江戸時代の集落の運営について、村方役人といったり地方役人といったり、地方役人の三役と言うのも通称にすぎません。
結果的に三役と言う制度自体がないし、乙名(後の「大人」の語源?)とか庄屋、名主などの名称あるいはその権限職務も地域や時代ごとにバラバラです。
現在では、会社(社団法人)や財団法人、公益法人等の各種法人の他NPO等々の各種組織が法制度として整備されているのと違い、江戸時代までの末端集落は自然発生的集団である以上運営方法も自然発生的・・法的規制がないので必要に応じて多種多様な内部規範や名称があったと思われます。
古くは保元平治の乱の原因の一つとなった藤原氏の「氏の長者」制度?あるいは源氏の棟梁・・正式には源氏の氏長者(いわゆる村上源氏)が知られていますが、それも慣習的に決まっていただけでしょう。
2月20、21日に入会権のテーマで少し説明しましたが、入会権があるかどうかもわからないようやく何か、権利がありそうとわかってもどういう権利かスラ法で決められない・・内容すら慣習に従うというもので地域によって内部規律のあり方(集団意思決定方式)や権限が違う前提でした。
これでは取引する相手も困ります。
近代社会は、〇〇という商品名が同じであればどこへ行っても同じ商品やサービスが提供される・知らない者同士でも取引がスムースに行くのが便利とする基本です。
近代法の原理は、取引の安全・罪刑法定主義と同根で、遠隔地未知の土地に行っても名称だけ分かればどういうサービスを受けられるかどういう権利があるのかはっきりわかるのが合理的とされる社会です。
小さな子度を連れてしょっちゅう旅行していた頃に行き先によっては歯ブラシがいるのかいらないのかなど(今は規格化されていてそういう心配はないですが・・)準備に大変でしたが、シェラトンホテルというのがあってどこへ行ってもホテル規格の一定サービスが決まっているのを知ってこれは便利だと感心したものでした。
弥次喜多道中同様に意外性も面白いのですが、子供連れの場合何がいるかいらないか(熊本の全日空ホテルに泊まった時に、赤ちゃんのミルクで苦労したことがあります)の事前情報が重要です。
法制化するというこということは、車のメカがほぼ同じ(・・ブレーキとアクセルのペダルの場所が違うと戸惑うでしょう)というのと同じです。
もう一度条文を引用します。
民法
第二百九十四条 共有の性質を有しない入会権については、各地方の慣習に従うほか、この章の規定を準用する。
明治政府の地方制度は、幕末期に存在していた多様な名称や組織のある中で「村」という名称を採用してその内部意思決定機関を政府の意図に合うように「村長」を頂点とする組織体に統一したということでしょう。
ボランテイア組織などは、ある程度組織化していても集団そのものの法人格がなかったので、活動に支障をきたしていましたが、神戸大震災以降ボランテイア活動の価値に注目が当たった結果、簡易なNPO法人化の道が開かれました。
法人化する以上は、内部規律はボランティア組織の自由勝手というのでなく、法の設定した基準に合致する組織や代表者選定ルールを備えるなどの設置基準を満たせば法人格を与える・法制化されました。
NPOに関するウイキペデイアの説明です。
特定非営利活動法人(とくていひえいりかつどうほうじん)は、1998年(平成10年)12月に施行された日本の特定非営利活動促進法に基づいて特定非営利活動を行うことを主たる目的とし、同法の定めるところにより設立された法人である。NPO法人(エヌピーオーほうじん)とも呼ばれる(NPOは、Nonprofit OrganizationあるいはNot-for profit Organizationの略。「NPO」も参照のこと)。 金融機関関係のカナ表記略号は、トクヒ。
従来の公益法人に比べ、設立手続きが容易であるため、法施行直後から、法人格を取得する団体が急増し、2008年(平成20年)10月末現在3万5000を超える団体が認証されている。特に従前は任意団体として活動していた団体が法人格を取得するケースが目立つ(任意団体では銀行口座の開設や事務所の賃借などといった、各種取引契約などの主体になれないケースがあるが、NPO法人であれば法人名で契約が可能である[5])
法人格のある村とそれまでの各種集落の違いは、慣習法的に権限が決まっているだけで誰がどういう権限があるか?
画一的組織でない分取引相手には不明瞭だったことになります。
相手にとっては他所でこういう人と取り決めたら効果があったのに別の集落では、この集落では名主だけではダメだなど多種多様では不便なだけでなく、集落側としても対外的に何かするには、名主というだけでなく「うちは名主だけ署名すれば有効になる仕組みだ」と証明しないと相手が信用してくれないとなればお互い不便です。
こんなことで重要文書には多くの部落で、(公文書の連署の慣例同様に主だった人が3人も署名していればのちに無効問題が起きにくいということから)地方三役の連署が普通になってきたのでしょうか?
明治政府によって政府以外に公的組織がなかった・大名も個人事業主でしかなかったのを、「藩」という公的組織に格上げし、続く廃藩置県で短期間にこれが廃止されて県=政府直轄組織となって県令が配置されることになりました。
律令制崩壊後の郡は地域名としての機能しかなかったのでこれと言った組織化しないまま、その郡内の自然発生的集団に任せていた末端集落を人口密集度に応じて市町村に分類して新編成して独立法人(現在の地方公共団体は公法人です)化させ、その代わり組織基準を明確化したことになります。