消費者信用の拡大5(破産増加?2)

融資には一定の不良債権発生が(金融機関にとっても不良債権発生が少ない方が良いでしょうが)あるのは仕方がないことですから、6万人程度の破産が岩盤かどうかは、論理の問題ではなく長期観察の問題でしょう。
同じ6万人でもトータルでの消費者債務(破産債務額)が増えているのかなど多様な吟味が必要です。
人口比だと約5〜10%のレンジですが、昔から東大入学者のうち約5%のハズレがあると言われてきたように、どんなに精選しても歩留まり率というものがあります。
経済政策巧拙の問題よりは、社会的落伍者が債務管理能力不足による・・誰でもカードを安易に作れるし借りられる・庶民でも消費を謳歌できる良い社会?になったので注意しないと過剰債務・落伍者になる時代が来ています。
誰でも腹いっぱい食べられるようになると肥満が増えるような関係です。
子供は自己管理能力の低さを懸念して親等の保護下におかれ社会の荒波に揉まれないように保護されていたように、成人でも(法的には平等としても実際には)経済取引に参加できるのは経験を積んだ資産家だけだったのが、今や庶民までもが直接金融取引に参加する便利な「大衆消費」時代が来たのです。
こういう時には自制心や訓練だけに頼る他に、公的に各種勧誘規制等をしていかないと弱い消費者は守られません。
この一環としての金利規制もあるのですが、消費債務の中でサラ金系より金利の低いカードローン系の比率が上がるようにしたのは当然の進歩と言うべきで、それ自体が(金利の低い庶民向け商品が提供されているのは)庶民にとって良い方向への変化であって銀行系が非難されるべきものではありません。
震災被害者向けに昨日紹介した超低金利・長期間据え置きの融資をした結果、公的債務の占める比率が高いからといって公的融資が悪の元凶だという人はいないでしょう。
ところで、過剰貸付の基準は可処分所得による・・総量規制は年収の何分の1で決めているのですが、可処分所得の増減は、雇用・景気動向状況に左右されます。
毎月無理なく払える限度が4万円の人が、6万円の支払い義務があってその支払いに苦しんでいる場合に、可処分所得が2万円増えれば(月収30万の人が32万になれば)危機を脱します。
ここにきて学卒の就職率が97%前後の勢いが報道されていますが、正規非正規雇用の関係でも改善が進んでいます。
以下は総務省統計局の労働速報です。
http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/4hanki/dt/
労働力調査(詳細集計) 平成29年(2017年)1~3月期平均(速報)結果
2017年5月9日公表
「結果の要約 役員を除く雇用者5402万人のうち,正規の職員・従業員は,前年同期に比べ47万人増加し,3385万人。非正規の職員・従業員は4万人増加し,2017万人。非正規の職員・従業員について,男女別に現職の雇用形態についた主な理由をみると,男女共に「自分の都合のよい時間に働きたいから」が最も多く,男性は前年同期に比べ3万人増加し,女性は21万人増加」
実質賃金アップについては日経新聞によると以下の通りです
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDF22H0E_T20C17A5EAF000
実質賃金6年ぶりプラス 16年度、名目も増加 」 2017/5/23 9:04
上記のとおり正規社員就労数が増えて賃金手取りも増えているなど好調ですから、昨年の破産申し立て統計が若干(1、2%)増えたとしても、そのまま増加傾向が続くのか?増えそうになっても今後どうなるかが不明です。
破産や再生申立て数は(震災特別有志で紹介したように据え置き期間が五年もあります)4〜5年前の不景気時に借りた借金の破綻が今頃出てくるなど・・)超遅行指数ですから、これだけで現在の政策を批判したり将来を判断することは出来ません。
将来を見るには、過去5〜10年間の消費者信用残(が増える一方だったか)の増減や、延滞者数の変化表などを読み込んで行かないと今後2〜3年先の破産増加を予想するのは無理があるでしょう。
この道のプロ集団である日弁連消費者委員会が昨年1、2%増加したことを仮に問題にしているとすれば、上記の関連データを読み込んだ上での主張なのかもしれませんが、もしそうならばそこまで言って貰わないと読む方は消化不良です。
下記の通り意見書が出ているようですから、そこには多分詳細データが出ているのでしょう。
http://www.jc-press.com/news/201610/101302.htm
