中国やりくりの限界(税収弾性値1)3

http://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12242018733.html
2017-01-29 05:00:00
中国、「民間債務」対GDP比で170%「突出する危険性」
「日本、EU、中国の民間債務は2008年まで、対GDP比で100%ラインにきれいに並んでいた。米国は、手厚い内部留保があるゆえに民間債務の対GDP比は、60~70%の中に収まっている。問題は、2009年以降の中国だけが、対GDP比の民間債務額が急ピッチで増え続け、2016年には170%にも達した。この現実を頭に入れて置いて欲しいのだ。」
上記意見は、中国以外は今もキレイに100%で並んでいる前提でしょうが、諸外国では今も債務率が100%近辺で安定しているのかを書いていません。
ただし、29日に紹介したグラフによると中国の債務伸び率が半端でないことが確かです。
リーマンショック以降先進諸外国では異次元金融緩和が一般的であって、日本でもどこでも大量のマネーサプライが続いている以上は、その分債務も膨張していないかの疑問です。
例えば、住宅ローン金利が1%下がれば、借入額をその分増やしても毎月支払が同じになるので借入限度額・債務額が増えます。
この結果韓国では急激に個人債務が膨張してしまっていることが話題になっています。
リーマンショック以降「異次元緩和」が行なわれているのが普通ですから、中国だけ08年以前と比較するのでは、読んでいる方が混乱します。
ただし、日本では個人金融資産が巨大ですので、金利を下げた程度で借りたい人が増えません。
先進国で金融緩和をしても自国内企業や国民が殆ど利用していないで、(円キャリー取引で)低金利を利用して資金不足の新興国が利用しているだけ・せっかく大量供給した資金が海外・新興国に流出しているのかも知れません。
日米欧の低金利政策が新興国の資金需要を満たしていただけ・だからこそ米国金利上げが新興国・・特に中国への打撃となるテーマで持ちきりになっているのでしょう。
この後税収弾性値でも書きますが、GDPその他の指標は一定方向の議論や疑いを抱くとっかかりになるだけであって、そこから結論を導くとなれば、いろんな指標を組わせた意見でないとまともな議論になりません。
国力競争ではGDPが重要でしょうが、(中国は19世紀型・・粗鋼生産量や造船量にこだわって来た時代錯誤制を以前書きました)生活水準指標としてはGDPよりは別の指標の総合化が必要です。
無理な内需振興・・無駄な建設工事等の結果GDPだけ上がっても、税収がこれに比例して上がって行きませんから、経済効率無視の投資か否かの指標としては税収弾性値も目印の1つになるでしょう。
上記ブログの紹介では、中国の場合、税収弾性値が極端に下がり続けているらしいのです。
中国がリーマンショック後税収弾性値が下がっているのはGDPアップと言ってもゴーストタウンを作るような無駄な投資をしている証拠だと言う意見の補強に使われています。
「16年の中国財政の歳入増が、前年比わずか4.5%増であったのだ。税収の伸びが名目経済成長率の8.0%を下回る状態になっている。ついに、「税収増加率は、年々続く縮小傾向から脱却できなかった」(『人民網』1月24日付)と実態を吐露するに至っている。税収の弾性値という尺度がある。名目GDPが1増えれば、税収がどれだけ増えるかである。長期的な税収弾性値は1.1とされるが、中国はすでに、0.56にまで低下している。ゾンビ企業の多発で経済が空洞化している証拠だ。「腐ったリンゴ」そのものである。」
税収弾性値が平均して1、1であると言う図表か何かで見た記憶がありますが、ちょっと見たときの印象ではこう言う平均化が可能と言う程度の説明であったように見えます。
中国の肩を持つ訳ではないですが、公平に見ると過去一定期間の平均から外れると異常とする断定論は一面的です。
中国の場合にも前提となる社会状況変化があるのですから、(非衛生・生活習慣が汚いことで有名な中国でさえ公害垂れ流しのマイナスや衛生意識向上・生活水準向上があるに違いない・・量より質に入って来た変化をどう見るかです)社会状況が変わった指標としてみることが可能ですが、この種の衛生基準アップなどの)投資は次年度以降の生産性向上に結びつかないのが普通・・非効率投資ですが、これを無駄な投資(誰も使わない鉄道建設やビルを建てるような投資)とごっちゃにした議論は無理があると言うことです。
民需不足の場合に財政出動でインフラ投資すると、(不景気対策の公共投資は・需要がないのに無理して投資するのですから)投資効率が下がるのはどこのクニでも同じです・・。
日本の場合もバブル崩壊後の需要穴埋めのための財政出動・・公共投資の投資乗数が1割っていることを長年言われて来ました・。
社会でも個人でも豊かになれば目先のお金儲けに繋がることばかりではなく、その他の(効率の悪い文化・各地の美術・音楽ホール)出費をする余地が出るのは当たり前・・この段階になるとGDPアップ率が下がるのは当然です。
我が家でも数十年前から、収入に繋がらないことに支出する・・いろんなことをするようになっているのですが、日本のGDP成長率が下がっているのも、このような社会の豊かさに関係にあるのであって、目先金儲け(人よりより一杯多くのビールを飲みたいレベル)に燃えている新興国と「アップ率を競う」前提のエコノミストの議論の建て方・日本のGDPアップ率が見劣りすると頻りに言うこと自体が無意味です。
生活水準が上がると建物建築意欲を卒業して自宅の庭で花を植えたり美術品など購入し音楽を楽しむなど消費動向が変わりますので、その前の生活スタイルを基準に消費が減ったから生活が貧しいか?と議論しても意味がありません。
クルマで峠を越えるのに3〜4時間かかっていた場所で、トンネル開通で20分で山の向こうに行ける・・この種投資の場合翌年にはGDPが上がり投資高率が高いのですが、既存道路のアスファルトのレベルアップ、縁石をより見栄えの良い良質のタイルにしたり道路脇にツツジなどの植え込みをするレベルアップ投資では、翌年以降のGDPが上がりません。
中国がGDP6、何%成長の割に税収があがっていないと言うだけでは、その公表がインチキか、仮に数値が正しいとすれば、投資効率の悪い投資(空きビルを建てたか、または公害防止投資が嵩んだのか、縁石を綺麗にするなどのレベルアップ投資か不明)が多かったことが分るだけです。
批判するならば投資効率が下がった内訳の分析(公害防止や衛生基準アップ投資や市街地の美観アップなどの投資と投機による不要な原材料在庫アップまたはゴーストタウン投資の)こそが重要です。
GDPは、19世紀以降の建艦競争時代に継戦能力の指標としてGDP・生産力が重視されていたに過ぎず、未だにこれを金科玉条のように重視することが間違っている・・国民の豊かさアップとはイコールではありません。
日米安保で見れば分るように日本の継戦能力は、粗鋼生産力や造船量だけではどうにもならない・・米国による高度兵器供給網維持にあるのであって、自力継戦能力は大したものではありません。
大災害が起きるといつも問題になるように、民間企業もサプライチェーンが世界中に広がっているのであって、トヨタでもどこでも自企業内で完結出来ていません。

中国やりくりの限界1

中国の改革解放直後は、新規先端立地工場による大量雇用吸収で毎年のように何十万(〜もしかして何百万?)人と言う人々が、近代都市住民の仲間入りすることで所得が何十倍に上がる好景気で沸き立っていましたので、思想統制や共産党幹部の役得にも大した不満が起きませんでした。
1980年代後半だったと記憶しますが、香港から広州市に向かってバスで通過していたときに貧しい農村・・どろんこ道を草履みたいなもので歩いている人が多かった中)に出現している万元戸を通訳の人が紹介してくれたものです。
こう言う時代には高成長に参加できなかった人も2〜3年先は自分も・・と言う期待があって格差不満が起きません。
アメリカンドリームの中国版です。
ちなみにアメリカンドリームは格差社会を前提として(誰でもが・・と言うわけではなく運が良ければ)後で追いつく可能性を強調することで成り立っています。
こう言う期待・前提があって、長年中国では成長率が10%を割ると政権不安が起きるとか、つい数年前には7%以下はデッドラインとか言われて来ました。
リーマンショック以降高度成長が終わって新常態経済に変わって来ると、新規立地・・投資が減る・・新規に都市労働への参入が減って来ると工場労働者に参入する頭数を増やせない・既参入者の賃金アップしか餌!がなくなって来ます。
アメリカでアメリカンドリームが色あせて来て格差反発・・100万に1つくらいしかないドリームを売ったり国威発揚よりは、(宝くじの場合能力差がなく公平ですが・・アメリカンドリームはベーブルースやプレスリーなどの特殊才能保持者だけのことです)目の前の生活水準引き上げ要求が増えて来たのは当然です。
中国の既参入者も僻地農村から来たばかりのときは近代工場で働くだけでも夢のようであったでしょうが、都市生活に慣れて来ると最低賃金では不満が出て来ます。
この辺は先進国で移民2世にホームグロウン・テロリストが育つのと同じ原理です。
中国はリーマンショック以降成長鈍化の穴埋めに?経済原理を無視して最低賃金(需給に関係ない強制です)を毎年大幅に引き上げていたのでそのトガメが遂に出て来ました。
https://www.attax.co.jp/cbc/news/post-2545/によると以下のとおりです。
2016/03/09 2017/01/19
中国 広東省 今年と来年の最低賃金引き上げを見送り
「最低賃金標準は労務費に影響があり、2010年21.1%、2011年18.6%、2013年19.1%、2014年19.1%、2015年19%と推移してきた。
・これに対して広東省のGDP成長率は、2010年12.4%、2011年8%、2012年10.2%、2013年8.5%、2014年7.8%、2015年8%と推移している。」
GDPアップ率と直截比較するのはおかしいと言えば言えますが、何となく分りよいメージ数字です。
要は生産性アップと関係なく賃上げして行くのは非合理ですから、さすがに賃金が上がり過ぎて国際競争力が下がり過ぎたので、業界が保たなくなって来て最低賃金引き揚げストップの動きになってきたのがこの記事の表題です。
専制権力であっても経済原理に反したことは続かない一例でしょう。
いくらバブルを膨らませてもそれに合わせて紙幣増発すれば矛盾しないと言うことでしょうが、国内だけならばマンション価格が百倍になれば、人件費も全部百倍・紙幣百倍供給すれば一貫しますが、国際取引では為替相場で調整しないと中国製品が高過ぎて成り立ちません。
その帳尻合わせを市場・変動相場制に委ねれば・無理な賃上げ分に比例する(資本・幹部の取り分を減らすなどの修正がありますが原則として)人民元相場下落でしょうが、それをすると多くの新興国では対外債務支払不能リスクが起きる点では中国も同じ・・相場に任せられないので、買い支えたり出血輸出をシテ(黒字を稼ぐ)誤摩化して来ましたが、トランプ政権誕生で対米大幅黒字維持が直撃を食らいそうになって、出血輸出も限界が来たジレンマです。
日本と違って財政赤字が少ない・・余裕があると豪語していましたが、これまで公害対策や福祉政策をしていなかったばかりか不景気景気対策の経験がなかっただけのことです。
韓国の年金赤字が日本より少ないと自慢していたことがありましたが、食えない高齢者を放置シテ自殺するに任せていれば(韓国の高齢者自殺率の高さは世界一でしょうが・・高齢者地獄になっている様子が時々報道されています)年金財政は健全でしょう。
中国は今のところ企業倒産防止に必死になっているだけですが、それでも早くも外貨準備の底が見えて来て財政支出の限界が近づいて来た印象です・・・。
その内諸外国並みとは行かないまでも少しは障碍者や高齢者の医療費や福祉・公害対策などに使わざるを得なくなると・・韓国以上のいわゆる先老未富が到来して地獄絵図になりそうです。
ちなみに中国の高齢社会突入も待ったなしの状態です。
2億人を超える高齢者をどうするか・・もしかしたら、地獄絵図が現実社会に迫って来るのが目前・・大変なことです。
http://www.epochtimes.jp/2017/03/26925.html
「中国国務院が3月6日発表した「老齢事業発展計画」によると、2020年に60歳以上の高齢者は2億5500万人に達し、総人口の約2割を占めると予測した。労働人口が減少し、急速に進む中国の高齢化問題は再び注目されている。
同計画によると、20年60歳以上の高齢者の数は総人口の17.8%(14年末は15.5%)に達し、その内80歳以上の高齢者の数は約2900万人まで増える。また、高齢者の扶養比率(高齢人口に対する労働人口の割合)は28%で、5人で1.4人の高齢者を扶養しなければならないことを意味する。」
中国では低学歴・健康管理能力が低いことから50代で働けない人が多いと言われていますので、国際基準の60〜65歳以上を取り上げるのは実態に合っていない・・現実は既に大変な事態になっています。
70前後まで働きたい人が多い日本場合、バカの一つ覚えのように65歳以上の高齢化率を報道するのは意味がないとこのコラムで書いて来ましたが、中国の場合この逆の実態があります。
苦し紛れの無茶をする限界が迫って来てその内ゾンビ企業への追い貸しが出来なくなって、倒産続出→失業増大→マンションや商品投機資金が続かなくなる時期が来る可能性が取りざたされています。
昨年末から今年に掛けて債権委員会なるものが出来て、国有企業の不良債権処理システムが動き出したようですが、何が出来ようとも焦げ付き債権を棚上げされて払ってくれない事実は同じ・・結局最終貸し手・・金融機関の資産が縮小するしかありません。
どこかで経済原理に反した帳尻合わせが必要・・国民に迎合→結果的に傷を大きくするしかないと言うことでしょう。
今朝の日経新聞朝刊21p「大機小機」にはこの辺のジレンマを「中国経済4つの誤算」として要約した意見が出ています。
政権正統性がない穴埋めとして・・と反中系ネットでは良く言いますが、正当性があっても不景気が続くと政権が持たない点は同じです・・。
人件費上昇政策で御機嫌取りをして来た結果輸出向け製造業衰退が始まったのですが、だからと言って今更賃金を引き下げるわけには行きません
だからと言って今更賃金を引き下げるわけには行きません。
・・上記記事はこれ以上賃金を上げない宣言をするのがやっとと言うことです。

新興国の限界(民度)1

話題がそれましたが、中国の自分勝手なルールに戻します。
国際社会は先祖帰りを始めた中国の将来性を見限り始めた・・「自分だけ法を守らない」と宣言しているような相手と合法的交際をスルのは無理があるからです。
中国の態度は、テロリスト同様に相手国の自由な情報システム・自由競争原理を利用し放題で・自国には入らせない・・気に入らなければ直ぐにスパイ容疑で検挙するし、工場設置も合弁以外には認めないなどやりたい放題です。
こう言う片面的関係は自分勝手過ぎて長期的にはうまく行きません。
ゲームでも全て双方が同一ルールが原則で相手によっては「飛車角落ち」あるいは何目の置き碁でやることがあっても、その他ルールが同じにして戦う合意です。
中国の場合、後進国として公式に免除されている以上にその他ルールも守らない・サイバーテロ・知財剽窃その他やりたい放題です。
この後で書くつもりでしたが、ここでちょっと書いておくと外部技術導入した場合、当初は一定程度までは生産技術や社会レベルが上がりますが、その先は民度レベルが限界で打ち止めになるのは仕方がないことです。
絵画で言えば、西洋の写実技法が入ってそれを先に応用した人は有利ですが、期間が経過すれば基礎的能力差が出て来るのと同じ・スーパーダイエーがスーパー方式で先行して成功しても時間経過で後発組に負けたのと同じです。
ラーメン屋もトウモロコシを最初に入れたのはアイデアですが、これが一般化すると基礎的な味付け能力差に戻って行きます。
中国は日本等先進国から近代設備を入れて低賃金労働を武器にして世界の工場になっただけで天下をとったかのように誤解して威張り始めました。
反日に始まって周辺国と相次ぐ騒動を起こして「自分の国は強いぞ」「どんなもんだ!」と国威発揚・威張っているつもりでしょうが、中国民度レベルの限界を自らさらけ出しただけ・・逆から見ればば恥ずかしいことをしていることすら分らないのです。
成金が成金であることを自慢することの「恥ずかしさ」さえ理解出来ていないレベルです。
国民にはいろんな人がいますから恥ずかしいと思う人もいるでしょうが、国内対策上恥ずかしいなどと言ってられない・・「そんな気配りよりはさしあたり国民不満を発散させるしかない」と言う切羽詰まった状態・・結局国民の大多数は「恥ずかしいかの基準」よりは「目先金をばらまいたり武力誇示で威張る方が良い」と言うことなのでしょう。
世上訳知り顔で「◯◯人と言ってもいろんな人がいるからイチガイに言うのは偏見だ・・」という意見が多いですが、国家や企業などとして行動する場合には、いろんな人の意思の総和が国家行動になっているのですから、その国家行為でその国民一般が評価されるのは仕方のないことです。
A個人の評価で言えば、いろんな行為の総和でその人柄を判定しているのであって、「あの人もたまに優しいこともあるから・・」言ってその人をかばう人がいても(そう言う面がないとは言わないけど・・)「トータルの問題でしょう」となります。
最近ベトナム人の小学生を殺害した事件が世間を騒がしていますが、日頃如何に児童のために親身に登下校の見守り活動をしていたかは問題ではありません。
反日騒動以来約5年経過で新規投資が減少してボデーに利いて来たのをひた隠しにするために、データ操作に邁進せざるを得なくなっている状態です。
遠くにいる国外投資家相手にデータをいじって誤摩化せても、国民が肌で感じる不満を誤摩化せません・そこで高度成長が中・低成長になり始めた頃から対外紛争を切れ目なく起こさざるを得なくなったようです。
自信がついたから威張っているのではなく、幸いちょっとばかり廻りを脅かすにたる軍事力があることを利用して国民の目をそらしている(つもり)と言うべきでしょう。
馬鹿げたごまかしに乗るのは最低レベル層だけですが、この階層はひごろから何事もうまく行かない不満が蓄積しているので、いつも不満の爆発場面・・切っ掛けを求めている下地があります。
誰かが社会不満の火をつけるとそれに乗って大暴動に点火し・中国歴代王朝末期の原動力になって来ました。
そのガス抜きのために反日暴動をけしかけたと見るのが普通でしょうし、あっという間に政府煽動に乗った人の多さに民衆の不満がどれだけたまっているかを日本その他諸外国が認識出来ました。
日本では奈良・平安〜鎌倉〜室町応仁の乱〜戦国時代〜明治維新の大変化は、いずれも社会の担い手の変化に対応したもので、無意味な・・不満だけによる庶民の大暴動が起きたことがありません。
中国の場合意味のない大暴動の繰り返しなので、王朝が何回変わっても前王朝の繰り返し・・発展性がなかった原因でしょう。
日本では江戸時代以降若者のありあまるエネルギーを各地のお祭り騒ぎに転嫁して来たのですが、中国の場合単なるエネルギーではなく社会に対する不満ネルギーですから、暴発エルギーを対外不満・攻撃に転嫁せざるを得ないのでしょう。
この辺はサッカー大会でも日本人の応援団が市街ア終わった後のエネルギーで掃除シテ帰るのに対して、他国相手チームに対する攻撃や暴動に発展する他国応援団の違いです。
不満発散を外に求める手法は現在ロシアその他新興国の多くで見られる政治手法です。
ロシアの場合原油値下がりによって、財政的に後1年もつかと言うくらい追いつめられていると言われますが、逆に膨大な経費のかかる軍事力行使の勢いが強まっているのも同じ・・弱みの裏返しです。
周辺を威嚇するような軍事力がない結果、経済原理のママに委ねているベネズエラのばあい、原油価格下落により政権の危機拡大が続いています。
今は、アメリカの力が弱まったことを利用して地域大国の場合、周辺国に対する威嚇・軍事力行使で内政不満を吸収して不満層の拳の振り向ける先を敵国に振り向けるのに成功している印象です。
中国の場合ロシアほど財政的に窮迫していないものの成長神話のかげりを認めたくないために、不満分子の目をそらすために目先反日実験したもののうまく行かなかったので、今は対韓制裁と称して徹底攻撃しています。
韓国の場合ソフトパワーで反撃される対日本攻撃と違って安心感があるでしょう。
韓国も日本同様にチャイナプラスワンに動き始めましたが、中国は韓国程度のクニがどう動こうと次に中国が必要とする高度技術がないので、(日本の場合ドイツに頼れば良いと思ったでしょうが、うまく行かなかったのは日本が公害その他これから必要となる最先端技術国だからです・・)その移転が止まる心配がない・・大した痛手にならないと言う読みがあると思われます。
中国政府はもの凄い勢いで膨らんで行く国有企業の負債額のデータを減らすために、株式化して債券額を減らして株式市場に投げ込んだ・・幸い株式市場は1昨年から殆ど機能していないので市場に投げ込んでも暴落しない安心感がある・・経済原理無視の無茶苦茶を繰り返しています。
南シナ海紛争はこれ以上広げると米国を刺激し、危険が大き過ぎるのでやめるしかなくなった・・これがフィリッピンとの和解成立の背景です。
和解条件に巨額援助約束するしかなかった・・フィリッピンは実利をとったのですが、フィリッピンの屈服を引き出すためにバナナ輸入規制等で脅かしていたのに、逆に自分がその何倍も援助約束して和解するしかないのでは、何のための争いだったのか分りません。

資格制度の空洞化?1

先進国では今や食品に限らず衣類や旅行、医療その他全ての分野で、事前規制・最低基準さえ満たせば商売になる時代ではありません。
同じく弁護士が悪いことさえしなければ良いと言う時代ではありません。
弁護士業務も経済的に見れば商品供給の一種ですから、(飲食業で言えば中毒を起こさない・弁護士が悪いことをしない)最低基準を満たしている以上は、その先のサービスの善し悪しは消費者が選ぶべきであって、上からの懲戒・規制による品質保持は不可能です。
「懲戒制度で品質を保つ」のでは「能力が今一不足」と言うだけでは余程のミスをしない限り懲戒処分・・業界から弾けません。
実際に弁護士の「仕事ぶり」がこんなことで良いのかと言う不満・・懲戒申し立てが増えて来ている筈ですが・・・このテーマは市場淘汰向きで懲戒基準としてはなかなか難しいところがあります・・徐々に運用が広がって行くのでしょうが・・。
飲食業言えば「味が悪い」「サービスがつっけんどん」と保健所に苦情を言うようなイメージです。
ただし市町村などの窓口対応が、(国鉄民営化が切っ掛けだった?)数十年前に比べて劇的に変わりました。
裁判所でも、受付窓口(訟廷管理官・ベテランが対応する仕組みでしたが)で書類不備があるとフンゾり返った姿勢で座ったままポーンと投げ返して来たのを覚えていますが、今はそんなことはありません。
今では対応に問題がある苦情があっても、行政庁では懲戒対応ではなく内部注意・・教育する方向でしょう。
弁護士会では絶え間なく会内研修を実施しているのはこの流れに適応しています。
強制加入制度存続の根拠となっていた「懲戒出来ないと品質を守れない」と言う主張の基礎が今では殆どなくなっているのではないでしょうか?
消費者目線の審判・・市場退場を促す結果が出て来ればこれに従うべきですが、弁護士会にはそのシステムがありません。
せいぜい会費を高くして会費負担が気になるような弁護士の申請を事実上拒否する・・あるいは登録後市場退場を促されている苦しい弁護士が会費負担に耐えられないときには自発的登録抹消を誘導する程度しか出来ないことになります。
お金がないと弁護士を出来ないのかと言う批判が出そうですが、弁護士になるのにお金のない人が挑戦出来ないのと、弁護士になってから食えない弁護士・市場評価が低い弁護士を淘汰しないで放置するのとは次元が違います。
ところで、医師弁護士の資格規制が昔から厳しい・免許制だったのは、専門的過ぎて消費者による技術評価・事後淘汰が難しい・一方で能力のない者が行なうと被害が大き過ぎて後からの救済では間に合わない点にあります。
クルマの運転免許も歩行者や家屋にぶつかって来そう・・危なそうな運転のクルマが突進して来るのを避けられない・・選べないリスクがあります。
タクシー運転手の応対が悪い程度と事故をしょっ中起こすのでは意味が違います。
オンザジョブトレーニングが大量合格に踏み切るとき以来耳にタコができるほど言われるようになりました。
調理士、美容師・医師その他なんでも資格制度と言うものは、取得と同時に一人前という意味ではなく、実務をやりながら腕を上げて行き一人前になって行く素質を持っているかどうかの基準で決めるものです。
訓練しても無理・・その素質がないということで資格試験で落としていた人材を大量合格させて、今後は能力不足だから実務で訓練してくれと言うのは言語矛盾です。
私のように運動神経の鈍い男をプロ野球球団で採用して、いくら訓練してもどうにもならないでしょう。
物的商品でも・・たとえば当日の仕入れ食材の質が悪くても、職人の腕次第・工夫によって何とかなる場合もあります。
しかし、それは言わば客を前にしてその日何とかするために必死の誤摩化しが成功したに過ぎません。
弁護士や法律家・・あるいは学者や研究者芸術家の場合、人間の能力そのものにほぼ99%商品価値のあるので、指導教官が適当に誤摩化せば良いものではありません。
リーガルサービスでは、どんな教育をしても素質による限界が顕著で(人間の)仕入れ段階で勝負がついてしまう傾向があります。
このために訓練さえすれば、最低基準まで行くだろうと言う見極め・・資格試験があるのですから、その水準を保たないとその後の教育・訓練だけでは限界が大き過ぎます。
これが大量供給→資格要件(水準)緩和→レベル低下が始まった弊害の重要部分です。
約30年間500人以内で一定していた合格者数を、平成4〜5年頃に750人に増やすことから始めました。
この議論は平成元年頃からはじまり、その頃法曹養成委員会がまだなくて司法問題対策委員会が担当で私は日弁連委員になっていましたが、当時一般会員の間では追加合格になる250人って本来合格出来なかった人が入って来るの?と言う話題で持ち切りでした. ..。
従来の500人の半分もの新規参入で、当時の千葉県弁護士会会員200人を越える増加です。
理念的には「人みな平等」とは言いますが、実際には人間の能力は人によって限界がある・・司法試験の場合、合格ラインすれすれまで到達したが、その先何年やっても合格ラインを突破出来ない人が大量にいました。
あまり勉強しなかった子供が勉強する気になると、3〜40点平均から4〜50点平均までは大方の子が上がるが60〜70点まで行く子はホンの一握り、8〜90点には1%あるかないかとドンドン減って行きます。
誰でもどこかで限界に打ち当たるのが普通です。
この限界論の大枠の基準については法科大学院制度が出来たときの回数制限・・卒業後5年以内+3回で受験資格がなくなる制度設計が大方の認識を示しているでしょう。
3回制限すると受験控えが起きるので卒業後合計5年勉強してダメな人はやめて下さいと言う設計です。
国家間で言えば中進国の罠と言われる民度に応じた限界論であり、中進国になって10年で先進国入り出来なければ、見込みなしの世界評価基準があります。
韓国経済が今そのボーダーライン期間に入って焦っています。
従来不合格であった501番から750番までの成績の中から次年度に400〜300番に繰り上がれる人も何人かはいるでしょうから、(これが浪人を生み出すエネルギーです)この種の人にとっては時間さえあればもっと上に行く素質があったことになる・・このグル−プの人材を1年早く合格させてもその分多くの手間ひま掛けて訓練すれば一人前になれることになります。
法務省は詳細なデータを持っていて、大量合格→弁護士能力低下・・ひいては弁護士の社会的地位低下を危惧する日弁連に対して、(データ期間は忘れましたが例えば)過去何年間で500〜750番までで合格出来なかった受験生が1年後〜数年後に何%合格しているかと言うデータが配布された記憶があります。
この理屈でも合格者を750人に増やすと後10年浪人しても合格しなかった筈の残り150〜200人くらいが弁護士会に参入して来ることになります。
言わば(繰り上がり出来る比率を忘れましたので)比喩的に言えば、250人中50〜100人くらいはどうせ次年度または翌々年には合格する予定の人材が含まれているから素質的に問題がある訳ではないとした場合、その論で言っても仮に1年だけの増員政策・次年度500人に戻しても需要の先食いと同じで、翌年度には前年度の750番までの人が滞留していない・カラになっているので、751〜900番までの人が3〜400番あたりに入って来る理屈です。
まして750人合格枠を毎年継続して行くと、3年〜4年〜5年後にドンドン本来繰り上がるべき素質を持っていた人の比率が下がって行く上に3〜4年先に漸く合格出来る予定の人が入って来ても実務訓練に馴染むレベルに達しているの?と言う疑問もありました。
その内、元々何年浪人しても合格出来なかった程度の人の占める比率が99%まで高まって行かないか?などの疑問が尽きない騒ぎでした。

弁護士会・強制加入の必要性があるか?1

公式弁護士会に対抗する集団結成のコスト負担が新集団結成の妨害・抑制にはなるでしょうが、不満者が増えればいつかは反対組織が生まれて来るでしょう。
そうなると自分たちの集団も公式の単位会として認めろ=「会費の二重払いは御免」と言う運動に発展して行きます。
結果的に「一定数以上の会員が集まれば別の単位会を作る自由を認めろ」となり、将来的には強制加入制度が空洞化して行くリスクを孕んでいます。
一旦この動きが始まってしまうと外部勢力を巻き込む結果、会内だけでは収拾がつかなくなりますから、主流派がそこまで追い込まない自制心が必須です。
ここで弁護士自治の制度的担保とされている強制加入制度について、思いつき的ですが検討してみたいと思います。
弁護士は人権擁護が主目的ですが、多くは社会の少数派・ひいては社会多数から指弾されている人・権力から迫害される人をそれでも弁護するのが本質的立ち位置です。
その極端な場合・犯罪者とされている場合でもその人の立場になって耳を傾けてみる・・被告人は気がつかついていないが弁護士の立場で調査してみると色な証拠が出て来て無罪のこともあるし、有罪には違いないが、相手にかなりの落ち度がある場合の外社会制度に問題がある場合など、いろんな隠れた事情があります。
社会から圧迫されている人の極端な場合である刑事被告人まで行かなくとも、その前段階で村八分のような人権侵害を受けている人もいます。
こう言う人の立場になって弁護するのは、その弁護士まで一緒に非難される危険があってとても勇気がいるものです。
「勇気があるからこそ弁護士になっているのでしょう」と言えば簡単ですが、やはり人間の強さには限界があるので支えあい励ましあう仲間が必要です。
難病その他困った人たちの支えあう会が有効なのと根が同じです。 
弁護士数が増えて行くに連れて同業者内意見交換的グループが発生してその内地域別・・全国組織に発展して行ったと推測することが一般的に可能です。
ただ、一般的歴史を見ると前近代・・ギルド制度の延長で、権力支配貫徹のために許可を受けた者しか業界参入を認めない・・許認可・強制加入制度は弁護士会に留まらず、全ての業界を通じて元々政府による統制支配の道具でした。
弁護士会も例外ではなく、多分司法省の監督権があって監督便宜のために強制加入になっていたのです。
職権処分も出来る睨みを利かしながら各種業界内で自主的処分をさせて(異議申立権を与えて監督官庁の最終処分にする)間接統治するのが近世以降統治の普通形態でした。
例えば今でもヤクザと警察のなれ合いがトキに問題になりますが、暴力団組織を完全に粉砕して全員一匹オオカミ状態になると情報収集が極めて困難になります。
「・・そこまでやると黙ってない・・兎も角これだけの事件をやった以上は、シラを切っていると組織壊滅までやりますよ・・」と言う脅しが利かなくなる・・これが良いか悪いかの議論は別とてこうして取締側も何とか格好がついている場面があります。
組織の方は「あいつははぐれ者で大分前から組織を抜けているので・・」と逃げを打っても・・それなりの人脈がある筈だからかそこを組織の力で探し出してくれと言う「脅し」が入ります。
これが捜査能力の低い天領中心に幕末各地で顔役・・侠客が成長して博徒など違法集団の二足のわらじがはびこった背景です。
想像は別として、権力統制・・各種業界に張り巡らされた強制加入制度を戦後民主化のためにGHQがドンドン破壊して行く中で、弁護士会(だけ?)に何故強制加入制度が残ったのか?逆張りの関心になって来ます。
弁護士会の論理によれば、自治が貫徹されれば、政府統制の害がなくなるから強制加入を制を残しても非民主的にならない・・という存続要請論理は戦前の強制加入制度存続のための論理です。
政府による統制のためにあった強制加入制度を「自治に必要だから」と存続運動して成功し、今も強制加入制度こそ自治の本丸・死守すべき制度と言うのですが、元々政府による統制のためにあった制度の存続によって、残っている制度だと知っておく必要があるでしょう。
戦後弁護士自治が始まったばかりの弱いときに、任意加入になると組織に人が集まらない・・自治が維持出来ないと言う弱みがあったのかも知れません。
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/statistics/data/white_paper/2015/1-1-1_danjo_nenrei_suii_2015.pdfのデータによると1950年で全国5827人です。
私の登録した1974年では、9830人ですから、1950年から約二倍に増えています。
私が1974年に千葉県弁護士会に入会したときに私たち新規会員をプラスして漸く100人を超えた記念すべき年でしたが、その前・・約1年半実務修習していた栃木県弁護士会では、会員数が全県下で40人前後の印象(お客様・・お世話になっていただけでしたので詳しい数字までは知りません)でした。
50年比で約二倍になっていると言うことは、50年ころには、栃木県・・多くの地方県では20人前後〜終戦直後ではもっと少なかったでしょうから、自由参加では組織体にならない・・全県一区の単位会強制が必要であったことが想像出来ます。
以下はhttp://kounomaki.blog84.fc2.com/blog-entry-988.htmlの引用です。
GHQの・・「リーガルセクションは、当初、強制加入を「好ましくない」とし、さらに日弁連会員が、弁護士会と個人弁護士であるという二重構造の必要性も疑問視したとされています。これに対し、水野東太郎や柴田武は、次のような論法で説得したといいます。
 ① 強制加入を認めないと、少なくとも刑罰に至らない程度の非行の責任や弁護士一般の信用を害する行為の責任追及を断念するか、他の機関に委ねなければならない。このことは、せっかく確立した弁護士会の自由独立を捨てるか、弁護士一般の信用の危殆を傍観するしかないことになる。
 ② 弁護士会が官庁の指揮監督を離れ、独立自由を獲得するために強制加入があり、これによって団体自治が確立され、真の法的自治ができる。
 ③ 日弁連への二重加入は、弁護士に対する懲戒手続きを各地の弁護士会が追行しない場合、日弁連が直接懲戒する必要が生じるためである。(第二東京弁護士会「弁護士自治の研究」) 
上記は書いた人の要約ですから正しいかどうか分りませんが、主張の中核が弁護士一般の信用を害する者に対して懲戒処分・統制が利かない→品質保持出来ないと弁護士に対する信用が崩れ、ひいては自治が維持出来ないと言う点にあるようです。
弁護士会の自治の必要性を自明の前提として根拠を書いていませんが、自治を維持するには(選挙等による確認によらないとしても)国民の弁護士全体に対する信頼・支持が必要と言う趣旨でしょう。
この論理から言うと入って来た後の弁護士の品質チェックには自治・自主的懲戒処分権があるだけで、加入を認める入口での資格チェック権がないと一貫しません。
権力に楯突く弁護士などは少ない方が良い・・試験を余程の秀才でないと合格出来ない・・厳しくして弁護士を出来るだけ少なくする政策の場合、弁護士会側からすれば入り口の品質保証は問題になっていなかったように思われます。
強制加入制存続要望の本音は、任意加入だと人数が少な過ぎて「発言力のある団体」にならない心配が中心だったからではないでしょうか?
反権力になり易い弁護士は少ない法が良い・・立派な資格だから厳重なテストが必須として合格者を絞って来ましたが、その結果却って弁護士に対する信用が上がります。
そこで、これを逆張り的発想で政府が弁護士の品質劣化を招くために資格試験を易しくして大量供給すればどうなるかの実験をしたのが平成の大量供給政策でした。

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