TPP10とアメリカ支配2(保険・金融1)

アメリカ独立戦争の切っ掛けになった有名なボストン茶会事件は、1773年の茶法によって東インド会社の茶が安く植民地に流入することになって、植民地商人が怒って、1773年12月にはボストン港停泊中の東インド会社船に暴徒が乱入し、積載されていた茶を海に投棄したものでした。
アメリカは自分が好きなだけクジラを捕っていたのに自分が不要になると日本のクジラ漁を批判するなどいつも自分勝手・スポーツでも日本が勝ち始めるとルール変更の繰り返し)だと書いてきましたが、自分に都合が良い分野だけ関税撤廃どころか国内ルールまで非関税障壁だと言って共通化を世界中に強制しています。
今回のTPP交渉では、日本に負ける車の分野だけ半永久的に現状のアメリカだけがやっている(日本は関税率ほぼゼロらしいです)高率関税を残して、自分の強い分野である金融関連の障壁を除けという虫のいい流れが具体化しているのもそうです。
これはアメリカが狡いのではなく国際政治というのはまだそんな物で、(中韓政府の主張の身勝手さも同じです)自国の都合の押し付けあい・・人生で言えば、幼児期・ギャング世代程度の世界であるから仕方がありません。
世界中で日本だけが千年単位の歴史・智恵があるので、大人げないやり方だなあ!とつき合い切れないと思いを抱いているだけで、世界の水準はそんな物と達観するしかありません。
政府の能力は成立後の時間にほぼ比例すること(アメリカは約250年、中国韓国は約60年、ロシア約100年)を政府と「国民の違い(中国人との付き合い方)5」
February 17, 2013前後で書きました。
ボストン茶条例に戻りますと、アメリカは自分がまだ弱くて育つのに必要なときには関税自主権を強調して本国イギリスと戦争までして来ました。
自分が強国になったときに押し付けた幕末の日米修好条約では、逆に日本の関税自主権を否定した条約を結んでいます。
アメリカが世界最強の頃には自由貿易主張でしたが、日本が戦後復活して再びアメリカの競争相手になって来ると日米繊維協定に始まってMarch 6, 2013「円安効果の限界3(アメリカの場合1)」で紹介した半導体協定の圧力など輸入規制の連続でした。
日本はアメリカに再び焦土化されては叶いませんので、(戦争に負けた弱みです)抵抗しながらも結果として全て要求を飲んで行くしかなかったのが戦後政治でした。
中韓政府は日本の弱腰を見ていますので、戦争被害/植民地被害さえ言いつのって、要求さえすれば何でも通ると思い込んで来たのがこれまでだったでしょう。
幸い今の日本は、関税が低くなって、円さえ安くなれば逆に工業製品に限らず近代産業分野ではアメリカを殆どの分野で圧倒できる強みがありますから、関税なしの共通仕様・・国内扱いになれば却って日本の方が有利になるようにも思いますが如何でしょうか?
金融・保険分野では負けていますが、(これもまるで産業がない訳ではなく一定の競争力を持っていますので徐々に日本企業も負けずにやって行けるようになると思いますが、この辺は別に書きます)少なくとも関税等の不利がなくなって、国内市場扱いになれば、勤勉な日本人はサービスや製造業関係では負けないでしょう。
January 20, 2013「中間層の重要性4(テロ・暴動の基盤1)」前後でも書きましたが、資源があるとその効果でその国の貿易黒字が進み、為替相場がその他の産業効率・競争力の実力以上に進むので、資源国ではその他産業の競争力が低下します。
その結果製造業等国内諸産業が衰退して行き、国民の多くが失業状態になります。
資源は効率よく儲けられるので、例えば1000億ドル稼ぐのに製造業のように多くの従業員を必要としないことから、資源収入の分配に稼げなくなった多くの国民が頼る経済構造になって不健全な社会になります。

TPPと主権7(条例2)

TPPが発効した場合、規制基準のあり方等の協議が事実上アメリカ1国主導で進むと思われます。
以下、TPP原加盟国と交渉参加国の状況を紹介しますが、アメリカはTPP後発参加国・・1員でしかないのですが、日本ではアメリカの提示する条件中心に報道されていることを見ても、(原加盟国のブルネイやニュージーランド等の意見など全く報道されません)アメリカ中心に運営されている実態が分るでしょう。
私が3月7日にTPPは(独仏主導)EUのアメリカ版であると書いた所以です。
アメリカはいつも自分勝手(スポーツでも何でも日本が勝ち始めるとルール変更の繰り返し)だとあちこちのコラムで書いてきましたが、アメリカが牛耳るTPPの会議ではもっと遠慮なくアメリカ標準の押し付けになるのが目に見ています。
TPP加盟各国の政府は、今の日本で言えば都道府県知事政府のような役割になるのでしょうか?
地方自治政体政府は、中央政府の法律に反しない限度で条例を作れるだけですが、各国政府はTPPで合意した規制基準に違反しない範囲で独自の規制や工夫を出来るだけになります。
言わば今の民族単位の政府は、グローバル化前の民族国家内の地方政府のようになって行くのでしょう。
参考までに現在の地方自治体の権限を紹介します。

日本国憲法
第94条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

明治維新まで主権政府だった300諸候(大名)が、その権限を中央政府に返上(版籍奉還)したのと同じようなことになります。
世界標準・統一化化が進むと、民族固有の文化色が薄まって行くことが予想されます。
明治政府樹立前には、地域ごとに固有の文化・方言がありましたが、それが徐々に衰退・縮小して行ったのですが、それでも同一民族内だったから許せたんだという人もいるでしょう。
その点を考えるとTPPは異民族間の条約体でしかないのですから、TPPの場合はいつでも脱退が出来る仕組みになっているべきでしょう。
ユーロの場合も脱退が可能ですが、その制度設計がはっきり出来ていないので、通貨同盟に関してイザ脱退になると実務上大混乱が起きるようです。
政府の一部になると、脱退は反乱軍扱いですが、条約で縛りあっているに過ぎない以上は、そこが違います。
条約事務局機関=中央政府と加盟各国=自治体の関係として比喩した場合、車で言えば、型式認証や道路交通法は政府・TPPが決めますが、自治体・各国政府は個別道路に即してスピード制限や一方通行の指定、駐車禁止場所の指定程度しか出来ません。
TPP参加すれば、いろんな分野で大枠が(アメリカ主導で)決められて行くので、現在の中央政府は今の地方自治体みたいな仕事しかなくなって行くことになります。
(今は国際的取引の多い金融・商業ベース関連だけでしょうが、行く行くは、文楽や歌舞伎等への補助なども知財に関する重要な非関税障壁だとなって行く可能性がありますし、右ハンドル車も許されなくなるかも知れません。)
こうなって来ると右翼の心配するように民族固有の文化まで侵害されることとなりますが、そこまではいくら何でもアメリカは簡単に踏み込んでは来ないと思われます。
そこまで行くには、今の日本のように民族間の融合がかなり進んだ段階まで無理でしょうから、伝統芸能として保存されるだけになってくれば・TPPの交渉対象にもなって来ないでしょう。
明治維新による統一国家樹立の結果、各地固有の文化保存は中央政府のさじ加減と地元のの熱意によることになりましたが、東京の政府だからと言って、各地方の民俗芸能をないがしろにしてきませんでした。
大阪で生まれた文楽に対して冷たくあたっているのは、地元大阪に地盤を置く維新政党です。

TPPと主権5(国民の需要)

国際標準化の進行に関しては大企業のごり押し・要請によるのではなく、国民の便宜に応える形で発展して来た側面があり、大企業が規模拡大・海外展開出来たのはニーズに適応してきた結果ではないでしょうか?
人の移動が活発化したことによって広域化・世界標準化が進んで来た結果、これに適応出来た企業が大規模化出来たと見るべきかも知れません。
商人は自己利益のために共通化を期待して来た面もあるでしょうが、それよりは消費者の広域移動のニーズに適応して来た結果の方が大きいように思います。
(製造業が出て行くと、関連下請けや金融・サービス業も現地進出するのは出て行った企業のニーズに応じるためです)
法律家も海外進出企業の需要に応じられる人だけが国際化出来るのであって、国際化したいから国際化した人がいたとしてもそれは例外です。
世界中で国民の移動拡大が常態化している現在では、製品に限らずいろんな分野で世界標準化が要請されています。
海外でも使える携帯や各種カード類の利用・・スポーツのルール、観光施設も世界標準でないと困りますし、(タオルくらいは最低あると思って行くでしょう)工業製品でも医薬品や食品あるいは公害規制・会計基準や税制その他いろんな分野で規制が画一化する=国際標準化が期待されています。
(日常的に服薬・所持している医薬品が入国先の許可薬品でないという理由で空港で没収されるのでは困ります)
商人は域内で成功すると域外に進出したい欲望が強いことも事実ですが、それだけではなく、消費者のニーズに報いたい欲求もまた本質的にもっていて、この本能こそがが商売成功の秘訣です。
農家基準で言えば、「自分たちは田舎者でお人好しだが、都会の人は信用出来ない」という言い方を子どもの頃に耳にタコが出来るほど聞かされましたが、実は逆です。
商人・・商工業の基礎をなす職人・特に我が国の職人は人のためになること・・良いもの物を作るのを生き甲斐・誇りにしている人が多いことを、日米半導体協定によって腕の振るい場がなくなって優秀な職人が韓国台湾へ逃げてしまった事例を2013/03/06「円安効果の限界3(アメリカの場合1)」で紹介しました。
職人に基礎を置く商工業者はいつも消費者の便利を考えて役立ちたいと思って、日夜商品開発努力をしています。
その努力の結果、海外に行っても使える携帯や金融商品カード類の開発に繋がっています。
ニーズのあるところに新商品やサービスが生まれるのですから、これを国ごとに違う規制を主権の名の下に墨守して国際商品化するのを妨害するのは感心しません。
明治維新・日本列島統一によって300諸候の領域内の警察権や統治権が失われましたが、これによって国民は移動の自由その他すごく便利になりました。
300諸侯時代には各地の方言や固有文化が今よりも色濃く残っていましたが、国語として次第に統一化され、各地の芸能などは保存対象になっていて、現役色がなくなっています。
主権維持・固有文化の維持の主張は尤もな主張のようですが、今でも300諸候ごとに別の法律や交通法規で生きて行く方がよかったとは、殆ど誰も思っていないでしょう。
各藩が、廃藩置県で県となり、更に統廃合されて今の地方自治体になったのですが、地方自治体に格下げされてもどこも文句を言いませんでした。
各大名家でどのような政治をしようとも自由であったとは言っても、事実上徳川家の決めた基準に準じて政治をしていたので、幕末ころには今の地方自治体程度の裁量行政しかしていなかったことによります。
吉宗が命じて大岡越前守が編纂した判例集積集である「御定書」については12/16/03「公事方御定書1(刑法4)(江戸時代の裁判機構1)」以下で連載をしたことがありますが、これは元々徳川家の内規で外部秘だったのですが、いつの間にか各藩に写しが出回るようになってこれを参考に各地で裁判していたことをどこかで書いたと思います。
この実績があったので、明治新政府が各地に裁判所を設けても直ぐにきちんと運用出来たのです。
人の移動・交流が交通・通信機関の発達もあって広域化・頻繁化する一方ですし、(民族混在を望みませんが)交流や広域移動・海外の商品が簡単に手に入ること自体は人が豊かに生きるには良いことです。
主権維持・固有文化を守れという超保守の情緒的訴えや観念的要求で、あるいは強者の論理は許せないという進歩的知識人の好きなスローガンで、広域化に伴う世界標準化の進展をぶちこわそうとするのは、産業革命時に起きたラッダイト(機械ブチこわし)運動同様に時代錯誤の恐れはないでしょうか?
新自由主義反対や超保守行動は、根を同じくする左翼右翼共通の行動形態のように見ます。

円安効果(持続性)2

工業製品が競争に負けていて貿易赤字になっている場合、円安によって国内生産品の競争力がつくと半年から1年前後経過でその製品輸入が減って赤字が減るだけではなく、同じ製品が逆に輸出商品に変わるのでJカーブ効果が終わると貿易収支改善上、上下のダブル効果が出て急激に収支が改善し、その結果円安が終わり再び均衡から円高になって行くことになります。
ちなみに、均衡状態は殆ど瞬時の通過点ですので変動相場制では均衡状態が続くことは滅多にありません。
いつも下がり過ぎから上がり過ぎへという状態の繰り返しになるので・経済ファンダメンタルズを越えた行き過ぎ緩和のための為替介入は一時的には有効な政策です。
こうしたシーソー的効果を前提に為替の変動相場制が成り立っています。
しかし、資源輸入拡大による円安の場合、我が国には資源自体の国内生産がないので資源輸入による赤字化で円安になっても、国産資源の国際競争力がついて逆に資源輸出国に変換することはあり得ません。
燃費合理化しても輸入減には滅多にならないので、現在の国内総生産を維持した場合ほぼ同じ量の輸入を続けることになります。
円安になっても資源輸出国に逆転しないので、円安がドンドン進めば進むほど決済代金増加効果が生じて、貿易赤字は簡単に減って行かないでしょう。
この辺の理は工業製品等についても価格格差の大きい場合に同じことが言えます。
1〜2割の格差で競合している場合、円安による競争力強化が効いてきますが、数倍の価格差のある、あるいは品質的・ゼザイン的に太刀打ち出来ない製品の場合、2〜3割円安になっても部品等の輸入価格が円安分だけ上がってしまうリスクが生じてきます。
円安によって国際競争力を回復した製造業が生産を国内回帰すると生産増に比例して輸入が増えるので、原燃料あるいは上記2〜3割前後の価格下落程度では勝負にならない製品では却って輸入支払金が増えます。
円安がなくとも増えた輸入量に比例して決済代金が膨らみますが、これに円安による割高な決済が必要になる(・・円が2割下がれば原油輸輸入代金その他部品代金も2割増えます)ので円安は二重の赤字拡大要因となります。
円安によって国内企業と価格的に拮抗している輸入品を駆逐して逆に輸出産業になって行くとしても、燃料関係や大幅値段差のある製品等の輸入増・・支払い増加を凌ぐには普通の円安よりはより多くの時間がかかり、簡単には赤字解消が出来ません。
このように書いて行くと我が国経済は大変な事態に陥っているようで、心配する方が多いでしょうし、実際私は大変な事態に陥っていると考えます。
円安のマイナス点を冷静に見る必要がありますが・・我が国の場合、長年の蓄積がありますので、直ぐに食い詰めることはないのでそれほど焦る必要はありません。
この辺が私固有の逆張り的発想ですが、資源輸入急増による赤字の場合、製品輸出のちょっとやそっとの増加では、最悪10〜20年単位で黒字転換出来ない=円高に戻らない不安と円安効果を享受出来るメリットがあります。
蓄積がなければこの間に食い詰めてしまいますが、我が国は長期の赤字に耐えるほどの蓄積があるのでその不安はないのですから、ここは円安メリットの効果をじっくり見定めるのがよいかも知れません。
国内増産投資の可能性・・投資家マインドとして見れば、長期的赤字=円安定着どころかもっと進むと言う見通しがあれば、安心して国内投資出来るメリットがあります。
短期資金(投機的資金移動)の動きだけから見れば、短期の円安でもその差益狙いで株式相場は上がりますが、生産設備投資や雇用を誘発するには長期的円相場が重要です。
逆張り的発想で見れば、長期赤字継続=円安見込みが、国内産業回帰を願うものにとって天佑と言うか利点になります。
生産工場がかなりの規模で国内回帰・国内で増産投資して輸出しても、10年単位で原油等の輸入拡大・決済資金増加によって貿易赤字は解消出来ない・・ひいては、少しくらい国内生産が増えても長期的円安が続くとすれば、産業界は安心して国内増産投資して行けるので、今回の円安効果で海外進出の動きが緩和され、他方で国内投資が増えると考えられます。

天災と国民性2

中国では大気や飲料水の汚染が極限となって来たので首都移転論が現実化しています。
元々中国大陸では首都を何十回と変えて来た地域ですから、首都を遠くチベットへ持って行こうと雲南へ持って行こうと特別気にしないでしょう。
あちらこちらの自然を破壊し尽くして中国領域内での移動では間に合わなくなると、日本に引っ越したいといって来ないかが心配の種です。
日本は原子力発電所を一杯作って、「放射能が危険だから来るな」と宣伝するしかないでしょうか?
ちなみに在日中国人(留学生や研修生等)は原発事故のときに逸早く大量に日本から脱出しましたので、日本人はすごく違和感を感じましたが、彼らは放射能に特に敏感な訳ではなく、元々から住んでいる土地に固執する習慣がない・・駄目な土地は棄てればいい習慣でしたから、これが郷土に執着する日本人との対応の違いになったのです。
日本人はどんな大事故があっても、いつまで経っても原発付近の「故郷にいつ帰れるのか・・」が大きなテーマのままですから、政治家は(もういい加減に諦めてくれとは言えず)大変です。
人が住めないような結果をもたらす環境破壊に対する怨嗟の声も大きくなり、無視出来ません。
中国人は環境が悪くなれば直ぐに逃げる習慣ですから、自然環境を大切にする習慣もなければ、自分の行為の結果であっても環境悪化すれば逃げれば良いという価値観ですから、中国の政治家は気楽なものです。
キリスト教徒の歴史、古くは出エジプト記に始まりユーラシア大陸ではフン族→ゲルマン民族の大移動に始まり、民族の丸ごと移動は絶え間なく行われていました。
アメリカでも、簡単に住んでいた土地を丸ごと棄ててしまう・・ゴーストタウンにする例がいくらでもあります。
スクラップ&ビルドと言えば企業風土としても合理的で気前の良いイメージですが、要は自然に逆らわないと言うか自然環境が悪くなれば、復興に努力してもどうにもならないので逃げ回る文化です。
こう言う文化風土の場合、自然が凶暴過ぎる分人間も自然や物を大切にする気風が育ちません。
日本では戦乱や災害に遭遇しても、関係者が寺宝などを命がけで守り抜いてきましたし古い建造物も手を加えては維持してきましたが、中国では歴代王朝が変わる都度廃棄して殆ど何も残っていません。
我が国では,甚大な被害にあっても100年に一回の大津波が来るというくらいですから津波が去ったあくる日から、(高台に移れと言われても100年先のことなら自分が生きているうちは関係がないので)元に戻って復興したくなる気持ちが分ります。
豊かな社会になって「はたらけど はたらけど猶 わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る」という啄木の歌は今では共鳴する人が減っています。
豊かになった現在では食うために已むなく働く苦しい人が減って、勤勉こそが生き甲斐という人が増えて来たので、資源がない・・あるいはせっかく作っても繰り返し到来する台風や地震等の災害で損なわれてしまうのは次から次へと仕事があって幸運です。
江戸時代には、火事ばかりでしょっ中新しい家にみんな住んでいられた・・大工の仕事が多かったのと同じです。
しょっ中作り直さねばならないのでは、大変と言えば大変ではあるけれども、再興する楽しみがあるし(何しろどんな甚大な被害受けても翌年には、草木が新芽を出す気候風土です)働くのが大好きな日本人向きで幸せなことです。
我が国の勤勉性は(過去から未来永劫毎日が天災であるアフガンのように手を付けられないほどの荒涼とした風景になってしまわない・・・やる気をなくしてしまわない程度の)ほどほどの天災がしょっ中来ることによって鍛えられ、培われて来ました。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC