社会保険の赤字10(定義の重要性1)

公的保険赤字は、赤字になると分っている鉄道を政治力で無理に引かせておいて、国鉄に赤字を負担させていたのが間違っていたのと同じことです。
国鉄マンが経営努力しても政治介入分が赤字になるのは理の当然ですから、労働意欲が落ちます・・マスコミはこれを咎めて国鉄マンが如何に働かないか、だらしないかの大合唱でしたが、大もとの原因隠蔽に手を貸していた・・大もとは政治介入による労働意欲減退だったことは民営化した後の働きぶりによって証明されています。
※ダラ漢・無責任労働者がはびこっていたことも事実ですが、大もとが腐っているときに外部から見れば末端の無気力が可視的になるのはどこの組織でも同じです。
幹部が経営責任を持てなくなっていたので、労働組合も組織がどうなっても良いと言う価値観が浸透し、利用者無視のストライキばかりやるようになってしまったのです。
社会保険庁の無能ぶりが民主党+マスコミによって大騒ぎして暴かれ,政権交代になりましたが、赤字をどうやって解決していいか分らない(国民・・主として人権派が大判振る舞い運動しながらお金を出すのをいやがっている矛盾が、集中的に現れていた)憂さ晴らしに、職員をスケープゴートにしてどうなるものではありません。
国鉄であれ、社会保険であれ、経済原理を無視した優遇を要求する以上は例外措置によって生じたコスト・資金は、税で賄うべきですから税で賄った分=保険料で賄えない分を赤字と言っているのですが、赤字の意味が民間(社会常識)と違っています。
民間の経済に関しては赤字と言えば放置すれば倒産の危機に及ぶ大変な事態として知られていますが、民間経済用語を会計システムの違う公的機関に持ち込むのは用語のすり替えでしかありません。
この辺は財務省が財政赤字と繰り返し宣伝しているのと同類のすり替えです。
私が繰り返し書いて来たように、公共団体の場合には例えば収支トントンの団体が、ある年100億円で港湾や学校を作ると、100億円分そっくり赤字になりますが、同時に100億円の資産が増えたことを計算に入れない変則的な会計制度だからそうなっているだけです。
個人で言えば年収1000万円生活費900万円の人・・収支黒字100万円・預貯金・投資金5000万円の人が、(投資金をそのまま運用したままで)4000万借金して、4000万のマンションや大手企業の株式を買った場合,その年だけの金融収支としては、取得したマンションや株式価値などのプラス資産を問題にしないので、年収入1000万−(生活費等支出900万+4000)=3900万の赤字・・年収比3、9倍の赤字です
財政赤字とはこのようにその年度の債務負担だけ見て年収・GDP比何%になったと言うのですが、この概念に何の有用性があるか分りません。
家計であれ、企業であれ、財務の健全性を見るには、蓄積した+資産と金融資産とのバランスで見るべきですが、財務省(あるいはその意を受けたエコノミスト・マスコミは敢えてミスリードしているのか分りません)は、資産部門の増減を全く問題にしていません。
どこの誰も認めないようなこねくり回した独自概念を一般概念と同じであるかのような印象でマスコミに流布して、年収・GDP比何倍だから大変と主張し続けているが何が大変なのか、合理的に理解出来ない・・マサに虚偽説明そのものとプロの世界では評価されているので、国債市場や円相場はびくともしていません。
公的機関が独特の概念(国語?)を作ってマスコミに流布させているだけですから、比喩的に言えば、「役所では晴れた日を雨」と言うことに用語統一した場合、それは内部の隠語・符牒であって外部に一般概念同様に流布させるのは言語の混乱を招いてしまいます。
社会に流通している意味では、明日晴れと予想されるときに、気象庁が内部符牒のママ「明日雨です」と国民に発表すると雨を前提で仕入れたり行動する国民を欺く行為です。
こう言う場合直ぐに結果が出るので、「気象庁は何をしている!」と言う非難轟々でしょうが、経済や政治現象で言葉の定義を勝手に変えて発表すると国民は常識的意味で誤解してしまいますが、虚偽であることがすぐに分らないので、国民を欺き易い・・欺かれている方は長期的に大損害を被ります。
内部独特の符牒概念を一般概念のように使うのを「嘘つき」と言うのではないでしょうか?
同じ「ドル」でも香港ドルやオーストラリアドルや◯◯ドルごとに価値が違いますので、米ドルで交渉してまとまったときに香港ドルを払うつもりだったイキナリと言うのでは詐欺になります。

高齢化と社会保険の赤字7(透析の場合2)

昔でも貴族など生活水準の高い人は高齢者が多かったことを昨日書きましたが、平均寿命の上昇には生活水準向上が大きな役割を果たしています。
70〜80〜90歳まで生きる人が徐々に増えるようになったのは、言わば庶民生活の底上げが進んだことによります。
私の母の事例をJanuary 21, 2016「高齢化と社会保険の赤字1」で書きましたが、母が、90〜95〜100歳と齢を重ねたもののその間、これと言った病気をしていない・・高齢化してから特別な医療を受けたことがないので、庶民が100歳まで生きられたのは、社会全体の生活水準が上がったことによります。
私の母にガンが見つかったとき(100歳のお祝いの翌年)兄から連絡があってお見舞いに行ったときにも、母が退屈しのぎに籠を編んだりしていて,当然のことながら自分で歩いてトイレなど済ましていました。
何十年もの間、徐々に年をとっていることを知っていましたが、母の病気を聞いたのはこのときが初めてで,始めて病院へお見舞い行ったのです。
ガン騒ぎの前に時々訪問したときの話では、趣味の編み物材料などを高齢者向けの手押しクルマを押して買い物したりしているとのことでした。
高齢化(平均寿命アップ)とは、乳幼児や若年死亡率低下効果による効果が大きいとすれば、高齢化による医療費大幅上昇の意味には、子供や若年者に対する医療費増加が大きな比率を占めている可能性があります。
4〜50歳で心臓疾患・糖尿病等で死亡していた多くの人や、救急救命処置の進歩がこれを助けていることも平均寿命アップに寄与し,且つ透析等を考えても分るように医療費アップに大きな影響を与えています。
透析医療のデータを1月31日紹介した関連で透析利用者の1年生存率、5年生存率等の変化を見て行きます。
以下はhttp://docs.jsdt.or.jp/overview/pdf2014/p029.pdfからの引用です。

上記によると1983年からデータ化されているのでこれを一部抽出をしますと、以下のとおりです。

       1年生存率   5年生存率   10年生存率   20年生存率
1983年  0、818   0,585   0,419    0,222
1993年  0,832   0、540   0、342    0,161 
2000年  0,855   0,588   0,367    データなし
2002年  0、857   0、589   0、360
2012   0,866   0、598   データなし   
2012   0,876   データなし

文書説明によると、12年の1年生存率が87、6%と書いていますので、この単位であることが分ります。
生存率は、過去における導入者の追跡調査で出したのではなく、現在生存者・透析利用者が過去何年前から導入しているかのデータにしたように読めます。
(5年以上の生存率がでていないので・・)
2013年に調査して生存者=通院者にいつから始めているかを聞いて、あるいはカルテで判断して、1年前からだと12年の導入者の生存率が87、6%となり5年前からと答える人の数を2008年の導入者の5年生存率が何人・%と書いているように読めます。
これによると2013年に10年生存率を見るには10年前の、2002年に始めた人の数字がこれにあたることになります。
このようにしてみると、2013年調査時点で20年も続けている人が約21%もいるし、10年前からの人も36%,5年前からの人は59%など累積して行きますので、年々透析患者が増えることになります。
(生存率が上がれば上がる程現役の患者が増えますし、高齢化して行きます。)
但し、20年生存率が21%あることが分っていますが、30年生存率は統計がなくて不明としても高齢化による他病併発がありますので、25年程度で累積して行く限界が来る可能性があります。
上記データは、各年に始めた人の何%ですから、各年度合計は当然100%になりません。
(1年、5年、10年、20年の4年分合計であれば、合計400%が分母になります)
透析利用者の平均年齢は、1月31日紹介したとおり平均年齢が、67、5歳となっていますが,上記のとおり10年前から始めた人が36%も生き残っているのですから、生存率が高くなったこと=高齢化による医療費の増加と言えば言えますが、元々65〜70前後で始めた人が20年も生きているとは思えないので、中高年者の始めた医療だったことが分ります。
高齢化社会になったことで近年7〜80歳になってから透析が必要な人の参入が始まったようで利用者平均年齢が上がっていますが、その代わり平均生存率が下がる方向になって来たようです。
100歳前後の人でもガンの手術をするようになって、これを平均生存率に加えるとすれば、急激に平均生存率が下がるのと同じで、まさか80台になって透析を始めても基礎体力がないので、何年も生きられないでしょう。
高齢者透析を始めると、「始めて10〜20日であえなく最後」と言う人が結構出て来るかも知れません・・今後はコンピューター時代に合わせてもっと詳しく「何歳で始めた人の生存率」と言う統計にしないと意味がなくなって来るでしょう。

消費税増税延期と国債信任(マスコミ報道の中立性)2

1昨年日本が衆議院解散によって、税率アップしないことに決まった結果、(格付け会社がすかさず格付けを引き下げたのに対して)国債市場においてこれに反して直ぐに日本国債の価値が上って金利下げに転じているのですから、「消費税増税は日本経済にとってマイナスである」と、市場参加者多数が考えていたことを証明しています。
その後中国発の経済危機が起きてもなお、現在まで日本国債の市場評価が上がり、金利が下がる一方ですから、格付け会社の判断が間違っていたことが短期的にも中期的にも証明されています。
エコノミストや日本のマスコミ・・日本マスコミに頼まれて?これに付き合っている世界のマスコミ界、IMFなど国際金融機関係者も大恥をかいた状態です。
ちなみに国際金融機関の意見と言うと何となく有り難そうですが、日本財務省の窓際族が(国益を守るために?)出向していて、本省の言うとおりに発言・・IMFはこれに基づいて日本関係の発表を行なうことになっているようです。
この辺は,NGOによる「援助交際」問題に関連して国連報告ってどうやって出来上がってて行くのかに関連しての連載中だったのですが、今は先送りになってますが、その内にその続きを書きます。
事件相談者にも・・「みんなが言っていると言う」人が多いです。
マスコミやNGO例えば、慰安婦報道を朝日新聞が拡散しておくと、外国マスコミは実態不明のママ朝日報道を前提に報道する・・それを朝日が世界中でそう言われていると利用すると言う巧妙なトリックです。
増税先送りが決まると直ぐに日本国債相場が上がったのは、市場参加者間では増税すると日本経済が大変なことになる→国債の売り=金利アップを予定しており、増税先送りで破綻リスクがなくなると考えて買い判断に動いたことが明らかになりました。
市場参加者の大多数の腹は、増税は日本経済に中短期的にマイナスと決まっていたことになります。
市場意見の大勢がそうなっていたとすれば、これをエコノミストやマスコミ関係者が一人も知らなかったのはあり得ないことですから、中立を要請されるマスコミとしては、両論を紹介すべきだったことになります。
いつも書いていることですが、マスコミの中立性違反の根深い体質がここにも現れています。
財務官僚はIMFにまで手を回して増税に向けて意見表明させていた・・先送りが決まるとすかさず失望意見を出させていたように記憶していますし、国際格付け会社の引き下げが決まるなど・・財政当局やマスコミの努力には敬服?しますが、「市場のことは市場に聞け」と言う格言どおりに、市場の意見が正しいことを基準にすれば、増税して日本経済を破綻に導く方向だったことになります。
日本経済を破綻方向へ誘導しようとする官僚やマスコミってどこかの国の手先か?・・日本を潰そうとしているのか?と言う議論が起きて来るのは当然です。
世界中のマスコミと談合を繰り返して国際世論を形成しても、市場の実際の評価がこんな噓(裸の王様)を問題にしていないことが、増税先送り後の国債市場での金利動向や円相場・・経済大波乱→「有事の円高ドル安」現象にみてとれます。
慰安婦問題の世界拡散運動やアメリカ主導の日本悪玉論・・これに迎合する日本メデイアによる日本の評価を貶めるための流布活動に関しては、国債のように国際市場による民主的チェックがないので、国際マスコミが談合している限り当面化けの皮がはがれません。
米国をバックに日本マスコミやいわゆる文化人・・中韓などが日本批判を繰り返す・・世界マスコミ支配している勢力が世界中に流布させている噓を覆せないのが苦しいところですが、その代わり長期間でいつかは真実が明らかになると言うのが我が国の信念がいつかは日の目を見るときが来ると祈るしかありません。
何回も書いているように、日本では数百年〜千年単位後の名誉を重んじる国・社会ですから、噓はいつか絶対にバレルと言う信念です。
アメリカが軍事力をバックに強制して来た虚構の歴史が70年の経過で、アメリカの軍事力のかげりに合わせて中東での収拾のつかない混乱→難民急増→EUのきれいごとの破綻、アジアでは日中韓の対立等々で、全ての分野でいよいよメッキが剥げ始め・・アメリカによる虚構の歴史観の終焉が始まりました。
・・新しい秩序=古代から培って来た日本の万物に対する愛に満ちた世界観がアニメその他を通じて世界に広がる始まりを感じている国民が多いのではないでしょうか?
韓国では、自国歴史までファンタジーで塗り固めていることが知られているとおり、虚構の歴史に最も単純に反応して来た優等生?であり、これをしたたかに利用して来たのが中国(利用しているだけなので、ヤバいと思えば、方針変更も気楽)です。
戦後秩序がアメリカ・ユダヤ系マスコミの虚構によって成り立っていることをアメリカやユダヤ系は自覚しているから慎重でしたが、アメリカの支持さえあれば何を言っても良いと単純に信じている韓国が遣り過ぎたことによって、(日本の協力を必要としているアメリカが、さすがに韓国の主張を応援し切れなくなった・・)却ってアメリカが営々と構築してきた戦後秩序の虚構性が暴露される切っ掛けになってきました。
中東ではイラク戦争に始まるアメリカのやり過ぎの限界が出て来て・・中東の混乱を鎮められないアメリカの軍事力低下→難民の急増が西欧でも戦後秩序の混乱が始まっています。
消費税増税に戻しますと、マスコミやエコノミストの言うとおり、増税しないと財政赤字の日本が大変なことになると言う脆弱性があれば「危機時に円高になる」筈がありません。
7年半前のリーマンショックや今年初めからの為替相場の動き・金利動向を見れば、日本が世界一安定した経済状態にあることが証明されています。
論者は中短期の見通しではなく長期的に大変ことになると言うのでしょうが、では格付け会社が40年も50年も先のことで何故即時に格下げしたの?と言う疑問に答えられないでしょう。
格付けは、50年先に買う人のためではなく、今買ったり売ったりする投資家の参考にするために格付け・評価するものです。
人によって100年先〜50年〜1年〜半年先喉の時点・・そのときに今の社長が辞めているとか世界情勢がどうなっているなど全ての要素を織り込んでその内のどれを重視するかはその人の勝手ですが、いろんな要素基準で考える人が多く参加して市場価格が決まって行く・・いずれにしても将来を見越して現在の価値を決めて行くが評価・格付けと言うものです。
すなわち、100年さき、5年先でも人によって何を基準にするかは市場参加者の勝手ですが、市場参加者が無数の可能性を織り込んで、結果的に今・現在の価値を決めて行くのが市場です。
コネや義理に左右されない市場が1昨年から現在までに日本国債評価が下がっていない事実こそが重視されるべきです。

生活保護受給者増2(感謝する心3)

本来受給出来る人・権利要求を控えていた人の権利主張(これは正しいことですが・・)が急増すると、これにつられて境界付近の人まで要求するようになります。
どんな分野でも裾野になれば、該当人口が何倍にもなりますから、受給者が急増して、財源が足りなくなります。
企業の有給休暇・育児休暇制度も創設当初はみんなが要求しない前提で法制度が成り立っている・・もしも100%取得する前提ならば、有給休暇・育児休暇制度も期間を半分クライから始めないと企業がやって行けなかったでしょう。
もしも全員に強制的に休ませる・100%取得前提ならば、企業の抵抗が強くて国会を通過しなかったでしょうが、どうせみんな要求しない・・よほど必要な人だけしか遠慮して請求しない・・当面2〜3割程度しか消化しないだろうと言う(その代わり翌年持ち越し制度が整備されています)擦り合わせで国会を通過したと思われます。
育児休暇その他新たに権利を認める新制度は、そう言う見込みで徐々に取得率を上げて行く・・企業も適応力をつける仕組みで成り立っています。
法律には小さく生んで大きく育てる方針を書いていませんので,条文に書いている「権利」だからと言うことでイキナリ利用拡大運動に火がつくと、殆どの企業で人員やりくりが出来なくなって大変なことになるでしょう。
保育園の待機児童が問題になっているのも、女性の労働力化政策=保育園利用誘導政策が予想外に進んだ結果です。
いろんな法制度の内、処罰を含む規制法は処罰があるのでこのようなファジーな制度には出来ませんので、施行後2〜3年まではこの規制、何年からこの規制と段階的規制値を書きますが、権利要求制度は、権利要求しないのは各人の勝手で処罰がない・・・該当国民がいきなり100%要求しないことを前提にしている制度があります。
予想外に要求者が急増すると企業経営が成り立たないし、社会保障制度は予算が追いつきません。
そこで昨日書いたように、予算増額が間に合わない・・国民理解が得らないときには、保障率を下げるしかなくなります。
給与を一旦引き上げると経営が苦しくなっても簡単に引き下げることが出来ない・・下方硬直性があるのと同様で、保護基準を引き下げるのは抵抗があって困難なので認定調査を厳しくする方向になって来たように見えますが、これが窓際作戦と言うものでこれがまた人権団体から批判されています。
国会(もしかして授権されている政省令がある場合それを含めて)で基準引き下げの改正がされるまでは、その間は権利ですから、・・窓口規制強化はおかしいと言うことで、この何年か前から生活保護受給権の権利主張をさせる弁護士活動が活発になっています。
窓口規制強化とは、不正受給防止策強化のことですが、これが行き過ぎて本来受給資格のある人まで受けられないようになるのでは確かに問題です。
兄妹子供の収入が調査されるかの質問があって、そんなことには調査権がないので応じる義務がないなどのアドバイスがネット上で多いようです。
形式論理で行けばそうかも知れませんが、こういう質問回答ばかりがネットで盛んになっている現状・・はびこって来ると税負担する国民が納得出来ないでしょう。
いくら息子が金持ちでも実際に食べさせてくれない以上は、その親の面倒を政府が見るしかありませんが、その代わり政府が一定収入を条件に息子に対して法定支給分の求償をする制度設計にすべきです。

生活保護法
(昭和二十五年五月四日法律第百四十四号)

(保護の補足性)
第四条  保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる。
2  民法 (明治二十九年法律第八十九号)に定める扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による保護に優先して行われるものとする。
3  前二項の規定は、急迫した事由がある場合に、必要な保護を行うことを妨げるものではない。

設計当初は、息子がいるのに生活保護請求するのは、恥ずかしいと言う人を前提に設計されていた・・恥を忍んで申し込んで来る以上、余程困っているのだろうと言う前提で息子の所得調査する必要がなかったので、自主申告で良かったでしょうし、役所から子供に連絡が行けば余程困っていない限り親の生活保護を「お願いします」とは言わなかったでしょう。
今になると息子の所在調査すること自体に、「どう言う権利で調査したのだ」プライバシー侵害主張から始まり、「私に払えと強制出来るのですか?」と逆質問して来る始末から、福祉事務所も困っています。

大手企業役員の息子がいても生活保護請求する時代か来れば、子供らの所得証明を提出させるか調査権を付与(法律改正)すべきだと言う世論になって来るでしょう。
今の制度では息子らの所得証明を要求しないのは国民意思が息子の生活水準を問題にしないと言う意味ではなく、資力のある子供いる人が請求することを予定していなかっただけです。
実際に高市早苗氏が問題にしたお笑い芸人(年収5000万だったか?)に対して批判が殺到したのを見ても、国民意思がどこにあるか・・法が家族の無資力を明記していないとしても、こう言う場合の請求は濫用だと国民が思っていることが明らかです。
今の生活保護権利要求援助運動は、真に困っている人が、自粛すべきではない」と言う域に限定している限度で正しい運動ですが、これを超えて来ると、国民意思に反した、単なる法網をくぐる運動の評価を受けるようになります。
権利要求応援活動が激しくなるに連れて、在日の生活保護受給率の高さなどを批判する上記高市早苗氏の批判のようなカウンター勢力が成長して行きます。
不満のはけ口としてどうして良いか分らないためか、在日特権批判や滅多にない不正受給を探し出して批判するカウンター勢力の方式は、実は有効ではありません・・。
制度矛盾に目を向ける起爆剤の役割にはなりましたが・・。
不満の根源は自分が平均以上の生活しながら親兄弟の面倒を他人(税金)費用を出させようとする図々しい点にあるのですから、これまで自制(子供らが親を見る気がありませんと言えば、それで良いのか)に委ねていた周辺関係者の資力要件を乗せるかどうか国民的議論の俎上に載せて正面から議論すべきです。
この本質を論じないで、弱い者イジメのように一握りの在日の不正をあげつらっても解決になりません。

高齢化と社会保険の赤字4(感謝する心2)

生活保護制度(養老院→老人ホームなど)が昭和25年に成立していますので、設計時には、有資格者(老後生活に困っている人)がいても、他人の世話になるのは、恥ずかしいから一定数は親類縁者(友人)の受け皿がいて救済される・・縁者がいない人の最後の受け皿として設計されていたと想定されます。
以前コラムに書いたことがありますが、この15〜20年近く前から、大企業の役員をしている息子がいてもお祖母さんを所帯分離して無収入として安い老人ホーム入所資格を得ているのが普通になって来ました。
昨年だったか?有名お笑い芸人の母親が生活保護受給していることを高市早苗さんが指摘してマスコミで問題になりましたが、この傾向は大分前から私のコラムで指摘して来たところです。
生活保護受給する権利があると言う教育?・・他人の世話になるのは恥ずかしいという道徳心を否定して、何も恥ずかしいことではない・・「権利を堂々と主張しましょう」と言うのは、本当に困っている人に対しては必要なことです。
しかし、従来基準で言えば、子供世界が経費を出せるのに、経費出費による生活水準を落としたくないために所帯分離するなど、権利主張するためにどうしたら受給資格を得られるかの工夫が発達して来ると一種の制度濫用です。
子供の年収が何千万あっても親が生活保護受ける権利があると言う考え方が一般的になれ別ですが、今のところそこまで国民意識が変わっているようには見えません。
高市早苗氏が問題提起したお笑い芸人の場合、年収5000万と言うことで社会問題になったものですが、そう言う「狡い」行為を国民は許容していない国民意識を前提にしています。
最低生活水準の人でもやりくりして助け合って生活するのが今までの風潮でしたが、その程度の人は別として、年収1200万の人でも1000万の人でもお金と言うものは、月5〜10万の出費が増えるのは避けたいものです。
そうは言ってもそのお金を関係のない他人が出すべきと言う意識・・極端に言えば、「育ててくれた親に対して舌を出すのもイヤだ」と言うことで、社会保障費が膨らむのっておかしいと思いませんか?
このコラムを書くついでにちょっとネットを見ると、◯◯が生活保護申請すると自分の収入を調べられるかと言うような公務員など一定の年収のある人の質問がいくつも出ています。
元々は、最後の受け皿・・セーフテイネットとして制度設計したものなのに、周りの友人知人どころか、肉親も援助しない・・所帯分離などの工夫が発達すると、統計上貧困所帯が激増して行きます。
この制度が出来た戦後直ぐのころよりも日本が貧しくなって、生活保護請求者が増えた言うのは、無理があります。
本来の権利者が遠慮していた点は改める必要がありますが,勢いが余って?巨万の資産家の母親や身障者などまで所帯分離するように勧誘するようになると本末転倒で助け合いの精神を破壊してしまいます。
在日系に生活保護所帯が多過ぎると言う批判論は、自分の母親が生活保護なんて恥ずかしいと言う・・恥を重視する日本人と違う道徳意識の違いによると思われます。
高市早苗氏の指摘した有名お笑い芸人は・在日だったように記憶しています。
この4〜5年ばかり弁護士による生活保護受給援助活動が急速に盛んになったように見えますが、日弁連が音頭をとっているのかどうか知りませんが、在日だけではなく日本人にも身内に頼らずに権利要求するのを応援するだけではなく,生活保護受給は権利であって、恥ずかしいことではないと言う風潮を広げようとするのかも知れません。
元々家族で助けあう・その外延として親戚→一族→同じ集落で助け合う価値観でしたが、これに頼る意識を前提にし過ぎるのは古過ぎる・・改めて行く必要がある点については、私も同感です。
とは言え、同居していた母の住民票を動かして所帯分離するようになってくると行き過ぎの感じがしますが・・。
この運動の行き着くところ、日本人の「同胞に出来るだけ迷惑かけたくない・・恥ずかしいことだ」と言う道徳意識が変っていくのでしょうか?
東北大震災被害で特性が明らかになった日本人の世界に誇る同胞意識「絆」の解体が目的でないとしても結果的にそうなって行くでしょう。
生活保護を受ける権利と言えば、昨日書いたように法で基準を決めた以上は基準に合致する限り(本質は社会の善意によるとは言え、形式的には)権利ですから、その運動自体弱者救済となります。
本来の有資格者が遠慮して苦しんでいるのを放置せずに権利意識を覚醒させて受給するようにするのは人権擁護上必要ですが、(子供の年収数千万の人が境界かどうか分りませんが)境界付近の人まで所帯分離して押し掛けるようになって来ると(お金のある人までホンを買わないで図書館に行く時代にするようなものです)国家予算に限界があるので窓口作戦を発動し、保護基準を引き下げるしかありません。
制度設計当初の社会意識では、老後困った人の大方を子供らが、面倒を見る前提で設計されていたし、権利があっても遠慮する人しか想定出来なかった・・不正・不当受給など考えられなかったので、子供や兄妹の経済力証明など要求していなかったに過ぎないと想定されます。
今になって、子供らの収入証明が必要と言う規則がないことを理由に「聞かれても拒否しましょう」と言う宣伝が行き渡って来ると、ルール改正すべきだと言う意見が増えて来るでしょう。
年収千万以上の子供らがいても面倒見なくなる時代を比喩的に言えば、100の受給者を想定して予算額が100のときに受給者が急激に3倍になれば、一人当たり支給額を3分の1にしないと計算が合いません。
そうは行かないとなれば、予算を倍増するか、イキナリ倍増出来ないとすれば、2〜3割増して支給基準を6割減にするなどの外、運用基準を厳しくする・・親兄弟などの年収要件を作るなど調整が必要です。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC