民主国家と人民論の矛盾3

一知半解というか青い主張に対する社会の支持が広がらない結果、唯我独占傾向が進むといよいよ社会の理解を得られなくなって孤立化する一方→唯我独尊的特殊集団になり、暴発集団化します。
共産党は視野狭窄.偏執狂に陥らないように自己抑制している様子ですが、そうすると弾き飛ばされる跳ねっ返りが行き場をなくします。
左翼からも阻害された超原理主義者の集団化は、精神病者の集団化現象に似ているともいえるでしょうか?
日本では連合赤軍・・浅間山荘事件やオーム真理教事件などがそれに当たる・・国際的に見ればいわゆるテロ組織でしょうか?
以上の次第で人民という用語が廃れるわけですし、現在民主国家における実力行使正当化論は時代遅れであり、アウトローの集まりでしかないというべきでしょう。
専制支配国家→正義に基づかない規制や処罰=恣意的処罰・権力行使が許される社会では、正義の裏付けのない強制となりますのでこれに抵抗するのが正義の実現行為である場合もあるでしょうが、民主主義のルールに従って制定された法秩序を自分や一定の党派が気に入らないからといって抵抗権があると主張してこれを実力行使で秩序破壊するのを許すならば、民主主義社会が成り立たない・裸の実力闘争社会になります。
民主主義社会においての人民論は、民意による政治に従わない→民主主義社会を否定する主張となります。
抵抗権行使によって実力闘争に勝ち抜けば支配者になり政府権力に抵抗すべき人民ではなくなるのですから、中国や北朝鮮政府が朝鮮民主主義人民共和国、中華人民共和国と名乗り人民解放軍、人民日報、人民銀行・人民元などというのは言語矛盾です。
政府は人民の代表だから、人民は政府に従うべきという意味でしょうか?
国内武力闘争に勝ち抜いた以外に、人民の代表という根拠が不明です。
内乱・反乱軍が政府転覆に成功して政権樹立後も反乱軍とか反乱政府と自称しているようなものです。
実際には、人民は権力闘争に庶民が利用されて捨て駒に使われるだけですので、政権獲得後、邪魔者扱いで反乱軍として弾圧される側に回ります。
いわゆる草莽崛起の末路です。
人民用語が一般化されていない江戸時代には草莽と呼ばれていたのですが、草莽に関するウイキペデイアの説明です。

幕藩体制が動揺をきたした18世紀後半以後、在野もしくはそれに準じた豪農・知識人層(江戸幕府に対して直接意見を進言できるルートのない人々)の中に、自らを「草莽」になぞらえ政治的主張をする者が出現した。それが19世紀に入ると尊王論や攘夷論と結びつき活発化する。
黒船来航など西洋からの圧力が大きくなった1850年代に入ると、吉田松陰らによって「草莽崛起」論が唱えられた。吉田らは武士以外の人々、すなわち豪農・豪商・郷士などの階層、そして武士としての社会的身分を捨てた脱藩浪士を「草莽」と称し、彼らが身分を越えて、国家を論じて変革に寄与して行くべきであると主張した。
これを受けて、1860年代にはこうした草莽が尊王攘夷運動や討幕運動に参加していくことになる(奇兵隊・天誅組・生野組・真忠組・花山院隊・赤報隊など)。しかし、攘夷という方便に利用されただけであったことに気づかなかった大多数の人々は、討幕がなると、討幕とは逆の「開国和親」というスローガンをかかげた政府によって手のひらを返され、反乱を起こすもののトカゲの尻尾切りよろしく大量に打ち捨て殺された(士族の反乱、奇兵隊の末路など)。結果的に、明治政府へ組み込まれた者は頭がよく使えるごく一部であり、大半は政治的敗者として姿を消すことになった

人民・・当時の用語でいう草莽に関するウイキペデイアの解説は、〇〇チルドレンや付和雷同型の本質がよく出ている印象です。
小池都知事の都民ファーストに共鳴して参集した多くのチルドレンが、当選してみると話が違うと不満を持つのと同じです。
すぐに運営方法に対する不満で都民ファーストを脱退したか?批判意見を展開していた都議がいた記憶です。
反NHKで昨年総選挙時に参加して東京都区議に当選したばかりのユーチューバーが、運営に不満で?離党したようですが、末端ほど純粋ですので実際に運営が始まると齟齬が生じます。
庶民は権力闘争に利用されるだけで権力闘争が終われば、ご用済みになってきたのが中国歴代王朝交代時に大動乱の結果でした。
「王候相なんぞ種アランや!」というスローガンを掲げていた育ちの悪さが売り物であった?漢の高祖であれ、朱元璋であれ、天下を取るまで付和雷同して付き従った多くの武将を粛清していきます。
武将の場合范蠡の有名な言葉・・・「飛鳥尽きて 良弓蔵れ 狡兎死して 走狗烹らる。」で表現される実態で誰もが知っている現実ですが、雑兵等に関しては、誰も気にしませんが、平和が来ると真っ先に無用になります。
秀吉の天下統一以来、武功を挙げた功臣・武将の出番がなくなった不満から家康についた豊臣恩顧の大名らは、徳川政権確立後次々と粛清・戦国大名の取りつぶしが行われたのも同じです。
徳川家だって政権を握ってみれば、無駄な兵力がいらない点は同じです。
社会のあり方を見通す眼力もないのに、ただ日頃の不満のはけ口として?煽りに乗る時局便乗・付和雷同型の人材は政府転覆に成功すれば、今度は邪魔者になる運命です。
新政府構築・・真っ先に必要な政治は治安回復です・・小難しい細かな法の縛りを破って奔放に暴れ回る人材は真っ先に標的になります・・に向けて役に立つ能力がない大多数は結局弾圧される方に回る仕組みです。
漢の高祖は庶民出身で最もバカにしていた儒教の礼式を彼が天下を取って真っ先に採用したと言われています。
権力を握ればルールに従わせる必要が生じるので、ルールになじまない彼らが真っ先に邪魔になる運命です。
社会のあり方を見通す眼力もないのに、煽りに乗る時局便乗・付和雷同して政府転覆に成功しても、新政府で役に立つ人以外の大多数は結局弾圧される方に回る仕組みです。
人民が人民(思慮不足)のまま権力を握れることはありえないのが現実でしょう。

民主国家と人民論の矛盾2

人によっては俺は生まれ付きの人民だという人もいるでしょうが、それは国民主権国家においては主観的思い込みであって、ありえない論法です。
日本で生活しながらこういう考えに凝り固まっている人たちは、現実社会のあり方を見ずに旧ソ連や北朝鮮、中共政府支配下の社会を前提に、悲惨な人民状態を日本現実社会と同視して政府の抑圧から人民開放をする必要があるという主張をしている矛盾がありそうです。
人道主義を標榜するならば一党独裁という現代的専制支配に苦しむ人民解放するために中国や北朝鮮人民のために運動するのが普通ですが、左翼系は文化大革命賛美に始まり中国政府等の厳しい言論弾圧や環境破壊を批判するのを寡聞にして聞いたことがありません。
これを日本政府否定に結びつけようとしているので(論理の倒錯が激しすぎて)訳が分かりにくくなるようです。
韓国の決まり文句「歴史を知らないものは・・」式の慰安婦・教科書その他批判は、自分の非(歴史無視の主張)を日本の非と置き換えているので、論理の無茶加減で国民が驚いて辟易します。
このような論理の倒錯は一瞬相手をたじろがす戦法・・「鬼面人を驚かす」論法と同じ戦法でしかなく、短時間しか効果を持ちません。
中国や北朝鮮のように、国民の声など問題にしないと公言する一党独裁体制の場合独裁機関幹部以外は皆人民でしょうが、民意による政治を行い民意の支持を失えば権力を失う仕組みになっている社会では、民意によって出来上がった法を民意による法改正でなく暴力で無力化する行動を正当化する余地がありません。
思想表現の自由がある社会で自分の主張がほとんど支持されないのを相手が悪い、国民レベルが低いから、言論によるよりは暴力革命が正しい式の論法では民主主義社会が成り立ちません。
政治は無数とも言える不確定要素の複合で成り立っているので、戦車一台戦闘機1機の費用で〇〇が出来る式の単純論理・・学校で習った程度の勉強成果を主張する程度では、大方の国民が納得する筈がないので支持されないと自己の不足を反省するのではなく、国民レベルが低いのだと開き直る方向に行くと大変です。
彼らの暴力革命が仮に成功すると、(本当は自分らの思考が硬直的すぎて無数にある変化係数を理解できないだけですが)人民は蒙昧だから政府が指導する・・1党独裁が正当化され、この完徹のための情報統制に走る宿命です。
中国が今回のコロナ型肺炎蔓延初期に「普通の肺炎ではないのじゃないか?と言う医師間のネット情報交換さえ禁止して彼らを犯罪者扱いで拘禁したのがその好例です。
政権獲得成功しない多くの国では、生き方に柔軟性のない者の集団が出来上がり、仲間内での傷の舐め合い現象が起こり、自分らの主張を理解しない庶民大衆の頭が悪い→議論では無理だから革命あるいはテロしかない!的発想に落ち込み謙虚な姿勢がなくなります。
これが戦後共産党の武力革命論だったように理解していますが、独りよがりが支持されず急速に国民大衆の支持がなくなりました。
警察庁かな?の意見は以下の通りです。
https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten269/sec02/sec02_01.htm
警備警察50年  現行警察法施行50周年記念特集号
第2章 警備情勢の推移
1 暴力革命の方針を堅持する日本共産党

暴力的破壊活動展開(昭和20年代)

1 占領下での勢力拡大

第二次世界大戦終了後、公然活動を開始した日本共産党は、敗戦直後の国民生活の窮乏と社会不安を背景に党勢の拡大に努め、昭和24年1月の衆院選では35議席を獲得し、10数万人の党員を擁するようになりました。
2 「51年綱領」に基づく暴力的破壊活動を展開

日本共産党は、同党の革命路線についてコミンフォルムから批判を受け、昭和26年10月の第5回全国協議会において、「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」とする「51年綱領」と、「われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」を決定しました。
そして、この方針に基づいて、20年代後半に、全国的に騒擾事件や警察に対する襲撃事件等の暴力的破壊活動を繰り広げました。しかし、こうした武装闘争は、国民から非難されるところとなり、27年10月の衆院選では、党候補は全員落選しました。

51年綱領廃止と現綱領
1 略
2 現綱領の採択
・・昭和36年7月、第8回党大会が開催されました。そして、同大会で「現在、日本を基本的に支配しているのは、アメリカ帝国主義とそれに従属的に同盟している日本の独占資本である」とする現状規定や、民主主義革命から引き続き社会主義革命に至るという「二段階革命」方式等を規定した現綱領を採択しました。
・・・両党大会や綱領論争の過程における党中央を代表して行われた様々な報告の中で、革命が「平和的となるか非平和的となるかは結局敵の出方による」とするいわゆる「敵の出方」論による暴力革命の方針が示されました。

日本共産党の現状
1 略
2 規約、綱領の改定
・・16年1月の第23回党大会で、昭和36年7月の第8回党大会で採択して以来5回目となる綱領改定を行いました。
改定の結果、マルクス・レーニン主義特有の用語や国民が警戒心を抱きそうな表現を削除、変更するなど、「革命」色を薄めソフトイメージを強調したものとなりました。しかし、二段階革命論、統一戦線戦術といった現綱領の基本路線に変更はなく、不破議長も、改定案提案時、「綱領の基本路線は、42年間の政治的実践によって試されずみ」として、路線の正しさを強調しました。
このことは、現綱領が討議され採択された第7回党大会から第8回党大会までの間に、党中央を代表して報告された「敵の出方」論に立つ同党の革命方針に変更がないことを示すものであり、警察としては、引き続き日本共産党の動向に重大な関心を払っています。

政府による共産党の戦後史を見てきましたが、私の体験では暴力革命論挫折後「自分たちが前衛であり蒙昧な労働者に権利要求権の自覚を植え付ける使命がある」とする姿勢が顕著でした。
平成初めころのことですが、いわゆるブル弁希望の司法修習生に労働系事務所の実習を経験させた方が良いと思って私の同期の労働系法律事務所に2〜3日実習を勧めて会内留学に出したことがあります。
その後報告を聞いたところ、ある日夜労組の集会に出かけていわゆるオルグをする状態を見学できたという報告を聞機、良い経験ができたね!と答えました。
最近日弁連や単位会で推進している法教育活動がいつからどういう経緯で始まったかよく分かりませんが、教育内容を見る限り従来のオルグ活動が難しくなった変形版ではなく推進している担当者も(私の知る限りですが・・)思想的偏りがなさそうですのでお間違いのないように。

社会に応じた言語力2

2月7日の公務員と労働法の続きですが、労使であれ夫婦(離婚騒動)であれ親子(意見相違)であれ兄弟(相続争い)であれ、上司と部下(パワハラ)であれ全て内部関係は対立をはらんでいます。
なぜ公務員に労働法規が不要か?別立てにする必要があるかの実質的説明が欲しいものです。
国民は全て同胞といっても、国民同士でも敵味方があり相争うことが多いから国民同士の争いを裁くシステムが発達してきたし、ルールが整備されてきたのです。
消費者を王様と持ち上げていても代金不払いや万引きがあれば、敵対関係になります。

憲法
第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
○2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

公務員と国民一般は原則として対立する機能を持っていませんし、逆に全体の奉仕者です。
ただし王様であるはずの顧客でもクレーマーや万引きに対しては、販売員が厳正対処する必要があるように国民全体に対するルール違反者=犯罪に対して公僕が国民を代表してルール違反者を検挙するなどの利害対立が生じますが、この場合はあくまで例外関係です。
その時には一般国民同様の法の適用を受けます。
国民と公務員は、公職についたり退職によって時に入れ変わることを前提にしているので、原則として入れ替わることを予定していない身分ではありません。
しかし、人民と政府とは、相容れない恒常的対立関係概念を予定しています。
人民概念は人民と政府権力・支配層が原則的に対立関係にあることを前提にしていますので試験や選挙等で被支配者が支配者と入れ替わることを予定していない対立概念です。
明治憲法制定者の真意は、権力の手足である官だけでなくもっと遠い関係にある民を含めて臣民一丸となって迫り来る欧米諸国に対抗すべきという含意だったのでしょうか?
臣民とは臣と民があるという意味ではなく、臣民一体化の強調の趣旨だったとすれば合目的的ですし実際に成功していたように見えます。
今でも大災害がある都度同胞意識・絆意識の再生産が行われますし、明治憲法の前文にもこの趣旨がにじみ出ています。
明治憲法前文
朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ・・・・。
「朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ」といわゆる大御心を「朕カ親愛スル」と表現し「祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民」と先祖代々大事にしてきたよ!という書き出しです。
平成天皇の被災地訪問の繰り返しは、まさに恵撫の実践でした。
国民全てが天皇の恵撫に感動して臣民一丸になれば、臣民以外の刃向かうべき人民はいないはず→明治憲法の臣民論は人民論を根こそぎ抹殺する含意だったことになるのでしょうか?
人民と官とは同じ国民であっても特定の機能側面に限定した概念です。
ある人が生産活動や販売に従事する場面では生産等の供給側ですが、自己の生産品や販売活動以外のその他大多数商品やサービスに対しては消費者であるように消費者概念はその時々における側面の分類です。
例えば反乱軍や反政府デモ隊員もこれの警備出動した政府軍兵士や警備中の機動隊員も、国民か否かのレベルでは双方とも国民です。
特に一般デモ行動は、政権支持者のデモもあるし、いろんな目的(同性愛の婚姻合法化、LGPTなど)のデモ行進があります。
警官が非番の日に何かのデモに参加すること自体は自由なはずですが、特定政党支持を明らかにするのは全体の奉仕者としての信用に関わるので(事実上かな)ダメとされているようです。
特定政党支持ではなく、保育所をもっと増やしましょうとか、わが町に美術館を!というようなデモに参加してはいけないとは思えませんが・・。
支配されていた国民が抵抗権行使する場合だけを人民と言うとすれば、日常的に国民性を否定するものではなさそうです。
国民か外国人かの定義のレベルではなく次の小分類・国民内のサラリーマンか経営者か、大企業従業員か中小企業従業員か、ある人がある時は消費者であり、ある時は供給者側の人間であるなど、その時々の行動によって立場の変わるレベルの分類でしょう。
人によっては俺は生まれ付きの人民だという人もいるでしょうが、それは国民主権国家においては主観的思い込みであって、ありえない論法です。
中国や北朝鮮のように、国民の声など問題にしないと公言する一党独裁体制の場合独裁機関幹部以外は皆人民でしょうが、民意による政治を行い民意の支持を失えば権力を失う仕組みになっている社会では、民主的に出来上がった法を実力で無力化する行動を正当化する余地がありません。
民主国家における実力行使正当化論は時代遅れであり、アウトローの集まりでしかないというべきでしょう。
専制支配国家→正義に基づかない規制や処罰=恣意的処罰・権力行使が許される社会では、正義の裏付けのない強制となりますのでこれに抵抗するのが正義の実現行為である場合もあるでしょうが、民主主義のルールに従って制定された法秩序を自分や一定の党派が気に入らないからといって抵抗権があると主張してこれを実力行使で否定するのを許すならば、民主主義社会が成り立たない・裸の実力闘争社会になります。
実力闘争に勝ち抜けば支配者になり人民ではなくなるのですから、中国や北朝鮮政府が人民民主主義国と名乗り人民解放軍、人民日報、人民銀行・人民元などというのは言語矛盾です。
内乱・反乱軍が政府転覆に成功して政権樹立後も反乱軍とか反乱政府と自称しているようなものです。

公務員と民間との違い2

白と黒を合わせると灰色と習った記憶ですが、灰色と言わずに知と労をくっつけて「知的労働」というのは白と黒を合わせた単語を白黒あるいは、白的黒というようなもので、あんちょこすぎます。
しかも労に主眼を置いてこれに知的という修飾語をかぶらせただけですから、労働者であるがちょっと知恵を使うものという程度の意味でしょうか?
そういう目で見ると最近の医師の勤務時間の長さと肉体的負担の重さを見るとほぼ過酷労働者の範疇にあると言っても良いイメージです。
教職員の勤務実態も過酷です。
雇用・使用者と被雇用者という定義は、誰かに従属する「支配🆚被支配」「主観・客観」「主体的🆚従属的」等々の2項対立的に何でも区分けする西洋的思考の応用っぽい表現法です。
国民と言わずに人民と言いたがる風潮と同じで、仕事の代わりにいかにも苦役をイメージさせる労働概念の刷り込みをやり過ぎたのではないでしょうか?
4〜50年以上前にはフランスの長期バカンスや、リタイヤー後の旅行三昧を羨ましそうに報道していましたが、日本が豊かになり、長寿社会になった昭和末頃からそんな暇だらけの老後を羨ましいと思う人は滅多にいなくなったのでフランスの長期バカンスを羨ましそうな報道がなくなりました。
日本では昔から「仕事」が大好きで、それに打ち込めるのが最大の幸福という考え方の人が普通です。
すなわち誰が支配するかの基準での分類ではなく、「ことに仕える」のが多くの人にとって生き甲斐になる社会でこれのない人は可愛そうというのが一般的です。
最近コト消費化が盛んですが、日本人はもともと仕事・・何か「コト」にのめり込んで生きがいにするのが大好きですから、幾つになっても仕事をしたい人が多いのですが、いつまでも労働したい人はあまりいないでしょう。
生活な糧を得るため仕方なしにするのが労働であり、仕事はある程度義務感があってもその「こと」の従事するのが天職と考えて頑張るのが仕事です。
例えば子育ては角度によっては義務ですが、それは充実感のあることです。
我々弁護士業務も、受任した以上契約上の義務がありますが、だからと言って奴隷労働ではなく、仕事であって充実感のあるものです。
仕事と労働とは楽しさが違うものです。
いつから労働者という言語が定着したかですが、国民の仕事熱心を阻害し[ことに尽くす]国民性を破壊するために、奴隷労働などマイナスイメージ拡大力が戦後急速に力を得たのでしょうか?
そもそも戦前の労働者保護法は、工場法を先駆としているのですが、その工場法には労働者という用語は見えません。
ウイキペデイアによれば以下の通りです。

工場法(こうじょうほう、明治44年3月29日法律46号)は、工場労働者の保護を目的とした日本の法律。1911年(明治44年)に公布、1916年(大正5年)に施行された。1947年(昭和22年)に労働基準法が施行されたことによって廃止。
適用範囲
工場法の適用を受ける工場は、制定時の規定では、原則として「常時15人以上の職工を使用するもの」(1条1項1号)及び「事業の性質危険なるもの又は衛生上有害の虞あるもの」(同項2号)であったが、適用を必要としない工場は勅令で除外することができるとされていた(同条2項)。また、1条に該当しない工場であっても、原動力を用いる工場に関しては、主務大臣は、扶助に関する規定等、一部の規定については適用することができた(24条)。
1923年の改正(大正12年改正)により、「常時10人以上」の職工を使用する工場に適用範囲が拡大された。
このように、工場法は小規模工場には適用されず、また、現実には多くの工場が適用除外とされたことから、労働者保護には不十分であった[12]。
一方、工場法の適用にあたっては、「雇傭関係カ直接工業主ト職工トノ間ニ存スルト或ハ職工供給請負者、事業請負者等ノ介在スル場合トヲ問ハス、一切其ノ工業主ノ使用スル職工トシテ取扱フモノトス」(大正5年商局第1274号)と、明確に工業主に使用者責任を負わせるものであったことが、濱口桂一郎により指摘されている。[13]

上記の通り、工場法内には「労働者」という用語はなく、労働者保護の最初の法であるという解説は、「戦後の労働者」という用語を当てはめれば・・労働者保護の走りであると言う意味で使用されていることがわかります。
工場法は昭和22年廃止ですからその時までは職工(通称工員さん・これの対比として女工)と言われていたのであって、法的な意味で労働者と表現されていなかったことになります。
人民という左翼用語が、ほぼ死語になったのに対し、職工を労働者という左翼用語が戦後すぐに法律用語に採用されたことになります。
労働の用語は以下の通りロシア革命以降かな?頻繁に出てきます。
労農党でウイキペデイアを見るとすぐに以下の用語が出てきます。

労農党(ろうのうとう)は、日本における無産政党、革新政党の名称。おおむね「労働農民党」か「労働者農民党」の略称であることが多い。
労働農民党 – 1926年に結党された、左派の合法無産政党。
労働者農民党 (1928) – 上記「労働農民党」結社禁止ののち、再建をめざすグループ(新党組織準備会)により1928年結党され、即日禁止処分を受けた無産政党。
労農党 (1929-1931) – 上記「労働者農民党」解散ののち、1929年に結党された左派の合法無産政党。一般には「新労農党」の通称で知られる。
労働者農民党 – 1948年、日本社会党から分かれて結党された革新政党。
日本労農党 – 1926年、上記「労働農民党」から分かれて結党された中間派の合法無産政党。「労農党」ではなく「日労党」と略されるのが普通。

政府が労働という用語を使用していなかった点は、人民という用語を明治憲法が採用しなかったのと似ています。

是枝監督の政府祝意辞退と公権力2

脱俗と経済・社会基盤に戻ります。
日本の歴史上有名寺院が、権力者の子弟を受け入れて出身身分に応じてすぐ高位に就任できるには、相応の経済関係があってのことです。
例えば、6代将軍足利義教は急遽還俗したものです。
ウイキペデイアによると以下の通りです。

足利 義教(あしかが よしのり、正字体:義敎)は、室町幕府の第6代将軍(在職:1428年 – 1441年)。第3代将軍・足利義満の子。母は側室の藤原慶子で、第4代将軍・足利義持の同母弟。僧侶時代は義円(ぎえん、正字体:義圓)、還俗直後は義宣(よしのぶ)と名乗った。
・・・・応永26年(1419年)11月に153代天台座主となり、「天台開闢以来の逸材」と呼ばれ将来を嘱望されていた[要出典]。その後一時大僧正も務めた

世俗と縁を切ることができるのは、権力や経済力がバックにあってこそ可能です。
漂泊の詩人として有名な西行法師も世俗バックの仕送り(だけでなく安全保障)があってこそ、世俗との縁を切って諸国行脚できたのです。
是枝監督は公権力と距離を保つというのですが、年金も健康保険も保育園も生活保護も救急車も駅前広場や高速道路も交通整理も、飛行機便の発着が安全に行えるのも何もかも政府が関わっているので、政府の関与することには一切世話にならないというなら主張が一貫しますが・・。
そこまでの覚悟があるならば、ゴーン氏が外国に逃亡したように、活動の場を外国に移してからいうべきではないでしょうか?
このあとで書いていきますが、政府は国民の代表ではありますが、公共の福祉に反する行為(主に犯罪)を取り締まる秩序維持の機能があり、これが公権力を背景にしているのですが、現在では表現の自由の関係で映画内容には公権力介入の余地が皆無と言えるでしょう。
各種助成金審査も権力意思と遠く離れたそれぞれ業界の人材で構成される委員会等で審査されるのが一般的です。
芸術文化系審査はその最たる分野でしょう。
このように公権力介在と縁の遠いはずの分野の人が、なぜ公権力と距離を置くという理由で補助金交付機関の代表らの祝意を跳ねつけたのか?です。
社会全体の基盤の上に成立しているのが文化・スポーツなどですから、特定分野の興隆に直接応援したこともない国民でも、自国出身者のノーベル賞受賞や国際大会での活躍等を誇らしく思うのです。
まして具体的補助金を受けていながら、その補助金交付機関代表者からの祝意に対して「距離を保つ」と称して拒否するのは異常ではないでしょうか?
大相撲で内閣総理大臣杯授与という儀式がありますが、優勝者の決定に権力介入の余地がないし、その他書道会などの各種展示会での大臣賞(地方の菊や盆栽展では県知事賞?)など枚挙にいとまがありません。
こういう場の表彰に「公権力から距離を置く」とあえて禍々しい権力を持ち出して、否定的評価を演出すると格好いいのでしょうか?
格好いいと評価する人と不快感を持つ人がいるからニュース価値があり報道を賑わしているのでしょう。
不快感を持って欲しいと願って発言する人がいないとすれば、彼の関係者にはこういう姿勢を歓迎・評価する傾向の人が多いからでしょうか。
芸術表現が結果的に政治影響力を持つことがあり得るし、それ自体構わないというか当然の効果としても、内面表現をした結果政治的反響を呼ぶ・政治効果を持つ場合と政治主張を通すために表現したのとでは意味が違うように思われます。
政治活動であれば言動に対する政治責任を負うべきですし、芸術でもその表現によって実際に不快に思う人がいれば、不快感レベルに応じた報復を受けることになり結果責任を負うのは同じかもしれません。
政治主張するための芸術表現利用が激しくなれば、対立勢力も対抗上これを行う芸術家と組むようになるでしょうし、芸術業界全体が自ら政治介入を招くようになりますが・・。
ここにきて昨年だったかの愛知ビエンナーレ騒動を想起しました。
芸術活動を標榜すれば、天皇や政敵肖像の大型映像を引き裂いたり、踏みつけたりして騒ぐのも良自由だという主張をするようになれば、かえって芸術活動そのものへ信用を落とし芸術・文化を冒涜し貶めることになるのではないでしょうか?
我が国が誇る和歌・俳句、能や歌舞伎・源氏物語や浮世絵が、政治批判したからレベルアップしたのではありません。
どんな主張するのも言論の自由としても、言論戦は言論の自由市場でやるべきで絵画、彫刻、音楽映画等々は、それぞれその分野で頑張れば良いのであって、そこで負けそうだから違った分野から応援を求めるのはいわば、リング外の場外戦に持ち込もうとするようなものです。
争いには一定のルール・・自ずから品位が必要ということでしょうか?
国内言論戦で負けているからか、左翼系は国連人権委員会の決議がどうのという外部権威を持ち込みたがります。
しかし日本の国情に合うかどうか・・民族の知恵・総意が何かの議論をするのに、よその人の意見が国民総意より優先するかのようにいうのは・・論理矛盾です。
まして今回の新型肺炎に対する科学的事実認定にさえ、中国のゴリ推しが国連機関の意見表明の決め手になるような(印象を受ける)国連機関の現状を見るとなおさら国連意見に頼る人らの信用性に関わるでしょう。
死刑廃止論の根拠に諸外国の死刑廃止がどうなっているという主張が多いのですが、国内政治そのものである刑法の処罰・特に死刑のようなものは(電子商取引や税関のあり方など技術的分野と違い)宗教観・死生観と絡み民族意識が最も強固な分野ですし、商取引の商品と違い、民族個性があっても無理が少ない分野ですので、これを決めるのに国際標準を持ち込むのはおかしな風潮です。
アメリカに比べて弁護士数が少ないというが日本には膨大な周辺士業がいるのに米国では税理士や司法書士あるいは不動産の宅建資格などの業者がなく皆弁護士とカウントされている違いがあるように、欧米では死刑廃止している代わり犯行現場で容赦ない射殺が行われている日々の報道・現実を無視した議論が多いようです。
日本では現場射殺される事件は何十年に1件もないでしょう。
今日の日経新聞夕刊13ページには茨城県で警官跳ねて逃走した車に向けて発砲したとの見出し記事がでいていますが、これだけでニュースになる社会です。
日本民族では生命尊重の精神が行き渡っていて、(猿など野生動物が出ても追い回すばかりです)現場での射殺は恐れ多すぎる・裁きは神に委ねたい日本人の深い心情を表しているようです。
キリスト教の精神が死刑廃止論に影響しているかいないかの議論が提起されて、死刑廃止論はキリスト批判の学者の議論から始まっているからキリスト教精神と関係ないという意見がありますが、神が死んだとニーチェが言えば彼の思想の根元にキリストの影響がないという人がいるのだろうかとふと気になりました。
キリスト教の布教でなく単なる欧米思想だったら死刑廃止論が正しくなる訳ではないでしょう。
要するに民族の死生観・むやみやたらに殺生して良いのか?と・死刑はダメだが犯人射殺は現場判断で良いというのは、牛肉を食べても良いがクジラは許さないという議論とどこか似ていませんか?
キリスト教がない社会でも無宗教社会でなく別の宗教がある場合があるし、シャワーのない社会でもお風呂があるし、米がないから野蛮でなく小麦加工が進んでいる社会もあるなど、パスタがないから野蛮でなく、うどん、そうめんやそばがあり、それぞれの社会ごとに補完する何かがあるので、どちらが合理的かは別問題であって何でもそのまま取り入れなければならないと言えません。
ニュースを見ると欧米では現場射殺が多いのですが、欧米諸国における年間犯人射殺数を公開してその関連で議論してほしいものです。
以下の通り銃乱射のような事件でない・・刃物を持っているだけでも安易に即射殺が欧米流儀です。
https://www.bbc.com/japanese/51352236

ロンドン南部で男に刺され3人負傷 仮釈放中の容疑者を射殺
2020年02月3日

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