業界組織と政治2(農協法1)

以下に書いて行きますが、農地解放→零細農家(・・最大で夫婦で耕作出来る限度・・水田で言えば1町歩を基本にした)ばかりにして事業的農業を根絶させたことと、一方で農業を束ねる組織として自然発生的な同業者の集まり・業界組織を作れないように、自営農がまだ出来ていない・・農地解放中に、頭から法律で農協法を制定して事実上加入強制してしまったことが、戦後農業の長期停滞を招いてしまった原因と思われます。
これは財閥解体と似ていますが、財閥解体の場合、理念的には自由競争促進目的であって労働者に工場設備を分配したのではなかったのに対して、農地改革の場合、産業発展の視点がなく、社会主義的分配に視点が置かれていた点が大きな違いでしょう。
財閥解体はコングロマリット的会社を事業別に切り分けたり、独占的な場合これを分割したので結果的に規模が小さくなっただけで、それぞれ経営者または(公職追放があっても)経営訓練を受けている次順位者が残りましたが、農業改革?の場合、経営したことのない小作人に直接、しかも経営体として成り立たない・・元小作人が食べて行くのが漸くのような細分化した農地を配ってしまいました。
細分化された結果、個々人では(草むしりの仕方や稲刈りの仕方など手元の工夫は自由に出来ますが、業態変換等の大きな発想)創意工夫が生まれ難いので、放っておけば普通は自然発生的な自主的業界組織が生まれて来るものです。
業界が育って自発的工夫を待つには余裕が無かったからか、あるいは悪意だったか分りませんが、農地解放の制度設計と同時に上からの制度設計・・・・中央からの指導を中心とする農協法が制定されています。
農地解放が始まっても具体的にどうするかの手続、・・地主から買収規模や地主に残す範囲の決め方・・買い上げ価格その他膨大な手続がありましたので、日本全土で実情調査して実際に地主から政府が買い上げてこれを小作人に売り渡す手続は、昭和20年代一杯かかっているの普通です。
私は、農地買収された農地を、買い戻す裁判を元地主から頼まれて国相手に訴えて勝ったことがありますが、そのときに買収記録等を読んだこともありますし、いろんな土地取引に出て来る土地登記簿の移転時期の記憶も一杯ありますが、多くは昭和27〜8年ころに集中している印象(うろ覚え)です。
明日以下に紹介するように、まだ買収手続さえ具体的に始まっていない段階の昭和22年に農協法が制定されて、上からの「指導」が規定されています。
食うや食わずの小作人に農地細分化して分配した上で、自主的業界団体が生まれるのを阻止するかのように、(コミンテルン的発想では自由な発想は困るので正しいやり方でしょう)農業のあり方は農協に聞きなさい・・と言う制度を真っ先に作ってしまったことになります。
農協は日弁連と違って強制加入ではないのですが、元零細小作人にとってはまじめに働いて耕作して来ただけ・工場労働者が工場を貰っても原材料仕入れや新製品開発・販売をどうして良いか分らないのと同じです。
必要な肥料や種苗・機材その他仕入れ経験がないし、産物を都会の市場に出荷した経験すらないのでどうして良いか分らない・・当時はまだ個人が車を持っている時代ではありませんから、やり方が分っても事実上自分で長距離運搬することも出来ない・・こう言うときに農協に入れば、共同出荷・・農協に持って行けば農協がまとめて出荷してくれる、肥料その他機材も共同で安く買えますよ・必要資金も面倒見ますと勧誘すればみんな加入することになります。
まして大方の方向が決まると一人だけ加入しないで、村社会で除け者になることが出来ません。
元小作人は一人残らず加入し、しかも赤ちゃんのように手を広げて待っていれば、農協から今度はこう言うものが売れそうだから植え付けましょう、こう言う除草材ありますよと言う「指導」が来て、必要な機材はこう言うものです・・例えばビニールハウス・・買い付けや工事業者の手配もします、ブドウやナシ栽培の実技指導します、資金も貸しますとなれば、個々人の創意工夫能力が成長するどころか退化して行く一方になるのは必然です。
中央の指令・指導に従う「待ち」の仕組みと営利を目的にしない分配に適した全国統一組織を創設して、中央からの指導に事実上縛り付けてしまったことにより、農民の自発的工夫努力する意欲を奪ってしまったことが、長期的な農業停滞を導いて来た原因・・制度設計が間違っていたと思われます。

恐怖政治2(讒言社会)

中国の場合、今でもサイバーテロと言うかアメリカからの高度科学情報窃取が国策みたいになっていますし、(アメリカは機密防衛に必死ですがうまく行ってないようです・・)上が上ですから下の民間も先進国の民間技術の剽窃行為をやって何が悪い?と言う意識です。
恐怖政治下では処罰は苛烈ですから、必賞必罰と言えば聞こえが良いですが、発明発見と言うものは、あたるのが万に1つみたいなもので、大方は失敗ですから、自分でやって失敗すれば過酷な責任をとらされるのではリスクが大き過ぎます・・こうして人の手柄を横取りする・・リスクの少ない方向に社会が走ります。
こう言う社会では、人のアイデアを盗んで自分の手柄にすれば良い・・出世出来るのですから、独自技術の発達は無理でしょう。
民間で言えば、自分で研究して百回失敗するよりも、他人が何回も失敗した挙げ句に成功した成果を盗んだ方が手っ取り早いと言う価値観です。
これは確かに効率が良いのですが、この種の価値観が蔓延している社会となれば、自分で米を作ったり魚を捕って来るよりも人の作った米やとってきた魚を盗んだ方が効率が良いとなる理屈ですから、社会秩序が保てません。
知財剽窃の酷さでこの基礎的道徳レベルが偶然世界に知られるようになりましたが、社会の本質はもともとそう言うところです。
専制君主制下では、同僚間の足の引っ張りあいが政治の主な仕事ですから、讒言相手をおとしめる技術・手練手管は発達します・・。
中韓両国は世界中で日本の足を引っ張るのに精出している・・この手の手練手管にかけては経験豊富なので日本に負ける訳がないと中韓両国が豪語しているのは、2000年にわたる権謀術数・・足の引っ張りあいの歴史経験を自己宣伝していることになります。
日本的価値観から言えば、こんな恥ずかしい自己宣伝をしないものですが、・・恥ずかしいことを自慢していることすら分っていないほど、変な価値観にどっぷり浸かっていることになります。
アメリカ政府高官(次官)が、日韓が「過ぎた過去にこだわってばかりいて喧嘩しているのは困ったものだ」と4〜5日前に発言したことに対して韓国は気が狂ったみたいに大騒ぎしています。
これに反応した暴漢が駐韓アメリカ大使に斬りつけて大けがを負わせる事件が昨日ありました。
韓国は戦後はアメリカ支配(・・中韓流解釈によれば新たな専制君主)を前提に、皇帝に讒言するやり方そのままに「日本がアメリカの戦後支配に反抗している・謀反を企んでいる」と言う讒言外交・・告げ口・宣伝に邁進して来たのです。
ところがその後の世界情勢の変化で、アメリカ(専制君主)自身の方針が変わって来て日本批判をこれ以上して欲しくなくなって来た・・日本批判が却ってアメリカの不興を買ってしまったのを知って慌て始めたことになります。
私のコラムでは、中韓の反日運動は全てアメリカが背後でこれを期待して後押ししていることに根源があると繰り返して書いているとおりの結果です。
噓だらけの宣伝は、いくら派手にやっても時間の経過でバレます。
料理がまずいのに、如何においしいかをサクラやネットを使って宣伝しても、実際に食べに来た人には噓がバレるのと同じです。
その内頼まれて噓を言っていた人もバツが悪いので、噓を言えなくなって行きます。
今では、東南アジアその他世界中で日本人の誠実さが身近に浸透していますので、中韓やアメリカは日本の悪口を言うことすら、出来ない・・相手にいやがられてしまう状態になりつつあります。
日本は中共政権に負けた訳でもないし、韓国と戦ったこともないのに、アメリカの決めた戦犯に拘って靖国参拝を大々的に批判し、中国がアメリカの対日戦勝70年を大々的に祝うパレードをするのを日本人は不思議に思っています。
韓国や中国が日本に勝ったかのように宣伝するのは、全て日本に勝った新たな専制君主国アメリカへのお追従外交としてみれば納得が行きます。
古代から自分が参戦しなくとも、戦勝国へ近隣の小国がお祝いに集まるのと同じ図式と思えば良いのです。
それにしても戦後70年も、お祝いを言い続けるだけでは物足りなくて、アメリカに気に入られるように日本をけなし続ける韓国・・日本敗戦当時今の政権すら出来ていなかった中国が、対日戦勝70年記念大パレードを続ける神経に驚く人が多いでしょう。
お追従・告げ口外交がいつまでも効果あると思い続けているのが不思議ですが・・2000年間も停滞社会しか知らないので、戦後七十年も経過して社会が変化して行くことを身体の芯で理解出来ないからでしょうか?
「バカ」の語源を何回も紹介していますが、権力さえあれば馬を鹿と言っても誰も反対出来ない・・こう言う社会で2000年もやって来れば真実や正義などどうでも良い、・・強い者に尻尾を振り続けることが行動基準になります。
中国では毎回同じような王朝が生まれては倒れるの繰り返しで、我が国のように順序だった社会構造の変化がなかったのは1強に屈従した上で相手を蹴落とす術数だけに智恵を使って来た歴史によります。 
現理主義の行き着くところは、北朝鮮や中国支配のやり方が世界に広がると言うことです。

原理主義による支配2(恐怖政治1)

習近平氏による恐怖政治の可能性・持続性ですが、中国(韓国も別に書く機会があれば書きますが・・)の民度では、そもそもいろんな意見が並列する社会で利害調節する政治をするのは無理があると思われます。
恐怖政治・・テロの打ち合いが長続きしない社会とは、ある程度民度が進んでいる社会であって、民衆の方がテロの打ち合いに嫌気をさしてみんなで彼らを追い出す方向へ向かう場合です。
イギリスのクロムウエルやフランスのジャコバン政治はすぐに国民の支持を失ってしまいました。
中国や韓国あるいはロシアのような民度の場合、テロの打ち合いをやるだけやっても国民が蜂起しない・・その結果誰かが最後に恐怖政治の頂点・専制君主や共産党トップの独裁者の地位を確立することになります。
中韓のような民度の場合元々譲り合いが出来ない社会ですから、ややこしい利害調節よりは、おっかない権威が1つだけあってピラミッド型にびしっと服従する体制の方が分りよくて居心地が良い・・社会かも知れません。
後進国では独裁制が似合う・・これしかないと書いて来ました。
利害調節型社会の政治闘争とは、利害調節を政敵よりも上手に調節して人心をつかみ、トップに躍り出ることを目的にする政治闘争の社会です。
これに対して恐怖政治下ではトップを窺う姿勢を示すと直ぐ粛清されますから、そんなことは出来ませんし、不要な能力となります。
調整能力があること・・ちょっと芽を出しただけで、危険人物視されてしまい、出世競争の相手がご注進に及ぶ告げ口によってさっさと粛清されますので、生き延びる智恵としては自分が御注進・告げ口する方に回るしかありません。
専制政治や恐怖政治社会では、社会を良くする方向への知恵を働かすのはむしろ危険で専制君主・独裁者に対する忠誠心競争・・・・負けたら獄入ですから競争相手を如何にして蹴落とすかに腐心する権謀術数の限りを駆使することになります。
スターリンのように恐怖・専制政治が確立するとその王朝下でトップの権威を争う・・取って代わる可能性のある政治を出来ず、忠実な臣下・部下として気に入られるための出世競争をするだけですから、こう言う社会では社会の変革や経済発展は殆ど期待で来ません。
恐怖専制政治下では、いかなる高位高官・・大官といえども、朝出仕したらその日の君主のご機嫌次第で、いつクビチョッパーされるかの心配が100%ですから、国家の命運などは二の次三の次の関心です。
こうして上から下まで、データや報告は都合の悪いことは出来るだけ伏せる・・良いことは多めに報告する・・これが専制政治下にある王朝や独裁・共産主義国家の普通の姿です。
ソ連経済は虚構の大発展発表ばかりだったことが崩壊後明らかになっています・・・・。
共産党政権下の中国でも経済が解放されてみると、それまでの大躍進の発表はまるでインチキ何千万人も餓死していた大失敗だったことが分りました。
最近の高度成長の発表も、実はかなりの水増し発表の繰り返しであることが知られるようになって来ています。
政府発表に始まって、世の中全て噓で塗り込められている社会では、庶民に至るまで何から何まで噓ばかりになるのは、仕方のない社会道徳になります。
・・その結果王様も情報から裸であることに気がつかない哀れな存在になります・・裸の王様の寓話のとおり、ソ連末期にゴルバチョフが必死になって実際の経済状況を把握しようとしても官僚が従来通りの報告を上げて来るばかりでどうにもならなかったと回顧録か何かで述べているようです。)
思想の自由がないと新たな発想が生まれないと言う高尚な視点で言えば、一神教のキリスト教が国教化=自由な思考禁止された後のローマが停滞し、これを引き継いだ西洋中世は暗黒の時代と言われて殆ど進歩がありませんでした。
宗教改革・・宗教戦争が終息・・違った価値観を相互に認めあいましょうとなって、初めて産業革命期に入って行ったことになります。
思想の自由のないソ連の宇宙科学が一見発展したかのように見えるのは、アメリカの宇宙科学を必死にスパイして作り上げたものと言われていますし、中国の核兵器や宇宙開発も同様です。
独自性のない国家がどこまで真似しても世界トップになることは出来ません。

原理主義の本籍(1神教)2

西洋では長い宗教戦争の時代を経て漸く理性の力で信教の自由を相互に認めあって、殺し合いをやめることにしましたが、これは理性の力によるものであって、1つの価値観だけが正しいと言う基礎精神・心情はそう簡単に変わりません。
日本では権利だの革命だのと言う前の古代からお互いいろんな考え方があると言う意識でやって来た・・心底相手の違う考えを認める社会です。
私の場合、好き勝手な意見をこのコラムで書いている代わりに、読者が賛成してくれても、賛成してくれなくとも、私は気にしません・・好きなように読んでくれたら良いし、勿論読まなくとも良いのです。
2月17日に午前中の東京高裁事件を終えて、日比谷松本楼で妻と食事してから日生劇場で同性愛カップルをテーマにした(80年代にブロードウエー初演大ヒットしたとのことですが)・・のミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」を見てきましたが、「何で関係ない他人が他人の同性愛に反対するのか、アメリカ社会は窮屈な社会だなあ」と思いながら見てきました。
勿論ミュージカル自体は男性中心スタッフで、ダンスには「切れ」があって、楽しかったですよ!
「アメリカの思想は窮屈」と言えば、アメリカが自分が良いと思っている民主主義とか人権など、一定の価値観が良いとなればこれを世界に押し付けたがる点も、余計なお世話ではないでしょうか?
欧米では宗教戦争を漸くやめて〜市民革命を経て違った価値観を認めることにしたとは言え、考え方の基礎に一神教の価値観が残っているから今度は「民主的でないと行けない」と世界中に強制しようとしています。
他方、ソ連は共産主義が良いとなればこれを世界に広めようとしてコミンテルンを結成して布教?に努めた結果、いわゆる米ソ冷戦が起きました。
要は一神教の原理から逃れられず、どちらの生き方が良いかの決着を付けるためには戦争まであり得る前提でしたから、一種の第二次宗教戦争の意識で双方で頑張って来たことになります。
アラブ諸国では、1神教のままで、西洋のように宗派の違いによる宗教戦争の時代すらまだ経験していません。
ところで、イスラムの教えはダウ船の発達による商業活動の広がりにあわせて広がって行ったことを以前書いたことがありますが、(アラブの本拠地に比べてインドや湿潤な東南アジア諸国とは、気候風土が全く違いますので、硬直した教えでは広がらなかったと思われます)キリスト教のように異教徒に対してさえ排他性が少なく、寛容な宗教なので、ましてや宗派間のちょっとした違い程度で殺しあいの紛争が起きなかったのではないかと思われます。
この辺は日本人が宗派の論争にあまり価値を置かない・・一見無宗教のように見えるのと根が同じ・・通じ合えるのではないでしょうか?
日本人の場合、「郷に入りては郷に従え」と言うように「所変われば品変わる」と思うのが普通で、他所の国に行けば「へえーそんなこともあるの!」と違いに驚いて面白がるくらいが関の山で、気候風土の違う行った先で日本の価値観を押し付けたいと思う人はあまりいないのではないでしょうか?
日本列島は南北東西に長いので、行く場所ごとに気候が違えば同じ作も持つで作る時期順序も違うし、違った産業(山村から海岸に出れば漁業があるなど)作物があるので場所が違えば生き方が違うことが古代から自然に身に付いています。
行った先の気候にあった生活をするしかないのは当たり前のことで、現地社会に溶け込むように努力している・・目立たないことが生きる智恵ですから、移民先で日本人街を作りません。
このように考えるとイスラム教徒は意外に日本的価値観に近いかも知れません。
今原理主義が勢いを持って来たのは、あまりもキリスト教的価値観による侵蝕・押し付けに危機感を持った若者が出て来たことによるのでしょう。
日本であまりにも韓国・中国による激しい日本に対する攻撃に対して、一部日本人に嫌韓・嫌中感情が芽生えて来たのと同じ構図です。
これをマスコミは日本や先進国では極右とか極左と言い、アラブでは原理主義とレッテル貼りしているだけのように見えます。
アラブ諸国の騒乱をイスラム原理主義勢力によるとマスコミが定義付けしていますので、皆さんもそのように理解していると思いますが(私もこのテーマで書き始めるではマスコミの言うとおりに誤解していました)が、まだ内部宗派間対立による激しい戦争まではやっていません。
原理主義だとか極右・極左と相手を貶めるレッテル張りだけでは、モノゴトの本質が見えないことが分ってきました。

原理主義と利害調整5(未成熟社会2)

現政権打倒を叫ぶ原理主義勢力は、現政権に反対している点で一見民主主義勢力のように見えますが、目的とするところは逆です。
軍事政権が欧米価値観と妥協して少しずつ戒律を緩めて自由化していることを批判しているのですから、彼らが政権を取れば、正面から原理だけ・・即ち一党・1神教独裁(イスラム諸宗派内でも、より純粋?硬直的教義実行を主張しているのですから、一応西欧的信仰の自由などを認める妥協的軍事政権や王制よりも、もっと偏狭な政権となります。
「文句を一切言わせない・原理の修正を一切しない結果→強権政治を!」と言うのが、原理主義運動の本質でしょう。
イランのパーレビ国王の専制体制を転覆したのはアメリカのカーター大統領の人権外交の成果?でしたが、実際に政権を取った原理主義者は、政教一致の原理主義で厳格な戒律が復活して(女性は外に出られない・スカーフの着用強制など)却って国民は不自由になってしまいました。
原理主義のママでは現実政治を(紅衛兵運動みたいな吊るし上げ・・恐怖政治は長続きしません)長期的にやって行けないので、その後徐々に穏健派が勢力を増やしていますが、もとの王制で得ていた程度の自由を復活するには数十年〜50年単位の時間軸で、かかるかな?と言う程度です。
それでも欧米の強制・押しつけられた結果より、自分たちの実力で選んだ政体の方が幸せと言う価値観で国民の不満を慰めているのでしょう。
民族は、自分たちの能力に応じた政治しか出来ないと言うところに落ち着くしかないようです。
イラクのフセイン大統領の圧政から解放した筈のイラクでは、収拾がつかなくなっているし、アフガンでも同様です。
数年前のチュニュジア、リビアに続くエジプトの政変では、民主化?された結果、信教の自由をある程度守っていた政権の重しが取れたことから、キリスト教徒に対する差別や迫害が始まっていたようです。
4〜5日前に起きたリビアでの、テロリスト「イスラム国分派?」によるエジプト人のキリスト教徒大量処刑事件は、エジプト騒乱・・民主化デモ以来の迫害から逃れるためにキリスト教徒が隣国リビヤへ出稼ぎに出ていたことが、事件発生の背景のようです。
事件は単なる政治闘争である「イスラム国」の過激事件と言うよりは、元々宗教原理主義=異教徒に容赦ない本質があぶり出されたことになります。
世俗政権であるエジプト軍事政権は、欧米の支持が欲しい以上はこれに報復攻撃するしかないのですぐに空爆で報復したのはこのような背景があるようです。
関係のない日本人人質処刑などで「イスラム国」が敵をドンドン増やして行くのは、一見愚策のように見えますが、元々彼らは多数の支持を得ること・・正義を目的としてはいません。
テロリストはテロで騒ぎを起こすのが目的・・一種の愉快犯であって、恒久的政権・・国民支持が必要な領域確保まで望んでいないのですが、たまたまイラクの元フセイン政権の残党(元軍人)がこの主力となっていることからか、「イスラム国」として一定の支配地域を確保したことで事態対応がややこしくなっているだけです。
テロリストの本音から言えば、支配地確保・・自分でいろんな意見を吸収しながら政治することに関心がなく、テロリストはテロすることが自己目的です。
テロリストがての結果一定の地域を支配してしまうと、その地域でテロする訳に行きません・・精々イキオイに乗って残虐性政治しかないのですが、それでは続かないし支配下の弱い人間をいたぶるだけでは面白くないでしょう・・。
昔から山賊は気まぐれに出没している程度だからやって行けるのであって、その集落や地域支配者になってしまうと必要な政治能力がありません。
彼らの本質は支配地を持たずに、第三者の支配地で騒ぎが大きくすればなるほど・・権威に挑戦することが楽しいのであって、対キリスト教の宗教戦争に広げて行けば、当面アラブ全域で自分たちの影響力・騒ぎを広げて行けると読んでいるからでしょう。
この辺・・テロ組織イスラム国主力の元フセイン軍残党の方は領域支配に関心がありますから、騒ぎを世界に広げて行くと折角の支配地域維持確保が出来なくなるので、拡大策への不満が生じて来て・・意見が割れて行くと思われます。

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