立憲主義4(憲法と法律の違い2)

憲法のプロパガンダ性(我々の法学概念ではプログラム規定説)の例を挙げておきましょう。
現行憲法の「健康で文化的な・・生活」の条文については「個別法律がない限り個々の請求権ではない」という最高裁判例になっています。
以下は、いわゆる朝日訴訟・最高裁判決の(最高裁ホームページ)一部引用です。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=54970

「憲法二五条一項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定している。この規定は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではない(昭和二三年(れ)第二〇五号、同年九月二九日大法廷判決、刑集二巻一〇号一二三五頁参照)。具体的権利としては、憲法の規定の趣旨を実現するために制定された生活保護法によつて、はじめて与えられているというべきである。生活保護法は、「この法律の定める要件」を満たす者は、「この法律による保護」を受けることができると規定し(二条参照)、その保護は、厚生大臣の設定する基準に基づいて行なうものとしているから(八条一項参照)、右の権利は、厚生大臣が最低限度の生活水準を維持するにたりると認めて設定した保護基準による保護を受け得ることにあると解すべきである。もとより、厚生大臣の定める保護基準は、法八条二項所定の事項を遵守したものであることを要し、結局には憲法の定める健康で文化的な最低限度の生活を維持するにたりるものでなければならない。しかし、健康で文化的な最低限度の生活なるものは、抽象的な相対的概念であり、その具体的内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて向上するのはもとより、多数の不確定的要素を綜合考量してはじめて決定できるものである。
したがつて、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、いちおう、厚生大臣の合目的的な裁量に委されており、その判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあつても、直ちに違法の問題を生ずることはない。」

このような今でいう公約・スローガンや宣言程度の意味に過ぎない憲法条項をプラグラム規定とも言いますが、憲法13条の生命、自由及び幸福追求権なども同じです。
ヘゲモニー争いの合間に短期間に出来上がった憲法は、盤石の体制になってからじっくりと作った家訓と違いなおさら安定性の面で弱点があり、これをカモフラージュするために、修飾語が過剰になる傾向があります。
「天賦不可譲の人権であって、何人も冒すことできない」など・・過激な表現解説が多いのはこのせいと見るべきでしょう。
日本でいえば列島民族始まって以来初の敗戦ショック・・本来一時的な一億総興奮状態下で長期に国民を拘束するべき憲法を制定すること自体無茶でした。
しかも外国軍占領下での短期間での憲法制定でしたから二重に無理があります。
制定経緯を外形だけから見ても以下の通りです。
昭和20年8月15日降伏受諾宣言〜その後の降伏文書署名式(1945年9月2日)等を経て占領支配が始まったのですが、憲法の公布が翌21年11月3日という早業ですから国民の声どころか各界各層の意見を聞く暇もなかったでしょう。
各地の意見聴取もなく?政党間の議論もなく、占領軍との密室協議だけで、わずか2ヵ月あまりの審議で衆議院本会議通過です。
しかも対応すべき国会議員自体が、敗戦後の混乱の中で昭和21年4月の選挙で当選したばかりで、新規参入の多い状態・いわば・1年生議員・素人議員が多くを占めていて、わずか2ヶ月の審議で内容の議論ができたの?という状態です。
http://showa.mainichi.jp/news/1946/04/22-114e.html

新選挙法で初の総選挙(第22回総選挙)
1946年04月10日
選挙権者の年齢を25歳から20歳に引き下げ、女性参政権を認めた改正選挙法のもとで戦後初の総選挙が行われた。自由党が141議席を獲得して第1党に。投票率は男性79%、女性67%に達し、高い関心を集めた。39人の女性代議士が誕生し、モンペ姿で初登院した新人議員もいた。9月には地方議会への女性参政権も認められた。

初当選者については、上記に政党別人名記載がありますので、合計してみると(女性を含めて)466名中343名で、返り咲きが51名です。
残りの72名が、前回からの連続当選となります。
以下のとおり議会に付託されてからも、手続きで約1ヶ月かかり7月23日小委員会が作られ、7月25日から実質審議に入って8月には本会議通過ですから、ほとんどGHQの草案をどうするか程度の世間話(まともな討論を出きないので感想を述べあうこれが懇談会形式にするしかなかった背景でしょう)しか出来なかった実態が外形から見えてきます。
http://www.ndl.go.jp/constitution/gaisetsu/04gaisetsu.htmlによると憲法制定の経過は以下の通りです。

第4章 帝国議会における審議
・・1946年4月10日、女性の選挙権を認めた新選挙法のもとで衆議院総選挙が実施され、5月16日、第90回帝国議会が召集された。開会日の前日には、金森徳次郎が憲法担当の国務大臣に任命された。
6月20日、「帝国憲法改正案」は、明治憲法第73条の規定により勅書をもって議会に提出された。6月25日、衆議院本会議に上程、6月28日、芦田均を委員長とする帝国憲法改正案委員会に付託された。
委員会での審議は7月1日から開始され、7月23日には修正案作成のため小委員会が設けられた。小委員会は、7月25日から8月20日まで非公開のもと懇談会形式で進められた。8月20日、小委員会は各派共同により、第9条第2項冒頭に「前項の目的を達するため」という文言を追加する、いわゆる「芦田修正」などを含む修正案を作成した。翌21日、共同修正案は委員会に報告され、修正案どおり可決された。
8月24日には、衆議院本会議において賛成421票、反対8票という圧倒的多数で可決され、同日貴族院に送られた。
貴族院における審議と憲法の公布
「帝国憲法改正案」は、8月26日の貴族院本会議に上程され、8月30日に安倍能成を委員長とする帝国憲法改正案特別委員会に付託された。特別委員会は9月2日から審議に入り、9月28日には修正のための小委員会を設置することを決定した。
小委員会は、いわゆる「文民条項」 の挿入などGHQ側からの要請に基づく修正を含む4項目を修正した。10月3日、修正案は特別委員会に報告され、小委員会の修正どおり可決された。修正された「帝国憲法改正案」は、10月6日、貴族院本会議において賛成多数で可決された。改正案は同日衆議院に回付され、翌7日、衆議院本会議において圧倒的多数で可決された。
その後「帝国憲法改正案」は、10月12日に枢密院に再諮詢され、2回の審査のあと、10月29日に2名の欠席者をのぞき全会一致で可決された。「帝国憲法改正案」は天皇の裁可を経て、11月3日に「日本国憲法」として公布された。

 

立憲主義3(憲法と法律の違い1)

ここで憲法と一般の法の関係を考え直しておきましょう。
法律制定の場合には国内の多様な利害調整手続きを経るために、膨大な意見の吸い上げや年数と冷静な議論の積み上げ・・民意吸収があります。
12月7日以来借地借家法制定過程を現最高裁長間の論文で紹介しましたが、一部再引用しますと

「昭和五0年代後半からは、土地の供給促進の観点から法制度としての借地・借家法の見直しが主張されてきた・・全面的な見直しをはかることは、難しい情勢にあった。
しかし、高度成長期を経て経済規模が拡大し、都市化がすすむと、借地・借家法が画一的な規制をしていることによる弊害が一層明らかになってくるようになった。
法制審議会の民法部会(加藤一郎部会長)は、以上のような問題意識から、昭和六O年一O月に現行法制についての見直しを開始する決定をした。」

借地借家法が成立したのは平成3年10月で施行は平成4年8月ですから、必要性が言われ始めてから施行まで約10年です。
ちょっとした法律制定まで行くには、前もっての根回しを経て10年以上かかっているのがザラです。
この法律は、過去の契約に適用がない微温的改正ですが、革命的憲法制定の場合には過去に形成された身分関係に遡及的に効果を持つ(例えば家督相続できると思って養子縁組していた人の家督相続権がなくなります)のが普通です。
このように冷静な議論を経て数年〜10年前後かけて制定される普通の法律に比べて、憲法制定は革命時などに旧政権打倒スローガンそのままで短期的な激情・勢いに任せて拙速に制定される傾向があります。
憲法という名称から、家憲・国憲・家訓のようなイメージを抱くこと自体は正しいと思いますが、いわゆる国憲や家訓等は何世代にわたって後継者が守るべき基本方針を示したものですから、何世代も拘束するに足る数世代の騒乱を治めたような一代の英傑が盤石の地位を確立した後に、(のちに家康の武家諸法度の例をあげます)将来のあるべき国家民族あり方等を考察してこそよくなしうるものであって、そのような英傑でもない一時の支配者が、自己保身・威勢を示すために内容のない事柄を家訓や国憲にしても誰も見向きもしないでしょう。
革命政権〜反乱軍が、政権掌握と同時に出すスローガンや声明程度のレベルのものを、国憲と称するのは羊頭狗肉・名称のインフレ.水増しです。
王朝あるいは数世代以上に続く大事業創業者の残す家訓は、盤石の成功体験に裏打ちされた訓示を子孫に残すものですが、それでも時代の変化によって意味をなさなくなることがあります。
まして、旧政権を打倒したばかりで制定される新政権樹立時に制定される憲法は、旧政権打倒のために(便宜上争いを棚上げして)集まった反体制各派の寄り集まり・連合体である革命勢力は、旧政権打倒成功と同時に各派間のヘゲモニー争いを内包しています。
(本格的革命であるフランス革命やロシア革命では、王政崩壊後革命勢力間の勢力図が目まぐるしく変わっています)
革命の本家フランスの場合、大革命後ジャコバン対ジロンド党.王党派の政争の末に、ナポレオン帝政となり、王政復古〜第二帝政〜共和制〜ナポレオン3世等の動乱を繰り返して現在第5共和制憲法になっていますが、第5共和国と言われるように(一部条文の改正ではなく)憲法精神の抜本的入れ替えの繰り返しでした。
第5共和国憲法は革命的動乱を経ていないので、その分落ち着いて作ったらしく最長期間になっているようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95

フランス共和国憲法(フランスきょうわこくけんぽう、フランス語: Constitution de la République française)は、1958年10月4日に制定されたフランスの憲法典。第五共和制の時代に作られたことから、第五共和国憲法(フランス語: Constitution de la Cinquième République、第五共和制憲法、第五共和政憲法)とも呼ばれる。

もともと政体大変更の場合、旧体制(アンシャンレジーム)と「こういう点が違う」と新政権は大見得を切る必要があって、壮大なスローガンを掲げたくなるもので、いわば政治的プロパガンダ・公約みたいなものです。
フランス革命では「身分から契約へ!」と言われ、我が国で民主党政権獲得時の「コンクリートから人へ」と言ったような自分の主張を、のちに否定変更されにくいように強固な「法形式」にしたことになります。
旧体制をぶち壊しただけでその後自己権力さえどうなるかはっきりしないうちに、一般の法よりも慎重審議を経ていないプロパガンダに過ぎないものを革命体制を強固なものにするために「法」よりも改正困難な法形式の「憲法」と格上げしてきた事自体に無理があるように思えます。
無理に格上げしても実態が伴わなければ、すぐに信用をなくします。
これが、フランス革命後第5共和制に至る憲法変更の歴史です。
例えば明治維新のスローガンは王政復古であり、これを受けて維新直後にできた基本法制は、いわゆる二官八省・・古色蒼然たる太政官と神祇官をトップにしたものでしたが、もしもそれが不磨の大典扱いになっていても、多分10年も経ずして不都合に耐えられなかったでしょう。
日本人は急いで作っても実態が伴わなければ、意味がないことを知っていたのです。
明治憲法は、明治維新・大変革を得た後約20年での制定でしたし、国民生活の基本を定める民法は明治29年(1896)、刑法にいたっては明治40年になってからです。
明治憲法制定までの約20年の間に廃藩置県や司法制度等の制度枠組みを整えながらの漸次的運用・・刑事民事の欧米的運用経験・人材育成などを積み重ねた上の憲法〜民法等の制定ですから、日本の法制定は時間がかかる代わりに安定性が高いのが特徴です。
日本は民主主義などという前の古代からからボトムアップ型・民意重視社会ですから何事もみんな・・法制定に限らず裁判でも社内改革でも、関係者の意見を取り入れて行うので時間がかかりますが、その代わりみんなの納得によるので法遵守意識が高くなります。
例えば家康の禁中并公家中諸法度・武家諸法度は1615年のことで、天下を握った関ヶ原後15年も経過して満を持して発布したものです。
民法については債権法部分について今年5月頃大改正法が成立・約120年ぶりの大改正ですが、これでも骨格が変わらず概ね判例通説を明文化したもの(判例や学説の知らない素人が読んでも分かりやすくした)・・判例や学説の分かれている部分についてはどちらかになった部分がある程度・・と言われています。
以下は法務省の解説です。
http://www.moj.go.jp/MINJI/minji06_001070000.html

民法の一部を改正する法律(債権法改正)について
平成29年11月2日 平成29年12月15日更新
法務省民事局
「平成29年5月26日,民法の一部を改正する法律(平成29年法律第44号)が成立しました(同年6月2日公布)。
民法のうち債権関係の規定(契約等)は,明治29年(1896年)に民法が制定された後,約120年間ほとんど改正がされていませんでした。今回の改正は,民法のうち債権関係の規定について,取引社会を支える最も基本的な法的基礎である契約に関する規定を中心に,社会・経済の変化への対応を図るための見直しを行うとともに,民法を国民一般に分かりやすいものとする観点から実務で通用している基本的なルールを適切に明文化することとしたものです。」

今回の改正は,一部の規定を除き,平成32年(2020年)4月1日から施行されます(詳細は上記「民法の一部を改正する法律の施行期日」の項目をご覧ください。

立憲主義2と憲法改正1

12月23日の続きに戻ります。
基本的人権であれば、法で規制できないかのような刷り込みもおかしなものです。
証券取引法や独禁法の規制が自由主義経済を死滅させたでしょうか?
道路交通法や自動車の規格規制が車産業を死滅させたでしょうか?
サッカーや野球その他ルールが整備されてこそ、そのゲームが発達するのです。
表現の自由が重要であるならばこそ、本来必要な表現の自由を守りながらの規制努力が可能でありそれをすべきです。
アメリカ大統領選挙介入のロシアゲートに限らず外国政府が国内政治に簡単に介入できている現状に鑑みて言論の自由.信用を守るために、少なくともメデイアその他一定の公的機関で発言発表する前に、外国政府・機関とどういう関係があるかあるいは資金関係の開示義務その他の説明義務みたいなものから入っていくなどやる気になれば、いくらでも規制を進める方法があるはずです。
日本人が国外での日本批判を強める傾向についての問題点は(慰安婦問題でいえば、中国や韓国政府の代弁とはっきりさせるならば、「中国や韓国の意見はそうなのね!」と思って聞いているので正当な評価が可能ですが、日本人として、「慰安婦を性奴隷」であった「現実にあった」と主張すれば、中立の国の人々の受け止め方としては、「日本人でさえ認めているのだから・・」という影響力の大きさ・「客観事実の検証をするまでもない」という方向へ議論が流れてしまう・問答無用形式に流れる効果は半端ではありません。
まして政府から中立を装うメデイアや弁護士が主張すると大きな影響力があります。
これが事実検証もないまま、日本の大手新聞がいうのだから] と国連決議やアメリカ議会決議の流れを作っていった成功例?のように見えます。
「性奴隷」という主張は日弁連公式認定もなく特定弁護士グループがやっていることですが、いかにも日本の弁護士の総意であるかのようにイメージ・誤解させる効果が大きいでしょう。
誤解する方が悪いのではなく、発言者が自己の立ち位置をはっきりさせないと聞き手の多くが誤解する場合には、自己の立場をはっきりせない方に問題があります。
この場合、いわば肩書きを偽って意見表明しているのと似た効果があります。
サッカーその他のスポーツの試合で相手チームから金をもらっている選手が重要場面で失策するようなものです。
このような場合、直前あるいは継続的に大金をもらっていることが発覚すれば、本当の失策か八百長か?という問題が起きます。
所属チーム以外からのお金をもらっている場合、所属チームに届け出る義務を定めておけば問題がほとんど解決します。
メディアや弁護士が外国資金を得ているようなことは滅多にないでしょうが、いろんな意見が何故か特定国の利益に直結しそうな場合には、よほど立ち位置を慎重にする必要があるでしょう。
集団自衛権論でも憲法学者の意見と現実政策論とは次元の違いがありますが、その説明を省略.すり変えをして世論を誤導しようとしているように見えます。
憲法学をストレートに政治論にする意見は、以下に批判されるような偏りが見られます。
立憲主義とは、まずは立法府が必要な法を制定し、行政府がそれを執行した上で、それが違憲か否かの判断を最終的に最高裁判所で決めるものであって、学者が前もって決める権利ではありません。
政治評論家や経済評論家が前もって「〇〇の決断をするのが正しい」というのは自由ですが、政治家や経営者がどのような決断するかはそれぞれの分野のトップあるいは合議体構成員が決めることであり、決断者は有名学者の意見や世論調査の結果に従ったからと言って免責されるものではなく政治責任を問われます。金利政策で日銀総裁が消費税増税で多くの政治家が痛い目に遭っています。
どんな立派な学者の言う通りにしたのであろうと、景気が悪くなれば政治家はおしまいですし、憲法を守っていても外的に侵略を許して責任を免れることはできません。
以下に紹介するように戦後学問世界では自衛隊違憲論一色だったのですが今ではこれにこだわっている人は変わり者扱いですが、学者の誰が責任を取ったでしょうか?
政治家や経営者は結果責任を負うのが社会のあり方です。
実務と学問とは違うからこそ、経済運営であれ公共政策であれ教育政策であれ何であれ、各種専門家は専門分野の見地からみればどうかの意見具申するだけあって、・我々法律家も相談に際して「法的意見はこうですが、あとは経営判断です」というだけです・・最終判断は各種の意見を勘案して国民の負託を受けた政治の場で総合判断して決めるようになっています。
高校時代には学校の教えることしか知らないことから、先生が褒めちぎるプラトンやソクラテスが最高であるかのようなイメージがすり込まれた結果、その頃に習った「哲人政治」をすごい・何故そうならないのか?と単純に思ったものでしたが、大人になってくると専門家というのは、習った視野の狭い分野だけやっと理解できる・・2〜3流の人材がなるものだということが分かってきました。
ファジーな無限の可能性を総合判断する能力にかけては政治家・これもその道の専門家ですが・・に叶いません。
http://www.huffingtonpost.jp/akihisa-nagashima/right-of-collective-self-defense_b_9755976.htmlによれば以下の通りです。

「政府が従来の解釈を変更することをもって「解釈改憲だ」とする些か乱暴な議論もありますが、政府は、例えば、1954年の自衛隊発足にあたり、憲法9条2項で保有を禁じられた「戦力」の定義を大幅に変更し、自衛隊を合憲としています。
これこそ解釈改憲といえ、当時、憲法学者の殆どが自衛隊を違憲と断じました。
しかし、今日に至ってもなお自衛隊を違憲とする学者は少数といえます。
なぜでしょうか。
要は、自衛隊が、憲法の要請する法規範論理の枠内に収まるとの国民のコンセンサスが確立したからなのです。
(この現実自体を拒否する方々の議論は、そもそも本論の範疇の外にあるものといわざるを得ません。)
・・・・「要するに、最高裁において、自衛隊を合憲とした政府解釈や自衛隊法が違憲と判断されない限り、また、今回の集団的自衛権をめぐる政府解釈の変更および安保法制が違憲と判断されない限り、少なくともそれらは合憲の推定を受け国家統治の上では有効だということです。
これらのプロセス全体を立憲主義というのであって、自分たちの気に入らない政府解釈の変更を捉えて「立憲主義の蹂躙だ」と叫ぶのは、法規範論理というより感情論といわざるを得ません。
もっとも、今回憲法違反あるいは立憲主義の蹂躙と主張している学者の多くは、現憲法が認める自衛権の行使は「47年見解」でギリギリ許されると解している節がありますので、それを1ミリでも超える解釈は受け入れがたいのかもしれません。しかし、この点でも、繰り返しになりますが、憲法が要請する法規範論理に基づいて検証、立論していただかねば、議論は最後まで噛み合いません。」

上記解説の通り私の勉強した当時の憲法学では、自衛隊合憲論は、「烏を鷺(サギ)というようなものだ」という意見が、(司法試験の基本書になっていた)権威ある学説でした。
このコラムは自宅で暇つぶしに書いているので(その本は事務所にあって)そのままコピペ引用ができませんが、その比喩にインパクトがあったのでよく記憶していますが・・。
自衛隊違憲判断の推移は、厳然たる歴史事実(今では「自衛隊は違憲であるから解体すべき」という意見の人はごく少数でしょう)ですが、学者の言う通り自衛隊違憲論を選択した方が正しかった・・結果が良かったとは、国民のほとんどが認めていないでしょう。
無防備の時に韓国が李承晩ラインを設定し竹島が占領したのですが、もしもそのまま無防備を続けていれば、今頃中国は尖閣諸島を簡単に占拠していたでしょう。

表現の自由と外国の影響(中国シャープパワー)2

西欧の大手メデイアが堂々と中国による表現の自由への介入に危機感を募らせて書き、それを日経新聞が大紙面で転載するところまできています。
(日経新聞も内部的には徐々に中国マネーやハニトラに侵蝕されているのかもしれませんが、それでもこれを出せるほどまだ中韓系人脈が弱いのでしょう)
ちなみに英エコノミスト誌の概要は以下の通りです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%88

(The Economist)は、イギリスの週刊新聞で、ロンドンに所在するThe Economist Newspaper Limited から発行されている。新聞ではあるが、外見は雑誌の体裁をとっている。日本の読売新聞と提携している。
発行部数は約160万部(2009年)。その約半分を北米が占める。
主に国際政治と経済を中心に扱い、科学技術、書評、芸術も毎号取り上げる。政治・社会は地域ごとに記事を組んでおり、中国以外のアジア、中国、中東およびアフリカ、米国、米国以外のアメリカ大陸、英国以外のヨーロッパ、英国に分けている。
この雑誌は社会的地位の高い層をターゲットにしており、その中に官僚や大企業で経営に携わる人なども含まれる。発刊の歴史と、鋭い分析からなる記事が情勢に与える影響が大きく、世界でもっとも重要な政治経済紙の一つと見なされている。

その他の大手メデイアはこんな記事を載せる勇気がないどころか、「何処かの国のための報道でないのか?」という疑惑高まりに対して、「日本は報道の自由度が低い」と国際宣伝して反撃に出るほど骨の髄まで?侵蝕されてしまっているとみるべきでしょうか?
それとも日経新聞に先を越されただけでしょうか?
ただ、この転載に怒った中国筋が日経新聞内部工作を劇化させるでしょうから、この種報道を外紙の転載でお茶を濁すのではなく日経自身が日本国内の現実掘り下げ報道ができるのか?今後もいつまでできるか?です。
ところで日本メデイアである以上は、日本言論界に浸透している中韓人脈の影響力・これが日本の言論を歪めている現実があるのかどうかこそが重要ですから、これを直視した調査報道ができないのか?がバロメーターです。
中韓批判は闇世界相手ですから危険が大きいでしょうが、危険の大きい分野に挑戦してこそ勇気ある報道マン・学問の自由であり表現の自由の価値でしょうが、矢も鉄砲も飛んでこない安全な政府批判だけして、(不祥事があると居丈高に吊るし上げて)自分が偉くなったかのように英雄気取りになっているのはおかしなことです。
江戸時代には幕府関連は忠臣蔵を高師直塩谷判官の物語にしたり、鎌倉時代の物語に仕立変えていたような、「外国でこう言われている」とヒトごとのような報道しかできないことに驚きます。
欧州その他は中国にとって遠い国であるのに対し、直近に位置ししかも対立している対日ではもっと激しい標的になっていると想像するのが普通です。
日本人なら肌で感じるほどの日々の報道で変な方向に進んでいるはずの裏で蠢く中韓人脈がどうなっているのか?病根の有無・現実を抉り出すのが日本メデイアの本来の仕事です。
何もできないで、中韓の言いなりのイメージが強すぎて国民がメデイアを信用しなくなると、その反作用で国外・国連等で表現の自由が危機に瀕しているという運動をする人たちの中には、中国のトラップに引っかかっている偉い人たちのごまかしをそのまま信じている純真な人たち・・日本をより良くしたいという本音で頑張っている人もいるでしょう。
彼らが本音で日本を良くするために表現の自由拡大を必要と思い、自分の意見が正しい自信があるならば、国外で日本を批判し、国連勧告等(世界で自由度の順位を下げたと誇らしげに言うのではなく)に頼らず、国内できちっと自説論拠を説明すべきです。
「ダメなものはダメ!」とか、「窮乏を極めて」「軍靴の音がする」「戦争法案反対」「格差社会反対」など根拠ないスローガンだけ言いっ放しでなく、根拠とその効果(反対の場合どうやって国を守るのか)をきちっと説明すべきです。
革新系政党や文化人の従来の主張をそのまま実現した場合、日本にとって不利な結果になるような主張ばかり・「たまたま間違うなら分かるがいつもそう言う結果ばかりとは何なの?」という評価を生み国民の信頼を失ってしまったのです。
何かと言うと、「国民大多数の声を無視して・・」という決まり文句ですが、選挙の結果や世論調査の結果によれば実態無視ですし、そんな根拠のない主張よりは、自分の主張の方がどのように優れているかの説明すべきです。
市民・個人として表現の自由の価値をどうやって測るかといえば、所属社会との関係でいえば、敵対国・敵対競争企業から金をもらったり便宜を図ってもらっていないかの問題は、重要・表現の信頼性に関わるでしょう。
役員でも弁護士でも裁判官でも、利害関係のある人が決定から除外されるのは当然のルールです。
相手企業からお金をもらっている人が、その企業との競争でどうすれば勝てるかの意見を言っても信用できないでしょう。
ところが政党/政治団体の場合外国からの寄付受領禁止の政治資金規正法の縛りがありますが、個人や学者メデイア関係者がどこの組織に属していようと、どこから金をもらっていようとどこの異性と付き合おうとも何らの規制がありません。
自制心に委ねてきたのです。
個人(学者も含めて)は資金・給与を誰からもらってもいいし、マスメデイア・報道機関も法規制上の制限がありません。
それは意見が違ってもお互い国のために良かれと思う意見は、「思想の自由市場」で競争させればいいという市場原理を信じてきたからです。
自由主義経済といってもやりたい放題ではなく証券取引法や独禁法があるように、思想の自由市場も暗黙の合意だけではこれを堂々と破る国が出てくると明文のルールが必要な時代が来ています。
弁護士も相手方と関係がある場合の受任に関する規律があります。
日本の国の産業政策がどうあるべきか、国防に限らず、政治テーマには外国と直接間接の利害対立関係が外国からの資金受け入れを禁止されているのです。
言論の自由も政治や経済、教育文化政策が「カクあるべし」という意見は、長期的には外国との競争力を維持発展させるべきかの意見が中心ですから、その種の意見を公表するには中韓等の明白な敵対競争国との関係をはっきりさせてから意見をいうべきでしょう。
今はまだメデイアや評論家がどこの国の広告を載せて大金をもらっていようとも・・責任者や中堅が、どこ国の人と親しくしていようと問題にされていません。
これを良いことにして中国がいいように浸透工作してメデイアや学会・評論家等を支配している現実がいわゆるシャープパワーです。
これまでこの種の意見は「品のない言論」として、ネット空間だけの議論でしたが(私も遠慮がちに間接表現しか書けませんでした)、今や欧州の大手メデイアがメデイア自身の信用維持・・自己防衛のために意見表明せざるをないほどの差し迫った脅威になって来たことが、エコノミスト誌の記事から推測されます。
規制がないとはいえ、表現の自由の重要性は、「自由な発言が社会を良くするのに資する」というのが核心的利益であって、(言いたいことを言えることは個人の幸福追求権の最たるものでしょうが・・)「自国の権利を害して他国の利益を図るために憲法で保護されている」のではありません。

立憲主義とは?2(コミンテルンと日本共産党)

戦後コミンテルン支配はなくなっていたとばかり思っていましたが・・ソ連より活動家や評論家、メデイア関係者には影ながらの支配・指導が連綿と続いていたのでしょうか?
個々の文化人とソ連や中国共産党との関係は色々でしょうが、代表的なものとしてコミンテルンと日本共産党との関係を見ておきます。
https://plaza.rakuten.co.jp/fukuchanweekly/diary/201603050000/
によると以下の通りです。
ただし私には以下記載の事実について、真偽の確認能力(公開された秘密文書を直接読む能力)がありませんので、読者の自己判断でお読みください。

2016.03.05
日本共産党は、ソ連共産党の下部組織である「コミンテルン日本支部」として誕生
.日本共産党がソ連から資金援助を受けていたことは、ソ連崩壊後に解禁されたロシアの公文書で判明しているが、CIAも中国ルートを含めた資金の流れを掌握していた。
…..日本共産党に対する外国の年間資金援助額を三十万~四十万ドルと見た場合、同党年間収入の約四分の一に達していたことになる。
…..日本の政治資金規正法は当時から、外国からの政治献金を規制している。資金は当局の監視を逃れるため、さまざまな偽装工作を施し、香港経由で同党に渡っていたという。
…..「日本共産党一九五五~六三年」と題された報告書は六四年三月二十日付で全文約百ページ。それによると、共産党は五七年、中国から十万ドルの融資分を含む二十万ドルの資金を受領。報告書は情報源を伏せているが、資金の流れには、日中貿易振興を標榜する団体が仲介するルートも存在した。
…..中国が「進歩的日本企業」から商品を仕入れるというビジネスを名目に、この団体に中国側から資金が渡る仕組みがつくられ、この場合、CIAは「共産党の金庫番」とみなしていた故・袴田里見の元に資金が流れ込んでいたという。報告書は、外国からの資金援助の内、中国の提供分は少なくとも半分に達すると指摘。
…..ソ連の提供額も、党予算の10~15パーセントを占める割合になっていたと推定している。又、中国、ソ連からの資金援助は安保改訂の六〇年のような重要な年には例年よりも遥かに多かったと分析している。http://kakutatakaheri.blog73.fc2.com/blog-entry-1581.html
….ソ連共産党 が崩壊して、一連の民主化運動の中で「ソ連共産党時代の公文書」が公開されます。その中に「日本共産党とソ連共産党の関係」を示す公文書もありました。

上記記事は「ソ連共産党が日本共産党に対して資金援助をしていた」ことを示すものです。
NGOも政治活動をする以上は、政治資金規制法の適用を受けるべきで資金出所を明瞭にすべきですが、マネーロンダリングが巧妙になっているので、ソ連崩壊のようなことが起きない限り闇の中です。
どこから資金が出ているかの証拠がなくとも、支出に対応する収入源を明らかに出来ない限り違法と認定できるように逆からの方法も必要でしょう。
朝日新聞の押し紙(実際発行部数はかなり少ない)が有名ですが、朝日の場合もともと資金力があると言われているので、その差がソ連党から入っていないでしょうが、それにしても帳簿上どういう処理が出来ているのか不思議です・・赤旗も実数がどのくらいあるかが重要です。
その他に袴田氏と野坂参三との確執に絡んでどちらか忘れましたが、ソ連共産党に密告していたような記事も出てきます。
袴田事件などで検索すれば出てきます。
日本国内にいる限り、ソ連は手を出せなかったでしょうが、何かの名目で呼び出されてソ連へ行くとその時に拘束され粛清される仕組みですから、知らぬ間に密告されているとリスクが高まります。
今でも日本で中国贔屓の意見発表していたマスコミ人や評論家が中国出張中に消息不明→その後スパイ容疑で検挙されていると報道されることや突然死するニュースが最近それとなく出ますが、仲間内の密告が背景にあるのでしょうか。
ソ連共産党支配が弱っても(今でも恐怖政治をしている)中国の方には遠慮がいらないのか?が不思議ですが、中国共産党とは支配服従関係がないからでしょうか。
目立つ党の関係に限らず相応の影響力のありそうな文化人や学者・メデイア関係者には個別にいろんな名目で資金援助(政治家でないし政治資金規正法の適用がないので)いろんなチャンネルで)が行われて来た可能性・これが事実上の支配力です・もあるでしょう。
今アメリカで大きな政治テーマになっているトランプ政権誕生時のロシア疑惑もその一種です。
中国北朝鮮の政治を批判もしないが、理想として持ち上げている訳でもないので立憲主義を強調しても問題がないと言うことでしょうか?
上記の通り一見して中立的装いで、ノンポリが読む気になるような論旨から展開していきます。
本論に入って行くと高度な哲学的用語をちりばめた難解な論理というか、実務家の中でもレベルの低い私のような人間相手に再教育するにはもっと優しく書いてくれないと無理な印象です。
実務家が敬遠する所以でしょうか?
多くの専門家の分担執筆ですので、毛利氏の論文が難解だったか誰の論文が難解であったか記憶していないのですが、例えば冒頭担当の毛利透氏の論文(上記判例時報の「法曹にとっての立憲主義」の論文とは違う論文ですが)その一部がネットに引用されて出ているので、引用しやすいので表現方法の傾向を見るために紹介すると以下のような書きぶりです。
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20070427/p2

■[メモ][論点]『岩波講座憲法1 立憲主義の哲学的問題地平』における長谷部恭男包囲網
http://www.bk1.co.jp/product/2782737?partnerid=p-inaba3302385
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000107356/interactivedn-22
やはり公私を区分するジョン・ロールズの政治的リベラリズムと異なり、長谷部〔恭男〕が立憲主義を不自然な、人々に無理を強いる選択だと強調するのは、実は長谷部が公的領域での政治的発言に広く「公益」による歯止めを求めているからではないか(中略)。
長谷部の「社会の共通の利益」考慮の要求は、既に政治的発言自体に向けられている。各個人は、他人に対して働きかけようとする際には常に、その前に自分の内心で、表現しようとする内容が自分の私的思想の表明ではなく社会全体の利益にかなっているのかを吟味しなければならない。表現の「自由」が思ったことを言う自由を意味するはずである以上、彼は、国家の決定に影響を及ぼそうとする表現活動には「自由」を認めていないわけである。(中略)
しかし、表現の自由についてのこのような理解は、従来の憲法学が漠然とであれ想定してきた表現の自由観とは大きく異なっている。(中略)民意形成の場面では自由を認めるべきではないという理論は、戦後憲法学の常識への挑戦を含んでいる。

毛利透「市民的自由は憲法学の基礎概念か」6-7頁
表現の自由を行使しようかどうかためらう人々に、できるだけ行使する方向でのインセンティブを与えるべきだ(中略)。特に代表民主政においては、人々が絶望の中に放置されがちなだけに、公的領域への「現れ」を促進する必要が高いのである。一見無意味な活動が無意味ではないことを、法が示さなければならない。(中略)
日本の憲法学は表現の自由の重要性を説きながら、それを「行使」している人間は全人口からすればごく少数しかいないということの意味についてまったく考察してこなかった。(中略)少数の者が参加する公共圏が民主政を支えているからこそ、少数者になることのリスクを減らす必要がある。アレントが現代における政治への参加者として想定していたのは、生活に不自由のない富裕層ではない。日常的な社会の不公正に耐えられなくなって、どうしても異議申し立てをしたいという人々だ。同上、24-5頁
たとえ現実問題としては意味構築の作業に参加できる層が一部の専門家に限られるとしても、だから彼らのあいだでのみ意味に関する信憑が共有されれば十分だとすることは、「人民が自ら統治に参加している」という幸福な信憑を基礎とする民主政を揺るがすことになる。民主的プロセスを通じて、意味構築の少なくとも枠組みを決めていると人々が信じられること、また人々がそれを無理なく信じることのできる実態を維持することが、専門家には求められるのではないか。」

これが憲法学というものでしょうか?

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