消費者最新ニュース2016年10月
銀行系カードローンで自己破産、過剰貸し付け「防止を」 日弁連が意見書
「銀行系カードローンによる多重債務被害の増加が懸念されるとして、日本弁護士連合会は10月12日、過剰貸し付けの防止を求める意見書を金融庁に提出した。」
とあったので日弁連が破産増加を懸念している意見書を出したのかと思って日弁連意見書に飛んで見ました。
https://www.nichibenren.or.jp/activity/document/opinion/year/2016/160916_3.html
要旨を見ると破産増に対する懸念ではなく、銀行カード系も総量規制すべきという論旨であって理由を見るためにpdfの全文に入るとアンケートによるとサラ金系が減って(所得無視の)カード系債務が増えていることが中心関心らしく、ついでに16年5月までの新受件数が前年比100%超えるようになったことを触れているだけです。
2000年代に入って消費信用が何故伸びるかというと、高度成長の終わった国では、内需拡大しかないがお金を全国民に直接配るわけにいかない(という思い込み)→景気対策として「金融緩和すれば借りて消費する人が増えるだろう」と言う方向になったことが窺われます。
その中でわかり良いのが新築件数の増加目標は、てっとり早い効果が見込める分野ですから中韓もこの方面に精出してきました。
住宅ローン金利を下げればお金を配らなくとも自然に使ってくれるので簡単だからです。
100%融資を前提にすれば、金利を5%下げれば販売価格を5%値引きしたのと同じ効果になり、価格一定の場合、金利下げに比例して購入者の購買力が増します。
例えば年収800万の人しか買えない高額物件が5%年収の低い人でも買えます。
これに加えて頭金500万以上の残金ローンの条件であったのを全額ローンにすれば(この何年も前から仲介・登記等の諸費用や転居費用等の融資もあります)これと並行して「当初5年間金利だけ払えば良い」という設定の場合、本来500万円貯めるまでの期間と5年間の昇給を待たないと買えない人が5年プラス5年の合計10年早く買えます(消費先取りがその先どういう影響を及ぼすかは別問題ですが.・・)。
20年ローンを35年ローンに伸ばすと毎月の支払額が減るので、この面でも債務総額が増えても支払額が同じで一時的に購買力が上がります。
リボルビング方式の住宅ローン版で、多額の債務を負うようになっていることは同じです。
日本は平成初めのバブル崩壊以降、あの手この手で消費拡大・・弱者の生活水準向上に精出してきたことになります。
返済期限の先送りは低金利を前提にしていますから、日銀のゼロ金利政策同様にある日ローンやクレジット金利があがると収拾がつかなくなくなります。

消費者信用の拡大2(供給過剰と過剰与信)

民法の消費貸借では同じ国民が貸す方に回ったり借りる場合もある互換性(その他分野も全てそういう建て付けです)の関係で出来ています。
(「とんとんとんからりんと隣組の歌で歌詞の1節に「あれこれ面倒 味噌醤油御飯の炊き方 垣根越し教えられたり 教えたり」とあるように、要は味噌醤油をちょっと借りたり貸したりする程の関係・・今で言えば財布を忘れてちょっと知人に小銭を借りたり手元のボールペンを貸してもらうような場合です。)
業として貸すようになると民法の原則的規定では済まなくなってくる・・貸金業法から規制法になっていくのは、業者は貸すばかりの一方的な関係になってきたので規制が必要になったものです。
戦後自由化が進んだように言われますが、結果から見ると逆に宅建業法や証取法から金融商品法になり道路交通法や建築基準法など規制強化が進む一方です。
あらゆる分野で対等者間の契約というものが意味をなさなくなってきた時代の法制度がどうあるべきかが消費者保護法制定の原動力でしたし、いろんな分野で問われています。
自由化が進むとこれのルール化の必要が出てきた・・モータリゼーションで移動の自由が現実化すると、(歩行者同士ならばスクランブル交差点でわかるようにルールがなくとも自然に入り乱れて歩けますが)運転者と歩行者となれば、隔絶した力関係を背景にした交通ルールがより細かくなり、不動産取引が増えると宅建業法ができ、金融商品が増えると証券や金融商品を取り扱う業者に対する規制が厳しくなって行くのは、仕方がないでしょう。
投資のようなリターンが想定されていない消費信用の拡大発達に戻りますと、消費財購入の借金は勤労者で言えば、原則的に昇級を前提にしない限り満期が来てもその時返済すべき新たな収入がないので無理っぽい借金ですが、これを打開するために毎月一定額支払う月報販売が始まりました。
欲しいものを買うために1年間貯蓄してから買うのではなく欲しいと思ったらまず買ってその後1年間毎月貯金しているつもりで月掛けで業者に払えばいいというやり方です。
これは時間を金利負担で買うことになって一見合理的です。
お金を貯めてから友達と旅行したい、進学したい、おしゃれな洋服を買いたいなどと言っていると年令・チャンスがどんどん過ぎてしまいます。
「一見」合理的とは合理的に行動できる人にとって(ダケ)合理的というだけであって、「あれが欲しいがそのために1年間は他の買い物や遊びを我慢できる」人はそんなに多くありません。(だから多くの人にとってお金が貯まらないのです)
本来自発的に貯金できない人でも借金になると半強制的(韓国女性のように海外売春遠征してでも返そうとする人が出てきます)なので無理して払う動機付けが生まれる結果、自発的貯金を殆ど出来ない人の8〜9割を何とか真面目人間に変身させることに成功するでしょうが、それでも終わりころには息切れする人が出てきます。
供給側からすれば、消費の先取りをすれば1年早く売れるものの、その代わり1年前の先取り分の反動減が起きますし、(消費税アップ予定やたばこ値上げ前の先取り需要景気の後で値上げ後の反動減がおきます)消費者が月賦を払うために節約すれば日常的に消費していた他の小さな100個の買い物を我慢する結果他の商品が売れなくなります。
早い者勝ちを防ぐために、リボルビング方式が考案されました。
これは次々と商品を買いクレジットを組んで総額が増えても毎月の支払額が変わらない(返済期間が長くなるし金利支払い期間が長いので帳尻は合っていますが)目先にごまかされる人には一見魔法の仕組みです。
満期を際限なく伸ばしていければ返済期限がないのと同じ・・金利負担だけが重荷ですが、どんどん金利を下げて行けば、(例えば5%の金利が1%になれば借入総額を5倍まで増やしても金利負担が同じです)借入限度が上がります。
日本国債の買い替え債発行はこの原理の国家的応用で、満期が来ればその買い替え債を発行してその新規発行によって得た資金で完済して行くので満期のない借金と資金繰りとしては同じです。
この際、重要なのは買い替え債発行時の国債相場・金利動向です。
満期直前に金利が1%アップしていれば1%多く発行しなければ資金不足になりますから債務残高が膨らんでいきますし、下がってればその逆で借り換え債発行額を減らせます。
国債の場合借り手である政府の方で勝手に?金利を決められるので、低金利政策が主流になってきたことになります。
消費者信用の隆盛は、モノ不足時代が終わり供給過剰体制が恒常化→高度成長終了→給与アップ・支払い能力の右肩上がりの終焉→支払い能力を超えた消費拡大を煽るしかなくなったことによって消費拡大を求める供給側と事業用融資の縮小が始まったことによって業務存在価値を失った金融資本の生き残りのための合作で始まった印象です。
昭和4〜50年代から社債等資本市場の発達により、優良企業が直接資金調達が簡易可能になったことにより、庶民から小口資金を集めて貸す・・問屋的役割の銀行から資金調達する必要がなくなったこと(「銀行よさようなら、証券よこんにちは」のキャッチフレーズ)を14〜15年ほど前にこのコラムで紹介したことがあります。
このように支払い能力を超えた需要喚起必要性の視点で国家的に見ると、需要創出のためのケインズ的財政投入の活発化・・日本政府借金(・・国債には建設国債と赤字国債の2種類がありますが、)財政赤字の始まりと消費信用活発化と赤字国債発行が恒常化するようになった時期がほぼ並行していたことからも観ることができます。
赤字国債に関するウイキペデアでは以下の通りです。
https://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/edit
「財政法第4条は「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。」と規定しており、国債発行を原則として禁止している。財政法第4条の但し書きは「公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる」と規定しており、例外的に建設国債の発行を認めている。
しかし、1965年度の補正予算で赤字国債の発行を認める1年限りの特例公債法が制定され、赤字国債が戦後初めて発行された。その後は10年間は赤字国債の発行はなかったが、1975年度に再び発行されて以降は1989年度まで特例法の制定を続け赤字国債が発行された。
1990年度にはその年の臨時特別公債を除く赤字国債の発行額がゼロになり、1993年度まで発行額ゼロが続くものの、1994年度から再び発行されその後に至っている。」
国家財政に話題が逸れましたが、消費信用の拡大は一見合理的ですが、上記の通り合理的な人間ばかりではない・時間の経過で支払いに窮する人が一定率発生します。
住宅ローンやクレジットの支払いに困った人がデフォルトの先送りのためにサラ金に借りる傾向が出るのは当然の成り行きでした。
上記のとおり過剰消費=過剰債務を誘導する限りいつかは(過剰である以上)支払いに困るのですから、破綻先送利のために徐々に下位の金融業者(サラ金にも払えないとヤミ金に走る→犯罪に走るなど・・自殺と他殺とは紙一重です)に頼るようになるのは想定範囲内のことです。
サラ金金利が高すぎる、取立てがひどいなどの問題があるとしても、過剰貸付を放置するから住宅ローンや各種クレジット支払いのためにサラ金等に借りるのですから、本来サラ金に行くようになった時点でデフォルトすべきだったことになります。
サラ金で借りて2〜3年ほど住宅ローンやクレジット等を払ってくれた・・先送りで得したのは、汚れ役をサラ金に押し付けた金融機関や信販系・バックの物販業界です。

格差社会5(サービス無償意識2)

サービス業の無報酬意識→報酬の低廉化傾向に戻ります。
大分前に書きましたが、女性の仕事は単価が安くても良いと言う前提があるから、女性の活躍と言うと男性用に作り上げられた職場で男性顔負けで働く・・男勝り・残業もするし転勤もいやがらないなど・・誤った風潮になるのです。
女性活躍社会とは男性職場に入って男以上の能力発揮することではなく、女性固有能力を尊重する・女性の仕事には機械に置き換えられる男性の仕事よりも価値があるという意識転換が必須です。
両性の本質的平等・・相互に違いを認めあい尊重する社会を実現することこそが本質的に重要です。
機械で代替できる分野はどんどん機械化して行ける・・最後に残るのは人の温もりでしょう。
「女性のやさしい介護等はお金変えられないから・・」といって、無償や低賃金で良い筈がありません。
「お金に代えれない貴重なものだ」と言う言葉の本来の意味を実現して行くべきでしょう。
そうなると女性の方が有利・人件費が高い時代がきます。
若い人でも家庭内では奥さんの地位が高いと思いますが、高齢化するともっと地位が高くなる・高齢化してからの方が妻の有り難味が分かるのは体が効かなくなって世間との代替性が下がるからです。
トランプ氏は製造業従事者数の減少を国民平均収入低下の原因として問題視して製造業の復活を主張していますが、製造業では機械化・ロボット化が進む一方で労働者の需要が減っていくのは防げませんから、サービス業の尊敬が必要です。
少なくとも、製造業従事者の賃金底上げにはアメリカのように移民を入れて労働者を増やす政策は間違いです。
製造業の重要性は変わらないとしても、活躍する人材は製造業の省力化・ロボット製造関係などの研究開発に移っていますから、底辺労働者の需要がなくなる一方です。
無限の底辺労働力を抱える中国でさえ、ロボット化・少量化投資に邁進中であることをMay 23, 2017「ロシアの台頭と資源(民族文化の有無)2」
で紹介したとおりです。
近代工業に比べて収入が低くなった農業収入を上げるとしても、農業従事者を増やせという人はいないでしょう・・底上げには従事者を減らすしかないのと同じです。
金融のプロやIT技術者に昇格出来ない在来のアメリカ人が多いことは確かでしょう。
しかもこれはアメリカに限らずどこのクニでも同じ問題です。
そこで高度に専門家した知識群の理論的・実践的な応用を対象とする「H-1Bビザ」で、高度技術者になれる移民を入れて上層部に組み込んで行く企業行動によって、下層階級化・・落伍して行く元中間層がノーを突きつけている構図です。
15年程前にこのコラムで移民でも有能・エリート層を入れれば良いと言う意見に反対意見を書いたことがありますが、アメリカ人も自分が追われる立場になるとそう言うことです。
アップル、ウーバーその他IT業界で高額所得者になるインドを中心とする新移民と、IT業界隆盛の御陰で企業の警備員や受付係・ホテルのベッドメイキング係や掃除夫・運転手の職にありつける・・移民2〜3世の雇用を守る構図を従来政治家は前提にしています。
今後アメリカ国籍取得後2〜3世には原則現場労働・サービス業しかなくなって行くとすれば、(企業トップやIT技術者になれる人もいるでしょうが大方の話です)GDPが半分〜3分の1になっても自分たちが政治家や社長・中間管理職をやれる方が良いと思う人が多いのではないでしょうか?
アメリカ国民平均で言えば、優秀な技術者を入れない限り能力不足で世界の潮流に着いて行けないとすれば、自分の民度をあげる努力をして底上げ出来る限度で中流国レベルで落ち着き納得するか、これが嫌ならば自国民の能力不足を補うためにインド人などのIT技術者等を移民として受け入れるしかありません。
戦中戦後ドイツ系を多く受け入れて科学技術の発展を享受したのと同じ流れを繰り返すかです。
この場合、国家社会は発展するでしょうが、自分達の仕事の多くがビルの受付や掃除夫などに転落して行き、毎日働いているのにフードサービスに頼る生活になって行きます。
都市近郊地域にホワイトカラーが移り住んでくると農村地帯の地価が上がって一時農村住民が潤いますが、落ち着いてみると自分達の出来る仕事は公園整備などの現場系しかないのと同じです。
このジレンマで国内で面白くない人が増えてきた結果、ただ不満・怒り発散のために対外強行策を政府に求めても、目先の溜飲を下げるだけで本来の解決にはなりません。
お腹の空いた赤ちゃんが泣くのを宥めるために「ガラガラっ」と音を出すだけのことです。
クニの方向として無理をしないで(有能な人を引き入れないで)引き上げられる民度に応じた中〜下流国になって行くのを認めるかどうかの決断をするのが合理的です。
どうあがいても民度以上の生活が出来ないのが正しいとすれば、低賃金労働者を求めて数世紀に亘って(黒人奴隷〜中国人奴隷(クーリー)〜戦後のアジア系移民)大量に移民を受け入れてきた過去蓄積が重荷となってきます。
威張るために低賃金移民をドンドン入れる・・人口の多さや資源だけが自慢では、ブラジルや中国、インド並みのレベルに落ち着いて行くしかありません。
クニ・民族の栄誉を求めるために、IT技術者を大量に移民受入れて元々の国民の多くが移民の運転手や掃除夫になるのは、レストランで言えば自分は運転手や掃除をやりその給与で働きながら経営者・技術腕利きの調理士を高給で雇うようなものです。
経営者としては客が半分、従業員も半分・収入半分になっても、自分が経営者のままでラーメンを作っている方が良いか、有能なコックを入れて自分は皿洗いして皿洗いの給与で我慢するかの問題です。
個人の生き方で言えば大きな家を貸して門番や受付を掃除をしているよりは、小さくても自分の家の方が良いかの問題です。
「世界の警察官をやめたい」と言うのは、トランプ氏が言い出したことではない以上、身の丈にあった生活の方が良い・後者の人が多いことを表しています。
トランプ氏の主張は単純粗野な印象を受ける人が多いですが、国民の素朴な願望を表現している点が重要です。
これをソフトランデイングさせるプロの政治家が必要なだけで、方向性が間違っているとは思えません。
そこで17年3月11日以来、彼の思想を整理して実現させるプロの実務家が不足していることを書いて来ました。
中国解放後の欧米政治は,北米ではNAFTA(域内総生産はEU以上です)西欧はEU結成→移民受け入れによる人口増・市場拡大政策で分るように、飽くまで従来型規模の利益を追う方式の延長であり、新興国並みの競争力維持策・ひいては熟練工・熟達事務系不要社会の追究でした。
そして一方では国際展開・・IT化を進めその主導権を握ろうとして来ました。

格差社会2(職務発明と労働分配率)

国全体のGDP・付加価値を合計して・・総人件費との比率・・労働分配率が下がった(上がっている場合にはトンと話題になりませんが・・)などと言う抽象的批判さえ言えば、片が付く時代ではありません。
平和主義と言いさえすれば、平和が維持できるものではないのと同じです。
ある企業内で考えても、発光ダイオード事件の報酬が低過ぎると裁判になりましたが、・・あるいはノーベル賞受賞した田中氏の例見ても分るように、世界展開する先進国企業では、貿易黒字よりも所得収支黒字が中心になっていることと比例して国内的に見ても今や現場労働の比重が低く、研究開発部門・知財を生み出す比重が高くなっています。
こういう人の高収入をやっかむ必要がない・・伸びる人や分野はどんどん伸ばしてやるべきです。
いわゆる職務発明の対価が会計上どう言う分類になっているのか知りませんが、労働対価であれば請負のように成果に関係ない筈ですから、・職務発明対価は研究成果によるのですから、人件費と言うよりも、発明の対価(特許権は発明者に原始的に帰属する→権利譲渡)ですから、企業にとっては土地代金のような譲り受けのコストであり人件費にはならないでしょう。
この種の人の受ける報酬がいくら増加しても労働分配率が上がるどころか(企業の総コストが一定であれば人件費率が下がります)逆に下がる仕組み・・高額報酬が労働分配率を計算する際の人件費から抜け出しているのです。
http://www3.grips.ac.jp/~ip/pdf/paper2004/MJI04055goto.pdf
「職務発明の「相当の対価」の法的性格と算定方法について」平成17年2月
 後藤 信之(MJI04055)
1はじめに 本論文の目的
「・・・発明の権利は従業者に原始的に帰属するという前提(発明者主義)の下で、無償の通常実施権を使用者等に与えると共に、特許を受ける権利や専用実施権の設定権を事前の取り決めによって一方的に使用者が得られる代わりに、その対価を従業者に支払わなくてはならない旨 35 条で定めている・・」
(3)「相当の対価」を巡る論点
①青色発光ダイオード事件(2004.1.30東京地裁判決)(稲垣注→200億円)
本件は、東京高裁の勧告により平成17年1月11日に、支払額約8億4,400万円(発明の対価は6億857万円、遅延損害金(利息)を含む)で和解が成立した。
②光ディスク事件
日立製作所元従業員が光ディスク読み取り機構の発明に対する対価を
求めて、東京地裁に提訴(要求額は 9 億 7000 万円)。2004 年の2審判決
では 1 億 6500 万円の相当の対価を認めた
③味の素アステルパーム事件
人工甘味料アスパルテームの工業的製法を発明した元研究所長が「相当の対価」を請求。2004年2月24日東京地裁は味の素に約1億 8900万円を支払うよう命じ、原告・被告共に控訴していたが、東京高裁にて1億5000万円で和解が成立した。」
職務発明の問題は生産性引き上げに貢献した人に対する正当な対価が支払われるべきであって、生産性向上に何の寄与もしない労働者が格差反対だけ叫べばいいものではありませんし、労働分配率だけ上がることはあり得ません。
職務発明対価は言わば生産工程合理化のために導入した機械設備のコストと同じで労賃支払いにカウントされない・・労働分配率で言えば分配率を下げる・逆の働きをしています。
このように一見企業内労働者のように見えても、知財の場合には人件費と別の支払い対象になる分野が増えています。
メデイアでも成功して高給取りになるとフリーアナウンサーやコメンテーターなどになって独立していくのが普通でこれは外注費になっていき、労働分配率から外れていきます
アップルで言えばジョブス氏の貢献によって世界中で大規模にスマホが売れましたが、大規模生産が出来たのはジョブズの知恵と中国の労働者が働いたからであって、アメリカの労働者がこれに何らの貢献もしていないでしょう。
アップルの高収益とアメリカ国内の労働分配率を比較して労働分配率が下がったと嘆く経済評論家はこの世にいないと思われます。
格差社会の広がり・・労働分配率の低下があるとしても、社会構造(被雇用者内で高額報酬を得る人〜単純労務に細分化してきた結果、高額報酬を得られる人は人件費扱いではなくなっていく)の変化の結果であって原因ではありません。
金融業と言っても地域金融と国際金融があるように、弁護士にも国際派と地域で弱者救済・・リテールを追求する弁護士など色々あるように・・労働者といっても仕事の工夫をして役に立つ人と立たない人が昔からいます。
私の子供の頃のクラスには、教科書を読めない子もいたなど色んな能力の子供がごっちゃになっていました。
共通項は同学年・同一地域と言うだけでした。
小売店も個人商店中心の玉石混交時代と違い、明治以降デパート等の大型商店が発達し、戦後はスーパー〜コンビニ等になり個人物販店がほぼ消滅状態ですし、飲食店でも個人経営中心からチェーン店化が進んでランクづけがスライス化して来ました。
労働者も学歴が高卒中卒の違い程度でみんなごっちゃに働いて年齢差程度を基準に賃金を貰っていた時代と違い、今では一人一人の能力を査定して能力に応じて分配率が違う社会です。
子供が4〜5十年前から偏差値で分類・輪切りされるようになっていますが、「末端労働者」と一口に言っても労働者になる前からこの振り分けが極度に進んでしまった社会になっています。
期間工や派遣の時給は画一的と見えますが、採用側から言えば大量の対象者を細かくスライスして能力に応じて何千人単位で時給を決めているだけ・・作業効率の工夫を出来る人材は別に処遇しているし、よりもっと高度な工夫・・研究段階になれば、研究員となり院卒・研究者も内部階層化が進んでいます。
役に立つ点を見込まれて一定の出世する人にとどまらず、研究員の場合には、発光ダイオード事件のように何億と別途もらう人が出てきます。
ここまで来ると個人で賃金とは別に対価をもらうので、企業にとっては外注的コストですから労働分配率アップに貢献していません。
ところで、サービス業化が進むと労働対価が低下する傾向があるのは何故でしょうか?
この辺を解明しないまま、単に「労働分配率が下がっている」という教条的主張だけでは解決しません。
似たような傾向の意見では、昨日(27日)の日経新聞大機小機(19p)には、日経平均が民主党政権時代から2、5倍に上がっているが、経済実態とかけ離れていると批判しています。
引用すると以下の通りです。
「..旧民主党政権時代に8000円台で低迷したが今やその2、5倍になっている。・・他方実体経済では様子が異なる。消費もGDPも殆ど増えていない。今後この状態が変わるとも思えない。」
「株価は本来実体経済の今と将来を反映するはずだ。ところが今はこの2つが乖離している。」
続けて内容を読むと日銀や年金基金等による株式購入・・官製相場を懸念するもので、確かに問題がないとは思えませんが、書き出し及び内容のトーンを見ると如何にも現在の株価は実態と乖離し過ぎている・・官製相場で国民を誤魔化しているから将来に禍根を残す悪い政治ではないかという・・印象を受けます。

労働分配率の指標性低下2(省力化投資と海外収益増加)

6月24日の日経新聞「大機小機」の主張を引用しておきましょう。
「・・・第二次安倍政権誕生と同時に始まった今回の景気は拡大56ヶ月を迎え、経常利益は史上最高を更新し、産業界は好況を享受している。雇用報酬は横ばいで民の暮らしは豊かになっていない。今回の景気は[産高民低]だ。・・「消費低迷の背景として人口減少や社会保障の将来の不安、デフレマインドの定着などが上げられている。だが、注目すべきは労働分配率が今回の景気回復局面で急低下し・・・たことだ」「労働分配率の低下は先進国共通の傾向の現象だ」「・・労働分配率が変わらなければ・・消費も多いに盛り上がっていた筈だ・・昨今の先進国の消費低迷と低成長の背景ではないか」
と書いています。
労働分配率は国内総生産に寄与した関係者間の分配の問題であり、企業の好況は海外収益を含めた概念ですから、この比較するのはすり替え的で論法です。
労働分配率については、以下に簡潔に解説されています。
http://www.shimoyama-office.jp/zeimukaikei/keieisihyou/keiei7.htm
労働分配率とは、付加価値のうち人件費の占める割合をいいます。
労働分配率=人件費÷付加価値
付加価値とは、企業が生産、販売等の活動により、新らしく生み出した価値をいいます。 簡単にいえば、材料を1,000万円購入し、工場で製品を製造し、その製品を5,000万円で販売した場合、付加価値は5,000万円-1,000万円=4,000万円となります。
付加価値の計算方法は、主に次の2つがあります。


このように、付加価値とは言わば粗利であって加工するための間接・直接のコストが入っています。
中国がGDPアップのために需要無視でドンドン公共工事していてもGDPだけは増える関係です。
上記の通り控除方式では、製品にするための工場設備等の経費が控除されていませんから、付加価値には昨日書いたように機械設備の費用が含まれている・・設備費用が多くなればなる程付加価値に占める労働分配率が下がる関係です。
加算方式の場合にも、機械設備等のコスト等は金融費用や減価償却費等として加算されますから同じです。
先進国であれば機械設備投入比率が上がり労働力投入量を減らすのが普通→付加価値に占める労働寄与率が下がる→労働分配率が下がります。
また豊かな先進国では企業の海外展開に比例して個々人も金融資産が増えているので、消費力は個々人の金融資産や知財収入等を含めて総合的に考えるべきです。
労働分配率は国内で付加価値を創造した分・・GDPの分配率の問題であって、海外収益どころか国内収益・企業収益とすら直截リンクしていません。
GDPは利益と関係がない・・中国で言えば需要無視の鉄道や道路マンションをいくら造ってもGDPそのものは増えます。
GDPが重視されたのは、無駄な投資をする企業や国はないと言う暗黙の前提があったからです。
自由市場で競争する企業でも見通しを誤って無駄な投資になる場合がありますが、その代わり市場から手痛い報復を受けます。
中国の場合市場競争がないので政権が続く限りソ連と同じで無駄ワオ強制できますが、長期的に見れば、「無駄なものは無駄」・・国民の損失になるでしょう。
国際比較の知能テストや学力テストでも、予め生徒に問題を練習させておくような不正をする国がない信頼で成り立っていますが、これをやる国が増えると国際比較が成り立ちません。
労働分配率に戻しますと利益ではなく設備等のコストを含めた概念ですから、喩えば、IT化やロボットや機械設備投資の結果生産量が5倍になっても労働者の寄与率は下がることはあっても上がることは滅多にありません。
設備の合理化で生産量が5倍になった結果支払う相手の大方はロボットや設備投資代金であって、労賃をこれに比例して増やすのは無理があります。
「労働分配率低下が先進国共通の現象」と言うのは当たっているでしょうが、設備投資等が増えれば付加価値に人件費率が下がるのは当たり前・・それと消費停滞とは直截関連しません。
コストが人件費だけの労賃がほぼ100%の社会(極端な場合、いくら働いても海外から収奪される植民地社会)と国内生産は機械化が進み、国内生産が減ってもその代わり海外収益に頼る割合が高くなる・個人金融資産の蓄積の大きい先進国社会との違いを無視しています。
共産党系のスキな搾取論を言うならば、国際的比較では今でも成り立つ議論のような気がします。
先進国が自国内労働・国内生産以上の生活を出来ているのは、その差額分を(知財・金融その他の名目で)「後進国から搾取している」からと言う論拠の1つとしては意味があるでしょうが・先進国内の所得分配論としては、時代錯誤論です。
先進国では、産業間(業種内の業態) 格差こそが問題でしょう。
古くは1次産業〜2次産業〜3次産業への移行(場所的には都市から農村への所得移転策がその1形態です)が重視されましたが、今は同じ2次産業でも重厚長大から軽薄短小へ程度の大まかな振り分けから、部品系の消長に移っていますし電子機器からIT関連へともっと細かな分類が必要な時代です。
ロボット産業と言っても分野別にいろいろです。
部品と言ってもどんどん進化して行くので電池のように元は機械等の構成品に過ぎなかったものが、今や電池の中の細かな部品を作る企業が部品業界であって、電池は完成品扱いではないでしょうか。

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