政府と国民の違い(中国人との付き合い方)2

日本のマスコミ・学者はアメリカや中国等の政治決断は戦略的で素晴らしいといつも賞賛して来たのですが、(裏から言えば日本には戦略性がないという批判です)欧米や中韓のやっている戦略性とは日本人から言えば、子供でも分るような見え透いた短絡的レベル主張に過ぎません。
日本では子どもみたいな底の浅い主張をするのは1000年以上前に卒業したやり方ですから、「恥ずかしくってそんな子どもっぽいことを主張出来ませんよ」と言うべきレベルです。
あるいは欧米では自己主張をはっきり言うのが素晴らしい(はっきり主張しない日本人は劣ってる)と耳にタコができる程マスコミで刷り込まれ、学校で習って育ちましたが、同じことです。
日本では「俺が俺が・・」と出しゃばるのはハシタナイという価値観の社会ですし、これで良いのです。
中国や韓国の昨年夏の行動・・日本は震災で力を落としているし、他方中国は(虚偽としてもともかく統計上の表向き)漸くGDPで日本を追い抜いたので、待ちかねていたこのチャンスとばかりに尖閣諸島、南沙諸島その他の主張を一斉にし始めたというのでは、あまりにも単純・見え透いていて低レベル過ぎます。
このシリーズで書きたいのは、米中韓各政府は政府としての社会経験不足で小児というよりも政府樹立後日が浅過ぎて乳幼児的行動・判断しか出来ないのですが、国民は必ずしもそうではないのではないか?という印象を書いて行きます。
政府のレベルが低いからと言って、相手の国民を同じようにバカにしてはいけないということです。
昨年夏以降の対日暴動によって中国内の日系企業は年末に掛けて軒並み減産ですが、だからと言って直ちに現地従業員を解雇したり休ませたりしないで、空いた時間で工場の工程等改善の勉強会をしたりして給与をちゃんと払っているようです。
あるいは販売急減で生産余力の出た分、東南アジアでの生産品を中国に移管して東南アジアに輸出して何とか従業員の雇用を維持して行く計画を発表しています。
短絡的に考えれば、この際ドンドン中国から脱出しないまでも「日本製品ボイコット運動の結果売れないんだから仕方ないだろう」と生産を縮小して「中国従業員が困れば良い」という仕返し的発想になり勝ちです。
これをしないで逆に東南アジアから生産移管までして操業維持したのでは、中国政府の思うつぼではないかという意見もあるでしょう。
この種意見は中韓政府と同レベルの仕返し論理でしかなく、1000年以上の経験差のある大人である日本人が取るべき行動ではなく、ここは悠々とその上を行くべきです。
これを実践しているのが日本企業人の偉いところで、多くの企業は仕返し的行動に出ないで、逆に現地従業員が生活に困らないようにいろいろと工夫している様子です。
その誠実さに感じて、どこの日系企業でも従業員自身は一緒に日系企業をもり立てようと熱心であって、日本企業の苦しみに乗じた反日言動をしていない様子です。
このように中国の国民レベルは、政府行動レベルに比べて結構高いことが分りますから、日本企業も負けてはいられません。
(中韓政府レベルに合わせて、日本政府や企業も行動基準を落とすとこちらもレベルが下がります)
日本社会の場合、政府や何かの組織の代表者になると個人的無責任発言をして来た人もイキナリ慎重な発言や行動に切り替える能力があります。
すなわち、個人よりも組織の代表者になった方が大人の行動をとる社会でした。
こういう訓練を長く受けて来た日本から遠くの中国や韓国政府の言動を見ると中韓両政府要人の発言や行動レベルが低過ぎる(子供っぽすぎる)ので、国家的・組織的責任のない個々の国民行動基準は、もっと低いのではないかと誤解し勝ちです。
暴動等があると政府レベルと国民は同じではないかと思い勝ちですが、どこの国でも暴動に参加するのは国民の最低レベルの人たちが中心であることをみの逃がしてはなりません。
上から10段階の国民がいた場合最低レベルの人が暴動の主役になるとしてもその他の人は実は冷めているのが普通です。

次世代と年金赤字2

年金支給資金不足問題は、本来積立て基金運営者の責任問題・・住宅ローンなどで多かった低金利の年金融資もその一つですが、高金利時代にバカ安い金利で流用して来た結果穴があいているのではないでしょうか?・・これの妥当性の検証が必要です。
これに対する正面からの議論を避けて、少子高齢化に責任転嫁しているから出口のない議論になっています。
2月2日にどこかの学者が、今の高齢者は(一定年齢合計かモデル個人の数字か、単位も億単位かの単位を聞き漏らしましたが・・)3500くらい積んで6000くらい貰うから不当に利得していて、若者は逆に掛けるより貰う方が少ないから損だと如何にもワケ知り顔で解説していました。
しかしこの論法は一見尤もそうですし、大分前から一般に流布している議論ですが、実はおかしな議論です。
高度成長期に原因する高金利時代であった30年も40年も前から積み立てた結果、(私たちが結婚した頃には高金利時代で、信託銀行に預けると複利計算の結果10年でほぼ2倍になって返って来る時代でした)元金以上に(それも一度ではなく2〜30年かけてちびちびと)貰うのが何故不当なのですか?と言う子供っぽい視点での議論の必要性です。
仮に期中金利を考えなかったとしても、前記の約2倍貰うという数字の意味が(自分の給与天引きされた分の2倍という意味か企業負担分を含めて2倍なのか)はっきりしませんが、厚生年金の場合、企業負担がほぼ同額ですから、給与天引き分のちょうど2倍貰っても貰い過ぎではありません。
企業負担は従業員が働いてこそ負担してくれるものですから、一種の労賃の変形であって次世代から貰っているものではありません。
3〜40年後になって積み立てた合計と運が良くて同額(悪くするとそれ以下)しか貰えないと始めっから説明されていれば、苦しい中を積み立てる人は殆どいなかったでしょう。
殆どの人がマスコミの洗脳によって意識が曇らされていますが、これを取り除いて素直に子どもの心で考えれば、高金利時代に長期積み立てをしていて2倍程度しかくれないのでは少なすぎる・・「誰か使い込んだのか運用ミスをしたのか責任をはっきりして欲しい」くらいの感覚の人の方がむしろ多いのではないでしょうか。
関係者の責任をはっきりさせるべきはさせた上で
1 「払えないものは仕方ない・・今後はちゃんと運用するシステムを整備してくれたら良い」
ことにするか、
2(厳しい新基準を策定している原発最稼働の可否の議論のように)「新運用基準で今度こそまじめにやる」と言っても、最早信用出来ないから政府には任せられない・・。
となるかどちらかです。
今更「今後まじめにやります」と言っても再び結果が出るのは3〜40年先の受給時ですから、おいそれとは信用出来ないでしょうから、自分で民間契約で自衛する方向へ行く人が増えています。 
どうせ何をやっても政府年金を信用してもらう見込みがないのだから責任をとる人を出すような議論をしても仕方がないという開き直りが政府の方針でしょうか。
話が飛びますが、原発事故では、あれだけの大事故大損害を国民に与えておきながら、これまで安全だと言い張って推進して来た政府や関係者の誰も責任を取らないままです。
工場やビルのちょっとした爆発等の事故でも警察や検察の捜査がつきものですし、金融システム等を揺るがす大事件では殆どの場合経営者が起訴されています。
今回は桁違いに大きな被害が生じているのに、検察・警察の動き調査すらする気がないのが不思議です。
このところ検察の捜査ではポカが続き過ぎていて、マトモに大きな事件をやる能力が低下しているのではないでしょうか?
一人二人殺せば殺人犯だが戦場で多数を殺せば英雄になるという格言に従って、検察は巨悪を見逃す方針にしたのでしょうか?

同胞意識5と統治対象2

中国では政府に反対する者は皆殺しにしても、あるいは非合法に収容しては臓器摘出してこれを売却商品にするなど何でもする政府ですが、ここまでやると怖くて抵抗出来ないし、政権に抵抗するのは命がけ・・反政府運動に参加する以上は先鋭化して行くのが普通です。
2013-1-27「 暴動と政権維持1(同胞意識2)」以下で書いたように、近代国家では政府軍の軍備は、寄せ集めの武器に頼る反政府軍や素手の暴動群衆に対して圧倒的に強大ですから、外国の介入がない限り、反政府運動はまともに戦ったのでは勝ち抜く見込みがありません。
中国のような大国では外国軍の介入が殆ど期待出来ないので、どんな圧政・臓器摘出されても国民は従うしかありません。
中国では古代から「苛政はトラよりも猛し」と言われて来た所以です。

「孔子過泰山側。有婦人哭於墓者而哀。夫子式而聽之、使子路問之曰、子之哭也、壹似重有憂者。」
「而曰、然。昔者吾舅死於虎、吾夫又死焉、今吾子又死焉。夫子曰、何爲不去也。曰、無苛政。夫子曰、小子識之、苛政猛於虎也。」

苛政とは重税を意味したものと学校で習った記憶ですが、今様に言えば不公正、不合理な制度や非民主的過酷な弾圧などが苛政にあたるでしょう。
圧政・・すなわち正義に反する政治の強制が許される政治体制・・装備の優勢と国民に対する呵責ない弾圧を躊躇しないで実行出来る国では、政権が倒れない代わりに個々人の道徳観が蝕まれますので、犯罪多発・道徳の頽廃した社会が継続する原因になります。
特権層が日本のお金持ちの10〜100倍の収入があって厳重な警備で生活したり家族を海外に逃がしたりするのと、日本のように使用人ゼロでも気楽に自宅近くを散歩出来るのとどちらが良いかの問題です。
政府が政権維持のためには道徳も何も要らないと言う姿勢ですと、国民も毒になる物をミルクや食品等に混ぜるなど、金儲けのためなら食品産業に限らず何でもやるという姿勢が顕著になります。
日本では野球でも何でも有名人が行儀悪いと青少年に与える影響が大きいからという理由での締め付けが厳しいですが、(ジヤィアンツの王選手が試合中にしきりにつばを吐くシーン映像が行儀悪い・・少年に悪影響だ嫌われていたことを想起して下さい)政府自身が政権維持のために人倫の道に反していろんなことをすれば、国民に与える道徳的影響は半端ではありません。
ところで、中国や韓国国民が非道得的行動原理になる理由については、政府の国民に対する政権維持のためにする呵責ない圧政の外に、「貧すれば貪する」と言う原理も加えて作用しているでしょう。
中国や韓国と我が国の本質的民度差は、中国や朝鮮では民衆の極端な貧しさ・・庶民層ではちょっとした凶作等があればたちまち餓死に直結するような極貧状態が古代から続いている・・庶民がマトモな蓄積を出来ない状態で何千年も来たことも関係あるのかも知れません。
中間層と言うと世上ホワイトカラーの出現・・高度成長期以降のことを想定している人が多いと思いますが、我が国では実は古代から中間層が存在していたことを軽視してはなりません。
我が国では、平安の昔から、武士層という中間層と安定した自営農民中心社会だったのに対し、古代から中間層が育ったことのない中韓社会との違いです。
安定した中間層の存在が早くから庶民文化・BC級グルメの発達した基盤でもありますし、日本と中韓の違いだけはなく世界中の諸外国との大きな違いになっています。
何でも西洋にあるものに日本をあわせようとする(日本の実態を知らないまま)学者が多いので、(士農工商と階級社会関係の違いについては「最先端社会に生きる3」January 14, 2013で書いたばかりです)我が国では昔から地主小作関係や農奴的身分があったかのような書き方で教育されて来ました。
いろんな歴史漫画でも長者ドンの息子と結婚出来て目出たし目でたし・・あるいはとんちの利く小僧が長者ドンをへこますような筋書きが多く見られます。
しかし、地主小作関係が発達したのは明治の地租改正・金納制による自営農民の没落によるものであったことを、04/10/04「イギリスの囲い込みと我が国の自作農崩壊との違・・・農村の窮乏化政策」04/09/04「地租改正と農地売買の自由化3(大地主の誕生と小作農の出現=窮乏化)」その他で連載しています。

 同胞意識4と統治対象1

マスメデイアだけではなくネット通信の発達によって、さすがの中国も言論弾圧が出来なくなるだろうという報道が5〜10年前から普通でした。
しかし、中国では膨大な人口と膨大な失業者・アリ族の存在を逆利用して彼らを低廉な(5毛?)報酬での検閲要員に取り込んで、徹底した人海戦術でこれをチェックして即時抹消して押さえ込み、他方で積極的に政府に都合の良い政策方向の宣伝や反日ブログ等の書き込みなどをさせて世論誘導にあらかた成功しています。
ネットの発達が言論の自由拡大に中国ではあまり効果がなく、逆にネットの発達が英米支配の先進国(特に日本では)のまやかしの言論の自由が告発される時代になって来ていることを、2012年12月20日「米英系マスコミ支配2とマスコミの限界」あたりから正月のコラムまで書きました。
日本の感覚ですと「政府がそこまでやらなければ政権維持出来ないならばもう終わりだ」と思うのが普通ですが、「そこまでやるか!」と言う野蛮なことを臆面もなくやり続けて来たのが古代から今に続く中国政府です。
王朝は毎回倒れているし、共産党政権と清朝には政権としても民族(満州族と漢民族)としても連続性がないのですが、目的達成のためには手段を選ばない点では、そこに住んでいる人・政府構成員のDNAが大きな意味を持っています。
歴代政権が政権維持のためには手段を選ばない価値観で来たので、上が上なら下も下ということで、そこにいる住民自身も金儲けその多目的達成のためには手段を選ばない価値観になるのは当然です。
人体に毒であることが分っていてもミルクに毒物を混ぜて安く仕上げようとするような事件が続出していますが、そこには商道徳などかけらもありません。
上から下まで目的(政権維持・金儲け)達成のためには手段を選ばない価値観で何千年も来たからです。
中国や韓国では、政府(これを構成する官僚や軍・国民を含めて)にとってわが国で言うところの「国民(同胞)」という意識がないのではないか?と言う意見をこの後で書いて行きます。
異民族支配が多かった中国地域の道徳観では、共同体・同胞としての国民一般という概念がなく、利益を守るべき共同体は飽くまで一族意識の範囲内だけです。
韓国や朝鮮でも古代から異民族の入れ替わりが続いたことから、一族・本貫重視である点は同じです。
今の中国では共青団出身とか太子党などと日本のマスコミが如何にも利害対立集団の如く囃立てていますが、共産党大幹部の家柄・太子党一族か、共産党組織の中堅下部組織からから這い上がって来たかの違いだけで、共産党内部の覇権争いに過ぎず、その他一般は統治の対象でしかありません。
王朝時代の王族と高級官僚(宦官)による争いの蒸し返しに過ぎないと言えるでしょう。
中国でのジニ係数が破滅的数字に達しているとタマに報道されていますが、この係数自体まるで当てなりません。
もともと中国の統計数字がいい加減であるだけではなく、天文学的蓄財をしている共産党幹部や政府高官の収入は表向き小さく、中国の巨額収入層は賄賂等不正蓄財によるものですから、統計に出る筈がありません。
これらを統計に含めないでも相対的貧困層の比率が危機的状態とすれば、実態はもっと深刻・大変な事態です。
統計数字だけでも政権維持出来なくなる程の格差であるという論評が一般的ですが、欧米や日本んマスコミの期待にかかわらず中国が天文学的格差下で政権維持出来ているのは、徹底的強圧政治が可能・・躊躇しないことによります。
チベット僧の焼身自殺などがいくらあっても、中国政府にとって諸外国からの批判(外国介入の一種です)さえなければ、「そんなことくらいしか抵抗出来ないの?」と却って安心材料になるくらいでしょう。
尖閣諸島問題で中国の侵略が始まった場合、これに抗議して日本国内でいくら焼身自殺が相次いでも中国は、日本軍が抵抗出来ないからそんなことしているのだと安心するだけです。
中国政府にとって、国民が焼身自殺しても騒乱を起こしても同胞としての痛みを感じるのでなく騒乱軍に政府軍が負けるか否か・・政権維持出来るか否かだけが基準になっていると考えられます。
モンゴル軍が中央アジアを次々と侵略をしているときに、被征服民の何十人〜何百人が絶望して自殺しても侵略軍は何にも感じない・・無駄な抵抗にすらならなかった筈と言えば分りよいでしょう。
中国政府にとっては国民はそのような対象でしょう。
商人も製品によって顧客が毒物で死亡したり病気になっても、一族でない限り痛みを感じるのではなく商売を続けられるかどうかだけ(取り締まりだけ)が基準になります。
日本の場合でも、何か重大自体があれば結果として政権維持・顧客維持に関係しますから結果だけ見れば似たようなものですが、先ず同胞として痛みの共有から入って行く点が大きな違いです。

暴動と政権維持2(同胞意識3)

強権弾圧政治は、政府軍の武器が民間人の保有武器を天文学的な格差で上回ってる現在、国民の不満がどんなに高まろうとも外国の介入がない限り崩壊することがあり得ません。
国家権力が次第に強化されて来たことについては、非理法天権の法理として、01/21/04「中世から近世へ(国家権力の強化)1」〜01/25/04「江戸時代の相続制度 3(武家)(忠臣蔵の新解釈?)」までのコラムで説明したことがあります。
信長の時代・・戦国武将が強い政権のイメージで想像されていますが、実は今の政府よりも非常に脆弱であったのに対し、今の政府は突出した軍事力の御陰で歴史上比類のない強権政治可能な時代に突入していることになります。
商品知識では専門家に到底及ばない消費者問題がその象徴ですが、(最近では地震や原子力ムラ問題)全ての分野で専門家がその他に比べて格段の突出した能力を蓄えるようになった時代・・専門家以外にはどうにもならない時代に入っています。
01/10/07「世界平和12(戦争の原因6・・武士の戦争6)戦闘員の専門化2」前後の連載で、軍人の専門化が古代から比較的早かったと書きましたが、専門家の力が強くなり過ぎると政治家・権力が恣意的にならないように民主的控制(チェック)が必要になっています。
中国のように独裁体制では、民主的チェックが働かないので権力をもった方がやりたい放題になっても、民衆には前近代のように暴動によって抵抗する物理的方法・・・暴動能力低下・・がなくなった点が問題・悲惨です。
(チベットの場合、対外的に殆ど解放されていないので政府のやりたい放題なっている傾向があります。)
まして旧ソ連や中国のような大国になると外国軍の介入はあり得ませんので、政府には人道に関する意識・自制がない限り(あるいは同胞に対する愛がない限り)何の遠慮もないことになります。
進歩的知識人によるロシアや中国での民主化期待は、実は被統治者の抵抗能力が極小になって物理的歯止めがなくなくなった現在では幻想に過ぎません。
ただ、収容所列島という本を出されてしまったソ連の場合を見ても分るように、政府批判者・暴動頻発→収容所送りをしていれば政権崩壊はないとしても、国民のやる気をなくすので国際競争に負けてしまう点が難点です。
(現在でも北朝鮮の経済停滞を見れば明らかです。)
そこでソ連はゴルバチョフによって、自ら弾圧政治体制を解体してやり直しに方針転換しました。
その結果今でもまだ民主化定着に努力中・・実際には揺り戻しもあってなかなか大変ですが、民主化定着に民族として頑張って欲しいところです。
中国の場合、国際競争力回復・維持のために経済(経済活動の自由化)を開放はするが強権弾圧政治を残すと言う二兎を追う政策を実験中です。
その矛盾が最初に出たのが天安門事件でした。
共産主義政権下でも自由主義経済(先進国の自由主義にはルールがありますが、中国ではルール無視でも手段を問わずに金儲けさえすればいという自由主義)にひた走るという矛盾した体制が共産党独裁下の「自由」経済と言う呼称です。
以前書きましたが、共産主義体制堅持というのは本来は経済体制の意義ですが、中国では単に1党独裁・強権政治体制を維持するための名目を意味しているだけですから、経済体制としては改革開放後は独裁に反しない限度で自由主義体制に移行しています。
西欧の歴史に当てはめれば、絶対王制下の重商主義の焼き直しをしていると言えるでしょうか?
イランのパーレビ王制やフセイン大統領時代のイラクや中南米・リビア(カダフィ政権)等に多かった自由主義経済下での独裁軍事国家と本質は同じです。
しかし、自由主義経済維持に必要なルールと1党独裁体制維持に必要なルールとでは、価値観が対立するので、これを強権的に無理に維持していると価値観の混乱が生じます。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC