原発停止と(代替エネルギーの現状)2

そもそも代替エネルギー政策がうまくいっているか否か将来像のあり方を、裁判所が決めることではなく選挙・民意で決めることですから訴訟の争点にならないのは当たり前ですが・・。
要するに、民意を受けた政治が決めることです。
民主党政権の野田内閣が30年台という10年間の幅を持った閣議決定したことを紹介しましたが、これを「30年まで」と短縮して終わりを決めようとして昨年春ころに蓮舫執行部が民主党内で了承を得られなかったことがあります。
野田内閣当時の想定よりも「10年も早く代替エネルギー政策が進んだから」と言うのなら合理的ですが、根拠なく「今度選挙対策でこう言おう」というパフォーマンス狙いでは困ります。
日本は公害発生に触発されて結果的に公害防止技術が先行し、石油ショック→省エネ技術によって日本経済が世界で先行できたように、仮に再生エネ転換が進んで行った場合、日本がどういうメリットがあるかの将来展望・・どういう影響を及ぼすかの視点が重要です。
(公害の防除技術のように新規産業が育つならば良いですが・原発その他の多様なエネルギー源がある中でどの分野を伸ばしていくのが日本人の個性や風土に適しているか、国際競争に有理化など総合判断で選択していくべきです。
太陽光発電の場合、関連製品ではすでに成熟産業化→中国が巨大資本を投入して既に量産体制を確立している中国の独壇場ですから、この分野を伸ばしても日本企業が中国の及ばない高度技術で勝負できる段階が過ぎています。
量産技術確立後の家電製品等の商品ではいくら工夫しても意味がない・早くその分野から撤退して後進国に譲るしかないのが現在のシステムです。
原発事故後の新エネルギー源として量産技術の確立した分野を伸ばすのでは、人件費の安い中国等の新興・後進国の追い上げに負ける一方でしょう。
それでも他の電源より安いならば仕方ないですが、年間(ということは毎年のことですから、10年で何十兆の補助金です)何兆円も補助金をつぎ込んでまで国外企業の誘致に骨折るようなものではないでしょう。
ソーラーパネル製造でいえば中国からの安値輸入が席巻して国内産業発展どころか壊滅させてしまうのを放置して電源的には原発の穴埋めになっている・・だから原発停止させても大丈夫という説明では困ります。
日本は明治維新時の開国によって先進技術を自分のものにする能力があったので独立を守れたのですがその能力なく、単に消費するにとどまった国は国内産業が廃れて皆植民地化されていきました。
インドのイギリス植民地化の原因は、当時インド綿製品が東南アジア地域の支配商品であったのに、産業革命によって生産合理化に成功したイギリス製品進出によって、文字通り「死屍累々」白骨街道と言われる状態になった結果でした。
この辺は川勝平太氏の著書の受け売りで15年ほど前に書いたことがあります。
「どんどん高額補助金を出してそのお金でどんなに中国からの輸入が増えてもかまわない、結果国内産業は壊滅しても構わない・・電気の供給さえあればいいじゃやないか」というのでは無責任です。
他にも選択肢があるか否か、ここは身長ん原発は本当に今日明日にもやめなければいけないほど危険かどうか?日本の得意分野を伸ばす方向で新電源開発の工夫すべきでしょう。
・・アジア諸国の地場産業・インドの繊維産業が死滅し植民地化していったことの繰り返し?のように日本政府の年間2兆円以上もの補助金で中国製のパネル、モジュール、セル等が席巻してしまう政策をそのまま進めて良いかの総合判断をすべきです。
自由な競争に負けるのは仕方がないというのも一理があるように見えますが、他のエネルギーとの自由競争で勝てないから、国家として年間2兆円以上も補助金を出す(その他市町村ごとの補助金や工場等の立地優遇策もある・・農地転用の特例もあったような記憶です)のですから、太陽光発電業界が自由競争で勝っているのでありません。
そしてその業界内競争では中国製が市場支配力を持っているのですから、中国企業へ補助金を出しているような結果です。
国内産業保護のために関税政策があるように・・この後に紹介するようにトランプ政権は太陽光発電でセーフガードを発動しています・・日本の場合輸入制限の逆張り・・補助金を与えて輸入拡大を図るとは「奇怪」な政策です。
比喩的に言えば、大型乗用車を国内で作っていない・アメリカだけのときに、大型車だけ一台500万円の補助金を出すような政策の結果、中小型専門の国産車の売れ行きが3割減った場合、アメ車が自由競争の結果シェアーを伸ばしたというでしょうか?
中国製だけの補助金ではないですが、結果的に果実(国民の税金)が中国にわたる仕組みになっているとはおかしな政策でした。
インドがイギリスの紡績業に負けて植民地化したと言っても、イギリス製紡績品の輸入に補助金を出して輸入していたわけではありません。
太陽光発電設備に対して民主党政権が決めた補助金を見ておきましょう。

