テロの供給源2(精神障害者利用とその結果)

自分の住む社会秩序を破壊し尽くそうとするテロは、一種のアナーキズムですから、権力奪取のための反政府運動等とは性質を異にしています。
権力闘争の場合は、自分が権力をとった場合既存秩序をそのまま利用出来る方が合理的ですから、社会の基本を破壊し尽くすと却って自分が権力を得たときにこまります。
橋や道路等は再工事すれば良いことですが、社会心理=道義を破壊し尽くすと一旦荒廃し尽くした心・・秩序を守る意識の復興は簡単ではありません。
権力を握ったときに今度は自分の握った権力に対する抵抗勢力になってしまいます。
従って反政府勢力がこれを利用すると、今度は自分に対する犯行勢力・鬼っ子を育てる結果になるので、権力奪取目的の政治運動としては言わば禁じ手です。
ISはどのような展望で、テロリストを養成し、煽っているのでしょうか?
マスコミは頻りに移民2世等が社会的に恵まれないから、誘惑に唆されると言う解説が普通ですが、私はそんな簡単なこととは思いません。
アメリカで頻発している銃乱射事件は、経済的に困窮している階層に限りません・・12月2日の銃乱射も公務員が行なったものです。
社会制度に対する不満ならば改革運動になりますが、彼らは改革運動を一切しないでイキナリテロに走っています。
中国のチベットやウイグル族弾圧のような生命の危険がある場合でも内部の地位向上を目指す活動や焼身自殺が先ず先行していますが、アメリカやパリのような自由な政治活動を出来る場所で何ら政治活動も先行しないで、イキナリ銃乱射やテロに走るのは、自分達の社会的地位改善を求める行動とは思えません。
銃乱射事件等では自ら必ず死ぬ覚悟で、(11月のフランス・パリの事件はそうでした)自爆装置をからだに巻き付けて犯行に及ぶようになっています。
ISの支配地域では、残虐行為による恐怖心で支配していると言われていますが、単に野蛮なことをしているのではなく、・・自分を含めた全人類に対する報復感情に凝り固まっている彼らの核心的思考によると思われます。
ISのテロの場合、自爆が必須的アイテムになっているのは、検挙を恐れてと言うよりは自暴自棄・自殺念慮の一態様の発露・・個人の精神的葛藤に対して、ISの宣伝が切っ掛けになっているに過ぎないのではないかと思われるし、同種の連鎖検挙・・拷問等を免れるための組織維持戦術をついでに兼ねたに過ぎないでしょう。
精神病で行き詰まって自暴自棄で銃を発砲したと思われるよりは、ISに共鳴したと言う方がマスコミの取り上げ方が違うし、何となく、格好いいと言うだけの人が増えるのではないでしょうか?
従来から大きな事件があると模倣犯が増えていますので、マスコミが英雄のように取り上げるのは問題です。
IS参加者には、心理学的には自殺念慮と社会に対する報復感情の拡大・・従来個人が内心で鬱々としていたに過ぎない社会脱落者に対するテロ組織による炊き付け・煽動・・精神的応援が成功していると見るべき面があると私は思います。
中央の具体的指令によらずに末端の小グループでテロを起こせば良いと言う原始細胞的活動方式は、自殺願望で周辺を巻き込む銃乱射事件の犯人を誘い込んで単なる自殺行為をテロに格上げする方式としては、合理的です。
精神障害など自殺願望者がある日突然これと言った準備もなくイキナリ個人で暴れるよりは、予め銃器等の操作訓練を請け負い、(「そうだ、そうだ社会・周囲が悪い・・やれやれ」と煽って)精神的応援をしてやる・・後はISに迷惑がかからないように勝手なときに(同病相憐む)「小グル−プで標的を定めてやりなさい」とやっているとすれば実態にもあっています。
12月2日にアメリカの勤務先のパーテイでの乱射事件を見れば、(まだ背景事情がはっきりしませんが・・)個人的不満を吐き出す従来型銃乱射事件をISなどのテロ組織に伝授されてもっと大掛かりに・自信を持って実行したに過ぎないように見えます。
・・ISは精神障害等で、鬱屈した個人が従来一人の思いつきで刃物を振り回したり、銃乱射していたに過ぎなかったのを、プロが手助けしてやることによって世界中の精神障碍者・・自分の住んでいる社会に敵意を持っている人を取り込んでいると位置づけることも可能です。
ISによるテロの広がりは、組織運営者にとっては政治運動でもあると同時に世界中どこにもいる精神障害者・周辺予備軍を巻き込んでいるところに、従来型法制度では対応出来なくなっている側面があると思われます。
社会に対する不満は、アラブ系出身者の生活苦にもあると思いますが、そればかりではありません。
日本人で札幌から出国しようとして制止された人がいましたが、イスラム教徒でなくとも世界に内心鬱屈している人・・けしかけられればすぐに火がつくような人はいくらでもいます。
昇進途上のエリートでも、うつ病等で長期休暇→解雇になってしまう人が一杯いるように、こう言う人は基礎的にもやもやした社会に対する不満を抱えています。
ISがこう言う人をうまく取り込んで行くと、民族融和や経済側面だけの対応では無理があるし、どこにどう言う予備軍がいるのか分らなくなって行きます。
我が国では、オーム真理教がこうした不満分子を吸収して、事件を起こした経験があります。
古来からこう言う人は一定割合でいますが、個々人ではイキナリ刃物を振り回す・・「気違いに刃物」・・時々「通り魔事件」を起こす程度で、どうってことがありませんでした。
アメリカでは元々日本のカッターでの切り付けなどと違い刃物の代わりに銃乱射事件になって影響が大きくなっていたのですが、あくまで個人的思いつき事件だったのを、背後応援する集団が生まれ、背後で爆発物の供給・組織化が進んで来たとすれば、大変なことになりました。
あるいは模倣犯に近い・・感化を受け易い人はいくらもいます。

2015-12-9
   
   テロの供給源2(精神障害者利用とその結果)

政治運動家は、自分が政権を取って人民の支持を受ける目的で政権や社会批判をしますが、社会(秩序を守る意識)そのものの解体を目指してはいません。
支配者になったときにそのまま官僚機構や交通システムを利用出来た方が便利からです。
漢の劉邦が権力を把握すると、儒教が統治に便利だからとイキナリ保護し、以来王朝が何回変わろうとも統治に便利な儒教を事実上の国教(基本法)扱いして来ました。
これが、漢承秦制の思想の基礎になったのです。
漢承秦制の思想については、04/10/05「明治維新の開国と中国の開放経済1・・・「脱亜入欧・和魂洋才」と清朝の「中学為体、西学為用」1〜04/11/05「中国の開放経済3・・・「漢承秦制の思想と共産主義の堅持」前後で紹介しました。
権力者にとっては鉄道や道路などの復興は簡単で、しかも復興契景気になって良いことですが、権力に従わない気風が長期にわたるとその改善は至難です。
アフガンのテロ組織はアメリカがソ連のアフガン侵攻を失敗させるために養成したものがソ連撤退後これが自然消滅せずに、アルカイダなどのテロ組織としてアメリカで9・11のテロを起こすようながん細胞に育ったものです。
ISも、社会破壊目的のテロを利用して勢力を伸ばしていると権力を獲得したときに自分自身がうまく統治出来ません。
IS・・自暴自棄者の背後組織・たき付け組織の場合、その社会を良くしたいのではなく、うまく行っている社会を恐怖に陥いれ、混乱させることだけを目的にするのであれば、行動は一貫します。
身体で言えばがん細胞のような関係ですから、栄養さえ付けてからだを大きくして行けばがん細胞が成長しない訳ではありません。
精神障害者の不満は、社会福祉政策や最低賃金を引き上げるような、即物的側面の充実ではどうにもならない分野です。
精神障害者の増加は、いわゆる近代合理主義の貫徹や経済成長の結果によるものですから、成長やバラマキ・福祉政策の充実で解決出来る分野ではありません。
ですから彼らを煽って社会を攻撃させても何の解決にならない・・社会秩序が乱れるだけです。
宗教は精神の安定を図れば良い・衆生済度が極意であって社会に対する不満を煽るのは邪道です。
アメリカの例によると、上記成長政策等成功の拡大と精神病者の増加が比例関係にあると思われていますので、近代合理主義の貫徹がひずみを生じさせているのですから、この面の対応が必要です。
高層ビルを造ればこれに応じた消防設備がいるようなものです。
いつの時代にも一定比率で精神的不安定な人がいて、これを精神病院等に隔離するなどで社会防衛機能を果たしてきました。
近年精神不安等を訴える人が増えて来たので、全員隔離する訳に行かずむしろ長期入院を抑制し、解放処遇する方向に進んでいます。
経済政策の成功や福祉政策の充実・・精神科医を増やす・・薬付けで却って悪くしているような印象です・・だけではこうした人の社会に対する鬱屈した気持ちを吸収出来ません。
アメリカ型精神科医(薬品メーカーが儲かるような)増加政策では、根本的解決出来ないことがはっきりして来たと言えるでしょう。
日本では、中世以来「南無妙法蓮華経」「南無摩阿弥陀仏」などと毎日頭がぼうっとするほど唱えたり踊っていれば救済されるとする念仏系宗教がこれらを吸収して来た結果、社会の安定性が高かったのだと思われます。
一向宗など政治に走る宗教もありましたが、中世に発生した多くの宗派が精神面の救済に留まっていたのは救済を求めて来る人の目的に合致していました。
精神病質・・障碍者の場合、社会に適合出来ないことによる漠然とした社会に対する不満・・破壊意欲はあるだけであって、特定の制度を変えれば鬱屈した気持ちがどうなるものでもありません。
消費税の税率をどうするか道路交通法の規制をどうするか・・労働法規をどうする・・療養休暇期間を半年延ばしてもどうなるものではありません・・多くのうつ病等の人は休暇期間を使い切って最後は退職になっていますが、・退職後年数経過するに連れて悪化して行くような人が最後に大事件を起こす傾向がありますので、企業の休暇期間を2倍にしても良くなるような人は滅多にいません・・精神病者の不満はなくならないでしょう。

