日本経済を含む世界経済の成長に貢献してきました。
ガットは国際機関ではなく,暫定的な組織として運営されてきました。しかし,1986年に開始されたウルグアイ・ラウンド交渉において,貿易ルールの大幅な拡充が行われるとともに,これらを運営するため,より強固な基盤をもつ国際機関を設立する必要性が強く認識されるようになり,1994年のウルグアイ・ラウンド交渉の妥結の際にWTOの設立が合意されました。

日本の挑戦により米国一強の足元が揺らぎ始めてはいましたが、プラザ合意(1985年)により円高強制で日本押さえ込みに成功し・・・新たに台頭する予定の中国を米国主導の国際秩序に囲い込めば何とかなるという楽観論が占めていた頃に構築した国際体制構築でした。
しかしこのもくろみが外れたことが今の米中対決になった原因です。
国際市場が自由貿易時代に入るとシンガポール・香港規模の都市国家形態・中国の場合、いわゆる特区形態が国際競争には有利であって経済規模・国家を大きくするのはむしろ不利益になってきたように思われます。
バルト3国がソ連支配から解放されると(小規模人口國としての)「小規模の利益」を活用してさっさと先進国(OECD)の仲間入りしています。
ウイキペデイアによると以下の通りです。

バルト三国(バルトさんごく)は、バルト海の東岸、フィンランドの南に南北に並ぶ3つの国を指し、北から順に、エストニア、ラトビア、リトアニアである。3か国ともに、北大西洋条約機構(NATO)・欧州連合(EU)および経済協力開発機構(OECD)の加盟国、通貨もユーロでシェンゲン協定加盟国である。

レーニンは第一次世界大戦で各地の共産主義者が結果的に愛国(民族)主義に変わったのを踏まえて、「民族主義を捨てろ」という基本方針で帝国主義論を書いたと言われています。
革命成功後も世界同時革命や出身民族の利害を捨てる精神教育・・コミンテルンなどに熱心で当初より現在盛んなグローバリストの総本山でした。
たまたまその危険性を感じた欧米が封じ込めに向かったので、後進国経済の集合体に終わったのですが、もしも世界同時革命=ロシア民族が世界征服に成功した場合コメコンの拡大版・精神世界では収容所列島?を想定すればゾッとする世界でした。
10日見た事例では根拠不明ですが・・ロシア革命はレーニンをはじめとするユダヤ系グローバリストが牛耳る政府だった(ユダヤ陰謀)成功例と最近言われるようになっている所以です。
ロシア革命とユダヤ人の関係については、以下に主張されています。

ユダヤ民族とその「不愉快な事実」 — 長谷川 良

ユダヤ民族とその「不愉快な事実」 — 長谷川 良 2014年04月19日 19:50
興味深い点は、ユダヤ民族はロシア革命にユダヤ人が関与したという事実を否定してきたことだ。ノーベル文学賞受賞者のソルジェニーツィンは「200年生きて」という歴史書の中でボリシュヴィキ革命におけるユダヤ人の役割について書いている(200年とは1795年から1995年の間)。
ソルジェニーツィン氏は「ユダヤ人は1917年革命の関与について否定し、『彼らは本当のユダヤ人ではなく、背教者(otshchepentsy)だった』と弁明する。ユダヤ人の主張を認めるなら、同じ論理でボリシュヴィキ革命を主導したロシア人は本当のロシア人ではなかったと主張できるはずだ」と書いている。
イエスを殺害したユダヤ民族は“メシア殺害民族”という追及から逃れるためロシアで革命を支援し、無神論社会を構築していった。そしてロシア革命への関与を追及されると、「彼らは決して本当のユダヤ人ではなく、ユダヤの背教者だった」(ソルジェニーツィン)と突っぱねてきたわけだ。

ロシア革命とその後の運営がユダヤ人主導の革命政府であったことを何故隠す必要があるかの素朴な?疑問が湧きます。

GDP指標の意味3

文化力も同じで、古代から匈奴〜モンゴル系等北方系民族が武力だけで中原の地を制しても、漢民族文化に吸収されてしまい独自性を失っていった事例でも明らかです。
例えばロシアが武力の優位性だけに固執して?日本を征服しても商工業力や文化力で劣っている限り、日露の国境がなくなれば時間経過で樺太やシベリア地方は日本文化や商工業に支配されてしまうだけでしょう。
日米戦は地力を有する日本台頭を押さえ込むために無理ヤリに戦争に引きずり込まれた印象ですが、終わって日本が戦勝国米国支配下に入ったことで国境の壁を低くしてみると戦争で勝ったはずの米国が日本にどんどん経済戦争で追い込まれるようになったのが戦後秩序でした。
19世紀にかけて西欧諸国間で植民地獲得競争が盛んになったのは、西欧の産業革命後におけるアジア諸国との圧倒的技術格差を背景にしていたので、市場獲得・国境の壁さえなくすか低くすれば本国商工業者にとっては植民地国の市場を席巻できる前提があったことによります。
幕末に欧米諸国がこぞって開国を迫った所以です。
日本戦国時代の豪族間〜大名間の戦争は一見領地獲得競争のようですが、領地自体に意味があるのではなく、生産力の基本たる農地=それにくっついてくる農民取り合い戦争ですが、支配地を増やすことにより、兵力供給源の現地農民を配下に取り込むことによる戦闘力増強を目指したものでした。
日本の場合は、わが国将棋ステムの応用ですが、これが成り立つのは出身地による能力差が少ないことと差別をしない・・能力さえあれば、新たに支配下に入った領民や商人でも差別なく取り立てることが可能な仕組み・同一民族間戦争しか経験がなかったことによります。
この仕組みのおかげで、落城のときには大将だけが腹を切って首を差し出してその他お咎めなしの処理が普通になっていたし、攻防戦最中の奮戦ぶり次第で「敵ながらあっぱれ!」評価されれば、落城後攻撃軍配下になったあと重用されるので、卑怯な裏切りのない武士道が守られていったのです。
我々弁護士もそうですが、やるときはやる・その結果恨まれるというよりは、だいぶ経ってから過去の敵方が頼り甲斐があると思うのか?別件で知り合いを紹介して来るようなことが結構ありました。
きちんと戦うべき時には戦い切った方が、負けた相手も気持ちが良いようです。
日本社会では争っている人もそれぞれ合理的判断できる人が多く、敵方であっても理屈があってきちんと主張すべきことをしていると、その戦いぶりを相手も見ている社会です。
武田家滅亡時に親族筆頭の穴山信君(梅雪)が、勝頼を見限って徳川を介して信長に帰順しましたが、家康に伴われて安土城で拝謁をした時に信長は意図的に軽くあしらったことが知られています。
千年単位で形成されたこうした価値観がそのま適用されたのが台湾・朝鮮統治のあり方でしたし、東亜戦争中に東南アジア地域から欧米植民地支配解放後の日本統治の方法でした。
ただしこういう価値観のない朝鮮族にとっては、(自分ならこうするだろうという)「日本統治下では非道なことが行われていたに違いない」という思い込み・実際の日本統治経験世代が「日本統治時代がよかった」と一言でもいうと反日教育で育った世代に殴り殺される事件が報道されていました。
https://www.j-cast.com/2013/09/13183859.html?p=all

95歳男「日本統治よかった」発言で殴り殺される 韓国ネットでは「死んで当然」「正義の審判だ」
2013/9/13 18:26

いまだに日本批判(事実にもとずく批判は必要ですが、妄想を事実のように刷り込む教育)を拡大する一方です。
異民族間の支配地拡大パターンでは、戦闘力に取り込むどころか造反リスクが高まるので、その監視抑圧システム負担が逆に増えます。
今の中国でも主に異民族支配に必要な公安警察コストが、正規軍予算を上回っていると言われるほど不経済な状態です。https://jp.wsj.com/articles/SB11827117695770103410504584086233770516714

中国の国防費超える治安維持費、その意味とは
By Josh Chin
2018 年 3 月 7 日 11:48 JST
ここ数年、中国政府の国内治安維持と国防の予算は全体として経済成長を上回るペースで増えてきたが、国内の方がはるかに速いペースで増加し、現在は国防予算を約20%上回っている。

中国の国防予算は米国をそのうち追い越すか?というほど巨額ですが、治安予算がそれを追い越しているというのですから、何のためにチベットやウイグル、内モンゴルや女真族や植民地を国内に抱え込んでいるかが合理的に言えば疑問でしょう。
本来中国はこれら異民族を切り離して友好国関係・・攻めてさえ来なければ良いいのです。
周辺少数民族が中国を侵略する力がないのですから、そういう心配はもともといりません。
古代から周辺国を直接支配せずに朝貢関係・・専制支配下の上下関係ではなく、大国として一目置いて尊重してくれれば良い・友好関係にとどめてきたのはこういう知恵があったからです。
戦国時代の例を今日コラム中段に書いたように、国民は国内治安が乱れるのは困るので統一のための戦争の必要性を認めるし、あるいは異民族が侵略してきて妻子を掻っ攫われ物資略奪されるのは困るので防衛用の武力を必要とし、これに参加する必要を認めるでしょうが、一般国民にとっては自分の命をかけてまで侵略・・市場獲得や支配欲目的の戦争に協力するメリットはありません。

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