民主主義2の基礎・信頼関係

西欧的近代社会に適応しようとした帝政ロシアが農奴解放に徐々に践み切ると,・・構造改革は普通は既得権益層・大貴族との利害衝突になりますが・・大貴族に対する配慮の結果、農奴の方はそれほど解放がすすまないと言う不満があり・・社会が大混乱に陥るのが普通です・・が帝政ロシア失速の始まりです。
この結果金融的にユダヤ系に締め上げられていった経緯についてはロシアのデフォルトのテーマで最近書きましたが、社会がうまく行かなくなると騒乱→革命になったのが帝政ロシアでしたし、第一次大戦の敗北でドイツ帝国も崩壊しました。
うまく行かなくなると騒乱→革命になったのが帝政ロシアでしたし、第一次大戦の敗北でドイツ帝国も崩壊しました。
中国清朝も変法自彊運動に始まり時代適応しようと努力すると、却って内部混乱が始まり軍閥が横行して結局瓦解してしまいました。
蒋介石軍も、共産軍も最後まで勝ち残った軍閥の生き残りだったと見るのが正確でしょう。
韓国はアメリカ支配下にあった関係で、実力不相応に民主政体化しましたがその無理が出て来ていますし、台湾もアメリカの影響で国民党一党独裁からうまく脱皮しましたが、北朝鮮や中共・・共産政権ではまだそのままですから、軍閥的発想が未だに抜けないから昨日紹介した孔子の策によれば、最下策にあたる軍備増強第一に考えるのです。
アメリカでは何年か前のミズーリの水害のときの報道を見ると,混乱に乗じてすぐに略奪が始まる程度の国です。
昨日の報道では反トランプデモがすぐに暴徒化しています。
野口英世を例にしてこのコラムを書いた頃・・アメリカ社会を見た直感では、少なくともアメリカは日本より500年前後遅れていると書いていた記憶ですが、その後相次いだ縄文時代の新発見を参考にすると数千年単位前から助け合い・循環型社会が出来ていたことが分って来ました。
今ではアメリカ(に限らず世界中)は日本に比べて数千年単位・・何周回遅れの社会が日本に教訓を垂れるなどおこがましいと言う考えで意見を何回か書いています。
循環型社会・公害に敏感な社会・・ゴミ処理能力と社会の相互信頼関係は根っこが同じです。
我が国の場合、あれだけ戦争で無茶苦茶に負けても、国民の側から政府に対する不満や責任追及論は全く起きませんでした・・。
不満を言う前に占領軍が来たので、それに対する対応に追われて不満を考える暇がなかっただけと言う意見もあるでしょうが・・。
日本に将来がないからと言って国外脱出するどころか、食うや食わずになっている本国に海外から何百万人も帰って来て復興に精出しました・・。
ウイキペデイアの記事です。
「敗戦時には軍人・民間人計660万人以上が海外に在住し、引揚げした日本人は1946年末までに500万人にのぼったが、残留日本人の数や実態については現在も不明である」
その分食糧難が一時的に酷くなりましたが、「困るから帰って来ないで」と言う人・・文句を言う人はいませんでした・・お父さんや弟が戦地から無事返って来てみんな喜んだものです。
食糧が絶対的に不足していたのに騒乱も犯罪もそれほど起きず、みんな黙って復興に励んでいましたし、裁判官が配給だけに頼って飢え死にした事件もありました。
(ただし、後記のとおり無茶な要求をして皇居に押し掛けた「共産党員」もいましたが・・ほんの一部でした)
1911年3月11日の東北大震災でも、みんな黙って救いを待っているのを世界中の人が驚いていましたが、戦後一時期田中角栄氏のようなゲンキンな人が幅を利かす社会になっていたように見えていたのですが、民族の血として脈々として繋がっていた同胞意識が底流で全く変わっていなかったコトが分りました。
(このときもホンの一部とは言え、泥棒していた人もいました・終戦直後犯罪率は当然上がりましたし(食糧不足・配給だけでは生きて行けないので、配給がいの食糧を求めていたので、やみ取り引きの検挙・・犯罪も増えます・・全員が海外から引き上げた訳ではないでしょうが、民度を言う場合ゼロを言うのではなく、こうした危機時に起きる比率が重要です。)
戦死者を悼む心・・靖国神社についてもアメリカや中韓を刺激すると言う間接的追及論や失言騒動をマスコミが起こすのが限界です。
このマスコミの煽りに対して共感しないで不愉快に思っている人の方が多かった結果が出たのがいわゆる慰安婦問題に対する大反撃です。
アメリカの攻撃に完敗しても天皇制を死守し、勇敢に戦った自分の父を尊敬している人が大多数・・そういう民族です。
「朕はたらふく食ってるぞ!なんじ臣民飢えて死ね」と言うプラカードの標語が何故か心に残っているのは、あまりにも日本臣民の心からかけ離れた不届きで罰当たりな標語を掲げて皇居に押し掛けた違和感からでしょうか?
本日現在のウイキペデイアによると以下のとおりです。
「プラカード事件(プラカードじけん)とは、1946年(昭和21年)5月19日の食糧メーデー(米よこせメーデー、正式には「飯米獲得人民大会」)の際、参加者の一人である日本共産党員の田中精機工業[1]社員・松島松太郎が掲げた「ヒロヒト 詔書 曰ク 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」
そもそも国内の食糧総生産量が人口に見合わず、戦前は台湾や朝鮮半島から輸入していたため、また外地からの復員の分、人口が増えるわけであり、満足な供給には無理があった。農民も復員してきているとは言え、今すぐに食糧が増えるわけではなく、誰が大臣になっても解決策は無かった。大会翌日の5月20日、GHQ最高司令官マッカーサーは「組織的な指導の下に行われつつある大衆的暴力と物理的な脅迫手段を認めない」と声明を出し、社会党と共産党を牽制した。これによりデモ隊は霧散した。
既にGHQはこの食糧不足の危機的状況を把握しており、最も欠乏していた北海道から順次、食料供給を始めており、食糧問題の特別使節団として派遣されていたハーバート・フーヴァー元大統領は、90万トン近い食料を日本に供給すべき、と進言しており、実際に実行されている。 このデモはそれらを無視した形で、当初から政治的目的を持って行われた。」
戦争に負けたからと言って(恐れ多くも)天皇陛下の名を呼び捨てに書いて、皇居に押し掛け天皇に対して直截面会を求めるなどるなど日本国民の多くにとってあるまじき行為ですから・・その表現にショックを受けた人が多かった・・共産党系はソモソモ日本民族の一体感を持っていない人の集まり・・権力が弱ればその隙を突きたい人たちであることを自己証明した事件だったかも知れません。
「イザ鎌倉!」と言うときに「待ってました!」とばかりに敵方に馳せ参じる武士のような人も一定率いるでしょう。
今でもそうですが、選挙の結果を無視したデモ呼びかけで国会前に5000人〜1万人も集まると民意を証明していると左翼系文化人が自慢しますが、当時の1億人口の内暴徒が皇居前に1〜2万人集まったとしてもそれが当時の日本人の大方の意思だったことには到底なりません。
民族分断したいアメリカの入れ知恵で、戦争責任追及論に迎合するグループは今でも文化人には多いですが、そう言う使嗾に乗る人は国民の中の例外に留まっています。
選挙結果こそ掛け値のない民意ですが、社会党支持率が2%前後しかない状態が、実際を証明しています。

司法権の限界16・謙抑性4(民主主義の基礎1)

司法権のあり方に戻りますと、日経新聞に出ていた訴訟手続外の「心象風景」を重視する裁判官が増えて来ると結局はマスコミさえ味方に付ければ、民意を知るために行なわれた選挙の結果を覆すことが出来る・・政治の負けを挽回できる図式になります。
こう言う繰り返しの結果、政治論争をドンドン司法に広げて行くと政治と司法の限界がなくなってきます。
この結果・・司法権が肥大して行き政治論争のうち重要なテーマであればあるほど憲法違反の言いがかりをつけ易いことですから、重要事項については全て司法権が最終決定する場になってしまいます。
16年3月27日紹介したように右翼から批判されている日経新聞でさえも「裁判所が国民心象を認定する・・」危惧を示しているように民意吸収の場になってしまって良いか・・裁判所周辺デモやマスコミ報道だけを民意のように誤解させてしまう訴訟戦術は民意を覆す=国民主権の憲法理念を空洞化させてしまう・・民主主義を破壊する悪い戦術ではないかの疑問が生じます。
こう言う実質的憲法破壊勢力を見ると、何かと憲法違反と言い立てる集団構成員に多いように見える・・冗談みたいな集団です。
買収に応じる役人が悪いのは当然としても、これを誘惑する贈賄提供する方も汚職罪として処罰されるになっているように、民意は選挙で決めるべきが憲法の原理なのに選挙結果無視の裁判を求めるのが日常化すると民主主義が死滅します。
憲法は下位目的の運動に誘惑される裁判官個人の責任だけと言い切れるのでしょうか?
人権団体?がアメリカの大統領選挙の結果を認めないと言う主張で、連日激しい反トランプデモを繰り広げていますが、人権団体の主張は憲法をより所にすることが多いのでですが、出たばかりの選挙結果を認めないと言うデモをする人たちが憲法を拠り所に運動する集団って、どこかおかしい印象です。
選挙後の政策が憲法に反すると言うならば分りますが、選挙後まだ何もしていない選挙の翌日から、反トランプ運動するのでは、何のための選挙だったのか・選挙制度否定論と同じです。
自分の意見に合わない集団には表現の自由や人権を認める必要がないと言う(気に入らないデモは暴力的妨害しても良いし、中ソの核実験や公害・人権侵害等々不都合な事柄には一切触れないなど)偏頗な我が国の人権団体と同じ偏頗集団に見えます。
大統領選挙後のアメリカの騒動を見ていると、サッカーの試合に負けた方のフーリガンが暴れているようで、我が国のような落ち着いた民主主義社会(・・合議を尽くす社会)になるには、数千年単位で遅れているから無理が出て来たと見えます。
過去何世紀もアメリカが何とかなっていたのは、産業革命後必要になった豊富な資源+労働力の(移民をドンドン入れることによって補給する)供給力、右肩上がりの成長経済によって、不満が隠されていたに過ぎません。
アメリカの成長ドンか・・ニクソンショック後で言えば約30年以上経過で遂に国民亀裂を隠し切れなくなって来た印象です。
中国でもサウジでも、どこでも成長しておこぼれをある程度分配出来ている限り不満は起きません・・。
配分が減り大災害や敗戦などで、国民が困り切った極限状態で国民がどのような行動をとるかで民度・・元々の信頼関係が試されます。
イザとなれば、団結するのか分裂するのか、略奪に走るのか助け合うのか、国外脱出に走るのかが民度・信頼関係の簡単なバロメーターです。
中国でも韓国でも少しでもお金を造り、子供を如何にして国外脱出させるかが大きな目標になっている社会です。
民主主義とは本来「信なくんば立たず」信頼関係があってこそ定着するものです。
信頼していないがお金をくれる(補助金などで分配してくれる)限度で支持すると言うのでは、実質的賄賂を合法化しただけの社会です。
実利優先社会では、相手が落ち目になると(あるいは韓国やアメリカの大統領のように任期満了近くなるとレームダック状態になります)潮が引くように去って行きます。
論語
子貢問政、子曰、足食足兵、民信之矣、子貢曰、必不得已而去、於斯三者、何先、曰去兵、曰必不得已而去、於斯二者、何先、曰去食、自古皆有死、民無信不立。
書き下し文
子貢(しこう)、政(せい)を問う。子曰わく、食を足し兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ。子貢が曰わく、必ず已(や)むを得ずして去らば、斯(こ)の三者(さんしゃ)に於(おい)て何(いず)れをか先きにせん。曰わく、兵を去らん。曰わく、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者(にしゃ)に於て何ずれをか先きにせん。曰わく、食を去らん。古(いにしえ)より皆死あり、民は信なくんば立たず。
イザとなると何から順に棄てますかと聞かれて孔子様が、先ずは「兵力」次に「食糧」→「信頼は最後まで死守すべし」と言うことです。
孔子様は兵や食糧よりも、最上の政治は「信」であると喝破しています。
我が国では、このフレーズが好きな人が多い・・そうあるべきと考えている政治家が多いので人口に膾炙していますが、肝腎の中国では個人・人民としては最優先選択肢は食糧=財貨でしょう。
諸子百家時代には中国でも立派な考えが出たコトを何回も書いていますが、肝腎の中国現地では良いものを誰も顧みない・下劣な考えが尊重される民族になり下がったのは構成する民度によります。
今でも中国に立派な人が皆無とは思えません・・要は民族総合評価時代になっているので、少しくらい立派な人がいても埋没して守銭奴的中国人ばかり目立つのです。
立派な古典を読んでも、その中のどこに感動するかは読む人の能力によるのと同じです。
シックな洋服と成金趣味の洋服がある場合どちらを選ぶかは客の品性が決めます。
現在中国の為政者としては、不満を抑えるためとあちこちに武張るコトによって国益・国富を損じても平気・・兵力を棄てるよりは兵力拡大が優先課題のようですが・・上記孔子様の意見によれば、上中下のランクで言えば最下策です。
他方国民の関心は食糧・実利・守銭奴的関心が際立った民族ですが、為政者は外国に威張るために国富を損じる=国民の腹に入るものが減っても兵力強大化に邁進しているのは矛盾関係ですから、経済破綻が現実化して来ると無理が来ます。
欧米の自慢する民主主義と言っても「相互信頼」によるものではなく実利で民心を釣る政治ですから、中国人民同様の中〜下等度の民度向けです。
アメリカの「スクラップ&ビルド」と言うとなんか格好いい印象で教えられましたが、状況が悪くなるとその町をゴーストタウンにして棄てて行く安易な実利社会を表現するものです。

司法権の限界14・謙抑性2

国家としてのあるべき制度論に戻りますと、何でも裁判で決着を付ける・・今年の春に出た原発仮処分について、国論の割れている重要テーマを選挙の洗礼を受けていない裁判所が最終決定するのは国民主権の原理から見ておかしな制度であること、ましてや、過疎地の裁判官が仮処分で決めて一時停止させてしまうのは司法権の乱用ではないか?と言う関心で書いてきました。
「裁判官の良心とは何か?」から入って、「April 7, 2016「司法権の限界13(人材と身分保障1」から身分保障〜「裁判闘争と合法的テロ?1」〜「地方自治制度の悪用2(国家意思の不貫徹)」を書いている途中でテーマが横に逸れていましたが このシリーズのテーマと基礎思考が同じ・・その続きでもあるし、ある程度繰り返しになっています。
沖縄の普天間基地移転が裁判で争われているのも、公有水面埋め立て工事許可権限・取り消し権限が知事にある・・国は県の構成員・・住民や企業ではないのに、国が県の許可を受けねばならない変な仕組みを前提に裁判しているようですから、この仕組み自体が狂っているから漫画っぽい争いになっているのです。
※ただし沖縄での知事と国の訴訟内容を直截知っている訳ではありませんので、本当の争点を知りません・・ここは憶測にわたる意見です。
http://www.news24.jp/feature/110/feature110_01.html2016年7月22日 12:20
「米軍普天間基地の名護市辺野古への移設をめぐり、国が指示した「埋め立て承認取り消しの撤回」を行わないのは違法だとして、22日、国が沖縄県を再提訴した。移設については、国と県が法廷で対立していたが、今年3月、和解が成立していた。」
上記によると国に指示権があるとしても、知事が従わないときには裁判しないと効果が出ない制度らしいです・・この裁判の必要により、工事が約2年遅れると言う見通しもあります。
・この辺のテーマは今年の春頃原発運転停止仮処分が出たときにMarch 26, 2016「高浜原発停止と司法権の限界1」以下で書き始め、その後国家的テーマについて過疎地の裁判官→過疎地自治体首長・が決めるべきことか?
・・地元にも大きな影響があるので、ある程度地元意見を尊重すべきですが、最終決定権まで地元住民持つことが妥当かのテーマで、April 20, 2016「地方自治制度の悪用2(国家意思の不貫徹)」前後で連載しました。
以上考えて行くと、自治体の各種の許認可事項については、国を何故例外扱いの制度設計にしていないのか?の疑問です。
占領軍は地方自治を置き土産として決めただけでしたが、その後を受け継いだ学者が拡大発展させて中央政府をがんじがらめにして各地の自治体の協力がないと政府が何も出来ないようにドンドンとガン細胞のように拡大させて来た印象を受けます。
国策として国権の最高機関である国会の議論の結果、過半数以上の支持で決まったことでも、全国の一部・人口比で言えば数百分の1もない過疎地の1つが反対すると全国的国防網に穴があいてしまう仕組みが統一国家のあり方として合理的である筈がありません。
与那国島の例で言えば人口1500ですから約8万分の1の人口です。
10月16日に紹介した災害対策法に「協力」と言う文言が明記されていますが、政府が決めてもあらゆることで各自治体に協力を求めるしか出来ないのが戦後法制度の骨格です。
今は末端の拒否権が上記のとおり事実上(裁判その他の是正手続が一応ありますが・・)認められている上に、住民が拒否するかどうか決める投票資格が3ヶ月前からその自治体に居住していれば良いと言う緩い要件・・その上外国人にまで投票権を認める自治体がある・・与那国島の例を紹介して書いています。
ここで司法権の謙抑性に戻りますが、March 29, 2016,司法権の限界4(謙抑性1)の続きです。
原発稼働基準は、政治の手続に則って新基準が合法的に設定されているとした場合、司法権はこの基準に合致するかどうかしか判断する権利がない・・基準そのものを批判して政治決定を「間違っている」と決定するのは憲法の予定する司法権限の逸脱であって、許されないと思います。
喩えば、金融政策でもその結果どうなるかを必ずしも専門家も分っていません・・市場が専門家の予想どおり動く保障はありませんが、専門家の意見で兎も角やって見るしかないものです。
私有財産権侵害といえば憲法問題ですから、何でも気に入らなければ裁判出来ることになってしまいます。
司法が日銀の金融緩和決定が(いくら何でもマイナス金利は行き過ぎだとして)間違っている(最近はやりの「国民の理解を得られていない」と言う理由で?)として、(金利が下がるのは預金者の権利侵害には違いないですが・・・)停止を命じるのは、司法権の逸脱です。
年末の日韓合意で言えば、間違っている・・憲法違反として、司法権が無効判決する事自体が許されません。
社会のあり方(無限に近い膨大な要素判断が必要)の判断は民意を受けた政治・国会意思→法で決めて行くべきであって、司法が法の内容が民意にあっているかどうかを決めつける権利がありません。
法と言うものの多くは実際上の必要性が認識されてから、利害関係者双方の綱引きの結果規制法が制定されるのが一般的ですから、実際の不都合発生よりも遅れるのは仕方がないことです。
法がないからと言って利害調整する機関・民意吸収の場でない司法権が前もって判断するのは憲法上許されません。
これが罪刑法定主義の基礎理念で、人権保障の意味で、一般に事後法処罰は出来ないと言われますが、それは結果的効果から見た意見に過ぎません。
法理論・本質的には、司法と政治を分ける基礎思想・・司法は過去の事実を見て当時の状況から見て、違憲判断や有罪判決するのが原則的業務で、将来こうなるべきとして法改正を要求することは許されません。
最近出た非嫡出子の相続分が半分しかない点に関する違憲決定も、当該事件の相続開始時に既に差別するべき合理性が失なわれていた・・国民意識が変化していたと言う過去の事実認定です。
最高裁判所大法廷平成25年9月4日決定
「・・・以上を総合すれば,遅くともAの相続が開始した平成13年7月当時においては,立法府の裁量権を考慮しても,嫡出子と嫡出でない子の法定相続分を区別する合理的な根拠は失われていたというべきである。」

上記のとおり、判決時の約12年前の事実認定であって将来このようにすべきと言う判決ではありません。

政党は約束を守らなくて良いか3(ロシアのデフォルト2)

日露戦争前から帝政ロシアが何故デフォルト寸前の破綻状態に陥っていたかを考えると・・中世から近世に掛けて、スペイン王室が戦争ばかりしていてその都度イタリア商人から借金を繰り返していて、スペインのお王様が何回も(アメリカ大陸から莫大な金銀が入って来たのにこれを使い果たして)破産したのと似ています。
ロシアの経済破綻はクリミヤ戦争で負けたことだけが原因ではなく、大きな目で見れば、歴代皇帝が支配地拡大に入れ込み過ぎた結果と見るべきではないでしょうか?
支配地拡大を為政者が本能的に求める傾向がありますが、日本で言えば北方領土や竹島が戻っても(心情論を別とすれば)経済的に何か得るところがあるでしょうか?
逆に過疎地が増えて国民負担が増えるだけ・・ましてこのために戦争まですれば、まるで無駄遣いです。
ロシアは元々イワン雷帝やピョートル大帝以来、バルチック海への入り口を求め、シベリアにあるいは、南に支配地を拡大していって、何か得るところがあったかの疑問です。
ソ連経済も同じで、中核のロシア共和国の支配力維持のために域内共和国へは国際相場の何分の1かの超低価格で天然資源の供給をして来たことが知られています。
日本でも村の顔役を張ると余計な寄付をする羽目に陥るし、威張るには金がかかります・・アメリカもそれが嫌になって世界の警察官をやめたいと言い出したのです。
現在の尖閣諸島であれ、南沙諸島であれ、中国がこんな無駄なことに(大量の漁船団に日当を払っていると言われています)国力をつぎ込んでいるのは、国家財政→国民の大きな負担になっています。
世界中で威張りたい一心で、中国は不要な軍事力の膨張を続け経済合理性のない資金をバラまいていますが,長期的には国運を衰退させてしまうでしょう。
古代からみても、漢の武帝が遠征を繰り返した結果次の世代がダメージを受けましたし、随の煬帝も高句麗遠征でつぶれ、モンゴル・元も日本への2回遠征で倒れました。
戦争に負けるとダメージがすぐに表面化しますが、勝っていても戦争を続ければ古代から多くの国がつぶれています・・。
スペイン王室も戦争に負けてばかりだったから、破産したのではありません。
ウイキペデイアによれば、以下の通り最盛期の王様です。
「スペイン王にして神聖ローマ皇帝に選出された父カルロス1世は当時のヨーロッパで最大の勢力を持ち、ヨーロッパ以外の広大な領土とあわせて、その繁栄は「太陽の沈まない国」と形容された。なお、現在のフィリピン共和国、フィリピン諸島などの「フィリピン」は、1542年、スペイン人のコンキスタドールによってラス・フィリピナス諸島と命名されたことに起源を発するが、これは、当時アストゥリアス公だったフェリペの名に由来する。」
「フェリペ2世は、1556年の即位と同時に膨大な借金も受け継ぎ、翌1557年に最初の破産宣告(国庫支払い停止宣言:バンカロータ)をせざるを得なかった。在位中にこれを含め、4回のバンカロータを行っており、フェリペ2世の時代の厳しい国庫事情が伺える。しかしイタリア戦争においては1559年、カトー・カンブレジ条約でフランスのイタリアに対する要求を放棄させた。」
話題が飛びますが、デフォルトの繰り返しの結果(日本の大名貸しが危険だと言われていたのと同様に不良債権のために)イタリア商人も没落して行き・・産業革命に成功した英仏蘭の時代に移ります・・。
このように物造りあるいは実業によらないで、金融資本に頼ると貸している方も危なくなるのが歴史の教訓です。
ロシア経済・貨幣制度の発展段階に深入りするのがここのテーマではないので、社会党→社民党の一体性に戻りますと、ロシア革命後のソ連→現在のロシア同様に、社会党時代の資産(プラスマイナスを含めて)を引き継いでいるのが社民党です。
現在の集団自衛権反対や基地に対するケチ付け運動の基本は、「日本がアメリカの戦争に巻き込まれるリスクがある」と言う主張が基本ですから、元々の60年安保反対運動時の主張と同じ・・今も繰り返しているのでは、村山内閣の「安保堅持」を守っていないことになります。
60年安保に関する本日現在のウイキペデイアの記述は以下のとおりです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BF%9D%E9%97%98%E4%BA%89
「安保は日本をアメリカの戦争に巻き込むもの(※在日米兵犯罪免責特権への批判もあり)」として、多くの市民が反対した。これに乗じて既成革新勢力である社会党や日本共産党は組織・支持団体を挙げて全力動員することで運動の高揚を図り、総評は国鉄労働者を中心に「安保反対」を掲げた時限ストを数波にわたり貫徹したが、全学連の国会突入戦術には皮相的な立場をとり続けた。とりわけ共産党は「極左冒険主義の全学連(トロツキスト集団[4])」を批判した。これに対し批判された当の全学連は、既成政党の穏健なデモ活動を「お焼香デモ」と非難した。
なお、ソ連共産党中央委員会国際部副部長として、日本をアメリカの影響下から引き離すための工作に従事していたイワン・コワレンコは、自著『対日工作の回想』のなかで、ミハイル・スースロフ政治局員の指導のもと、ソ連共産党中央委員会国際部が社会党や共産党、総評などの「日本の民主勢力」に、「かなり大きな援助を与えて」おり、安保闘争においてもこれらの勢力がソ連共産党中央委員会国際部とその傘下組織と密接に連絡を取り合っていたと記述している」
上記によれば50年前の安保騒動のときも今の集団自衛権反対論同様に巻き困れリスクが争点だったコトが分ります。
安保反対論の根幹が「戦争巻き込まれリスク論」であったのは上記のとおり明白ですから、村山総理が国会で、安保反対を言わないどころか「堅持する」と約束しながら一体性のある社民党が今も「戦争巻き込まれリスク」「騒音があ・・」とか「危険がある」とかを理由にして米軍基地の利用妨害のために次々と足を引っ張るための反対するのは、約束違反です。
ヤクザでもギャングでも、組員や関係者に対する約束を守らないと組織が保ちません・・。
大もとの約束・・社会秩序も守らないで仲間内だけの約束だけは守る・・政府や真人間の落ち度追及には(鼻が利き)言いがかりをつけてダニのように食い下がり、ヤミでのオトシマエを求めて行くのが違法組織・テロ組織(テロ組織も現場へ行く交通や破壊すべき電車その他社会機能が予定どおりやって来る前提でそれを破壊することを予定しています)の特徴ですが、そう言う違法組織と大差ないコトになりませんか?
違法組織と大差ないと善良な国民が知れば、今後益々支持率が下がって行くでしょう。

政党は約束を守らなくて良いか2(ロシアのデフォルト1)

ソ連解体後の新生ロシアは、帝政ロシアの旧債務支払義務を認めて国際取引社会復帰を果たせたとその頃報道されていたようなうろ覚えですが、ネット検索してみると、新生ロシア「共和国」がソ連の債務を引き受けて完済したのは出て来ますが、帝政ロシアの債務をその債務に含んでいる意味なのかがはっきりしません。
(ソ連は帝政ロシアの債務支払を拒否していたので、国際取引に必要な信用状発行を国際金融界から何十年も拒否されていた・現金取引しか出来ない状態がロシア革命以降続いていたという解説がありますが、そこには根拠が引用されておらずデータ的にはよく分りません。)
http://www.ier.hit-u.ac.jp/rrc/Japanese/pdf/RRC_WP_No57.pdf
帝政ロシア・ソ連・現代ロシアの金融統計の発展
と言う論文を見ると、そもそも(それまでの農奴制社会が崩れ始め)帝政ロシアで漸く貨幣経済・銀行制度が始まりかけたときに,日露戦争敗北〜第一次世界大戦〜ロシア革命前後の動乱が約10年間続き、その間貨幣経済が機能しなくなり物々交換経済に逆戻りしていたことが分ります。
およそ何千倍と言うハイパーインフレ(貨幣価値が1万3千分の1に下落)が続けば結果的に物々交換社会になって行くしかないでしょうし、モノ不足が極限化すれば共産主義かどうかに関わらず配給=貨幣不要社会にならざるを得ないのが現実です。
以下は上記論文の一部引用です
「内戦が激化した 1919年5月には人民銀行に対するすべての通貨発行制限が廃止され,通貨は国民経済の必要に応じて発行することとなった.1920年 1月には,人民銀行そのものが廃止され,紙幣発行は財務人民委員部(財務省)の業務となった.形式的には, 1897 年以前の国家紙幣発行が再現されたことになる.もっとも,実状は第1次世界大戦から革命,内戦へと続く混乱の中でハイパー・インフレーションが進行し,金融制度も通貨も機能しない状態であった(Alkhimov(ed.)[1981]pp. 8–9).1920年7月1日時点で,1 ルーブルの価値は1913年ルーブルの 1/13,000 まで低下し,1921 年初期において賃金の 93% は現物給付であり,税金納付も現物化されていた」
国内でさえ貨幣経済が機能しない混乱状態では、ソ連新政府が帝政ロシア政府の債務を返すどころではなかった・・本来デフォルトで良かったのにこれをしないで開き直って政府が違うから払えないと強弁していたに過ぎない印象です。
約10年間の原始的物々交換時代を経てNEP(新経済政策)で漸く経済混乱が治まった後に銀行制度の萌芽が始まりますが、それも共産主義経済強化・イデオロギーによる自己正当化によって(この辺の印象は私の個人感想です・・念のため・・)話がややこしくなってしまった印象です。
貨幣経済化の遅れを共産主義と言う理念で正当化する・・銀行制度などいらない・そもそも(民間企業がないとすれば)企業が融資を受ける必要がない・・全部国有企業・国有農場であれば、必要な資金は融資や投資ではなく、政府が予算として分配する仕組みで理屈だけは一貫します・・。
個人消費は全て配給制にするなど・・。
上記論文によれば、そうは言っても貨幣がないのは不便なので、中央銀行制度を作ってみたり、行きつ戻りつの繰り返しをソ連崩壊直前まで繰り返して来たことが分ります。
ソ連のデータが全くインチキで信頼性がないと言われていましたが、金融史の専門家の上記論文を見ると、ソモソモ統計以前に前提たる貨幣経済・・信用・与信システムが充分に浸透していなかった社会状況に唖然とします。
帝政ロシアの国家債務がどうなったかの根拠のありそうなデータが見つかりませんが、帝政ロシアの債務承継については以下のとおり(根拠不明?)のやり取りが出ています。  http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13140977113ベストアンサーに選ばれた回答
zuoteng1981さん2015/1/2916:14:53
「ソ連はその成立時に対英国だけではなく、全ての国に対する債務を一切拒否しています。
英国の損害も少なくありませんが、最大の損害を出したのは仏国です。仏露同盟の関係で多くの投資を行っていたんですね。」
歴史では仏露協商ばかり習いますが、11年頃から続いている南欧危機同様に、ロシア革命前に何回もロシアのデフォルト直前の危機が発生していて、貸し込んでいた西欧諸国が何とか支えて来た経緯があります。
上記論文http://www.ier.hit-u.ac.jp/rrc/Japanese/pdf/RRC_WP_No57.pdf
帝政ロシア・ソ連・現代ロシアの金融統計の発展の一部の引用です。
「・・・1854年のクリミア戦争の敗北は,政府主導による近代化・工業化をさらに強化する契機となった.帝国ゴスバンクは農奴解放の前年の1860年に設立された.この時期の帝国ゴスバンクは,中央銀行というよりは,国家資金の経済への供給を主要な役割としていた.近代化・工業化の加速に伴い資金需要が増大していた一方で,1857-1859年金融危機により従来の諸国家金融機関はほぼ破たん状態であった.外国銀行からの借入は月利2%の高金利であった・・省略。
月利2%と言えば年利24%ですから、政府がデフォルトしてくれないで国民に緊縮・増税を要求するならば、(贅沢して借金したのは王侯貴族ではないかと言う不満・・)国民は革命でも起こしたくなるでしょう。
ギリシャ・・南欧諸国危機では緊縮政策=貸し込んでいる債権国の独仏蘭(の金融機関は2〜3割有していると言う噂でした)がデフォルトされると自国銀行が連鎖倒産→自国の公的資金投入が必要になることから、「南欧の債務国が質素倹約して借金を返せ」その代わりECB+IMFが南欧諸国の国債買い入れを認めて当面救済することに決めました。
多分ロシア革命前に繰り返されたロシア危機でも、似たような繰り返しが行なわれていたでしょう。
ECBによる国債買い上げでギリシャやイタリアは何とか息をついたのですが、少し落ち着くと国民が緊縮の継続に耐えられなくなり、ギリシャでは緊縮反対派のリプラス氏が今年7月に国民投票に掛けて6割以上の支持を受けています。
緊縮の継続に国民が我慢出来ない・・(ギリシャのような国民投票制度がなかったことが)ロシア革命の経済的要因・・だからこそ、革命政府が支払を拒否したとも言えます。
元々債務超過国で苦しんでいたロシアが巨額戦費のかかる戦争などしている余裕がなかったのに、遠隔地の極東で日英同盟のある日本と戦端を開いたのが失敗でした。
薩長同盟が出来ている状態下で、沽券に関わる程度の意味で?第2次長州征伐を敢行した幕府に似ています。
国民からしてみれば、自分たちの生活にはどうでも良い遠くの極東での覇権争いのために自分たちに戦費負担や生命の提供を求めるのは納得がいかなかったでしょう。
日露戦争では、日露共にユダヤ資本から戦費を借りたのですが、日本は戦争に勝ったのと経済興隆・勃興過程にあったことから(第一次世界大戦による好景気到来で)1916年までかかって漸く返せたのに対し、ロシアの方は、元々デフォルト寸前を繰り返して漸く息をしているような脆弱な体質であった上に戦争に負けて借金だけ膨らんでしまった。
ツアーの威信が大きく傷ついてしまったので国民に対する抑えが利かなくなって混乱状態が激しくなっているときに第1次世界大戦に巻き込まれてしまったこと(好景気が来た日本とは好対照)が致命的でした。
国内不満が大きくなる一方で内政混乱に陥ってしまったことから、国民が借金返済に堪え切れなくなった・・・デフォルトの政治的表現がロシア革命であったと見ることが可能です。

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