サイレントマジョリティー8(アンケート等の重要性1)

弁護士会執行部にすれば、数だけではなく発言力の強い人や戦闘力の強い人がどの程度賛成しているかなどの総合判断で会を当面は運営して行くことになって行く可能性があります。
意向集約結果の単純多数によらないで声の大きいグル−プに圧されることが良いかどうかは、そのときどきの執行部の政治的判断によることです。
総会や集会等でドンドン発言する人が多いと実際にはその意見に納得している人が少なくても何となく集会の多数意見のような雰囲気になることがあります。
投票制度は・・集会で有力者に遠慮があって、発言出来ない「声なき多数」の声を吸い上げるための民主主義の原点です。
民主主義の原点は有力者の意向で政治をすることなく多数の意思によるべきですから、会員多数意見と乖離すると批判を受けることで意見収集方法の透明化・公開など技術基準が整備されて行き、是正されて行くことになるのでしょう。
執行部が会員意思を知るために、意見照会をやっている内に「メール等で集まった意見を無視している」と言う意見が出て来たら、集約方法その他の意見を参考にして、より良く改良して行けば良いことです。
先ずは参考意見を知る程度で良いから、正確でも不正確でも会員意思を探る方向から始めるべきでしょう。
ワンイシューで選挙していないから立憲主義違反と政権批判しているよりは、先ず自分の会・組織運営についてワンイシューで意見吸収をはかる・・まずやって見るべきです。
ところで、民主政治は単純多数ではなく戦闘・活動力のある集団は、1割の支持率でも2〜3割以上の発言力を持つことがあります。
政治と言うのはいろんな力の総合ですから、(これまで書いているように、ワンイシュー支持だけでは当選で来ません。)政治家の方はその法案に賛成するかどうかは他の法案に協力してもらうための駆け引きもあるでしょうから、代議制民主制度は、総合判断が許された権限行使制度です。
代理の場合は委任者の意向に反すると背任行為ですが、代表は投票者の意向に左右されないことも代表と代理の違いのコラムで書きました。
ただ、不正行為・・賄賂等で政治信条と違う方向へ妥協する場合の区別が難しいので、政治資金規制法等で外形的に規制していることになります。
グランデール市や今度のサンフランシスコでの慰安婦像設置決議が成り立つのは、中韓係居住者が多いからと言われていますが、比較的多いだけで多数ではありません。
それでも決議を獲得するのは、活動力によります。
戦闘的集団が人口の1〜2割でしかなくとも他の8〜9割はどちらでも良い場合、市議会議員等は落選キャンペインされるのが怖いので、1〜2割の票でも大きな威力を持つ実例です。
日本でも公明党が候補を擁立しない小選挙区の数%〜5%の票の応援票を失うのが怖くて、自民党が何かと妥協するしかないことが多い例が知られています。
選挙は概ねある程度接戦ですか5%の評票が自分に来るのかライバルに行くかの違いは大きな脅威になります。
日系人の戦い方は「設置に反対してくれ」「これが正しい」と言う大人しいお願いだけですが、現地議員は票が欲しいのであって正しいかどうはあまり気にしていません。
2週間ほど前に日本のインドネシアに対する新幹線輸出が土壇場で中国の賄賂攻勢に?敗れたと大騒ぎになっていますが、現地政治家の基準は国家のためになるかどうかよりは、今現在の政治資金が欲しいのが現実です。
慰安婦像「設置賛成した議員を落とすぞ」と言う方向の運動をしないと仮に居住者が同じ数いても、威力がまるでありません。
10月1日にも書きましたが、反撃力がないと防御すら出来ない・・攻撃が最大の防御になる実例です。
慰安婦像も南京虐殺でっち上げ問題も、日本が防戦しているだけだから彼らは気楽にやりたいだけやるのです。
負けそうになれば今後運動を激しくしない・・日本批判を緩めると言うシグナルだけでマスコミは中韓と仲直りすべきと言う誘導です。
正に専守防衛思想です。
仲直りするには、今後反日教育をやめるべきことと、「慰安婦像設置は間違いでした」と設置した海外で「謝って歩かない限り許せない」と言う意見は右翼系の意見になるのでしょうか?

弁護士会執行部の支持基盤4(派閥・政党の効用2)

民事・刑事訴訟法の運用・規則や細則に関する委員会のように、細部にわたる専門技術的委員会の場合、その委員会に関与していない一般会員は、自分に経験に即してこう言う場合どうなるのかなどちょっとした質疑をする程度で、後はお任せして行けば良いでしょう。
憲法問題等の政治的決議になって来ると「専門」に取り組んでいる人たちが(運動家=戦術論の専門?かも知れませんが)法律論の専門家と言えるかどうか疑問なしと言えません。
聞こえて来るのは、今の国会の動向からいつころに集会場所予約をしておくか、デモする必要があるなどの戦術論や街頭デモをやるにはどう言う許認可がいるか、担当を決め、どんなマイクや横断幕が必要かなどであって、誰がどのような議論で決めたのか不明ですが、先ず反対論がある印象です。
法案に反対すべきかどうかの緻密な議論を済ませているから「部外者は黙ってろ・・」と言われるほど、専門的研究が進んでいるようには見えません。
配って来るビラ等を見るとせいぜい(秘密保護法案の場合)「近代法の法理に反する」とか(集団自衛権に関しては)「憲法違反」「戦争法案」と言うスローガンばかりで、(私が無学なだけかも知れませんが・・)何がどうなっているかの具体的説明を聞いたことがありません。
素人には分る訳がない・・スローガンだけ教えれば充分・・納得しない人にはせいぜいこう言う立派な学者も反対していると言うコケおどしで充分だと言う態度が基本だと思いますが、弁護士にも分らないような高邁な法律の議論ってどう言う議論なのか不思議です。
反対運動の集会での結果を見ると、戦争中の体験談に感動したような報告です・・これが安保法案が戦争法になる根拠となる説明だったのか因果関係がさっぱり分りません。
戦争を防ぐために同盟関係が必要かどうかの議論が求められているのです。
ロシアが公然とクリミヤやシリアで軍事介入を始めたのは、オバマが戦争反対・・介入しない(悪く言えば弱腰)と表明しているから、やりたい放題になって来たと言うのが国際政治の現実です。
何をされても反論も反撃もしないと前もって決めておけば、やられっぱなしになるのが国際政治の現実だと慰安婦騒動で分ったばかりです。
安保法制で重要なことは、反対か賛成かのスローガンばかりではなく、法案内容の危険性の内容・・有無です。
単一色の委員会決議に左右される弁護士会の運営に話題を戻しますと、アメリカの茶会党やドイツの緑の党あるいは大統領候補に名乗り出ているトランプ氏などなどワンイシューでの主張は分りよいですが、仮に単一主張の政党が政権をとるとその他の政策をどうするのかがまるで見えません。
現実政治は無限に多様な問題を抱えていて、(一日も停滞が許されない・・)日々決めて行く必要がありますが、「公約に掲げた以外は何も知りません」と言うのでは無責任です。
その他は白紙委任を受けたと言う主張になるのでしょうか?
仮に白紙委任を受けとしても他分野での経験がないのではどうやっていいか分らないでしょう。
ワンイシュー選挙でなかったから安保法案は信任されていないと言うマスコミや左翼系の主張はこのような無理な政治制度・・非民主的政治運営を前提にしていることが分ります。
民主党は政権について実務を担当してみると、無限に存在する他分野での利害調整能力が元々なかったことが国民に知られてしまい大ダメージを受けています。
この批判を受けているのに、野に下ってからもなおその反省をせずに、今またワンイシューにこだわっているのでは政党としての先がありません。
勿論各部門・委員会別に充分な議論を尽くしている・・私の推測は推測に過ぎないと言う意見もあるでしょう。
しかし、反対運動が弁護士会の枠を越えた政治運動になるかどうかは、専門部会内で充分に検討すれば足りることではなく、会員の一般意思によるべきことです。
会員一般の意見を募る程度のことをしてから、執行部が総合判断するのが民主運営の基本ではないでしょうか?
たとえば、民事訴訟法の細かい運用関係を裁判所と協議している委員会でも、(一般弁護士から見てかなり専門的に特化しています)現在の検討状況を配布して会員に何か意見がありませんか?としょっ中意見照会文書が回って来ます。
特別な専門的知識不要・・・・・「◯◯反対運動して良いか否か」程度の◯×方式の回答を求める簡単なテーマについて、会から何の意見照会も回って来ないのが不思議です。

弁護士会執行部の支持基盤2(会員構成の変化)

ここ20年くらいで新設・躍進して巨大化している各種委員会では、個別の被害救済事件をやっているだけで政治色をあまり出していませんが、たとえば原発被害救済・・反原発色彩がないとは言えませんが・自宅に帰れない避難民の苦しみ・相談をやっていると自然に原発の所為で酷い目に遭ってる・・反原発心情が醸成される・・その程度です・・。
外国人の人権も似たようなもので、偽装難民であろうとなかろうと目の前で困っている人を見れば、救済したくなる心情・・惻隠の情・・自然にそう言う方向へ流れます。
偽装難民が押し寄せるのは困ると言う一般論の人でも、目の前に強制送還される人がいると同情が先に立つのが人情です。
生活保護不正受給は論外としても、窓口で断られる人の相談に関与すると社会的弱者の心情も理解出来ます。
以上はホンの一例ですが、ここ20年近い消費者系・・消費者被害救済系活動の隆盛が、日常業務を介して左翼系の格差反対その他基礎意識がじわじわと浸透しているでしょう。
弁護士は弱者救済が基本的存在意義ですから、弱者に寄り添う活動自体は良いことです。
近代以降弁護士はブルジョア同士の争いの解決をとおして日常生活のルール化に寄与して来たことが多く、我々も中小企業同士の争いなどの解決に尽力して来たのであって、人権擁護に関係する事は日常業務の「ついで」程度だったことを反省する必要があります。
ついでであってこそ、無償または持ち出し行為が出来たのですが、支援センター業務が膨らみ弱者救済が主要業務になって来ると弁護士は従来の所得を維持出来ません。
弁護士大量供給と平行してタマタマ社会構造変化が進み、労働者も正社員とその他、企業も中小企業も大手の孫・ひ孫会社化で二極化が進み個人企業が減ってくるなど個人企業経営者相手の従来型、弁護士業務が急速に減ってきました。
弁護士大量供給以降、従来型弁護士は企業法務に特化出来る人は特化した人と、無償に類似する最低生活費が保障される程度の弱者業務に特化するその他弁護士とに、2極化が進んでいるように見えます。
弁護士の意識が左傾化して行く背景としては、委員会活動活発化が先か後かは別として、この10数年で弁護士になった若手多数・約2万人が観念的弱者救済から自分自身弱者の仲間入りしてしまっている状況変化が大きいでしょう。
自分は高みにあって、時々体験的に貧乏経験して観念的に可哀相だと主張していたに過ぎないベンゴシが、自分自身貧困層になったことによる社会的インパクトは大きい筈です。
毎年約1600人もの意識の高い貧困層を政府が生み出して行けば、社会変革圧力に点火して行くのは当然でそれ自体社会の進化によい結果をもたらすかも知れません。
弱者救済系活動日頃どっぷり浸かっていると、この活動の中核的指導者が支持している政治意見に共感し易い状況・・・個人的に世話になっている・・親しくなっているし・・とじわじわとした勢力浸透に成功していると見るべきでしょう。
政府は弁護士大増員で反政府色の強い弁護士会の弱体化を図ったつもりだったでしょうが、逆に左翼系が水面下で勢力を伸ばす下地を作っていたことになります。
今回の安保法政反対運動に弁護士会が前のめり的に積極化して行った背景は、民主党政権の大失政によって、社会全体での左翼勢力退潮による焦りがあって、他方で弁護士会内での勢力拡大成功による自信過剰(最後の砦!と言う過信・焦り?)との複合が、政治発言・行動等に対する自己抑制が利かなくなって来た背景ではないかと推測されます。
それにしても、政治運動をしたい人は自分で政治団体を組織したり政治家の応援をすれば良いことであって、何故弁護士会の名を使う必要があるのか理解出来ません。
比喩的に言えば、仮に会員数の1割の人数で、(実際にはもっと比率が高いかも知れませんが・・)政治的委員会を牛耳って、会の名で行動すれば10倍の人数を誇示出来るからでしょうか?
会の名を使えれば、弁護士全員が反対しているかのような宣伝効果を得られます。

サイレントマジョリティ6(会内合意のあり方2)

一般人・一般弁護士会員は、深刻な人格攻撃に発展し易い政治対立に巻き込まれたくないのが人情です。
一般学生は学生運動に深入りしない・・弁護士の場合東京大阪などを除けば、規模の小さい顔の見える集団が大多数ですので、その後人格的対立関係が残ると窮屈です。
千葉県弁護士会は会員数約750人もいて、大単位会のグループに入りますが、それでも実際の活動区域は松戸支部や佐倉支部等の地域別に分かれているので、(私が松戸支部や八日市場支部あるいは館山支部や一の宮支部等の事件を受任するのは10〜20年に1回あるかないです)日常的に顔を見る相手は千葉市周辺の弁護士に限られています。
建築業者が百件受注しても同業の建築士と相見え・交渉することは1回もないかも知れませんが、弁護士業務は紛争事件が中心ですから、受任するといつも相手があり・・その殆どに弁護士がついています。
経験・・受任した数だけの相手方がある・・。
ですから、(佐倉支部や木更津支部等はそれぞれ10数人〜20人規模かな?)同一地域で4〜50年も弁護士をしていると大方の弁護士が相手方になる経験をする可能性があり、しかも繰り返し出会う可能性がある狭いムラ社会です。
大量に弁護士が供給されるようになったのはここ20年ほど前からのことですが、当時千葉県全体の会員数は250〜300人前後でしたから、この10年あまりで増えた若手を除けば、地域弁護士関係は濃密なムラ社会的人間関係になっています。
今回のTPP交渉を見ても交渉が厳しく長かった分に比例して甘利氏とフロマン氏とは信頼関係が生まれていると言われるように、シビアーな交渉を誠実にやればやるほど相手との信頼関係が重要ですので、密接な人間関係が構築されるし、必要な関係です。
一般の同業者同士・・同業組合の会合で顔を合わせる幹部同士だけではなく、弁護士をやっている限り若手中堅を問わずに日々相手と接触があり、濃密になる必要があるのです。
昔の農民同士・・ムラの中で時々顔を合わせて挨拶する程度の関係よりも、もっと濃密な関係です。
新規参入したばかりで顔と名前が結びつき難い若手は、どこの事務所所属・・あるいは所属していた人と言うことで、(名刺にも◯◯事務所と肩書きを表示する仕組みです)これまたすぐに人間関係が分る関係です。
こう言う狭い社会・集団内では、政治意見を戦わせて対立するのは社会的ロスですから、出来るだけ触れないのが大人の智恵です。
町内会でどこの政党を支持するべきかや、隣人と政治論争をする必要がない・・むしろ害があるのが常識でしょう・・「良いお天気ですね・」「お元気ですか」程度のお付き合いが妥当です・・。
この結果、色分けの決まっている弁護士会の政治的委員会に、少数意見を言って対立するためにワザワザ入らない流れになっているように思われます。
戦後70年近くこれの繰り返しをしてきた結果、学生運動や弁護士会の政治的委員会活動の純化を強める結果にもなって来ているのではないでしょうか?
繰り返すように、この辺は会が何故か全く会内意識調査をしていないので、仮定・・もしかしたら・・の意見です。
意識調査をするのは、思想信条の侵害だと言う意見があるからでしょうか?
マスコミ等の行なう世論調査が憲法違反と言う人がいるのでしょうか?
意識調査してみたら、もしかしてイヤだからはいっていないのではなく、政治的委員会に入りたいが、定員オーバーになったので仕方なしにはいっていないと言う人が圧倒的に多いかも知れません・・・アンケーとその他簡単な意識調査すらしていないので、仮定の議論しか出来ないのが残念です。
もめ事を起こしたくないから反対意見を敢えて言わない・・・一般会員の気持ちがそうであれば、これに支えられる執行部も同様です。
余程の自信がない限り、委員会から上がって来た政治的な会長声明、研修会活動(会場費や講師謝礼等)あるいは反対運動等費用の支出要請・・委員会予算要求に抗えません。
各種委員会はまとまった委員数を擁し、しかも何十年も継続しているその道のベテランである上にしょっ中会合を開くなどの運動していて同志的人間関係も濃密ですから、団結力・政治力・運動力も大きいのに対して、1年ごとに選任され、しかも(千葉の場合)4〜5名しかいない執行部は、政治基盤が弱く、各種委員会の主張に圧され気味になります。
執行部は出身委員会内では強固な支持を得ていると思われますが、他所の委員会提案に対する関係では統一見解を持っていないので、団結力・戦闘力を持っていません。

ワンイッシュー3と直接民主制2

アメリカでは大統領に限らず上下両院議員もワンイシューで選挙していないのに、戦争のような重要なテーマを含めて自由に決めています。
「ワンイシューで選挙していないから国民の負託を受けていない」と言う主張はどのような民主制あるいは、どこの国のモデルを主張しているか程度は説明すべきでしょう。
日本の国会で言えば1国会で提出される法案は何百ホンにのぼっていますが、法案ごとに選挙するには、ほぼ毎日のように選挙する必要があるでしょうから、物理的に不可能です。

http://www.clb.go.jp/contents/all.html内閣法制局の10月4日の数字によると、以下のとおりです。
平成27年・・常会→提出法案数147+12(議員提案)=169→成立数78本

通常国会の外に臨時国会もあるし、法案だけではなく予算もあります。
予算案が国会審議の最重要テーマであることは論を俟ちませんが、これ居事態にも一部不満だが、その他は賛成など入り組んだ関係が一杯あります。
1つの法案でも、ある条文には賛成だが、別の条文には反対と言う入り組んだ関係があるのが普通です。
・・憲法改正論では具体化しているので多くの国民が知っていると思いますが、条文別あるいは同じ条文でも、前段のフレームには賛成だが後段に反対などいろいろあります。
百人一首の上の句は好きだが、下の句は今イチの関係みたいです。
弁護士会で今ホットな法案では取り調べの可視化と盗聴法の一体上程ですが、このようにある程度全体を総合した妥協・・政治家一任をするしかないのが現実です。
条文1つ1つについて1億人以上もいる国民の意思を直接聞いていたのでは、何事も前に進まなくなります。
その都度、意見を直接聞く法制度が仮に妥当する社会を考えると、総会等で決めなければならないテーマが年に1回あるかないかのような小集団・・しかも規模が小さいいために意向確認の簡単な小集団の運営にのみ妥当する制度でしかありません。
現世界の民主主義国家の基本思想・・実定法は、一旦選ばれた政治家が独自の触覚で国民意思を嗅ぎ取って政治行動する・・その結果国民意思に反する行動をしてしまった政治家が次の選挙で落選する・・国民意思に副う行動をした人は当選する・・事後審査方式である事は明らかです。
この方式だと、1回当選したら任期満了まで何をしても良いのかと言うと次の選挙に当選したい人が大多数ですから、国民意思に敏感に反応したくない政治家はいません。
国民意思を読み損なうかどうかは別として、意識的に国民・選挙民の意思に反したい政治家はいないと言っても良いでしょう。
次期選挙での当選期待・願望によって政治家は国民意思に沿うように動くだろうと期待して、今の民主犠牲主義制度・・憲法制度が成り立っています。
そんなことは信用が出来ないからと言って、事前に一々選挙で決めていたのでは、膨大な法令の改廃が日々行なわれている複雑な現在社会においては、間に合わない・・実務上無理があります。
ワンイッシュー選挙を要求していることと合わせ考えると、「革新」勢力と言うのは真っ赤な噓で、実は変化に対して何でも反対と言う超保守・反動勢力だとすれば、主張が一貫していますが・・・。
ですから、「ワンイッシューで選挙していないのに、国会議決するのは国民無視」だと言い、民主主義に反しているかのような政権非難論法自体・現行憲法無視の議論であるばかりか、現実政治を無視している・・どこの世界にも存在しない架空・・不可能な制度議論をしていることが明らかです。
責任のある議論・主張をするならば、どこの国で、ワンイッシューで選挙している実例があるのか、そしてうまく行っているのかを証明してから主張すべきです。
仮にそれらが合理的であるとしても、日本国憲法はそう言う制度を採用していない・代表による法律審議・決定を前提にしているのですから、現行憲法にない制度で法律を作れと主張すること自体が、護憲勢力の立場に矛盾していますから、現憲法下の主張としては成り立たない・・憲法改正や法制度を改正してからその主張をすべきです。

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