政府と国民の分断策(日本人の一体感)3

アメリカはイラク戦争の大義を証明するには、大量破壊兵器が存在した証拠が必要でした。
ルーズベルト大統領は、対日開戦の大義・・日本は支配下で酷い奴隷政治をしていると言う宣伝を繰り返してアメリカ国民を対日開戦に、賛同させるために煽って行きました。
その宣伝の正しさを維持するためには、まずはでっち上げの極東軍事裁判をするしか外ありませんでした。
それでも数名殺したとか小さな事件しか摘発出来なかったので、内心のやましさを克服するために時間をかけて日本統治下での残酷政治を捏造して行くしかなかったのです。
今では、韓国大統領が日本はナチスによるユダヤ人大虐殺に匹敵する大犯罪を日本が冒したのに謝らないと世界中に宣伝して歩いています。
これがアメリカの意図する総仕上げかも知れませんが、そこまで行けば、慰安婦のでっち上げどころか朝鮮人民を収容所へ入れて何百万と殺したという途方もないでっち上げが必要です。
そこまで言い出した時点で、韓国人による空想的非難のバカさ加減が世界中で解されるようになってきました。
アメリカはそこまでの嘘につき合うと、自分まで気違い扱いされかねませんから、つき合う気がなくなったようです。
しかし、その程度まで行かないと原爆投下や日本中の都市を包囲して非戦闘員の婦女子を焼き殺して来たことの言い訳が出来ないことも確かです。
アメリカは虚偽宣伝の無力さを理解して、今では方針変更し始めていることを昨日のコラムで書きました。
ところで、終戦直後にアメリカのでっち上げ作戦に協力したのが唯一朝鮮民族でしたが、その外はどこの国も協力しませんでした。
わずかにアメリカの支配下にあったフィリッピンだけが、山下奉文大将の処刑に協力した程度でしょう。
中国の場合、その当時国民政府(蒋介石)でしたが、アメリカによるでっち上げに協力しなかったので、南京虐殺事件など当時は全く問題になっていません。
アメリカと言うかルーズベルトによる戦争に向けた大義のシナリオでは、日本人自身も天皇制の下で隷属下におかれていて、国民の怨嗟の声が大きい・・だから外国でも無茶苦茶やっていた・これを暗黒の軍国支配から解放する戦争をしたとでっち上げる必要があったでしょう。
占領軍は、国民解放軍として歓迎され君臨するつもりで上陸してきたことになります。
これが権力と人民を二分する戦後宣伝の基本思想でした。
日本民族の政府に対する隷属・支配の道具が神道であったとでっち上げたのが、アメリカ政府の基本方針だったようです。
神道は酷い宗教であって、これが国民を隷属させてさらには朝鮮や中国、東南アジアその他の民族を虐げて来たという架空ストーリーです。
これの元凶として神道を措定してこれを壊滅させることによって、日本支配体制の変革・神道解体→国体の変革に意義を見いだしていたようです。
アメリカの占領方針は、指導者の下にどんな無茶なことでも従うしかない欧米の弱い庶被支配者をイメージして神道・その頂点の天皇制さえぶっつぶせば、日本人を変えられると誤解していたことによります。
西洋の宗教戦争と言っても領主ごとの宗教にその領民には信教の自由がなく、盲目的に改宗して行くだけであったことを以前書いたことがあります。
04/17/06「世界宗教の非合理化と改革6(仏の場合1・・・ナントの勅令1)」05/17/06「宗教改革14(独の場合7・・シュマルカルデン戦争」等をお読み下さい。
イギリスで言えば、ヘンリイ8世が、離婚事件でローマ法王と喧嘩して国王がカトリックと縁を切れば、国民はみんな自動的にイギリス国教会の信徒になってしまったと言えば理解出来るでしょうか。
織豊時代に宣教師が領主さえ改宗させれば良いと思って布教にきたら、日本では個々人が宗教を決める社会であったことに驚いた記述が残っているそうです。
領主ごとに宗教が決まる西洋型社会であれば隠れ切支丹など残らなかったでしょう。
西洋の個人主義・人権尊重と言っても大革命がなければ存在しない・・革命でやっとそう言うスローガンになった程度で底の浅いものです。
アメリカも150年前に奴隷解放をスローガンに戦争して漸くその必要性に目覚めた程度に過ぎず、心の底からの納得にはほど遠くて1900年代の終わりころに漸く公民権が認めれられたに過ぎません。
やっと人を大切にしなればならないと気が付いたばかりの国々が、千年単位も前から犬猫まで大事にしている日本に対して人権がどうのと自慢することがおかしいのです。
日本とその他の国では、千年単位の民度差があるといつも書いている一事例です。
これが後に紹介しますが、アメリカ政府は日本から日本語.漢字をなくしてローマ字にする占領計画をしていた(日本民族の独自性消滅を画策していただけではなく自分たちのレベルが低かった)のは、西洋やアメリカでは指導者の言いなりになる・庶民の知的レベルが低いことが前提でした。
日本語をなくす奴隷化目的ではなく、日本人の多くが漢字が読めないので天皇の政府にいいように教えられているので、識字率を上げる目的だったと言い訳しています。
結果的にローマ字化は実施されずに終わりましたが、軍政実施目的同様の理解不足・・自国民レベルと日本人を同視していたことに原因がありました.
この点朝鮮はアメリカの期待どおりの民度でしたので、軍政も予定どおり実行されたし、アメリカの意向で?漢字使用をやめてアルファベットの代わりにハングル文字だけになっています。
勿論韓国では宗教面でもキリスト教が、大盛況になっていることはご承知のとおりです。

アメリカの神道敵視政策7(日本人奴隷化3)

我が国では、ポツダム宣言受諾の可否を巡る論争以来、国体の護持とこの破壊が敗戦直前から戦後政治の基本争点でした。
国体の護持と言うと古い神格化した天皇制を頂点とした軍国主義的体制と・・偏狭なナショナリズムの権化みたいに見えます。
自宅には法律書を置いていないので引用出来ませんが、私が司法試験勉強したのは宮沢俊義(人権関係)と清宮(統治機構関係)の憲法でしたが、(いずれも昭和30年代前半ころ執筆・・当時の支配学説でした)実際そのように我々は教育されてきました。
戦後学会やマスコミ・作家・文化人等は、アメリカ占領軍に対する迎合主義者で固められていますので、我々は民族精神存亡にかかわる基本的争点・アメリカ占領軍に対する奴隷化阻止闘争を、神格化された天皇制や軍国主義維持かどうかの戦いであったかのように矮小化して教育されてきました。
迎合と言うと厳しすぎるかも知れません・・昨日書いたように日本人の奴隷化を阻止するためにそれぞれの立場で腐心していたことは間違いのないことでしょう。
心で哭きながらも命じられて黙々と中国等へ搬出するために機械の梱包に当たった人もいますし、積み込む作業をした人たちもいます。
彼らを売国奴と言えるでしょうか?
みんなで必死に「堪え難きを耐え」ながら働いていたその姿勢全部がマッカーサーらの気持ちを変えて行ったのです。
マッカーサーと取り巻きに日本人はアメリカの良き友人だと思わせるために国民はその持ち場持ち場で頑張っていたことを評価する必要があります。
迎合との批判を受けようとも、民主主義を信奉する姿勢を示すことがまず第一の必要性でしたし、まずは彼らに日本を信用させることは独立を早める道だったことは明らかです。
そのためには、アメリカの汚さ悪辣さを言い募っているだけではいい結果になりませんから、そう言う批判はマスコミがなるべくアメリカ軍に見せないようにしていたことは、迎合/自主検閲とも言えますが、日本側の智恵でもあったでしょう。
マッカーサーが解任されて帰るときに、沿道にもの凄い数の見送りが自主的に集まったのも、巧まずして(組織しなくとも日本人は自然にこの程度のことは出来ます)日本人がまとまって演出したものです。
彼は心底気持ちがよかったでしょうから、日本擁護の議会演説もしてくれたのです。
上記は最後のころの話ですが、まず司令部は、言論の自由・日本民主化のための占領政策・日本人の解放と言いながら、自分(GHQ)に対する政策批判を一切許さなかった検閲と強化していたことも出てきました。
日本マスコミは迎合と言うかこれに協力して、(協力しなかった朝日は発禁処分を受けています・・その後100%協力に変わったのでしょうか?)アメリカ軍司令部に気持ちのよい環境づくりに精出したことも検閲がスムースに行った一因です。
実質的に奴隷支配を目的としていたとすれば、言論統制は当然の帰結です。
マスコミは逆統制もしていました・・これによって司令部に知られると日本の独立に都合の悪い情報(右翼の勢力を過小に報じるなど)が司令部に入らないようにしていたからです。
司令部はマスコミに検閲を命じていて逆に司令部に入るべき情報もマスコミに検閲(しゃだん)されていたことになります。
マスコミはこのときの経験があるので、自分の都合だけで(韓流など)一方的情報を流す習慣が未だに続いているのではないでしょうか?
日本は戦後も政党結成の自由があったと言っても、政党間の国会での議論で政治を決めるのではなく、GHQの指令で決まるのであれば、国会とは/民主主義とは何だったのかとなります。
この端的・象徴的な例が自主憲法かどうかが争われている現憲法制定過程です。
憲法に限らず国会で決めたように外形上なっている各種法令が、実は全てGHQの承認がなければ出来なかったことが分ってきました。
GHQの意思決定には日本国民は一切関与出来ないのですから、何のために総選挙をしているのか、これをもって民主国家形成のために軍事占領しているという茶番性は外形上明らかです。
ただし、非関税障壁で有名なように、日本は表面上従いながらしたたかに日本の立場を盛り込んで行くのが得意ですから、正面から対決出来なかったことばかり捉えるのは不正確です。
対決するばかりが強いのではありません・・対決しなくとも日本人は強くしたたかに対応していて、国民に必要な法令を成立させていたし、結果的に欧米植民地以下の生活水準に落とされないで済み、今の世界に冠たる文化国家日本があるのです。

アメリカの神道敵視政策5(日本人奴隷化1)

日本民族が如何に酷い民族であったかの宣伝を徹底するには、日本人の気高い生き方自体を否定する必要がある・・そうすれば戦前のアメリカ政府の宣伝が正しかったことになります。
万物を慈しみ畏敬する神道の存在・・日本人の和の心が残っているのでは、日本人が植民地で人道的な政治をして来た証拠になり不都合だったでしょう。
神道の否定・・政教分離・日本人のモラルバックボーンの否定・破壊こそは、アメリカが日本に戦争をせざるを得ないように仕組んで引きずり込んだ大義の証明に必要でした。
戦後日本人を退廃化させるにはバックボーンになっている神道の破壊こそが有効と考えたのでしょう。
戦時中の研究の結果、日本人の強固な団結心が神道によると分ったので、彼らは神道を目の敵にしたのです。
米軍占領政策の一部を2013-10-27日現在の「連合国軍占領下の日本」と題するウイキペデイアから抜粋します。

「1946年11月、ポーレーは最終報告として「我々は日本の真珠湾攻撃を決して忘れない」と報復的性格を前文で明言し、「日本に対する許容工業力は、日本による被侵略国の生活水準以下を維持するに足るものとする。右水準以上の施設は撤去して有権国側に移す」とした。軍需産業と指定されたすべてと平和産業の約 30%が賠償施設に指定され、戦災をかろうじて免れた工業設備をも、中間賠償としてアジアへ次々と強制移転させた。」

これを見ると決して日本人民を奴隷化するものでははないとポツダム宣言では言いながら、(ポツダム宣言に技書かれてること自体が怪しい・・実質奴隷化が目的だったのではないかと以前コラムで書いたことがあります)イザ降伏すると相手に武器がなくなったことを良いことにして、日本を日本の非支配下人民レベル以下に落とす・・軽工業と農業しかさせないという基本方針が決められました。
そもそも日本の民主化と植民地以上の工業生産禁止とどう言う関係があるの?アメリカの邪悪な意思が明らかな決定です。
欧米の非植民地の東南アジア等で読み書きさえ自由に教育されない・何ら植民地人には近代工業力を着けさせないというレベルにしか、日本人に生活させないという決意がここで証明されます。
実際に爆撃から守り抜いて漸く国内に残った工業設備がドンドン中国等へ搬出されました・・。
朝鮮半島は無傷でしたから、そこへは運びませんでしたが日本は焼け野が原でしかも残った工業設備も重要なものは全部(当時の植民地のレベル以上のものを搬出するとなれば、ほぼ全部です))持って行かれてしまったのです。
中国等へ搬出用に梱包作業を命じられた当時の日本人は明日からその仕事ができなくなるのですから、その心を思うと涙が出ます。
日本には存在を許されない工業設備を中国へ持って行くということは、搬出された国・・中国以下の工業力によるしか生活しかさせないという近代的奴隷化の実現でした。
物を作る能力があるのにそれを禁止し、燃料その他必要ならば輸入させる・・輸入代金は農産物輸出で賄えというのです。
・元々食糧不足国ですから、そこから輸出に回せばしょっ中餓死者の出る国・ひいては文化活動に割くに余力がなくなり、文化的にもアフリカ並みの国に転落させるもくろみだったでしょう。
能力のあるものに能力を発揮さないほど残酷な仕打ちはありません。
優秀な子供に勉強させないで家事労働等で酷使するシンデレラの話を地でいくような目標をアメリカは立てていて、表向き奴隷化しないと主張していたのです。
マッカーサーが最高司令官に選任されたのは赴任直前だったと言われていますが、彼が日本軍に対する復讐心に燃えていたので適任と考えられたのでしょう。

アメリカの神道敵視政策3と政教分離1

アメリカや中韓人民は自分が支配者になればこういうことをやった筈だという空想・・自分の行動原理を基準に、戦時中から戦後に掛けて日本がやってもいないことをやったやったやったと批判するのに躍起ですから却って彼らの心根・・自分がやってきたのかと疑われるようになります。
中韓両民族はアメリカの言い分に便乗して、でっち上げ主張を激しくすればするほど自分の卑しさが浮き彫りになることすら、理解出来ないほど道義心が退化してしまった民族のように見えます。
自分達の非人道的植民地支配を暴かれるのが怖くて、全て日本がやったとありもしない犯罪をなすり付けるのがアメリカや西洋の流儀ですし、強者の論理に乗っかって日本批判をし続けているのが中韓両政府です。
アメリカは残虐な過去の歴史を消せないために、これを薄めるためには日本やナチスがもっと酷いことをしたと宣伝すれば良いと思いついたのではないでしょうか?
それには、万物を慈しみ畏敬する神道の存在・・日本人の和の心が残っているのでは、日本人が植民地で人道的な政治をして来た証拠になり、不都合だったようにみえます。
神道の否定・・政教分離・日本人のモラルバックボーンの否定・破壊し、欧米並みの残虐獰猛・・私利私欲の追及が正しいとする生き方に変えることこそが、戦後日本人を退廃化・レベルダウンさせる基本原理として有効ですので、日本を支配する重要・・根本指針に定めたと思われます。
ポツダム宣言受諾の可否の時点から戦後ずっと国体の護持とこの破壊が戦後政治の基本争点でしたが、国体と言うと古い神格化した日本・・偏狭なナショナリズムの権化みたいに教えられて来ました。
アメリカのすり替え政策に学者が協力したことによって我が国では、自虐史観が横行して来たことになります。
国体の護持は古来からの日本人の心を大切にしようという意味であれば、これをぶっつぶし・日本民族の強固なアイデンティを破壊しようというアメリカの陰謀に組する訳には行きません。
いわゆる政教分離・信教の自由は、相手が絶滅するまで攻撃をやめられない・・際限のない殺し合い・戦争になることから生まれた経験による後付けの智恵(メッキ)であって、これは排他独善的な一神教にこそ必要として生まれた政治原理です。
・・ドイツ宗教(30年)戦争では人口が3分の1にまで減ったとも言われています・・。
政教分離が必要と言っても、その政治思想が生まれた経緯から見れば、宗教論で激しく争い相手の宗教を絶滅させることに政府や軍が関与してはいけないと言うことに気が付いたのが本旨でしょう。
政教分離が西洋で重視されるようになったのは、排他的闘争が行けないことに気が付いたからであって、そもそも我が国のように万物同等の価値観の国では縄文時代から克服して来た智恵です。
この辺は無制限に弱者をいたぶる西洋その他の国で修正のために生まれた人権思想よりも前・・万年単位で日本では、そもそも強者が何をしても良いと言う論理が許されない社会が成立しています。
お金持ちがいくら贅沢をしても勝手というのではなく、権力者も質素な生活しかしていない点も思想の根拠が同根ですが、幕末日本を訪れた外国人が一様に驚いているとおりです。
神社仏閣の前で公人が手を合わすこと程度まで、禁止するようなものではありません。
そもそもアメリカ大統領自身が、大統領宣誓式でキリスト教方式の宣誓をしているのがテレビ報道されています。
他方で戦後日本では神社へ奉納する数百円の真榊料でさえ憲法違反かどうかが大問題になり,閣僚が参拝すると公人か私人かが厳しくマスコミで問題にされます。
佛教関係に比べて神道だけ特に厳しく問題にされて来たのは、今にして思えば異常な感じですが、アメリカの神道・・日本の善良な心の根絶・破壊目的だったのではないかとうがち過ぎてみれば理解可能です。
アメリカの真意・意向をうけた知識人やマスコミ人が、こぞって自虐史観を宣伝することによって善良な日本精神破壊し・・欧米・中韓並みに私利私欲に邁進する社会(市場原理の徹底)の実現に精出して来たのが戦後政治だったようです。

日本人の心=日本教3(伊勢参り3)

昔から「悪知恵」にたけている人と言いますが、一定の才能があっても道徳律に反した悪い方にしか使えない能力では日本人にとっては価値がありません。
中国何千年の歴史と自慢しますが、そんな方向ばかり・・相手の足を引っ張ったり権謀術数・狡猾さばかり発達させているのでは、人智・道徳律の発展という意味では何千年分も退化する一方で来たように見えます。
悪い水に長い間使っていたようなもので、長かった分だけ悪くなってしまったことになります。
私のように(勿論島崎藤村や啄木の詩も好きですが・・)漢詩文に憧れて育った世代にとっては、現在中国の退化し切った価値原理を知るとその落差に驚くばかり・・憧れていた分に比例して失望も大きい状態です。
よく考えてみると私の好きな漢詩文もその裏にはずっと専制政治の弊害・失脚に関連する故事に溢れていたのです。
・・例えば「論仏骨表」の上奏によって韓愈が左遷されて行く途中で、見送りに来た甥に与えた詩が有名ですが・・そうした社会のあり方が人民の正義感に影響している問題点にまで、高校時代には気が回っていなかっただけも知れません。
日本人としてはそれでも良い・・これだけ世界中に日本の悪口を言いふらしていてもまた助けを求められれば、これからも過去を水に流して助けてやりたいというのが我が国の宗教です。
どんな悪人でも頼って来れば助けると言う有り難い教えですが、その分日本人にとっては「甘えの構造」になっている面も否定出来ません。
韓国人はいくら悪辣な日本批判をしても,日本はいつでもこれを許してくれて,いつでも韓国人さえ日本に近づく気になれば、日本と仲良くなれるし日本人はこれを受入れて来れると心底信じている様子が見えます。
悪く言えば甘く見ているフシがありますが、この意味するところは日本人が彼らが言うような悪人ではないと言うことを自白しているのと同じことになります。
安倍総理がいつでも門戸は開かれているというのは、まさに日本人の宗教心から沸いて来る冷静な結果です。
ネット上では今度中韓が困って来ても無視してやれば良いという報復的意見が多いですが、多くの日本人の正常心・・大方の意見はそうではありません。
一国を代表するべきものは落ち着いた大人の対応をする必要があり,この辺では中国が国連で口汚く日本を罵ったり韓国大統領の一国元首の発言とは思えないような低レベルな発言を繰り返しているのを見るとまだまだ国家統治経験が低すぎるという感想を持つ人が多いでしょう。
アメリカ流の弱肉強食の原理・利己主義が蔓延して、戦後少しの期間日本人の心が中韓並みに荒みかけていましたが、生活が落ち着くと縄文の昔から続いて来た本来の日本人の和の心を徐々に取り戻すようになった傾向が伊勢神宮参拝者増加に反映していると思われます。
以下平成24年伊勢市観光統計【資料編】「参宮客の変遷(明治・大正・昭和・平成)」データによります。
戦後の荒廃した一時期・・欧米流の弱肉強食の思想から、日本人の心が縄文以来万年単位で育んで来た正常心・・和の心に戻り始めたのか、昭和28年ころからかなりの参拝者に復元しています。
昭和28年の式年遷宮以降経済復興に連動して順調に伊勢神宮参拝者が増加していますが、バブル崩壊後・・まさに平成という年号のとおり外形的成長は止まっても豊かな生活が始まった平成に入ってから意識的に元の日本人の心に復帰したと私は思っています。
人の心の変化に関する統計は滅多にないので、このような外形の変化で見るのも一方法です。
そこでネット検索すると、(10月16日から書いたようにマスコミ報道は当てにならないので)上記の伊勢市観光統計資料が出ていました。
1ページ目には平成元年以降の月別統計が出ていますので、まずこれによります。
これによると平成元年の内宮参拝者は396万人、平成5年は1年間で(前回遷宮時)552万人で、10〜12月末までの数字では約180万人なのでこれを引くと10月初めの時点では、(月間数字しかないので12日目での比較は大雑把になります)380万人程度であったことが分ります。
一日一日の細かい数字まで発表用の表に載せていないだけで、多分伊勢市当局に問い合わせれば日にち別の数字も当然分った筈(日にち別集計がないと月別集計も出来ません)ですから、マスコミはその気になれば正確な数字を簡単に発表出来たのに、敢えて1年分と9ヶ月あまりと比較する・・伸び率が低く見えるような作為報道をしているのではないかと言う立場で10月16日からマスコミ批判して来ました。

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