テロ組織と近代法の原理停止2

グアンタナモ基地での違法?拷問等による取り調べが知られていますので、テロリストが検挙されても保釈で出て来れば良いなどと言う訳に行かなくなりました。
末端のテロ実行者が検挙されたときに訓練場所や連絡組織などを自白するリスクがあるので、これを防ぐためにIS関係のテロは中央の指示ではなく末端が勝手連的にやる仕組みにしたり、その場で自爆してしまう・・犯人が生き残ってしゃべらないようにする方法が発達してきました。
以前は自爆や焼身自殺は自己犠牲の大きさによる社会への衝撃力・・社会へのアッピール力を競う・・これによる自民族抑圧・弾圧を緩和するようになることの期待・・その社会のよりよい変化を期待するものでした。
佐倉宗吾郎など、すべて自己犠牲によって残された家族や同族の生活環境がよりよくなることを期待するものでした。
今のテロでは焼身自殺等に対する「そこまで酷い目に遭っているのか?」「可哀相」と言う社会の同情心→社会変革への起爆剤になるのを期待するのではなく、自分の家族らを含む社会がまとめて被害を受ける・・家族を含めた社会への報復・社会に対する憎悪表現になっているようにみえます。
最近のテロに限らず、テロ行為というものは、自分の捨て身の行為が社会の改善に役立つ・・自分の家族や民族のための捨て石になる行為ではなく、テロの対象となっている社会の安定を破壊する・・その社会・秩序破壊を目的とするものです。
社会とは何か?
「社会」とはその地に住む人々が、古代から営々と築いて来た信頼関係の総合表現である秩序であり文化の集積です。
テロが攻撃対象にしているのは蓄積された社会秩序・信頼の破壊です。
テロ行為が頻発すれば、最後は相互不信が極まり、人影を見れば相手より先に銃で射つしかないような・・お互いの殺しあいに発展すると、次世代への教育どころか、日本人の世界に冠たる相互信頼関係社会が破壊されて行きます。
人影を見れば銃の引き金に指をかけて相手の動きを凝視してから行動する・・自分の五感を働かせて自分を守るしかない社会になれば、公共交通機関など大勢の保安行為に頼り、自分で安全を守れないシステムは成り立ちません。
信頼関係とは、自分がこうすれば相手がこうすると言う信頼・・日本で言えば、自分がへりくだれば相手もへりくだってくれると言う相互謙譲の社会が究極の姿です。
今回嫌韓感情が高まったのは、日本の謙譲の価値観に悪乗りして韓国が虚偽・悪宣伝を尽くしたことにより、共通の価値観で行動出来ない国だと言う認識・・お前を今後信用しないよと言う認識の表明です。
みんなが交通ルールを守ってこそ高速道路を安心して走れますが、逆走する人に対しては、車利用を規制する・・利用仲間から除名しなくてはなりません。
社会とは条文がなくとも相手が「礼儀」を守るだろうと言う相互の行動様式の信頼がある関係ですから、テロとは「礼儀」違反どころか、あるときイキナリ「生命すら奪いに来る」程の過激なルール違反行為をすることです。
戦いに出掛ける場合には危険は当然予測範囲ですが、結婚式や葬儀、あるいはコンサートなどに出掛けている場合には、危険を予測しないで出掛けるのが普通です。
すなわち古代からの約束事でこう言う場合は危険がない・こう言う接遇を受けると言う暗黙の合意・・文化がある・・こうした蓄積がその民族の文化であり「社会」と言うものです。
大声で怒鳴ったり刑罰の威嚇や監視がなくとも、ルールを守る社会は高度な安全文化社会です。
一方で銃で威嚇したり刑罰による威嚇がない限りルールを守らない社会は、低レベル社会ですし、銃の威嚇があっても(自分の死を恐れない)ルールを守らない状態になれば、社会と言うに値しない原始時代に戻るしかありません。
テロは、信頼を極限まで破壊し尽くして「社会」をなくしてしまおうとする行為です。
安全な筈の場所で、銃乱射や地下鉄の爆破事件など・イキナリルール違反される・・これがタマにあるだけならば何十年に一回の天災みたいなものですが、しょっ中になって来ると何を信頼していいか分らなくなります。
信頼が崩れる=社会が成り立たなくなると言うことです。
軍事基地など襲っても、一般市民が近づかなければ良いだけで社会的インパクトはありません。
シリアその他でどんなテロが行なわれていても難民がいくらトルコに流れても遠くの西欧は安閑としていましたが、大量の難民が直截西欧に押し寄せて難民が身近になり、しかもパリで一般市民が恐怖に襲われたので、大騒ぎになったのです。
パリのコンサート会場等襲撃でマスコミがショックを受けていますが、社会の信頼破壊を目的とするテロは、もっとも平和であるべき箇所・・安全と目されるところを襲うことが最も効果的であることが分ります。
電車にも怖くて乗れない・・何をするにも命がけとなれば、高度に発達した社会の血流が止まってしまいます。
即ちテロ行為とは、相手がルールを守ると言う信頼で成り立っている社会に対する挑戦・・社会崩壊を目指していることになります。
テロとは、対象社会に根付いているルールを明からさまに裏切る行為・・相互信頼関係破壊・・秩序・・ルールを守らないことの最大表現ですから、究極的にはその社会の文化集積を破壊して荒廃地にしてしまう・・古代に栄えたメソポタミア地方が現在瓦礫や砂漠の地になっているようにしてしまおうとする営みです。
一時的に不安がらせて、喜ぶ愉快犯とは目的が違います。

組織犯罪向け手続法の必要性2

手続法では、組織犯罪に対するこの種修正が一切ありません。
個人犯罪と組織犯罪では手続法でも対象に応じて違う法的手続が必要なことが明らかになっているの、にこれが出来ないので、(軍法会議のような特別裁判所禁止)フランス、アメリカ、イスラエル等では、事実上の皆殺し作戦が行なわれているのが現実です。

日本憲法
第七十六条  すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
○2  特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。

先進国では特別裁判所・・特別な刑事手続が許されない・全てにわたって人権保障の仕組みですが、これを貫徹すると組織犯罪のテロ組織取締に対応出来ない実態・・悪用する事態が生じています。
私は、テロ事件に人権保障が不要と言うのではありませんが、・・実際の不都合を書いています・・どうすれば良いと言うほどの意見を持っていません・・・。
兎も角、現行法制度や理念では、対応出来ない状態になっているのが明らかで、この対応能力欠如・・新しい病原菌対策が出来ないスキに新型感染症・・サールスなどが猛威を振るうのと同じ状態になっています。
現行手続法では、テロ犯人は訴訟手続上自分のやったことを認めるかどうか、刑罰を受ける判断上有利かどうかの利害判断で自白した方が得か損かを考えれば良いだけです。
仮りに自白する場合も、自分の犯行だけ認めれば良いのであって、共犯者・組織・・どこで訓練を受けたか、今後どう言う予定か、どこで何をしていたかまで供述する仕組みになっていません。
しかし組織犯のテロの場合、「やったことだけ認めてその他は関係がありません」と言うのでは、次に続くテロの拡散を防げません。
テロは財産犯と違い取り返しのつかない損害ですので、特に予防が重要ですから明日、明後日〜10日後の次なるテロ防止が最重要ですが、過去の犯罪事実確認しか関心のない現在の司法制度はこの必要性に全く対応していません。
刑事に限らず民事・行政訴訟を含めて、司法の本質が過去の事実確認にあるとすれば、将来の危険防止のための制度設計としては、ソモソモ司法とは別の手続法が必要な分野です。
言わば、現行司法制度は過去行為を裁くのに対して、将来の犯罪予防に重点を置いた手続法が必要です。
病気でも災害でも予防が重要であって、災害が起きてから救済すれば良い・病気になってから治療すれば良いと言うのではなく、如何に転落事故を防ぐとか、病気にならない・・なり難い健康な生活をするかとか、という防災予防を考える時代ですし、犯罪も大規模なテロが起きるようになると、テロが起きてから犯人を検挙すれば良いと言う発想では時代遅れです。
全ての分野で予防的行動を模索している現在において犯行が実際に行なわれるまで何も出来ない・・放任しておくのでは、法律家が時代の進展に対応出来ていない・・怠慢と言う外ありません。
この危険を少しでも早く察知して防ぐために、一定要件での通信傍受を認めるとか、共謀段階の犯罪化とか、微々たるものですが少しずつ時代の必要に合わせて改正の方向へ進んで来ましたが、それでも近代法の個人中心時代への郷愁か、あるいはテロリストを応援したいのか分りませんが、兎も角文化人?では、反対論が日本では強力です。
通信の秘密を守れと言っても政府もヒマじゃなし、普通人の会話を一々聞いているヒマはないので、ある程度偏見?情報に基づいて怪しい人の通話だけ傍受するしかないのですから、テロ被害と引き換えにしてまで自分の通信の秘密を守りたい人が、そんなに大勢いるとは思えません。
・・・傍受される恐れのある怪しい人だけが、反対しているのではないでしょうか?
普通の人・・たとえば私の会話を事件の相手方が傍受するのは困りますが、事件に関係のない警察が聞いていても何も困ることはありませんし、警察も聞いても仕方ない・無駄ですので、傍受制度があってもこちらは気楽に話せます。
テロに強迫されている場合、こちらから警察に頼んで脅迫電話が来そうなときに一緒に聞いていて欲しいくらいですから、聞かれるのを何故それほどいやがるのでしょうか?
※12月9日追記です。
12月9日日経朝刊の社説には、先進国では令状なしの通信傍受を認めている・・これを日本も必要としているのではないかと言う意見が社説として遅ればせながら遂に出ました。
日本マスコミは左翼に遠慮しているのか先進国の実態を報道しないで、共謀罪やスパイ防止法など新たな法律案が出ると「これを認めたら暗黒社会が来る」ような一方の主張ばかり報道していましたが、反対運動盛んなときにこそ世界の実情を客観的に報道するべきです。
「◯◯の問題に関してはどこの国にどう言う法律があり、どこのくにはない・・どう言う必要性でどこの国では認められている・・その結果どう言う効果があり弊害が起きている」
など前提事実を含めた客観事実報道をして国民の公正な判断を導くことこそが報道機関の使命であって、一方の主張ばかり報道するのでは、報道機関とは言えません。
朝日その他の慰安婦報道の許されないところは、吉田氏の単なるフィクションをあたかも事実かのように一方的に大々的に流したことです。

パターン認識と偏見 の関係2

普通の生き方では全ての分野で対象をパターン化して把握する・・パターンをどこまで細分化するかもその技術ですが・・分類して対象を認識して行動様式等を識別しているのですから、これが正しいに決まっています。
いろんな科学分野でも、図書館の分類でも、植物の分類でも、共通性を元に分類整理して研究しているのです。
政治実践は人の生き方の総合的表現ですから、政治に限ってパターン認識・分類することを「偏見」が良くないと言っているとまともな政治が出来ません。
今盛んに行なわれている消費税増税に関する軽減税率の議論も、どの程度の生活水準の人が何%増税にどう言う消費行動をとるかの類型的理解が前提になっています。
「貧乏人はこう言う行動をとる」と言えば偏見だと言って、マスコミは批判するのでしょうが、「貧しい人は人は可哀相」と言うときには許されると言うご都合主義です。
政治こそ時代の最先端の認識方法で社会を認識する必要・・認識方法をいい加減にしてアヤフヤな情報に基づいて政治をされたのでは困ります。
何回も書いていますが、政治や個々人や法人でもみな同じで、行動判断は全て前提たる対象に関する情報が正確であることが重要です。
マスコミは情報を正確に広報することに存在意義があるのであって、マスコミの勝手な基準でこの情報は差別になるとかならないとかの理由で、区別して情報を歪めることは大間違いです。
情報をどのように解釈するかは、正に主権者たる国民が判断すべきことであってマスコミだけが偉そうに情報を予め選別する権利はありません。
現実政治は、きれいごとではなく実際の人間行動を前提に政治をして行く必要があります。
今回のフランスのテロに関していろんな角度からの理解が可能ですが、その一つにフランスのきれいごと・人権理念がテロを呼び込んだ・・きれいごとで済まない現実が露呈したと言う見方があります。
犯人検挙刑事手続の側面だけを切り取っても、以下のような非現実的な実態があるようです。
再発防止縮小のためには犯人を出来れば生け捕りにして再発防止のために組織解明したいのが治安に責任を負う立場ですが、実際には原則皆殺し作戦が普通です。
今年始めころに起きたパリの出版社襲撃事件、今回の11月13日の約130人死亡のテロ事件や大分前のオリンピックのユダヤ人襲撃事件でのイスラエル兵の行動・・1昨年ころに日揮社員が犠牲になったアフリカのテロ事件でも皆同じですが、原則犯人皆殺し作戦になっているのを不思議に思う人が多いでしょうが、これが必要な法制度・・社会になっているからです。
アメリカで頻発する銃乱射事件も原則として、その場で射殺しています。
ソモソモ通常の検挙のようにしこしこと証拠を集めてから逮捕状を請求して・やっていると、とても間に合わないことが多いのが第一です。
今度のアジト急襲作戦を見ても分るでしょうが、ことは緊急性を要します。
証拠を集めて複製その他準備して逮捕状を請求していたのではとても間に合わない・・犯人グループが危険を感じて移動・・逃げ出しても、まだ令状が出ていない以上は、阻止すら出来ません。
テロ犯を漸く検挙しても、保釈制度の完備その他の刑事手続の発達?ですぐに釈放する仕組みです。
実際には犯人グループの1人〜2人検挙しても何の尋問も出来ない・・黙秘すればそれまでですから確信犯にはどうにも出来ません。
共犯者を割り出せないまま、漸く検挙した犯人だけ公判請求に持ち込んでも、公開の裁判でテロ宣伝をされるだけ・・言いたい放題言われてしまうのが落ちです。
・・判決になっても(フランスやイスラエルの場合)死刑廃止制度になっているから、このまま刑務所送りと言うだけでは、大勢殺された国民感情が収まらないと言うことが皆殺し作戦の背景にあるようです。
確かに隔離した状態での強制的自白に人権上問題がありますが、(数年前後前に発生した志布志事件など・)それと共犯者や、アジト・・武器入手ルートその他割り出し等によって、次のテロを防ぎたい社会の要請を否定する人はいないでしょう。
これが現行法体制では出来ないのですが、どこかに無理があることは確かでしょう。

民度と政体7(中国2)

外敵に注目させるには対外緊張が必要ですが、これで隣国を威迫して逆に隣国から反撃を受けて負けてしまったのでは却って政権の命取りですから、軍事力を経済実力以上に養成しておくことになるので、対外冒険主義のリスクが高まります。
中国や韓国の民主化と言うか民度を越えた庶民の発言力が高まるのは、日本にとって、歓迎すべきことではなく逆に危険なことです。
何回も書いていると思いますが、日本の明治維新が成功したのは、その前の室町〜鎌倉・平安・奈良〜古代から)江戸時代には庶民レベルの民度が高かったことによります。
新興国の場合、先進国が順次発展して来た生産技術や社会技術を同時的一斉の導入ですから、経済成長が急激である分に反比例して、人間的成熟が追いつきません。
外部から設備導入による(自力開発部分が少ない)借り物経済の場合、民度が経済成長に比例して上がる訳がありません。
自分であれこれ工夫していろんなものが出来るようになると、その分、思考力も磨かれます。
まして意識の変革には、文化は3代と言われるように、何世代もの世代交代が必須です。
借り物技術による急成長は目覚ましい分に比例して、急激に金持ちになったいわゆる成金体質でしかありませんから、文化・政治経験・・総合力としての民度が追いつきません。
法制度もいろんな経験による修正の繰り返しで成熟して行くものですが、後進国が経験もなしにその結果だけまるごと真似してもうまく行きません・・。
この辺がオートメ化した製造設備の丸ごと導入とは意味が違います。
韓国の法制度は私が弁護士になった頃には、日本戦前の民法制度そのまま・・旧法的言えの制度そのままと言われていましたが、民主化後韓国の法改正を見ると果敢に改正して行き、日本の制度をドンドンを追い越していることを紹介したことがあります。
今では戸籍制度さえ廃止してしまっています。
刑事訴訟法関係も長期勾留制度を廃止していて、(200年代に入ってからだと思いますが・・時期をはっきり記憶していません)日本の刑事手続を大幅に追い越していることも紹介しました。
理想的にドンドン改正して行けば見た目は良いですが、これに乗り切れない国民意識にひずみが生じます。
工場設備は先端化すればするほど現場の熟練要求度が下がるので、最貧国でも丸ごと整備導入すればそのまま製造出来ますが・・社会制度は人権屋の言うとおりに理想的に作れば良いものではない・・社会制度はそうは行きません。
中国など新興国は急激な生活水準引き上げが始まると政治意識・・権利要求だけは一人前になりますが、社会能力や政治的妥協能力が低いのが致命傷になて行きます。
社会経験がないので自分の要求が通らないことに対して、(100のテーマで100人集まれば平均して自分の意見は1回しか通りません・・結果的に99%の不満が蓄積されて行き、「政治不安定になるのは必至です。
利害対立・違う意見がありながら、合意して行く智恵は、数千年単位の長い経験値が必要です。
幼稚園児に任せれば最後はつかみ合いの喧嘩しかないのと同じで、自主的合意に委ねれば良い年齢・・レベルがあります。
社会始まって以来・合議で決めて来た経験のない北朝鮮のような社会では、成長しないで貧しいままの方が、政権が安定します。
中国の場合も専制支配下の経験しかない点では、対等者間の合意形成経験がない・・民度は似たようなものですが、国民がある程度成長の恩恵を受けてしまった点で北朝鮮よりも国家運営が困難です。
文化人・マスコミは頻りに、中国を豊かにするのに協力すれば、民主化が進んで対外冒険主義がなくなると言う宣伝をしています。
彼らは、もしかして民度が低い場合に発言力を認めると社会が混乱するかないと言う歴史を知らないか、または世界征服の野望を遂げたい中国の意を受けた国際プロパガンダに精出している過ぎません。

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