原発事故と円安(天佑)2

原発事故による原燃料の輸入急増がなかったら、まだまだ(貿易赤字でも所得収支の黒字が大きいのでトータルとしての国際収支が黒字のママですから)超円高が続いていたでしょうから、電機産業界に限らずかなりの産業が壊滅するまで進んでしまった可能性がありました。
貿易赤字=国際競争力がなくなってからでも、海外からの利益送金収入によって円高が延々と続く危惧から考えれば、まだ近代産業系の競争力が残っている内に欧州危機の小康化によるユーロ価値の復活と原発事故によって燃料資源輸入急増→大幅赤字→円安傾向経トレンドが急展開出来たのは天佑・神風だったと評価すべきでしょう。
貿易赤字は、所謂Jカーブ効果(輸入代金決済資金の円安分の拡大によって)だけで考えても今後縮小するどころか、拡大傾向でかなりの期間続くでしょうから、余程イレギュラーな経済外の展開がない限り円安が安定的に続くことになります。
国民の労働に頼らず、資源や貯蓄で生きているのでは民族の将来に大きな禍根を残すと言う意見をナウル共和国の例で昨日書きましたが、原発事故による国際競争力外の資源輸入拡大は、この逆張り効果があります。
仮定の事例ですが、仮に工業生産だけで収支トントンの場合、資源輸入国は資源輸入分だけ赤字ですから、工業製品を資源輸入分だけ多く輸出しても国際収支トントンですから、円高になりません。
サービス収支の赤字も近代産業で稼ぐ黒字を相殺してくれるので、円高抑制効果があります。
近代産業で充分に稼いで観光収支などは赤字の方が国民が行く先々で大事にされて良いのです。
近代産業分野の赤字を観光収入で穴埋めするのでは、逆に惨め・卑屈な国民性になります。
資本輸出も円高抑制効果がありますが、海外工場進出とほぼイコールですから、国内空洞化を加速するので先行きマイナス効果が大きくなります。
資源輸入あるいは観光等サービス収支赤字国である日本は、この原理によって、これらの赤字分だけ近代産業で多く輸出して黒字を稼いでも、円高にならないメリットを受けて来ました。
資源のない国は(損をしているように見えますが・・)為替相場としては、その分国際競争上下駄を履かせてもらっていたことになり、資源国は逆に資源輸出の効果によって資源以外の各種生産の生産性効率・能力以上に高い為替相場で苦しんでいるのです。
資源国では・・資源の量に比例して為替相場が上がり資源以外の国内産業の競争力がなくなってしまうので、資源・石油産業関連以外の職場の発達が阻害され、あるいはなくなり資源関連以外の国民が失業してしまって(遊んだままで)いることになります。
日本では円高になっても、工業産業の中の一部だけが生産性が高くなって、貿易黒字を積み上げてきた結果、円高になると生産性の低い職場は国際競争力を失いました。
(同じ企業内・・東レで言えば、昔からのレーヨンは駄目になっても炭素繊維部門は儲かっています)
生産性アップに適応出来ない職種の人たちを失業させないために、昭和年代では公共工事、(地域的には地方への所得移転政策)平成に入ってからは介護等へ労働力のシフトを必要としています。
資源国も無茶に国際競争力のある資源産業が外貨を多く稼ぐために為替相場がその他産業平均能力以上に上ってしまい、その他の産業が、割を食っている点では、高度成長とその後の円高の継続について行けなかった我が国の(農林漁業を含めた)産業界と同じような結果になっていることになります。
我が国の場合、昔から存在していた産業が目の前で次々と没落して行くので(高度成長期には農林漁業に基礎を置く集落の消滅の危機という形で〜円高継続時代には企業城下町の衰退)、円高に対する痛みに実感があって大騒ぎして何とかしようと努力します。
日米繊維交渉以来繊維産業が駄目になると東レのように炭素繊維など別の分野に生き残りの工夫をしてきました。
アラブ産油国等の多くの資源国では、何らの近代産業も育っていないうちに(比喩的に言えば遊牧生活段階で)イキナリ石油資源が脚光を浴びるようになって巨額資金が流入して来たために、為替相場の上昇によって壊滅すべき資源以外の国内産業が元々存在していない状況ですから、資源以外の産業を育てたい意欲は机上の空論っぽくなっていて切実感がないのが我が国との大きな違いです。

円高適応力2

円安の効果は何でしょうか?
円安は労せずして(個別の賃金引き下げは大変ですが、全体の水準低下は簡単です・・大掛かりな賃下げ政策です)海外との低賃金競争に下駄を履かせて貰える効果があります。
日本と中国の人件費あるいは地代等が2倍の格差があるときに、仮に円が半値になれば座したままで、コスト競争力が対等になってしまう魔術です。
今はまだ約10倍の格差ですが、これが円安によって仮に7〜8倍程度の差になると技術力の差で十分な競争力があることになって行くという論法です。
韓国製品との競合で言えば、日本製が2〜3割高い程度の競争なら負けないときに2倍も高くなったので、最近の日本の電気業界が大変なことになっていたのです。
アベノミクスがあろうとなかろうと昨日まで書いたとおり原発事故による資源輸入の増加によって貿易赤字定着傾向になっていたので、円の地合が安くなる傾向のときでした。
原発事故→資源輸入の拡大→貿易赤字→円安→日本企業救済に一時的・・早めに役立つことになったと言えます。
ただし、レベルが高過ぎる学校に入ると努力してもどうにもならず精神を病んでしまうことがあるように、円が高すぎると企業努力の限界を越えて海外脱出になりますが、逆に現状で余裕の学校に行けば楽に良い成績を取れる代わりに将来への発展性がありません。
ほどほどの円高が国の発展を保障するのであって、円が安過ぎても企業努力が弛んで衰退の道を歩むことになります。
資源国は、マトモに働かなくともそれで食えるので多くの国民が遊んでしまう・・失業者が増えるリスクがあることをJanuary 20, 2013「中間層の重要性4(テロ・暴動の基盤1)」以下で連載したばかりですが、この逆張りで国難とも言える原発事故によって資源輸入が増大した結果、何十年も続いた黒字国の日本も貿易赤字国に転落してしまいました。
原発事故鬼よる貿易赤字を防ぐには今まで以上に働かなくてはならない・・放っておけば貿易赤字が続くことになるので、その分円安になり、結果的に国際的に見て労賃が下がって国際競争力がついて、国内産業が息を吹き返す・・国内の仕事が増えるという有り難い結果になります。
円安とは、国際的に見れば日本人の労賃を安売りすることになる点は同じですから、どうせ一定数の職場あるいは一定の所得があるならば、高賃金の方が良いに決まっています。
個々人で言えば少しでも自分の給与が高い方が良いでしょうが、高望みすると就職出来ないから困っているのです。
高度技術者1人で10人分稼いで、その代わり高度化についてけない9人は(失業ではなく)従来の家内労働・・介護やサービス業で生きて行く方が、その社会の生活水準がより高度になります。
低賃金で夫婦で夜遅くまであるいは土日は別の職場で働いていて、家に草花を植えたりするヒマもなく家事・育児をマトモに出来ないような家庭よりは、夫婦どちらかが高給取りで他方が家事を充分に切り盛りしている方が(あるいは夫婦とも半日だけ働いて充分な生活を出来る方が)生活水準が豊かになります。
同じ国内所得水準ならば鉱工業従事者数の比率を下げて家事(男女に限らず家庭内の仕事・子どもと一緒にいる時間その他)医療やサ−ビス業の比率が高い方が、国民が豊かなサービスを享受出来るのでより良い生活を楽しめます。
ですから円高でついて行けない産業が生じること自体が悪ではなく、これまで稼いでいたのに、円高に適応出来ずに衰退した産業の代わりに稼げる産業が生まれるかどうかにかかっています。
円高の結果貿易黒字から赤字に転落するとすれば、その時点で円高は日本経済の適応能力を越えている(実力以上の高評価を受けて却って損をする関係)ことになり、日本にとってマイナス要因となります。

グローバル化以降のゼロ金利政策2

中国その他の国がいくら高金利にして引き締めようとしても、安い金利の日本で借りて中国その他資金需要国(高金利国で運用すれば儲かります)で投資すれば良いので、中国その他の国での引き締めは尻抜けになります。
その対の側面ですが、資金が欲しい国は高金利にするしかありません。
アメリカが日本並みの低金利政策を採用すると日本等からの資金環流が阻害されるので、その代わり連銀による国債引き受け・住宅ローン債権の買い取り等の政策(QE1〜QE2)に入っているのはその関連で理解出来ます。
(外国がアメリカ国債や住宅ローン債権を買ってくれないなら自国紙幣を刷りまくって引き受ければ良いという開き直り政策です・・行き着くところドルの暴落しか考えられませんが幸いシェールガスなどの資源によって息をつくことになりそうです)
中国や韓国では外資導入に頼っているので、欧米や日本よりも高金利を維持するしかないのが悩みの種です。
韓国の例で言えば、既にデフレ基調に入っているのに3%台で維持しているのはこれ以上下げると外資が急激に逃げる・・アジア危機時の二の舞になるのを恐れているからです。
中国の場合、今なおも7〜8%成長を公表していますが、物流から見ると既にマイナス成長に陥っていると見るのが正しい様子です。
それでも低金利に出来ないのは外資流入が減速どころか、引き揚げ加速に直面すると経済が成り立たないからです。 
この種の意見はNovember 28, 2011「大量紙幣大発行(成熟国)」等の景気対策のコラムで書きましたが、構造転換中の我が国では低金利にすればするほど金利差を利用してその資金が高金利の海外に逃げて行くだけであって、海外に逃げてしまった白物家電等大量生産型産業の国内生産が復活することはあり得ません。
これが戻って来るには後進国並みの低賃金に平準化したときですから、金利政策は実際には効果がないことになります。
(内需拡大政策は中国等からの輸入が増えることになるのと同じです)
アメリカは人件費が安くなって中国に負けないと言い出しましたが・・そんなことで(国民の労賃を中国並みに引き下げて)競争するのは悲しいことです。
政府は時代の転換・国際平準化の動きについて行けない多くの人たち・・単純労働者を救うためであるかのようにゼロ金利政策や紙幣の大量供給をしてきましたが、実際には企業の海外進出を促す材料になっただけ・・その分逆に国内雇用が減る政策でした。
これではいくら低金利を続けても国内の閉塞感・・単純労働者の失業率は下がりません。
(私は企業が海外進出しなくて良いと言うのではなく、結果を書いているだけです)
他方で、国内産業構造転換すなわち従来国内で造っていたものが新興国から流入(逆輸入)することで、物価が大幅に下落して行きます。
国内で造るより安く出来るから新興国へ生産移管が進んでいるのですから、海外製品の方が安くなるのは当たり前です。
私の身近な物価でみるとこの20年ほどでは、いろんなものやサービスがおおむね半値くらいになっている感じです。
パソコンその他の電子機器は半値どころではないでしょうし、衣類ではユニクロ現象で明らかなように激安化が明らかですし、居住コストでも安くなり木造アパートに住んでいた多くの階層が70平方メートル前後の新しいマンションに移り住んでいます。
価格そのものは同じのままの分野でも、サービス内容が2倍程よくなっている印象です。
20年前のJRで言えばまだ冷房の効いている電車は稀で、私は冷房のある電車を選んで乗っていた状態です。
駅に着くと先ずは行く先までの料金表を見てから切符買うなどしていたのに比べて今はスイカなどのカードになって、乗り換え先の切符まで買う必要がなく簡単ですし、車両は新型化して綺麗になりましたし、駅の設備・トイレも見違えるほど綺麗になりましたし、エスカレーターやエレベーターなどもそろっています。
それでも20年ほど前から料金が変わっていません。
身障者がいると駅員が飛んで来てエスカレータ利用の介助をしたり、ホームと車両に大きな隙間があると乗り降りの手伝いをしたりしています。
物価が下がれば国民は豊かな生活が出来るので、(大手企業のホワイトカラーの給与はこの何十年間一回も値下げしていないでしょう)物価が下がって何が悪いの?というのが、私の持論です。
長年日本の成長力に押されっぱなしであった欧米からみれば、「日本は駄目になって欲しい」という期待感をいつも持っているのは当然でしょう。
長期の円安・国内デフレ・物価下落傾向・供給過剰だけを旧来の伝統的理論で見ると、欧米からは、いくら低金利にしても高度成長に戻れないから「もう日本は駄目だ」と言いたくて仕方ないので、「失われた10年だ」と言い、その内「失われた20年」という言い方が定着していました。

最低レベル競争の有用性5(民族のDNA2)

政治の目的は最低レベルの引き上げにあるとすれば、日本は極限状況下でも犯罪が起きないのですから世界で最も政治や教育のうまく行っている社会と言えるでしょう。
最低水準の底上げこそが重要だとすれば、ノーベル賞・オリンピックその他の競技でトップを競うのではなく、今後は最低レベルがどこにあるかを競う競技の仕組みを考案することこそが、生身の人間の幸福度を測るには重要です。
世界大富豪長者番付100位以内が最も多い国や都市が、生活し易い社会かと言うと、そうではありません。
むしろ大富豪やその家族が出歩くのにいつもガードマンを10数人引き連れないと安心して歩けないような国や都会、あるいは自宅が何千平方メートルの豪邸でも敷地を出て数十〜数百メートル歩くとその先は貧民街のような都会よりは、日本のように大富豪にランクされる人でも小さな家に住んで、どこまで歩いても綺麗な街並の続く日本の丸の内や銀座〜麻布六本木等の繁華街や住宅街を好きなだけ一人で歩き回れる方が、なんぼか気楽で生活し易いことが明らかです。
その社会の快適性は富豪や各種分野での世界ランキング保持者(上位者)の数ではなく、その社会を構成する最低レベル者の意識レベル次第で変わります。
世界一綺麗好き人口が多くいても、道路に痰を吐き、ゴミを捨てながら歩く人が一杯いれば街は汚くなります。
国威発揚のために過去のソ連・・中国ではいまでも特定選手等のエリート養成に必死になっていますが、言わば一点集中すれば北朝鮮だって可能ですから社会のレベルを計る基準にはなりません。
テストで言えば、出題される問題だけ特訓勉強して100点取って自慢しているようなものです。
世界一のお金持ちやスポーツ選手・学者等の数ではなく、最低生活水準や最低道徳水準をどこまで引き上げている国・社会であるかこそがその社会の価値です。
科学技術でも同じことで、衛星や大陸間弾道弾を成功させている一方で首都では市民が有毒スモッグで呼吸すらまともに出来ない国造りをして自慢しているのって、何のために政府が存在しているのか疑問です。
スモッグをやめる技術は既に何十年も前から既に開発されていて、日本では何十年も前に克服していますが、中国は国民のために使うお金を惜しんで、軍事費や公安にお金を掛けています。
脱硫技術等公害防止技術を日本からお金をかけて導入しない・・導入してもコストがかかる(フィルターをしょっ中取り替えるコストが膨大らしい)からと言って外してしまうようです・・毒入りミルク事件と同様で国民の健康よりも自分の利益ばかり気になる国民性・道徳意識の社会です。
レアアースでも世界中で採れますが、中国の場合公害・健康被害を無視して無茶苦茶に開発していたから世界一コストが安くて(国民の健康悪化と引き換えに)市場を席巻出来ていたに過ぎません。
政府やその社会のレベルは、トップクラスや最先端に何人いるかではなく(その種の競争は一点集中投資すれば可能ですので北朝鮮のロケット成功の例でも分るように簡単です)最低生活レベルをどこまで保障しているか・最低者の道義心レベルがどの辺に落ち着いているかによると言うべきでしょう。
そして、この種の底上げは一点豪華主義で特定少数者に対して集中教育しても出来ませんので、何世代にもわたって形成されたDNE・社会のレベル・・文字どおり民度になります。

最低レベル競争の有用性(入会資格)2

ちなみに古くから、弁護士が高齢化した場合や病気療養中の場合、会費免除申請して認められる制度がありましたが、自分が高齢化して収入がなくなって来たら会費免除申請を出すのは(自動的に認められそうですが)問題があるのではないかと大分前に思案したことがあります。
会費も払えないということはそれだけの仕事ができない・・客も能力を認めないということだから、弁護士として仕事を続けるのはおかしいのじゃないか・・高齢が原因であろうと若くて病気であろうと、会費支払が負担ということはともかくその間弁護士実務遂行能力が不足していることに相違ないことです。
弁護士職務能力のない人が弁護士を名乗って仕事をしていると、能力を越えた事件受任をして不祥事・ミスをしてしまうリスクが大きくなります。
未就職でも高齢化でも、原因如何にかかわらず長期間会費をまともに払えない人はその期間中の実務能力もそれ相応に低下しているのではないか・・ひいては弁護過誤その他問題が生じて来ないかを心配しています。
(これは自分が高齢化して実力が落ちた場合・・どの辺で隠退すべきかを心配して考えていたときのことです)
長年キチンと仕事をして来た弁護士に対する処遇としては、それまでの功労を認めるとしても、高齢化によって会費を払えない以上は能力が落ちているのだから(自分を守るためにも・・)受任してはいけない・・せいぜい名誉弁護士というような別の資格が正しいのではないか・・「元弁護士」で良いのじゃないかなどと大分前に考えたことがありますが、まだ考えがまとまっていません。
若い頃に如何に有能な弁護士であったとしても高齢化して会費を払えない程度になれば、実力も落ちているのだからミスを犯さないように(懲戒事件を起こさなくとも事前に)実務をする能力を否定する退会システムが必要になります。
他方で数十年以上きちんと会務に貢献して来た人は、元弁護士として会のサロン等をに出入りしたり情報を得る権利程度で良いのではないか・・と考えられます。
私の考えがまとまっていないうちに、(自分のことではなく)新入会員の一定期間会費一部免除政策が始まりました。
ちなみに、交通事故や脳内出血等で臨時に入院・病気療養中の臨時的な会費免除は、弁護士資格を維持したままでも入院・療養期間中仕事をしませんから、能力に余ってミスを起こさないでしょうし、病気療養中の人からその間会費を徴収しなくとも(相互扶助の精神だけで処理出来ます)原則として問題がありません。
会の入会資格付与・退会基準は可哀想かどうかの問題と同時に実務能力の査定・・合格の証でもある訳ですから、双方の視点が重要です。
可哀想だと言う視点と実務能力付与基準の双方を満足させるには、、一旦入会させて会の情報やスキルアップの研修を受ける資格を与える必要を満たし、(それと実務資格を与えるのは別問題ですので)将来的には半人前としての資格を創設して、会費を一人前に払えない間は独立受任を禁止するなどの方策(今のところ思いつきですが・・・)が考えられます。
一律に数年間弁護士補にするのではなく(就職していてボス弁の指導のある場合その他能力差がありますから・・)一人前に働けるようになれば会費一部免除を辞退して数ヶ月〜一定期間継続納付後に効力が生じるようにすれば良いことでその人の自主性に委ねるのが合理的です。
半人前の資格創設は法律改正事項ですが、会内ルールとして会費減免の条件として共同受任を義務づけるのは可能な感じがします。
現在でも指導担当弁護士指定制度がありますが、(私もその指導者になっていますが・・)相談されないと何をしているか分らないので、実質的に機能しているとは思えません。
実務能力と資金力は関係がないという意見もあるでしょうが、顧客から見た信用維持は、支払能力・・経済力が大きな指標である点については、不動産業界では宅地建物取引主任資格を試験で得ても、一定の保証金を積む能力のない業者は営業出来ないようになっていますし、旅行業法その他殆ど全ての業法はこうした仕組みですから、信用保持のためには一定の経済力を必要とする法意識が現在社会では普通ではないでしょうか?

宅地建物取引業法
(昭和二十七年六月十日法律第百七十六号)
(事務所新設の場合の営業保証金)
第二十六条  宅地建物取引業者は、事業の開始後新たに事務所を設置したとき(第七条第一項各号の一に該当する場合において事務所の増設があつたときを含むものとする。)は、当該事務所につき前条第二項の政令で定める額の営業保証金を供託しなければならない。

弁護士の場合、顧客から巨額の資金を預かることが多いにも拘らずこうした規制がなかったのは、資格試験としての司法試験が厳しくて合格=職業能力充実(お金に困る人は滅多にない・・不祥事は高齢化によるジリ貧の場合が中心でした)という実態があったからです。
大量合格時代→資格と職業能力が乖離する時代が来た以上は、逆に入会=職業能力審査をもっと厳格化すべきではないでしょうか?
職業能力審査はペーパーテストではなく、就職出来るかどうかにかからせるのが合理的です。
就職試験は結構シビアーで全人格的能力を問われることは必定で、これに通らない人の能力は平均以下とすれば、平均以下人が数年以上に及ぶ先輩弁護士の下積みとしての実務訓練を受けることすらなしにイキナリ独立開業するのはなおさら問題です。
新人に対する会費減免制度は支払能力不足を理由とするものですが、きちんと就職出来ていればそんな心配が要らないことからすれば、まさに即独・軒弁救済策・奨励策となります。
これを正面から主張し過ぎると弁護士会は参入障壁を作っているという批判が怖いので逆に緩めているのでしょうが、この辺の政治的判断がよく分らないので、私は弁護士会のこの種の政策に反対をしていませんが、(実際せっかく合格しているのに就職の出来ない人は気の毒ですし・・・)長期的には弁護士の信用力低下にならないか心配しています。
「武士は食わねど高楊枝」と揶揄されていた徳川時代の武士はお金を扱う部署に殆ど関係していなかったことで何とかなっていました。
弁護士が食うのに困るようでは先行き人材供給レベルが限られて来るし、不祥事が起き易いし、不祥事が起きないまでも会費を払うのに苦労しているような弁護士が多くなると後見人等で総財産を託す人が不安になるのは目に見えています。

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