人材登用2(院政→会長)

多くの企業では「ひ弱な?新社長を後見する」ために会長制度を設けているのですが、世襲ではない大手企業の場合、イエスマンばかり引き立ててその筆頭を指名するから必要な制度になっている疑いがあります。
大手企業の会長制度は、自分がいつまでも影響力を保持したいと言う私心がある場合が多い・・このためにイエスマンを後継にする傾向がある点では、原則として悪しき制度です。
セブンイレブンの人事騒動では、鈴木会長が「この7年間の新機軸は皆自分の発案によるもので現社長の発案によるものは何もない」と主張しているようですが、それが真実としても自分がまだ陣頭指揮したいならば隠退しないで、社長をやっていればよかったことです。
世襲でない以上は親子のような年齢差はないので実力を見極めて選任したのでしょうから、隠退した以上は任せてみればよかったでしょう。
社長の器か否かを多数決で決めるべきでないにしても、鈴木会長の言い分にもおかしな点があるので世間一般に受入れられないような印象が残るのかも知れません。
そのうち、大手企業で社長が会長になること自体が、「品性が疑われる」社会常識になっていくでしょう。
大手企業の雇われ社長は本来終身ではない・辞めるべき任期があるのに、任期以降も影響力を残すためにイエスマンを後継指名するのは任期制の潜脱です。
プーチンがイエスマン・・メドベージェフ氏を1期だけ大統領にして任期制を潜脱したことがありますが、それに似たようなことを会長制は制度化したものです。
世襲を前提とする時代の院政や信長、家康の隠居の場合、折角確保した政権を盤石にしたい・・息子の地位を早く確立しておきたいと言う(世襲が公理のような時代・環境・・ 現在でも個人的零細企業では)合理的意図によります。
歴史家は院政を悪く言うのが普通ですが、世襲制の場合本来任期がなく終身ですが自分が元気なうちに次世代に少しでも経験を積ませておきたいから早めに隠退するのは、後継育成策として合理性があるのでイチガイに批判出来ません。
終身制の場合に子供に早めに地位を譲るオヤは、元々余裕を持って存続出来る権力を子供のために自発的に自分の権限を狭めて任期を短くするものです。
どちらかと言えば権力の盤石なときに今のうちに子供に譲っておくと言うスタンスですから、自分の権力を少しでも引き延ばそうとする現在の会長のいじましさとは逆です。
江戸時代の隠居制度・世襲制の利点を書いたことがありますが、息子が後を継ぐ前提で早めに隠居して息子に早くお城勤めの経験をさせてやりたい親心です。
合理主義の信長だって権力最盛期に家督を信忠に譲って経験させようとしていますし、秀吉が関白職を秀次に譲り、家康が秀忠に将軍職を譲ったのも関ヶ原で勝った後の最盛期です。
吉宗以降も徳川将軍家では、将軍を隠退した「大御所」制度が行われていました。
最近では何年か前に大王製紙の後継者の大失敗や昨年あたりの大塚家具の父娘の大騒動(武田信玄のように息子の方が成功する場合)があります。
千葉県の政治家の例で言えば、(国会乱闘で勇名を馳せた)浜コー(浜田幸一衆議院元予算委員長?)であれ皆自分の元気なうちに地盤を早めに継がせたいのが親心であり合理的です。
ちなみに浜コーの場合後継に成功しています。
成功している場合歴史に残るほど有名にならないだけです。
権力者が自分の元気で余力のあるうちに後継者育成に心がけるのは(院政を敷くことが目的になって来た保元平治の頃になると本末転倒・・保元の乱は崇徳上皇が院政を敷けない仕組みにされたことに恨みを持ったことが天皇家内の争いの原因でした・・こうして「院政=悪」と言う図式が出来上がっているのですが本来は子供が一人前になるまで面倒みる親心が悪いことではありません)必要なことであって、悪しき因習と言うモノではありません。
今は院政の代わりにどこでも、会長と言う役職がありますが天皇家同様に世襲を前提とする個人企業の場合一定の合理性があります。
私の3〜40年来の創業者・依頼者(・・中小企業)も高齢化して多くはまだ自分の威光の届くうちにと言うことで、60代後半ころから70台に掛けて息子を社長にして自分が会長になっているのが普通です。
社長をやらせてみるとオヤの目に叶わないことが多く、元社長から時々相談を受けることがありますが、息子は一人しかいないので他人に変える訳にも行かないと言う愚痴で終わるのが普通です。
折角創業して一応の企業に育て上げたのに会社が駄目になってしまうくらいなら他人(何十年来の信用出来る社員)に委ねたいと言う元社長も中にはいますが・・本心かどうか不明なので糟糠の妻の意見はどうかなどと聞いていますが・・。
息子をクビにする・・その後の息子夫婦の生活をどうするかなどの詰めをしていないと話がややこしくなるからです。
息子に任せていると仮に5〜10年先に倒産必至と言う場合にその前に転職させておいて普通の職人・・他所で食えるようにしてやる方が良いかと言う選択肢がありますが、そこまでの覚悟がない親が普通です。
本来子供を育てている途中でその子が経営者に向いているかどうかが20台になる前に分る筈ですから、早めに見切りを付けて後を継がせない・・能力相応の勤め人にしておくのがオヤの務めです。
社長にしておいて50台になってからやめさせるのでは、子供もその後の人生をどうしてよいか分らないで困るでしょう。
大塚家具もセブンイレブンもその意味で高齢者の方が負けて、隠退する方が落ち着きが良いことが確かです。

人材登用(社長の器2)

ところで、社長業はやらせてみないと分らないと言う世間常識は社長お気に入りの候補(多くはイエスマンです)を側近から選ぶことを前提にしているから「やらせてみないと実践能力が分らない」のであって、トヨタの奥田碩氏はフィリッピンかどこかの子会社に飛ばされていた人材と言うことでしたし、その弟で松坂屋と阪急の合併会社の「何とかフロント」の社長・・最近日経新聞「私の履歴書」が出ていましたが、本流から外れて海外などの子会社で実績を挙げて来た候補者を選定すれば試運転が要りません。
幕府で言えば紀伊徳川家から選んだ吉宗のような事例です。
その前も綱吉が館林城主、その次が甲府城主など経営の実績を元にいわゆる親政を布いています。
親から子への直系相続の場合、年齢差が大きく経験がないので海千山千の長老に囲まれると「良きに計らえ」となって結局人形になってしまいます。
藤原氏の地位が確固たるモノにになって行くのは藤原4兄弟〜北家南家等の競り合いがあって勢力伸長したモノですし、道長の場合も兄弟間の競り合いを最後に制した・・戦国時代の最後を飾った家康のようなものでその後直系世襲になると凋落して行きます。
徳川幕府も吉宗以降は直系相続にせずに傍系相続にしてどこかの藩政で成功している藩主を次期将軍につけるようなステムにしておけばよかった気がします。
その後の直系将軍は名ばかりで、マトモな政治が出来ない・・藩政経験のある松平定信などに実権が移って行ったのは仕方のないことです。
幕末最後の将軍(一橋)慶喜は直系ではない=成人していたし頭が切れたにしても、幕閣で家柄(御三卿の一橋家に養子に入りました)を背景に発言力があっただけ、小さな藩すらも経営したことがない・・実戦・・実務経験がなかったのが弱点でした。
ちなみに水戸徳川家で観念論が幅を利かしていたのは、参勤交代が許されず江戸に常駐する特殊な縛り(江戸定府義務→毎日登城しなければならない旗本同様の身分)があったから、国許での経営実務経験がないこと(平安時代の遥任の官のような立場)によるのかも知れません。
戦国大名のママの島津その他大名家では、家臣団も先祖伝来の自分の領地と直結したままですから、お城から帰れば農業をやる半農半士・・大身の場合自分の領地経営がありましたが、幕府旗本は房総半島の領地へ生涯に1〜2度行くか行かないか・・自分で領地経営したこともないのが普通で御家人同様の実質給料取り・・平家の公達みたいでした。
これが幕末・・国家緊急事態に足腰の弱った旗本が活躍出来なかった原因ですし、明治維新は下級武士・・生活に根ざしていた武士階級が担った原因でした。
慶喜の政治力に戻しますと、実践能力の裏付けがないところで発言力の後ろ盾である将軍職・権威喪失=大政奉還してみるとたちまち小御所会議で、してやられてあっという間に(大政奉還から小御所会議までの期間はホンのわずかでした)朝敵に追いやられてしまいました。
今回のセブンイレブンの再任拒否騒動を見ると、自分が元気なうちに後継者を天皇に早く着けて自分が上皇になって後見・睨みを利かせる・・自分が元気である以上次世代がまだ若く未熟・・結果的に上皇が権勢を振るった時代に戻ったような印象です。
ただし、セブンイレブンは元は内需型企業で国内で大成功してるだけであって、トヨタのような世界展開企業ではありませんでした。
・消費系は、元々内需型で満足していたので、海外展開を始めるようになって年数が浅く、元気印を海外子会社で武者修行させておくような余裕のある組織になっていないからかも知れません。
ただ、海外子会社から呼び戻すようなことは、危急存亡時限定であって、日常的業務としてはカリスマ経営者=船頭は2人要らないので普通の業績順調企業の場合、後継者としてイエスマンを指名するのが普通です。
そうである以上は、やらせてみると創造力に乏しいのは当然であって、鈴木氏の現社長への不満は、無い物ねだりの可能性あります。
まだ自分が現役のうちに隠退して影響力を行使するのは、世襲制の場合には概ね次期後継者が(親子の年齢差は大きい)若いので創業乱世を生き抜いて来たオヤの目から見て頼りない状態だからです。
オヤとしては自分が周囲に文句を言わせない力のあるうちに未熟な息子に実践経験させて試運転させてやりたいと言う親心から出ていることが多く・・それなりに合理性があります。
院政の先駆事例と思われる光明皇后の紫微中台(今で言う大宮御所ですが、後の院宣のような「紫微令」を発したことで光明子は前天皇ではないけれども事実上院政(院宣)の始まりではないか(今まで読んだ限りではそう言う意見が見つかりませんが・・)と私は思っています。
光明皇后が夫の聖武天皇の尻を叩いて事実上朝廷を牛耳っていたすごいやり手であったことは争いのないところですが、娘の孝謙天皇だったかがあまり頼りないから、目を光らせるために紫微中台を創設していたと見るべきでしょう。
少年事件で見ると、子供がしっかりしないからオヤが良い歳になった息子に一々小言を言う・・子供がうっとうしくなるのと似ています。
目を光らせていた光明皇后死亡後には、孝謙女帝は皇統を断絶させるかと言う日本史上空前絶後の大事件・・弓削の道鏡による天皇位簒奪未遂事件・・宇佐八幡の神託事件を起こしていますので、やはり元々しっかりしていなかったのでしょう。

人材と身分保障3(再任拒否の自由1)

1昨日紹介したセブンイレブンの社長解任決議否決に対して解任(正確には任期満了らしいので再任拒否)案を強行した鈴木敏文氏が退任表明したとのことですが、法的基準と言うか常識から言えば多くの取締役が常識にしたがいワンマンの暴走を止めたコーポレートガバナンスが機能したとも言えますが、悪く言えば無難な意見が通ったことが分ります。
マスコミ報道では何ら失敗もないのに・・と言う説明ですが、今回の騒動は労働法分野で定着した雇用者保護の基準・思考方式を無意識に社長人事基準に反映させていないかの疑問があります。
労働者に対しては不正その他懲戒自由にあたらない限り解雇出来ないのは生活や人権保障として当然ですが、社長人事は、過去の業績ではなくこれからの可能性にかける問題です。
公団公社や天下り組織の人事でありません。
まして「解任」ではない「再任の適否」となればなおさらです。
裁判官の身分保障に戻りますと憲法や法律を紹介したように解雇・転任規制などありますが、再任の保障までは法律上ありませんが、今回同様に再任拒否すると大政治問題になります・・昭和40年代に宮本判事補再任拒否が大政治問題になったことがあり、これに最高裁は懲りていますのでこの事件以来再任拒否は事実上出来なくなっています。
裁判官の自己保身意識が潜在的に働いていると思いますが、憲法や法律の保障のない一般労働者でさえ滅多に再任拒否や解雇転任命令が出来ない判例が定着していますが、こうすれば、法律保障のある裁判官はなおさら再任拒否出来ないと言う運用になる期待がないとは言えません。
期間限定雇用でさえも、雇い止めに対する規制的運用が普通になっています・・この流れを維持したい勢力としては、セブンイレブン事件は正確には再任拒否なのに何故か「解任」として大々的に報道している理由かも知れません。
借地権保障を強化・・再任拒否と根底思想が同じ更新拒否を事実上認めない運用になって土地を貸す人が減った結果、平成に入ってから借地借家法で更新拒否出来る定期借地借家形式が創設されたように、再任拒否が事実上出来ないような行き過ぎた運用が非正規雇用を広げた背景です。
今現在業績が良いから4〜5年先を見据えた新しい事業に挑戦する必要がないと言う企業がないのと同様に、社長の器の見立ては今失敗していないかどうかではなく、将来発展性を持って事業を革新して行く能力があるかどうかが基準であるべきです。
これまで減点がなくうまくやれて来た人材がリスクをとって新たなことに挑戦して成功出来る人材かは全く別物です。
いわゆるプロと言うか、エコノミストなどの解説は、過去の業績トレンドの延長を前提にした解説ばかりですが、株が上がり始めるとともっと上がると言って買いを推奨し、下がり始めるともっと下がると言って売りを推奨するのが株屋ですし、こういうことに長けているのが社長お気に入りの気の利いた後継者です。
減点主義、気が利くかどうか右顧左眄の得意な人が概ね出世する雇われ社長や学者・官僚は過去の学習に向いていますが、果敢に挑戦して社会の一歩先を行ける政治家や創業者等は過去の学習能力はほどほどで良くてそれよりかもう一歩先を見る能力が必要です。
音楽その他芸術系の優秀な生徒と芸術家になれる人との違いとも言えるでしょうか?
社会の大きな動きを切り開いて行くには過去の延長的才能・・周辺同業者より早く真似するのにたけた競争的人材が社長では企業はジリ貧です。
9日の日経新聞朝刊を見ると氏名委員会2名の内社外委員は元警視総監や学者が委員、委員長と言う構成らしいですが、こう言う経歴のお偉い人が創意工夫力を問われる社長の適性に関して、カリスマ性・創意工夫力で誰もが認めて来た鈴木氏よりも優れているとする仕組み自体がおかしいように思えます。
新しいことに果断に挑戦出来る人材か否かは将来の見立てになるので、トップの直感力による新規事業開始決断(調査結果など客観資料に頼っていたら他社と同じことになります)同様に尊重されるべきです。
※バブルの10数年〜20年前ころの経験では、スーパーや街道筋のドライブイン〜ファミレスなどの出店ラッシュでしたが、この辺はスーパー立地適当と言う調査報告を元に出店計画を立て土地の買収あるいは借地などの交渉に入り西友やジャスコなど許認可などで4〜5年かかって工事着工してみたら直ぐ近くに同じような調査報告による出店計画した競合他社の工事着工が始まる・・(びっくり仰天?)雨後の筍のようなことが頻繁に起きていました。
要するに誰でも賛成するような情報・・手堅い事業計画では、企業計画としては意味がありません。

人材と身分保障2(羹に懲りて膾を吹く1)

能力があるのに上司とそりが合わないと言うだけで解雇されたり地方へ飛ばされるのは本人にも企業にもマイナスです。
裁判官の場合、法の精神を体現している立派な人材であるが、政府特定権力の気に入らないからと僻地に飛ばされるのでは国家的大損害ですが、そのようなことにならないようにチェック体制を作れば良いことであって、どうにもならない人でも解雇や転勤を命じられないと言うゼロか全てのような制度まで作り上げるのは稚拙と言うか乱暴過ぎます。
権力が不当検挙をしてきた事例があるからと言って、「刑事処罰を全部やめよう」と言う意見は皆無と思いますが、不当拘束や無辜を罰しないように刑事訴訟法が工夫され発展して来たのです。
公害が出ても、その産業廃止ではなく公害が出ないように技術革新して行けば良いことです。
高度医療技術も失敗が多いからとイキナリ禁止するのではなく改良を進めて行くことによってその技術発展性があります。
原発は危険だから全面的にやめようと言うのも,その間のいろんな工夫の余地を認めずイキナリ結論に結びつける短絡性の難点があります。
不当転勤や解任を防ぐには、正当な処遇かどうかをチェック出来る仕組みにしておけば良いことで,弾劾裁判以外には転勤や解雇を一切認めないと言うのは論理飛躍があり過ぎます。
「羹に懲りてナマスを吹く」と言う故事がありますが、裁判官の身分保障の行き過ぎに限らず、日本国憲法は戦争の悲惨さを強調して一切の戦争を認めないとかやることが短絡的・・子供染みています。
戦争の悲惨さと軍備保持しないこととの間には、殆ど脈絡なく結論付けているのもその1例です。
憲法前文では、世界の信義を期待して生きることを宣言してこれを受けた9条では軍隊を保持しない・交戦権を放棄すると言うのですが、喩えば世の中から「犯罪のない平和な社会を希求」し「社会構成員の信義道徳を信頼して?警察制度や刑罰をなくして・・平和な社会を作り上げて名誉ある地位を占めたい」と言ってドア開けっ放して寝ていたり、留守にする人がいますか?と言うのと同レベルの単純思考で現実離れしている点は同じです。
犯罪のない社会を願って警察や刑務所をなくせば犯罪がなくなるのではなく、社会の安定・・正義が行き渡ってこそ犯罪が減少するのですから、思考回路が逆転しているか、幼稚園生レベルです。
国際社会は日本国内治安よりもっと民度が低い・・未だギャング世代みたいな段階であることは争いがない状態ですから、交戦権さえ放棄すれば世界が平和になるものではありません・このことは朝鮮戦争に始まり、最近ではロシアによるクリミヤ併呑や中国の傍若無人な行動を見れば誰でも分ることです。
憲法
前文
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法原案起草は日本語の翻訳に従事していた若い女性を探し出してホンの短期間で作成したと言われていますが、法律実務や世の中を知らないド素人の作った憲法としてもお粗末です。
何事も濫用を防ぐには、手続の整備から入って行くものであって、イキナリ制度自体をやめてしまおうという乱暴な発想は素人でも普通は思いつかないレベルの低さです。
金融不祥事があれば金融制度をやめるとか、会社の不正経理があるから会社制度を廃止しろ、決算は信用出来ないから商業帳簿を廃止しろと言うのではなく、社外役員制度や監査制度の充実強化などの工夫から入るのが普通の智恵です。
話題がそれてしまいましたが、裁判所法で裁判官を降格転任させられない仕組みなっていることから、民間の解雇転任無効事件ではこれに引きずられて?の判断や運用が続いてきました。
その結果合理的根拠ないと解雇や転勤命令が無効となる判例が定着していますので、今では裁判官特有の身分保障制度ではなくなりました。
この結果から見ても、要は手続制度工夫次第であって法律で何が何でも転勤を禁止するのは行き過ぎ・・乱暴であることが分るでしょう。
「戦争を防ぐためには軍隊をなくせば良い」と言う意見は,死ぬのがイヤなら生まれて来なければ良いと言うのと同じで、あんちょこ過ぎてまじめに現実社会を見ていない・・冗談程度の意見でしかありません。
労働法の良き運用実績・・判例集積でいろんな企業では管理職としてどうかな?と言う程度の「難あり人材」を敢えて降格するのは出来なくなっていることは事実でしょう。

司法権の限界12(合法テロ2)

テロ・・違法行為抑止力に戻ります。
テロ行為に失敗しても何の処罰・リスクもないのでは、野球の打撃練習のように成功するまで何回でも違法攻撃を繰り返せます。
旧来型犯罪は未遂・・予備段階、もっと先の準備段階でも物色中に近所の人の目につことが多いのに対して、サイバーテロは当たりを付けている程度では何にも関係ないし、成功するまで隠密裏に何百回でも攻撃を繰り返せることと、一旦侵入成功すると千両箱を担ぐ必要がない・一挙に無限大の巨大情報を窃取出来る・・被害甚大=成功利益が巨大なことが特徴です。
一人で孤独に頑張れば良いので協力者を募る必要がないことも事前発覚リスクを小さくしています。
事後にも一見しただけでは情報がコピーされたか分らないので発覚がもの凄く遅れます。
どんな厳重なカギでも道具や時間をかければ壊せないものはないのですが、その前に発覚するリスクがある(明るいところと暗闇の違い)からこれが抑止力になって実行され難いようにしているだけです。
仮処分による国策妨害運動・・外れて元々の気持ちで原発立地全事件で操業停止の仮処分を仕掛けて行く運動・・「裁判闘争」の場合、失敗リスクがない点が問題です。
裁判官採用では思想差別していませんから国論が3対1あるいは6対4で割れている場合、大方この比率で裁判官の思想信条が分布している筈ですから「裁判官の良心」による判断ではなく、個人の政治信条どおりの裁判をしても良いとすれば、国論に関する民意分布どおりの裁判結果になります。
夫婦別姓・相続のあり方、朝鮮人学校へ学校への補助金、各種儀式での国旗掲揚の可否、ソーラ発電補助金等特定産業に対する補助金の可否、マンション建て替え決議制度導入・飲酒運転処罰加重の是非その他いくらでも賛否の分かれるテーマがあります。
全て憲法違反と言えば言えます。
政治にはいろんな意見があるのが民主主義社会の基本ですが、いろんな意見を戦わせながらその主張を支持する多数を得た方の意見で決着・・国会で議決して国家の意思としては1つにする仕組みです。
折角政治の場で国家意思を1つに集約して一定方向へ動き出しているのに、(飲酒運転過重処罰改正法で言えば)納得しない勢力が司法を利用してあちこちで(仮に3分の1比率の場合3分の1の地域で)効力停止させてしまうと、上級審で統一されるまで,ある裁判所では執行停止、ある裁判所では執行して良いとなって、国家秩序が無茶苦茶になります。
個人だけ関係する事件・・例えば個人間で金を払えと言う裁判では場所ごとに判決がちがってもそんなに影響がないのですが、同じ安全基準で操業している原発に対して,この基準の合理性・危険性を争う裁判をあちこちで起こして、それを直ぐに効力の出る仮処分で決めて行くと、裁判所ごとに内容が矛盾する・あるところでは基準が不合理だから、操業停止しろと言い、ある裁判所では合理的だから守れと言うと、国民(企業)はどちらに従って良いか迷ってしまい国内産業が混乱します。
国民・市民一般に効力が及ぶ対世的効のある事件では、仮処分ではなく高裁→最高裁で統一見解が出るまで効力の出ない本訴で決着つけるべきです。
福岡高裁宮崎支部では今朝、川内原発では基準が合理的であるとして差し止め命令申し立てを棄却しています。
新基準に関しては福井地裁の操業停止命令が異議審で覆り(この間裁判長転勤)川内原発では地裁で却下されて異議も却下されて、今朝高裁で棄却されているのが現状です。
鹿児島地裁決定が昨年4月らしいですから、今朝の高裁決定まで約1年もかかっています。
鹿児島の決定は差し止めを認めなかったのですが、大津地裁は操業禁止してしまっているので高裁で決まるまで1年もかかって仮に高裁で操業を認められても、その間の停止は国家的大損害です。
自分の考えが異端で上級審で破棄されることを仮に知りながら、その間だけでも(数ヶ月でも1年でも意図的に引き延ばす場合?)国家意思を麻痺させる目的で仮処分制度を悪用しているとすれば一種の合法的テロです。
一般的不良品率・・何百人に5%程度は、司法界の正統派意見ではなく、どちらかと言えば誰も相手にしないような変わった意見・・はぐれた?人格破綻的裁判官もいるでしょう。
昔から人材に関してはどんな厳密なテストをしても5%前後の想定外人材が入るのを防げないと言われます。
部品等の場合歩留まり利率が何万分の1に高まっているかも知れませんが、人間の場合複雑なので(日航パイロットの逆噴射事件・・精神異常?がありましたが、採用時点で)数十年先の人格を予め判定しきれません。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC