共謀概念の蓄積(進化)2

日本に比べてこんなにも幅広いあやふやな概念しかない諸外国で、既に刑事法制化して運用処罰していること自体驚きですが、これらの国は制定後の運用の中で絞って行けば良いと言う思想でさしたる懸念・反対運動もなく法制定しているのではないでしょうか?
(いつも書くことですが、このブログは暇つぶしに書いているだけですから、反対論者が諸外国の条文や運用状況を紹介してくれないと実際の条文や弊害が分かりません・そこまで調べる時間もないので条約の文言を見て驚いている印象で書いているだけです)
米英独仏等の先進民主主義国を含む世界中の多くの国で(条約に署名しながら、国内法を制定しないで10年以上も抵抗しているのは、ごく少数です)日本よりアヤフヤな定義のママで制定運用しているとした場合(上記のとおり私の個人印象です)、世界一厳密に共謀概念を絞り込む実績のある日本に限って共謀法の濫用逮捕を懸念しているのは実態にあっていません。
この道の素人の弁護士にとっては先進国の共謀法はこう言う弊害が起きている・あるいは、日本の法案よりも緻密で乱用の危険が少ないなどの比較論が欲しいところです。
実際には法案を作ることに反対しているのでは、こうしたきちんとした意見を主張するチャンス・・法案作成作業参加の道を自ら閉ざしてしまい・比較論議が出来なくなっているのかも知れません。
秘密保護法の問題で、世界中の先進国で制定運用している秘密保護(スパイ処罰関係)法でどう言う問題が生じているか、日本の条文と先進国の条文とどのように違うかなどの比較議論が全くないまま、「危険だ危険だ」と主張するのでは外野にはよく分らないで困ると今年の3月11日「特定秘密保護法9(実定法の比較2)」前後で書いてきました。
共謀法の議論にもこれが言えます。
諸外国で弊害が生じてはいないが、日本の予定している条文が諸外国より緩いから危険と言うような比較議論があってこそ、国民は健全な判断が出来ます。
こうした比較議論が一切なく、「近代刑法の精神に反する」と言うだけでは国民・・少なくとも海外の条文(を紹介してくれないと)にうとい私は困ってしまいます。
「分らないならば意見を言うな」と言うのも1つの意見ですが、専門家は一般人相手に自己主張の正当性を主張している以上は一般素人(少なくとも市井の弁護士が日常知識で理解出来る程度)の合理的疑問に答えるべきではないでしょうか?
私にはバックに利害関係のある集団がないので、合理的なデータさえ示されて合理的納得さえできれば賛否どちらでもいいのですが、比較論が一切紹介されないままで「危険だ」と言われてもそのまま賛同することが出来ません。
このままでは法案賛否どちらが正しいかさえ分らないままにおかれて、フラストレーション状態におかれていることになります。
文化人は、いつも欧米のやり方や国連決議がどうだと論拠にするのが好きなグループですが、(監視社会・・防犯カメラに関してはドイツではこうだとかイギリスではこう言う規制があると細かな実態を報告しています・・)秘密保護法や共謀罪に限って欧米の運用状態について一切出さない・・マスコミも一切報道しない・・一般国民が知るチャンスがないままにおかれて、ただ危険だと言う宣伝だけ刷り込まれてしまう状態です。
弁護士業務・・特定の立場が先に決まっていて裁判で主張するときには、クライアントに有利な証拠だけ出して、有利な判例学説だけ引用することがあります。
これは相手にも弁護士がついていることを前提にゲームのように相互に有利な主張や証拠を出し合う対等者間の争いを前提にしているからです。
弁論主義と言って、一方当事者の主張していない主張(例えば時効になっているとか)を裁判所が職権で認定判断することはルール違反になっています。
具体的事件弁護ではそれで良いのですが、法案に対する公的意見については、朝日新聞や日弁連は、特定グループ利害の代弁者ではありません。
国民全般の利益のために主張する立場・・国民は世界中に出向いて事実調べやデータ収集能力がないのですから、中立が要請されている機関が、特定グループに有利不利の判断で合理的判断に必須の世界中の状況に関するデータを取捨選択して国民に提示している疑いをもたれると公的発言力が低下してしまう危険があります。

証拠法則と共謀罪2(自白重視)

近代刑法・・この結果である現憲法も、昨日紹介したように拷問禁止するだけではなく、自白だけでは有罪にしないで、補強証拠を求めるようになっただけであって、現在も自白重視の精神は変わっていません。

刑事訴訟法

第三百二十条  第三百二十一条乃至第三百二十八条に規定する場合を除いては、公判期日における供述に代えて書面を証拠とし、又は公判期日外における他の者の供述を内容とする供述を証拠とすることはできない。
第三百二十二条  被告人が作成した供述書又は被告人の供述を録取した書面で被告人の署名若しくは押印のあるものは、その供述が被告人に不利益な事実の承認を内容とするものであるとき、又は特に信用すべき情況の下にされたものであるときに限り、これを証拠とすることができる。但し、被告人に不利益な事実の承認を内容とする書面は、その承認が自白でない場合においても、第三百十九条の規定に準じ、任意にされたものでない疑があると認めるときは、これを証拠とすることができない。
○2  被告人の公判準備又は公判期日における供述を録取した書面は、その供述が任意にされたものであると認めるときに限り、これを証拠とすることができる。

刑訴法320条は伝聞調書の原則禁止と言う原理で、被告人以外の人の供述書は原則として証拠に出来ないのですが、322条で被告人の不利益承認供述=自白は任意性に疑いがない限り証拠に出来ると言う原則です。
人は、自ら不利益なことを言う筈がないから、自分で不利益なことを言う=自白するならば確かだろうと言う自白重視原理の表明です。
ところが実際には、人は弱い者で、いろんな状況下で刑事に迎合してやってもいないことを言えば、刑が軽くなるかと思ったりして妥協してしまう傾向があります。
良く知られているところっでは痴漢疑いで逮捕されたサラリーマンが半年近く拘束されて裁判していると会社に知られてクビになってしまうことから、認めれば罰金程度だと言われると刑事に迎合して認めてしまうリスクがあります。
大阪地検特捜部の事件以来、流行になっている取り調べ可視化問題と言うのも、証拠としての自白の重要性を前提に自白取得過程を録音録画しよう(しゃべらないといつまでもられないようにしてやるからな!とかの脅しや拷問がなかった証拠のために)と言うだけです。
自白の重要性を前提に今も議論が進んでいると言えるでしょう。
話題がそれましたが、内心意思は外形行為が伴わない限り誰も分らない・・今の科学技術を持ってしても分らない点は同じですから、共謀罪においても内心を意思を処罰するのではなく、内心の意思が外部に出たときで、しかも第三者と共謀したときだけを犯罪化するものです。
即ち自分の意志を外部表示するだけではなく、「共謀」と言う2者以上の人の間での意思の発露・条約文言で言えば「相談する」→「表示行為」を求めることにしています。
共謀するには内心の意思だけではなく、必ず外部に現れた意思「表示行為」が必須です。

上記のとおり、共謀罪も、表示行為を実行行為としたのですから、内心の意思プラス外形行為を成立要件とする近代刑法の仕組み・・証拠法則は残されています。
表示行為と言う実行行為を要件にする点において、内心の意思のみを処罰対象にしない・・実行行為を要求する近代刑法の枠組みを守っていることになります。
共謀の実行行為が要請されている点では近代法の原理の枠内ですが、殺人や強盗の実行行為ではなく準備段階を越えて更にその前段階の共謀と言う意思表示・内心の意思に最近接している行為を実行行為にしている点が危険感を呼んでいるのでしょう。

共謀罪8と立法事実5

共謀をしているだけで法が予め決めた実行行為をしない限り、検挙すべきではないと言う意見は、「襲撃計画だけ決めたがいつ実行するかはまだ不明」と実行予定者から堂々と警察に予告されても、通報者が凶器等を準備していない限りその通報者の動静を見張っている程度で放置しているしかない・・放置すべきだと言う意見になるのでしょうか?
(未遂を罰する犯罪では、凶器を持っていなくとも実行に着手するとその段階で検挙出来ますが、例えば殺人行為に着手するまで放置するのでは目の前に警官がいない限り間に合いません。)
共謀罪新設反対論者はアメリカとは違い拳銃等所持自体が禁止されているので、これらを所持していればその段階で拳銃発砲前に検挙出来るのが根拠のようです。
しかし、仮にヒットマンを予め特定出来て警官が張り付いていても、ヒットマン数人が何も持たずに殺害目的人物にくっついて歩いていたばあい、その段階では何も持っていないので予め検挙出来ません。
誰かがその場にイキナリ拳銃やナイフあるいは爆発物やサリン等毒物を届けてその瞬間にバラまくようなやり方だと事件防止に間に合いません。
凶器がなくともイキナリ飛びかかって数人でしめ殺すことだって出来ます。
スーパー等への爆破予告や食品に毒を入れるなどの通報をすれば、脅迫罪や業務妨害罪になりますが、警察に対して店名を言わないで抽象的爆破計画通報だけでは社会不安が起きても脅迫罪や業務妨害にならないように思いますが、共謀罪反対運動をやっているプロではないのでよく分りません。
※ ただし、カナダ議会乱射事件のように一人計画の場合、事前把握しても共謀相手がいないのですから、共謀罪処罰法が出来ても処罰も検挙も出来ません・・今の時代一人で犯行計画している限り大勢の計画より害が少ないので、まだまだこの程度では我慢しなければならないと言う価値判断でしょう。
実行者が一人でも、大勢で練り上げた計画の方が被害が大きい場合が多いので、複数人で計画した場合との程度差をつけるのは意味があります。
既存法で見ても傷害行為等の実行前段階である凶器準備「集合」罪があるように、集合・・集団化すると、その結果発生する被害規模が大きいことを立法の理由にしています。
日本に共謀段階で処罰しなければならないような事態・必要性が起きていないと言う日弁連意見書は、日本社会を標的に破壊するようなテロの動きが現実化していないと言う狭い意味と思われます。
1〜2週間前に判明した元北大生の事件やサリン事件に参集した若者の特徴・・社会からの孤立・・個人的閉塞感が容易に・・短絡的に過激派の勧誘に応じてしまう土壌は、地下鉄サリン事件以降収束して行くどころか、拡大して行く一方だと思うのが普通ではないでしょうか?
北大生がテロ組織イスラム国兵士に応募していたとしても、それは日本社会を標的にしたものではないから、日本には共謀を罰しなければならないような危険な事態がまだ起きていないと言う主張になるのでしょうか?
仮に我が国は標的にされる心配がない・・我が国で、いくらテロ行為の謀議や訓練・準備されていても野放しにしておいて良い、被害を受けるのはアメリカやアフガンや中東諸国だからと言うような受け取り方をされてしまう論理が国際的に通用する議論でしょうか?
秘密保護法の場合も同じですが、日本だけ知る権利を守ると主張して秘密をダダ漏れにしていると、友好国が日本と特定秘密を共有したがらない弊害が指摘されています。
(発明発見競争の激しい現在、いろんな秘密をとり放題・・軽微な刑罰しかないのでは、経済的に重要な影響のある時代・問題です)
以上一般弁護士の目で見てきましたが、我が国でも共謀段階での取締の現実的必要性が高まっている・・いわゆる立法事実があると見るのが普通ではないでしょうか?
日弁連意見は、日本には共謀だけで処罰しなければらないような事態が起きていないと言うのですが、サリン事件はまさにそうした重大事態が現実に発生した事例だと思いますが、この辺は専門的に反対運動をしていない素人(一般弁護士)の意見です。

共謀罪7と立法事実4

犯罪の前倒し化は、交通事故や工場災害・ストーカーその他個別パターンごとの事前行為の類型を定めて、事前行為段階の規制を類型的に強めている・・この規制違反を犯罪とする方向で社会の安全を図って来たのが現在社会です。
政治家で言えば賄賂になる前の段階・・政治資金規正法での帳簿整備義務・・虚偽記載や形式的不記載程度でさえも大事件になっていることは周知のとおりです。
このように実際の賄賂収受や公害発生・交通事故発生を待たずに、その前段階の規制とその違反による摘発の前倒しを進めて来たのが現在社会です。
産業構造・社会様式変化等に即した類型化・・大量発生が予測される分野では事前規制方式で何とかなりますが、テロに関しては、次々と最新テロ方法が生まれて来るし、事前類型化し難いのが普通です。
犯罪者はその都度(法網をくぐり抜けるために)個別の新たな工夫をして来るのが普通です。
予め国会や省庁が規則等で指定する方法以外の犯行を工夫する・・次も同じサリンでやろうとする集団は滅多にいない筈です。
その意味ではサリンなんとか法は、後追いで慌てて作ったものの、同じ方法で実行する団体は多分でないでしょうから、法があること自体に意味がある程度しか機能していません。
犯罪集団の工夫の方が先行する傾向があるので、新たに工夫された犯罪準備行為を見つけてもこれを規制する法律がない場合、検挙出来ない現行法体系では、治安機関は反抗グループが現実に犯罪を実行するのを待っているしかないことになります。
仮に法で事前指定した方法でテロ組織が準備したとしても、最近のテロに関しては、サリン事件や9・11のように瞬時に大規模被害が起きる可能性が高まっているので、実行を待っているしかないのでは社会の安全感を阻害します。
反抗グループが準備する薬品や凶器が法で指定されたものではなくとも、殺人やテロの計画自体が発覚した以上は、どんな薬品を作っているか(不明としても)に関わらず手入れ出来る法律=共謀罪が必要という意見は合理性があるように思います。
これは私がこのコラムを書いていて思いついた程度の事例ですが、国際条約の議論では、私の知らない極秘の情報・・情報機関が世界中で起きたいろんなテロ計画を把握しながら阻止出来なった事例・・計画段階で阻止出来れば、かなり有効と言う事例が大量に(秘密)報告されて議論の対象にされて来たと思われます。
法律家の言う立法事実が現に起きているか否かの具体的議論が、共謀法反対論の議論からすっぽり抜けたまま、立法事実もないと断定的に主張されています。
このように具体的な議論を抜きにしたままの共謀罪反対論者の意見によると、日本には、共謀段階で処罰しなければならないような立法事実がないのに、外国の都合に強制されているかのような主張になります。
しかし日本のサリン事件発生こそ、上記のように犯罪実行前でもこの計画が分れば、共謀罪処罰規定がないとどうにもならない重要な事例の1つとして世界中を震撼させた・・世界に先駆けた立法事実だったのではないでしょうか?
アメリカの9・11事件以降過激テロ組織「イスラム国」等の台頭で、武器の準備をしなくてもゲリラ要員募集をしていて、これに応募していた北大生が出国寸前であったことが最近分ったばかりです。
殺人行為をやってくれる人の募集や、犯罪行為の仲間募集をネットでやっていて、これに応じて殺人実行した事例も出ています。
これらを野放し・・ネット公開しているのを警察が把握していても「犯行計画を練り上げるのは許されたことだから自由にやっていなさい」と凶器等を準備していない限り殺人行為実行まで放置しておいて良い訳がありません。
ただし、私は一般の弁護士でしかなく、その道のプロではありませんのでプロから見れば、それはそれで別に検挙する法律手続があるから共謀罪が不要と言うのかもしれません。
このコラムで繰り返し書いてきましたが、私は弁護士と言うだけでそれぞれの専門家から見れば素人ですから、素人的疑問を書いているものに過ぎず、学術論文ではありませんのでそのつもりでお読み下さい。
世の中は素人の方が多いのですから、共謀罪法案に反対している委員会・・プロ集団・・日弁連が世論に訴えようとしている以上は素人弁護士にも分るように主張して欲しいものです。
近代刑法の精神のどこが危険に瀕するのか、人権擁護のために対応努力すれば足るのか対応不能かなど具体的に書いて欲しいものです。

共謀罪と組織犯罪防止条約5(立法事実2)

私は大部隊出動ニュース(カナリアまで用意して行きました)を見て「なんだ前から分っていたのに泳がしていたのか?」と家族で話し合ったものですが、今になってみると当時サリン製造していることが分っただけでは、警察としては何か事件を起こしてくれないことにはどうにもならなかったからではないかと思われます。
アメリカの9・11事件では、ビル崩壊の状況がビル解体に使う爆破とそっくりであって、飛行機が上の方でぶつかって上から崩れたにしてはおかし過ぎることや、アメリカの政府高官が一人も犠牲にあっておらず、情報に疎い日本の銀行マンが大量に被害を受けるなどからブッシュのやらせ事件ではないかと言う意見が根強くあります。
「やらせ」かどうかは別としても、情報機関が大方の計画をつかんでいても、実際にどの飛行機を乗っ取るかまでは分っていなかったと言うこともあり得ます。
(テロリスト実行犯をあちこちの空港に待機させておいて、どの飛行機に乗り込むか3〜40分前に連絡しテロ道具支給する場合、実行直前の盗聴が出来ない限り事前摘発出来ません)
こういう大規模被害を未然に防ぐには、実行する前の計画が発覚した段階で規制や検挙出来る必要があります。
この教訓からでも、アメリカ政府が乗っ取り計画を把握した段階で検挙したいと主張しているとすれば(議論の詳細を知りませんが・・)合理的です。
我が国も、法が予め決めた決めた定型行為に着手する前の共謀段階で検挙したいと言う立場だったのではないでしょうか?
そうとすれば我が国でも既に共謀罪の制定の必要な社会状況・・法律家の言う立法事実が発生していたことになります。
ただし、以上は飽くまで共謀罪制定問題の委員でもない門外漢・素人である私の推測です。
私はこの議論の素人ですが、素人しての希望は、プロが反対論を展開する以上は、単に近代法の精神に反すると言うスローガンだけではなく、現在は近代から2世紀も経過していて社会も大幅に変わっているのですから、現在社会に生きている素人が・・現在社会ではどうなのかの疑問を抱くのが普通ですから、この疑問に答える説明が必要です。
20世紀以降は大衆社会とひとくくりに言われていますが、2世紀前には反乱等を企画出来るのは地域有力者なり、軍資金の出せる一定の勢力を保有している限定された勢力を監視していれば良かったのですが、数日前に起きたカナダ議会での乱射事件のように名もない個々人が一人で結構大きな事件を起こせますので、土豪・有力者など監視していれば良かった2世紀前までとは段違いです。
あるいは元北大生がテロ組織「イスラム国」に参加するために出国しようとしていたことが話題になっていますが、ホンのちょっとした閉塞感から孤独な若者がひょっと過激組織に共鳴してことを起こす危険が高まっているのが現在社会です。
19世紀までの刑事法制は「結果が出てから処罰するのが刑法の原則で、例外的に(殺人のような重大事件に限って)未遂を罰する」法体系でした。
刀や槍での殺傷中心時代ならば、武器の準備は目に付くし、結果が出てからでも(秋葉原事件のような大事件もありますがそれにして爆発物やサリン等ほどの大規模化リスクはありません)大したことがないので、この程度で処罰するのがえん罪や不法な逮捕を防ぐ・人権意識とバランスが取れていました。
これが反対論者が錦の御旗にしている近代刑法の精神です。
近代刑法が出来たのは絶対王政や独裁政がフランス革命等で倒れてからの新理念ですから、成立時の政治情勢・・革命前時代に対する反動と言う面を無視出来ません。
絶対王制かあるいは専制君主制・独裁制下での恣意的連行を防ぐ意味もありましたが、先進国(中国や韓国ではまだ人権侵害の危険性の方が高いでしょうが・・)では、司法機関の独立性が高く最早そうした恣意的逮捕・検挙は滅多に出来ないし、仮に恣意的逮捕しても訴訟手続が完備しているので、無罪になってしまい・・政権の打撃になるので滅多なことは出来ない時代です。
今では、・・そちらの危険よりは社会不安を煽るテロ被害・・社会防衛の方が心配な時代に入っています。
社会防衛思想はナチス刑法で強調されて発展した思想だったので危険思想化する傾向があり・・我々も刑法の勉強ではそのような本バカリ読んで育ったので無意識のうちにそう言う思想が身に付いています。

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