国際情報の一般化4(海外留学熱鎮静論3)

留学熱低下の話題に戻ります。
サーフィン目的等の私費留学生が2割減っても三割減っても(社会人分野の現地出張等が増えているので)将来の日本には大した関係がないと思います。
マスコミや文化人が留学熱の低下に警鐘を鳴らすならば、私費留学生の増減と区別した分野別数字を発表して論じるべきです。
サーフィン目的等で留学・遊学している留学生数が、増減した場合日本にとってどう言う意味があるのでしょうか?
昭和50年代から爆発的に増えていた学力的中底辺層は、留学生の90%以上を占めていた可能性があります。
中小企業経営者(・・ペンキ屋や工務店、レストラン経営者)など親はお金を持っていますが、子供は官費留学できるような秀才ではないことが多いので私費留学性となっていましたが、彼らの留学熱が下火になると数字上20年前に比べて・・比率上も大幅減になります。
もしマスコミが増減数を気にしてキャンペインを張るならば、今ではもしかしたら全体の数%しかない公費(官費)留学生と区分けした増減率を明らかにした上で、公費留学生が減ればどう言う影響があるのか、私費留学生の増減がどう言う影響があるなどと区分した増減の影響を論じるべきでしょう。
この区分けをしないで若者が元気をなくしているのが心配だなどという意味不明な短絡的報道をマスコミがしていて、したり顔でこれに迎合する意見を述べる文化人や経営者がいます。
ただし、エリートの増減率だけ調査してこれが変わっていなければ良いという訳ではありません。
留学が危険でコストがかかり過ぎる時代には、遣唐使のように極少数エリートの留学生を派遣して核心部分をしっかりとつかんで帰って来ることが重要でしたが、今は文化を輸入するばかりの立場ではなく、海外進出・文化や技術輸出すべき立場です。
輸出相手となれば、相手国の社会全体を多様な目で多面的に見て来ることが出来る、経済力や交通機関の発達もあって可能になり、またこれが必要な時代です。
20年ほど前に千葉の若手弁護士が数年ほどカリフォルニアに遊学しましたが、ココで勉強して来たのはワインのうんちくでした。
弁護士実務を習って来た筈ですが、その自慢するのは野暮・恥ずかしいと言う都会人らしい美学に基づくのでしょうか?ワイン産地関連のウンチク披露だけ(こればっかり関心があったかのような書きぶりで)して・・これを学びに行って来たと千葉県弁護士会の会報だったかに書いていました。
このようなウンチクのある人材が増えることが日本社会が豊かになることに直接何に関係すると具体的に言えませんが、モノゴトはストレートに関係のあることより長い目で見ると大きな影響があるものですから、幅広い文化交流は出来れば拡大した方が良いと思います。
昔から「無用の用」が重視される所以です。
ただし、留学という定義に当てはまるかどうか不明ですが、以下に書いて行くように、海外進出加速によって、社会人になってからの現地勤務等によって、多くの若者が現地体験する機会が増えていますので、私費留学生の減少をそれほど心配する必要がないように思えます。
とは言え、留学生減少のテーマでマスコミが騒いで文化人にいろいろ言わせる以上は、日本の先頭を引っ張るべきエリートの留学熱が昨今どうなっているか、その他留学生の動向・実態を分類して考察すべきです。
・・私費留学者数の推移と公費留学者数の推移・企業の海外赴任者数の推移を分けて論じないで、まとめて留学生のみを取り上げて大幅減少と大騒ぎしてもあまり意味がないように思えます。
留学の対象や留学?海外勤務する年齢層が変わって来ていることを以下で書いて行きます。
例えば中国や東南アジア諸国等後進国でも、日本企業がそこに進出するには、その国の(遅れた)現行法制度を実際にマスターしないとスーパー・コンビニや工場1つ進出・経営出来ません。

国際情報の一般化と知識人の没落3

何か事件があって誰かがスレを立てると直ぐに世界中の庶民が反応した意見を書くので、それぞれの国の庶民のナマの感想・・知的・文化レベルが手に取るように分るのも一例です。
戦後フルブライト留学生など、一部のエリートしか留学出来なかった時代には、留学した先の欧米が如何に素晴らしいか・・その素晴らしい文化を自分だけが知っていると、ひけらかしていた時代は終わりました。
日本が豊かになったことによる大量の私費留学生や世界に大進出を開始している企業による大量海外赴任時代の到来で、エリートによる海外情報独占は事実上終わりを告げていましたが、ネット時代が来て完全に終わったことになります。
千葉市美術館で日本の水彩画の草分けという大下藤次郎氏の企画展が開催されているので5月31日にみてきました。
日本画であれ油絵であれ、プロの使用する絵の具は今でもすごく高価なものですから、水彩画が普及していなければ、子供のころから誰彼なしに絵を描くチャンスがなかった訳ですから、水彩画の普及が日本人の絵心の裾野を広げた功績は甚大なものがあったことになります。
日本では江戸時代から庶民が浮世絵の購入客であったことが、教会の宗教画や王侯貴族の肖像画が中心であった西洋とは大きな違いでした。
ちなみに物の本による庶民とは、近代まではブルジョを庶民と言っていましたので、貧しい家庭のの子供まで学校で絵を習う・・描く主体になるには、水彩画の普及が必須であったでしょう。
上記大下氏が明治20年代末頃に千葉県の館山湾(別名鏡浦と言いますので、鏡のことを別に古来から菱花とも言うらしく、シャレて菱花日記となっていました)から白浜方面にかけて1ヶ月ほど滞在したときの絵日記が公開されていました。
大量の絵日記の記述は実に洒脱で、しかも一々の記述が社会観察の本質を突いているのには唸りました。
その中に洋行帰りの人に会うと長い「自慢話に恐れ入る」という意味の賛(正確には忘れました)が書いてあります。
私はこのコラムで最初のころから、横書きを縦にしているだけで威張っている人・昭和40年代ころには何かあるとテレビに学者が出て来て、したり顔で「欧米では・◯△◯・」と言う解説が横行していたことを、10/22/04「刑罰と教育の民営化のすすめ2(太平洋戦争の敗因は?1)」06/07/06「武士と軍部の違い2(純粋培養の時代2)」その他で批判的に書いてきましたが、明治の20年代末にはこう言う批判精神が既にあったことにいたく共感して帰ってきました。
話を戻しますと、海外進出も初期にはロンドン・パリやニューヨークなど首都中心でしたし、会う相手も相手国の上級幹部中心でした。
企業のグローバル化が進むとエリートの海外赴任よりも、工場進出やスーパーなどの現場系進出が中心ですから、出張する人材や駐在員も工場関係者や現場系が多くなります。
アメリカへ行くと言っても地方都市や郡部中心になってきますし、生産工場に限らず販売網も地方に食い込まないとどうにもならないので、いわゆるどさ回りが多くなります。
従来型幹部やエリートの留学や出張がない訳ではありませんが、(工場進出を決めたりするにはトップクラスが何回も足を運びます)昔と違って、エリートや幹部だけではなく、その他大勢の海外赴任比率が上がった点をココでは書いています。
この結果庶民レベルの交流が広がり、庶民レベル(風景で言えば、有名な場所だけではなく普通の景色)庶民の生きているたたずまい)が赤裸々に分る時代が来ています。
ちなみに国の基礎レベルは、普通の道路状況や路地裏や下層階層の生き方・レベルで決まります。
たとえば、北朝鮮のような貧しい国でも首都の表通りだけならば綺麗にしたり立派なビルを建てることが出来ますし、将軍様やその取り巻きだけならば、日本の総理よりも高給料理を食べ・高級衣装を身に着けることが出来ます。
庶民レベルになると今年何万人が餓死する予想などと報道されるほど、とんでもないほど生活水準や意識が低いのです。
従来の知識人は路地裏を見ないで立派な表通りだけ見て来て欧米はすごいとか共産主義社会はすごいと宣伝していたのです。

集団自衛権4(予測の複雑さ)

過去にあった社会現象ならば認識が簡単かと言うと、慰安婦問題、太平洋戦争の原因は何かなど過去の歴史事実だっていろんな意見があるので簡単ではないと言えます。
ただ、歴史論争は、過去にあった大量の資料のうちどれを重視するかの問題ですが、将来の事象になると現存する客観資料の取捨選択だけではなく、将来が到来するまでの間に、相手方も日本の防衛準備を見て変更余地がある分、不確実性が増します)
一般に予測というものには、客観事実を前提にその先を予測するもの・・たとえば東京駅で何時何分発新幹線に乗れば大阪に何時に着くという予測は、いろんな人間の営みに支えられているとは言え関係者の自由意志によって遅れるようなことは滅多にないので、言わば自然現象の予測に似ています。
雨が降りそうだからと傘を持って出たら、雨雲が人間がカサを持っているから雨を降らすのやめようと変更しません。
ところが政治や経済現象の将来予測は、その間に自由な人間の意思力によって相手の出方によって途中の方向転換が可能なので、どんな風にも変わってしまいます。
選挙で優勢の予想が出れば支持者が安心してしまって運動エネルギーが弱まる外、双方から頼まれていた人は絶対優勢の方は大丈夫だろうからきわどい人に投票しようとなって最下位予想の人がトップ当選し、絶対優勢を予想された方が落選するようなことが起きます。
自衛力を充実すれば、相手は方向転換して日本より弱そうなところに勢力を伸ばそうとします。
その他の国も充実すると、どこにも攻めて行けずに平和国家のフリ(養光韜晦)に戻るかも知れません。
日本に攻めて来ずフィリッピン等にも攻めて行かなかったから、無駄な自衛力だったと言えるかと言う議論になります。
集団自衛権の是非の議論に戻りますと、国防に関しては、非嫡出子判例のように過去のある時点の社会実態調査ではなく、現時点の判断である分だけ(情報が充分に行き渡る期間がない結果、前提事実なしの「解釈変更は是か否かという単純質問の場合、)意見も分かれるし難しいところがあります。
国防に関しては、具体的危機が迫ってからの世論変化→与党内擦り合わせに半年〜1年→法改正→同盟国との協議開始→実戦配備の訓練等をやっていたのでは間に合いませんので、5〜10年先の動向を見据えて今から議論しておく必要があります。
そこで10年先の動向を踏まえた現状がどうかですが、2014/04/18「無防備平和論と周辺国の実情2」前後で書きましたが、今やアメリカに頼って無防備のままではどうにもならないほど危険な国際情勢になっています。
今朝の日経朝刊では、多数の中国漁船(多分漁船を偽装した軍関係者でしょう)がベトナム漁船を取り囲んで体当たりを繰り返した結果、ついにベトナム漁船が沈没した(別のベトナム漁船に救助された)と報じられています。
相手が抵抗できないとなればどこまでもエスカレートして行くのが中国のやり方です。
同じく日本の哨戒機の何十メートル近くまで中国戦闘機が接近したと1昨日から報道されていますが、日本の抗議に対して「撃墜されなかっただけ有り難いと思え」というのが中国の反応です。
現在〜近い将来はアメリカ一国による安全保障の提供では物足りなくなって来たことが背景にあって、「弱小国同士が相互に助け合いましょう」となって来たのは当然の議論です。
圧倒的武力をもっている国や組織が治安維持してくれるときには、個々人は丸腰・非武装でも安全です。
戦後アメリカが警察官役を果たして来たので、我が国に限らず東南アジア諸国・・フィリッピンあるいは島嶼諸国は、元々国境観念が少なく国単位で隣国と大規模に紛争して興亡した経験がなかったこともあって、国防意識が希薄だった結果外敵の侵攻に対する備えが足りない・・準備不足である分、余計に助け合いが必要になっています。
アフリカの国境線は植民地支配国の勢力範囲の線で決まったものであって、民族や部族の生活圏とは一致していないことが有名ですが、インドネシアやフリッピンも植民地支配の範囲を1つの国にしたと言う点では変わりません。
多数の島々が植民地になる前から一体感を持って行動して来たことがありません。
インドネシアでは島ごとに言語が違って大変だったらしいですが、日本支配のときに日本得意の教育制度を取り入れたことで急速に言語の統一化が進んだと言われています。
ただし、ウイグル人等に対して漢語を強制する中国のように日本語を強制したのではなく、日本のばあい、台湾やフィリッピン、インドネシア等では、現地の多数言語の教育システムを構築しただけです。

中国の膨張策と集団自衛権3

集団自衛権の政府解釈変更の是非についての議論は、政府答弁をしたときと現在の国際情勢に変化があるのかないのか?あるとしたらどの部分でどのような変化があって、集団で自衛をしないと(日本一国だけの自衛が可能か)どうにもならない状態になりつつあるのか等について実証的に議論することが必須です。
集団自衛権行使の是非については、強引な中国の領土・領海拡張要求に直面しているアジア諸国における弱者連合の必要性・合理性の有無を議論すべきです。
実態に関する議論をタブー視・無視して、解釈変更をすること自体が違憲になるという議論は、必要性の有無程度に関する実証的な議論に入らせない効果を期待しているのでしょう。
今朝の日経新聞朝刊1面には、世論調査結果が出ていて、議論自体を許さないというマスコミ宣伝が効いたらしく、解釈変更に反対と言う意見が多数であるような報道でした。
国民の多くはプロパガンダ次第というところがありますから、マスコミ支配力は恐るべき効果を発揮します。
解釈変更自体が「議論の余地なく何故許されないか」の掘り下げた議論がマスコミ報道ではどこにも出ていないで「変節は許さない」とか祖父の岸信介の自主憲法制定怨念?を引き継いでいるかのような個人資質を強調するムード報道が目に着きます。
こう言う報道を煽って来た結果
「何十年も守って来た政府解釈の見直しは許されますか?」という問いかけは一見中立的ですが、これだけでは、中立的な人の多くは解釈変更は御都合主義でおかしいと感じてしまうでしょう。
「現状はこうなっていますが、これに対処するための解釈変更をすべきだと思いますか」という質問ですと、答えはかなり変わってきます。
そもそも集団自衛権の是非の前に、解釈変更の是非を第一のテーマとして問うているとした場合、この質問形式自体中立的ではなく、一定の立場で質問していることになります。
マスコミが世論(誘導するつもりがなくて)を知る必要があるのは、集団自衛権を認めるべきか否かの国民意思であって、その必要性があると言う回答の場合、解釈変更をどう思うか、どうすべきかの質問に移るべきでしょう。
解釈変更の是非を集団自衛権行使の必要性以前・・入り口の議論にしているとすれば、世論調査が一定の立場・・内容の議論に入らず変更自体を攻撃している特定の偏った立場で調査していることになります。
(世論調査質問内容・順序を知りませんので仮定の議論ですが、今朝の1面の書き方を見れば、大見出しに「解釈変更反対51%」と大きく出ていますので、これに焦点を絞った質問をいたと想定されます。)
私は法律論・・公平な議論をするための意見を書いています。
すなわち解釈変更違憲論は、どう言う場合には許されるか許されないか、どこまでの行使なら合憲で、(正月ころにスーダンでのPKO派遣軍だったかで、韓国軍が反政府軍の進撃対象になっている状態下で、小銃の弾薬が不足して自衛隊が緊急事態として弾薬を貸したことがありました・・こうした具体的な事態ごとの議論が必要です)どこまでならば違憲かと言うまじめな議論をすることすらを許さないという立場ですから、戦前で言えば「非国民」というレッテル貼りで言論を圧殺して来たのと同じ論法です。
実態観察の議論を抜きにした頭っからの反対論は、中国の目指す弱者連合打破論(中国にとっては都合の良い理論です)に裏で通じている疑いすら持たれることになり兼ねません。
実務家・法律家である以上は、政府答弁時と現在では立法事実(社会実態・・今回のテーマでは10年先の国際情勢)の変化があるか否かの実証的論争こそすべきであって、これを回避すべきではありません。
昨日書いたとおり、非嫡出子差別の違憲判断は現時点(と言っても訴え提起した人の相続開始時点ですから、かなり前・・過去の社会実態がどうであったかの判断)で、合理的差別か否かを判断したものですから、将来予測に比べれば簡単です。

中国のバブル崩壊11と虚偽宣伝の破綻3

共産主義・社会主義の理想とする社会の本質は、稼ぐことよりは分配の平等を実現することこそが本来のテーマです。
ところが、現在中国は世界でも最悪の格差社会になっていて、これを羞じるところがありません。
ソ連時代にも特権階層と一般人の格差は酷いものでした。
北朝鮮も人民は飢え苦しんでいますが、支配層は我々日本人のアッパーでも手の届かないような贅沢をしています。
酷い格差社会を現出している政権が共産党を名乗っているところが、世界中の共産主義政権の欺瞞性を余すところなく象徴しています。
彼らは不法に乗っ取った政権を維持するために共産主義を便宜的に名乗っているだけであって、彼らから見れば、人民の福利のための政治ではなく人民は搾取・支配の対象であり機械器具・奴隷同様の使い捨てです。
国内統計調査は国民のために実施しているのではなく、被支配者に反抗されないように、情報収集してコントロールするべき道具です。
現在生き残っている共産党政権・・中共政府と北朝鮮を見れば、独裁政権・専制支配下では(政権が民主化されない限り)人民のための政府ではなく、政府機関は現政権維持に役立つべきマシーンであって、データ発表があるとすれば政府宣伝に過ぎないと言う位置づけが変わりません。
植民地時代のインドや東南アジア諸国での軍や警察は、植民地支配政府に楯突かないように情報を集め、楯突けば鎮圧するために存在していました。
現在の中華人民共和国の政府や人民解放軍や警察も植民地時代の欧米の植民地軍・政府と目的が同じです。
共産党政権という山賊的国家乗っ取り集団維持のために政府機関が存在し、傘下の機関は全て支配の道具でしかありませんから、調査結果をそのまま出すと政府に不都合となれば隠匿し捏造するのは当然の帰結であり、これを問題にしている日本などの諸外国の方がおかしな主張をしていることになります。
反抗や暴動の兆候をさぐるための内部調査であって国民が実態を知るための調査ではありませんから、これをそのまま外部に出すと、暴動を煽り政権維持に支障がある場合、そのまま出すことはあり得ません。
専制国家がデータを外部に出すには政府に都合の悪い統計・・失業率・犯罪統計・・土壌汚染などは少な目に出すのは当然であり、国内総生産・成長率や貿易黒字は高めに出すこととなります。
軍事費などは国内的には大膨張しているように見せて日本を追い越したと宣伝したいでしょうが、対外的には軍事膨張を指摘されたくないので痛し痒しです。
中国では今でも民主化=国民のための政治を否定している以上は、政府は国民ためにあるのではなく、政権維持のためにあると理解すべきです。
正確な情報は国民が健全な判断をするために必須の前提ですから、民主主義と情報開示は表裏一体と言われる所以です。
政府発表は全ての分野において独裁政権の政府が如何に良い政府かの宣伝機関と位置付けられている以上は、不都合なデータを改ざん捏造するだけではなく、あることないことをでっち上げて宣伝するのも当然となります。
中共が独裁・専制体制である限り、何回反省したフリをしても、虚偽発表の宿命から逃れられないでしょう。
中国政府にとって、政府発表は全て専制支配の道具である以上は、正確な調査結果に基づいて政府が国民の不満を逸早く察知して対策を考えるためのものであって、政権維持に不利な統計など国民に知らせる必要がありませんし、政府に不利な結果の発表をしたら担当者は反逆罪に問われかねません。
1週間ほど前に公害問題を書いているジャーナリストが国家機密を漏らした罪とかで拘束されたニュースが流れていましたが、公害等の事実を暴露して政府を批判すると民間人でさえこういうことになります。
各種統計や公害調査データ自体に接することの出来る役人が外部に漏らしたら、大変な罪が待っているでしょう。
以上のような虚偽宣伝体質の結果、中国政府は政権維持のために改革解放後も再び虚偽データ発表を続けて約30年もやって来ました。

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