再生可能エネルギーを全量固定価格で買い取る FIT が民主党政権(現・民進党)で始まり、国民の負担が年々上昇していると NHK がついに報じました。
導入当初から予見されていたことですが、ようやく取り上げたと言えるでしょう。
年間2兆円が電気代として上乗せされていることが現状であり、将来的にはさらに負担が増すことが確定的なのです。
5年前の7月1日、太陽光発電など再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度が始まってから、私たち電気の利用者が負担するようになりました。
再生可能エネルギーを普及させようと始まったこの制度。国は、電力会社に太陽光などで発電した電気をすべて買い取るよう義務づけました。その代わり、買い取り価格の一部を月々の電気料金に上乗せすることを認めました。」

上記文脈言えば2兆円は電気料金に転嫁した分だけのようですが、「買い取り価格の一部を月々の電気料金に上乗せ」と書いているので100%料金転嫁を認めた訳ではないので、電力会社の自己負担分がこれではわかりません。
例えば30%の価格転嫁を認めているとした場合に、30%が2兆円というのであれば、電力業界の負担分7割が電力業界の財務悪化、配当や設備投資や賃金抑制その他で結果的に国内負担になるので、その3、3倍の7兆円前後になります。
一部というだけでは、業界への転嫁比率がわかりませんが、転嫁比率によって国民負担額が大幅に変わります。
ですから上記「2兆円」全体の何%か内容精査しないと意味不明ですが、最低2兆円の負担がはっきりしてきたということです。
そこで資源エネルギー庁のデータに入ってみますと以下の通りでした。
http://www.enecho.meti.go.jp/about/special/tokushu/saiene/saienecost.html

コストの高さは、国民負担に影響を与えます。FITによる買取費用の一部は、賦課金というかたちで国民が広く負担していますが、2017年度の買取費用は約2兆7000億円、賦課金は約2兆1000億円となっています。
エネルギーミックスが想定する2030年の再エネ買い取り費用は、3兆7000億円から4兆円です。
再エネのコストをできるだけ低減させ、国民の負担を抑制しつつ、再エネ普及を図る取り組みが必要となっています。

17年に消費者の負担する電気料金アップは2兆1000億ですが、全体の賦課金は2兆7000億円と分かりました。
これがどんどん増えていく計画で30年の買取費用は約4兆円が予定されています。
ということは20年から30年の10年間合計で30兆円分を負担することになります。
10年間で30兆円もの負担増が妥当かどうかでしょう。

脱原発と貿易赤字2

原発全面停止により高コストの石油石炭燃料に切り替えた前後の国際収支がどうであったかについて、財務省の日本の国際収支(2003年までカット)では以下の通りです。
https://www.mof.go.jp/international_policy/reference/balance_of_payments/bpnet.htm
単位億円
注  左から経常収支 貿易/サービス収支 貿易収支の順です・稲垣

2004C.Y. 196,941 101,961 144,235 577,036 432,801 -42,274 103,488 -8,509
2005C.Y. 187,277 76,930 117,712 630,094 512,382 -40,782 118,503 -8,157
2006C.Y. 203,307 73,460 110,701 720,268 609,567 -37,241 142,277 -12,429
2007C.Y. 249,490 98,253 141,873 800,236 658,364 -43,620 164,818 -13,581
2008C.Y. 148,786 18,899 58,031 776,111 718,081 -39,131 143,402 -13,515
2009C.Y. 135,925 21,249 53,876 511,216 457,340 -32,627 126,312 -11,635
2010C.Y. 193,828 68,571 95,160 643,914 548,754 -26,588 136,173 -10,917
2011C.Y. 104,013 -31,101 -3,302 629,653 632,955 -27,799 146,210 -11,096
2012C.Y. 47,640 -80,829 -42,719 619,568 662,287 -38,110 139,914 -11,445
2013C.Y. 44,566 -122,521 -87,734 678,290 766,024 -34,786 176,978 -9,892
2014C.Y. 39,215 -134,988 -104,653 740,747 845,400 -30,335 194,148 -19,945
2015C.Y. 165,194 -28,169 -8,862 752,742 761,604 -19,307 213,032 -19,669
2016C.Y. 210,615 43,888 55,176 690,927 635,751 -11,288 188,183 -21,456
2017C.Y. 219,514 42,297 49,554 772,855 723,301 -7,257 198,374 -21,157

リーマンショック前には概ね経常収支黒字が20兆円前後、前年07年では14兆円あまりの貿易黒字で経常収支は25兆近くもあったのですが、リーマンショック後の09年には、貿易収支が5兆3,876億円、経常収支が13兆5,925億円まで急減し、以後徐々に復調して10年には貿易収支9兆5,160億円/経常収支が19兆3,828億年になってリーマンショック前に回復する直前の大地震でした。
10年の貿易収支9兆5,160億円→11年-3,302ですから、約9兆8000億円の減少でしかないようですが、原油輸入が増えるまでには、追加購入注文から船積→日本到達までのタイムラグがあるので、8〜9月頃から到着(財務省統計は通関統計でしょう)とすれば最後の4ヶ月前後の輸入増加分となります。
2012年は原発停止後マル1年間の統計ですが、12年は、4兆2700億以上の貿易赤字(10年比14兆円弱の悪化)・経常収支では4兆7,640億円(10年比約15兆円の減少)になりました。
10年貿易収支9兆5,160億円→13年は-8兆7,734の貿易赤字ですから10年比18兆円以上の減少です。
14年は-10兆4,653億の赤字ですから10年比約20兆円余の収入減少です。
原発停止による原油等追加調達量は12年も13年も14年もマル1年間で同じ筈ですが、13年にさらに貿易赤字幅が拡大したのはエネルギーコストアップ=各種産業の基礎コストアップによって、国際競争力が大幅低下したことによる可能性がありますがこれはこの後で書きます。
10年には回復基調・上り坂にあったのですから、11年以降本当はもっと黒字が増えるべき時に逆にこれだけ減ったと見るべきでしょうが・・これが原発全面停止による1年あたり収入減の実態でしょう。
昨日仮定数字としてキリの良い10兆円としましたが、原油輸入の増加による支出増加だけではなく輸出業界全体のコストアップによる競争力低下の結果、14年には何と20兆円もの貿易収支悪化が生じています。
貿易赤字が縮小(14年10兆4653億赤字→15年には8862億・10分の1以下に急減)したのは14年央から原油相場下落の恩恵効果の出た15年に入ってからです。
原発事故時に、原油や石炭の輸入数量急拡大によって、高度成長期以降初めて経験する巨額貿易赤字化が突然始まり、これが半永久的に続くと日本経済はどうなるか?
日本人は青くなりましたが、もちろんこれを大喜びする国も人もいます。
プラザ合意以降欧米包囲網作り→米国による日本叩きによって失われた10年とか20年というキャッチフレーズが世界で流布していましたが、内実をみれば日本は形を変えて、経常収支で毎年20兆円前後をシコシコと稼いでいました。
これを米国は許せないから世界中で日本叩き・中韓はこれに便乗して慰安婦騒動反日暴動など仕掛けてきたのが対中韓紛争の構図です。
この辺は、失われた20年論に対する反論として10年ほど前に連載しましたが、この日本の誇る経常収支黒字が震災前までの平均約20兆円から、急減して14年には何と4兆円弱・・首の皮1枚となるまで下がってきたことが分かります。
14年には月別データで見ると単月で経常収支の赤字になる時も出てきていましたが、1年間合計で何とか黒字に終わったという薄氷の年でした。
これは、円高あるいは消費地生産の国際動向に合わせた日本企業の海外進出→国内空洞化の複合的結果も左右しています。
現地生産あるいは、中国〜ベトナム等の低賃金を求めて工場が次々と移転していく時代・・・プラザ合意以降でいえば、韓国、 台湾進出の第一段階が終わってタイ等の東南アジア進出〜中国進出するようになると、韓台が中国現地生産では日本との競合企業になり、次の低賃金国ベトナム等へ移動すると今度は中国現地資本も競合企業になるなど、どんどん日本の優位性が失われていきます。
これに対する適応のための踊り場と重なった点も留意する必要がありますが、結果として(国内生産を縮小して現地生産に切り替えている以上は貿易赤字は仕方がない、その代わり現地生産による儲けの還流=所得収支黒字で穴埋めして行くという考えの否定につながる)経常収支でさえも赤字まで来たのは正月早々(14年1月は1兆4000億以上の経常収支赤字)の衝撃でした。

脱原発と即時停止の違い2

海渡氏はどこかで、10万年に1回の地震発生数を基準にすべきと書いていたような記憶ですが・・「脱」という方向性だけならばそのような主張もありかな・・私も10万年に1回でもあるならば脱原発の「方向」(50〜100年の間には画期的技術が発明されるかもしれませんが、現在科学技術を前提にすれば)で努力するのは良いことと思います。
しかし、確定期限を決めて期限が来れば準備ができても出来なくとも禁止すべきとなると「そんな明確な期限を決められるのか?となります。
バリアーフリー化を進めるのが正しいとしても、一定時期まで達成しない公共施設使用禁止にできるでしょうか?
身障者雇用基準に達しない場合に一定の負担をさせるようなペナルテー的な制度を準備する程度でしょうが、原発の場合、代替エネルギーが育たないまま、禁止したらエネルギー不足で失速してしまいます。
代替エネルギーの進捗に関係なく一定期間で全面禁止するのは無茶すぎると思いますが、この点は民意で決めるべきでしょう
どうやって民意を把握するかにかかってきますが・・。
ところで、脱工業化等の脱〇〇論は代替手段の準備を必須の前提としていますが、即時停止論は準備不要論ですから原発訴訟は判決で即時操業禁止を求める(準備の有無を問題にしない)点で、脱原発論と両立しない主張です。
訴訟では原発がなくとも今までやってこられたと主張をしているので準備不要と言っていないとなるのでしょうが、この辺の民意がどうなっているかでしょう。
休止していた老朽火力発電の再稼働・その他施設もフル稼働の状態で定期改修もままならない状態放置で良いのか、火力に頼る状態で電気代が上がれば他産業からの参入も増えますが、要は緊急事態発生で国民生活に迷惑をかけないように必死にしのいでいる緊急状態を恒常化して良いかの議論です。
長期的には脱炭素社会への逆行、家計に響く電気料金アップ(いつまでも補助金を続けられません)等との兼ね合いです。
仮設住宅でなんとかなったから元の住宅街復興など不要でないかという意見はないでしょう。
準備が揃っていると見るべきか否か(緊急事態に合わせてやりくりしているだけかどうか、総合複雑な判断が必要ですから)もエリートが決めるべきではなく民意で決めていくべき分野でしょう。
その上で1000年に1回あるかないかわからない(海渡氏の意見では10万年に1回を主張するようです)ことのために原発を即時停止すべきか、民主党のように30年台までにやめるか、いつまでどうするかこそが、最重要論点ですが、この重要論点についてあっさりと「脱原発を国民大多数が求めている」→原発訴訟支持=即時停止を支持しているかのような印象操作をした上で「裁判官が政治権力から独立して判断すべき」という論理飛躍の結論に繋いでいた印象を受ける文章でした。
別のところでは、「市民の7割」が求めているともあった記憶ですが、政党分布からしてどこにそういう数字があるのか不明ですが「市民」とは、もしかして国民の一部を言うのかもしれませんが、それならば、定義を示してほしいものです。
行政区域言うならば、全国ほとんどが「市」になっていますので、独自の定義があるのでしょう。
「脱原発(方向)論が多いことと、即時廃止論」とが何故=で繋がるかの説明が必要です。
もともと「脱原発」という用語自体に即時廃止を含まないニュアンスがあります。
「脱工業社会」「脱炭素社会」古くは「脱亜入欧」という言葉もありますが、「脱〇〇」というのは徐々に準備して原発や〇〇の不要な社会に変えて行こうという意味の熟語です。
脱炭素社会と言うときは、明日からいきなり炭素系エネルギー生産工場の操業禁止しようと言う意味ではなく、そう言う社会に移行できるように研究して代替エネルギーの開発を進めましょうと言う意味でしょう。
民主党の「30年代まで」と言う意味も、研究開発目標をそのくらいの時間軸で決めて「みんなで代替エネルギー開発に邁進しましょう」と言う意気込みを示したにすぎず、準備が出来なくとも決めた時間が来たら全面停止すると言う意味ではないはずです。
脱原発に限って、準備が整っても整わなくともその時期が来たら問答無用で操業禁止する時期を決めたかのようにすり替えて宣伝してきたのがこの4〜5年の動きです。
「準備次第」を前提にするから明確な期限を定められず(民主党は当時政権担当だったので、無責任なことは言えないので)三十年代というぼかした表現にしたと思われます。
原発事故の大興奮下の民主党政権で(鳩山氏の「少なくとも県外へ」と思考方式が同一・実務経験不足)これといった関連産業分野の周到な調査なく30年台中の目標を掲げたものの、政権担当でありながら、三十年代中の脱原発完成可能性に十分な検討を経なかったらしく18日に紹介した通り、すぐにこれを撤回し参考意見に格下げしています。
福島原発事故時の菅総理の独断傾向が有名ですが、これは個人資質が強く出ただけで・・上から決めて行く革新系の体質による点は同質でしょう。
「国家の責任者になればこうする」と明言する以上は、(子供が大きくなれば、〇〇になりたいと夢を言うのとは性質が違います)その準備を済ましてから言うものと受け止める社会で鳩山氏の独自解釈で(準備なしに言っても)「嘘にならない」と言うのは、「一種の騙し」と国民は受け取りました。
鳩山氏の「少なくとも県外へ」の主張は、「詰めが甘い」というよりは現場重視の精神が基礎にない・エリートが集まって観念論で決める習慣があるからこうなったのです。
観念論者の集まりでも、政権担当中はさすがにすぐに操業停止させると関連業界の倒産等雇用問題〜電力不足で国家が成り立つかその他の影響が出る・・代替エネルギー育成までの準備期間が必要くらいは官僚から具申があって考えたのでしょうが、各産業界からの研究水準等の見通しの積み上げるという実務経験がないので、政府首脳の頭だけで考えて大づかみの年代を決めてしまったように見えます。
もともと地道に考えた目標年次ではないので、政権から離れると観念的体質の地金が出て、代替エネルギーの準備保管状況など重視しない意見が幅を効かし始めて、昨年初め頃に民主党内で三十年「代」では甘い・三十年と限定しようという突き上げが起きてきました。
党の基本政策変更には、事故当時から五年以上経過して代替燃料の開発が想定よりも早く進んでいるという客観状況の主張立証が必要ですが、その主張がほとんど聞こえてきません・・政府・日本国民を困らせようとする意欲ばかりが目立ちました。
海渡氏の主張を読んでも「原発の公共性必要性がない」というだけ(別のところで書いているのか読み落としか記憶がはっきりしませんが)過去5年間ほぼ原発ゼロでやってきたが、なんとか間に合っているという一般論程度のイメージシか伝わってきません。
なんとか間に合うためには緊急事態として国民の協力があるほかに、余裕のない電力事情で改修等にシワ寄せが行っている点をどう見るか、・・ここ数年たまたま原油値下がりで助かりましたが、それまでは貿易赤字どころか経常収支まで単月で赤字が始まるなど大変な事態でした・・こういう見通しも重要です。
代替電力論は、結局コスト問題だからです。
代替電力なしに単純原発停止して、その分電気なしの生活水準に落とす覚悟があれば簡単ですが、生活水準を下げるのではなく、産業界で負担しろとなるのが民主国家の宿命?でしょうか?
太陽光発電の高額補助金も高コスト化分を利用者負担にできない結果です。
自分が負担するのは嫌だが、コストの安い原発をやめて高いコストでも再生エネルギーにしろというのは自己矛盾の主張です。
「上寿司の料金を払いたくないが上寿司を食わせろ!」というような意見です。

民意(選挙と世論調査)2

科学的にわからないとすれば、原発の即時停止が妥当か2030年台までの猶予を置く民主党の主張が妥当か40年代が妥当か否かは、専門家優位の科学判断でもなければ・法律判断分野ではなくその被害を受けるかその間だけでも利益を受けた方が良いかのリスク判断は、当事者=民意次第というべき分野です。
科学的にいつ大規模地震や火山噴火があるか不明であれば、原発を即時停止すべきか10年〜20年で徐々に減らしていくかなどは(いつ来るか分からない点は専門家も国民も同じですから)専門家が決めることでなく、国民の総意・価値判断事項です。
大学進学しても社長になれるか銀行員になれるか平社員で終わるかも全く保証の限りではありませんが、大学進学する人がいるように、いろんな分野で結果保証の限りでないがいろんなことに挑戦する人がいっぱいいます。
リスクを取るかどうは当事者が決めるべきであって、先生や周りのいくら立派な人でも第三者が決めるのではなく最終決定権者は本人です。
ましてや、裁判所が科学根拠なく、神の意思体現者のように誰が何に挑戦すべきかを高みから決める権限などある筈がないでしょう。
文字通り「良心」があるならば、「自分にはそういう権限がない」と回避すべきです。
海渡氏の意見では、民意によるべきか?という疑問さえ抱かずに科学でわからないならばエリート裁判官が「良心に従って決めるべきという主張が自然に出てくるのが、彼らの特徴です。
昨日だったか?思想の自由市場論で書いたように、指導者が一方的に決める思考回路に親しんでいる場合にこういう意見が自然に出てくるのでしょうか?
ただし、終わりの方では流石に気になったらしく(交通事故ゼロが100ゼロでなくとも良いのとは次元の違う大規模被害になるから?)「多くの国民の世論が脱原発を求めている現在」と書いてありましたが、どこで多くの国民が脱原発を求めていると調査したのか根拠を書いていません。
本来論証すべきテーマは原発が壊滅的機被害を受ける地震がいつ来るか分からない時に、その間、そうするかについて、国民意思によるべきか陰陽師等の占い師に委ねるか等の決定権者に関する議論が必要です。
神のお告げや独裁者の命令よりは「民意によるべし」というのが、民主主義国家においては争いのないルールであると思えます。
そうなると論証すべきは民意がどうなっているかが重要ですが、この重要な民意がどうなのかについて海渡氏はいつの世論調査かの引用すらしないでいきなり「「国民の世論が脱原発を求めている現在」という結論を出して一方的に自己主張と同じだというかのようです。
革新系の常套文句・・・「国民多数の声を無視するな」と同じ繰り返しです。
重要なのは地震や火山噴火の予知が確かかどうかではなく、この程度しかわからないことについて、国民が原発にどの程度までのリスクを許容しているかです。
車の事故がゼロでないから乗っては行けないという人はいないのですが、車や一般の公害と違い原発の被害が巨大だから、「確率100%ぜろが必須に決まっている」と言うのが、海渡氏の立場のようですが、そういう国民合意があるのかどうかこそが重要です。
いつも書くように、彼ら選挙では少数の支持しか得られない革新系が国民意思を何故代表していると言い切れる?かです。
反原発を誘導したい立場あるいは促進したい立場で行う非中立の世論調査で民意が決まるならばこの世の中に選挙制度も国会も不要です。
報道機関が勝手にやっているだけで、世論調査には民意を確定する権限が一切ないのですが、報道機関が自己のやっていることを誇大に評価しているだけのことです。
民主国家においては本当の民意は、秘密投票制の選挙で決まるものであって、それ以外には正式に知る方法がありません。
特に英国のEU離脱国民投票と事前世論調査の大幅食い違い、アメリカ大統領戦での世論調査と選挙結果の大幅乖離、日本でも昨年の総選挙前の内閣支持率低下状態の大規模報道と選挙結果の大幅乖離などが続き、世論調査の信用性が大幅に低下しました。
4〜5年前の都知事選で原発反対を主要政策に掲げて立候補した元総理細川氏(大物コンビ)が元総理小泉氏支持を受けてメデイアの大報道を受けて選挙に臨みましたが、惨敗しています。


共同通信
2014/01/13 に公開

細川護熙元首相(76)は14日昼、東京都知事選(23日告示、2月9日投開票)への立候補に向け、小泉純一郎元首相と都内のホテルで会談した。
細川氏は出馬を表明。 「脱原発」を目指す考えで一致している小泉氏 は支援する考えを伝えた。

14年の都知事選の選挙結果は以下の通りでした。
https://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/edit

1 ■舛添要一    無所属  新   2,112,979   43.40%
2 ■宇都宮健児   無所属   新    982,594.767   20.18%
3 ■細川護煕 無所属 新    956,063   19.64%

http://blogos.com/news/2014_tokyotochijisen/?g=politics

新聞各紙の社説
手堅さを選んだ都民             朝日新聞
原発論戦今後に生かせ 首都の安全網に全力を 毎日新聞
・無責任な「原発ゼロ」信任されず – 読売新聞
・「脱原発」ムードの敗北だ 五輪や福祉への対応を急げ – 産経新聞

上記の通り原発事故から日の浅いこの時期でも、脱原発を正面テーマに据えた選挙をしてみると、根拠のない?原発反対論は19%あまりの支持・・棄権票を反対票にカウントする革新系の好きな計算方法によれば約1100万有権者の内95万人しか支持されなかったということです。
しかも原発反対派の公約自体は即時全面廃止の主張ではなく、せいぜい脱原発という方向性の主張に過ぎませんが、それでも19%あまり(有権者の1割弱 )の支持しかなかったのです。
ところでここで注意すべきは原発訴訟は、仮処分による「即時停止」を求めるものであって、民主党でさえそんな過激な主張をしていません。
民主党は蓮舫執行部の昨年始め頃に2030年までの廃止表明に動きだしたものの、党内反発が強くて党内の公式議題にすらできず失速して、退陣となり前原執行部になって、総選挙を迎えたものです。
ちょっと見ると、17年選挙時に民主党の立候補がなかったので民主党の政策が直接出なくなっていますが、間接的には以下の通りです。
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20171005/ddm/002/010/122000c

希望の党は「2030年までに原発ゼロ」を掲げ、民進党が訴えていた「30年代ゼロ」より踏み込む方針だ…

毎日新聞でさえも上記の通りで、即時停止などの乱暴な意見は怖くて選挙公約にすら掲げられないということは民意は即時停止を求めていないという各党の評価でしょう。
海渡氏は、どういう根拠で即時停止を求めるのが民意/国民多数の意思であるかのように主張しているのでしょうか?

世論誘導2(粉飾決算・会計監査の限界)

虚偽に塗り固められた韓国(と反日国内集団・メデイア)による慰安婦攻撃の結末は、「正義はいつか勝つ」という日本国民の信念の勝利です。
日本国内政治分野も同様で、敗戦後アメリカの後押しでメデイアの政治性(米中ソ3ヶ国寄りの報道圧力)が強まり、メデイアは情報の仕入れ機能を活用して世論動向を調査できるだけでなく、今後の方向性もマスメデイアが誘導できるような時代でした。
民主主義社会とは、民意(ピラミッド型の階層構成であれば最下層が最大多数層)重視政治ですから
「大衆の多くは無知で愚かである」「熱狂する大衆のみが操縦可能である。」
とゲッペルスの言う通り、インテリと同じ1票を持つ大衆の意識操作こそが重要です。
民衆相手の民主主義社会の到来が政治宣伝を劇的に発達させた要因です。
しかし、わが国の場合、ちょっとした演説で熱狂するアメリカ大衆とは違い民度の高い
「日本の大衆を見くびるな!」という意見は千金の価値があるように思いますが・・。
国際交流がエリートによるだけの19世紀までとは違い、20世紀後半以降は中間層の交流どころか出稼ぎ労働者=最下層の海外渡航が広がっているので、中下層民度レベル差がモロに出る時代です。
昨今コンピューターの発達によりビッグデータの解析が盛んですが、それとは別にメガ情報をフェイスブックやアマゾンのような世界IT大手が握る問題点が議論されるようになりましたが、それは従来型のマスメデイアの情報独占から別の業界にヘゲモニーが移るという意味で問題になっているのであって情報操作がなくなるわけではないでしょう。
メデイアもIT企業も情報利用のために情報入手している以上は、好むと好まざるとを問わず一定方向への利用・商品販促キャンペイン利用は避けられません・・・これを政治方向で意図的に行うのを「情報操作」と名付けているだけのことでしょう。
ビッグデータの把握やその解析は、個人情報→民意の塊ですから、民意の動向を探る方向にも使える点では20世紀以降マスメデイアが情報収集とその提供業務→編集→世論誘導能力保有となって、政治の方向性を事実上決める力を持って来た傾向と変わりません。
これに対するネット空間の発達によって、個々人がどれほど抵抗できるかでしょうが、データの解放がいくら進んでも時間格差を穴埋めできないでしょう。
研究者や企業トップも研究所や企業在籍中には、膨大な情報の入手や加工が自由自在にできていたのですが、退職すればこれらを利用できなくなるのでアップデートの研究や意見発表能力が、何百分の1以下に落ちるでしょう。
大学図書館等の利用権が残っても、それは過去の資料調査に役立つだけであって政治や経済等の決断に必要な今現在の世論動向を知り、誘導するには力を持ちません。
これが電子媒体中心になってくると、各種文献もネット上で開示されることが増えてきたのでフリー・個人研究もある程度継続できるようになってきたように見えますが、まだまだ論文等がネットに出ているのはホンのわずかです。
あってもだいぶ前のデータにもとずく論文など・・.
例えば輸出入の動向なども公式統計に頼ると1〜2年前のものが普通ですから、それではこの数ヶ月内の相手国の動向や景況感による行動指針を提言することは不可能です。
そもそも公式統計になる前の「生の矛盾情報」等を読み解く能力こそが研究者の腕でしょうが、整理前の最新資料そのものにアクセスできるか否かの段階で情報格差が起きます。
一般的にいってもリアルタイムの政治や貿易・最新技術動向に関するデータ分析になると、直接ナマの情報にアクセスできる現役研究者や現役企業関係者にかないません。
そこで現場にいる者(セミプロ?)による世論調査や企業格つけなどが必要になって来たのですが、結果の出る事例では実際の選挙結果と事前の世論調査や格つけ(高格つけ企業があっという間に倒産するリーマンショックなど)とまるで合わない事例が増えてきました。
調査能力が低くて結果と違ったのか?意図的に誘導的調査したのか?データを故意的に読み変えたのかなどの疑問→プロ調査機関の信用性が落ちてきました。
時々発覚しては大騒ぎになる世界企業による粉飾決算(古くはエンロン事件最近では東芝事件?)が頻発していますが、これもデータ悪用による市場・世論誘導の一種であり、これを防ぐためにあるのがプロによる会計監査であり厳格な会計ルールですが、こういう大事件が発覚するたびに「何のための会計監査か?」となって大手会計事務所が消滅したこともあります。
監査が馴れ合いだったか?誤魔化す方が1枚上手だったかの問題ですが、会計監査の信用性をなくす例がしょっちゅう発生しています。
虚偽報告でも会計の場合、お金だけの問題ですから、時間経過で経営に無理が来るので短期間で発覚するのが論理的帰結ですが、政治の場合には複雑な要因が絡み合っているので、ソ連崩壊を待たねばならなかったように100年前後の時間軸・・まさに歴史の審判に委ねるしかない点・自分が生きているうちには発覚しないだろうという安心感が、不正横行・事実を捻じ曲げた世論誘導の誘惑・温床になりやすい原因です。
このように見ると一定方向へ誘導しようとする会計不正をプロの(個人の会計士ではなく組織対応している)大手会計事務所でさえ看破できないとすれば、いろんな分野で情報処理が高度化すればするほど、その道のプロでも専門外の公式発表の資料をみて自力で情報操作を見抜くことが不可能に近いように見えます。
いろんな分野で会計士のような専門家による監査が必要な時代が来ているように思えますし、特定の監査機関だけしか資料をみられないのではなく、他のプロもある程度不正の匂いを嗅ぎつけられるように、決定に至る前の何種類ものナマデータを開示すべきでしょう。
そうすればABCDのデータから甲乙にテーマが絞られていく過程がわかり、どういう議論があって、最後に甲が採用されたかもわかります。
リーマンショックで言えば、データ捏造というよりは、サブプライムローンシステムに対する誤った理解が高格付けの原因になっていたのですが、これに対する警鐘を鳴らすエコノミストが誰も?いなかったのが不思議です。
それでも幅広く意見の根拠が開示されていれば、大事件になる前に気がつく人も出てくるでしょう。
いわば検証可能性の保証です。
政治分野では古くからあるのが政治評論家やオンブズマンというものでしょうが、会計監査のように4半期ごとの決算資料のような会計原則が決まっていない点が難点です。
メデイアの中立性チェックと言ってもその方法が手探りですが、今後そういう外部チェックが必要とする意見が増えるのではないでしょうか?
会計のように「正」と「不正」の境界がはっきりしている分野でさえ経営陣に粉飾をやる気でやられるとプロの監査法人でさえ簡単に見抜けないのですから、政治分野になるとなおさらです。
政治テーマでは事実に反するのではなく、ある事実をどのように理解するかについては人によってかなりの幅があるので、その幅の範囲内で一定の方向・・編集権と業界では言いますが・右端〜左端の意見を報道するのは虚偽ではないものの編集者による一定の世論誘導が可能になります。
5月8日頃のコラムで書きましが、憲法改正の世論調査でいえば、端的に各党の改正案を比較表記してその賛否を中立的に聞くべきでしょうが、数日前に紹介した朝日新聞の「安倍政権下」の「憲法改正の賛否を聞く」方式ははじめっから「安倍政権に対する好き嫌い」を最初に決める前提にしていて憲法に関する肝心の質問が二の次になっています。
また日常的政策との優先順位を聴くのも不合理という私の意見によれば一定の世論誘導になっているでしょう。

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