ヘイトスピーチ6(我が国法律上の定義2)

現行法を見ると「差別的言動」の中身に言及できない上に、差別的言動に該当したらどうするのかを書いていない・・前文では「不当な差別的言動を許さない」と宣言する」のですが、「人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進」するだけのようです。
直接規制はこれまで書いてきたように、いきなりやるのは無理が有りそうなので、(当面?)「取り組み推進」となっていて何かを規制するという法律ではありません。
それでもこの法律が成立するとこの法で宣言された基本理念をもとに、行政が自信を持って行動できるようになったことは確かです。
すぐに川崎市では、公的施設利用拒否されるなど相応の効果が出ていますし、デモ行進場所も在日の多い地域を除外しての許可になったような報道でした。
https://mainichi.jp/articles/20160531/k00/00e/040/191000c

毎日新聞2016年5月31日 12時43分
在日コリアンを対象にヘイトスピーチを繰り返している団体に対し、川崎市は31日、団体が集会を予定している市管理の公園の使用を許可しないと通告したと発表した。ヘイトスピーチ対策法が今月24日に国会で成立したことなどを受けた措置。ヘイトスピーチを理由に会場の使用を許可しないのは全国初とみられる。

法律でうたっているのは、「人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進」するだけのことであって、なんらの取り組み努力もなしに、法成立後わずか1週間で使用不許可・・実力行使したのは表現の事前禁止?になるのか?行き過ぎの疑いが濃厚です。
この法律による規制ではなく、法成立の勢いを借りてやった印象です。
この評価意見はちょっと見たところ以下の
https://togetter.com/li/982640
高島章(弁護士) @BarlKarth 2016-06-02 13:52:58
に出ています。
言論の自由に敏感な筈のメデイア界や憲法学会が(支持基盤に利益であれば?)一切論評しない印象ですが、国民の空気に乗っている限り法理論抜きで何をしても良いかのような対応では憲法や法律学・・人権保障論は不要です。
行政機関が、言論発表の内容を事前審査して(事前検閲は原則として憲法違反)世論動向を読んで使用不許可できるのではおかしなことになります。
法は、このような強権規制を前提としない今後の教育目標にすぎないから、「差別的言動」自体の内容定義すらない条文で終わっている・・・のに、理念宣言法の成立による空気を利用して直ちに表現自体の直接規制が許されるとすれば「差別的」とは何かについてもっと議論を詰める必要があるでしょう。
法で容認されたのは「人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進」とあるように時間をかけて国民合意を形成するべき努力宣言ですから、逆からいえばまだ「ヘイトとは何かについて)国民合意ができていない宣言です。
このように現場で規制が先走り始めると今後の啓発目標に過ぎないから「定義が曖昧でも良い」とは言い切れません。
竹島を返せとか、特別在留者という「特別身分?」を廃止すべきかどうかの議論をする程度では、国内政治論であって、差別言動にならないように見えますが、これなどもその「会場参加者が突発的にヘイト発言する可能性が高いから」と、あらかじめ会場利用拒否.集会やデモ行進禁止できることになるのでしょうか?
あるいはヘイト発言が始まると即時に発言禁止・集会解散を命じる・・戦前特高警察が常時集会を監視していたような時代が来るのでしょうか?
戦前の特高警察の場合でも、発言しないうちはわからないので、集会自体を開催できて途中現実の発言があってからの制止でしたが、川崎の事例は発言すら始まっていない段階の会場利用自体を拒否ですから、いわゆる事前規制ですから戦前すらしていなかった過激規制です。
過激発言が過去にあった場合、今度も同じ発言する可能性があるとして、あらかじめその人の口を塞ぐ規制が許されるでしょうか?
要は憲法学の定説である事前規制に要する「明白かつ現在の危険」の法理をどのように担保するかの問題です。
実際の経験で「日頃に似合わず、あの人今日は静かだったね!と言う事が幾らもあります。
そもそも暴力行為等を標榜しない政治意見表明の集会にすぎない・・「ヘイトになるかもしれない」という程度の場合、それが「現在する危険」と言えるかの疑問があります。
デモ行進の場所を在日集落付近を避けるよう(在日の密集地帯付近を行進中に暴徒化リスクが高いので不測の事態が起きないように)にコース指導したと言われる県警の判断は合理的印象ですが、会場使用と危険性とは関係が遠すぎる印象です。
特定犯罪に直結するような集会・・例えば〇〇糾弾集会で副題で、糾弾し反対している政治家の家に押しかけるテーマのように具体的害悪提示のスローガンの集会を開くような場合にはその政治家近くの公園での集会は「明白かつ現在の危険」として不許可処分も合理的ですが、抽象的な在日批判集会の会場参加者が「〇〇を日本から叩き出せ!というような過激発言したとしても、参加者が自己満足しているだけで具体的危険性がありません。
取り組み推進過程で支持者を広げるための街頭活動など、その時の発言次第で微妙になりますが、紳士的活動の範囲内であれば、表現・政治運動の自由を制限するほどの問題ではないでしょう。
韓国の竹島不法占領批判集会や運動は、在日韓国人には嫌なことだから集会や運動をすべきではないとなっていくのかなどの批判がされていますが、条文を見るとこれらもそのついでに過激な(行き過ぎた「出て行け」などの)感情的批判をしなければ良いことで、韓国批判の集会を開くこと自体が制限される心配はないはずです。
従来の憲法論からいえば、その集会参加者の一人二人が、いきなり過激意見をぶった場合でもそれはその後の市場評価に委ねるべきであって、その程度の可能性を理由に事前検閲・・会館利用不許可あるいはデモ不許可になるのは行き過ぎです。
今回の騒動によって在日は焼け太りしたかのような批判があり、この法律制定に尽力した政治家が批判されていますが、内容を見ると穏健な内容です。
彼らの期待に応えるかのようにちょっとした韓国批判集会でもひらけないような過剰反応が現場自治体でもしも次々と起きる・(幸い日韓合意成立によって一定の沈静化に成功したので今後嫌韓運動の下火になっていくでしょうが)一方で韓国の反日攻撃がおさまらない場合には、不満が潜行するようになって大変なことになります。
4〜5日前にカズヤとかいう若い人のユーチューブ動画が、政治意見を述べているだけなのに、ヘイト発信しているという集中的攻撃によって、(一定件数の苦情があれば自動的に一旦削除する仕組み?)一方的発信削除されていた件で、機械的取り消しが誤りであったとしてネット再開された途端に僅か1日で50何万件とかの会員登録があったという説明がありました。
このような法律ができたのに便乗して、特定ブログ等に対して「ヘイトの拡散動画」という集中的攻撃をすると自動停止削除する仕組みを利用した攻撃らしいです。
上記の通り対韓国関係で政治意見が気に入らない相手にはヘイトとして攻撃できる副作用を早速生じさせているようですが、これが(日本不安定化を目指す勢力の工作によって)どこまで広がるかによって、社会分断化が進むリスクがあります。

基本的人権制約原理7(ヘイトスピーチ規制2)

私は昨日紹介したデータの存在を昨日まで全く知りませんでしたが、(真偽は別として)こういうデータが出回っているのに「在日犯罪率が高いなどの故なき批判」を非難するメデイアのイメージ批判が主流で、メデイアの方で上記データに間違いがあるならばきちんと否定証拠を公開した方が良いでしょう。
メデイアからのデータ開示ないままでは、なぜ在日批判論が根拠ないか不明です。
※ただし、有能な外国人誘致の必要性が今朝の日経新聞にも出ていますが、(底辺労働ばかり入れると将来的に保護受給者や犯罪率の上がるマイナス)このような視点から見ると、有能な人ばかり入れて日本人の多くが底辺層になり有能な外人の稼ぎのおこぼれで日本人の多くが生活保護あるいは犯罪率が高まる社会も考えものです。
この種の意見は01/06/03「外国人労働力の移入3」前後に書きました。
後から入ってくる有能な移民(トランプ氏もドイツからの移民2世か?)に負け続けているアメリカでは、移民の古い順にフードスタンプに頼る比率が上がり、これが怒れる白人層を形成している印象です。
在日の生活保護受給率や犯罪率が高いと言うことは、日本人が在日との生存競争に勝っている証明・・めでたい結果で文句いう事ではありません。
流言蜚語というものは情報不足に起因するものですから、犯人検挙の場合には、日本人同様の実名報道を在日団体自体が許容しメデイアに「遠慮なく実名報道してください」と求めれば解決することですが、事実上の匿名「特権」?保持のまま「在日特権などない」と主張しても説得力がないでしょう。
説得力のない批判では表現の自由市場の競争に勝てない・在日批判論が広がる一方になっている危機感から?人権団体?オハコである「思想の自由市場論」をかなぐり捨てて「在日批判自体をさせない」かのような強権行動に出たのがヘイトスピーチ論の背景でないか?と批判が出てきます。
ちなみに一方の人権を過度に保護するのは他方被害者の人権無視につながることを、6月中旬から月末ころまでの袴田再審高裁決定の話題で書きましたが、
「人権団体とは、被害を受ける弱い立場を無視し、加害者=強者の人権のみを主張する団体」
のことでしょうか?
車にぶつかると歩行者が負けるので道の端をビクビクして歩くしかないので安心して歩けるように交通ルールがあるように、(高槻市の震災事故以来社会問題になっているブロック塀の規制論もブロックの下敷き被害に遭いそうな子供の保護が目的です)消費者保護その他多くのルールは弱者保護が基本です。
このルール(信号)無視で歩行者を跳ね飛ばして捕まった犯人・加害者を何が何でも擁護するのが、人権派の使命のように誤解しているようです。
人権擁護派が、被告人が本当に信号無視したかの事実究明を求めるなら合理的・刑事弁護制度はそのためにあるのですが、信号無視やルール違反の有無にかかわらず「検挙拘束自体を人権侵害」と主張するならば、この世の中にルールなど不要・強いものは何をしてもいいのだ」という無政府主義者の主張と同じです。
宮沢憲法のいう「基本的人権は国家社会成立前からある自然権である」というナイーブな意見に忠実なのかもしれませんが、それでは強いもののやりたい放題で人間社会がなり立ちません。
袴田再審高裁決定批判報道を見ると事実認定の合理性を問題にせずに、決定直後内容吟味もなしに、まず「不当判決」の垂れ幕のイメージ報道の氾濫と高裁決定批判の洪水ですから驚きです。
事実認定の合理性の有無にかからず再審開始決定を認めない高裁決定は「不当」という主張の引用報道の氾濫は、交通事故で言えば、交通ルール違反の有無を問題にせずにまず「無罪・釈放せよ」というような報道姿勢です。
訴訟手続きや法に反しているかの吟味なしに、「不当」と決めつける運動をしているグループ(これをあたかも正義のように洪水的に報道し続ける報道姿勢)・・支持する人権団体の論理によれば訴訟手続きを守っているか否かではなく、結論が納得しなければ「不当」と言うのですから、「自分たちが処刑したい」側に立てば、面倒な訴訟手続き遵守しない・・証拠吟味などしないで、まず「1日も早く処刑しろ」という主張に簡単に転化できる危険な集団イメージです。
社会主義国で普通に行われてきたいわゆる(文化大革命時の紅衛兵による吊るし上げで実例が知られます)「人民裁判」という吊るし上げ処刑を理想化する思考方法を、民主主義社会に移植しようとしているかのように見えませんか?
彼ら革新系というか左翼系運動家は、「刑を減らしなくす方向への運動ならば、訴訟手続き無視でも人権侵害にならない」という片面的価値観であるとすれば、理解可能です。
よく言われるように障害者枠を設定したり一定比率の女性役員を強制する場合の基本原理でしょう。
しかし、弱者救済のためと言っても職務能力がなくとも一定率の雇用を割り当てて強制しも良い職場と一定技能レベルが要求される職務とでは許容分野が違います。
取締役等の場合、能力不足の人が女性枠で1〜2人程度役員になっても、能力がなければ発言力がないので、(大方の議案に黙ってうなづくばかり?)重要意思決定に影響力が及ばず実害が起きません。
医師その他の各種資格等は、患者が医師を選べないし、歩行者が正面から未熟運転でぶつかってくるトラックの運転手を選べないので、危険です。
すぐに暴力行動に出る危険な子供も教育を受ける権利があるとは言っても、一方で被害を受ける子供の存在を無視することは出来ません。
このようにどの場面でどの程度弱者優遇すべきかは、学校で習った「基本的人権尊重・弱者保護」の精神と言うお題目を唱えるだけでは何の基準にもならないので、国民の総意・民意=法で具体的に決めていくべきでしょう。
この結果、訴訟手続きで見れば、訴訟手続き上弱い立場にある被告人にどこまで有利に下駄を履かせるかについては、立証責任で無罪の推定を原則化しているほか、証拠法則も厳格化し、国費による弁護人選任権など訴訟法で細かく決めていることであって、法で決めた以上に有利に運用しろという主張は「法」=民意を無視した意見となります。
日本は法治国家・人民裁判が許される国ではないので、「結論をこうしろ!」という主張ではなく、高裁決定を批判するならばどのような訴訟手続き違反があるかを主張すべきです。
言論の自由市場論の例外として在日批判をどの程度許さないか・・特別保護すべきかのテーマに戻ります。
ヘイトスピーチ論は、少数派/マイノリテイーは反論が自由にできないから「少数派批判は許されない」というのが一般的ですが、自由競争に馴染まない弱者であるから、「下駄を履かせろ」ということでしょうか?
「下駄を履かせろ」と言うのは刑事手続で言えば、無罪推定や証拠法則等の方法論で足りる・将棋で言えば飛車角落ち、囲碁で言えば置碁、ゴルフのハンデイなどその後の戦うルールは同じというのが普通の考えです。
これを超えて「強い選手の出場禁止」、「犯罪を犯しても刑事訴追禁止」あるいは、「日本人に比べて刑罰を半分にしろ」とまで行くと、弱者救済論の目的を逸脱し特権付与論になります。
ヘイト被害者が少数派であって言論発表の場がないならば、公平な言論競争ができるような反論の場を提供するなどの土俵作りをするのは、独禁法による救済同様の弱者保護基準ですが、強者の発言自体を封じるのは、少数派救済にかこつけた反対意見発表を制限するのが目的でないかの疑念が生じます。

基本的人権制約原理6(兵役納税の義務2〜ヘイト規制)

外国国旗損壊罪も外国の気を悪くしないように刑事罰の対象になっていると言う解説を信用するとしても、国民の人権侵害がないのに集団利益を守るための刑罰が許される一例になります。
基本的人権は「人類普遍の原理」と宣言する以上は、世界中に通用する原理でなければならないはずですが、兵役拒否罪は人権と人権の衝突場面でないのに刑罰に処して人を拘束し苦役を強制するのですから、個人人権より優越する法原理を持つ国が多いことを示しています。
憲法学者こぞって?集団自衛権反対にこだわる背景は、戦後の天賦不可譲の基本的人権論の基礎が崩壊する点にあるのかもしれません。
韓国で今年の6月28日に良心的拒否を処罰するのは、憲法違反と言う最高裁判決が出たようです。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/07/post-1052

2018年7月3日(火)15時30分
エホバの証人」投獄は違憲と韓国憲法裁判所 良心的兵役拒否は基本的人権の一つ
Jehova’s Witnesses in South Korea Are Imprisoned
韓国の憲法裁判所は6月28日、良心的兵役拒否者を処罰することを定めた兵役法の条項を「違憲」とする判断を下した。
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2013/07/15/0200000000AJP20130715001100882.HTML
2018年 07月 09日(月)
「良心的兵役拒否」による収監の92%が韓国人
2013/07/15 11:29 KST
【ソウル聯合ニュース】全世界で宗教的信念を理由に軍入隊を拒み投獄された人のうち、9割以上が韓国人であることが分かった。
国連人権理事会(UNHRC)が先月3日に発刊した報告書によると、世界各国で宗教・信念などを理由に軍入隊を拒む「良心的兵役拒否者」として刑務所に収監されている人は723人に上った。
国籍別では、韓国が全体の92・5%に当たる669人で大部分を占めた。
次いでアルメニア人が31人、アフリカ・エリトリア人が15人、トルクメニスタン人が8人と続いた。
また報告書は、徴兵制と代替服務制を併用し2011年に徴兵を暫定的に中断したドイツでは、過去50年間に代替服務を通じ271万8360人の若者が約3万7000カ所の社会福祉施設や慈善団体で働き有益な活動をしてきたことを自国の人権委員会が評価したと強調した。
さらに、各国は代替服務機関を軍服務期間の1.5倍を超えないように定めたり、同じくするなど差別を撤廃する動きを見せており、ウクライナとグルジアでは代替服務者にも市民として同等の権利を保障していると紹介した。
上記の通り、徴兵拒否処罰禁止はエホバの証人という宗教信条との相克として諸外国では無罪になっているようです。

日本のようにそのような宗教のない国ではどうなるのでしょうか?
また、無罪運動はセットで服務制度を求めていることから分かるように、前提として国民には国防に参加する義務があることを前提にしています。
人権の衝突もなく、道徳にも反しないのに、なぜ犯罪者扱いされるのか?ということが私の疑問であり「特定宗教信者であれば【良心的拒否者】として例外的に許される」と言う信仰の自由次元の問題ではないはずです。
人権が天賦不可譲・・・憲法以前の普遍的権利だと言うように義務にも組織の一員である限り国防に参加するのも納税義務同様に「天賦不可譲」の義務と言うのでしょうか?
こうなってくると「天賦不可譲(国家社会成立前からある人類普遍の原理)の人権論」は世界で日本だけの特異な学説かもしれません。
昨日紹介した甲斐素直氏の説明で補完説として説明される「パターナリズム」(後見保護的機能?)でもカバーしきれません。
納税義務や国防の義務〜内乱罪や 兵役拒否罪やスパイ罪などは、人権の衝突や道徳律だけでは説明できません。
人権制約原理として、「組織維持に協力する義務」を認めるしかないのではないでしょうか?
ところで人格的利益説〜道徳論によれば、誹謗中傷は不道徳ですから人権の枠外となりますので、許されないとなっていますが、一方で名誉毀損ではなぜか、民事刑事ともに集団に対する誹謗は対象にならないと(我が国独自の学説のようですが、詳細不明です)学説上決まっています。
名誉毀損に関するウイキペデイアの記事からです。

対象の特定可能性
名誉毀損が成立するには特定人に対してなされたものであることを要し、「東京人」や「関西人」のように単に漠然と集団を対象としても名誉毀損は成立しない[32]。これは刑事名誉毀損の場合と同じである。
本人に直接言及しない場合だが名誉毀損が成立する場合がある[33]。

慰安婦騒動や南京虐殺などの主張が事実無根?とした場合でも、日本民族や国に対する名誉毀損にならないという論理がどういう根拠か「常識でしょう」という決めつけで決まっています。
だからやりたい放題言いたい放題(南京虐殺の被害数字がいくらでも膨らんでいくなど)になり、これを事実上支持するかのようなイメージ報道が広がるような印象です。
「じゃ倍返し」だと嫌韓運動が始まるといきなり「ヘイトスピーチを許さない」となるので不思議(ご都合的な印象)に思う人が多いでしょう。
少数者に対する攻撃だから、「反論できないから」可哀想でないか?というようですが、米国では日本人は少数者ですし韓国でも同じです。
韓国や米国で慰安婦像を設置して日本人に対して嫌がらせするのは、表現の自由で問題がないというのですが・・・。
ヘイトを理由に表現を制約する原理(があるとすれば)は新たに生じてきた難しい問題です。
ヘイト禁止の要件は国によって違うとしても、ヘイトというのは他民族に対する憎悪表現が基本ですから、韓国人の慰安婦問題提起は対日憎悪感情でやっているのではないが日本人は「兼韓」というように「憎悪感情でやるから違法なんだ」となるのでしょうか?
それならば日本でも、「憎悪感情をむき出しに」しないで韓国人の悪行を暴くだけならば(それが事実にあっていなくとも?)有る事無い事でっち上げて批判していても、表現の自由で構わないのでしょうか?
靖国神社に対するデモでは、天皇陛下の顔写真を引きのばしたプラカードに竹槍みたいなもの?を突き刺してデモしている様子が出ていましたが、(ちらっと見た記憶ですから正確ではありません・・総理大臣の顔もあったようですが)これが表現の自由で許されて日本人が韓国大統領の顔写真に竹槍を突き刺してデモするのはヘイトになるのか?の疑問です。
多数派/強者は自制すべきと言うことでしょうが、少数派・弱者だからとエスカレート始めると・・消費者は情報弱者→クレーマーのモンスター化同様で、いわゆる弱者ビジネスが許されるか?の疑問が起きてきます。

基本的人権と制約原理2

自己実現論によれば「日本を滅ぼす目的の主張をする権利がある!」という行動も言論/表現の自由の1態様のように見えますので、自己の意見に自信があるならば堂々とその主張をしてくれればスッキリします。
日本の性道徳は国連勧告を受けるほど世界の低レベルだと世界宣伝したいならば、自己実現・言論の自由があるのですから、匂わせ発信しないで堂々とそう言えばいいことです。
あるいは、日本国を中国等の支配下に置くためには、どのような方策が必要かをテーマにしたシンポジューム開催の利用申し入れを日本の公的施設は(犯罪行為を伴う計画の場合には拒否できるでしょうが)利用拒否できないということでしょう。
反日とは言わないものの、反捕鯨の国際活動家が太地のクジラ博物館(名称を正確に知りません)へ入館拒否されて損害賠償請求した事件の顛末をユーチューブで見た記憶がありますが、一見すると「思想で差別するな!」という憲法違反の争いというイメージでした。
以下記憶喚起のために検索したところ、以下の通りです。
https://blog.goo.ne.jp/teramachi-t/e/5d843379b92e8c36792af6f53f6e52e0

建物や施設を設置し管理している側が、特定の人や団体の使用を拒否して社会問題になることが時々ある。
そんな時、「今の時代になっても、こんなことが起きるのか」と感じる。
先日は、クジラの捕獲問題で取り上げられることの多い和歌山県太地町の施設の入館拒否に関して、裁判所が町に「損害賠償を命令」した。
ウォール・ストリート・ジャーナル日本版/時事通信社 2016年3月25日
和歌山県太地町の「町立くじらの博物館」が捕鯨反対の外国人であることを理由に入館を拒否したのは憲法に違反するとして、イルカ保護団体のオーストラリア人女性が町を相手に約330万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が25日、和歌山地裁であった。橋本真一裁判長は原告の精神的苦痛を認め、町に11万円の支払いを命じた。憲法違反は認めなかった。
反捕鯨理由に博物館入館拒否、太地町に賠償命令
読売 2016年03月25日
捕鯨に反対していることを理由に和歌山県太地町立くじらの博物館への入館を拒否され、精神的苦痛を受けたなどとして、オーストラリア人女性(31)が町に335万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が25日、和歌山地裁であり、橋本真一裁判長は訴えの一部を認め、町に11万円を支払うよう命じた。
訴状などによると、自然保護団体メンバーの女性は2014年2月9日、同館の入場券を購入しようとして、職員から「捕鯨反対の方は博物館には入館できません」などと記載されたプラカードをみせられ、入館を拒否されたと主張。思想・信条の自由を保障した憲法に反するとして同年5月に提訴した。
これに対し、町は、女性らがこの数日前に、「観光目的」と偽って同館を訪れ、ビデオ撮影などの取材活動をしたとして、他の来館者の迷惑になるおそれがあったため、入館を拒否したと反論していた。
★≪思想・良心や表現の自由を保障した憲法の趣旨を踏まえ、女性は情報を得ようとする行為を妨げられたと判断≫(朝日)という。

(判決書自体のデータ不明なので)上記各報道の紹介を総合すると、裁判官は一足飛びの憲法判断に行かない・手堅いのが実務ですから、町の主張に対して、入館申請に対して数日前の行為を理由にして拒否する合理性(暴力や破壊行為などがあれば別ですが写真撮影程度では)があったかどうかの事実認定で判断したものと思われます。
そうとすれば、ウオールストリートジャーナルの報道が客観的です。
朝日は例によって憲法違反とは言わないが思わせぶりですし、このブログ作者も朝日の主張のまま本音で受け止めたのでしょう。
誤解のないようにきっちり書いている判決でさえ、このように多くのメデイアが種々の書き方になり、読者は思想差別に対する憲法裁判として受けとめ理解しているのですが、(私が数年前にユーチューブで見たときに受けた印象もそういう編集でしたが、書き方がどうであれ、ほとんどの人が本音で印象づけられるものです)名誉毀損訴訟になると「そんな(例えば反日文言は)ことは、どこにも書いていない」とする攻撃道具になり大方勝訴する巧妙な仕組みです。
裁判所は名誉訴訟では、全体の文意・宣伝者の伝えたい本音を読み取る必要があるのではないでしょうか?
ちょっと前に書きましたが消費者保護の前線では、美辞麗句をいっぱい書いていて能書きの端っこに小さな文字で例外を書いてあっても免責されない運用になっているのと同じように、名誉毀損訴訟でも全体として自分が国連特別報告に如何に貢献していたかを宣伝していたと認められる場合には、裁判になってから、特別報告者に対して、具体的に「何を告げ口?」したかを判断基準にするのではなく、全体印象として消費者の受け止め方を基準にすべきではないかの不満があるでしょう。
慰安婦報道に関する朝日新聞や朝日の記者に対する名誉毀損訴訟問題も、消費者である数百〜数千万国民に与えた影響度で判断すべきか、記者を批判する専門家としての節度基準で判断すべきかによって判決内容が変わってくるように思われます。
ここでなぜ消費者基準をいうかというと我々弁護士でも受任事件として目を皿にして縦横斜めに読み込むときと、出勤間際や電車内で瞬時にちらっとイメージ的にニュースその他の報道を流し読みしているときとでは判断基準がまるで違うから弁護士か、学者かどうかを基準にするのではなく、その都度の置かれた立場による基準が必要です。
昭和40年代のことですが、修習生時代に次席検事が、(当時私のいた地検本庁でも組織が小さく次席まで含めて正検事が4人くらいしかいない牧歌的時代でしたので、修習生を含めてしょっちゅう日常会話がありました)千葉県柏市(当時わたしは千葉県に縁もゆかりもなかったので千葉という地名しか知りませんでしたが)で不動産を買ったところ、被害に巻き込まれて弁護士相談中という話を聞いたことがあります。
「まさか検事さんを騙すなどできこっこないですよ!」という殺し文句にマンマと引っかかったということでした。
池田信夫氏の批判意見自体何かを知らないので断定的意見を書けませんが、NGO弁護士批判は他の本業の合間にちらっと読んだだけの個人意見なのか?政治社会現象の評論家としてのプロの仕事として読み、プロの意見として批判のタネにする場合とすれば、きちっと読むべきだったでしょう。
彼に限らず報道関係者が独立評論家に転身した場合、ムード報道での刷り込み成功で一人前になった人が多いと思われるので、経験上ムード報道自体に噛みつきたくなるのは理解できますが、法の世界では原則として「事実が何か?」で決まります。
法律家=法律論ばかりだと思っている人が多いでしょうが、裁判実務では「事実に法を当てはめる」作業ですから事実認定が先決的重要です。
ムード報道である以上ムードで国民を煽るのは国民を誤った方向へ誘導するから良くないと批判・意見表明するのは自由でしょうが、自分自身ムード方法しか経験がないとムード報道自体を事実かのように批判してしまう傾向がある・そういう批判を書いてしまったように見えます。
私のような素人が仕事の合間にムード的受け止めで反応していた場合に訴えられても、裁判所は消費者目線での判断基準で判断したかもしれませんが、彼は(池田氏の職業を知りませんが?)プロ評論家としての意見を発表している場合には、プロとしての慎重な読み込みが要求される・その基準で解釈されるのは仕方がないでしょう。

名誉毀損と政治効果2

政治活動家が一定方向へ誘導していた方向性について、メデイア等で第一人者・パイオニアなどと持ち上げられている時には、名誉毀損などと言わないのですが、世の中の受け取り方が変わってくると、その運動の主役と名指しされたことが「名誉毀損」として法的手続きする動きになるようなイメージです。
例えばこれまであちこちで辛淑玉氏の行動は肯定的報道されている時には、名誉毀損報道と問題視していなかったように思われます。
このシリーズで読んでいるうちに「のりこえねっと」いう団体の共同代表として出てきたのでどういう団体か検索すると以下の通りです。
例えば8月11日現在のりこえねっとで検索すると以下の通りです。
https://ja.wikipedia.org/wiki

のりこえねっとは、2013年に設立された日本の任意団体である[1]。正式名称は「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」[2]。「在日外国人・留学生、国際交流、行政への改策提言」を活動分野として公表する[1]。のりこえネットと表記されることもあるが、「ねっと」は正式にはひらがなである。パルシステム生協連合会専務理事の若森資朗を代表者として登録しており[3]、パルシステム生協連合会の助成団体として資金提供を受けている。
活動
沖縄への「市民特派員」へ5万円支給

カンパで募った資金をもとに、本土から沖縄への交通費にあたる5万円を支給し、沖縄の現地の様子をツイートする「市民特派員」を募集した。2016年9月から12月まで16人を派遣している[5]。チラシに「往復の飛行機代相当、5万円を支援します。あとは自力でがんばってください!」と書かれている[6]。
ガジェット通信によると、2016年ののりこえねっとの講演で、辛淑玉が、高江ヘリパッドの反対デモへの参加予定者に対し、「私は稼ぎます。若い者には死んでもらう。爺さん婆さん達は嫌がらせをして捕まってください。山城博治には『病気で死ぬな。米兵に殺されるな。日本の警察に殺されるな。私が殺してやるから』」などと講義している動画がアップされ、過激な内容ではないかとネットで話題になっているという[7]。
女性の性グッズ専門店のウェブサイト「Love Piece Club」上で、ライターの李信恵が、5万円の支給を受けたことを明かしている[8]。
ニューズウィーク日本版2014年6月24日号で「『反ヘイト』という名のヘイト」記事において、反ヘイトを掲げた団体が、「反差別」を「絶対的な大義」とした上で、「相手の言動に少しでも差別的な響きがあれば容赦なく身元や過去を暴き、徹底的な批判を加え、社会的生命を抹殺しようとする」活動であると批判し、反ヘイト団体が「暴力や権力」を利用することで「憎しみが消えるどころか、新たな憎悪の連鎖を生むだけだ」と報道がされた。
ニューズウィーク記者の深田は、在特会メンバーへの傷害容疑で執行猶予中の反ヘイト団体幹部運動員が、「逮捕上等」と発言し、「次回の暴力の可能性を示唆すると、会場が笑いと拍手に」包まれた会場に居合わせ、ヘイト団体ではなく反ヘイト団体の運動家らだったことで驚いたとし、反ヘイト団体の「正義の仮面」には「憎悪」が存在すると報じた[12]。この記事で「ヘイトデモ」参加者が「反ヘイト活動家」に殴られたと書かれ、また「ヘイトデモ参加者」が「反ヘイト団体からの暴力を恐れて」いる・・

ウイキペデイアの記事が正しいとは限らないとしても、ある程度の検討を経て書いているとした場合これを信用して意見発表した場合、「真実性証明をしたことにならない」として名誉毀損になるのでしょうか?
真実「性」証明とは真実証明まで要求せずに「信じるについて相当の根拠あるとき」のことです。
上記記事を見ると沖縄基地反対運動に交通費5万円を配るのを自分で自慢するのは良いが、誰かに批判的に言われると名誉毀損・・社会的評価低下行為という使い分けをしているように見えます。
しかし、MX事件では、交通費支払いではなく、「日当五千円を払っているという表現が問題になっているようですから、交通費と日当の違いがあるから、これが許せない重要事実なのでしょうか?
お金に色がつかないし、企業会計とは違うので、(交通費の領収書と引き換えに払うなら別ですが・・その場合でもらった方にとっては、5万円を日当・日々の生活費5000円に使っても交通費に使っても懐具合へ影響では同じです。
沖縄県外の人が沖縄基地反対運動に参加するために交通費込みで10万円予算の場合、交通費に関して5万円まで補助金が出る経済効果では同じでしょう。
これを県外の人参加の黒幕という意味で表現したことが名誉毀損になるかどうかです。
BPO決定について書き始めの頃に評論家や弁護士などは日当をもらいたい方で、日当を払うスポンサーになっているというのは、もともと無理っぽい筋だと書いたことがありましたが、上記の通り検索対象を広げていく過程で、パルシステム生協連が「のりこえねっと」への資金提供者になっているとも書いていることが分かったので、辛氏がその運用責任者になるという意味では実質的なスポンサーになれない話ではなさそうです。
またBPOの決定概要では「違法行為の黒幕」と表現したことが重要視されていますが、上記紹介記事では、

「私は稼ぎます。若い者には死んでもらう。爺さん婆さん達は嫌がらせをして捕まってください。」

と発言していることが記録されていますから、「捕まって下さい」とは違法行為を唆しているか前提にしていると普通は読むべきですから、まるっきり根拠のないことをMX・ニュース女子が報道したのではなさそうです。
この程度の違いだけで、BPOが「真実性の証明がない」として勧告したのか否かは「決定概要」だけでなく決定書本体(全文)を見ないと断定的には言えません。
「ニュース女子」製作会社のDHCの関連会社がBPOの勧告を全く受けつけない対応をしている・BPO勧告対応したいMXをDHCが逆に切ったことになっているらしいこともわかってきました。
下請け?納入業者が元請けを切るというのは一見不思議な感じをしていましたが、実はDHC(またはその親会社?)はMXの広告収入の11〜12%占める大口客(で、力関係が逆転している?)あるネット記事もありました。
先にあげた資金力の疑問など、一見不思議なことが起きるには合理的な例外事情が裏にあるということに一例を加えることになります。
私のこのコラムは、事件の詳細事情を知らないで報道だけにまず反応して書いているので、その時点で「この報道は不合理だ」と思って書いた私の批判意見は後日例外事情がわかって修正されることがありますのでご理解ください。
たとえば慰安婦騒動も韓国や日本文化人?主張が虚偽と思うから腹がたつ人が多いのであって、本当であったとすれば日本人は反省する必要があるでしょう。
商品品質であれ、あらゆる分野で虚偽主張が嫌われるのは、公正な判断を妨げるからです。
児童売買春は人権問題で根絶すべきことですが、それと虚偽数字をあげて日本批判して良いかは別問題です。

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