金儲け社会と新しいルール1

目の前の人が、身内・親族がしっかりしているか、犯罪歴あるのか借金を踏み倒したことがあるのか、約束時間を何回守らなかったか・・一々小うるさくてもめごとの絶えない人かなどの、情報が一切ありません。
今後はカード会社が個別に信用情報(借金に限らずいろんな情報)を書き込む・・これによってパソコン上で質問してその応答の仕方によって、本人該当か盗用しているかの区別をする時代が来ると言うだけのことです。
今でも、家族氏名や生年月日などよどみなく言えるか本籍を言えるか程度のテストがありますが、それに加えて経歴資格に合わせた専門知識の質問など増えて、どこで、誰にあったことがあるかなど詳細になって行くと思います。
敢えて誤摩化すためにトボケて応えると別人か?と間違えられてしまうリスクもあります。
こうなってくると、認知症になった人の場合、別のカードが必要です。
マイナンバー法による情報一元化に対する反対論者がいますが、民間サービスは今やそんなどころではない時代が始まっています。
店舗ごとの顧客情報では、顧客の購買履歴が丸ごと分っていますし、ネット関連では、顧客がどの情報にアクセスしているかによって、次々と関心のある情報が先に出て来る仕組みです。
ネット利用の分析によれば、もしかしたら阪神ファンか巨人ファンかの区別さえ出来る時代が来ていますし、嫌中嫌韓か、親中・親韓かも分る仕組みをとろうと思えば作れているでしょう。
こうした傾向分析は民間の業者別だから国の一元管理化とは性質が違うとも言えますが、業者情報一元化すればたちどころにある人の輪郭・その日の行動・(持っている洋服屋アクセサリーのデータから、)着ている洋服まで予測出来る可能性があります。
従来のように同じ村の人だからとか、日本人だからある程度信用出来るとか、中国人は要注意・信用出来ないとか不清潔などと言う人種別情報ではなくなって、この人は過去にどう言うルール違反をしたことがある・・したことがないと言う細かな情報が提示されるようになると(そんなことは許されないと言う意見は当然あるでしょうが・・)、大雑把な人種偏見を防げるかも知れません。
日本人でもフランス人でもカードを持っていないと本人確認や本人情報がないので、信用出来る人かどうか不明・・ホテルやレストランやデパートなどに入れないし買えない時代が来るのでしょうか?
果物も私の子供のころはどこそこの組合産はいくらと言う銘柄による大雑把な値決めでしたが、個別に糖度測定等で価格が付く時代になるかも知れません。
ブランドと言う信用商売は崩壊します。
大分前にタカジンの番組で見ていると、銀行へたまに行くと銀行員が寄って来て「お久しぶりです」と頻りに世間話した後で、「ところで今日は何の御用で?」と聞かれて「預金を下ろそうと思うて来た」と言うと本人確認書類を見せて下さいと言われたと言うくだりがありました。
かなり前から既にカードやデータ中心 社会になりつつありますが、これがマイナンバー制度が普及確立して行くと、更に進化することが可能と思われます。
中国人がのさばって、紙幣偽造が多くなって、現金取引お断り・カード決済のみとなれば、コンビニや商店街ではカード認証のない人は入店拒否するシステムにすることも理論的には可能です。
デパートがそこまで行くには大分時間がかかるでしょうが、専門店・例えばバーバリショップ等ブランド専門店ではこの程度のこと・・会員制の合理化として、やってもおかしくありません。
平成の初めころにパリで散歩中に良いものを売っている様子の宝石店があったので、日本国内の気分で気楽にちょっと入ろうとすると、厳重な分厚い鉄のドアがあって、カギを開けてくれて中に入ると薄暗い店内に銃を構えたガードマンらしき人が立っていました。
妻が宝石を見せてもらっている間に、退屈してしまって、子供らと中庭に出ようとすると、また銃を持った人が付いて来るなど物騒な社会らしいのには驚きました。
今なら500万円以上キャッシング・買い物出来るようなカードを持っていない人は中に入れない程度の設定で入り口でチェック出来るのではないでしょうか?
カードを使って入店するシステムにすると、銀行や宝石店強盗がカードを使って入店するとカードに入出点記録が残ってしまいます。
今でも、犯罪者は被害者盗難被害車両を利用するように、銀行強盗を計画する人は盗んだカードを利用して入店する・・カードの場合には、その他本人確認のやり取りが必要にするなどのイタチごっこが続きます。
こう言う時代が来ると、一旦ブラックリストに載ると何年間かで消えるまで、商店街やデパート等にも立ち入れなくなる大変な時代が来ます。

非武装平和論4と集団自衛権反対論2

以下、集団自衛権論の内容実質に入ってみたいと思います。
集団自衛権反対論は、友好国の応援など要らない・結果的に中韓の言うとおりに「領土を寄越せ」と言えば抵抗せずにハイと渡す・・慰安婦や南京虐殺で批判されれば事実如何に関わらず言うとおりに謝罪する・・謝罪が足りないと言われればまた謝罪する・・これの繰り返しで足りないとなれば巨額賠償をする・・それでも数年して蒸し返されるとまた賠償を繰り返せと言うこそが、平和を守る道だと言うことでしょうか。
私の実務経験によるとヤクザの手口は以下の通りでした。
(過去形になっているのは、このような典型的手口は直ぐに刑事事件になるので今はもっと巧妙です)
何かの言いがかりで押し掛けたヤクザは、「金を求めているのではない、先ず誠意を示せ」と言うやり方で始めます。
・・いくら謝っても誠意が足りないと言い、いつまでも帰ってくれないので、(本音は金に決まっているので)仕方なしにいくらお金を包めば良いですかと言うのを待っている・・そこまで行けば、交渉の峠は越したようなものです。
少しのお金を包むと、俺は金を要求しているのではないとうそぶく・・もっと包むと俺はそんなものを求めて来たのではないと逆に怒る・・この繰り返しの末に巨額のお金になったところで、「折角そこまで言うのならば・・」「俺は金が欲しくて来たのじゃないが、お前さん骨折りに免じて受け取ってやる・言っておくが俺は金で満足している訳じゃないぞ!とこの先もっと来る権利?を留保して引き上げて行くのが普通のやり方です。
中韓の要求するまま、何ら抵抗せずに沖縄から九州〜四国・中国地方〜近畿〜東海地方と順次引き渡して、ロシアは北海道から、韓国は壱岐・対馬から要求して来るでしょう・・行く行くは、日本全土が中国や韓国の支配下に入って行けば平和?を守れるでしょう。
いじめっ子に絶対服従して自殺すれすれの生活をしていることが、平和でしょうか?
ウイグル族やチベット側の焼身自殺などの抗議活動や国外逃亡の未遂などがしょっ中報じられています。
日本でも苛められて自殺に追い込まれる子供が後を立ちません。
苛められている子供がSOSを外部に発し助けを求めることを禁止するのが、子供のためになる平和な行為でしょうか?
警察が来るヒマもなく、ギャングが入って来たときに無抵抗で言いナリなるしかないのは、緊急避難的なやむを得ない行為であって、(さしあたり押し込み強盗との間の闘争が起きず平和を守れます。
しかし無抵抗で押し込み盗に居座られてしまい、救援の警察が永久に来ないで永久的に支配される状態を平和と言うのかの疑問です。
警察官の給与を払うのが無駄だからと言って警察官に給与を払うよりも、「強盗が来ても自宅を占領していてもらった方が、良いですよ!」と積極的にこう言う事態を望む人はいない筈だと思いますが・・。
未だかつて警察制度無用論を聞いたことがありません。
ヒトによっていろんな意見があり得ますが、強盗に居座られて家の片隅でこそこそと生活している方が良いと思う人は、百万に一人もいないのではないでしょうか?
中国や韓国はギャングや強盗ではないし(左翼やマスコミは)積極的に受入れるのだから強盗じゃない・警察にあたる自衛の備えは不要と言うのでしょうが、ギャング等は一定時間で退去して行きますが、中韓の占領・支配下に入れば一定時間どころか、数十年でも済みません・・。
家の片隅でこそこそ生活どころか、外で働いて来た収入までお前の親世代が悪いことしたのだからと継続的に取り上げられるのが目に見えています。
無抵抗で中韓両国の占領を受入れた場合、日本人は何世代も中韓両国の隷属化におかれますが、非武装平和論者は永久的に中国・韓国の支配下に入ることが、何故日本民族が幸福になる方法であるかの説明がありません。
日本に支配された屈辱の報復感情に燃える・・と言うかありもしない事件をでっち上げて日本憎しの映画まで国策で次々と作ってまで国民を煽っているのですから、中韓支配に入れば、ウイグル族やチベット族が悲惨な目に遭っていることの比ではないことが容易に想像されます。 

国民理解と国会議決3

左翼系は、共謀罪法案等では内容批判よりは、古くはプライバシー侵害で何でも反対していましたが、ここ数年では、「近代法の原理に反する」とかのお題目を「素人には分らないだろう式」に直ぐ持ち出してきますが、このような言論封殺的態度を繰り返し批判してきました。
具体的内容の議論よりはこう言う「高尚」?なテーマをイキナリ持ち出す場合、何か都合の悪いことを隠していると見るべきではないでしょうか?
事情聴取中にイキナリ関係のない話をされると我々弁護士も理解に困り混乱することがあります。
これと同じで、イキナリ素人に分らない立憲主義違反とか近代法の法理違反とか持ち出されると、そこで理解作業が中断してしまうのが普通です。
混乱させておいて「国民の理解が進んでいない」と言うマスコミ報道が刷り込まれた後で世論調査で聞かれると「分りません」と言う人が圧倒的多数になります。
そして世論徴すると国民理解を置き去りにした法案強行採決はおかしいと言う方向になるのは当たり前の流れです。
代議制民主制は、堂々と議論したうえで採決して、結論の妥当性・政治責任は次の選挙で国民の審判を仰ぐのが民主制の基本です。
国民を除いた「理解」に絞ると、一般的に法律が出来た後の応用編などは、全てと言っても良いほどの法律では、詳細を定める政省令や通達・ガイドライン等の実務運用のなかで詳細が決まって行くものですから、前もって全部知っておかねばならないかのような前提のマスコミ宣伝自体に偏り・・無理があります。
代議制民主主義とは、何もかも・・どう言う応用場面でどうなるかの詳細まで国民個々人が予め知る必要がないのであって、国民は自分の信用する代議士や地方議員に国政や自治体の条例制定権を委ねているのですから、一応の法案趣旨説明を代議士等から聞いてその方向性に対する賛否を代議士を通じて国民が決めれば良いことです。
※代議制民主国家は、法律や条例ごとに国民の直接意思確認・・国民や住民投票をする制度設計ではありません。
しかも細目まで国会で決めることは無理があるので、詳細は政令や省令・規則等に委ねて更に運用に関してはガイドライン等で具体化して行くのが原則です。
細目や運用基準まで予め法で決められないと言う意味では、集団自衛権の応用編の議論は、警察制度創設する以上はどう言うときに発砲して良いかの議論が先に必要と言う議論を求めているような議論になります。
刑法を作るときにどの程度の暴行行為が傷害罪になるのか、正当防衛はどう言う場合かとか、住居侵入罪は、団地の敷地に入ると対象になるかなどなど、放火と何かとか、どこまで行けば既遂かなど・・そんなこと全て逐一議論していれば10年かかっても決まりません。

国民理解と国会議決2

昨年夏の閣議決定が大問題になっていたときの選挙後半年あまりしか経過してない現在における国民理解とは、選挙結果で推定するのが合理的ではないでしょうか?
マスコミが何の根拠で選挙と関係のない「国民理解」などを主張するようになったのか合理的理解を超えています。
世論調査は聞き方次第ですので、国民世論・・理解を知るには選挙結果に優るものはあり得ないことです。
もっとも極端なパターンで比較してみると例えば、選挙の翌日に特定法案に付いて世論調査して違う結果が出たからと言って、その法案制定に対して、国民理解がないといってマスコミが反対キャンペインすることが許されるのでしょうか?
こんなことが出来たら選挙制度自体が成り立ちません。
法案内容実質の議論を巡って、法案にどう言う問題があるのかを主張し、支持者を増やすのが野党の責務だと思いますが、これを怠って、憲法違反とか、国民が理解していないとかの空中戦ばかりでは、まじめに内容を知りたい・・文字どおり理解したい国民の方がしらけてしまいます。
代議制民主主義制は、庶民大衆の感情的な口論ではなく・・選ばれた人材が冷静合理的討論をすることを前提にしています。
以下は日経電子版の再引用です。

安保法案審議116時間、議論深まらず 違憲論争引きずる
2015/7/16 1:22日本経済新聞 電子版
 15日に衆院特別委員会で可決した安全保障関連法案の審議は約116時間に達し、これまでのところ、2005年の郵政民営化関連法に次いで歴代6番目に長い。もっとも、集団的自衛権の行使を認める内容が合憲なのか、違憲なのかをめぐる「入り口論」にかなりの時間を費やした。議論が深まったとはいいきれない。

国民が理解していない・・と言うマスコミ宣伝は、弁護相談で言えば自分の法的立場の具体的説明の代わりに「みんなが言っている」と言い募るパターンと同じです。
「みんなって誰なのよ?と突っ込みを入れたくなることがありますが・・。
国民の理解を得られないと言う宣伝にネルギーを費やすよりは、野党が自分の主張に自信があるならば、法案内容を具体的に説明して、自分達の意見の方が国民にとってどのように有益かについて野党提案内容こそをアッピールすべきではないでしょうか?
質疑を通して・・これがマスコミ等で報じられて、国民の理解が進むのですから、問題点を明らかにする質疑能力がないことを自己告白しているようなものです。
内容の質疑をおろそかにして、憲法違反などと言うばかりでは、国民が内容を理解し難いのはあたり前です。
民主的議論に負けそうだからと空中戦ばかりに精出して、最後は強行採決は許されないと退席してしまうのでは、国会議員の職責放棄憲法違反ですし、民主制の否定です。
成熟した民主国家とは、議論を尽くした後は採決に応じることであると19日ころのコラムで書きました。
冷静な議論に負けそうになるとマスコミ連動でどの政党支持者を言うのか不明ですが)「国民の理解がない」と言う場外運動ばかりでマトモな議論や採決に応じないのでは何のために選挙制度があるのか分りません。
裁判で負けそうだからとマトモニ主張しないで、裁判引き延ばしばかりしていると弁護士の信用に関わります。
民主党の辻元清美氏だったか蓮舫氏だったかが国会特別委員会でいつまでも質問をしないでだらだらと発言しているので、安倍総理が、「早く質問しろ」と言うヤジを飛ばしたことが、マスコミで問題視されていますが、これは本末顛倒の批判でしょう。
野党議員は疑問があるならば、質疑して国民の疑問を質して行くべきですが、この権利を事実上放棄して関連のない自己意見ばかり述べているのでは職責放棄です。
質疑すべき時間に質疑しないで充分な審議がされていないとか国民の理解がないと言うのでは、自己矛盾ではないでしょうか?
強行採決時に委員長席に詰め寄っている写真が公開されていて、涙声で何かを叫んでいたとも報道されていますが、(もっと具体的に良いコトを言ってるのが報道されないだけかも知れませんが・・)代議制民主主義は冷静な議論しないで、泣いたり騒いだりするために「憲法上)あるのではありません。
民主党が自分だけが知っていると言わんばかりの態度で、主張する立憲主義・代議制民主主義を理解していない行動です。

憲法違反の疑いと司法権2

「憲法違反の法律を許すな!と言っても、そもそも国会が違反かどうかの決定権を持っていないし事前審査制度がないのですから、法案段階で事前規制を言うのは憲法の国民主権主義に反しています・・。
代議士も審議権を持っていないテーマに付いて、国民の支持を求める行為は代議士としての行為ではなく、個人・市民活動の分野です。
憲法違反かどうかは、裁判所以外に誰も決められないことですから、誰も分らないことを前提に主張していることになります。
ですから、これらスローガンで主張している本当の意味は、単に「この法案反対」を「どう言う害があるから反対するかの理由を言わずに・言えずに)憲法違反と言い換えているに過ぎないことになります。
相手の主張に対して反論しないでどうせあいつは「アカ」だから・・・と言うのと同じです。
法案の成否テーマを憲法論にしてしまうと、代議士も法律専門家でないので良く分っていないし、国民も難しい憲法論が分りません・・結局「悪いことなんだな!」と言うイメージ操作・・宣伝次第になります。
この辺は国民理解が進まないと言うマスコミ宣伝も同じです。
「国民理解」などと言う誰のもわからない単語が出て来て、国民が惑わされている点で同じと言う意味です。
具体論で負けそうになると古くはプライバシー侵害と言う外来語を使って惑わし(グリーンカード制その他新技術をこれでいくつも葬ってきました)、この4〜5年では近代法の法理違反〜憲法違反、果ては立憲主義違反〜国民理解が進んでいないなどと次々と抽象概念を繰り出して混乱させる戦法の1つです。
我々弁護業務で言えば、事実説明途中でイキナリ違ったこと、「先生には分らないでしょうが・・」と言って業界隠語などの説明を始める人がいますが、用語説明が終わってから、「用語の意味は分ったがそれと今までの話の流れとどういう関係があるの?」と聞くと何の関係もないことが多く、話をそらせて誤摩化そうとしている印象をうけることがあります。
国会は「言論の府」・・冷静論理的に議論出来る「選良」?が感情論に走らず具体的冷静に議論して問題点を詰めて行き、意見対立が解消されないところで議決して行くことが憲法上予定されています。
内容をマトモニ議論しないで、憲法違反の主張ばかりを平然とする政党があるとすれば、(野党がしているかどうか知りませんが)国会で法律制定権や憲法改正の手続を定めている憲法の制度仕組みを真っ向から否定するもので、・・憲法違反の存在ではないでしょうか?
憲法違反になるから内容の議論に応じられないと言い張っている政党があるとしたら、新規法律制定必要性の実質議論では負ける(国民の支持を受けられない)から、この議論を避けて入り口論で終始しているのでないかと疑われます。
政党はまさか国会ではそんな主張はしていない・・国民向けスローガンで主張しているだけと言う場合もあります。
場外ならば何をしても良いと言うものではありません。
社会変化に対応すべきどんな法律案にも内容の議論をせずに反対することを目的に国会議員になっているとすれば、憲法が予定している立法権・・時代変化に合わせて新規立法を制定し改正することに参加すべき代議士の職務・・立法府・国会の存在意義を踏みにじるもので憲法違反の存在です。
現行(憲法)法に反すると考える法案には内容の議論さえ応じないと言う立場は、自分の気に入らない社会変化対応に全て反対すると言う基本精神を示していることになります。
交通取締法等の改正も排ガス規制強化も増えて来た空き家をどうするかも、社会変化適応によるものですが(考えようによれば私有財産権の制約等憲法問題が背後にありますが・)、この程度の変化対応に付いては憲法違反の議論が起きません。
憲法論が起きるのは、社会のあり方が急激に大きく変わる大変化適応・法制度上も追認して行くかに関する場合でしょう。
基本的に変化に反対する傾向のある(日本の進歩政策に何でも反対するかの背景事情にはいろいろあるでしょうが・・)超保守政党が、大きな変化に対して反対する名目に憲法論を持ち出す傾向があります。
(旧社会党は何でも反対の社会党と言われていて消滅?しました)

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