平成28年元旦(人生を味わう1)

あけましておめでとう御座います。
皆様におかれましては、おめでたい元旦をお迎えのことと存じます。
私も家族も御陰さまで元気に新年を迎えることが出来ました。
「今年も心機一転この一年頑張るぞ!」と言いたいところですが、ここ数年?あまり頑張らなくとも良いか!と思うようになりました。
若い人にとっては、勿論元気に飛躍の歳になるように頑張るのは良いことですので、読者の中で若い人にとっては、年齢相応に元気で良い歳になりますように祈念します。
私の方は、ま、あまり意気込む必要もないので、今年も年齢相応にゆったりした一年を過ごしたいと思っています。
60歳の還暦の頃にいよいよ高齢者の仲間入りか!と感慨頻りでしたが、今になると、あんなに若いときに何でそう思ったか?と言うところです。
そのころは、皆そう言う気持ちだったので、事務所・関係弁護士がパーティーをして下さるなど還暦を祝って戴いたものですが・・・。
最近では70歳の古希祝いも滅多に聞かなくなり、私もいつの間にか素通りしました。
80台は今でも元気な人が多いですから、私が80台になる頃には、もっと元気な人の比率が高い時代になっているでしょう。
今のところ、どこと言って具合が悪い訳でもないし、いつも自分中心と言うか自分から見て若い人が増えたなと言う価値観で来たのですが、若いと思っていた人たちの年賀状に、「子供が育って夫婦2人の生活になりました」と書いて来た人が何組かあったり甥や姪に孫が生まれたとあるのを見ると、さすがに自分世代の時代は終わったのだ!実感するしかありません。
体力的には自覚が乏しいものの、周辺情報や年齢を数えると高齢化したかな?言う程度ですが、人から見ればいろんな能力が落ちているんだろうなと自戒している状態です。
大晦日に書いたように時間が早く過ぎるように感じること自体が、能力の衰えの徴候です。
情報処理力や移動能力が落ちて来る代わりに、高齢者には時間が充分にあるので昔10分で歩いた距離を15〜20分かけてゆっくり歩けば良いことです。
食べるものも量を食べられなくなれば、良いものを少し楽しめば良いことです。
若いときには将来のための教養を積むとか、家を建てるとか老後のためとか、すべて蓄積目的の生活でしたが、高齢者は蓄積の必要がなく、(長寿で知られた金さん銀さんが質問されて「老後のため・・」と答えたことが知られていますが・・)その時間時間の刹那を楽しめば良いので気楽です。
子世代のことが気になる(煩悩を断ち切れない)ものの、何となく達観するようになって来たことを、昨年元旦のコラムに書きました。
高齢社会では(食べ物に限らず文化を含めて)量に関心がなくなり、良いものを素直に愛でる消費が増えるので、文化が更に発展する・・文化が上質化して行くのが楽しみです。
江戸時代の文化に限らず、その前から日本のいろんな文化は、高齢者が支えて来た上質文化が基礎にあるように思われます。
情報にも上質情報と粗悪情報が当然あります。
同じ映画でもこく味のある映画とアメリカ映画のようにただ元気がいいだけのもあるように、詩歌であれ上質情報が増えるようにして行けば、高齢者も短い時間で楽しめます。
高齢化すると時間が早く過ぎてしまうように思えますが、その代わり高齢者にはたっぷり時間があります。
今年は良いものを少しずつ楽しむ年にしたいものです。
ここから大晦日のコラムの続きですが、今後ますます能力低下が進み、時間が過ぎるのを早く感じるようになるのでしょうが、能力低下に合わせて、じぶんが感じるままの時間の流れに任せて生きて行きたいと思っております。
一年を半年に感じる人はその分に比例して情報処理能力・受容量が落ちている可能性があります。
厳然たる不都合な事実をそのまま受入れるしかない・・人によっては若い者に負けないぞ!とトレーニングに励み、◯◯学校に通う人もいますが・・偉いのか、◯◯なのか人によって評価が違うでしょう。
大げさかも知れませんが、寿命が尽きて行く方向への心の準備と言うか、私のような凡人でも高齢化して来ると体力の衰えの実感から、悟り・・あきらめ・向上意欲衰えの正当化?に近づいているような気がしてきます。
若い頃には、昨日あることが出来たら今日・明日は練習すれば、もっと良く出来ると言う価値観で50年ほど生きてきました。
ところが60歳前後のあるとき気が付いてみると昨年より今年の方がレベルが下がっているのじゃないかと気が付くようになりました。
比喩的に言えば、10個の英単語をやっと覚えたと思うと、10日前に覚えた12個の単語を忘れているような感じです。
この10年ほど、気に入った詩歌があっても記憶しておこうとしなくなりました。
こうなると時間の流れに抗うよりは悟りに近づいた気持ちになるしかないような気がしますが、(知らぬ間に判断力がついているのかも知れませんが・・これは詩歌をいくつ覚えたと言うように客観的に分りません)能力ダウンを逆手とって楽しくやって行きます(・・・結局は自分中心価値観に帰するようですが・・)ので、今年もよろしくお願いします。

韓国民の行動様式28(トラの威を借る狐8)

日本が先に仕掛けたと言いがかりをつけて、戦争に引きずり込んで行った不正・不当な汚い策略の数々、原爆投下の非人道性ばかりではなく、焼夷弾攻撃による一般住民大量虐殺の悲惨さ、戦後の非民主的行為・強姦その他数多くの犯罪行為が占領軍の権力でヤミに葬られていたことなどの数々が次々と暴露され始めました。
マスコミを抑えようとも私の一家が空襲下で逃げ回った記憶を私から消せないように,占領下での多くの被害者は、今でも忘れていません。
ありもしない日本批判をするためにアメリカが背後で糸を引けば、これを切っ掛けに元々日本に対してあくどいことを一杯して来たアメリカや朝鮮人の歴史が却って暴露され始めました。
戦後アメリカはずっと日本政府やマスコミを支配して神道の影響力を殺ぐのに腐心して日本人の宗教心離れを加速させましたし、アメリカの非道さを覆い隠し理想の国であるかのように日本国民を騙して来ましたが、ネットの発達がこれを覆し始めたのです。
今では中韓の不当な主張や行為を背後で奨励していると思われるアメリカに対する怒りだけではなく,過去のアメリカのやっていた対日非人道行為の数々を、日本国民の大方が知りつつあります。
アメリカは従来政府関係者やマスコミさえ裏で脅していれば、日本政府は(野党その他政治家がみんな脅されているので)根拠もなく脅されるままに従軍慰安婦その他を認めるしかありませんでした。
(アメリカに都合が悪い関係になると直ぐに脱税等で捕まる仕組みが続いています・・最近では小沢氏が駐日アメリカ大使を虚仮にした途端に後に無罪になるような変な疑惑をマスコミがイキナリクローズアップし始めて、彼の政治生命が事実上絶たれました)
2013年9月20日ころの産經新聞報道によれば、政府はまず従軍慰安婦の存在を認める方向を決めていて何ら具体的な実態調査をせずに、形だけ調査したことにして結論を出した経緯・詳細が明らかにされました。
結論が先に決まっていたような経過を見ると、裏でアメリカによる政治圧力があったのではないかと推測されますが、非合法な圧力は性質上客観的資料には出て来ません。
調査経過と結論までの時間など考えると形だけ調査・・数名の証言記録だけらしいですが、その証言者を特定する本籍、戸籍等一切証明資料すら出せない怪しい状態で、当時の年齢やどこに住んでいた人か何者かすら特定出来ないような人が「こう言った」という程度の伝聞(直接質問すらしないで)だけで、こんな重要な結論を出してしまうのは異常です。
昨年夏以降の中韓の挑戦による騒動以降は、大方の国民が情報にネットで直接アクセス出来る時代になったので、裏で政府要人を脅しマスコミ操作をするだけでは収まりません。
アメリカは戦後ずっと政府やマスコミを裏で脅して黙らせるにとどまらず・・アメリカ賛美の報道ばかりさせて来ました。
言論の自由を表向き主張しているアメリカが実際には裏で政治権力やマスコミ人を裏情報で脅して支配して来たのですが、ネット社会になると中国のようにネットを直接取り締まらない限り、有力者やマスコミ関係者を裏で脅すようなことでは制御不能です。
韓国の誤算は、アメリカが従来どおり裏で日本政府やマスコミ関係者を脅してくれて、最後は日本が謝って韓国の言うとおりになる裏技が、ネット社会になって通用しなくなったのに、今回もアメリカの脅しを期待したことでしょう。
従来どおりに脅してくれれば日本は引き下がるしかないし、しかも日米はその分険悪になる一石二鳥の策でした。
中韓両政府による昨年夏以来の反日行動では、アメリカのトラの威を借りてもうまく行かないと分って来たので,今年の8月初めころになって韓国高官が来日して(謝って欲しいと言ってきた感じですが)も、日本は「現在日韓間には急ぐ懸案もないから・・」と官房長官談話を発表していました。
韓国としては、日韓が揉めればアメリカの脅しで日本が従来どおりに屈服すると期待していたでしょうが、思惑外れになりました。
対中関係で相対的に国力が減退しているアメリカの方が、日本に日韓どちらをとるのか踏み絵を迫られる関係になって来ています。

グローバル化と格差28(所得再分配1)

中国での工場労働者の賃金との差額(約400万円超)は、高度技術者(研究者やソフト関連・金融所得その他汎用品製造以外をまとめてこのコラムでは書いています)の働きによる収入を召し上げて再分配していることになります。
1つの企業で言えば、海外の儲けを本国還流することによって、本国の労働者は自分の働きに関係ない収入分配を受けていることになります。
これを国単位で見れば法人税その他公的負担で集めた資金で各種インフラを整備し社会保障を充実させて再分配していることになります。
月収40万円の内数万円補助ならばまだやって行けるでしょうが、中国では月収数万円できる仕事を日本国内でしている人に対して38万円前後も補助して40万円も払って行くのでは国際競争上無理があります。
地域的に見れば地方交付金で所得の低い地方への資金再分配を通じて地方での公共工事を地方の経済実力以上で高額発注させているのは、地方の公共工事関連者の高度な生活保障をしていることになります。
地域で経済が完結している場合、産業のない地方の役人や裁判官、教員等は近代産業の少ない後進国並みの給与水準・・月額数万円で良い筈ですが、それが全国一律高賃金(だから地方ほど役人の就職人気が高いのです)になっていること自体が、補助金の結果です。
本来地方に仕事がなければ需要供給の関係で公共工事の単価も安くなる筈なのに都会並みの高い相場になるのはこのメカニズムによるものです。
所得再分配用に召し上げる資金が多いとその分、公租公課負担が諸外国よりも高すぎる結果になるのは当然です。
これが企業・稼げる人の負担増(国際的に見て累進税率や高過ぎる法人税等の高負担社会)となり、高負担を逃れるために富裕層や企業本社の海外移転を促進していることにもなります。
所得再分配は民族同質性・・一体意識による助け合い精神の発露であってそれ自体尊いことですが、行き過ぎると労働意欲を殺ぐだけではなく閉鎖社会ではない現在では、国際競争力にも関係するので1国内だけで完結する時代の道徳をそのまま良しとするのは間違いです。
どの程度の格差修正が妥当かについては、グロ−バル化の進んでいる現在では国際競争力との比較で決めて行くのが合理的でしょう。
格差修正は国力次第であるのは、一般家庭でも同じことです。
失業した息子夫婦あるいは貧窮で困っている親戚がある場合、その一家・親戚全体の収入の範囲内で助け合うしかないのは当然です。
過去の蓄積の範囲で援助する場合は競争力には関係しませんが、日々の収入に上乗せして援助しようとすると、国際競争力に目を配らざるを得ません。
(ラーメン屋が親戚を援助したり息子の学費捻出のために過去の貯蓄から出すなら問題がありませんが、ラーメンの単価を上げて対処するとしたら・・近隣の単価を無視出来ません。)
現在の日本は、3月8日に紹介した平均賃金の例で言えば、工場労働者の賃金を月額2〜3万円が国際水準であるとしたら40万円との差額約37〜38万円を過去の貯蓄・・投資収益から援助するならば問題がないでしょうが、これを製品単価に反映すると問題が起きます。

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