輸入規制2とラストベルト地帯

輸入規制に頼ったラストベルトの解説です。
http://www.crosscurrents.hawaii.edu/content.aspx?lang=jap&site=us&theme=work&subtheme=INDUS&unit=USWORK059

ラストベルト (さびついた工業地帯)
イリノイ、インディアナ、ミシガン、オハイオ、ペンシルバニア諸州を含むアメリカの地域は「ラストベルト(さびついた工業地帯)」と呼ばれています。この呼び名は、これらの地域の多くの産業が時代遅れの工場・技術に依存していることからつけられました。
1970年代、激しくなる国際競争への対応策として製造業者がこれらの地域からアメリカの他の地域やメキシコに工場を移転、かつて繁栄していた工業地帯の経済が悪化したことによりこの名称が幅広く使われるようになりました。
これらの地域では、工場閉鎖にともなって失業者が増加し、多くの人々はこの地域を去りました。デトロイト、セントルイス、クリーブランドなどの都市、あるいはインディアナ州ゲリー、オハイオ州アクロンといった比較的小さな都市は、都心が衰退してしまったラストベルトの都市の例です。デトロイトは、現在も世界最大規模の製造業の中心地ですが、製造業が衰退していく中で、製造業への依存を減少することができずにいます。

ただし最近、産業の高度化に施工した企業が現れて持ち直しているようです。
上記によれば、企業自体が適応してラストベルト地帯から別の地域へ逃げ出して国際競争に適合していった経緯がわかります。
輸入規制を求めて古い体質にしがみついていたのは、企業経営者ではなく(新しい分野に挑戦できない?)従業員・労働組合だったようです。
企業経営者の方は古い体質グループを放置して他地域に進出してシリコンバレー等で新たな産業を起こして行ったようです。
古いマンションの修繕改築の話し合い(住民の多くが老人)に時間を費やしているより、近隣にできた新築マンション買い替て逃げて姉妹振りマンションはスラム化一方になったようなものです。
企業の方はラストベルト地帯から逃げていたということは、企業は自由競争の必要性・時代適応必要性を認めていたこと・新機軸の製造業に変身する必要性を認めていたことがわかる・・反対していた主役は、新時代についていけないリストラされる人材多数抱えている労働組合だったことになります。
労働組合の名誉のために書きますと、村落社会や町内会その他すべて団体というものは現状を全体とした運営ですので、新時代に適応できる有能な人材はホンの数%でしょうから、多数に従う民主主義の弱点でもあります。
現状変更になんでも反対するのは、組合の特性というわけではありません。
一般社会は自然発生的に生じていることが多いこともあって(陰であんな格好してとか、あんなことを言ってとか・・白い目で見られる・村社会は窮屈と言われることがあっても)直接規制がなく個々人の自由行動の幅が広い(本人さえ陰を気にしなければ良い)のに対して、組合では何でも「機関決定」というものが幅を利かしすぎて違反の問責?追求できる統制委員会的仕組みががっちり整備されて(左翼系組織も似たような傾向ですが)いる点が大きな違いでしょうか?
ソ連の粛清が有名でしたが共産党支配の中国では党紀違反を理由にある日突然党幹部の消息不明になったりしていますが、粛清支配を基本的体質とするソビエットのDNAを受け継いでいるからでしょうか?
日本では中国のように党紀違反を理由に党から拉致され取り調べを受けるような事態は起きていません(そういう権限がありません)が、組合の機関決定重視姿勢はこれの思想影響を受けているので機関決定の重みは似たようなところがあります。
ましてユニオンショップ制やクローズドショップ制の米国では、労組加入しないとその企業で採用しないし解雇する仕組みですから労組から除名されると職を失う効力があり、異論が許されない仕組みです。
ユニオンショップ制に関するウイキペデイアの説明です。

採用時までに労働組合加入が義務付けられ、採用後に加入しない、あるいは組合から脱退し、もしくは除名されたら使用者は当該労働者を解雇する義務を負う、という制度。雇い入れ時には組合員資格を問わないという点で、組合員のみの採用を義務付ける「クローズド・ショップ」とは異なる。これに対し、労働組合の加入を労働者の自由意思に任せるのが「オープン・ショップ」である。

日本の労働法ではこう言う硬直的システムを取り入れなかったので柔軟経営ができたのですが、日本で唯一の強制加入団体は日弁連と各単位弁護士会でしょうか?
昨今弁護士会の政治活動が増えてくると、強制加入システムに不満を言う若手弁護士が増えてきたのは当然の成り行きではないでしょうか?
任意加入の場合機関活動家?が独走しすぎると一般会員が脱退したり、新規加入が減っていくので組織率がバロメーターになりますが、強制加入だと、過激全学連のように機関活動家が牛耳っているのか多数支持を得ているのかが不明になります。
日本で唯一の強制加入団体である弁護士会の場合、不満な人は会活動参加を敬遠するくらいしかない→その傾向が実質的バロメーターになります。
米d国は自由主義国とは言うものの実際には規律が強すぎて個々人が自由な言動ができない仕組みのようです。
こういう頑迷な組織支配するところから、企業の方が逃げ出します・これがラストベルト地帯になった原因です。
企業にも適地を選ぶ権利があります。
ハンマーで日本製品を叩き壊していた背後の主役は、変化に応じられない労組だったイメージです。
こんなところでやってられないと多くの製造業は中西部工場をそのままにして、(チャイナプラスワンの先行事例?)他の地域で新工場設置・・新条件で募集・雇用するため?に動いたので取り残されたのでしょう。

国を選べる時代2(輸入規制1)

米国は自由競争〜市場開放を主張しながら日本が戦後復興すると繊維〜電気〜鉄鋼〜自動車等々で貿易赤字が増えると日本製品をハンマーでぶち壊すパフォーマンスをしたのが今でも記憶に残っていますが、こんなバカなことをしても衰退を免れることはできません。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35787290W8A920C1000000/

日米自動車摩擦 1970年代から繰り返す歴史 2018/9/27 6:30
米デトロイトなど自動車産業の集積地では、日本車がハンマーで叩き潰される「ジャパン・バッシング」のパフォーマンスが繰り広げられた。

今回の韓国での日本製品不買運動の開始にあたっても日本製品配送用の?ダンボール箱を報道陣の前で踏みつけるパフォーマンスが行われましたが、馬鹿げている点は同じです。
不当な政治力で割高なものを庶民が買わされているならば弱者の抗議活動は正当ですが、輸入品は逆に大幅な冷遇・ハンデイを抱えて競争しています。
① 生産段階で母国生産地と違う輸出先現地の法令適合するための調整
② 右ハンドルを左ハンドルにしたり現地気候風土や現地使用傾向に合うように微妙な調整するなど需要地向きに仕様変更するコスト
③ 長距離輸送のためのコストと発注後納品までの時間がかかる
④ 入国段階での検査手続きや関税がかかる
⑤ 税関手続き等の専門業者の介在
⑥ 販売には系列販売店・アフターサービスの提供等のため一定規模のシステム構築が必要であるが、当初は販売量が少ないために初期先行投資がかさむ
⑦ 異民族への輸出の場合言語環境の違いなど営業活動上のハンデイ

等々のハンデイこそあれ、輸入業者が現地生産者より優遇を受けている不当な関係はありません。
ハンマーで壊すなどのパフォーマンスは、自由競争で負けているのを政治力で市場原理を歪めて現地企業保護を訴えるもの・自由競争反対論の宣伝をしているように見えます。
メデイアは内心「こんなバカなことをするようではアメリカもおしまいだ」いう意図で報道していたのかも知れませんが・・パフォーマンスするグループは、「現地製品が日本製品より劣っていても高く売れるようにしろ!」という主張をしていたことになります。
すなわち、冷蔵庫や車の売れる量が一定量とした場合、輸入制限すれば現地製品がわり高でも一定量まで売れる関係になりますので、輸入制限を求めるのはこういう目的で行っていることになります。
交渉結果を見ると騒動の都度数量制限が決まっていたようです。
上記引用の続きです。

対米自動車輸出台数を制限する「自主規制」を導入することになった。日米間の輸出自主規制は繊維や鉄鋼で前例があった。自動車の自主規制の枠は初年度に168万台。80年の実績(182万台)を下回る水準に設定された。自主規制は93年度まで続くことになる。

米国は自由主義経済の守護者のようなふりをしながら対日関係では繊維〜家電〜鉄鋼〜半導体その他いつも事実上輸入制限して自国民に割高な商品を買わせて来ました。
こういう米国の偽善主張は日米戦争をしかけた時から米国の伝統芸であり、対イラク戦争にもつながっていきます。
日本も農業保護が聖域と称して農産物輸入制限を続けてきましたし、後進国は産業がひ弱なために一人前に育つまでの保護としての関税が認められてきました。
米国の場合、一旦国際優位に立っていた産業老化に対する保護という面でまだ国際合意のない分野ですので二重基準の弊害が目立つのかもしれません。
これから成長する子供を大人と一緒に競争させるのは良くないという・後進国保優遇論理は理解しやすいのですが、世界トップ企業が新興企業の挑戦を受けて衰退していくのを保護する論理・政治が行われれば、新たな利便性を追求する新興企業が生まれにくくなります。
後進国の場合期間猶予をもらう間に成長するチャンスを活かせることが多いのですが(子供が大人になってもみんなが横綱や一流の格闘者にになれませんが、二流の人は二流まで育つ可能性が多いということです)しますが、老化する人が時間をもらってもその間老化が進むだけです。
米国が対日輸入制限をもとめた業界は、例外なく時間猶予の効果なくジリ貧になっていったのは当然です。
老人は大事にされるべきですが、いつまでも権力を握るのは老害になるのと同じです。
鉄鋼製品その他米国企業が輸入規制を求めて政府もその方向へ動くために消費者は一定量しか輸入品を買えない→割高な現地生産品を強制的に買わされる結果になります。
前近代の悪代官と悪徳商人が結託して商品不足にして、価格を吊り上げるような不当政治を国民の多くが本当に求めているのか不思議です。
数量制限は・・消費者だけが損するのではなく生産者も安くて性能の良い繊維・鉄鋼製品、半導体、車等々を使えないと困る・・輸入制限しない国地域の企業に比べて競争力を失っていきます。
米国の対日輸入制限効果は、中西部工業地帯だけに及ぶのでなくアメリカ全土の競争力に及ぶ、輸入制限に頼っているより、新時代適合を進めるしかないというのが全米企業家の思いだったのでしょう。
既存工業地帯での改革は反対者(労働者)が多く無理と見た企業家は、チャイナプラスワン同様に米国内の他地域への新規投資に走ったようです。
これが世界に冠たる中西部工業地帯がラストベルト地帯と言われるようになった原因でしょう。

反日教育と韓国の労働運動3

労働分野では穏健交渉が成立せず、すぐにストライキに発展するのが韓国労働争議の実態です。
韓国の労働争議に関してネット上で以下の論考が出ていますので、以下一部引用紹介します。
http://repository.kyusan-u.ac.jp/dspace/bitstream/11178/309/1/01_Ahn.pdf
『経営学論集』第28巻第1号,1‐25頁,2017年8月KYUSHU SANGYO UNIVERSITY,KEIEIGAKU RONSHU(BUSINESS REVIEW)Vol.28,No. 1,1‐25,2017

韓国における労働運動の歴史的展開  安熙卓
.第2次大戦直後の米軍政期(1945-1948年)
「日本植民地統治から解放された後,米ソの信託統治決議を経て,韓国は米軍政が主導する資本主義体制に編入された。
1945年9月,韓国に進駐した米軍政は終戦直後の政治・経済・社会の混乱を収拾するために,1945年10月30日に軍政法令第19号の国家緊急事態宣言の中で,「過去40年間存続してきた絶対的奴隷状態から労働者を救出しなければならない」と強調し,労働組合の結成と罷業,怠業,職場閉鎖などの争議行為を保障した。
「全評」の労働運動は,経済的闘争というより政治的闘争に集中していた。「全評」は,政治的課題を革新的民主主義国家の建設であると主張し,植民地時代の親日派・民族反役者が所有していた一切の企業を工場委員会が管理する権利を獲得すべきだと主張した。また,「全評」は米軍政の韓国の統治反対,民族統一など,政治的問題を掲げ,労働闘争を展開した6。
中略
8.盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権(2003-2007年)
労働弁護士出身の盧武鉉政権の誕生とともに,経済危機と構造調整の中で蓄積された不満とこの政権に対する高い期待感は一連の労働者闘争として現れた。たとえば,斗山重工業の労組弾圧抵抗闘争,全教組の教育行政情報システム(NEIS)57拒否闘争,貨物連帯の労働3権認定闘争,地下鉄労組の連帯罷業,鉄道労組の4.20合意履行闘争,現代自動車をはじめとする大規模事業場での団体交渉関連闘争,民主労総の総罷業などが全国的に展開された。
・・・労働運動が激しさを増すにつれて政府も公権力行使で対応した。そのため,労政・労使関係は葛藤が深まった。労働運動過程において,韓国労総幹部の死亡や組合員の焼身自殺事件も起き,大混乱の時代であった。韓国労総と民主労総は,労働部長官の退陣を求めるとともに,労使政委員会と各種委員会からの脱退と政府に対する全面闘争を宣言した。
以下中略
III.むすび
・・・・・戦後から今日に至るまで不安定な労使関係あるいは労政関係は続いており,特に深刻な問題は,非合法的かつ過激な労働運動が継続的に展開されてきたことである。
たとえば,労働争議の方法として鉄パイプや火炎瓶などを用いることがその一例である。韓国の急速な経済成長は,政府主導による経済優先と労働運動の弾圧の成果であるといえる。
特に,韓国の労働運動の歴史の中で,最も重要なのは,労働運動の政治勢力化である。その理由は,労働運動そのものが労働者の権益を代弁することにとどまらず,韓国社会の民主化の過程と密接な関係をもっていたからである。
解放後,軍事政権下の経済開発計画を進める中で,労働者の権利や労働組合活動は厳しく統制されてきたが,1987年の民主化宣言を契機にそれまで抑圧されてきた労働運動が活発化するとともに,政治的闘争も展開してきた。

上記論文冒頭に米国軍政が、日本統治否定のために急進的・・前のめりな政策が急進派を生み出した経緯が上記論文に書かれています。
その後の展開を見ると自分たち労働者の応援で成立した盧武鉉大統領の時でも自分たちに都合の悪い点には少しも妥協できないで、徹底抗戦しかない・・国家社会のためにこの辺で妥協しましょう・・という知恵が労働側には全くないことがわかります。
上記論文は17年時点のもので、今の文政権との関係は生々しすぎるので?書いていませんが、盧武鉉政権時以上に労働者が押した政権なので遠慮いらないという押せ押せムードによるスト乱発状態で経済疲弊が進んできました。
以上の経緯を見ると韓国では力による解決しかない・話し合いによる納得など不可能な国民性・・「まだ万人の万人に対する闘争」・・野蛮社会の域を脱していないことを如実に表しています。
蒙昧な人民=牛馬に理を説いても仕方ないのでムチで制御するしかないという段階のままであることがわかります。
日本軍の次に米軍がきてその米軍も撤退ムードになって来たので今や怖いもの無し・
アメリカ軍政時代に黙って善政を布くのではなく、日本支配が最悪だったという憎しみを植え付ける教育をしてきたことによって、朝鮮人は不都合なことがあると外部に責任を求める習慣がつき、心も持ち方が腐ってしまったように見えます。
日本軍や米軍等の強いものには巻かれるが、それがなくなると自制能力がない民度のまま、対立に対立を重ねて相互憎しみ合いのエスカレートが進みますので韓国国内は今後どうなって行くのでしょうか?
引用した韓国労働運動歴史の論文は、17年時点までですが、韓国労組の自己満足行為に対して、経済面では諸外国は相手にしないという態度の敬遠策で対処できます。
日本政府の韓国特別扱い中止・ホワイト国除外・・反日運動激化による企業の韓国離れも同じ流れに乗っていることになりますし、韓国が世界で相手にされなくなってきたとすれば長年やってきたことを反省すべき自己責任です。

前政権(日本支配)否定と韓の労働運動2

支持率が下がっても任期で守られ不満爆発寸前まで持ちこたえて任期満了退任する仕組みだと、(パククネ大統領の場合任期満了まで持ち応えられませんでしたが今後これが慣例になるのかな?)次期大統領は前政権政策に対する不満を煽って正反対の支持を背景にする以上は前政権の全否定しかないし、前政権の責任追及に走りやすい土壌となるのでしょう。
投票時には絶大人気で選出されるものの、その反動で?すぐに期待はずれになるが、任期制のために嫌になっても付き合うしか無い・この鬱屈が大統領退任の都度嵐のような攻撃を対象になる心情風景かもしれません。
しょっちゅう絶大人気による新大統領選出という現象自体が、危うさをあらわしているとも言えます。
我々弁護士業務でも、この数十年かなり頃減りましたが根拠なく絶大な賛意を表する人がいる場合、いつ根拠ないクレーマーに変身するか怖いリスクの大きい客です。
弊履のごとく捨て去る気持ちの根本は、本音では否定感情があるものの尊敬されたり社会風潮・空気を読んである政治家や芸能人が人気があるときには批判できない分、人気や地位を失うと、一気に本音が表面化するのでしょう。
セウオール号事件やろうそく集会のようなイベントが一度成功?すると我も我もと火がついたように広がるのも便乗型国民意識によると言えるでしょう。
我が国でもメデイアがブームの元を作り、それに便乗する人が多い場合・いわゆる炎上現象で有名人が降板させられることがありますので、政治家や有名人はメデイアの標的にされるのを極度に恐れるようになっています。
最近では河野防衛相が自分は雨男で・・と発言したことをどういう仕組みか不明ですが、台風被害で頑張っている国民の神経に触った?雨男というレッテル貼りは許されないという批判?謝罪撤回に追い込まれたとのニュースが出ています。
https://www.asahi.com/articles/ASMBY3J8QMBYUTFK003.html

河野防衛相が「雨男」発言を謝罪 「不快な思いを」
2019年10月29日12時37分

朝日新聞は謝罪に追い込んで自慢でしょうが、こういう瑣末な批判ばかりに終始する大手メデイアの役割こそ考えさせられます。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191029-00000060-dal-ent

千葉市の熊谷俊人市長が29日、ツイッターを更新し、河野太郎防衛大臣が「地元では雨男と言われた」などと発言したことに「被災地の首長として全く気になりません」とつぶやいた。

えらい!我らが千葉市長です。https://www.nikkei.com/article/DGKKZO51465420X21C19A0PE8000/

閣僚辞任「政権に緩み」56% 世論調査、内閣支持層でも4割
2019/10/28付 日本経済新聞 朝刊
重要閣僚が辞任したにもかかわらず、内閣支持率は横ばいだった

こんな子供染みたこととばかり議論するために国会やメデイアがあるのでしょうか?
閣僚になってから威張り散らしたりすればおごりや緩みというべきでしょうが、閣僚になる前の言動を挙げつらっているだけです。
国会は政策を議論すべき場であって、公職選挙法違反かどうかは、司直のやるべきことです。
司直が大物政治家・実力者の不正を見逃している場合には、巨悪を暴くために国会で質疑するべきでしょうが、もともと法違反があればどんな軽微事案でも立件するs制度設計ではなく、程度問題で説教して帰すなど、軽微な太陽の場合には軽微処理することを法が予定していて、そのために起訴便宜主義という制度があるのです。
権力者に甘い便宜主義の乱用を防ぐために検察審査会というお目付制度もあります。
刑事処分されないのを誰も不満に思わない程度の軽い違反行為を、メデイアが与党であれば取り上げるのはなぜでしょうか?
野党なら問題にしないが与党なら許せないという一方的基準があるのでしょうか?
もりかけ騒ぎもそうでしたが、メデイアの騒ぎ方と民意が大幅にずれているので支持率に影響しない結果になるのでしょう。
韓国では大統領退任後例外なく不幸な結果が待っているのは、極端から極端へと支持が入れ変わる社会意識の構造に原因があるように思われます。
ちなみに現在の文大統領当選時の支持率と現在の変化を見ると以下の通りです。https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM02H4Z_S7A600C1FF8000/

文大統領の支持率84% 韓国歴代で最高
2017/6/2 20:55

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-09-20/PY3XVHDWLU6C01

2019年9月20日 11:18 JST
韓国の文在寅大統領の支持率は2017年5月の就任以降で最低となった。韓国ギャラップの世論調査が示した。
9月第3週に実施された調査によると、文大統領の支持率は40%と前回調査の43%から低下。これまでの過去最低は4月第1週の41%だった。
不支持率は49%から53%に上昇し、過去最高を記録。

韓国では上記の通り支持率84%が2年で41%→不支持率53%になるのですから、振幅が激しすぎる・・まだ民主政治をするには民度が成熟していないようです。

米国占領政策2→乱闘国会

イラク侵攻の際にありもしない大量殺戮兵器を主張して正当性強調したのと同じレトリックで米国政府は対日戦争正当性を訴えるため奴隷状態にある朝鮮民族の解放戦争という宣伝を行ってきたのです。
西欧の植民地との比較では格段の厚遇でしたし、朝鮮神自身が自発的に対米戦に参加していたのです。
例えば以下の通りです。
https://cocolo-journal.com/archives/14333#toc4

朝鮮半島では、大日本帝国陸軍が清国軍を打ち破ったときの「軍旗」が旭日旗だったため、
中国から朝鮮独立を認めさせた“象徴旗”として称えられていました。
『アサヒグラフ』1938年10月19日号の朝鮮人特別志願兵の特集ページでは、
旭日旗を掲げて行進する4300名の「朝鮮聯合青年団」の写真が掲載されています。
当時、朝鮮人にとって50倍前後の倍率の志願兵に選抜されることは、大変な名誉でした。
志願兵に採用されなかった全朝鮮の若者15万人は「朝鮮聯合青年団」を組織しました。

こんな欧米植民地があったでしょうか?
このような偏った刷り込みを前提に朝鮮半島に上陸し、占領政策を遂行するにあたっては必然的に日本統治実績をけなし、良い面を米軍支配の実績にすり替えるしかなかったでしょう。
これが戦後朝鮮人の反日意識形成→反日運動の源流です。
慰安婦問題の具体的証言では、ジープに乗せられ、ドラム缶がどうのなど米軍支配下の出来事だったことが明白になっていますが、それでもこれが日本軍の悪事として世界に流布されてきました。
米軍に対する不満であれ、自国政府に対する不満であれ、韓国国民は反日を唱えれば全て許されるように思い込んで70年以上経過したことになります。
ところで26日にヤルタ会談の一部を紹介したように米国や連合軍軍自体、日本軍・日本政府要員撤退後、朝鮮民族による自主政府樹立までの手助け・・いわゆる自立にまだ無理のある民族としての国際評価を前提に米国が太平洋諸島の信託統治領同様に保護者になる・・国連概念の信託統治としての関与予定でした。
一人前になるまでの短期占領政治の予定が、朝鮮戦争勃発→休戦状態で固定されてしまったので国連軍としての米軍駐留が今に至るまで続いている結果、長期的に米国宣伝(日本統治配が如何にひどかったかの刷り込み教育)の直接的影響下におかれました。
74年といえば2世代以上に渡って日本人がいかに人道上ひどいことを朝鮮人に対して行ってきたか、道徳のない民族であるかの虚偽教育を生まれたときから受け続けてきたのですから、おそるべき隣国が誕生していることになります。
昭和60年大頃まであっ本当のことを知っている世代がいたので、学校教育や目でアイデアが煽っても親世代は冷めたところがありましたが、平成に入ると、日本統治を経験した世代がいなくなり、学校教育やメデイアの流し続ける反日宣伝を盲目的に受け入れる・・日本を憎む世代ばかりになってきたようです。
これが慰安婦その他何でもでっち上げては「そのくらいの仕返しをしないと気がすまない」という気分になってきた素地ではないでしょうか?
朝鮮半島の南半分・大韓民国は建国以来米国の唱える大戦の大義?に縛られて日本支配の道義否定を国是のようにして始まった結果、占領政治では日本支配時代との違いを鮮明にするためにもっと目に見える改革・成果が必要となりました。
日本の統治方法はいきなりの制度変更ではなく、教育制度の一般化によってヤンパンの特別権力維持の源泉・・ヤンパンの文化独占を打破してヤンパンの文化的優位性を崩していったのですが、米国はもともとこういうじっくりした政治は苦手である上に、対日戦争の名分として日本の朝鮮統治を批判して来た手前、早期に目に見える成果が必要でした。
そこで(今の投資ファンド同様に短期成果を求める傾向がもともとある上に)日本を戦争に引きずり込んだ戦争の正しさを証明するためにもドラスチックな改革の必要性があり、地道な時間のかかる自発的発展を待ってられなくなり、結果的に強権的改革が多くなった・韓国国会では何か法案を通すためには、日常的に乱闘→強行採決になっていった原因の一つと思われます。
https://www.sankei.com/politics/news/150629/plt1506290039-n1.html

世界を震撼させてきた韓国・武闘派国会。ただここ数年は、暴力沙汰はほとんど沈静化している。
実は「国会先進化法」と呼ばれる法律が2012年5月に成立している。時期的には、先に紹介した「催涙弾事件」の後ということになる。
法律では「与野党間で意見の食い違いがある法案を本会議に上程する場合、在籍議員の5分の3以上が賛成しなければならない」と規定されている。乱闘につながりがちな対決法案の緊急上程、強行採決を防ぐ措置なのだろう。
ただ、暴力こそは影を潜めたものの、あまりに高いハードルであるため、今度は肝心の法案処理がままならなくなった。2014年の7月国会で法案処理にいたった案件はゼロ。続く9月国会で90本余りの法案を一気に成立させるという荒業を繰り出さざるを得なかった。

上記のように乱闘国会が常態化していたので今度5分の3の特別多数制度にするしかなかったので、そうしてみるとどんな法案も通らなくなったというのですから、ほぼ漫画状態です。
工場のように先進設備を導入すれば、ちょっと機械操作を練習すればすぐに製品になって出てくるのとは違って、社会制度というのは制度・器だけは真似できても運営は人民の能力次第です。
国会も労組も同じ人民の能力にかかるものですから、乱闘国会同様に韓国では労働運動の激しさも有名ですが、韓国社会は何事も妥協して決めていく経験がないまま現在に至っている状態です。
民主社会では労組のあり方も重要な要素です。
韓国労働運動については報道を通じたイメージしか知らなかったのですが、ネットでは以下の論説が出ていますのでこれを明日以降一部引用して行きます。
以下紹介する韓国の激しすぎる労働争議関連の論考には米占領軍は占領当初政策方針として「1945年10月30日に軍政法令第19号の国家緊急事態宣言の中で『過去40年間存続してきた絶対的奴隷状態から労働者を救出しなければならない』と強調し」

たと紹介されています。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC