米軍占領支配の継続3(李承晩ライン・竹島)

米軍が日本を軍事支配している最中に起きた李承晩政権による竹島武力占領時に、米軍は何ら有効な防衛をしてくれませんでした。
(米軍支配下で事実上の傀儡政権であった李承晩政権に対して武力行使の必要がなく、一言何か言えば済むようなことさえしなかったのです。)
ちなみに韓国軍の指揮命令権を米軍から取り戻すかどうかが問題になったのは、4〜5年前のノムヒョン政権下でのことで、当時大政治問題になって何年かの移行期間で米軍から韓国政府に戻す協定になったような記憶がありますが、米軍は李承晩政権下での竹島占領については、直接指揮命令出来る状態でした。
実際には何年も前から北朝鮮との対峙関係・有事のときだけに指揮命令権があって、国内の日常的指揮命令権は韓国軍に移行していたとしても、当時は直接指揮関係が強かったでしょうし、無関係国からの侵略とはワケが違った筈だということをここで書いています。
今回の尖閣諸島問題では、現地は無人なので中国はいつでもその気になれば無血占領が可能ですが、この事態が起きたときのための奪回作戦の演習がテーマになっていましたが結局実戦ではない演習さえもアメリカが反対して協力しないことに決まりました。
中国による占領を想定した演習は刺激が強すぎると言うのですが、中国が武力占領する予定さえなければ中国にとって何も気にする必要がない演習です。
日本が中国に対して逆襲するために中国本土への上陸演習を一緒にしようと言うならばアメリカは「そこまでは・・・」と渋るのは分りますが、日本領土を占領されたときの奪回作戦演習をしようというのに、これさえも断って来ているのです。
そのときに備えた奪回演習でさえ協力しない国が本気に奪回戦争に協力するとは到底思えない・・防衛協力意思など全くないことを今から証明しています。
と言うよりは、中国に対して「監視船の接近などと言う半端なことをして長くもめているよりは、直ぐに占領しちゃいなさい、アメリカは奪回に協力しないから・・(即ち実力行使したら終わりです)」と言うメッセージを今から送っているようなものです。
元々原爆攻撃を受けたときに、その仕返しのために無傷のアメリカが原爆戦に参加してくれるという期待ほど馬鹿げたことがないのですが、ちっぽけな離島1つすら防衛協力しないとなれば、「何のために米軍基地を置いているの?」「何のための安保条約なの?」と言う疑問を持たない方が頭がおかしいと言わざるを得ません。
相手が中国では、慎重にならざるを得ないというのがアメリカが躊躇する理由の1つでもあるでしょうが、相手が大きくて日本の手に負えない危険があるからこそ防衛協力が必要なのであって、取るに足りない小さな国との紛争が起きても米軍の助けは要りません。
相手が大きいから協力出来ないという同盟って意味あるでしょうか?
しょっ中沖縄県内で米兵による暴行等の不祥事が絶えないのに、その同じ目と鼻の先である沖縄県内で起きている領土問題に「我関せず」という態度は、理解不能と言うか、あまりにも日本をバカにしていませんか?
沖縄の米軍の本拠地とも言うべき沖縄に属する小さな島1つでさえ守ってくれないとなれば、何のために米軍が広大な場所を無償で占拠してその防衛費を日本が分担させられているのか誰が考えても理解不能でしょう。
これを誰も公然と言えない・・私のような政治的地位のない個人ブログでは書いていますが、大衆に影響のあるマスコミでは、こう言う当たり前の疑問すら出て来ない・・議論の対象としても認めないのが、日本国内の言論状況です。
マスコミにはアメリカに都合の悪い言論の自由がないこと自体、今も占領政治が実質的に続いていることの証左です。
※証左とは、一般的に左→佐の連想から佐=助けになる(補助的)証拠という意味になっていますが、私はニンベンのない左という漢字自体にも補助的意味があることを否定しませんが、本来は左祖の故事から転じた用語ではないかと思っています。
補助的意味だけですと、自分の主張にだけ有利な補助証拠を意味しませんが、左祖から転じたとすれば、自分の主張に味方する証拠(証拠価値の低い補助的意義に限らない有力証拠)となってニュアンスが変わってきます。
即ち漢の高祖死亡後、妻の呂氏が政権を牛耳っていた時期があって彼女が死にそうになったときに自分の一族に政権を譲ろうとしたので・・すなわち皇帝の氏が変わるので王朝の簒奪になります・・、これを周勃が奪回するときに集まった将官に対して劉氏に味方するものは「左祖」(左の片肌を脱げ)せよ」「呂氏に味方し反対するものは右祖せよ」と言った故事によって、ある勢力に味方することを「左祖」と言うことになったのですが、これの応用として「証左」という熟語が生まれたと私は思っています。
(辞書には書いていない個人の思いつき意見です)

アメリカによる歴史ねつ造3と言論の自由1

アメリカも中国や韓国と同様に相手が弱ければ黒を白と強制するような国であり、(むしろ背後で主導して来た国です)ひいては歴史に関しても、ご都合主義の国であったことが占領政策に反する文書廃棄指令の事実が明るみに出て来たり、米軍政に都合の悪い記事は全部検閲で(墨塗りのひどさは語りぐさになっていますが・・・)報道出来なかったことから明らかです。
・・本日現在でさえ、マスコミは米軍の存在意義を否定する議論すら(占領継続のためにのみ駐留しているという意見が正しいかどうかではなく、これに関するオープンな論争すら出来ない状態は民主主義国として異常です)許されない状態からも明らかです。
明治憲法では「臣民の義務に反しない範囲で思想表現の自由が認められていたに過ぎない」と習いますが、戦後はアメリカの主張に反しない範囲しか言論の自由がない状態が今でも続いていることになります。
民主党党首だった小沢氏が政権獲得直前に「日本防衛のためだけならば、第7艦隊だけで充分だ、駐留の必要性はない」と主張した途端に約一ヶ月後くらいに秘書が逮捕されて結局総理になる直前で失脚してしまいました。
報道・思想抑圧をしながら、米軍自身による戦時中の非人道殺戮行為や自己の占領中の犯罪行為を隠し続けて来たアメリカが、現に奴隷のように抑圧している日本に対して基本的人権の重要さ・民主主義・思想表現の自由や道徳を教えてやるなどと漫画みたいなことを主張していたことがわかります。
とは言え、中国朝鮮の反日教育同様で学校教育の洗脳効果は偉大で、私などはアメリカの意を受けた戦後教育真っ盛りのときに教育を受けて育ったので、アメリカを理想的な国だと信じて育ちました。
私は戦後地方に疎開して育ったので身近に米兵や朝鮮人を見る機会が少なく、報道統制下では米兵の事件に直接かかわらない限り、米兵の悪事を知る機会がなかったことによります。
アメリカを美化するような歴史教育の一例として、黒人差別問題を取り上げておきましょう。
高校までの歴史では南北戦争があたかも奴隷解放戦争であったかのようにその部分だけ強調して習い、如何にもその後黒人差別がなくなったかのように(なくなったとは教えられませんが奴隷解放だけ取り上げて強調すれば誤解するのが普通です)印象づけられていましたが、実態はまるで違っていました。
アメリカでは、黒人差別をなくす方向に政治を進めたケネディ大統領が凶弾に倒れ、これを引き継いだジョンソン大統領の元で1964年7月になって公民権法が漸く制定されたに過ぎません。
(それまでは事実上の差別が残っていたのではなく、法的に選挙権もなかったのです!)
法律が出来てもそのとおり差別がなくなる訳ではなく、非暴力で差別撤廃運動を展開していたキング牧師が暗殺されて大騒ぎになっていたのは1968年4月でした。
(とっくに戦後が終わっていた昭和43年になっても、アメリカではまだ人種差別で殺し合いをして騒然としていたのです!)
こんな恥ずべき人権侵害国が、世界中に人権の重要さを教えてやると言って指導者面していたのですから、文字どおり茶番としか言いようがありません。
戦争になればもっと民族憎悪が高まるのが普通ですから、戦時中に戦争相手の日本に対する人種差別意識・・民族抹殺意識が如何に強かったかが分ろうというものです。
南北戦争の本質は経済戦争であり、南部諸州を北側が支配下に置くことによる半独立国の連合であったUSAの骨格変更の統一戦争だったのですが、(日本古代の壬申の乱に匹敵する戦争)日本では如何にも奴隷解放戦争であった「かのように」(と正面から主張して習うのではないのですが)誤解するような文脈で習います。
アメリカの基準ではリンカーンのゲチスバーグの演説が自慢だから、この名演説を丸暗記させたり奴隷解放を強調していたのでしょうが、縄文の昔から動物でさえ家族以上に可愛がる日本人からすればおかしなものでした。
日本人としては、この学習で最近まで人を家畜のように扱う奴隷制度のあった国・・・・怖い国と戦争したものだという印象で習うのですが、実際には黒人が奴隷でなくなったというだけで差別がなくなっていなかった点については全く教えられていませんでした。
我が国は名目上独立したものの戦後約70年近くも経過しているのに、未だに米軍基地の存在理由についてオープンな議論すら出来ないのと同じです。

全否定社会3と処世術1

人間関係が僅か数年あるいは10数年で真逆になることの多い社会では、半永久的関係を大事にしても始まりません。
長期関係を前提とする信義など何の基準にもならないし、物造りも地味に努力するよりは手法を盗むことに道徳的ブレーキもかかり難くなります。
日本語も話せない中国人が、日本で運転免許取得に超小型マイクを耳に装着しての不正受験が見つかったりしていますが、そこまでやる民族性です。
今、目の前にあることについて、明白に虚偽であっても言い通した方が勝ち・・強いものに合わせて「鹿を馬」と言い張ることが処世術として賞賛される社会になります。
過去にあったこと(13日に書いた統計の嘘だけではなく歴史事実など、知っているひとがいなくなるのででっち上げた歴史を数十年教育し続ければどうにでもなるという意識でしょう)嘘で塗り固めてもその場を言い募れば良い・・声さえ大きければ勝ち・・と言う価値観の人が多くなります。
中国人がどこへ行ってもけたたましいのは、声が大きい方が有利とする処世術が何千年も基礎にあるからでしょう。
自分一代の長期交友さえ見通せないのですから、次世代どころか孫や子の代のために耕地の土を良くしたり、植林するなどの自己を犠牲にする努力などは論外となるのは当然です。
このために中国の所在する地域の緑は消滅して行き、環境は破壊される一方です。
長期的視点で水を綺麗にする努力など全く関心がないと言うか関心を持つ人の比率がもの凄く低いでしょう。
信頼関係がないので次世代までかけて収穫を待つどころか自分自身のためにさえも、長いスパーんでは考えられずに、手っ取り早く目先の金儲けに励むしかないと言う生き方になります。
公務員が役職についている間に巨利を貪る習慣・・信頼関係よりも目先の利害ばかりの生き方が定着して行きます。
こう言う意識社会では、公務員だけが汚職に走っているのではなく民間ホワイトカラーでも似たような意識で行動している筈(取引先からのキックバックの横行)ですし、公務員は見つかれば即犯罪行為ですが民間の場合、経営者が訴えない限り事件にならないし、訴えても警察に賄賂をつかませないとやってくれないので公務員以上に野放しになっていると見るべきでしょう。
使い込みや背任行為が中国人同士でも横行している場合、日本など外国投資企業の場合は、言葉の壁があって発覚し難いのともめ事を起こし難い立場から、何倍もの帳簿の誤摩化し等の不正リスクがあります。
異民族入れ替わりの経験、変転常なき真逆の価値観に遭遇して来た経験が、そこに住む現在中国人の価値観・・道徳観(こう言うのって道徳と言えないでしょうが、民族気質とは言えます)である目先の利害中心主義の人格を形成して来たのではないでしょうか。
改革解放直後には、日本礼賛だったのが技術移転や資本導入がちょっと進めば不要になったとして、今では追い出し対象・・最大の攻撃標的になるのは中国の歴史から言えば必然現象です。
春秋戦国の昔から、大事にされるのは役に立つ間のことで用済みになれば大変なことになるという意味の「 飛鳥尽きて良弓蔵され、狡兎死して走狗烹らる」と言う范蠡の名句が愛用されています。
確かに役割が終われば日本でもどこでも隠退するべきですが、中国の場合昔から隠退どころか「煮られてしまう」ところが怖いのです。
こう言う社会では、数十年単位の信頼関係を作ろうとしても意味がないので、(最近で言えば薄煕来に近づいていた人は大変危険な立場になります)極端に言えば数年単位の利害打算によって近づいたり敵視したり極端に振れる民族性となります・・。
中国は日本人が長年の信義を重んじるのを知っているので、都合の良いときには、「井戸を掘った恩人を忘れない」などと歯の浮くようなお世辞を言って近づいて来たのですが、日本に頼る必要がなくなれば、真っ先に現在中国発展の基礎を作った最大の恩人である松下の工場を標的に攻撃する始末です。
ちなみに今回の襲撃は公安関係者が誘導しただけではなく、自ら焼き討ちを実行していたことがその行動ルートの効率性や焼き討ちの手際の良さなどから今や明らかになっています。

中国に歴史があるか3(民族の断絶性2)

中国や韓国の場合、歴史とは今の権力に都合の良いプロパガンダに過ぎない(嘘でも何でも主張していれば良い)と言うスタンスになったのは、(勝てば官軍という言葉が我が国にもありますが(・・薩長と徳川の入れ代わり程度では済まない)現地支配民族がしょっ中入れ替わって来た歴史があるからではないでしょうか。
我が国では焚書の習慣がありませんので、薩長が政権を取ったからと言って旧幕府の政治記録一切を抹殺することは出来ません。
焚書と言えば占領軍司令官としてマッカーサーが日本で君臨していたときに、占領政策に反する・気に入らない図書館中の本の廃棄を命じたという嘘か本当から分らない情報・・はっきり記憶していませんが日下公人氏が言っていたのかな?があります。
(ネットで調べると、きちんとした学者(電気通信大学名誉教授)である西尾幹二というひとが情報開示している様子ですので、アメリカによる占領政策・・日本を貶めるために行われていた歴史のねつ造作業を知りたい方はそちらをお読み下さい)
あいにく日本は庶民に至るまで・乞食までが路上で新聞や本を読んでいる社会ですから、図書館の本さえ廃棄すれば占領軍の意に沿う歴史を作り上げられると思ったマッカーサー指令は頓挫してしまったようです。
(アメリカでは当時庶民の家々にまで本が大量に行き渡っていなかったからこその失敗でしょう)
日本では江戸時代から木版刷りの印刷が普及していて書物が大量に出回る社会ですし、平安の昔からの史実が旧家の土蔵から出て来た書物によって明らかになることがしょっ中あります。
奈良時代のことでさえ、荷札として使われていた木簡や竹簡が出て来て長屋の王の食べていたアワビまで分る国です。
中国の歴史上有名な焚書と言い、アメリカの日本での思想統制・歴史の書き換え政策と言い庶民レベルの低い社会を前提にした政治のやり方です。
話を戻しますと、現在中国のある地域の場合、エジプト、インド等とは違い、そこに出入りした民族自体が王朝の交代の度に大幅に違っていたこと・・有名な所でも(中国が公式に認めている異民族支配)5胡16国や5代10国あるいは金やモンゴル、最後は後金=満州族による清朝による支配とめまぐるしかったことは誰でも知っているとおりです。
この外でも所謂隠れ異民族支配を挙げればキリがない程、異民族支配が多かった地域です。
史記によれば、殷を滅ぼして周を建国した武王は西伯の子(西伯とは西方の異民族の族長という意味です)です。
ですから、この時点で既に異民族支配が始まったことが分ります。
そもそもこの頃には、漢民族とはまだ言わなかったですから、何が異民族かも分りませんが、しょっ中異民族が入り変わって支配をしていた時代であったことが分ります。
この地域で興亡した諸民族は、漢民族系?王朝を名乗っている場合でも、秦の滅亡以来毎回最下位の流民(・・もちろん何の教養もない食うや食わずの連中です)が王朝を転覆させて流民・最下層の頭目が帝王になったり、異民族が侵入して王朝を建てることの繰り返しだったので文化の継承もなく、前時代よりも発展することもなく毎回ゼロからの繰り返しでやってきました。
歴代王朝の中で最高潮の文化レベルに達したのは唐王朝ですが、李氏自体漢民族とは言い切れないのではないかと私は個人的印象(学問的にどう言う説があるのかを知りません)を持っています。
唐時代に文化の花開いたのは、タマタマ、ササン朝ペルシャが滅亡してその王族や多くの人材・文化人が流れ込んで来たことによるものであって、地元漢民族があの絢爛豪華な文化生み出したものはありません。
この辺のいきさつについては、12/16/05「東西移動から南北移動へ4(ペルシャの影響)」のコラムで連載したことがあります。
ペルシャからの文化注入が途切れた後の中国地域ではマトモな文化発展を出来ないまま現在に至ったのです。
このときに唐ではペルシャ人が10万人単位で殺されたとも言われますが、何かあるといつも極端に走る民族性です。
日本のサービス業の進出がここ数年盛んですから中国のサービス業も少しは洗練されるでしょうが、今度の騒動で日本企業が潮を引くように引き上げるとペルシャが引き上げた後のようにまた1000年ほど停滞するかも知れません。

民度5(孔孟の教え3)

中国では儒学の良さをそれほど自覚していなかった・・そもそも実学理解でしかなく、この世をうまく立ち回る打算術程度にしか考えない国民性でしたので、これでは息苦しくて仕方がないことから、他方で浮き世・現実離れした老荘の思想が並立するようになったのです。
日本の儒教理解から見ると精神論中心ですので、老荘思想は浮き世から離れ過ぎて見えるのですが、あちらでは儒教理解があまりにもあくせくとした現実的打算ばかりだったから、現実にあり得ないような老荘思想や仙人願望が精神の均衡(少しはマトモな精神を持っている人がいるとした場合の話ですが・・・)を保つために必要になったのでしょう。
この傾向は、すでに竹林7賢人の時代から現れているのですから、彼の地の精神世界はずっと昔から中庸を欠いて(極端に走る国民性)いたことになります。
玄宗皇帝も晩年は儒学の息苦しさから逃れて道教に凝って政治混乱を引き起こしています。
中国の改革開放(これも極端なカジきりです)にあたって、日本がその主たる援助支援国でしたが、我が国は長年中国伝来の儒学の教えを大切にしてきた・中国を尊敬しているという姿勢でしたので、中国はこのときにこれは使えると感じたのでしょう。
この結果、中国政府は自分たちも誇りを持っても良い・・これは売り物になる・・利用出来ると分ったので、(それまでは共産主義に反する教えとして厳しく批判して来たのですが・・・)それ以来孔子を自分たちの誇りと言い出したに過ぎません。
尖閣諸島近辺に石油が埋蔵されていると分ってから、イキナリ領有を主張し始めたのと同じです。
この点は日本が統治をしたときに韓国民にも日本人同様の教育をするために各地に日本から費用持ち出しで学校を作りましたが、(世界中で植民地にこのような制度を普及させた国があるでしょうか?)そのときに漢字しかないのでは庶民に対する教育にならないので、勉強の手がかりを与えるために日本のひらがなみたいなものを必要としていました。
ひらがなを強制するよりは民族性を尊重した方が良いということで「韓国にもこう言う良いものがあるじゃない・・」と一般に使用されていなかったハングルの良さを強調して完成させて学ばせたのと似ています。
戦後、韓国/北朝鮮は日本の推奨でハングルの一般普及が始まったことなど国の恥だと隠蔽して自国の偉大な発明として満足していますが・・・。
現在もしも中国が本気で孔孟の教えを尊重しているならば、その教え・精神は日本人の築き上げた価値観を逆輸入して学んでいることになります。
最近の中国での近代漢字熟語は、約7割が日本からの逆輸入品であるのと根本が同じです。
中国地域では10月16日に書いたとおり、民族支配が交互にあったことから2千年単位で戦略的・打算的行動だけが主たる行動理念として身に付いてしまっています。
自国文明の偉大さを宣伝するのに利用出来ることが分ったから(それまでは文化大革命では、最重要排撃対象でした)手のひらを返したように「孔孟は偉い」と世界に宣伝し始めました。
(ノーベル賞に対抗して孔子賞まで始めたのは。韓国並みの精神構造ではないでしょうか?)
彼らは孔孟は偉かったと利用したいだけで、心から孔孟の教えを尊重する気持ちもないし、本当に良い部分を真摯に学ぶ気持ちのないひとが99、99%ではないでしょうか。
実際に日本で理解しているような「仁」を中心とする孔孟の教えを理解するようになれば、現在中国人のように、目先の私利私欲・打算による行動ばかりで、守銭奴のような行動(金のためなら知財盗用どころか本当の泥棒でも何でもする民族です)を恥ずかしくって出来ない筈です。
ちなみに中国何千年の歴史と世上(中国贔屓のマスコミ・文化人だけの言い方ですか?)言われますが、これは中国独特のプロパガンダに過ぎません。
嘘でも何でも現在の政権に都合の良い主張(プロパガンダ)を繰り返していれば、それが歴史になるというのが、韓国・中国の歴史に関する基本的思考方式です。
個々人で言えば自分が得だと思えば「明白な嘘」を言うのさえを恥ずかしく思わない道徳?の社会になっています。
順次地位が上って行って政権を取って行く我が国のような形式の場合、自分を引き立てくれた先の権力者やその周辺の価値観すべて否定することは出来ません。
これに対して流民が王朝をひっくり返して権力者になるか、異民族の侵入・占領による新王朝樹立を繰り返して来たこの地域では、前王朝に義理があるどころかむしろ全否定したくなるのでしょう。
この繰り返しの結果、現在の中国のある地域では前時代の全否定・・歴史は現王朝が嘘でも何でも都合よく創作して国民に強制すれば良いという習慣になってしまいました。
中国や朝鮮においては歴史とは客観的事実・我が国で考えている史実ではなく、現政権の都合を宣伝する道具・プロパガンダであるという意識ですから、我が国で考える歴史・「真実は1つ」を前提に話し合っても解決にはなりません。
中国や韓国、北朝鮮では歴史とは史実を明らかにすることではなく、明白な嘘・あり得ないことでも自国に都合の良いことを主張して相手に認めさせる行為であり、プロパガンダであるという割り切った社会です。
史実は1つ・正しいことは1つだから粘り強く話し合えば、必ず解決出来る筈という我が国流の思考方式では話がかみ合いません。
両国が日本に対して「正しい歴史認識を持て・・」と主張するのは、14日に趙高の故事を紹介しましたが、両国が「鹿を馬」と言えば、本当は鹿でも馬ですと言うしかない・・慰安婦問題や尖閣諸島の領有を主張しさえすれば「日本はツベコベ文句を言わずに合わせろ」という主張をしているに過ぎません。

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