弱者保護という名目の労働者保護が行き過ぎると、企業が国際競争力を失う結果、失業率の増大となって労働者に跳ね返って来るのが目に見えているのですから、総合的な結果に責任のある政治が要請されます。
衆愚政治下では、全体をどうするかの視点を欠いたまま、国際競争力低下による失業者増大に対しては失業保険の給付期間を長くしろ、生活保護・社会保障を充実しろという方向へ進み易いのですが、その負担をする元気な企業がなければ、これも続きません。
ギリシャやアメリカでは、不足分を海外からの借金で賄って来たので、弱小国のギリシャでは取り付け騒ぎが起きているのですが、借金が増えることだけが問題ではありません。
借金してでも高額賃金や高額社会保障を維持していると借金を増やし続ける訳には行かないので・・あるいは借金増を少しでも少なくするために国内企業にその負担をさせる方向になります。
今国会の増税路線もそうですが、財政が赤字になると国内に残った企業・国民・・取れる所からとろうとするのが普通の方向性です。
ギリシャの場合も緊縮だけではなく増税路線とセットになると、企業は(売上減の負担増ですから)二重苦になります。
この点は我が国でも同じで現在の世界標準と乖離した我が国の高率の法人負担問題の基礎構造です。
高負担の動きが強まると中国等に対する比較高額賃金に対して何とか対処して辛うじて国内に踏みとどまっている企業まで、高負担に耐えかねて逃げ出し始めます。
こういう流れになると負担者がさらに減って行き借金が雪だるま状になって行き、お先真っ暗です。
年金問題で最近書きましたが、少子化による納付者減よりは正規雇用の減少による年金負担者の減少が基本にあるのと同様に、社会保障全体の担い手・・企業が減って来ると残った企業に過大な負担がかかり・・国際競争力阻害要因になります。
ギリシャでは有能・元気のある方から順に国民の海外脱出騒ぎが起きているだけではなく、国内優良企業が逃げ出す方向になっていると報道されています。
労賃・社会保障水準は閉鎖社会の時代と違い、国際競争力の問題として考えなければ持続性がありません。
失業率が上がり受給者が増えるときには、(大勢で分配することになれば保険・拠出制度ですから拠出額が一定とすれば)逆に給付率を下げないと制度を維持出来ないので資金が不足します。
(衆愚)政治の世界では逆に「大変な時代だから給付期間を長くしろ」などと保障内容を引き上げる要求が強くなります。
失業給付や社会保障給付が増大すれば、誰がその資金負担するのかを考えて適正な水準に抑えないと却って失業者が増え続けてしまいます。
国内に残った企業の負担率(税や保険)を上げる一方では、高賃金に困った企業がせっかく人を減らして効率化したのに今度は減らした人の生活の面倒を見ろとばかりに失業保険等の高負担を求められると何のために余剰人員削減で事業の効率化を図ったのか分りません。
現役労働者の賃下げが出来ない社会構造を前提とする限り、(これがおかしいのですが・・・いくら批判しても簡単にあらたまらない風潮ですからその点を措くとした場合)新規参入者の非正規雇用化の拡大・どの程度の比率まで容認するか・その処遇についての議論は、円高・デフレ進行による実質賃金上昇に対する調整方法として、新規採用分の非正規雇用化によってどの程度まで国内総人件費調整効果を容認するか、高失業率をとるかの選択問題です。
非正規雇用の待遇改善としてドンドン各種強制負担を増やして行くと、人件費調整効果が減殺されてしまうので、企業にとってはいよいよ海外脱出への誘惑が強くなります。
非正規雇用の待遇改善は、(同じ日本人を分断するのは良くないことですから・私も待遇改善には賛成ですが・・)正規雇用の賃金引き下げとセットにした政策としてその中間で収めるようにすべきです。
既得権の高賃金をそのままにして非正規雇用の待遇改善だけの政策では、既にアジア近隣国の10倍単位の高人件費負担に苦しんでいる日本企業にとっては、我慢の限界を越えてしまうリスクがあります。