日本人の識字率・民度2

識字率という概念自体も違っています。
多くの国での識字率は、日本と違って自分の名前が読めるか否か程度で今でも判定基準にしていますが、日本では江戸時代の最低の庶民でもいわゆる読み書きそろばんが基本的能力判定でした。
その結果、一定階層以上・・町民でも一定の文化・俳諧や川柳・小唄端唄など文化をたしなむのが普通の社会になっていたのです。
日本の町民・・正確にはブルジョワジーのことらしいですが、そこまで行かないその日暮らしの職人らの生活する長屋の管理人をしていた大家でも一通りの和歌程度を知っているものでした。
実態を表しているかは不明ですが、有名な落語・・「千早ぶる神代も知らず・・・」と言う和歌を訳知り顔で講釈するやり取りが流布していたことからも明らかです。
太田道灌の故事に有名なように,片田舎のあばらやに住む娘でもちょっとした古歌くらい知っているのが普通のたしなみでした。
庶民レベルの高さ・・社会システムが、1450年ころの太田道灌から日本では世界最先端で進んでいたことが分ります。
我が国文化人が現実直視しないで西洋の図式を当てはめようとする傾向は、現実直視だと折角西洋の文化を学んだ自分と一般国民とを差別化出来ないことによるのではないでしょうか。
実態を見ない点では、ヤンパン思想に毒されて誇大妄想的歴史を空想している韓国文化人と似たり寄ったりで韓国ばかりバカにできません。
どこの国でも、書斎にしかいない文化人と称するものの地位が高すぎると現実遊離になり易いということです。
上記のとおり、日本の識字率が昔から高率ですので、誰もが言わば知識人であり文化人でしたから知的エリートとの差が低いことから指導者・エリートという概念が我が国では育ちませんでした。
日本の指導者の資質が低いとマスコミが自虐宣伝しているのは、庶民の多くが文字も読めない欧米式社会を前提にした間違った意見であると、このコラムで何回も書いてきました。
明治以降、舶来知識を振り回せば優越出来た時代が続き、戦後もアメリカではこうだという意見が幅を利かしたのは、この時期に限定して欧米との知識差(文化力の差ではありません)が大きかったからです。
しかし、欧米に対する情報格差があっても我が国では古代からそれほど能力差のない社会ですから、現実遊離した意見を鵜呑みにする習慣がありません。
研究者も現場にいる人の工夫を大事にする習慣・恊働作業によって、(現場を知らない大学の研究よりは企業研究の方が世界先端技術の開発に向いているのはこの帰結です)現在日本社会の高度化が成立しています。
米軍が日本を占領して現実の日本人の多くに接してみると、日本精神は日本の学者や西洋の研究者が理解しているように上からの命令で愛国心が出来ているものではなく、キャップの天皇制を廃止さえすれば良いものではないことが直ぐに分ったと思われます。
何十万(最大で43万の将兵プラス軍属)という大量の将兵が日本に上陸したことによって、マスコミや文化人のでっち上げた情報ではなく、多くの将兵が日本人とジカに接することになりました。
日本人と多くのアメリカ軍人・軍属がジカに接するようになると、日本国民の精神は「万物を慈しむ心」誠実さに満ちあふれ、アメリカでルーズベルト大統領によって宣伝されているような天皇の命令で極悪非道なことをするような人ではないことが多くの将兵に直ぐに分った筈です。
近年、中韓両政府がロビー活動で大金を使って欧米の政治家を籠絡し、マスコミを抱き込んで日本に対する悪宣伝に努めていたのは、アメリカや西洋では(庶民レベルが低くて)マスコミや指導者さえ抱き込めば国論が決まる社会だからある程度有効性があったからです。
しかし、大量の中韓両国人や日本人が世界中に進出して居住する時代が来ると、マスコミや政治家を抱き込んで虚偽宣伝している中韓両国人の日常行動と日本人とを具体的に比較出来具体的に知るようになってきました。
今では、現実の中韓両国人と日本人を直接知っている時代になっていますから、マスコミ宣伝よりも現実体験に基づく庶民情報(ネット)が重要になって来たので、韓国による虚偽宣伝の有効性に疑問符がついてきました。
この結果、韓国が大統領が前面に出て宣伝しなければならなくなるほど、焦って大騒ぎを始めたように思われます。
ネットの発達で情報独占がなくなったこともあって、今後は日本だけではなく世界中の文化人・指導者・マスコミの地位が大幅に下がって行くでしょう。
米軍の占領政治に戻りますと、日本人の道徳観や自然観は草の根からわき上がっている民族の心であって、上からの押しつけではありませんから、神道を非難し天皇制さえぶっつ潰せば道義の基準が変更出来るものではありません。
そもそも神道の精神は、ルーズベルトが宣伝していたような「悪の教え」ではなく誠実さ・万物を愛する心ですから、悪の帝国と宣伝されて信じ込んで日本を占領してみたら、その善良さに多くの将兵はびっくりしたでしょう。
日本民族は古代から自然の営みを細かに観察して愛して来たのですが、その片鱗の1つとしてやや牽強付会の感がありますが、万葉集の一首を紹介しておきましょう。
この時代から、春の方が良いのか秋の方が良いのかを歌合わせで楽しんでたことが分ります。
口角泡を飛ばす激論ではなく和歌を歌い合って競っていたのですから、我が国は古代から優雅な社会です。

万葉集
巻第一・16 額田王が春秋の優劣を論じた歌

 冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂(し)み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉(もみち)をば 取りてぞしのふ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨めし 秋山ぞわれは

額田の大君は天智天皇と天武天皇の両方の愛人として有名ですから、西暦660年前後の歌ですが、その約600年程後の後鳥羽院のころまでには侘び寂び思想が発展していて  「秋は夕暮れ」という評価が定まっていました.
これを逆転の発想で春の夕暮れも良いじゃないかと歌ったのが、新古今和歌集所収の後鳥羽院の歌です。

 「見渡せば山本かすむ水無瀬川夕べは秋と何思いけむ」

更にこの歌を下敷きにして室町時代の宗祇らによって、承久の乱で隠岐の島に流された後鳥羽院の250回忌追善するために水無瀬三吟百韻(1488年(長享2)正月22日)が巻かれています.
我が国では、秋が良いか春が良いかのテーマが千年単位でずっと続いていたことが分ります。
私も春というより新緑(額田の大君の歌も茂みがあって入って行けないと歌われているので今の春というよりは新緑を前提にしている感じです)も好きですし、紅葉も好きですからどちらかキメロと言われると迷いますね・・。
ただし、1488年の水無瀬三吟では「雪ながら山本かすむ夕べかな」で始まっていて2月の情景です..,。

政府と国民の分断策(日本人の一体感)2

韓国による靖国参拝批判やでっち上げ慰安婦問題の盛り上げは、日米離間が韓国の狙いでしょうが、この盛り上がりに比例して、朝鮮人による戦後直ぐの暴虐・違法行為もネット上で次々と明るみに出始めました。
朝鮮人に対するマイナス情報が出始めたにとどまらず、結果的に国内では在日朝鮮人や朝鮮人系帰化人にとって日本で肩身が狭くなりつつあること・・政府間でも国民意識の変化を受けて、スワップ協定の延長をしないなど全ての分野に冷却化が及び始めています。
韓国の靖国参拝攻撃や慰安婦問題激化策は、日米離間効果よりは、日本の対韓離間効果の方が先に進んでいます。
アメリカは戦犯にこだわらない姿勢を示し始めて長いですし、大震災では中韓がチャンスとばかりに露骨に日本叩きをしていましたが、アメリカは逆にともだち作戦で日本へのすり寄り姿勢・好感度アップに前向きです。
昨年来の中韓の攻勢に対するアメリカの反応は、中韓の意図とは逆に日本を怒らせない方向への方針を明確にしています。
今年になってアメリカ政府要人が千鳥が渕の戦没者墓地に献花し、再軍備関連でも日本の集団自衛権問題に前向きである外、戦闘能力向上に理解を示し始める・・日本敵視・警戒政策を逆に緩める方向になっています。
アメリカは国力衰退に伴って、太平洋での補完勢力として日本を当てにするしかない点・・実質を重視するしかないからです。
今は全ての分野で(TPPがその1例です)日本が入らないと話にならない・・アメリカ独力ではどうにもならない時代がきていることをアメリカは自覚しています。
昨日まで書いて来たように、アメリカは開き直り・虚偽宣伝をやめて事実上過去の非を認める方向・・次第に日米が真に仲直りの方向に向かう兆しが見え始めました・・目出たいことです。
韓国が日本と距離を置いて何か得することがあるの?というのが一般的理解ですが、感情の赴くままにものごとを激化させるしかないのが、朝鮮族の特徴です。
中韓だけではなく、我が国左翼系文化人を中心に、天皇や戦前の軍首脳と人民を区分して当時の支配者を非難する攻勢が未だに盛んです。
「あなたのように理解のある人は良いが、日本の一部の人の言動は困る」というような選択的振るい分け論理ですり寄る人が多くいます。
日本人でありながら文化人が何故中韓的思考回路になるかですが、知識人は多くの場合、お勉強(既存知識の習得)が得意な人が多いので、西洋の知識(権力者が無茶をやるものと言う)を勉強しているだけで、日本にある目の前の現状(一体感・同胞意識・古代から続く現実の仁慈の政治)を理解する能力が低いからこうなると思います。
左翼と言っても、アメリカの戦後体制を賛美して、中韓政府と同意見というだけであって共産主義者とは限りません。
左翼に限らず知識人にはこうした傾向があるので、何かあると「欧米では・・」と欧米の先進事例を紹介していれば良い時代ではなくなって以降、存在感が低くなっていることをこれまで随所に書いてきました。
今は田中さんのノーベル賞受賞を見ても分るように現場主義と言うか、現場で現実を見て努力している人が尊敬され影響力のある時代です。
政府と国民に関する意見は、2013/02/08〜2013/02/17「政府と国民の違い(中国人との付き合い方)1」〜5まで連載しました。
特に「政府と国民の違い(中国人との付き合い方)3」では、政府と国民を分断する宣伝の効果を書いていますが、我が国ではこれが通用しないことも書きました。
マッカーサー上陸後数日〜週単位で日本の民度や天皇の存在意義を理解して、軍政施行をやめるなど直ちに軌道修正しました。
これに対して長年日本支配下にあって、しかも戦後も多くの在日が居住していて交流の多い朝鮮民族が、日本人の深層心を理解出来ないで、戦犯批判や天皇侮辱発言する点が、彼らのレベルの低さを現しています。
あるいは日本人の本心を理解しているので、日本人を怒らせるにはより強烈な効果があると思って李前大統領が天皇侮辱発言を公表してあえて挑発したと言うべきでしょうか。
李前大統領は大阪生まれともいいますので、天皇に関する日本人の感情をよく知っていてこれを敢えて侮辱するためにやったと理解すべきでしょう。
朝鮮族は感情の赴くままに相手の一番いやがることを見つけては、口を極めて罵る傾向があり、これが世界中行った先々で最も嫌われる民族になっている原因です。
今ではマスコミを買収してどのような虚偽宣伝を繰り返そうとも、あるいは大金を投じてロビー活動をしても、韓国人や中国人が世界中に大量進出しているので、彼らの具体的行動を通して世界中で評価が定まってしまう時代です。
彼らは折角の知識・理解を悪い方にしか使えないとすれば・・有効に使う能力のない民族となります。
知識・情報さえあれば、良い政治や経営を出来るのではなく、それらをどのように利用するかの能力が文化度を表します。
韓国語には、日本語に比べてもの凄い数の罵り言語があるときいていますが、変な方向の言語ばかり発達していることからも、その民族の基礎的レベルが判明します。

日米平和条約の不存在1

アメリカが飽くまで非を認めない限り、日米はまだ真の意味で和解していないことになります。
(それをアメリカが一番良く知っているから復活した日本の報復が怖くて戦後日本の力を殺ぐことならば、何でもすると言う最大の仮想敵にして来たのです)
日米間では独立状態での本来の平和条約が結ばれていない・・原爆と占領下で強制された条約しかない・・一種の戦争状態のままですので、「仕返しをするべし」という気運がその内に盛り上がって来ると厄介です。
敗戦国日本に押し付けた欧米の国際条約の有効性論理によれば、戦争の結果による条約を無効としてその結果獲得した領土等全て無償返還すべしというのですから、日米・あるいはサンフランシスコ平和条約は占領下で行なわれたのですから、日本側がいつでも無効宣言出来る関係です。
どんな大国もいつかは衰退して行くのですから、アメリカが自分のやって来た非人道行為について知らんぷりしていて、相手ばかり批判する・・原爆投下責任や戦後処理の不当性批判等を力づくで抑える政策をとり続けるのは持続可能性がなく、将来に禍根を残す政策です。
アメリカが日本批判を中韓両政府にさせて、その逆張り数々の戦争中の非人道行為を謝らないままで、戦争を早く終わらせるために都市住民を包囲して丸焼きにしたり原爆投下して何が悪い?と開き直りに固執し続けていると最悪です。
日本が将来優位に立ったときには、アメリカ中の都市住民を包囲して次々と焼き殺しても、核攻撃しても(戦争を早く終わらせるために)許されるというアメリカの大好きな報復論理展開論を誘発し兼ねません。
実際には大多数の日本人はそうした報復の循環・連鎖を好みませんので、何事でも許し包容する文化を育んで来たし,報復を断ち切る智恵を縄文・弥生時代から蓄え実践してきました。
ですから、ココではアメリカが最後まで謝らないとしても、多数の世論はそうはならないでしょうが、一定数の跳ねっ返りが騒ぐ事態が来るのを心配をしています。
アメリカは日本の報復を極度に恐れているから日本を最大仮想敵国にして来たのでしょうが、早く謝ってくれさえすれば日本は許せるし、真の同盟関係になれます。
アメリカがある程度力のあるうち・・日本よりある程度優越している関係のうちに、平和裡に謝ってくれて解決しておくのが、双方にとってベストだと思います。
優越している方が謝るのでは沽券にかかわるというのは、度量の狭い小人の考え方です。
アメリカが上位者である内に率先して謝ってくれると、下位者の日本は感激するので効果が大きいのです。
悪いことや失敗して相手がまだ気が付かないからと知らんぷりしていると、却って修復の機会を失うことがあるので、我が国では失敗したら相手に指摘され非難される前に率先して謝るのが古来からの智恵です。
会話の開始の前に先ず・・「済みませんが・・」と一種のお詫び言語が入るのは、その典型パターンです。
アメリカは日本に比べて文化度が数千年〜数周回遅れの国であると何回も書いてきましたが、潔く謝る智恵がない・・度量が狭いのが難点で、今後国力衰退に伴ってこれが大きなネックになって来るでしょう。
大きな声で自分の主張をすることしか経験がない点では、韓国、中国と同レベルですがこれでボロをあまり出さないで来られたのは、国力が桁外れに大きかったからに過ぎません。
アメリカが今後相対的強者の地位に転落し始めると、今までのような単純意思表示では外交が難しくなりますが、アメリカは経験が乏しいので自力で対応すればこれからはボロ続出になるでしょう。
日本と一日も早く和解して真の同盟関係を構築し、日本のしなやかな外交力・経済力で補完してもらうのが、アメリカが世界の覇者の地位を少しでも長く維持し続けるための最良の道です。
アメリカは、中韓を利用してわざわざ自分から日本を敵対関係に追いやっている余裕がなくなりつつあることを理解すべきです。
もしかすると最近少しずつ分り始めているような兆候・・中韓両政府の靖国問題・慰安婦問題/南京虐殺提起等に対して迷惑そうな受けとめ方が増えて来た様子が見えます。
しかし、兆候で誤摩化すのではなく、はっきり謝ってしまえば日本人は納得するし、心底からの信頼関係・・日本は誠実ですから固い同盟関係になるでしょう。
謝ってしまえば、中韓が靖国参拝等を批判する論拠をなくしてしまいますが、謝らないままである限り、中韓がココをついて来る都度日本人はアメリカが謝りたくないから陰で慰安婦問題等を次々とでっち上げて唆しているとの疑いが強まらざるを得ず、不幸な(心底に不信感のある)関係が続きます。

アメリカの神道敵視政策6(日本人奴隷化2)

飛行機製造禁止が新幹線開発に繋がったのは有名な話で誰でも知っていますが、今もマトモな兵器はほぼ100%製造禁止でアメリカからの購入を義務づけられているとはおぼろげながらみんな知っています。
しかし、当時は一般民需品も製造禁止・・どころか折角焼け残っていた民需用の製造設備を海外搬出されていたとまで知る人は少ないでしょう。
敗戦後焦土化して食うや食わずの日本からナケナシの製造設備まで運び出していたのですから、まさにアメリカは日本人を奴隷解放前のアメリカ黒人奴隷並みの生活水準に落とし日本人を精神的奴隷下におくことが目的だったことがわかります。
日本人を実質的奴隷化の一環として、日本人が抵抗しないように団結力の基礎であり、文化・絆の基礎である日本精神の解体・弱体化が急速に図られます。
これが占領後まず発した神道指令に繋がるのです。
今にして思えば、アメリカの邪悪な意図に抗して良く日本人の尊厳・独立が守れた・・アメリカの奴隷にならないで済んだものだと感心しますが、負け戦の中で日本将兵が各地で最後まで果敢に戦い抜いたように、銃後の政治家・官僚・一人一人の国民も敗戦後の日本民族を守るために本当に困難な戦いをしていたことが分ります。
ポツダム宣言受諾後もずっと戦争が続いていたのです。
関係者が自分さえ良ければ良いという人・・アメリカに受けがよければ、民族などうなっても良いと言う人が出ないで、民族全体を思う心の人ばかりだったことが民族の尊厳を守れたのです。
まさに神道の民族一体精神をハッキして一糸乱れずに粛々と武装解除して行ったこともアメリカには程路危機だったでしょう。
降伏とその後の手順が見事であった結果、民族がアメリカによる奴隷化政策から民族全体を守れたのです。
国民の末端にいたるまで,アメリカ軍に乱暴する口実を与えないという智恵があったでしょう。
マッカーサー着任後直ぐに布告予定だった軍政を撤回させる(このときもマッカーサーは奴隷化するつもりはないと言い訳しています)など、この逆境に日本の政治家・官僚・国民の末端に至るまで必死に民族を守ってくれたので、現在の豊かな日本があります。
日本軍の末端の兵士は優秀であったが如何に日本の官僚や軍中枢が腐っていたか・だから戦犯処刑するという論法をアメリカは宣伝し、これに迎合している文化人の著作・映画が一杯あり・・我々もそれを読んで、観て育ちました。
中国等の主張する戦犯や政府と人民2分する宣伝は、ココから始まるのです。
国民的作家と言われた・・司馬遼太郎などもその一人になるかも知れません・・実際には戦線の軍人同様に中央にも必死に国民を守った優秀な人材が一杯いたからこそ、アメリカ側に付け入る隙を与えずに武装解除後まるで武力のない官僚が、米国の日本人奴隷化政策を水際で次々と阻止できたのです。
ポツダム宣言違反の米軍の非人道・奴隷化政策に対して、不満があっても反乱等の暴動を起こさずにうまくやった結果、今の日本があるのであって、朝鮮人の挑発に反応して、暴動を起こしていれば軍政を布いて直接奴隷的支配下におきたい米軍の思うつぼだったでしょう。
話を神道敵視政策に戻します。
10月24日にGHQの神道指令を紹介しましたが、戦後の民主化改革中最も早く神道指令が出ている・・進駐御直ぐの45年中に出ていることからも事前の計画性・アメリカが重視していたことが看取されます。
とはいえ、キリスト教やイスラム教が、教義に基づいて無知蒙昧な信者を一方的指導して行く宗教とは違い、草の根の思いが支えあって曖昧に出来上がっている日本神道とを同視した点に誤りがあったと思われます。
神道は指導者が一定の方向を示して国民が盲目的に従うものではなく、(政治の世界でも企業でも欧米では全て指導者次第ですが、日本では総意を汲み取る社会で逆です。)日本列島に住む人々が自然発生的に、「みんな仲良くしましょう・万物を慈しみましょう・・豊かな自然に感謝しましょう」という心が芽生えていて、この総体として象徴する神道・神社が各地にあるのであって、頭になる神社さえ圧迫し潰せば日本人の心が変わる訳ではなかったのです。
順序が西洋等の宗教などとは逆です。
日本列島に住む万人の心の象徴でしかないので、神社はどこでも豪華設備を自慢するものではなく、こんもりとした森の中に質素な小さなホコラ類似の建物があるだけです・・。
今年伊勢人宮にお参りすると休憩所等一般人の入るところは今風に立派・・快適になっていますが、神殿本体は質素なままでした。
伊勢神宮に参拝しても質素さこそが却って国民の自慢で、偉容を誇るのが好きな外国人には理解不能かも知れません。
お寺は外国から入ってきたので、最初は丹塗り極彩色のもので偉容を誇る大伽藍が普通でしたが、神社はそう言う性質を持ち合わせていません。
お寺も長い時間の経過で建物も色がはげ落ちて却って日本人好みになってきましたし、今では、偉容を見るために訪れるのではなく、時代のかかった落ちついた建物や綺麗な庭園と付属したうっそうとした森/長い参道などが売りになっているようです。

アメリカの神道敵視政策4と政教分離2

アメリカのルーズベルト大統領は常々日本支配下の朝鮮等の奴隷解放をするための戦争と国内宣伝していたようですから、日本支配下ではアメリカの過去の黒人奴隷以上の非人道政治を演出する必要がありました。
元々アメリカ世論は対日開戦に消極的でしたが、中国や朝鮮での奴隷状態を虚偽宣伝することによって世論誘導し、最後は真珠湾攻撃におびき出すことんによって、世論が決定的支持に変わったのです。
このためには、彼らは占領後朝鮮人に(連合国人道用の警察権の及ばない)奴隷状態におかれた可哀想な人民と定義して特権を与えて、日本統治時代の批判・その反動としての違法行為は仕方がないとして放置するなどけしかけました。
彼らに対しては日本の警察権行使を禁じたので、これにまんまと乗る朝鮮人も朝鮮人ですが彼らはいつも強い方につけば良いという正義感しかないからこうなるのです。
ただし、現在の慰安婦問題も全員が主張しているのではないのと同様に全員が暴虐行為に走った訳ではありません。
日本人でも泥棒がいるように、結局は違法行為に走る比率の問題です。
アメリカにも学者がいるので、対外的あるいは米国内向けに日本の奴隷支配下にある人民解放戦争と虚偽宣伝していたものの、実際には平行してアメリカは日本人の心の本質を戦争中によく研究していたことにより、その虚偽性を知っていました。
そこで占領政策の第一目的として日本の崇高な和の心の基礎にある神道を目の敵にしていたのです。
そうでないと戦争終了後(イラク戦争で大量破壊兵器が出て来なかったのと同じで)嘘の言いがかりで戦争をしていたことがバレてしまいます。
これがでっち上げの極東軍事裁判の必要性であり、その後に起きる慰安婦問題や南京大虐殺のでっち上げに繋がります。
実際アメリカはいつも架空の犯罪をでっち上げて戦争を仕掛ける傾向があることは、イラク戦争で大量破壊兵器が出て来なかったことでも証明されています。
虚偽宣伝ばかりしているアメリカの信用が失われて来た結果、今回のシリアでの化学兵器使用を理由にする軍事介入が出来なくなったのは、アメリカの宣伝を国際世論が信用しなくなったからでした。
最近ではアメリカの盗聴行為が大きな問題になっていますが、アメリカは今や不正大国の汚名を着るところまで追いつめられてます。
占領政策の第一目標として謙虚な日本人を・・アメリカ流の利己主義・飽くなき欲望追求・・これが現在現実化している巨大格差社会の発現の根源です・・を目指すどん欲な社会にしてしまう・・ひいては犯罪多発社会にしてしまうことがあったと思われます。
日本は古代から現在に至るまで、権力者になってもさしたる物欲を示さず質素な生き方が尊敬される社会でしたし、メザシの土光さんが有名なように現在も大きくは変わっていません。
この辺は幕末に来日した多くの欧米人が一様に賞讃・指摘する点です。
排他独善的な1神教による異教徒弾圧・苛烈な宗教戦争を避けるためには、政教分離は重要な政治原理になりますが、我が国の場合、元々八百万の神々を尊崇する社会ですから、神道が盛んになってもならなくとも、その他宗教の盛衰には本来関係ありません。
神道とは言わば、日本で自然発生的に生じていた「お互いを尊重しましょう」と言う習俗・道徳規範を別の角度から言い表したに過ぎないものだからです。
神仏習合を不思議に思わないのは宗教心が薄いからではなく、元々同居しても良い共存関係・神社で手を合わすから、今後お寺に行かないという排他関係にはありません。
排他関係にある社会で必須とされている政教分離と死活的対立のない融合関係にある社会の政教分離は、本来意味・濃淡が違って当然です。
アメリカや中韓人民は自分が支配者になればこういうことをやった筈だという想像・・自分の行動原理を基準に、戦時中から戦後に掛けて日本がやってもいないことをやったやったやったと批判するのに躍起ですから、却って彼らの心根・・自分がやってきたのかと疑われるようになります。
両民族はアメリカの言い分に便乗して、でっち上げ主張を激しくすればするほど自分の卑しさが浮き彫りになることすら、理解出来ないほど道義心が退化してしまった民族のように見えます。
自分達の非人道的植民地支配を暴かれるのが怖くて、全て日本がやったとありもしない犯罪をなすり付けるのがアメリカや西洋の流儀ですし、強者の論理に乗っかって日本批判をし続けているのが中韓両政府です。
アメリカは残虐な過去の歴史を消せないために、(ホンの数十年前まで黒人には公民権さえなかったことは周知のとおりですから、日本征伐には日本がこれ以上に悪い国だという大義が欲しかったのです。)これを薄めるためには日本やナチスがもっと酷いことをしたと宣伝すれば良いと思いついたのでしょう。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC